63歳☆ガンと共に生きる

2013-01-24

一応の区切り

今後はタイトルを変更し、スタイルもチェンジして

肩から力を抜いて、力まず、怒らず、口角上げて

新たな気持ちでガンと向き合いたいと思います。


「4年も経って、まだこの状態のガン患者はまずいないよ」

これは丸山ワクチン治験承諾の印をもらっている医師のことば。

最初は懐疑的だった医師も丸山ワクチンへの認識を改めたようです。

自分でも正しい選択をしたと思っていました。(過去形やね)

もちろん、これからも丸山ワクチンは継続していきます。


ガン告知から4年が経過して、

ようやく住宅ローンの支払いに目途がたったけど

これからは、この家を売って・・・

まあ、あと10年も生きることを想定してのことですが

なやまない、こうかいしない、あきらめない。

3度目の血管内治療について

シスプラチンとタキソテールの組み合わせ。

改善度は自覚的にですが2割程度

聴力、そして痛み、鼻の通りも、その他の症状も、2割だけ

最初から今の組み合わせで治療を行ってくれていたなら

今、そんなことを感じています。


血管内治療を受けてから約2週間が経ち・・・

今回は効果があったという状況ではありますが

素直に喜べるような気持ちにはなっていません。


もう一度、同じ治療を受けるべきか?

なやまない、こうかいしない、あきらめない。

2013-01-22

緩和ケアについて考えたこと

先日のガンサポートディで緩和ケアに関するパンフレットをたくさん頂きました。

ガンの痛みというのは、身体的な痛みだけでなく

精神的な痛み  不安、いらだち、うつつ、怒りなど

社会的な痛み  治療費、収入の減少、家族関係の変化など

哲学的・宗教的な痛み  価値観の変化、苦しみの意味、死の恐怖など

これらが含まれるようです。それを緩和してくれるのが緩和ケアです。

つまり緩和ケアは、末期で治療法がなくなってから診察を受けるのではなく

ガンと宣告を受けたときから治療と並行して受診するところです・・・。


しかし、理想と現実は違うように思えます。

大勢のガン患者が緩和ケアを受診することになれば、

本当に末期で耐えられない身体的な痛みを抱えている患者が

予約で待たされてしまうところを想像してしまいます。

同じ病院のガン患者だけと制限をかけているところもあるようです。

緩和ケア病棟は定額の医療、さらに患者の痛みを聞くというが大きなウェート

を占めているので、受診者が多ければ収益があがるというものでもなさそうです。

しかし、徐々に理想に向って前進していっているように感じます。

ガンサポートディ

健康カフェ・ディアスでのガンサポートディに参加して来ました。

20人ほどの小さな集まりの議題は「ガンの緩和ケアについて」です。

講師は近くにある大きな病院のガン疼痛看護認定看護師さんです。

出席者のほとんどがガン患者さんですが、そのほとんどが女性です。

緩和ケアを実際に受けている方がどれだけいるのか分かりません。

それで、話が総論的になるのは仕方がありません。

それでも聞きたいことを尋ねたりして、多いに参考になりました。

少しだけ不安も解消し、有意義なひとときとなりました。

昼食付で2000円。健康カフェ・ディアスさんにも感謝の一日でした。


Q トラマールという麻薬でないガンの疼痛緩和の薬について

A 比較的新しいお薬です。普通にうちの病院で使っていますよ。

麻薬でないので使いやすい薬です。副作用もあまり感じられませんね。

Q 非ステロイド消炎鎮痛剤を続けすぎて胃が痛んだときもあるのですが・・・

A 胃薬と併用するのが一般的ですが、痛むときはもっと強いお薬があります。

 (ガスター10などのH2ブロッカーより胃酸を抑制するオメプラゾールという薬?)

  保険点数の関係上、胃に異常があるときでないと 出せないお薬もありますね。

  同じ非ステロイド系消炎剤のなかでも、胃を荒らさないというお薬もあります。

  セレコックス、そして、これに類する薬です。最近はうちの病院でもこちらの

  お薬が多く処方されているようです。

Q セレコックスには心血管系への悪影響が一部では懸念されているようでね。

A (なんで、そんなことまで聞くのかといった表情で・・・)

  普通に使われていて、別段に問題は起きていないようですよ。


セレコックス(セレコキシブ)にはガンをアポトージスに導くとの研究報告が

あります。もっとも、シメチジンなどの胃薬やピロキシカムをはじめとした

ステロイド消炎剤にもガンを抑制する研究データが存在します。

でも、あまり期待はかけられません。ブロッコリーや海藻などと同程度の

効果ではないでしょうか。野菜は安上がりですが薬には費用と副作用が。

講師の先生には、扱いにくい老人だと思われただろうな・・・

2013-01-21

また逢おう

以前に通っていた養老にある船戸クリニック。

代替治療と看取りの医療を行なっている病院です。

その院長が書いた本が手元にあります。

「また逢おう」 もういちど読み返してみました。

医者からもう治療法がないといわれ、病院から放り出された

患者さんたちとのふれあい、ガンに対する考え方など書かれてあります。


第一章に紹介されているのが61歳の乳がんの患者で、

その後、胸椎に転移が判明し放射線治療を行うも

やがて脊髄を圧迫するようになり半身不随にとか・・・

腰が痛いと言っているうちに咳がでだした48歳の学校の先生。

調べてみると肺ガン、肺以外にも多数の臓器にガンがすでに浸潤

治療は出来ない。脳にも転移して、視力障害や麻痺、

家族の献身的な介護のすえに・・・

38歳のかたは直腸ガンで手術、でも3か月ほどで再発し、

自らの意思で今度は内臓臓器すべてを取り去る手術を受ける。

人口肛門、人口膀胱。それでも進行は止まらずに・・・



こんな症例に遭遇する確率は、ごく小さな確率かもしれません。

でも、だれの身に降りかかるかは分かりません。

そうなった時に、どう生きるか生きる意味をどう見つけるか、

一読の価値ありです。 「また逢おう」  

読めば、どの選択をしても正解だと感じることでしょう。

治療を受けるという選択も、途中で止めるという選択も、

人間には考える、信じるというパワーが最後まで残っています。


あまり、ネガティブな話題を続けると

ひきこまれるから良くないということで、もう触れません。

2013-01-20

治療を断わった理由をくどくどと

昨日も書きましたが、わたしの周囲にいるガン患者の

ほとんどの人が治療の甲斐なくして早くに旅立たれている

という経験をしているからでもあります。

病気について、治療法について、しっかり調べました。

ウェブ上はもちろん、図書館にでかけて片っ端から本を読んで

熟慮した上での判断だったのは間違いありません。


昨日は久しぶりに出会った知人(62歳)と話しをした際に、

以前に奥様を乳がんでなくされていることは知っていたので

なにげなくそのときの様子を尋ねてみました。

「奥様が亡くなられたのは何年前だったですかね?」

「6年ほど前だったかな」

「最初にガンが判ったのは、その前ですね?」

「最初にガンが判ってから1年半だったかな」

「そうすると、最初から手遅れだったの?」

「最初はステージ2だったけど、そのうちステージ4になり」

「手術は受けたのだけど、うまくいかなかったね」

「どこの病院?」 というのが最後の質問です。


乳がんは治療によって5年生存率は80%だと書かれた本もあります。

私の知人にも患っても普通に生活しておられる方がいっぱいおり、

葬儀があったときだけ、ガンであることを知るのかもしれません。

2013-01-19

新しい不安

最初に標準治療を断わったのは正しい判断だったのかという不安が起きる。

こんな人もいるんですねという新聞記事を目にしたからです。


与謝野肇さんの自叙伝が読売新聞に連載中。

国会議員初当選した翌年に右脚のつけねにしこりを感じ、

調べてみると悪性リンパ腫で、医学書では余命2年。

治療を経て10年が過ぎたころに猛烈な腹部の痛みに襲われ、

検査したところ腸間膜へ転移していることがわかった。

さらに強力な抗がん剤を使い悪性リンパ腫は治癒、ガンは消えた。

でもすぐに直腸ガンが見つかり、今度は手術を受ける。

さらに前立腺ガンがみつかり、ホルモン療法と放射線治療を受ける。

2006年には下咽頭ガンが見つかり、手術を受ける。

医師を信じ、どんなに苦しくとも治療はやりきると決め、普通の生活を送る。


いったん自分の選択が間違っていたという不安が起きると

これからのどうでもよい選択すら決めれなくなります。

今日の晩御飯のおかずは何にするのかといったようなものまで

こんなときに、健康食品でもささやかれたりするとイチコロですね。

第一、過去をふり返ってもろくなことがない、意味のないことです。

自分が人生で出合ったガンを患った人で、

こんな人はひとりもいなかった。出会わなかった。

10人ぐらいしかいないけど、これほどの人に出会ったことは ない!

2013-01-17

お買い物が1%OFFになるカード

先日、血管内治療を受けたクリニックの請求書が郵送で届きました。

一日退院を伸ばしたことで、精算が遅れたのです。

治療費、入院費、ほとんど食べなかった食費込みで 約119、000円。

2回目の時は8〜9万円ほど、1回目は個室を選んだので・・・リッチに。

保険内治療 しかも 限度額証明書を提示しての金額です。

今のところね。その価値なし。体の免疫力はアップしているのが

わかるのですが・・・ぼやきたくなります。

そして、連日のこの寒さです。

血管内治療は患部の動脈の血行を遮断して

兵糧攻めにする治療です。

温泉であったまって免疫力をさらに高めたいところですが

いまのところ自重しています。なんとなく。 


このカードで支払うと、支払分が1%OFFになる。

どこかの医療サイトに書いてあるのを見かけたことがあります。

ポケットカード

そんなに使う機会もないだろうと申し込んでいません。

今からでも遅くないか? でも、ずいぶんにせこい話です。



楽しいこと何かないかな?

2013-01-16

今日のランチは

治療を受けたことで、症状や痛みが少し改善されました。

食欲も少し出てきました。そこで・・・

先日出かけた健康カフェ・ディアスでランチを食べてきました。

電車賃が片道1000円ほどで、玄米のランチが500円。

+食後のコーヒー150円。


健康カフェ・ディアス

とっても美味しいランチでした。

と書いても、信じてもらえないでしょう。

2日ほど前まで食欲廃絶状態だったわけですから・・・

ともあれ、美味しいランチを完食しました。

あと、20日にもお邪魔する予定です。

2013-01-15

3度目の血管内治療

今回は2泊3日の予定を3泊4日にして手術後の退院をのばしました。お正月をまたぐ間にぐんぐん症状が悪化して、ロキソニンなどの痛み止めが欠かせない状態だったせいだろうと思いますが、手術を受ける前日からは胃が食べ物を受け付けない状態になりました。でも、手術を先延ばしにする気持ちにはなれません。予想されたことながら、抗がん剤を使った治療で吐き気が加わり、2日間はまったく体が食べ物を受け付けてくれません。退院を一日伸ばしたといってもただ寝ているだけですが。


手術時間は約2時間。抗がん剤はシスプラチンとタキソテールという組み合わせと塞栓処置。これで効果がでなければ、もう血管内治療を行うことはありません。術前のスケジュールどおりに行なえたようです。後は結果がでてくれることを願うだけです。とりあえず、手術後は痛み止めを使用しなくても我慢できる状態であるのは改善の兆候ありということですが、まったくうれしい気持ちは沸いてきません。体が痛めつけられたような感覚もあいまって喜べるような気持ちにはなれません。


わたしの主治医はあつし先生と呼ばれているようです。堀院長の息子さんで同じ苗字だからです。ベッドの上では色々なことを考えます。どの親であっても親が子供に名前を付ける時には、いろいろ考えることでしょう。医師である親が篤史という名前をつけたのはどんな願いが込められているのだろうかなどと、篤農家などのイメージが思い浮かびます。その子供が成長し親と同じ医師となり、今は同じ病院に勤務している。その病院の患者のほとんどがガン患者で、それも他に治療法がないと言われ、最後の頼りにする患者もやってくることでしょう。先進医療ではありますが、まだ世間的に確立された治療法でもありません(保険適応医療ですが)。患者の心の重荷の幾分かを背負わなければならない職業、しかも、40歳前後と思われる若い医師には折れないで欲しいと願うばかりです。竹冠に馬という篤という文字はもともと、農家で大切にされていた馬を狼やトラから守るために馬小屋の周囲を竹柵で囲ったことからこの文字が誕生したようです。患者を救いたい、治したいという気持ちが伝わってきます。ありがたいことです。

2013-01-09

ガンを治したいという想念

人があらゆる行いや想念を発すると、やがてそれが宇宙の果てまで行って、ブーメランのように再び自分にはね返ってくる。それは「カルマの法則」と称されるものです。カルマとは「行い」というサンスクリット語で、それには善悪の区別はなく、幸運と不運の区別もありません。いい行い、いい願いを発すると、いい考え、いい結果がはね返ってくるようです。


人間万事塞翁が馬ということわざもあります。一見して、不運の衣をまとっている幸運もあれば、良い運命の顔をした悪い運命も混在しています。しかし、このカルマの法則を信じることによって、幸運に出会っても有頂天にならず、不運に出会っても落ち込むことがなくなる。そうすると、運命の良し悪しを超越した、人生の喜びを獲得することが出来るのです。


出会うガン患者、もしくは元ガン患者、あるいはガン患者のご家族の方たちはなぜ、いい人ばかりなのでしょうか。最近はあまり調子が悪くなって、ある人に泣き言をメールで送ったところ、家の中に閉じこもってネットで情報知識を得るよりも、外に出て治ったさんと触れ合いなさいと言われました。そこで、昨日は外に出て、ガン患者を支援してくれるカフェ(つい最近知ったところで、ブログにもすこし紹介してあります)へ初めて出かけてきました。治ったさんとガン患者がふれあうカフェという場を作った保健婦さんです。何故、こんな活動を行っているのですか? 両親を6年ほど前につぎつぎにガンで亡くしました。そんな答えが返ってきました。悲しむのではなく、おだやかな表情がとても印象に残りました。


http://www.gan-jiten.com/family/03/post_24.html