炎上したときに知っておきたい、たったひとつのこと

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2013/01/25


ぼくはいわゆる「炎上」に慣れているのですが、隊長との騒動で改めて思ったことがあるので書いてみます(対談イベントは現在企画を進めております、お楽しみに)。


あなたのことは誰も知らないし、覚えていない

今週は宇都宮と高知へ、講師業の一環として出張に行ってきました。

人前で話すたびに思うのですが、そもそもぼくの存在や、ぼくのブログの存在を知っている人は、超少数派なんですよね。特に地方に行ってしまうと、講演会に100人来ていただいとしても、読者は1〜2人いるかいないかというレベル。


炎上してしまうと、あたかも自分の一挙一動に対して世界中が注目しているような錯覚を抱いてしまいますが、まったくそんなことはありません。あなたのことなんて、誰も知りませんし、関心は抱いていません。


たとえば、数字で見ても、ぼくのフォロワーは2.7万人、1記事あたりの読者数は多くても3万人程度です。ツイッターなどで話題が波及するとしても、せいぜいぼくの情報に触れる人は10万人程度でしょう。人口比で考えたら1000人に1人とかそのくらいのレベルです。日本じゅうの人に話を聞いても、999人はぼくのことを知らないのです。

どれだけオンラインで炎上しようが、大海に一石を投じる程度の影響しか、世の中には与えられないのです。無力感こそ抱きこそすれ、心を痛めることはありません。ネットイナゴの人たちは、2日で飽きて違う話題に飛びついていきますしね。


ぼくは「炎上キャラ」らしいですが、非常に平穏な日々を過ごしています。毎日しあわせでございます。今のところ、粘着の人たちは犯罪を犯すほどの勇気はないみたいです。なので、いつも通り、中島義道を引用。

善良な弱者が犯罪に手を染めないのは、彼らの良心が痛むからではない。彼らは間違ってそう思い込んでいるが、彼らには厳密な意味で良心などない。良心とは、社会的掟と自分自身の抱く信念とのあいだがずれるときに鮮明化するが、彼(女)にはこうしたズレは金輪際生じないからである。

(中略)

「善人たちはすべて弱い。悪人たりうるほど強くないゆえに、彼らは善人なのである」と、ラトゥーカ族の酋長コモロはベーカーに言った(「権力への意志」)

(本)中島義道「善人ほど悪い奴はいない ニーチェの人間学」 | ihayato.書店


みなさんがもし何かの発言で炎上することがあっても、ほとんどの場合、気にすることはないということです。だいたいもって、この国においては空気を読まない発言をしただけで、「抗空気罪」として罰せられるものですから。

ただ、最低限のマナーとして、無関係の人を突然「笑い者」にしたり、愛あるアドバイスという欺瞞のもとで第三者を「晒し者」にすることはやめておきましょう。そういう行為の結果による炎上は、大いに気にするべきだと思います。少なくともぼくは人間性を疑いますね。


ぼくは多くの人が「恐れ」を原因にして、自分の口をつぐんでしまうのを、とてももったいないことだと思っています。まぁ死ぬわけじゃないので、言いたいことぐらい、言っておきましょうよ。

「この会議は無駄だ」でも、「上司の態度がおかしい」でも、それが本当に正しいという確信があるのなら、なおさら発言すべきです。自己が信ずる正義を引っ込めてばかりだと、何の信念もない卑屈な人間がいっちょできあがりです。

自分を護るためにも、恐れず発言をしましょう。どうせあなたのことなんて、誰も知らないし、覚えていないのですから。


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