あちこちに漂う思い出の時間…
水窪小学校門谷分校探索 part.1
制作2004.1.28

 この門谷分校は明治28年に「奥山尋常小学校門谷分教室」として作られたのがはじまりです。その後、戦後の教育制度改革で「水窪小学校門谷分校」と名前を変えました。
 元々は周辺の子どもたちが通っていましたが、昭和30年飯田線の水窪迂回開通により学区の一部の児童は水窪小学校に通うようになり児童数が減少。昭和43年4月には6年生女子1名になってしまいました。その1名も三学期からは水窪小学校に通うようになり、分校はその年度末に一時閉鎖。昭和45年3月31日をもって廃校となりました。
 現存する建物は明治時代からのものではなく、昭和34年伊勢湾台風で全半壊したものを修復・再建したものです。
 時間のとまった空間をとくとご覧ください。

3軒並んだ廃屋が分校の目印です。そのうちの1軒は小屋のようで中はよく分かりませんでした。 この建物は噂で聞くには教職員用の住宅として使われていたそうです。 中はいかにも廃屋……という情緒が漂っているのですが、 よく見ると、材木置き場に利用しているようで、居住者はいないものの利用者はいるようです。
入口には茶わんなどが散乱していました。昔住んでいた人が使っていたものでしょうか? 壁には何故か6つもカレンダーが貼られていました。女性の顔写真がついてるカレンダーが多いってことは住んでたのは男性か!?(勝手に想像) カレンダーは1976(昭和51年)10月でとまっていました。ここだけ空間がとまったかのようです。 部屋にはこのような機械が置かれていました。私にはいまいち何の機械なのかよく分かりませんでしたが…。
部屋は二部屋あり、奥の部屋には間仕切りなどが置かれていました。別の家の間仕切りをここに置いてあるのか!? 奥にある1軒は最近人の手が入った形跡があり、電線もちゃんと繋がっています。別荘(!?)として使っている方がいるようです。 この学校がある付近にはこの他に家らしきものが3軒ほどありました。しかし、写真の家は冬季閉鎖なのか戸が完全に閉まっていました。 さて、本編となる分校ですが、写真にみえる階段をのぼっていった所にあります。
登っていった所にある建物の脇、この狭い通路を歩いていきます。柵があるとはいえ怖いなぁ…。 …と思っていたら、崖崩れの形跡が。下の道路に転落しないように慎重に越えていきます。 急坂や石段を登った先に分校はありました。 これが門谷分校です。周囲の木にうもれつつあります。正面の入口はちゃんと鍵で閉ざされていました。

Part.2につづく
三遠南信秘境探索のページへ
トップページへ
Ads by TOK2