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【日米同盟と原発】

<日米の原爆開発>

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 1938年12月、独科学者ハーンがウランに中性子を当てた実験で核分裂エネルギーを発見。ナチスによる兵器転用を恐れたアインシュタインらユダヤ系学者が亡命先の米英に進言し核開発が活発化した。原爆の製造には、天然ウランに0.7%だけ含まれ、核分裂を連鎖的に起こす物質「ウラン235」を濃縮する必要がある。

 米国では42年8月に「マンハッタン計画」が始動。天然ウラン6000トンを国内外で確保し、濃縮工場とウランからプルトニウムを分離する工場、爆弾製造の研究所を次々と建設。最大12万人を投じ、45年夏までに広島型のウラン原爆と長崎型のプルトニウム原爆を製造した。経費総額20億ドルは当時のレートで約85億円に当たり、日本の40年度国家予算(61億円)以上。

 米国は4種類の濃縮法を確立したが、日本のニ号研究では「費用がかからず手っ取り早い」との理由で、熱拡散法と呼ばれる製法のみが研究対象に。実験装置1台を作ったが、濃縮実験に成功しないまま45年4月の空襲で消失した。日本ではウラン資源が不足し、ウランの燃焼により生じる核分裂性物質プルトニウムを原爆に利用する発想も持ち合わせなかった。

 

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