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視点・論点 「次世代の君たちへ(3) ロボコンが教えてくれたこと」2013年01月09日 (水)
東京工業大学名誉教授 森 政弘
森 政弘でございます。
私が言い出しっぺで始まったロボットコンテスト、略してロボコンは、1988年に、高等専門学校を対象にして始まってから、去年の秋で、25年を迎えました。
今から30年以上昔になりますが、1981年には、私は東京工業大学で教鞭を執っておりました。そのとき痛切に感じたのですが、「学生諸君の顔に輝きがない」ということでした。それで、危機感を抱き、何か手を打たなければならない、これは、学生達が、「夢中」になれることがないからだろうと考えました。
実は、私は小学校以来もの作りが大好きで、物さえ作っておれば、夢中になって、我を忘れるという体験を持っておりましたので、「よし、普通の授業は止めて、学生達にもの作りをさせてみよう」と思い立ち、単一乾電池---皆さんご承知の大きい懐中電灯に入っているあの乾電池ですね---それ2個だけのエネルギーで、人1人を乗せて走る車を、半年がかりで作り、スピード競技をするという課題を出しました。
そしたら、案の定というか、いや、予想以上に、学生達は夢中になり、徹夜も辞せず、という構えになりました。とくに良かったことは、われわれ教える側も正解を知らなかったことでした。「先生、果たして走るんでしょうか?」と学生が聞きに来ましたが、「いや分からないねー」と答えるより、他はありませんでした。「先生も知らないんだ! この世の中で、誰も正解を知らないんだ。それなら自分たちが、世界で初めて、その答を見つけるんだ!!」、と意気込んでくれたことが幸いしました。
4つのチームで行ったのですが、それぞれまったくアイデアがちがった車が勢揃いしました。文字通り、創造性開発になったのです。これが感動の渦を巻き起こし、教育の場に、それまで欠けていた、感嘆文というものをとりもどすことができました。
この写真は競技の後での、アイデア発表会の雰囲気ですが、楽しく沸き立ち、「感動のないところに教育はない」と、私も悟った次第です。学生達の心に火を点けることができました!
この、もの作り授業は、東京工業大学の制御工学科で、毎年続けられましたが、7年後の1988年に、創造的な番組を模索しておられた、NHKに取り上げられ、それが「感動」をキーワードに、アイデア対決ロボットコンテストに発展して参りました。そしてロボコンは、現在では、国際的にも広がり、中学校から社会人までの各層で、何十種類というロボコンが行われています。
このうち、1988年に始まった高専ロボコン、これが、国内のロボコンとしては最も大規模で、レベルも高く、学生の創造性開発、技術の実地教育、チームワークの錬成などに関して、多大の貢献をして参りました。そして去年秋に、25回目を迎えたのです。それで、高等専門学校制度が始まってから、今年度で50年になりますから、高専の歴史の半分に、ロボコンは感動を与えながら、寄与してきたことになります。
そこで、ロボコンが与えてくれたことを、振り返ってみたいと思います。
その最も大きいものが、創造性開発です。これはテレビ放送の画面からお分かり頂けるように、高専ロボコンの場合、これまでに登場した何百台というロボットのうち、与えられた課題をこなす原理も多様でしたし、外形に至ってはどれひとつとして同じものはありませんでした。
テーマと言いますか、与える課題は毎年変えられますが、出題側が「こんな難しい課題こなせるかどうか」と危ぶんでいても、高専生は美事にこなしてくれました。彼らのアイデアと技術力に、毎年感嘆させられてきました。
NHKで放映されるロボコンが元になり、今では、広く中学校でもロボコンが行われています。
これは、ある熱心な中学校のロボコン風景ですが、ロボコンのためのロボット作りをさせますと、やる気が猛然と湧いてきまして、技術室へ教室を移動するスピードが速くなります。
いやいやではなく、1分という時間も惜しんで、ロボット作りに励みます。「技術の授業が毎日待ち遠しくてたまらなかった」とか、「ロボットを作っているときは、時間を忘れた。時間を感じなかった。気がつくといつも終わり5分前だった。僕は、はじめは驚いた。それほどロボコンに集中していたということだ。この快感はとても言葉では表せない」と、ある生徒は感想文に書いていました。
また、チームを組んで行うのですが、始めは誰しも、自分の意見を言い張って、まとまりませんけれど、
「自分の意見や他人の意見一つだけにとらわれずに、自分の意見と他人の意見を混ぜ合わせて、さらにいいものを作っていくことが大切だとわかり、将来のためにいい勉強になった」とも書いています。また、
「仲間と協力し合うことの大切さ、他人の失敗を許し合える心、その他たくさんのことを学んだ」という生徒もおります。さらに、「ロボコンを終えて、これほど充実した期間を過ごせたことと、自分で作ったんだという満足感は、お金で買えるようなものではなかった。僕はロボコンが終わって満足感でいっぱいだった」、とも書いています。
中学校の場合、ロボットを作り始めて2ヶ月もたちますと、トイレのドアの開け閉めがひとりでに静かになります。物を大切にすることをロボットから学ぶからです。苦心して作ったロボットは、「我が分身」という気がするのです。ロボットに心が乗り移るわけですね。
とくに注目すべきは、ロボット作りの精神集中のお陰でしょうが、「もし、全人類がロボコンのようにすばらしい事を体験し、何かに気がついたとしたら、自分だけではなく、他人や、すべての物にも、思いやりが持てるようになると思う」と書いた少年がいたということです。彼はロボコンによって、人生の大切な、あるものに気がついたのですね! 夢中になって我を忘れて打ち込むと、人間が変わります。仏教で言う三昧ですね。坐禅や念仏などと本質的に同じなのです。こういう効果がロボコンにはあるのです。
そこで、将来を担われる、若い諸君に申し上げたいのですが、「何事をするにも、全力投球して、我を忘れるまで、懸命になり夢中になってほしい」と、いうことです。これは必ず、あなたに好ましい効果を与えてくれると思います。それから創造性のためには、情報を知るということよりも、「考える」ということを大切にして頂きたいということです。
言い出せば切りがないほどですが、ロボコンは、創造性や技術の教育はいうまでもなく、心に火を点けるハタラキがありまして、若人の人間形成に偉力を発揮しているのであります。ロボコンによって、生徒たちのキレる顔がおだやかさを取り戻し、荒れた中学校が、模範校に変わった例もあるくらいです。
このような背景から、誰言うとなく「もの作りは人作り」という格言が生まれたのであります。
繰り返しますが「もの作りは人作り」--これがロボコン関係者の信条になっています。
このような心持ちでロボコン関係者は、ロボコンを進めています。
ではこの辺で。