生保裁判連ニュース 第27号 2005年7月発行
○発行 全国生活保護裁判連絡会
○事務局 竹下法律事務所 075−241−2244

震災10年、神戸で考える生存権
全国生活保護裁判連絡会第11回総会・交流会御案内
1 日程・会場
〈日  時〉 2005年9月10日(土)午前9時半開場。10時開会〜午後4時
〈会  場〉 兵庫県中央労働センター 〒650-0011神戸市中央区下山手通6-3-28
       п@078-341-2271  FAX 078-341-7332
       JR西日本「元町」駅西へ15分   
〈参加費など〉参加費 500円+資料代 1,000円
2 プログラム
〈午前の部〉
● 記念シンポ「生存権を考える 〜大震災から現在まで」
  大橋 豊(ひょうご福祉ネットワーク)+澄川智広(尼崎市福祉事務所)
  +布川日佐史(静岡大学)+ コーディネーター 藤原精吾(弁護士)
●特別報告 退院即保護廃止違法損害賠償事件勝訴報告  吉田雄大(弁護士)
●基調提案  竹下義樹(弁護士・生保裁判連事務局)
〈午後の部〉分科会
 @ 大震災・大災害と生活保護
 A 自立支援プログラムと生活保護改革
 B 生活保護争訟の現状と成果
3 申込方法・宿泊先……当日参加可。但し、下記へ弁当の有無・分科会明記し申し込まれた方には弁当を用意・700円。宿泊先は各自でお願いします。
4 事務局・問い合わせ先
●現地事務局 (N)神戸の冬を支える会
〒650-0004 神戸市中央区中山手通り1-28-7
п@078-271-7248 Fax078-271-3252 E-mail kobe-fuyu@nifty.com
●全国生活保護裁判連絡会事務局 竹下法律事務所
〒604-0982 京都市中京区御幸町通り夷川上る松本町568 京歯協ビル3階 
075-241-2244  Fax 075-241-1661  E-mail jinken@eagle.ocn.ne.jp

特別報告
障害年金収入認定取消訴訟、遂に結審      
        弁護士 舟木浩
 以前お伝えした裁判の続報です。この裁判は、障害等級2級の重度の身体障害を抱え、車椅子による移動を余儀なくされている野田勝治さんが提起したものです。生活保護を利用している野田さんは、障害基礎年金の遡及支給を受けた際、年金の収入認定によって保護費を減額され(第一決定)、さらに、室内用の車椅子やトイレの手すりなど、生活に必要な物品等の購入代金を控除されることなく生活保護法63条による保護費の返還を求められました(第二決定)。野田さんは、平成15年5月26日、いずれの決定も違法であると主張し、各処分の取消を求めて京都地方裁判所に提訴していました。この裁判が平成17年6月15日結審しましたので、今回は裁判を振り返りたいと思います。
 弁護団(2名)は、重度の身体障害を抱え、車椅子による移動を強いられている野田さんが、移動交通費の負担ゆえに食費を削らざるを得ず、十分な社会参加も実現できず、最低限度以下の生活を送っている実態を明らかにしようとしてきました。そのため、障害者の社会参加を謳う障害者基本法の理念が障害年金や生活保護の運用に及ぶこと、公共交通機関が車椅子を利用する障害者にとって使い勝手の悪いものであり、事実上野田さんが利用できないこと、そのため野田さんが通院、買い物、社会学習等においてタクシーを利用せざるを得ないこと、生活保護における障害者加算が低額であり、社会参加費や移動交通費を全く考慮していないこと、野田さんは移動交通費を捻出するためにカップ麺を食べるなどして食費を削っていること、などを主張してきました。
 また、京都府立大学の山田教授に詳細な意見書を作成して頂き、障害者基本法の沿革を踏まえた社会参加の保障の重要性、同法が国民年金法や生活保護法の指針となることなどを説き起こして頂きました。神戸女子大学松崎教授には、証人として証言をして頂き、生活保護のケースワーカーをされていた経験に照らしてケースワーカーと保護利用者との信頼関係の重要性、身体障害を抱える保護利用者の場合に留意すべき点、とりわけ本件のように年金が遡及支給される場合に注意すべき点などを説明して頂きました。なお、上記の松崎証人について、裁判所は当初必要ないとの姿勢でした。しかし、竹下義樹弁護士が猛然と抗議し、その勢いに押された裁判官(3名)は、2回の合議を経て最終的には証人として採用しました。相手方の証人としては、当時の担当ケースワーカー及びその上司である係長の2名が証言しました。こちらからの反対尋問では、担当ケースワーカーに対し、なぜ自立更生の見地から一定の控除が認められることを野田さんに説明しなかったのか、と問いつめました。担当ケースワーカーは「いずれ話すつもりだった」などとうそぶき、野田さんに対する説明を怠ってきたことが明らかとなりました。
 野田さんの本人尋問では、かつて建築現場で働いて50キログラムあった右手の握力が3キログラムしかなくなったこと、自分の足で歩くことは勿論立ち上がることもできなくなったこと、坐骨神経障害等による痛みを和らげるため毎日4、5回程度、左右各30分ほど体内に埋め込まれた装置で電気を流していること、など野田さんが抱える障害の内容を具体的に説明してもらいました。また、トイレを利用する際に苦労している様子など日常生活において具体的に生じている困難やその困難を軽減させるために必要な物品等を語ってもらいました。これらを前提に、福祉事務所が野田さんの生活実態を知っていたこと、また、野田さんが福祉事務所に対し障害ゆえに出費がかさむ点を考慮してもらいたい旨訴えていたこと、それにもかかわらず福祉事務所が室内用の車椅子やトイレの手すり等について控除をしなかったことなどの経過を説明してもらいました。野田さんは法廷で自らの率直な思いを語り、福祉事務所に対する怒りを顕わにして裁判所に訴えかけました。
 この裁判の継続中、生活保護法の加算制度は大きな改悪の波に晒されました。老齢加算は段階的に廃止され、母子加算もすでに切り崩しが始まっています。この裁判は、こうした一連の動きに先行し、障害者加算の改悪に対する牽制の意味を持ったと言えます。老齢加算の段階的廃止については、すでに京都で提訴され、今後、全国各地でも提訴がなされる予定です。本件裁判は、これらの裁判の今後の展開にも大きな影響を与えるものと言えるでしょう。
 野田さんは、この裁判の間に持病の心臓病が悪化しました。何度も入退院を繰り返し、口頭弁論期日に出頭できないこともありました。必死の思いでこの裁判を闘い続けてきたのです。判決の言渡しは平成17年9月14日午前11時に予定されています。是非、ご注目下さい。

北九州市・H事件のご紹介     弁護士 木佳世子
北九州市の保護行政のひどい実態については、昨年の裁判連総会・交流会で取り上げていただいたとおりですが、その北九州市で、同じ世帯の件で1件が審査請求中、1件が審査請求を終え、もう1件が裁判になっているという事件がありますので、報告させていただきます。
Hさん夫妻の世帯は6人の子どもがあり、夫妻は身体が弱く働けないので長年生活保護を受けて生活してきました。
2年前(2003年)の6月にケースワーカーが変わって初めての自宅訪問の際、突然、Hさんが暴力を振るってもいないのに、ケースワーカーが暴力を振るわれたとでっちあげて発言したことから、Hさん夫妻と福祉事務所の関係が悪くなりました。それからは保護費を窓口払いに変更した上、窓口で指導指示を行い、従うと答えているにもかかわらず、さらに「ご連絡」と題する文書や指示書を郵送でどんどん送りつけ、弁明聴取通知書、停止の保護決定通知書などを同じ年の8月の1ヶ月足らずの間にとにかく送って、不在がちだったHさんがこれらの文書を受け取ってもいない間に、したがって弁明の機会も与えられないままに、保護を停止されたのです。
しかも、かかりつけの病院から保護が切られていると連絡を受けたHさんが福祉事務所に電話しても、保護が停止になっているのか、廃止になっているのかすら教えてもらえませんでした。学齢期の子どもだけでも保護してもらえないかと頼みに行っても、けんもほろろの対応でした。何をすれば保護を再開してもらえるのか聞いても「一度切ったものをそんな簡単にはやられん。」などと言われるだけでした。困り果てたHさんが弁護士を訪れ、弁護士2名で福祉事務所との交渉に入ったところ、福祉事務所から代理人は認めないなどと不当なことを言われながらも、やっと、8月中に福祉事務所が送り付けた何通もの文書を見せてもらうことができました。それで、11月末にようやく、保護が停止になっていることと、その理由を知ることができたのです。
早速、12月に入ってすぐに審査請求を起こしましたが、審査請求の期限を過ぎていることを理由に却下。実は、停止の保護決定通知書が8月末に郵送されていたのを、Hさんの世帯から独立して、たまたまHさんの家に来ていた子(成人)が勝手に受取拒否をして返していたのです。そのことを、「Hさんが知ったのと同じ」だから、処分を知ってから60日以内に審査請求を起こさなければならないという要件を欠く、として、入口のところで却下されてしまったのでした。再審査請求の結果も同じでした。
それでも、審査請求をかけた甲斐があり、2003年12月の暮れになって、保護停止を取り消して、審査請求を起こした日からの保護費を支給する、と言ってきました。
Hさん夫妻がこれで年が越せると喜んだのもつかの間、翌2004年には、執拗な就労指導が待っていました。Hさんが求職活動状況届書を提出すると、「本当にここに書いてある理由で断られたのか確認する。」と言って、福祉事務所がHさんを装って携帯電話で求人先に電話をかけるなどの嫌がらせを受けました。福祉事務所が求人情報誌を見て勝手に電話で面接の手配をして、「電話しておいたからここに面接に行くように。」と言われたこともありました。
Hさん夫妻には、「○月○日までに仕事に就くことを指示します。」と書かれた指示書が出ていた上、「就職できなかったら、以前のような甘い処分(停止のこと)ではなく、廃止になる。」と言われていたため、これでは保護を切られてしまう、これはいけないということで就労指導に対する審査請求を起こしました。しかし、就労指導が審査請求の対象となる「処分」にあたるかについては争いがあるところで、裁決では処分にあたらないとして却下されてしまいました。
その間、2003年9月にHさん(夫)の就職が決まり、Hさんは通院をしながらも一生懸命働くようになりました。すると、「夫が働きだしたのだからもう放り出して大丈夫だ。」といわんばかりに、11月初めには、Hさん(妻)と、高校を中退していた子どもの就職が決まらないからと、保護を廃止されてしまったのです。今、この廃止について、審査請求を起こしており、口頭審理まで終えています。
また、2005年1月には、再審査請求の結果まで出た停止処分について、行政訴訟を起こしました。この裁判はまだ始まったばかりで、理屈の面で超えていかなければならない壁もありますが、5人の弁護団で頑張っていこうと思います。
不当な保護行政に対してどんどん不服申立てをしてたたかっていくことが、北九州市のひどい保護行政が少しでも改まるきっかけになればと思っていますので、ぜひ、関心を寄せて見守っていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。

山科区生活保護廃止事件勝訴報告   弁護士  吉田雄大

1 はじめに
2005年4月28日、京都地裁101号大法廷で、山科区生活保護廃止事件の判決がありました。2002年6月の提訴から3年弱に亘ってたたかわれてきた裁判の結果、京都市の責任が認められ、220万円の賠償が命じられました。

2 事案の概要
(1)1960年10月生まれのAさんは、福岡県の高校を卒業した後上洛し就職し、約10年間は社員寮で暮らしましたが、退寮後間もなく仕事を辞め、その後は運送作業員や飲食店従業員などの職を転々としました。しかし1999年2月ころ失業し、以来食べるものにも事欠き、京都市山科区の自宅アパートで水を飲みながら昼夜横になる生活をしばらく続けます。ようやく3月15日、隣人に助けを求め救急車を呼んでもらい、近くの病院に搬送され、そのまま緊急入院となりました。
診断の結果、AさんはビタミンB1不足を主たる原因とする「ウェルニッケ脳症」であるとされました。
(2)入院費も支払えず、実家も生活苦のため援助できないことから、山科福祉事務所長は、3月15日付でAさんに対する生活保護の支給を決定しました。なお、Aさんは家賃を5ヶ月間滞納していたとはいえ現にアパートに住んでいましたが、Aさんに対する保護の中には住宅扶助は含まれませんでした。
(3)Aさんは病院での治療の結果体力を回復させ、同年5月6日に退院の日を迎えます。退院時のAさんには復視などの後遺症が残り、また、当然のことながら仕事もなく、要保護状態にあったことは明らかでした。
(4)しかし、山科福祉事務所長は、「世帯主の傷病治癒により最低生活維持可能」という名目で、同年5月18日、Aさんに対する保護を5月7日付で廃止してしまいました。なお、上記廃止理由が記載された保護廃止決定通知書がAさんに交付されることはありませんでした。
その後のAさんの生活状況は不明ですが、同年7月27日、Aさんの部屋の流し台の水がずっと流しっぱなしであることに不審を抱いた隣人が不動産管理業者に連絡を取って部屋に入ったところ、流し台前に突っ伏したまま亡くなっているAさんが発見されました。
(5)Aさんが亡くなったのは山科福祉事務所長がAさんに対する保護を違法に打ち切ったからであるとして、相続人である両親が京都市を相手取り、約7220万円の国家賠償を求め、2002年6月、京都地裁に提訴しました。

3 訴訟の争点
(1)訴訟では主として、@保護廃止の実体上の要件の有無、A手続上の要件(廃止決定通知書の交付を欠いていることや、廃止に先立つ調査等をしていないこと)具備の有無、B廃止決定と死亡との間の相当因果関係の有無が争点になりました。
(2)@実体上の要件の有無について、被告京都市は、Aさんが退院当時要保護状態にあったことは争わず、「Aさんが保護の継続を辞退したため廃止した」という主張をしてきました。また、A手続上の要件については、「保護辞退による廃止である以上、保護廃止決定通知書の交付等の手続を経る必要はない」との主張をしてきました。
これに対し、原告側は、@山科福祉事務所長は入院を機に保護受給を開始した人に対して退院と同時に問答無用で保護を廃止する「退院即保護廃止」という違法な行政慣行を踏襲し、Aさんに対する保護を廃止したのであり、辞退による保護廃止などという主張は訴訟に至って初めてひねり出したいわゆる「ためにする主張」であってケース記録等の記載とも合致せず失当である、A手続上の要件欠如はそれ自体違法を構成するのは当然であるし、そもそも辞退による保護廃止などという実態も存しないと主張しました。

4 判決の内容
(1)京都地裁は、以下のとおり、本件保護廃止は違法であって許されないことを明確に断じました。
すなわち、「山科福祉事務所長は、保護記録等に記載された文言のとおり、当初から、原則として、入院中のみの保護、すなわち、Aが退院すれば保護を打ち切るとの方針を採っていたものと認めるのが相当である」と認定した上で、「山科福祉事務所長は、法の趣旨には必ずしも沿わない『入院中のみ保護』との方針を採って、退院後のAの生活について何らの配慮もせず…、退院したとはいえいまだ自立した生活が営める状態になく、最低限度の生活を営めないことが容易に想定できたというべきであるのに、違法に本件廃止決定をしたのである」との判示を行いました。
(2)また、保護辞退の有無については、以下のとおり判示し、被告京都市の主張を切り捨てました。
「なお、被告は、本件廃止決定はAが保護辞退の申出をしたことを理由としてされたものであり、保護記録等の…各記載は、(ケースワーカー)らの誤りによるものである旨主張し、また、証人…及び同…もこれに沿う供述をする。しかし、……Aが任意かつ真しに保護自体の申出をしたとは認められない上、保護記録のその他の欄等を見ても、本件廃止決定が、Aによる保護辞退の申出があったことを理由としてされたものであることをうかがわせる記載は一切存在しない。さらに、理由を記載した書面によって廃止決定を被保護者に通知することとされているのは、廃止決定を慎重かつ明確にし、かつ、被保護者の不服申立てをするかどうかの判断に資するためなどの趣旨によるものであるから、記載すべき理由は、重要なものであり、…及び…も、その重要性は認識し、慎重に記載したはずであって、被告の上記の主張並びにこれに沿う証人…及び同…の供述は、採用することができない」
「本件において、Aの任意かつ真しな意思に基づく保護辞退の申出があったものと認めることはできないのであり、山科福祉事務所長は、保護辞退の申出を理由としても保護を廃止することは許されなかった」
(3)上記を前提に、京都地裁は、手続的違法の点については判断するまでもなく山科福祉事務所長による廃止決定は違法であるとしました。
しかし、保護廃止と死亡との因果関係については、「生活保護を廃止されたからといって、何らの措置を講ぜず、栄養状態が悪化するのを、死亡に至るまで放置することは、通常想定することはできないから、社会通念に照らして、本件廃止決定がされたために道博の死亡の結果がもたらされたということは困難であり、山科福祉事務所長が違法に本件廃止決定をしたことと、Aの死亡との間に相当因果関係があるとまでは認められない」として否定し、遺族らが請求していた損害のうち、慰謝料ないし弁護士費用相当額として220万円を認定しました。

5 判決の評価と京都市の対応
(1)判決が「退院即保護廃止」という方針の存在を認めた点は高く評価できます。この方針は、保護率が高いことを「不名誉」とし、保護率を低下させたことを「成果」であると臆面もなく述べる(1997年3月10日の京都市会予算委員会における民生局長の発言)というような、京都市の保護行政に対する基本姿勢と直結しており、その結果本件の悲劇が生じたのです。また、これまでの運動を通じても、全国各地で「退院即保護廃止」がまかり通っているという実情が、数多く寄せられています。
また、判決は、福祉事務所職員の過失について、「Aは、退院したとはいえ、いまだ就職先は決まっておらず、親族等の援助を受けるなどして生活の糧を得る具体的な見込みもなかったところ、…及び…は、そのことを十分認識していたもので、山科福祉事務所長も、本件廃止決定をするに当たり、これを認識し、又は容易に認識し得たというべきである。それにもかかわらず、山科福祉事務所長は、漫然と本件廃止決定をしたのであるから(証人…及び同…の供述並びにその陳述書によっても、…及び…が、本件廃止決定前に、Aの退院後の生活の見通しについて具体的に事情を聴き、あるいは聴こうとした形跡は全くうかがえないし、山科福祉事務所長も、本件保護廃止決定をするに当たって、…が、遅くとも2月ころ以降、職につかず、緊急入院を必要とするほどの事態に至った経緯と、退院後のAの体調を踏まえて、Aが退院後、収入を得て最低限度の生活を維持していけるかどうかについて具体的に検討をした形跡はない。)、違法に本件廃止決定をしたことについて少なくとも過失があったということができる」と、厳しく断罪し、事実上調査義務違反・説明義務違反も認めており、正しく実態を見据えた判断がなされています。
そして本件判決は、双方から控訴はなされず、確定しました。
(2)しかし、本件判を受けた京都市の反省は、はなはだ不十分というほかありません。
というのも、判決確定後京都市は、各福祉事務所長に対し、平成17年5月19日付「生活保護廃止時における適正な事務手続について(通知)」を配布しました。しかしこの通知は、本来市として現場職員に対して最も周知徹底させなければならない、「退院前後を通じたケースワークのあり方」については全く触れられておらず、単なる「辞退による保護廃止手続を遺漏なく行うためのマニュアル」に堕した内容になっているのです。
(3)本件は、違法な行政慣行の存在だけでなく、福祉的専門性を持たない職員がAさんを担当したことも、悲劇の一因をつくっています。証人尋問でも、職員が生活保護法について極めてお粗末な知識しか有せず、マニュアルや上司の指示だけに従って行動していなかったことが明らかになっています。Aさんの困窮原因を探ったり、自立に向けた処遇方針を立てようとした形跡も全くありません。
生活保護の現場では、こうした極めてお寒い状況が、1981年に出された「生活保護の適正実施の推進について」(いわゆる123号通知)以降、今日に至るまで続いているのです。こうした現場の状況を改善していかない限り、小手先のマニュアルをいかに整備しようと、本件同様の悲劇が繰り返されるおそれは十分にあります。

6 おわりに
本件訴訟は「退院即保護廃止」の違法性を直接問うものとして、多くの方々の共感を呼び、「山科事件を支援する会」が結成され、数多くの街頭宣伝、学習会や7000通を大きく超える署名運動がなされたほか、毎回法廷には数十人傍聴の方々がお見えでした。こうした支援の力が、裁判所を動かしたことは間違いありません。
他方、本稿執筆中の5月25日にも、北九州市八幡東区で、今年1月に68歳男性が保護を申請したものの受給に至らないまま孤独死したという新聞報道がなされました。
生存のための最後の拠り所である筈の生活保護制度が必要な人に行き渡らず、あるいは断ち切られた結果生じた悲劇が、今なお絶えません。証言台に立ったAさんの母は「二度と息子と同じようなことが起きないようにしてほしい」と述べましたが、すべての保護実施機関は、この言葉を噛みしめる必要があると強く思います。

老齢加算の削減は許さない!〜秋田のとりくみから〜
秋田生活保護裁判を支援する会 準備会・事務局、松本 匡
生活保護の老齢加算の削減・廃止は許せないと秋田市在住の二人の単身女性が(八十七歳と七十三歳)が裁判でたたかうことを決意しました。秋田中央法律事務所の沼田敏明弁護士と虻川高範弁護士の両先生を訴訟代理人として七月二十一日に秋田地裁へ提訴する準備をすすめています。

老齢加算削減で食事をへらす
原告の一人前田アイコさんの居住するアパートは家賃三万円で台所のほか六畳一間しかなく、家具をおくと布団一組を敷くのがやっと広さです。いままでも、痛い足をかばいながら安いものさがして節約に努めていましたが、老齢加算の削減によって毎日の食事も切り詰めるようになりました。パン一切れとコーヒー一杯が朝の食事で、米一合を炊くと、それでその日の昼と夜、翌日の昼と夜の四回を間に合わせています。読書が唯一の楽しみですが、新品を購入することができず、図書館や友人から借りて読んでいます。結婚式の招待などもご祝儀を工面できずに欠席しています。
 厚労省の資料によると、老齢者はつぎのような特別な需要があると説明しています。「老齢者は咀嚼力が弱いため、他の年齢層に比し消化吸収がよく良質な食品を必要とするとともに、肉体的条件から暖房費、被服費、保健衛生等に特別な配慮を必要とし、また近隣、知人、親戚等への訪問や墓参など社会的費用が他の年齢層に比し余分に必要となる」と。
 前田さんは食事を減らし、付き合いもしないようにしました。老齢加算の削減・廃止は憲法二十五条違反であることを事実が物語っています。
生活保護の問題は全国民の問題
不況やリストラ、更に年金の切り下げなどで国民生活破壊が進行するなかで、みんなが節約生活を強いられています。生活保護を受けていない世帯からは、「生活保護はまだ恵まれている。削減は当然では?」といった声を聞くことがあります。現行の生活保護制度がいかに低水準なのか、老齢加算の削減・廃止が憲法二十五条に違反するかを事実で知らせ、国民の共感を得るならば必ずや勝利できるものと思っています。
秋田市の保護基準の級地は二級の一です。前田さんの削減される前の老齢加算は一万六千六百八十円で、家賃を除いた生活費は八万五千七百六十円にすぎず、老齢加算は全体の生活費の約二十%を占めていることになります。私たちの収入が二十%も減ったらどうなるのでしょうか。このことを国民に知らせてゆきたいと思います。生活保護はあらゆる社会保障制度の土台になっており、生活保護基準の切り下げが国民生活の低下につながるとうことを痛切に感じる機会に遭遇しました。秋田生活と健康を守る会は、五月に固定資産税の減免申請をおこないました。生活保護の老齢加算が減額になったことによって、減免の適用者が減り、減免割合が下がった人がおおぜい生まれたのです。定例の市役所相談交渉日で、減免割合が下がった人が「これまで全額減免になっていたが、今年は半額減免になった。老齢加算の削減により、収入が月額五千円オーバーしているからと説明を受けたが、払えないものは払えない。息子の仕事がへり、毎日遊んでいる。何とかしてほしい」と実態を訴え、交渉しました。
厚生労働省のねらいは、はっきりしています。生活保護受給のほとんどが、高齢・障害・母子世帯でしめられており、老齢加算と母子加算に削減・廃止によって生活保護基準を引き下げ、生活保護受給者と「くらしに役立つ制度」の適用者を減らすことにあるのではないでしょうか。低所得者をいじめる社会保障制度の改悪がすすめられています。今年十月から介護保険法の改悪によって、老人ホーム入居者から食事代と部屋代が徴収されるようになります。障害者の公費医療補助制度も「収入に応じた応分の負担を」問う口実でお金が無ければ医療サービスを受けれないようになります。
老齢加算削減・廃止の違憲・違法性をあらそう生活保護裁判に勝利することは、「弱肉強食」の政治にストップをかけ、社会保障制度の改善の大きな礎になるものと思っています。全国のみなさんのご支援・ご鞭撻をよろしくお願い致します。

京都「生存権裁判」の意義を考える
 「生存権裁判を支える会」
      代表   金澤誠一
 2004年4月には、生活保護制度が成立して以来はじめて保護基準が0.9%削減され、また、老齢加算の段階的削減・廃止が実施された。2005年4月には母子加算の段階的削減・廃止が実施された。老齢加算削減に対する不服申し立ては全国で600件を越している。京都では2005年4月27日、老齢加算削減処分取消訴訟が京都地裁に提訴された。また、7月1日には2人目の提訴が予定されている。
 この裁判の意義は、まず第1に、憲法で保障されている「人間に値する生活」の具体的内容が問われている点にある。現在の水準均衡方式による保護基準の算定は、一般世帯との対比によって算定するものである。今日の保護基準は文字通りの相対的水準である。一般世帯の賃金や収入が右肩上がりに上昇し続けていた時には、その具体的内容が問題となることはなかった。しかし今日、一般世帯の賃金や収入が低下しそれに合わせて保護基準も引き下げられ、また老齢加算が削減・廃止される事態にいたっては、際限なく保護基準は低下し、国民生活は歯止めの利かない底なし沼に陥ってしまうことになる。あらためてその歯止めとして「人間に値する生活」の具体的内容が問われているのである。
 「人間に値する生活」の具体的内容は、誰もが基本的にどういう状態になったり、どういうことができるかということが達成し得てしかるべき、それゆえに誰からも剥奪されるべきではないものでなければならない。アマルティア・センによれば、人々が人間らしい生活を営むということは、「適切な栄養を得ているか」「雨露をしのぐことができるか」「健康状態にあるか」「避けられる病気にかかっていないか」などの基礎的なものから、「読み書きができるか」「移動することができるか」「人前に出て恥をかかないでいられるか」「自尊心を持っていられるか」「社会生活に参加しているか」などの社会的・文化的なものまで多岐にわたっている。現在の水準均衡方式による保護基準の算定では、「人間に値する生活」の具体的内容を明らかにすることはできない。保護基準の算定方式が問われているのである。
 この裁判の第2の意義は、人間の多様性への配慮という点にある。「人間に値する生活」であるか否かを測る基準として、これまでラウントリーやタウンゼントなど多くの人が用いた基準は所得であった。貧困の原因は、失業、低賃金、不安定雇用などの労働問題であり、病気、障害、死亡、高齢化、多子などの生活上の起伏や事故による所得の中断や喪失に求められた。従って、彼らの関心に中心はそれら貧困の原因の除去・予防や救済にあった。今日においてもその重要性は変わらない。
 しかし、同じような所得であったとしても、高齢のためにあるいは障害があるために日常生活動作が低下した人や、幼児の世話をしなければならない女性は、生活の様々な事柄を達成できる能力が異なり達成できない場合が生じるのである。アマルティア・センによれば、こうした人間の多様性は、第1に人間の身体的特徴である年齢、性別、身体的精神的障害のあるなし、健康状態などの個人的条件の違いから生じる。第2に人々が置かれている社会的状況である人種差別、性差別、階級、医療施設などのあるなし、犯罪・暴力などから生じる。高齢者の場合、咀嚼力が低下して摂取した食べ物から栄養をとること、病気にかからないでいること、健康を維持すること、自由に移動すること、コミュニティでの暮らしに参加すること、友人と会うことが困難となる場合が多い。障害のある人や病弱な人も同様である。生活保護法9条の必要即応の原則は、まさにこうした人間の多様性に配慮したものである。
 貧困に陥らない十分な所得とは、個人の身体的特徴や社会状況によって異なるのであり、個人的諸条件を全く無視した最低生活費は、貧困の根元的な部分、すなわち経済手段が不十分なために生じる「人間に値する生活」の欠如という側面を正当に扱うものではないと考える。
 この裁判の第3の意義は、生活保護受給者の社会的関係性の保持にある。一般世帯と生活保護世帯との家計支出構造の違いは、教養娯楽費、交際費、こづかい、家庭雑費などの社会的体裁維持に必要な支出の額および割合が極端に低い点にある。食費や被服費といった個人的に緊急度の高い支出や住宅費、光熱・水道料などの生活基盤確保のための支出割合はむしろ生活保護世帯の方が高いのである。こういった緊急度の高い支出が最優先され、社会的体裁維持に必要とされる支出が極端に削減・節約している姿が浮かび上がってくる。その結果、社会的に孤立しやすい傾向にある。保護基準の削減や老齢加算の削減・廃止は、さらに一層の社会的孤立化をもたらすことになる。外出を控えただ家にじっとしている生活である。
 誰も自分の話を聞いてくれる人がいない、自分の名前を呼んでくれる人がいない、自分に関心を持ってくれる人がいない、自分が生きてきた人生の価値を認めてくれる人がいないといった状況に人は長く耐えて生きていくことできない。こうした社会との関係性の剥奪は、自尊心の剥奪でもある。そしてまた、人間の人格の主体的発達の剥奪でもある。そればかりではない。社会や政治に対する関心や希望・要求を持ち得なくなり、将来への希望や勇気が打ち砕かれた状態となりやすい。公共心を保ち、将来への希望や勇気につながる生活保護制度の在り方の転換が必要である。

「憲法のつどい」が試み、めざしたものとは
 社会保障裁判支援連絡会
   事務局次長 田中 昭二
 数え方により違いはあるがいわゆる「社会保障裁判」が全国で一二〇件ほど係争している。この事実は、日本の不幸な現実である。
 五月二二日、東京大塚において「憲法のつどい」が開催された。主催は、社会保障裁判支援連絡会と日本高齢者NGOである。このような標題の集会としては参加は六八人と思ったより多く、「内容は多彩で充実したものだ、多くの人に知ってもらいたい」との参加者の感想文がほとんどだった。

集会の趣旨
 事務局長の井上英夫は、講演の中で次のように述べている。
「今日は、みなさんと一緒に憲法について考えてみましょう。福祉や、暮らしを大事にするという憲法の考え方、それが基本的人権の保障という形で明確に定められて、しかもそれを国の制度として保障するのだというふうに言っているのですね。ただの考えではない。あるいはただの思想ではなくて、制度として、システムとしてみなさんに生活を保障するという、これらが日本の憲法の重要な点です。
 またもう一つ平和、平和がなければ人権も生活もない。逆に生活と人権を保障するということを徹底していけば平和に通ずるという意味で、この両方を考えていこうということでこういう集会のテーマ『暮らしと福祉、平和と人権 憲法のつどい』になっているのです。
 みなさんと一緒に、この憲法の大事さを確認し、ただ憲法を守るだけでなく、さらに発展させるという、そういうことで『憲法のつどい』を進めさせていただきたいと思います。」(パンフレット『暮らしと福祉、平和と人権――戦後六〇年に』より)
 主催者側の意図は、この井上事務局長のあいさつに言いつくされている。
 また、代表委員の一人でもある小川政亮は、「あいさつ――憲法九条と二五条」で「日本の軍備をなくすことは、ひとり日本の社会保障・社会福祉を憲法二五条にもどすだけでなく、近隣諸国の警戒心を解き、また国際的にも多くの貧困者をなくすことにも寄与するであろう」(『憲法のつどい 資料と解説』より)と述べ、「第三の波」の高揚期を迎えているわたしたちにこれからの出発点を明らかにしている。

これまでのスケジュール的集会の持ち方の反省から試みたこと
 冒頭に「社会保障訴訟は約一二〇件ある」と述べた。以前、『社会保障裁判支援連絡会ニュース』で、「所得保障」「医療保障」「福祉サービス保障」「権利擁護保障」と四つの保障に分け、一覧表にして一三ページに組み付けてみたこともある。それは会の規約三条にある「関係裁判の情報収集と会員等への情報提供」の具体化であった。
 しかし、「日本の不幸な現実」を、わたしたちの社会活動と日常生活の中で埋没させてはならない。行政・立法・司法とのアクセスが困難な多くの人たちにこの現実を知らせ、主権者として直接国や企業にたいして、司法に問い、「自分たちと同じ苦しみを再び味合わせない」ために国に新しい「制度」をつくらせることを求める人たちが一同につどう場が必要だ。
 今回の「憲法のつどい」は、その具体化として「主催者・参加者が会場で直接見て、聞いて、知り、帰ってから再び読んで、行動する」というコンセプトで、二月二八日から一二週八四日間かけて準備し、企画準備会を五回持ってきた。
 そのためには、集会後に参加者に発言内容をとどけるわけにはいかないので事前に「憲法のつどい 資料と解説」を登壇者全員に執筆依頼し、当日会場で配布した。
 また、月一回以上発行している「インターネット通信」で会場に参加できない全国の方たちに映像と音声で配信した。特に寝たきりや会場に足を運ぶことが困難な障害を持った人たちには届けることができた。また、ヨーロッパ在住の方たちにも届けることができた。いわゆるデジタルコミュニケーションである。

最後に
 そういった参加者に「行動」を求めることは、思い上がりであり不遜なことであるかも知れない。上意下達の組織でもなく、「社会保障裁判勝利をめざす運動を支援することを目的」とする会であり、「東京に事務所を設置する」ことをはっきりと明記している会でもある。
 社会保障裁判支援連絡会の主催する今後の集会と全国各地での井上英夫事務局長を先頭とする会員の支援活動に読者には期待していただくしかないだろう。
なお、わたしのつたない解説より社会保障裁判支援連絡会の発行するパンフレットをお読みいただきたいことをお願いする次第である。
 社会保障裁判支援連絡会
 東京都三鷹市新川六-二八-一五-一〇二
 電話〇四二二-四二-九一九二

障害者の人間らしい生活、いまに引き継ぐ    〜堀木訴訟提訴35周年記念のつどい〜 
兵庫障害者連絡協議会顧問 金澤
 訴訟が神戸地方裁判所に提訴されてから35年になることを記念して5月15日(日)神戸市の兵庫県私学会館において「堀木訴訟提訴35周年記念のつどい」が開かれ、支援運動の中で真の福祉を学んだという当時の学生や、堀木運動を通して「これからの生き方を考えさせられた」という障害当事者など東京や名古屋など県外からの多くを含めて100名を超える参加者で開催されました。
 第1部では開会挨拶で小川政亮氏(元堀木訴訟中央対策協議会会長)が、「いまこそ堀木訴訟、朝日訴訟などを引き継いでいくことが大切」と、つどいの意義と学ぶべきものなどについて話されました。
 基調報告で井上英夫氏(金沢大学教授)は、戦後生存権・社会保障裁判のあゆみを振り返って、「第1の波の朝日訴訟(60年代)、第2の波の堀木訴訟(70・80年代)に続いて第3の波(90年代から現在)の加藤訴訟、高訴訟、中島訴訟、ハンセン病国倍訴訟、そしていま争われている学生無年金訴訟と大きく前進してきている。またどの訴訟も障害を持つ人自身による訴訟であり、これが社会保障を前進させてきた」と運動を歴史的にとらえていくことの大切さなどを話されました。
 シンポジウムでは「堀木訴訟というのは私の弁護士活動の原点ででもあり、育てていただいた大きな学校であった」という藤原精吾氏(元日弁連人権擁護委員長)をコーディネーターに障害者団体代表や研究者が発言しました。
 吉本哲夫氏(障全協会長)は「日本の障害者運動は新憲法制定の1年後、盲聾学校を中心に始められた。」「お願いを通して問題解決を計る運動から、いま多くの障害者団体が『応益負担』反対で立ち上がっている。」と、運動の歴史を紹介しつつ、「堀木訴訟こそが、障害者の生活と権利を守ることを具体的な形で全国に呼びかけた初めての運動であり、障害者運動で堀木訴訟が果たした役割が非常に大きかった」と結ばれました。
 原静子氏(無年金障害者の会代表幹事)は、「堀木訴訟との出会いで運動に立ち上がることができた。」「現行の年金制度が無年金者を生んでいる。無年金障害者の実態把握を進めて、社会に広く知らせていきたい。」と力強く決意表明されました。
 市橋博氏(障都連事務局長)は、「国連での障害者権利条約の制定と日本政府に条約批准させることが、わが国の障害者施策の大きな前進につながる。」と指摘されました。
 飯田ますみ氏(兵視会役員)は、「堀木さんと出会い、裁判で証言したことで声を出すことの大切さを知った。」「堀木さんのお陰で児童扶養手当を受給でき、全盲夫婦で4人の子供を育て、2人の孫ができた。」と自らの権利を実現してきた経験を話されました。
 鈴木勉氏(佛教大学教授)は「その人その人に合わせた福祉制度の必要性を堀木訴訟から学んだ。」と述べました。
 第2部のレセプションは、会場を近くの県民会館に移して60名余の参加者で開かれました。飲食をともにしながら堀木訴訟との出会いや支援運動の思い出を語り合い、これからもそれぞれの立場から社会保障運動を前進させるために頑張ろうと誓い合いました。


※「堀木訴訟」とは、神戸市で夫と離別して障害福祉年金を受けながら2人の子どもを養育していた全盲の堀木フミ子さんが、兵庫県に児童扶養手当の給付を申請したところ、他の公的年金との併給を禁止する児童扶養手当法の規定を理由に却下された。堀木さんは、処分を不服とし「併給禁止規定は憲法違反」と、1970年7月17日、神戸地裁に提訴した。72年9月20日、神戸地裁は「父親が障害福祉年金をもらっている場合には児童扶養手当の併給が認められ、母親の場合に支給しないのは性別による差別。また、障害者でない母親と区別するの差別で、児童扶養手当法の規定は14条に違反する」と、原告の主張を全面的に認め、堀木さんが勝訴した。しかし、大阪高裁で75年「25条は宣言規定で、国民に直接、具体的権利を与えたものではなく、児童扶養手当などの施策は基本的に立法府の裁量」、82年最高裁は、従来の判例を踏襲、併給禁止も「立法裁量の範囲内」とするプログラム規定で堀木さんの上告を棄却、全面敗訴した。
 しかし、二審、三審で負けはしたが、兵庫県が「児童養育見舞金支給要綱」を制定、国に児童扶養手当法を改正して、障害福祉年金と老齢福祉年金は児童扶養手当を併給と法を改正させ、実質的に堀木さんの訴えを認めさせた。また公判で口頭による弁論の採用、録音機の使用、盲導犬や車椅子の入廷、手話通訳の許可など、障害者が裁判を受ける権利を具体的に保障させ、訴訟運動は障害者運動を励まし、障害者の人権を法的にとらえるのに大きな役割を果たした。

老齢加算削減取消訴訟(生存権裁判)の勝利めざして      全京都生活と健康を守る会連合会
     事務局長 高橋瞬作
 京都御苑の新緑に陽光が撥ね、眩い照り返しが通りを隔てた京都地裁を包んでいた。2005年4月27日、提訴の日の松島松太郎さん(原告・79才)は、京都地裁玄関前で、テレビカメラや新聞記者、大勢の支援者に囲まれて気持ちを高揚させていた。しかし、いざ提訴となると、事務所のカウンターに訴状を置き、数秒のチェックの後、受付印をもらい、あっけなく終了。地裁ロビーで新聞記者に囲まれた松島さんの顔に、安堵といつもの人なつっこい笑顔が戻っていた。
 その晩開かれた「提訴集会」は、松島松太郎さんの決意表明に始まり、佛教大学の金澤誠一教授の「老齢加算訴訟の意義とナショナルミニマム」と題した講演、弁護団から訴状の説明、会場からは、この裁判への共感、そして原告への激励発言が続いた。
 その場で、裁判を支援する運動が提案され、「生存権裁判を支える会」が立ち上がった。直接には、生活保護の老齢加算削減の取消を求める訴訟であるか、生活保護基準の持つ社会的意義、すなわち国民生活全体の「底支え」として、最低賃金や年金受給額、所得税の課税最低限に連なる要となる役割を考えれば、「生存権裁判」との呼称は、人間生活の豊かなふくらみを連想させる適切なものであろう。
 今年3月、厚生労働省内の「最低賃金に関する研究会」が、現行の最低賃金制を変更するに当たって「現状では、最低賃金による月収が生活保護以下のケースもある。下限として生活保護を下回らないこと」との方針を示し、来年度に法改正をめざすそうである。政府税制調査会の石会長は「生活保護費に所得税を課す」と語り、井戸兵庫県知事は「生活保護世帯からも医療費を取る」と発言している。
 良くも悪しくも、生活保護及びその基準が引き合いに出され、俎上に乗り、やり玉に挙げられている。いいことではないか。生活保護が憲法第25条とがっちりタッグを組んで、国民生活の最低保障で踏ん張っている姿が、多くの人の目に明らかになってきたからである。
 税金が重くなり、社会保障の各種負担が重くなり、賃金は下がり、年金給付が下がる。雇用はますます不安定になる。国民生活全般が重く急激に沈み込んでいるとき、はたして最低限度の「底」は、いったいあるのだろうか、「底なし沼」ではないのか、そんな不安の中に多くの人が居る。
 その結果、生活保護とその果たす役割に多くの人の目が向く、暮らしを取り巻く厳しい情勢からすれば、それは当然の流れなのかもしれない。「この裁判で『健康で文化的な最低限度の生活とは何か』を問いたい」とする松島松太郎さんの思いは、国民注視の、その焦点に位置することになる。この「生存権裁判」が、「21世紀の朝日訴訟」と意義付けられるべき所以である。「生存権裁判を支える会」に寄り集う人々も、したがって、福祉、年金、医療、賃金、教育、営業と、すべての生活部面に関わる人たちである。

 提訴に前後して、松島松太郎さんは、あらゆる機会、人の集まりに顔を出し、自身の思いを語り、裁判支援を訴え、その人柄を人々の胸に浸透させてきた。そして、7月1日、ともに闘う2人目の原告・三島義温さん(76才)を得て、「1人では心細いもんなア〜」と喜ぶ。
 地元、山科生活と健康を守る会が「松太郎さんを励ますつどい」を開いた。68人が参加して、生存権裁判のテーマソング「いのちのうた」も披露された。地元の女性たちでつくる「松太郎ファンクラブ」から贈り物もあった。「人前に出ることが多くなったから」と、素敵なシャツだったそうな。
 「提訴後、若返って元気になった」と評される松太郎さん、「支える会」も本格始動。7月13日(水)の第1回公判(午前10時)にむけて宣伝と申し入れ活動を展開している。そして、むかえる「生存権裁判の勝利めざす『決起集会』」である。7月25日(月)午後6時30分から、京都市中京区のラボール京都(四条御前西入る)に、あの朝日健二さんを迎え、「朝日訴訟から半世紀・生存権裁判への期待・思い」をたっぷり語ってもらう。

 社会保障の「総改悪」、国民生活の根底からの破壊、これに抗する国民の側の結集軸が、いま京都をキーワードに形成されつつある。京都社会保障推進協議会が「ナショナルミニマム検討会」を立ち上げ、理念を具体的な運動にしてゆく作業を始めた。京都総評のなかに「最低生計費調査委プロジェクトチーム」がつくられ、全国一律最低賃金制を具体的にめざす動きが作られている。そして、この京都の生存権裁判である。秋田、広島、新潟、北九州と続く動きがある。
 憲法の花開く・誰もが人間らしく生きられる時代、そして永遠の平和の創設、いま京都から貴重な一歩が踏み出された。2005年7月25日、歴史の現場に立ち会おうではないか。

生活保護の審査請求で勝利裁決した事例から〜これからの生活保護の運動を〜 
 北海道生活と健康を守る会連合会
             細川

 今年の3月に生活保護の行政決定を不服として北海道知事に対して提出していた二件の審査請求が勝利裁決しました。
そのうちの1件について、報告します。
(1)事件の概要
 札幌市中央区のMさん(34才)。9才・6才の子どもとの3人暮らしの母子家庭。2000年6月16日離婚、同日から生活保護受給。本人は、保険外交員の仕事をするも、解雇。その後、ホステスとして勤務。週2回、金曜日と土曜日の深夜勤務(20時〜翌朝4時)で、月10万円〜12万円の収入。残余を生活保護受給。
 本人は、中央区から度々、「稼働日数を増やし、増収して自立するよう」に指導指示されていました。その都度、「喘息の持病により、時々倒れることもある。また、子どもとの時間を作りたい」と弁明していました。2003年9月4日、「能力を十分に発揮していないと判断されるので、10月末日までに増収を実現し、保護からの自立するように指示します。」旨の指導指示書が出され、10月24日に弁明の機会の付与を経て、11月1日廃止となりました。
(2)裁決の内容
 裁決の内容は次の通りです。
 @ 法第27条第1項による指示は、生活の維持・向上その他保護の目的達成に必要なものに限定されるので、本件のように、期限を設けて、保護からの自立を直接指示することはできない。よって本件指示は不適当。
 A 仮に、本件指示が単に稼働能力の活用を求めたものと善解したとしても、請求人が努力した場合でも、必ずしも達成できるとは限らないものなので、直ちに当該指示に違反したと判断できない。
 B よって、当該指示は、正当なものと認められないので、原処分は違法な処分であり、取り消す。
 C 尚、念のためとして法の解釈を再度整理しています。
  1 保護の廃止は、重大な処分なので、違反行為に至る経緯や違反行為の内容などを総合的に考慮して慎重な判断が求められる。
  2 本件の場合、指示からその期限までには、2ヵ月の期間しかない。就労先の確保、子どもの保育先の確保等、本人の努力だけでは達成できないことがある。
  3 本人は、稼働能力の活用に真摯に取り組んだ様子がうかがえないが、一定程度の就労を持続していたので、稼働能力の活用が全く不十分とは認められない。
(3)意義
 最近、保護受給者の増加に伴って、稼働能力の不活用と判断されて、本件のように、法第27条を使って、「○月○日までに増収すること」「○月○日までに自立すること」等の指導指示が行われ、法第62条第3項によって、停止・廃止される事例が増加しています。本件裁決は、それに対して明確な判断を下したものといえます。法第27条第1項の拡大解釈を退けた点で重要です。