ヘイトスピーチに反対してヘイトスピーカーに難癖つけられると「粗暴な人を挑発するおかしな(幼稚な)人」カテゴリに入れられるみたいですよ善良なる一般人さまにおかれましては。……ふぅ。#念仏しかない
「学校で何を習ってきたのか」ゆうより、学校を含めた自分がいる社会の雰囲気として「主張をするな、周囲に逆らうな」の圧力をかけられ続けてきた結果が出てるだけじゃないかと。
「日常」てすごく面白いものなのだ。優れた作品はたいてい、日常をつぶさに観察し再現することを試みた成果が詰まっている。一番近いところに「未知」は転がっている。
「彼ら」に向き合うこと。自らの内に「彼ら」を発見すること。舞台や映画の監督達の考え方、やり方は参考になる。
「専門家じゃないですから」「素人のたわ言ですから」「素朴な意見ですから」
……などといった一連の言い訳と共に並ぶ言説の下劣さはガチであるな、まことに。
それで批判かわせるオモタら大間違いなんだけどね、見てる人は見てるし
憶えてる人は憶えている、その怖さを知らぬことのマヌケさよ。
核になるイメージを掘り下げて「何を書くか」を詰めてく作業をここのところ頭の中だけで黙々と。次第に作品の概要が固まってゆく、最初の面白い過程。
「毅然とした」てば、相手の所属先が何であれ自身のスタンスなりスタイルなりを貫くことだと解釈してたけど、「毅然とした対応を」とか言いたがる人って相手の所属先によって露骨に対応の仕方が変わったりすんのよね。
まぁ、アレだ「わたしより努力してない人が楽するのが許せない」心情そのものにゲスさが混入してないか、一度は疑ってみたら? とゆう。
ところで、先日nhk『薄桜記』(時代劇ドラマ)の最終回を視聴して思ったのですが、間違った裁定を下した主体である将軍家ではなく、主のケンカ相手に過ぎない吉良を殺すドラマに喝采してしまうという忠臣蔵モノには、日本人のダメダメさ加減が端的に現れているなぁ……と。
@Uts_moja 蕎麦屋さんでの酒のつまみは「海苔」が定番だそうです。学生時代、神田の某老舗で神田っ子のおじいちゃま(浴衣姿だった)が呑んでらっしゃるのお見かけした時も、つまみは海苔でしたね。で、呑んで火照った体を蕎麦で冷まして帰る、と。
「反原発の奴らは原発が事故って被害が出ると『そら見た』ゆうて喜ぶ」な言説てば尽きないのね、オスプレイの件でも似たようなの出回ってるとは(嘆息)。反対意見が何を問題視してるかさえまともに見とらんの丸分かり、勉強して出直せ、ととりあえず。
「弱者に権力を持たせると云々」ゆわれる方々てのは要するに「思い当たるスジいぱーいあるから仕返し怖い」わけですねとしか思われず。
この国の最大の問題は、「正義」「人権」といった概念が国際社会において普遍的なそれとはどうやら違っているということじゃないかと。ほとんど、スタート地点で後ろ向いてる状態だと思う。