亡くなった10人の方々とは1月25日 11時37分
イスラム武力勢力による人質事件で死亡が確認されたとして、政府が発表した日本人10人は次の方々です。
▽日揮の最高顧問で、前の副社長の新谷正法さんは、東京の出身で、66歳。
横浜国立大学工学部を卒業して昭和46年に日揮に入社しました。
日揮の元役員によりますと、新谷さんは国内での業務が長く、医療分野への進出など、新規事業に関するプロジェクトに数多く携わってきたということです。
4年前の平成21年からは日揮の代表取締役副社長を務め、去年6月に副社長を退いて最高顧問となりました。
新谷さんは副社長時代の3年前には大学で企業マネージメントに関する講義の講師を務めるなど、社外でも幅広く活躍していました。
日揮の元役員の男性は「新谷さんは頼りがいがある人柄で若いころから将来を期待されていた人だった」と話しています。
関係者によりますと、新谷さんは事件が起きた今月16日に予定されていた、イギリスの石油会社の幹部らとの会合のため、現地を訪れていたということです。
新谷さんは24日、政府専用機が現地を出発したあとに死亡が確認されました。
政府によりますと26日午後にも民間の航空機で帰国する予定だということです。
▽日揮の社員の伊藤文博さんは、宮城県南三陸町出身の59歳。
岩手県の一関工業高等専門学校を卒業したあと、東京工業大学に進学し、博士課程を修了しました。
日揮では、アルジェリア開発プロジェクトの部長を務めるなどアルジェリアの滞在経験も豊富で、長く現地の資源開発に携わってきました。
母校の後輩の育成にも熱心に取り組み、高専では、自らの仕事の内容や技術者の心構えなどについてたびたび講演していました。
伊藤さんは、野鳥の観察会の会員になってバードウォッチングを楽しむなど趣味も大切にしていたということです。
▽佐賀県武雄市の緒方弘昭さんは57歳。
地元や東京などで大工をしていましたが、12年ほど前から仕事場を海外に広げ、アルジェリアにも何度か訪れていました。
今回は、東京の建設会社から日揮に派遣され、去年11月から3か月間の予定でアルジェリアで働き、現地では現場監督を務めていたということです。
妻の由利子さんによりますと、海外での仕事が多い緒方さんは、国内で過ごす時間を長くしたいと考えていたということで、去年、アルジェリアに出発する直前には「今回は行きたくない」と話していたということです。
事件の6日前の今月10日に電話で話したのが最後の会話になったということで由利子さんは「夫はいままでよく海外でよく頑張ってくれたと思います。夫には感謝の言葉を伝えたいです」と話していました。
▽日揮の社員で横浜市の川畑圭右さんは49歳。
都立高校時代の担任の教師によりますと、昭和57年に都立高校を卒業後、横浜国立大学に進学し、日揮に就職しました。
高校時代はラグビー部に所属し成績もよかったということで、明るい性格でクラスの人気者だったということです。
▽日揮の社員の木山聡さんは、29歳。
熊本市出身で熊本市内の中学校を卒業後、地元の高等専門学校の機械電気工学科に入学しました。
高専時代は、「電機研究部」に所属し、開発したロボットの技術を競う「ロボコン」の九州大会にも出場し当時の様子がNHKの映像に残されています。
高専を卒業後、新潟県にある長岡技術科学大学に進学し、大学院にも進みました。
研究室で4年間、木山さんを指導した長岡技術科学大学の名誉教授の石崎幸三さんは「木山さんは積極的な性格で、以前から海外で仕事をしたいと言っていた」と話しています。
石崎さんによりますと、木山さんは修士課程を修了したあと日揮に就職し、クウェート勤務などを経てアルジェリアに赴任したということです。
石崎さんが木山さんに最後に会ったのは去年5月の研究室のOBたちとの旅行で、仕事も充実している様子だったということです。
木山さんは武装勢力に拘束されたあと、中東の衛星テレビ局の電話インタビューに応えたとみられていて、報道で声を聞いた石崎さんやかつての同級生たちは無事を祈り続けてきました。
▽後藤康次さんは、59歳。
東京・渋谷の建設会社の社員で、日本の別の企業がアルジェリアで進めていた高速道路工事で型枠大工として働いた経験がありました。
今回は日揮からの要請で、半年ほど前からアルジェリアに派遣されていたとみられ、知人によりますと、後藤さんは仕事熱心で、明るく優しい人柄だったということで、知人は「亡くなったと聞いてとても残念だ」と話していました。
▽内藤文司郎さんは愛知県豊橋市出身で、東京の人材派遣会社から日揮に派遣され、去年10月からアルジェリアで働いていました。
内藤さんは平成21年から22年にかけて別の日本企業がアルジェリアで進めていた高速道路工事の現場で働いたことがあり、現地での経験や内装工事の技術を買われて今回のプラントに派遣されたということです。
内藤さんは、25日に帰国して父親の誕生会を開くのを楽しみにしていたということで、母親のさよ子さんは、24日、「現実を受け入れなくてはいけないと思いますが、どこかから元気で出てきてくれるのではないかという気持ちが捨てきれません」とつらい胸の内を明らかにしていました。
▽渕田六郎さんは64歳。
昭和23年に鹿児島県肝付町で9人きょうだいの末っ子として生まれました。
渕田さんは、鹿屋市にある工業高校を卒業したあと、大手建設会社に入社しました。
建設会社では、得意の英語を生かして長年、世界各地で現場監督などを務めてきたということです。
渕田さんは定年前に大手建設会社を退職しましたが、退職した会社からの依頼でアルジェリアに行くことになり日揮のプラントで働くことになったということです。
インターネットの交流サイトには「燦々(さんさん)と降り注ぐ星空を目指し世界各地で仕事をしている。日本には3~4か月の休暇を利用して一時帰国。次はアルジェリアに行き、砂漠で星空を眺める事に期待を込め!!」などと書き込み、アルジェリアで仕事をすることを楽しみにしている様子でした。
▽日揮の社員で神奈川県横須賀市の前川秀海さんは、北九州市出身の60歳。
地元の工業高等専門学校を卒業したあと、日揮に就職しました。
高専時代はラグビー部に所属し、4年生と5年生の時には高専の全国大会で優勝したということです。
卒業後もラグビー部の仲間たちとの交流を続け、おととし11月にも後輩たちの応援のために集まったということです。
友人によりますと、高専の入学式で新入生代表であいさつするなど成績は優秀で、日揮に就職したあとは海外に行く機会が多かったということです。
そして、▽山田隆さん、72歳です。
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