”その4 ”清めの方法”を実践してはならない。”を書いたあとでした。
邪霊安倍晴明は、ずっといつき、私の気を引くように話しかけてきます。
(高次元の存在は、同時に離れたところに存在できます。美言氏のところの安倍晴明と同じです。)
悪魔のささやき といってもいいのですが、
安倍晴明は美言さんについての悪口を言ってきました。
私が美言氏の非難的なことを書いてるので、話に乗ってくるだろうと思ってるようです。
安倍晴明は、私が目に見えない世界に入った頃、ある神に紹介された存在です。
過去に人間を生きたことがあるということで、神よりも親しみを感じました。
現に誠実で優しい人柄でした。(そのように思えました。騙されてました。)
すっかり信用してしまってました。
しかし、昨年12月に攻撃される大元を調べてたら、安倍晴明とのつながりが大きな原因ということがわかりました。
安倍晴明がアメン(闇系宇宙人)であることが発覚し、隠れて私を攻撃してることがわかりました。
正体を知り愕然としました。
うまく安倍晴明に化けたアメン。
そして、ここ数日で発覚した偽安倍晴明アメンネットワークも驚愕でした。
高次の存在のはずですが、神とは違い低俗なアメンが安倍晴明です。
人間の心に取り入ろうと、話題振りをしてきます。
アメンには、私はこれまで、首を絞められたり、体を痛めつけられたり被害にあってます。
精神的虐待もひどいものでした。
それでも、取り入ろうと得体のしれない執着で近づいてくるのが
アメンの幹部・邪霊:安倍晴明です。
邪霊・安倍晴明は、人間相手に安倍晴明を名乗ってますが、邪悪なアメンです。
人類支配をたくらむ闇系宇宙人です。
安倍晴明の主な担当地域が日本です。
これは、日本神話にも関わりますが、邪霊・安倍晴明の真実の名は、意外に有名な神です。
影響力が多きすぎますので、’真実の名’をブログで書くことは控えます。
話が逸れてしまいましたね(^^;
戻します。
美言さんの悪口を言って近づいてくる安倍晴明。
★下記は私リリーの思考デス。
注意しなきゃ。
自分自身の悪口をいうことは無いだろうなぁ・・・
と思いました。
↓(数秒後)
でも、安倍晴明は、私に近づくためなら、
自らも貶め、話題をふることもあるなぁ・・・。
↓(数秒後)
自分自身で自分自身の悪口を言う・・・
普通なら、そんなことは出来ないでしょうに なぜ?
↓(数秒後)
なんだ、アメンの常識か・・・
安倍晴明の行動の根底には、アメン思想がありました。
’この世のすべては幻想でありホログラム’
スピリチュアルに詳しい方は聞いたことがあるでしょう。
’この世のすべては幻想であり、ホログラムである’という感じの言葉。
実は、よく覚えてないのですけど。(^^;
スピリチュアルの世界の言葉、話は理解できないことが多いですね。実は。
わざとわかりづらくしてるのでは?という感じです。
外国のニューエイジから来た言葉を日本語訳するので、本来の意味も伝わってないです。
聞きかじりを伝達するので伝わりません。
おそらく誰もわかってないのに、わかっていると誇らしいという感じで、深く説明する人いませんね。
そして、わからない方々は、わかってる人を尊敬(?)の眼差しで見る・・・という構図があるようです。
わからない方々は、’あー、もっと頑張って理解しなきゃ’と焦り、劣等感も持つようです。
もともとわからないように作られてるのがスピリチュアルの世界です。
おかしな思想ばかりなので、理解できるほうがおかしいんです。
’この世のすべては幻想であり、ホログラムである’といのは、
アメン思想から来ている言葉です。
本来、人間は使うべきではありません。
責任回避的な言葉です。
犯罪を犯しても逃れようとする世界の言葉です。
この世は幻想ではありません。ホログラムでもありません。
現実は、しっかり物理的に存在します。
アメン:安倍晴明は自らの悪口さえいいます。
それは、他人ごとと思っているから。
自分自身でさえ、他人の認識にもします。
いわば、キャスト、役割としか思ってません。
この世(地球)は、すべて幻想、ホログラム、虚偽の世界というのがアメンの教えです。
なので、犯罪を犯しても責任は問われません。
すべて幻想の世界で起こしてることなので、責任はないのです。
上記のことが、根本にあるのが
’この世のすべては幻想であり、ホログラムである’という言葉です。
’すべては幻想なので、悪いことをしても罪がないよ 裁かれないよ’という話につながります。
人間としてのあなた、こんな思想、言葉を使わないようにしましょう。
私たちは地上で生きる人間。
すべてのことに責任が伴います。
地球上で起こることは幻想ではありません。
ホログラムではありません。
地に足をつけ、現実生活をしっかり生きましょう。
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かく言う私も以前はそういう人間の一人でしたが・・・・。(羞)
現実から目をそらしても、現実はなくならないので、精神世界に逃げ込む。
そりゃ、ニートも増えるわけです・・・。
この言葉、確かにスピリチャルな本にはよく登場してきます!
バーチャルな世界であるから何をしてもかまわない、まるでTVゲームで対戦ものシュミレーションものをしているかの如く、、、、
以前の事件でよく覚えていませんが、ある若者が高速バスに乗っていて乗客をナイフで脅して人質にとって殺すという事件がありました。
運転手は若者を説得しようとしましたが、ナイフで刺されて死亡しました。
まさにこの事件、若者は無表情、ゲーム感覚で殺人を起こしたようです
こういのもやはりアメンの支配下にあって動かされていたのでしょうか?
今考えるとゾッとする事件でした!!!
菅原道真なども人間時代の能力が高すぎて恐れられ、祀られているんですよね。その神にも似た畏れ・・というだけで勝手に祀るのも人間ですし、スピ系・自己啓発系にも騙されると言っては聞こえはわるいですが、自分が信じられることしか信じないのが人間の弱さですよね。
安倍晴明は、人間社会で陰陽師として名高かったため名前を利用されてます。
魔物潰しで人間社会のために尽くした人間とのイメージがあるため、現代人にとっても好感の持てる人物のようです。
スピ系の人は、心が弱い人が多いですね。純粋で信じやすいので騙される面がありますね。
騙されないように・・・との思いで記事を書いてます。
名前を利用されており、史上の安倍晴明は無関係なんですね、良かった。
お返事いただいてありがとうございます。
日本人は特に人間を神にしてしまったり、様々な信仰があるので・・信じる者は救われる方式でアメン思想まで様々取り入れちゃっていると思います。
知らないでは済まされないと、リリーさんのブログを出会って思います。
誰かに意見を聞いても決めるのも行動するのも自分で、誰かのせいはあり得ないと思います。
リリーさんのブログでまた気付きを得られたことに感謝しますm(_ _)m
私は弱い所があります。でも少しずつ強くなれたらと思っています。
悩んだり揺れたり迷ったりしても、前進し続けたいと思います。しっかり自分の足で立って、他者に依存しないで生きる強さを身に付けたいです。
○ンフィ○とか言われてるメソッドや5次元意識というものですかね。
言われてみたら、アメンにとっては人間が意志を強く持ってると操作することができないので、骨抜きにしようとしてるメソッドだし、体を持たない高次元の存在にとっては、この世は関与できない幻想でホログラム…そういう意味で解釈すれば納得。。
アメンにとっては、この世はホログラムってわけですね。
スピリチュアルって悪の立場から客観的に考えると、疑問が外れていくんですね…
そうですねー!
5次元メソッドで言われてましたね。
’悪の立場から考えると疑問が外れてく’って言葉に感心しました。^^
そうですね!
アメンにとってホログラム、幻想ですが、関与できないわけではありません。
関与できます。悪いことをしても幻想(夢)なので責任はないよ って話です。
関与できないって語弊がありますね。
この世でアメン自体が、物理的に罪を裁かれることはないっていう意味があります。アメンが人間を洗脳して、人間が罪を犯しても、アメン自体には三次元的な処罰はないから、この世がアメンにはホログラムなのだろうなって解釈しました。
どうやら高次元的には罪に問われるようですが…そこが彼らにとっては現実なのでしょう。
リリーさんのおかげで、この世のカラクリが見えてきますね。アメンを見抜くヒントは、相手の立場に立ってみると、わかるかもしれないですね。弱い人の心の隙にうまく入り込んで、人の心を弄ぶ。
本当にひどいですね…
リリーさんの勇気ある暴露は、決して無駄ではないと思います。騙されないためのヒントが散りばめられてますね。
本当に心を強くすること、自分を信頼することが大事ですね。
つながるのでしょうか?
この世はマーヤ(幻想)といいますが、本来は、同じ物を見ても人によって捉え方が違うように、自分が正しいと思って見ていた物も、ただその人の思い込みや観念を映し出しているだけかもしれない。外に見ている世界は自分の投影でしかないのだから、早くそんな幻想から目覚めよう、という様な解釈だったと思ってました。
すでに、同じ言葉を聞いて、リリーさんと私は解釈が全然違いますが、どちらが正しいという事でもありませんし、正しさというのも、誰だって自分が正しいと思っているのだから、幻想かもしれませんね。
このホログラムと捉える観点は、一体何を根拠にしているのか判然としませんが、しかし、現実に対してどのような世界観を有しているかによって、様々な有害な観点に陥る危険性があるように考えていました。
例えば、この世界の現象は原子の運動によって成り立っており、脳における活動電位が生じるプロセスによって意識が副次的に発生しているという唯物論の世界観からは、人間を機械のように捉えようとしてしたり、人間は動物の一つに過ぎないと捉えたり、死ねば自分にとっては全て無になる、という有害な観念に至るように思います。
また、精神と物質を分けて、二元論的な世界観を持ちながら形而上的なものへと思考を推し進めていこうとすると、自分という精神にとっては物質は本質的なものではなく、むしろ、精神にとって妨げとなる対立物である、という考えから、物質的なものに対し関心を失い、それを誘惑、罪と見なし、社会から孤立して自分自身の内面にのみ引きこもってしまう危険性があるように思います。
物質を精神の産物であると考える場合は、ゲーテやケプラーのような人物達とは違い、精神への憧れから物質を低俗なものと見下す傾向の人が多い現代では、上記の傾向は更に強くなるように思います。
以上のように、ホログラムとして見る世界のみならず、人生について、宇宙について、人間について、自分について、真実を知ろうと意識的になる場合には、どの方向を向いても悪しき危険性が待ち構えているような気がいたします。
また、宗教や東洋哲学などが共通して至る観点は「御心のままに」「南無阿弥陀仏」「神惟」「無為自然」という言葉によって表現されるような、「大いなる根源的―普遍的意志に自己を委ねる」という観念に集約されるのではないだろうかと、浅はかながら、推測しておりましたが、リリーさんのブログを読んでいて、この言葉にも疑問を持つようになりました。
なので、どの言葉が正しい、間違っているという事に気を煩わせることよりも、自分自身を自分で負おうとする意志と、自己欺瞞を持たずに本当に自分が納得できるか突き詰める正直さと、目の前の世界の一つ一つから心を揺すぶられる意味深い事を学べるという信頼を大切にすることなしには、本当の意味で御心に適う事は難しいのかな、と思いました。
単なる一つの可能な論理として寛容な目で見て頂けたら大変ありがたいです。
リリーさんの言葉は、極論を単純化した表現だと思いますが、主旨は“人を裁くものは存在しない”という所にあるのではなかろうかと思います。
あああさんの解釈からでも、現代人の意識によって極端なやり方で推し進めれば、おそらくこの主旨に至る論理もあるように僕自身は思いました。
この世を幻想(マーヤー)と見なす場合、目の前の世界は、意識および無意識を含めた自己の精神が主観の前に客体として生じさせた世界像である、という観点に立つように思います。
そして、その幻想から目覚めようと意図する場合には、「目の前の世界は自分の投影である“かも”」という判断の時点にはもう留まってはいないような気がいたします。
自分が正しいと認識していた物も、自分の思い込み、観念が映し出された“だけ”のものと考え、その論理を普遍化し、他者にも当てはめたならば、
「自らが正しいと見ていたものは、単に私にとって正当性を有していたにすぎない。おそらく、他者が正しいと見ているものもその人自身にとって正当性があるだけであろう。
もしそうであるならば、「正しい」という観念は人間にとっては各々の主観に相応した相対的なものでしかない。
そして、私自身は絶対的な「正しい」基準となるような知覚内容を認識しておらず、また、他者も、その振る舞いを観察する限り私と同様と考えられる。
故に、私にとっての正当性が、他者の正当性によって裁かれるならばそれは本質的には不条理であり、そのような公平さを欠く不道徳な結果が真理によって生じるとは考えられない。
また、「正しさ」の絶対的な基準なぞ本当は存在しないのかもしれず、仮に存在していたのだとしても、人間は必然的にマーヤー(幻想)の中で生きねばならないのだから、我々は各々が自らの正当性に基づいて行動せざるを得ない状況に、逃れられないような仕方で置かれてしまっているのであり、私自身の行動もその望んでもいない必然性に由来せざるを得なかった。
故に、私の過ち自体も必然性と正当性に基づかざるを得なかったのであり、私の「正しさ」と絶対的な「正しさ」の間における相対性を考慮する事なしに、私の過ちに対してその「正しさ」の絶対的基準が一方的に裁きを下すとするならば、それもまた不条理な結果である。
よって、普遍的な真理がそのような不条理さを有しているとは考えられないし、それに、個々人の正当性には、その人自身に受動的な仕方で与えられた環境が多大に影響を及ぼすのであるから、絶対的な基準を認識できない人間にとっては、私と絶対的基準の「正しさ」の間にある相対性を考慮したとしても、その裁きは不平等なものと言える。
以上から、そのような仕方で裁きを下す「正しさ」の絶対的な基準に対してはそれは不完全な道徳であると言わねばならず、そもそも相対的な様式で支配する絶対性というものは不完全なるものでもあり、絶対的な真理がその本性に従うならば私達を本質的な意味において裁くとは考えられない。」
大変長々と申し訳ございません!
これは一つの可能な論理の展開でしかありませんし、あああさんが書かれたほんの少しの文章だけを取り出して部分的なものを極端な仕方で拡張しているので、とても不愉快な思いをさせてしまったのではないかと思います。
本当に本当に申し訳ありません!
ただ、幻想(マーヤー)という観念は、現代では「人を裁くものは存在しない」という観点、あるいは「もし仮に裁く者が存在したとしても、私は抗弁する事ができる」という感情と無縁ではないように思いました。
浅学な自分の先入観なので見当外れなのかもしれませんが、僕自身は、マーヤーという観念は、その中にいる事自体が罪の結果、裁かれた結果として捉え、マーヤーと関わり合わない事を目標とした思想のようにイメージしておりました。
現代のスピリチュアリズムにおいては、人間の「得したい」「幸せになりたい」という欲求を刺激して、理性による慎重さを失わせるような仕方で高揚感を与えて、それを正しい事と捉えているサークルなどでは、マーヤーの観念が部分的に取り出されてホログラムのような世界観の正当性として利用される現状があるのかもしれません。
>名前を利用されており、史上の安倍晴明は無関係なんですね
リリー様から直接そう伺うことができ、私も安心しました。もちろん、話の流れからしてきっと偽物の安倍晴明が多くの人を惑わしているのだろうなあ、と予想することはできましたが、それはあくまで私の仮定にすぎないわけですので(^^)。
出過ぎたお願いかもしれませんが、リリー様におかれましては、
× 邪霊:安倍晴明
ではなくて、
○ 偽安倍晴明 や
○ 邪霊:偽安倍晴明
などのような書き方をされた方が、大勢の読者が本文の趣旨をよりスムーズに理解できるようになるかと存じます。
(リリーさんのブログをずっと読んでいる人でしたら問題なく理解できるでしょうが、たとえば「安倍晴明」と検索してたまたまリリーさんの記事を見つけたような人の場合は、リリーさんが「安倍晴明=邪霊」と腫脹しているのかと勘違いして、貴重な記事の数々に目を通さずに去ってしまうかもしれません。それは大変もったいないことです。)
どうぞ、ご検討をお願いいたします。