明暗尺八解説
① 本曲調子
「調(sirabe)」「本手調子」とも呼ばれ、虚空・霧海・虚鈴を吹く前に音階を調べ、呼吸を調え、俗塵を遮断する調心、調息、環境浄化の曲とされている。明暗尺八における「調子」は竹調べ、又は音取りといった性質のものではなく、独立した本曲であり、儀式、法会、献笛の際にはこの「調子」を以って開閉の曲とし、普化尺八修行の最初にして、最後と称せられるもので、三秘曲と同じく格調高く秩序整然、一呼吸一音節の厳格な奏法をもって終始する。
この曲はもと遠州浜松の鈴鐸山普大寺に伝承したものといわれ、明治四年、普化宗廃止後は、名古屋の西園流に引き継がれ、西園流出身の樋口対山によって明暗寺寄竹派の本曲となった。
② 一二三調
琴古流では初代黒沢琴古によって琴古流の本曲となり、「鉢返之曲」とともに編曲され「一二三鉢返寿調」となり、前後に分けてその間に「鉢返」を挿入している。
ヒフミは事物の起・中・結を意味し、一は事の始まり、二は物の増加、三は発展充実の結果。尺八の稽古に当てはめると一は入門初歩、二は修行過程、三は悟後ということになる。
全曲乙音だけで構成されており、乙音特にメリ音の練習に好適。調子、音階を確かめる「音取」の曲で、初歩の曲である。
○
琴古流本曲、明暗対山(たいざん)流本曲。
「一関流尺八本曲譜」〔一八四七、弘化四〕に、前吹き(前奏)用の曲として「一二三調」「鉢返調はちがえしのしらべ」「寿調ことぶきのしらべ」がある。
これらの三曲は結び(終止)が共通していて、それぞれを独立した曲とする場合、まとめて「一二三鉢返寿調」とする場合がある。
三浦琴童譜「琴古流尺八本曲楽譜」(一九二八-二九、昭和三-四)の「一二三鉢返寿調」は、「一二三調」の中に「鉢返」と「寿調」が挿入されたかたちで、結びは一つにまとめられ、二代荒木古童(竹翁)の「寿調」を除いて結びの前に入れた即興的な入れ手(イレコノテとも)もある。
この場合は「一二三鉢返調」という。
これを、やはり竹翁が曙調子に移したものが、現行の「曙調」である。
一方、明暗対山流では、「一二三調」と「鉢返し曲」は独立している。
両曲とも樋口対山が二代古童から習い、奏法を変えて対山流本曲に移入〔一九世紀末〕したもので為る。
③ 鉢返曲
托鉢の時、返礼に吹く曲で、財・法二施に対する功徳無量・具足円満を祈る敬虔な祈りに満ちた曲である。冒頭部分は昔、虚無僧が托鉢途上での出会い頭に吹いた呼応の合図高音の部分を取り入れている
④ 瀧落曲
飛爆岩をかみ、砕け、しぶきをあげて落ちていくその実態を描いた曲。この瀧は伊豆の国大平村の旭瀧のことで、そこにあった虚無僧寺瀧源寺から見た実景で、瀧は白い布のように見え、旭日が当たると白竜の競い昇るようで白滝又は旭瀧という。上から数えて一段、二段、下は六段で終わる。約百米。途中急流あり、飛爆あり、淀みあり、本流あり、段毎に変化する様相は天下無類、そのひびきもあるときは樹木のざわめきのように、ある時は風の音のように、抑揚あり、高低あり、昇龍の吟声が「天空のかなたから聞こえてくる」ような響きだという。
作曲者は、北条早雲の第三子北条長綱で、幻庵と号した。幼児のときから仏門に縁があり、又京都にも遊学して連歌師宗長に師事し、一節切の名手であったといわれている。
⑤
三谷曲
サンヤと呼ばれる曲名の古典尺八本曲は、鈴慕と共にいろいろとあります。この三谷の他に、山谷、産安、神保三谷、三谷菅垣……。地域や流派、寺に上っていろいろと吹かれたものと思われます。又、サンヤとは梵語の集合を意味する音訳であるという説や、三味の転化したものとする説、又この曲の中の一の高音、二の高音、三の高音の部分からなる構成から言われたものかとも思われます。
浜松普大寺所伝の曲です。
⑥ 九州鈴慕
琴古(キンコ)流、明暗対山(ミョウアンタイザン)流、一朝軒(イッチョウケン)伝の本曲。別字に旧州曲(キュウシュウノキョク)、休愁鈴慕(キュウシュウレイボ)とも。明暗対山流のものは、九州地方に伝われる流しの曲「薩慈(サシ)」の流れを汲んでいる。
九州人の特徴は、豪放磊落。この曲も奔流のように一気に吹ききりたい。
⑦ 志図曲
尺八古典本曲。琴古(キンコ)流、明暗真法(ミョウアンシンポウ)流、明暗対山(ミョウアンタイザン)流、西園(セイエン)流の本曲。別字に志津曲、志津ノ曲、鎮(シズ)など。おそらく、東北地方の地名からの命名であると思われる。元来は托鉢の流しの曲とされているが、伝承されることで洗練された曲調となった。琴古流へは、虚霊山明暗寺の別院、宇治吸江庵の竜安から初世黒沢琴古(クロサワキンコ)へと伝来された。
⑧ 善哉曲
別名に吉野とも書かれ、もとは奈良県の吉野地方で吹かれていた曲といわれている。江戸時代から吉野・善哉(ヨシノ・ヨシヤ)ともに読まれてきたようで、琴古流では吉野鈴慕(ヨシノレイボ・ヨシヤレイボ)と呼ばれている。
曲調は、穏やかで風情豊かな古典の趣がある。別種の曲のようだが明暗流の善哉の曲・芳谷鈴法、琴古流の吉野鈴慕は遠縁の曲にあたる。
⑨ 吾妻曲
尺八古典本曲、獅子物の一種。別名に吾妻之曲(アズマノキョク)とも。いい伝えによれば、福島県の吾妻地方の獅子舞の笛の囃子を尺八に移した曲と云われているが、この曲も伝承中に西へ移動し、現在は東北地方には残っていない。琴古・明暗ともに九州から移入。前吹きと後吹きは樋口対山(ヒグチタイザン)の手付け。
⑩
筑紫鈴慕
尺八古典本曲。鈴慕の名がついているが曲調としては薩慈の一種。福岡県久留米の林棲軒方面で吹かれていた筑後薩慈(チクゴサシ)、ねりざし、新七ザシ(シンシチザシ)などのいずれかから、樋口対山が整曲したといわれている。
⑪ 奥州流
尺八古典本曲。奥州方面で吹かれていた流しの曲であったろうと思われるが、根笹派錦風流にはその痕跡が残っていない。伝承・移動先に残っている一例である。二指連繋の打ち手を繰り返す短い曲で、手馴れると面白い曲である。現在の打ち手は京風になっている。この曲は、神保政之助と堀田侍川(越後明暗寺最後の住職)の合作と一説には言われているが、真相はわからない。
⑫ 秋田曲
秋田之曲とも。琴古流では秋田菅垣と書き、初代黒沢琴古が秋田の梅翁子と号する虚無僧から授かったと伝えられている。地名が曲名になっている例である。根笹派錦風流には残されていない。三谷と通じる曲想と情緒を備えており、鷹揚でこまやかな風情のある曲である。琴古流では手付けも多く華やかな曲想になっている
⑬ 曙調
琴古流(キンコ)、明暗対山流(ミョウアンタイザン)の本曲。俗に奥州鈴慕と呼ばれる曲を一尺八寸管で吹奏する時に、一尺三寸管で裏吹きする時の手のことであった。また、根笹派錦風流の本曲の本調子に対する裏調子の一つ(本調べに対して5律上)。
また江戸中期ごろから用いられる尺八五調子のなかの曙調子にあたるということで、この名がある。曲名としては「アケボノノシラベ」と詠み、調子としては「アケボノチョウ」と詠むのが正しいだろう。三浦琴童の琴古流尺八本曲楽譜によれば、一二三鉢返調の曲の重奏用移調曲とみられる。
⑭ 陸奥鈴慕
尺八古典本曲、鈴慕の一種。曲名の示すとおり東北から西へ移動してきた曲である。陸奥(現青森県)は根笹派の本拠であり、この曲も根笹派特有の手法がみられる。また、托鉢の際に吹き流された曲らしく、流し吹きの感じも残っている。しかし、現在の根笹派錦風流にはこの曲は残っていない。伝えられた先で残っている一例である。雪深い国の春を待ち遠しく思う、何となく静かに篭ったような、情緒が豊かな曲相である。
⑮ 転菅掻
すががき物の一種。転びの手法が用いられ、車輪が円転するかのように展開する曲調からこの名で呼ばれる。一節切尺八の曲には、「転び」や「転びゆび」などの手法があり、その影響を受けているのではないかと思われる。転びは別字に轉(ころが/ころげ/テン)・?(コロビ/トウ)とも書く。
⑯ 打鼓曲
尺八古典本曲。もとは打鼓という曲名であったが、後に小林紫山(コバヤシシザン)が打破曲と改名する。海童道道曲では打破。禅寺では、合図をする時などに太鼓を叩き鳴らす。その禅寺の峻厳な雰囲気の中に深深と響き渡る太鼓の様相を持った曲と云われている。
⑰ 門開曲
尺八古典本曲。門開之曲、別名に門開喜と書く場合もあり、音読してモンカイといわれる場合もある。家門繁栄、運勢開帳の意味をもち、慶祝の曲とされている。
⑱ 恋慕曲
れんぼ物一れんぼもの 地歌・筆曲・尺八楽における楽曲群。
一節切尺八の「れんぼ」の手をとり入れた手事をもつ曲をいう。
「糸竹大全」(1687)、貞享4以前)に収録される一節切の「れんぼ」および三味線の「れんぼながし」などが、その源流のーつと思われる。これらを発展させたものが、筑紫筆の「恋慕流」や津軽箏曲の「碪きぬた恋慕」および「恋慕」であり、さらに地歌「六段恋慕」は、すががき物が「六段すががき」に発展したのと同様に、れんぼ物が手事物として発展した形を示すものといえる。
地歌「狭衣」の手事などもそのたぐいの別な形と認められ、河東節「砧」の合の手にも「れんぼ」の手と認められるものがある。
これらの「れんぼ物」というべき曲は、「レンボレレツレ」ないし「レンボレンレツレ」という一節切尺八の擬音詞がつく小歌にもとづく章をもつ。
こうした小歌は、「古京はやり小野そうまくり」などにも類歌がある。「恋慕流」の前歌「沖の石とは伺をかいふ……」には「レンボレンボレンホツヤ」という擬音訓が付き、これは「六段恋慕」の中歌に近い。三味線組歌「飛騨組ひだぐみ」の二歌目にも「レンボレレツノリ」という擬音訳があり、長歌「恋草」は「レンボレンレッレ」という擬音詞を結句とする小歌を前歌・中歌とし、それぞれその後に合の手がある。
この「れんぼ物」の手事の後歌としては、「さっと妻戸の時雨はいやよ……」が代表的で、筑紫筝「恋慕流」や津軽筝曲「碪恋慕」にもあるほか、地歌「狭衣」の後歌ともなっている。なお、恋慕の情を表す詞章をもつ曲が「れんぼ物」であるとする説もあるが疑問。
「六段恋慕」の手事の旋律は、歌舞伎囃子の合(相)方に、「六段)恋慕合方」「恋慕早メの相方」などとしてとり入れられ、さらに長唄「秋色種あきのいろくさ」の前弾にもとり入れられている。
以上のほか、筝組歌付物として、各流に「歌恋慕」ないし「新歌恋慕」があり、これらも「れんぼ物」のーつと認められる。
⑲ 深夜曲
⑳ 鳳鐸
三虚霊「虚霊・霧海ヂ・虚空」の各曲をそれぞれの手を取り合わせ、つなぎの手を入れて1曲にまとめられた曲。もとは虚鐸という曲名であったが、虚鐸とは普化禅師の鐸を懐かしむの意味があり、虚鈴と通ずるということから、のちに小林紫山(コバヤシシザン)が鳳鐸と改める。琴古流の真虚霊と同一であるが、こちらは手付けが加えられ、派手な曲となっている。かなり古くから京方面で吹かれていた曲と伝えられ、初代黒沢琴古は享保13年に長崎正寿軒の虚無僧一計子(イッケイシ)から授かったと云われている。曲中に特殊な打替えの手があるが、これを取り入れたのが打替虚霊である。
21 阿字観
明暗系の古典本曲。薩慈(サシ)の一種で、宮川如山(ミヤガワニョザン)による編曲とされている。他に明暗対山流の「阿字曲(アジノキョク)」があるが曲想はことなる。
阿字観とは、弘法大師空海が伝えた真言密教の精神集中法の一種で、梵字に向かってひたすら集中・瞑想するものである。その瞑想法として阿息観(アソクカン)・月輪観(ガチリンカン)・阿字観がある。座禅に共通するところがある。
宮川如山の音は、豪放磊落・一気呵成が持ち味で、この阿字観も歯切れのよい奥州系のユリ奏法が特徴的であったが、弟子の谷狂竹(タニキョウチク)がのちに長管でゆったりとした奏法に変更した。これが原因で如山は狂竹を破門している。もっとも、狂竹は平気な顔で破門後も出入りしていたらしいが・・・。現在は、もっぱら狂竹のゆったりとした阿字観が主流のようだ。
22 雲井曲
尺八古典本曲、獅子物の一種。雲井之曲(クモイノキョク)とも云われる。九州地方、とくに博多の一朝軒で盛んに吹かれていた。
三重県四日市に伝わる神楽の獅子舞の笛の囃子に魁曲というのがある。これは、大柄な色物の振袖衣装をつけた2頭の獅子が、それぞれ男の肩に立ち、ササラを叩いて囃したてた花魁道中を演じる時の囃子である。これを雲井調子の一尺四寸管で移したのが雲井獅子と云われている。後に樋口対山(ヒグチタイザン)が、この曲に前吹きと後吹きをつけて雲井之曲とした。九州では、葬儀や法要で虚無僧が施主に請われて参加する風習があった。その時、施主のお布施が意にそわないと幾人もの虚無僧を伴って、家の門前に押しかけこの曲を吹き鳴らしたそうだ。近所の手前もあり、迷惑回避に施主はまたソッとお布施を出すことになる。竹薮を枯らす勢いで賑やかに騒々しく吹き鳴らしたので、九州では別名「藪枯らし(ヤブガラシ)」といわれるほど。さらに、一朝軒伝のものは別名に曙獅子や二上獅子と呼ぶ事もある。
琴古流の雲井獅子は、初代琴古が目黒獅子から雲井調へ移調した曲と言い伝えられ、別曲。また、同流派の竹友社の一朝軒雲井獅子は初代川瀬順輔が移入したもの。
23 栄獅子
尺八古典本曲、獅子物の一種。元の名は堺獅子(サカイジシ)といい、サカイが訛ってサカエとなり、当て字に縁起の良い「栄え」を当てた。また、別名に獅子吼(シシク、シシクルイ)とも。大阪の堺地方の獅子舞の囃子を移したものと云われ、一節切を経過して尺八に伝わったらしい。全曲六段の構成であるが、初段と六段は後人の手付けで前吹きと後吹きにあたる。
24 巣鶴
地歌・筝曲・尺八・胡弓などの曲名郡。子育てに巣籠る鶴の一生を描写し表題としている曲。
三弦のチリチン、箏のツルテン、胡弓のゴロチンなどの巣籠地、またその変形をあわせたりした音型が頻出する器楽曲を中心に言う。尺八曲の鶴の巣籠(ツルノスゴモリ)や巣鶴鈴慕(ソウカクレイボ)などが有名。
25 龍吟虚空
本曲、明暗真法(じんぽう)流本曲。琴古流へは、金竜山一月寺の門弟吟竜子から初世黒沢琴古に伝来。このとき、琴古は吟竜に「九州鈴慕」を伝授している(「琴占手帖」)。
裏一七曲の一曲。真法流の伝承は不明。明暗対山たいざん流に
「竜吟虚空」があり、樋口対山が改曲・改名したとの説がある。
26
鳳叫虚空
尺八古典本曲、虚空の一種。龍吟虚空と並んで格調高い曲想で、一本調子で吹奏するだけでは味も素っ気もない。龍吟虚空を陰陽の陰や月を現すのに対して、こちらは陽や太陽を現す。曲名、鳳叫は邦楽音階の上無調の別名でもあり、そこからきている。鳳凰の雄鶏を鳳、雌鳥を凰といい、古来から瑞鳥・神鳥とされている。
27 虎嘯虚空
尺八古典本曲、虚空の一種。この曲は、龍吟・鳳叫の2曲の虚空とは趣を異にしている。別名に後虚空(ノチコクウ)ともいわれ、もともとは虚空の後から続けられて吹かれていた。ただし、虚空とは別に後人が付け足したと伝えられている。それを樋口封山が虚空から分離して後虚空とし、小林紫山が虎嘯虚空と名を変えた。別名に虚空上巻とも
「龍吟ずれば景雲出で、虎嘯(うそぶ)けば谷風生ず」と喩えられるように、龍は神獣、虎は野獣。その高貴さは明らかで、この曲も龍吟・鳳叫の2曲には及ばない。
28 鹿遠音
尺八古典本曲。琴古流(キンコ)、明暗真法流(ミョウアンシンポウ)、明暗対山流(メイアンタイザン)、上田流などの本曲。琴古流の曲は正確には呼返鹿遠音(ヨビカエシシカノトオネ)と呼ばれ、初代黒沢琴古(クロサワキンコ)が一計子という虚無僧から伝えられたとされている。
秋の深山幽谷に響く鹿の鳴き声の掛け合いの描写を曲想としており、非常に美しい。一管だけで吹く場合もあるが、通例は二管での掛け合いで演奏される。青木鈴慕(アオキレイボ)と山口五郎(ヤマグチゴロウが、最近では)両師が演奏している鹿の遠音は、非常に聞きごたえのある名演奏である。美しく個性的な旋律は、多くの人に親しまれ、琴古流の代表曲としてだけでなく、尺八曲全体の代表曲としても広く知られている。
明暗系の曲は、長らく秘曲とされ、一般にはあまり知られていなかったCDや献奏大会などで聞けるようにもなってきた。これも二管の連管で演奏され、ユニゾンと掛け合いが交互に現れる美しい曲である。琴古流の曲と明暗系の曲を合わせて連管で吹く試みも行われている。
おくやまに 紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき(猿丸太夫 詠)
29 鶴巣籠
鶴巣篭は尺八・地歌・筝曲・胡弓など新旧あわせて30曲以上あるといわれるが、そのどれもが明暗寺別伝の鶴巣籠をもとにされているといわれ、さらに巣鶴が原曲であるといわれる。そして、この曲は「巣籠因縁経」の趣旨によって作曲されたものであると云われている。ここでは尺八曲の鶴の巣籠をあつかう。
雛鶴の誕生から巣立ち、親鶴の死を描いた標題音楽。段構成をとるものが多く、玉音などの擬音的効果音や特殊奏法が多用される。この尺八曲から胡弓へ移曲されたとされ、その胡弓から都山流の鶴の巣籠はさらに移曲された。関西系と奥州系に大別される。
巣籠の名を冠するものとしては、下記のものがある。
琴古流:巣鶴鈴慕(ソウカクレイボ)、碪巣籠(キヌタスゴモリ)
明暗真法流:鶴之巣籠(ツルノスゴモリ、鶴巣籠)
※勝浦正山(カツウラセイザン)伝と尾崎真竜(オザキシンリョウ)伝の2種
明暗対山流:鶴の巣籠(西園流からの移入)、巣鶴(ソウカク)
錦風流:鶴の巣籠
西園流:鶴巣籠(ツルノスゴモリ)
奥州系:
<小野寺源吉伝>布袋軒(フタイケン)伝鶴の巣籠、錦風流別伝鶴の巣籠とも
<神保政之助伝>
連芳軒(レンポウケン)伝鶴の巣籠、喜染軒(キセンケン)伝鶴の巣籠、三谷巣籠(サンヤスゴモリ)とも
都山流:鶴の巣籠(初世中尾都山が胡弓より編曲)
上田流:巣鶴鈴慕〈上村雪翁(ウエムラセツオウ)伝、上田芳憧(ウエダホウドウ)増補〉
竹保(チクホ)流:鶴の巣籠〈初代酒井竹保(サカイチクホ)作曲〉
歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の八段目、山科閑居の場で鶴の巣籠が吹かれ、子の為に親が身を犠牲にする悲哀が描写されている。
30 虚鈴
古典本曲根元曲の一曲。中国唐代の普化禅師が振った鐸(鈴の大型)の音を模して吹いた縦笛、虚鐸が尺八の起原という(「虚鐸伝記国字解」)。「虚鈴」は虚鐸で吹いた曲で、古典本曲最古の曲といわれている。現行曲は琴古流の「真虚霊(しんきょれい)」、西園(せいえん)流の「虚鈴」、明暗対山(たいざん)流の「虚鈴」、明暗真法(しんぽう)流真・行・草三種の「虚鈴」。琴古流へは、一七二八年(享保一三)に長崎正(松)寿軒で一計子から初世黒沢琴古に伝来(「琴古手帖」)。表一八曲古伝本手三曲の一曲。この曲には前吹に「盤渉(ばんしき)」(「盤渉調」とも)という短い曲がつく。これが西園流および明暗対山流の「虚鈴」と同曲。樋口対山が琴古流真虚霊を原曲に整曲したのが対山流の「虚鐸」(「風鐸(「ほうたく」とも)。明暗真法流三種の「虚鈴」はいずれとも異曲。
31 虚空
「虚鈴(キョレイ)・霧海?(ムカイヂ)」に並ぶ尺八古典本曲根源曲の1曲。
中国から尺八を持ち帰り、和歌山由良の興国寺を開いた僧、法燈国師心地覚心(ホットウコクシシンチカクシン)の弟子でのちの虚竹禅師寄竹(キョチクゼンシキチク)が作曲したと伝えられている。伝説によれば、伊勢の朝熊山(アサマサン)山頂の虚空堂で仮眠中、霊夢をみてそこから得た音から「霧海?と虚空」の2曲を作曲したとされる。霧の立ちこめる海上かなたから聞こえた曲を「霧海?」と、霧の晴れた空に響いた曲を「虚空?」と名づけたという。全国に広く伝播しており、各流派にそれぞれ数種類ある。
虚空の名を冠するものとしては、下記のものがある。
琴古流:
虚空鈴慕(コクウレイボ)、吟竜虚空(ギンリュウコクウ)、雲井虚空、曙虚空
明暗真法流:
吟竜虚空、草虚空(ソウコクウ)、真虚空(シンコクウ)、行虚空(ギョウコクウ)
明暗対山流:
虎嘯虚空(コショウコクウ)別名に虚空上巻、鳳叫虚空(ホウキョウコクウ)、竜吟虚空(リュウギンコクウ)
錦風流:虚空
西園流:虚空
九州系:一朝軒虚空(イッチョウケンコクウ)
32 霧海篪
尺八古典本曲の虚鈴(キョレイ)・虚空(コクウ)と並ぶ根源曲の一曲。虚霊山明暗寺開基の虚竹禅師(寄竹)が夢の中で得た曲との伝説があるがそれには2説ある。
1)法燈円明国師に伴われて西方寺(興国寺)に訪れた宋人居士が、ある時小舟に乗って海に出たが、濃霧に呑まれ立ち行かず、舟の行くままに尺八を吹いていた。その音色を、海辺で休息していた旅の武人が聞きとめ、一念発起し法燈国師の弟子となった。それが後の寄竹了円で当時の曲を人生の霧海路を行く指針であるとして、それが霧海?となったという説。
2)寄竹了円が托鉢行脚の途中に立ち寄った伊勢の朝熊山(アサマサン)山頂の虚空堂で仮眠中、霊夢をみてそこから得た音から「霧海?と虚空」の2曲を作曲したとされる。霧の立ちこめる海上かなたから聞こえた曲を「霧海?」と、霧の晴れた空に響いた曲を「虚空?」と名づけたという。
この二つの真偽は不明だが、一つの伝説である。?(チ)というのは、古代中国の横笛の一種。
霧海?の名を冠するものとしては、下記のものがある。
琴古流:霧海?鈴慕(ムカイヂレイボ)雲井霧海?、曙霧海?
明暗真法流:
真霧海?(シンムカイヂ)、行霧海?(ギョウムカイヂ)、草霧海?(ソウムカイヂ)
明暗対山流:霧海?
西園流:霧海?