また、平安時代中期の天徳年間(957〜61)には、空也上人(念仏踊りの開基で、南無阿弥陀仏の念仏を世に広めた人物)が3年間滞在。ちなみに、空也上人がこの地を去るときに村人たちの願いを受けて刻んだとされる自身の像は、国の重要文化財に指定されており、今も寺に安置されているそうです。その後、鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復しましたが、応永23年(1416)の兵火で焼失。文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣によって再建された本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされていますが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は国の重要文化財に指定されています。
さて、小高い山裾にある浄土寺の仁王門をくぐり、一段高い場所に建つ本堂へ(ちなみに仁王門の金剛力士・阿形像は盗まれたため目玉がありません。思わずビックリしますよ)。いつものように、本堂・大師堂を参拝した後、寺を出発。次の札所は第五十番繁多寺で、寺までの道のりは約1.7kmです。寺を出て、150mほど西に進むと、遍路道は日尾八幡神社前の県道40号線(讃岐街道)との交差点にぶつかりました。南東の角にある道しるべに従って、入り組んだ交差点を右折した後は、県道40号線を北へ(この間、コンビニや商店などいくつかあります)。600mほど進むと三差路に道しるべが立っていますので、ここから県道を右に逸れます。右にそれた遍路道は北にしばらく進み、やがて久米霊園にさしかかりました。霊園の西側を北に600mほど進んで、さらに畑寺浄水場前の坂道を登りきると、繁多寺の山門に到着です。浄土寺から繁多寺へは、時間にして約30分、万歩計によると2,644歩の行程でした。
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同、境内

同、大師堂
●今回の歩数と総歩数
四十九番札所・浄土寺〜 五十番札所・繁多寺
歩数:2,644歩
一番札所・霊山寺から
総歩数:121万9,384歩 |
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