ハマちゃんの
ダンテ「神曲」を読む!

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地獄
第一曲

1265年生まれの私は、1300年4月7日の夕刻、気づくとまっすぐな道を見失い、暗い罪深い森のなかに迷い込んでいました。その森の、荒涼として、殺伐としたことといったらないのです。思い出すだけで、その時の恐ろしさが戻ってくるようです。本当にひどい所だった! 死にも劣らない。しかし、そこで起こったすばらしいこと、つまり、ウェルギリウスと出会ったことを語るためには、そこで起こったいろいろなことをお話ししなければなりません。どのようにしてそこに迷い込んだかは、本当に分からないのです。真実の道からはずれて迷い込んでしまったその時、私はとても眠たかったのでした、つまり、罪に満ちていたのです。しかし、谷の中の森の際の丘のふもとに来た時、私は胸がつぶれるほど恐かったのですが、人を正しい道に導いてくれる光が丘の上を包んでいるのを見ました。その夜、私は深く絶望していたわけですが、その恐れが落ち着いてきたのでした。私は、生きて通り抜けられたことのないその道を、逃げながら振り返りました。ちょうど、難破して波に巻かれながら、息を切らして泳いでいる人が、やっとの思いで安全な岸にたどり着き、振り返って、恐ろしい波を見るように。少しの間、疲れた体を休め、そして荒涼とした坂道を、低い方の足を踏みしめながら上り始めました。その坂道が急になる辺りに、まだらの毛皮の身軽で敏速そうな一匹のヒョウ(肉欲の象徴)が現れたのです。目の前に立ちはだかっているものだから、私は何度も引き返そうとしました。その時は、4月8日のまだ朝の早い時で、神の愛が美しい星々をめぐらし始めたのと同じその星とともに太陽が昇ってきました。私は、このかぐわしい時に力づけられて、ハデなまだらのヒョウをかわすことができるかもしれない、と思ったのですが、その時、ライオン(慢心の象徴)が姿を現し、私はさっきの希望はどこへやら、また、恐くなってしまいました。ライオンは頭を高くもたげて、お腹をすかせて私の方に近づいてきたので、恐ろしさのあまり周りの空気さえ震えるようでした。そして、今度は、メスオオカミ(強欲の象徴)が現れたのです。貪欲そうな痩せた体をしていて、これまで何人の旅人が餌食になったか知れないぐらいです。私の心は重く沈み、丘を高く登ろうとした希望は恐ろしさのあまり消え去ってしまいました。その容赦ないメスオオカミは、私に一足一足近づいてきて、私は太陽の光の来ない森の方へ戻らざるをえませんでした。ちょうど、お金儲けが大好きな人が急に一文無しになってしまって、その落ちぶれ方を嘆くようです。低い方へと下っていくと、口をきかないので声がかれてしまったかと思われる人の姿が現れたのです。その荒れ野でその人を見た時、私は「私をあわれんでください、どこのどなたでも、人でも影でもかまいませんから!」と叫びました。するとその人は、次のように言いました。「昔は生きた人間でしたが、今は違います。私の両親は北イタリアのロンバルディアの東南にあるマントヴァの生まれです。ユリウス・カエサル(前100−前44)に30年遅れて、紀元前70年に生まれました。偽りの神々がひしめく時勢に、ローマ帝政初代の皇帝であるアウグストゥス・オクタウィアヌス(前63−後14)が治めていたローマに住んでいました。誇り高いトロイアが焼け落ちた後、トロイアから逃れてきたアエネアス(トロイアの名将アンキーゼと、アプロディス女神との間に生まれた)のことを詩に書きました。それにしても、君は、なんでこんな悲惨な場所に後ずさりするのですか? なんであの煉獄の山のいただきに登らないのですか、そこにはすべての喜びの源があるというのに?」私は、謙遜して頭を垂れて、その人に言いました。「それでは、あなたは豊かな言葉の泉のようなウェルギリウス先生ですね? ああ、先生は、すべての詩人の誉れであり、光です。先生の詩を愛し、勉強することを喜びとしてきました! あなたこそ私の先生です。あのすばらしい高貴な文体から学んだのです。私が後ずさりしてしまった、あのメスオオカミを見てください。有名な賢人である先生、あのメスオオカミから私を助けてください。ドキドキするほど恐いのです。」先生は、私が涙を浮かべているのを見て、お答えになった。「でも、この荒れ野から逃れるためには、他の道を通らないといけません。君が恐ろしさのあまり泣き叫んでいるこのメスオオカミは、誰にもこの道を通らせず、行く手を阻み、殺してしまいます。このメスオオカミは、邪悪で凶暴で、その貪欲さは満たされることはなく、食べても食べてもお腹を空かせているのです。猟犬(将来世に出て、物質上及び精神上、救いとなるべき偉大な人物。皇帝や、法王)がやってきてこのメスオオカミを苦痛の内に死に至らせる時まで、このメスオオカミとつがう生き物は多いのです。その猟犬は土もお金も食べることはなく、知性、愛、武勇によって生きているのです。猟犬は、フェルトロ(共にフェルト帽をかぶっている双子座のディオスクロイを指すという占星術的な解釈が有力)とフェルトロという場所の間に生まれました。『アエネイス』に登場する処女カミーラ、ツルヌス、ニスス、エウリアルスが戦い命を捧げた、低く横たわるイタリアの平野を救うのは、その猟犬なのです。地獄の王ルチフェルが、悪魔や人類の幸福をねたむあまり、災いの獣である強欲なメスオオカミを地獄から飛び出させたのですが、猟犬はそのメスオオカミをまたその地獄に追いやるまでくまなく探しまわるのです。さて、そういうことなら、私についてくるのがいいでしょう。君を地獄に案内しましょう。地獄では、絶望して叫んでいる声が聞こえ、苦しめられている亡霊を見て、もう魂が肉体を離れているのに、その魂を無にしてしまいたいと叫んでいる声が聞こえるでしょう。地獄を過ぎれば、煉獄です。そこでは火の中にあっても、望みがあればかなえらえるので、至福の民とともにいられるので大喜びしている人を見るでしょう。もし君が天国に行きたいと願うなら、私よりふさわしいベアトリーチェの魂に君を託して、君と別れましょう。なぜなら、高い所にいられる帝は、掟を破った私を天国に入れてくれませんから。帝が治めているところこそ、とても高い所にあり、そこに住むのは、なんて幸せなことでしょう!」そして、私は先生に言いました。「先生、お願いです、先生は紀元前にお生まれになったからご存じでない、その神の名にかけて、お願いですから、この現世の苦しみと、後世の苦しみから助けてください。そして、おっしゃった場所に連れて行ってください。聖ペテロの煉獄の門(マタイによる福音書16の19参照)と、先生が私に話してくださった苦悶する人びとを、私に見せてください。」すると、ウェルギリウスは歩き出し、私はついていったのでした。(2005年6月2日)(2005年10月17日更新)

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第二曲
日は暮れていき(4月8日)、暗くなっていくので、地上の生き物たちは体を休め始めました。私はつらい旅とつらい光景との戦いに向かう支度をしました。私はその一部始終を正確に記憶しましょう。ああ、ムーサイ、人の知的活動を司る女神よ! ああ、高い所にいられる霊! 私を助けてください! 私が見たことを記憶する言葉を私にお与えください! そこで私が言いました。「ああ、私を導いてくださる詩人である先生、この険しい道に進む前に、私の力が足りるかどうか、よく考えてください。アエネアスとラウィニアとの間にできたシルヴィウスの父(つまりアエネアス)は、生きたままの姿で、冥界を旅し、すべてを見聞きして帰ってこられたと、先生は書いていられます。しかし、アエネアスから、ローマの建国者やその事業が生まれ出たと考え、神が、味方してくれたとしたら、物わかりのいい人達は、なるほどと思うでしょう。なぜなら、天国の中でも最も高い第十天において、アエネアスは、すばらしいローマの、そしてそのローマが建てた帝国の父とされたのですから。そして、ローマも、またその帝国も、聖地となり、キリスト十二弟子の一人であるペテロの後継ぎである法王がおいでなのです。そして、アエネアスとローマ法王の勝利をもたらした諸々のことを、アエネアスは自分の地獄巡りから学んだと、先生は詩に書かれました。そして後に、使徒パウロが地獄におり、救いの道の入り口である信仰を確かめ、登って戻ってきたこともあります。でも、なぜ私がそこに行くことができましょう? 誰が許したのでしょう? 私はアエネアスでもなければ、使徒パウロでもありません。私自身だけでなく、他の人もみんな、私が相応しいとは思っていません。ですから、もし私が旅するのなら、その旅こそが愚の骨頂となるでしょう、、、。先生は賢くていらっしゃるから、私の言葉の足りない所を分かってください。」しようと思ったことをしないで、考えを変えて、目的を変えて、始めようと思ったことを全部やめてしまう人がいます。まさに私もそれと同じで、暗い山裾に立ち、初めはやろうと思ったのを考え直してやめてしまったのです。寛大な魂である先生がおっしゃいました。「君の言うことを誤解していないとすると、君は臆病になってしまったのでしょう。臆病になってしまうと、何もできなくなってしまって、名誉なことすらできなくなってしまうものですよ。ちょうど、自分の陰から逃げようとする獣と同じです。君が恐れから立ち直るように、私がなぜここに来たかをお話ししましょう。ある言葉を聞いた時に、初めて君のことをかわいそうに思ったのですが、その言葉をお話ししましょう。私が仲間と辺獄(地獄の第一圏、リンボ)にいた時、ベアトリーチェが私を呼びました。ベアトリーチェは本当に清らかで美しくて、どんな言いつけにも従わずにはいられないほどでしたよ。ベアトリーチェは、どんな星よりもキラキラした眼で私を見つめ、天使のような声で優しく話し始めました。”ああ、誉れ高く礼儀正しいマントヴァ生まれの魂、ウェルギリウスよ、あなたのすばらしさは永遠です。幸運からは見放されてしまった私のお友達のダンテが、荒涼とした山裾で道に迷っているのです。行く手を阻まれて、恐ろしさのあまり後ずさりしているのです。私が天国で聞いた所によると、ダンテは道に迷ってしまったあまり、私が助けてあげるのは、もう手遅れのようなのです。どうか行ってください。そして、あなたのすばらしい言葉で、また、ダンテを救う手だてを尽くして、ダンテを助けて私を安心させてください。あなたをダンテのところに行ってもらうようにお願いしている私はベアトリーチェです。帰りたいと願う所、つまり天国からやってきました。聖母マリアの愛によって私の心は動かされ、このようにお願いしているのです。天国に戻ったら、主の前であなたのことを褒める歌を歌いましょう。”ベアトリーチェは口を閉ざしました。そこで私がこう言いました。”ああ、すばらしい淑女よ、人類は、あなたが一人いるというだけで、一番小さな圏を持つ月天(宇宙の中心である不動の地球に月は最も近いので、月天が、最も小さい運行圏を持つとされていた)にあるすべてのものにまさるのです。あなたのお願いは、受けとめましたよ。もうそのお願いを行動に移していたとしても、遅すぎると思うぐらいです。あなたのお願いをこれ以上私におっしゃる必要はありませんよ。でも、帰りたいと思っているエンピレオから、どうしてこの地獄に降りていらしたのか、教えてください。”それに答えて、ベアトリーチェは言いました。”ここに来るのがどうして恐くなかったか、手短にお話ししましょう。本当に恐ろしいのは、危害を加えるだけの力を持っているものだけです。それ以外は恐ろしくはありません。神が、あなた達の苦痛が、私には及ばないようにしてくださったのです。辺獄に燃える炎も私を襲いはしません。聖母マリアがダンテに起こったことを憐れんでくださり、天国の厳しいおきてを曲げてくださいました。聖母マリアは、ディオクレディアヌスの迫害にあって四世紀初頭にシラクサで殉教した聖女ルチーアを呼び、次のようにおっしゃいました。’あなたの助けを必要としている者がいますよ。そのダンテのことをよろしくお願いしますよ。’残酷なことを敵とするルチーアは、ヤコブの妻ラケル(創世記29の10以下参照。黙想の象徴)とともに座っていた私のところに現れました。そしてルチーアは私に言いました。’神の誉れであるベアトリーチェよ、あなたを愛するあまり世俗を離れた精神的な愛にいたったダンテをなぜ助けないのですか? ダンテが悲しくむせび泣く声が聞こえませんか? 海よりも恐ろしいような河岸にダンテを襲いかかる死が見えないのですか?’自分の利益を増やすことには素早いこの世の人でも、このような言葉を聞くなり神聖なる所から離れここに下ってきた私の素早さには、及ばないでしょう。あなたにだけなく、あなたのお言葉を聞いた人にも敬意を抱かせるような、誉れ高きあなたの高貴なお言葉におまかせします!”ベアトリーチェはこのように話し終わると、眼に輝く涙をためながら私から離れていきました。そうして、ベアトリーチェの願い通りに私は急いで来て、美しい山への近道を獣が道をふさいだメスオオカミから君を守ったのですよ。それなのに、どうしたのです? なぜ君はためらうのですか? なんでそんなに臆病なんですか? なんで君は大胆で自由にならないのですか? 聖母マリア、ルチーア、ベアトリーチェの、三人のすばらしい淑女が天国の前で君を見守ってくれていて、また、私の言葉で、このようにも君を慰めると約束したのに。」意気消沈した私の力も、私の中で力を取り戻しました。それはちょうど、夜、寒くて、しぼんでうなだれる小さな花が、太陽の光が当たると、起きあがり花びらが開くようです。勇気に充ち満ちてきた私は、恐れることをやめたかのように話し始めました。「ああ、私を助けてくれた憐れ深いベアトリーチェよ! そして、ベアトリーチェがたくした言葉に急いで従ってくださった先生。先生のお言葉で私の心は動かされました。初めの目的を突き進みたいと思います。行きましょう。私と先生とで二人ですが、意志は一つです。先生、私を導いてください。」私が先生にこのように言うと、先生は歩みを始められました。私は深く荒涼とした道に入っていきました。(2005年6月3日)(2005年8月12日更新)

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第三曲
地獄への通り道、永遠の悲しみへの通り道、見捨てられた人びとへの通り道。正義こそが創造主を動かし、父と子と聖霊を作られた。永遠だけが作られた。ここを通る者は、すべての希望をお捨てなさい。私は、地獄の門の上にくすんだ色でこのように書かれた言葉を見ました。私は、「先生、この言葉は恐ろしいです。」と言いました。先生は、いろいろな物事をご存じなので、お答えになりました。「君はここで今、疑うのをやめなければなりませんよ。臆病になってはいけませんよ。神を見ることができず苦しんでいる人たちを見ることになります、と言ってあったでしょう。私たちはそこに来たのです。」先生は私の手を取り、微笑んでくださったので、私は安心して、先生について行きました。ため息や泣き声や叫び声が星のない地獄の空にこだまして、私は泣いてしまいました。わからない言葉が飛び交い、怒りに叫び、苦しみに泣き叫び、うめく声が聞こえるのです。その中に、自分を叩くだけでなく仲間同士互いに叩き合う手が、真っ暗な空をはためくのが見え、つむじ風で渦巻く砂のようです。恐怖のまっただ中で私は言いました。「先生、聞こえてくるのは何ですか? 悲しみに打ちのめされているこの人たちは誰ですか?」先生はおっしゃいました。「この悲惨な魂は、良いことを行う勇気もなく、悪いことを行う度胸もなく、卑怯で、意味もなく生きてきた魂です。神に従うこともなく、逆らうこともなく、ボーッとしていた天使達も混じっています。天国は美しさを保つために、そのような天使を受け入れないし、地獄も、そういう天使が地獄の民に対しておごり高ぶると困るので受け入れないのですよ。」そして、私が言いました。「先生、あんなにひどく嘆き悲しむその苦しみはなんなのですか?」先生はお答えになりました。「手短に話しましょう。この人たちは、死のうと思っても死ねないのです。中途半端に生きていると、中途半端にしか死ねないのです。死の望みを絶たれたので、自分の現状を憎むあまり、他の人たちのことをうらやむのです。そのような人たちがいたという印を残すことは許されません。天国の慈悲も、天国の正義も、あのような人たちをさげすみます。あの人達と口をきくのはやめて、ただ見て通り過ぎましょう。」そういうわけで、私は見ていたのですが、そうすると、休むことなく意味もなくすごい速さで疾走する旗のようなものが見えました。その旗の後ろには、信じられないぐらい多くの、死にあやめられた人びとの長い長い列が続いていましました。その中には、私が知っている人もいました。その一人が、ケレスティヌス五世(在位1294年七月五日-十二月十三日。退位した教皇は歴史上ただ一人)でした。責任の重い教皇の地位を、意志の弱さから、ボニファティウス八世に譲ってしまった人です。その時、これは神にも神の敵にも憎まれた、邪悪な人たちだと、私は気づきました。一生を空しくおくったこの不幸な人たちは、裸で、辺りを飛び交うアブや蜂に刺されていて、そのために顔からは血がしたたり落ち、血は涙と一緒になって足元に落ちるのです。そして、気持ちの悪いウジ虫が膿に群がるのです。遠くを見ると、広い川の岸に人の群れが見えたので、私は先生に訊ねました。「先生、教えてください。あの人達は誰ですか? 見たところ、あの人達は早く川を渡りたがっていますが、何かおきてがあるのですか?」先生はおっしゃった。「冥界を流れる川であるアケロンテの痛ましい川岸に行ってみればわかりますよ。」私は先生に軽率な口をきいてしまったのではないかと恥じて、下を向き、川にいたるまで、何もしゃべりませんでした。すると突然、白髪頭を振り乱した老人がボートに乗ってやってきました。アケロンテ川の渡し守のカロンでした。カロンは「邪道に陥った魂ども! 天国を見ようなんていう気を起こすなよ! 向こう岸まで連れて行くぞ! 永遠に真っ暗な中、氷の中、火の中へ行くのだ! そこの生きている魂よ、ダンテ、この死んだ人たちの方から離れろ!」ところが私が離れなかったので、カロンは言いました。「行く道も違うし、船も違う。もっと軽い、天使が煉獄に連れて行ってくれる船に乗るのだ。」すると先生がおっしゃいました。「カロン、怒ってはいけませんよ。決意が必ず実行される所である天国で、このように決められたのです。これ以上は聞かないでください。」すると、鉛色の沼地の舵手の、火がぐるぐる燃えさかっているような眼をしたヒゲモジャの頬の動きは静まりました。しかし、絶望した裸の魂達は、その言葉を聞くと、顔色を変えて歯をガチガチ言わせました。その魂達は、神、両親、人類、生まれた時、生まれた場所、先祖、先祖の生まれた日をののしりました。彼らはひどく泣き叫び、神を恐れない者たちが待たれる呪われた岸に集まりました。炭火のような眼をしたカロンは、彼らを呼び集めて、のろまな者をオールで叩きました。秋に木の葉が一枚一枚地面に落ちて、枝が裸になるように、アダムの邪悪な末裔は呼び声に応じて岸からボートへ飛び移りました。それはちょうど、偽の餌に誘われた鷹のようです。暗い川を渡り、向こう岸に着く前に、こちら岸にはもう新たな群れが集まるのです。優しい先生は私におっしゃりました。「我が子、ダンテ、天罰で死ぬ者は地球上のあらゆるところからここに集まってくるのですよ。そして、急いで川を渡りたがるのですが、彼らを駆り立てるのは、恐れを望みに変える神の正義なのです。良い魂はここを決して通りません。ですから、カロンが君を見てぶつくさ言ったのが、どういうわけだか分かったでしょう。」先生は話を終えられました。その時、気味の悪い広野に地震が起こりました。その恐ろしさといったら今思い出すだけでも冷や汗がでるぐらいです。涙の大地から風が起こり、真っ赤な光が激しく光り、私は失神してしまいました。私は眠くなってしまった人のように、倒れました。(2005年6月4日)(2006年2月10日更新)

にくちゃんメモ:わかりにくいかも知れないので書いておきます。地獄の門を通って、カロンのいるアケロンテの川までは、地獄の玄関であって、第四曲から第一圏に入っていきます。(2005年6月10日)
良いことも悪いこともしなかった、中途半端な人生を送ってきた魂は、死ねないので、ずっと地獄の門の所にいます。死んで、地獄に行くと決まった者は、カロンによってアケロンテの川を渡ることになります。(2005年7月16日更新)

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第四曲
深い眠りに落ちていた私は、雷の音に起きました。眠っていたところを揺さぶられて起きたようでした。自分がどこにいるのか分からなかったので、立ちあがって、辺りをキョロキョロ見回しました。私は、叫び声が果てしなく続く、地獄の縁にいることが分かりました。そこは暗く、深く、かすんでいて、下の方を見ようとしても、どうなっているのか分かりませんでした。顔色が青ざめている先生がおっしゃいました。「物質的な光も、精神的な光もない、この地獄の世界を下りていきましょう。私が先に行きますから、君はついていらっしゃい。」私は、先生の顔色が悪いのに気づいて、訊ねました。「ためらう私を励ましてくださった先生が恐れているのなら、どうして私がついて行けるでしょう?」すると先生はおっしゃいました。「私の顔色が悪いのを、君は私が恐れているからだと思ったみたいですね、でもそれは、この下にいる人たちの悲しみを思って顔色が悪くなったのですよ。さあ行きましょう。道は長いですよ。」そして、先生は私を導いて地獄の第一圏に入って行かれました。地獄は、漏斗のような形をしていて、最上部の第一圏から第九圏へと幅を狭めながら降下しています。そこで聞こえてくるのは、泣き叫ぶ声ではなく、ため息ばかりでした。それは、たくさんの老若男女を問わないいろいろな人が、罪悪感を覚えずに悲しんでいるため息でした。そこで先生はおっしゃいました。「君の周りにたくさん見える魂が、どんな魂なのか、訊ねないのですか? 先に進む前に、君に知っておいてほしいのは、これらの魂は、罪を犯していないということなのです。これらの魂は、良い魂なのですが、それだけではダメなのです。洗礼を受けていないのですよ。キリストがお生まれになる前に生まれてきて、その教えを知らないのはしょうがないとしても、神を正しく礼拝しなかったのです。私もこの中の一人なのですよ。他に罪はないのですが、このためだけに、私たちは救われなかったのです。希望をたたれ、ただ、願っていることしかできないので、つらいのですよ。」先生のお話は、私の心に重く響きました。これらの魂は、この辺獄(リンボ)に永遠にいないといけないなんて! 私は、キリスト教を信仰することによって救われる、ということを確かめたい一心で、先生に言いました。「先生、どうか私に教えてください。自分で努力したり、キリストの助けがあったりして、ここを出て、祝福を受けた人はいないのですか?」先生は、私の問いの裏の意味をくみ取られて、お答えになりました。「私は紀元前19年に死んでここへ来たのですが、少ししかしないうちに、光り輝く十字架に照らされたキリストが下りていらっしゃるのを見ましたよ(キリストは十字架で死んで、その後、地獄を征服したという中世の伝説による)。キリストは、アダムと、その息子のアベル、ノア、そして忠実な立法者であるモーゼを、私たちの間から連れ去りました。イスラエル民族の祖先であるアブラハム、紀元前十世紀のイスラエル第二代の王であるダビデ、アブラハムの子イサク、イサクの子ヤコブ、ヤコブの子供たち、ヤコブの妻ラケル、またその他多くの魂を連れ去り、祝福を与えられました。君に知っておいてほしいのですが、それらの魂が連れ去られる前に、救われた魂はないのですよ。」先生がお話の間も、私たちは旅を続けていました。たくさんの魂でひしめく森の中でした。私が目を覚ました所からそんなに進んでいなかったのですが、理性の光が見えました。そこから少し離れていたのですが、その光の中にある尊い魂が見えました。「ああ、あらゆる学芸に秀でていらっしゃる先生、他の魂とは違う、誉れ高いあの魂は誰なのですか?」すると先生はおっしゃいました。「その誉れ高い名前は、君の住む地上の世界でも有名ですが、ここでも、天国のお計らいで知れ渡っているのですよ。」その時、ホメロス(前750−前700頃。ギリシア叙事詩人。『イリアス』と『オデュッセイア』の作者)の声が聞こえたのです。「すばらしい詩人ウェルギリウスを褒め称えましょう。立ち去っていた魂が、今、ここに帰ってきたのです。」声が止むと、辺りは静かになり、私は四つの偉大な魂が私たちの方に近づいてくるのが見えました。その四人の顔は、喜んでいるわけでも、悲しんでいるわけでもありませんでした。すると、先生が説明をしてくださいました。「手に刀を持ち(戦闘を主に歌ったから)、他の三人の先生であるかのように先頭を歩んでいる人を見てご覧なさい。詩の王者、ホメロスですよ。二番目に来るのは、風刺がうまいローマ詩人ホラティウス(前65−前8)、三番目がローマ詩人オウィディウス(前43−後17頃。代表作『変身譜』)、最後に来るのがローマの叙事詩人ルカヌス(39−65。カエサルとポンペイウスとの戦いを書いた『ファルサリア』の作者)ですよ。彼らは私を尊敬してくれるのですよ。彼らの気高い心が分かりますね。」私は、ホメロスのようにすばらしい三人の詩聖が集まっているのを見ました。そして、彼らは話をしを終えると、私の方に向かって会釈しました。それを見て、ウェルギリウス先生は微笑まれました。そして、四人の詩聖とウェルギリウス先生は、すばらしいことに、私を六番目の仲間に入れてくれたのでした。私たちは、先ほどは話すのに相応しかったけれど、今は黙っていた方がいいこと(?)を話しながら、理性の光に向かって歩いていきました。私たちは、七重(四つの徳、つまり思慮、公義、剛気、節制と、三つの知、つまり聡明、知識、知恵)に高い堀をめぐらし、美しい流れに周りを守られた、立派な城のふもとに来ました。私たちは、その流れを固い地面を歩くかのように渡り、七つの門(三文、つまり文法、修辞、論理と、四数、つまり音楽、算術、幾何、天文)をくぐり、きれいな草原に着きました。そこでは皆、眼を動かすのもゆっくりと静かで、見るからに威厳に満ちていて、ほとんど話をせず、静かでした。そして、私たちは片隅に進み、明るくて前よりも高い所に出て、そこにいる人たちを見ました。私たちのすぐ前には、光るような芝生があり、そこに偉大な魂達を見ることができました。その人達を見た時、私の心は光に満ちたようでした。他の仲間と一緒にいるエレクトラが見えました。ギリシア神話の人物で、アトラスの娘であり、トロイアの創立者ダルダノスを産んだ人です。トロイア王プリアモスの子供で武勇の誉れ高いヘクトル、アエネアス(地獄第一曲参照)も見えました。鷹のような眼をして、武具を体中につけた、ローマ最大の政治家であり武人ユリウス・カエサルも見えました。次に見たのは、カミーラ(第一曲参照)、アレースの娘で女軍アマゾン族の女王のパンタシレア(ヘクトルの死後、トロイア救援に赴き、アキレウスに殺される)、ラティウムの王ラティーノの娘で、母はアマタ、アエネアスと結婚してシエウィウスを産んだラヴィーナの隣にいる王ラティーノでした。ローマ最後の王ルキウス・タルクィニウス(在位前534−前510)を放逐したローマの王政を廃止、共和制を創始したルキウス・ユニウス・ブルートゥスや、ブルートゥスとともにローマ共和国の民政官となったタルクィニウス・コラティヌスの妻ルクレティア(美貌と貞淑の誉れ高かったがタルクィニウス王の子セクストゥスに陵辱され、自殺した)や、ユリウス・カエサルの娘で、紀元前59年にポンペイユスと政略結婚させられたユーリアや、ローマの政治家小カトーの妻のマルキアや、スキピオ・アフリカヌスの娘で、ティベリウス・セムプロニウス・グラックスの妻であるコルニーリア(老後我が子の悲運に雄々しく耐え、賢母の誉れ高かった)を見ました。アラビアにアイユーブ朝を樹立したサラーフ・アッ・ディーン(1138−93。アレクサンドロス大王とともに、寛仁大度は中世の語りぐさだった)が一人離れているのも見ました。少し目を上げると、アリストテレス(前384−前322。ギリシアの哲学者)が哲人達の中央の席にいるのに、私は気づきました。すべての人が彼を仰ぎ敬っていました。多くの人たちの誰より彼に近く立つ、ソクラテス(前470−前399。ギリシアの哲学者)とプラトン(前427−前347。ギリシアの哲学者)を見ました。世界の存在を偶然に帰する、原子論を確立したギリシアの哲学者デモクリトス(前460−前380)や、キュニコス派のギリシア哲学者、ディオゲネス(前400頃ー前325)や、ペリクレスの友人でギリシア哲学者アナクサゴラス(前500頃ー前428頃)や、世界の根源を水と考えたギリシアの哲学者タレス(前六世紀頃)や、シチリア島のアクラガスに生まれたギリシアの哲学者・自然科学者・政治家エンペドクレス(前495−前435)や、イオニア地方エペソスに生まれたギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前六世紀ー前五世紀)や、キュプロス島のキティオンに生まれ、ストア派の祖となったギリシアの哲学者ゼノン(前334−前262)もいました。薬草の巧みな収集家である、キリキアのアナザルバに生まれた一世紀のローマの植物学者ディオスコリデスや、ギリシア神話に出てくる優れた楽人オルフェウスや、ローマの政治家・雄弁家・哲学者マルクス・ツルリウス・キケロ(前106−前43。ダンテは彼の著書を愛読した)や、ギリシア神話に出てくる詩人リノス(ウェルギリウスは彼を牧歌の祖とたたえ、アウグスティヌスは彼をオルペウスと共に最初の神学的詩人の中に数えている)や、道徳家であるローマの詩人・哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカ(前4頃ー後65。皇帝ネロに死を命じられて自殺した)を見ました。アレクサンドレイアで活躍した有名な数学者エウクレイデスや、アレクサンドレイアの天文学者・地理学者クラウディウス・プトレマイオス(その天動説は、コペルニクスに破られるまで不動の権威であった)や、医学の父、ギリシアの医学者ヒポクラテス(前460頃ー前370頃)や、諸学に通じたアラビアの哲学者・医学者イブン・スィーナー(980−1037)であるアヴィケンナや、ギリシアの医学者・解剖学者・哲学者ガレノス(129−199頃)や、偉大な注釈を成し遂げたアヴェルロエス(スペインのアラブ系哲学者・医学者イブン・ルシュド(1126−98)のこと。そのアリストテレス著作の注釈は、このダンテの言葉にもうかがわれるように、中世西欧学界で広く用いられた)。彼らの名前をすべて挙げることはできません。まだ旅の道は長いので、私はせき立てられていて、見たことを省略しなくてはいけませんでした。私たち六人の詩人は、ウェルギリウス先生と私の二人だけになり、先に立つ先生は別の道を選び、この静かな所から、嵐のような激しい空に私を導かれました。光のない真っ暗な所に私は来たのでした。(2005年6月6日)(2005年7月16日更新)

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第五曲
このようにして、私たちは第一圏から第二圏へ下りていきました。囲みの面積は第一圏よりも狭いのですが、痛苦は増していて、苦しむ魂は泣き叫んでいました。そこには、ゼウスとエウローペの子で、古代クレタ島の王であるミノスがいました。ミノスは、歯をむいてうなっていて、魂がやってきて罪を告白すると、尾っぽで自分の体を巻いて、その巻いた回数で魂の落ちていく先が第何圏かを示しました。ミノスの前には、罪深い魂が群がっていて、一人ずつ奥へつめ、そして裁きを受けました。ミノスは、私を見ると、自分の重要な仕事を中断して話しました。「おお、この苦しみの場所に来た者よ、どうやってここへ入ったか、誰に身をゆだねているのか、よく気をつけるんだぞ。入るのはたやすいが(マタイによる福音書7の13参照)、バカな真似はするなよ。」すると先生がミノスにおっしゃっいました。「なぜ喚いているのですか? ダンテの旅を邪魔してはいけませんよ。意志が必ず実行される所で、そのように決められたのです、つまり、神の命ずることなのです。これ以上は聞かないでくださいよ。」すると、怒りの声が聞こえ初め、泣き叫ぶ声が私の胸を打つのが分かりました。光が全くない所に来たのです。風が右から左からと吹きまくる嵐の海のようなすごい音が鳴り響く所でした。地獄の嵐が永遠に続き、魂が突風に吹きまくられ、ぐるぐる回され、責め立てられていました。魂達は、裁かれる場所を過ぎて、風に吹かれると、金切り声で叫び、嘆き、怒りの声を上げ、神の力をののしりました。そこに来て私は分かったのですが、その魂達は、肉欲の罪を犯した魂なのでした。冬にムクドリが翼を広げて群れになって浮かび漂うように、風が魂を漂わせているのです。四方八方に風に吹きまくられて、休むことはもとより、苦しみを弱めてほしいと望むことすらできないのです。鶴が鳴き交わしながら、列を作って飛ぶように、魂が荒れ狂う風に運ばれて嘆き叫びながら近づいてくるのが見えました。私は先生に訊ねました。「先生、教えてください。あの真っ黒な風に吹きまくられている魂は誰なのですか?」先生はすぐにおっしゃいました。「君が初めに知りたいと思うのは、古代アッシリアの皇后セミラミスですよ。美貌・多淫・剛勇で有名です。ニノスと結婚しましたが、夫を暗殺させ後継者になりました。そして、自分のスキャンダルをなくすために、色欲も罪にならないと法律に定めました(パウルス・オロシウスの『世界史』による)。スルタン(イスラム国家の地方領主に与えられた名誉の称号)が今治めている所がその領土でした。次は、カルタゴを建設した女王ディドですよ。初め、お金持ちのシケオの妻であったのですが、アエネアスがトロイアを逃れてカルタゴへ来ると、アエネアスと相愛の間柄となりました。メルクリウスの忠告でアエネアスがカルタゴを去ると、ディトは自殺しました。次はエジプトの女王クレオパトラです。ユリウス・カエサルとマルクス・アントニウスを手玉にとったのですが、最後は毒蛇を使って自殺しました。次は、スパルタ王メネラオスの妃であるヘレネですよ。絶世の美女で、トロイアの王子パリスに誘拐され、長期にわたるトロイア戦争の元を作ったのです。その次は、トロイア戦争でのギリシアの英雄である、アキレウスですよ。恋人ポリュクセネーに会わせるとのパリスの口車に乗り、踵を射られて死んだのです。トロイア王プリアモスとヘカペーの子である、パリスを見てご覧なさい。ギリシア神話であらゆる人間の内もっとも美しい男性とされています。トロイア戦争を引き起こし、ついにアキレウスを殺しました。トリスタンを見てご覧なさい。伯父コーンウォル王マルクの元にいた彼は、伯父の妃となるべきアイルランドの王女イゾルデを迎えに行くのですが、帰国の途中、二人はそれと知らずに船の中で媚薬を飲み、離れられない間柄となり、トリスタンはイゾルデが王妃となった後もマルクの目を盗んで密会を重ねたのです。事情をマルクに発見されて、トリスタンは追放され、二人は悲劇の死へと巻き込まれるのです。」先生は千にも及ぶ魂を私にお示しになり、愛ゆえに地球上での命を捨てた魂の名前を挙げられました。先生が昔の騎士や女性達の名前を挙げられるのを聞き、私は憐れに思うあまり、心がかき乱されました。私は先生に言いました。「先生、そこに一緒になって風になびく二人と話をしたいのですが。」先生はおっしゃいました。「あの二人はフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタですよ。北イタリアのラヴェンナ城主グイド・ミノーレ・ポレンタの娘フランチェスカは、1275年頃、隣国の城主で狂暴かつ醜男のジャンチオット・マラテスタと政略結婚させられたのです。初め、ジャンチオットは結婚の不成立を恐れ、眉目秀麗の弟パオロを身代わりに建てたのですが、結婚後事実を知ったフランチェスカのパオロに対する恋情はますますつのり、フランチェスカにはジャンチオットとの間にできた九歳の娘が、そして、パオロにも二人の息子があったにもかかわらず、1285年頃のある日、ジャンチオットの不在の見すまして密会していた所、不意に帰宅したジャンチオットにより二人は殺されたのです。二人が私たちに近づいてきたら、見計らって、二人を導く愛の名にかけて願えば、二人は君に近づいてきますよ。」風が二人をこちらに向けてくれたので、私は二人に声をかけました。「憐れな魂よ、神がお止めにならなければ、こちらに来て話してください。」思うままに翼を高く伸ばし、空を舞い、下に降りてきて巣に戻ってくる鳩のように、二人はディドのいる群れから離れて、魔性の空を渡って私たちの方にやってきました。フランチェスカは私たちに言いました。「薄暗く陰気な空を渡る、心優しくも、世界を血で染めた私たちの所を訪れてくれた、生きている人、ダンテさん、私たちのひどい婚約のことを憐れんでくださるのですね。もし私たちが宇宙の王と親しければ、あなたの幸せをお願いしましょう。あなた方がお聞きになりたいことを、風が静かな内に、お話ししましょう。私の生まれたラヴェンナは、たくさんの支流のあるポー川が下っていった所の岸にあります。私の容姿が美しかったために、愛が、心優しいパオロの心に火をつけたのです。そのために私は死んでしまったのでした。そのようになってしまったことは、今でもつらいことです! 愛する人を愛さないではいられない、その愛は、パオロの中でとても強かったので、あなた方が見ておわかりの通り、パオロは私のそばを決して離れません。愛によって私たちは死に至ったのです。ジャンチオットは地獄第九圏の第一円に落ちるでしょう。」苦悩する二つの魂がその話を語り終えた後、私は頭を垂れてしまいました。先生はおっしゃりました。「君は何を考えているのですか?」私は答えました。「ああ、憐れなことだなあ。このようにも甘美な思いをし、このようにも愛し合い、しかし、このような苦しみに落ちていくなんて。」私は二人に向かって語りかけました。「フランチェスカ、あなたがつらい思いをしたので、それを思うと私は憐れに思って涙が出てしまいます。でも、教えてください。甘美な生を生きていた頃、どうやって、どのようなきっかけで、なんだか分からない気持ちが愛だと分かったのですか?」フランチェスカは私に言いました。「今の苦しみを思うと、昔の幸せを思い出すのもつらいです。あなたの先生は、辺獄リンボに止まり、生きている時のことを思い出すでしょうから、分かってくださるでしょうね。でも、あなたが、私たちの愛の芽生えを知りたいということなら、涙を浮かべて話しましょう。ある日、私たちは、時の過ぎ行くままに、二人きりで、アーサー王伝奇物語(イギリスのアーサー王の円卓騎士団の一人ランスロットが、王妃ギネヴィアと道ならぬ恋をして、聖杯探索に失敗する)を読んでいました。何度も、私たちは本に引き込まれました。本の中の二人、ランスロットとギネヴィアが、思い続けてきた口づけをかわした所を読んだ時でした。私のそばにいつもいてくれたパオロが私にキスしたのでした。物語の作者こそが、恋の取り持ちだったのです。つまり、ガレオットという、ランスロットの親友で、ランスロットとギネヴィアを会わせ、ギネヴィアをそそのかしてランスロットにキスさせた隣国の王こそが、この物語の恋の取り持ちであり、また私たちの恋の取り持ちであったということです。その日、私たちはその本をそこから読み進めませんでした。」フランチェスカの魂がこの話を話している間ずっと、パオロの魂は泣いていました。私は憐れに思うあまり、死んだように気絶してしまいました。死んでしまった身体が崩れ落ちるように、私も倒れたのでした。(2005年6月7日)(2005年8月12日更新)

にくちゃんメモ:いきなりですが、ちょっと思ったことなど。寿岳文章の翻訳は、山川丙三郎の翻訳を易しくしただけであることが分かってきました。。。ただ、注釈は、寿岳文章の方が詳しいので、とても参考になります。それから、この第五曲に来て、フランチェスカ・ダ・リミニが出てきますが、チャイコフスキーに「フランチェスカ・ダ・リミニ」という曲があります。ダンテが地獄に降りていって、ものすごい嵐が吹きまくる様子がとてもよく表現されている曲です。そして、その嵐の後に、フランチェスカとパオロが愛を語るとてもきれいな場面になり、最後は、また嵐になる曲です。ラフマニノフもこの題材で曲を作っているそうです。機会があったら聴いてみたいな。(2005年6月7日)

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第六曲
フランチェスカはパオロの義理の姉なので親類同士なのですが、その二人を憐れみ、涙を浮かべていた私は、気を失っていたのですが、気を取り戻しました。どちらへ動いてみても、目を凝らしてみても、見えるものといえば、新しい苦難と、その苦難をうけた魂ばかりでした。私は第三圏に来たのでした。呪われた雨が永遠に続き、冷たく重く降り注ぎ、その雨は強いままでした。大粒のひょうや、雪に混じった汚れた水が、真っ黒に曇った空から激しく振り落ちるのです。それが地面にしみこんで悪臭がします。そこに、ケルベロスがいました。冷酷無情な奇怪な怪獣のケルベロスは、ここの水浸しの魂に向かって、三つの頭の三つの喉から犬のように吠えたてました。ケルベロスの目は真っ赤で、ヒゲは黒くよだれを垂らし、お腹がふくれ、手にはかぎ爪があり、魂を引き裂き、皮をはぎ、ズタズタにするのです。雨の中、その不幸な魂は皆、犬のように吠え、身体の片側でもう片側の身体をかばって、また時にはのたうちまわるのです。鬼のようなケルベロスは、魂に雷のように叫び立てるものだから、魂は皆、いっそ耳が聞こえなくなった方がいいと思うぐらいでした。ケルベロスが私を見つけると、三つの口を開け、牙をむき、身体を震わせました。ウェルギリウス先生は立ち止まり、両手を広げて土をつかんで、その三つのどん欲な喉に投げ込みました。ケルベロスの汚い三つの顔は静かになりました。それはちょうど、吠えてしきりに餌をほしがる犬が、口いっぱいの餌の前に静かになって、食べ尽くそうと身を揺するようでした。地獄の上部にいる魂には、形はあるけれど重さはなく、人間の形をしていているけれど、空っぽなので(それが下方となるに連れて、肉体の重さを持つようになる)、激しい雨に打たれた魂の上を、私たちは歩き渡りました。そこにいる魂は、地面に横たわっていたのですが、私たちが通り過ぎようとすると、その魂の内の一人が急いで身体を起こしました。その魂が言いました。「この地獄を経巡る人よ、私のことを思い出してください、あなたは私が死ぬ時には生きていたのだから。」私はその魂に答えました。「あなたはここで苦しんだのだあまり、元の面影がなくなってしまったのでしょう。私はあなたを見た覚えがありません。でも、教えてください。このようなひどい所で深く悲しみ、このような責め苦に苦しめられているあなたは、誰ですか? これより重い罰はあるかも知れませんが、このようにひどい罰はないでしょう。」その魂は言いました。「ねたむ心であふれんばかりのあなたの町フィレンツェで、私は美しい生を生きていました。フィレンツェの人びとは私をチャッコと呼びました。しかし、ご覧の通り、呪わしい大食らいの罪で、雨に打たれているのです。悲しく沈んだ心を持つのは私だけではなくて、ここにいるすべての罪人達は、私と同じ罪を犯し、同じ罰を受けているのです。」彼の言葉はこれで終わりました。私は彼に言いました。「チャッコ、あなたの嘆かわしい苦しみは、私の胸に重くのしかかり、涙が出てしまいます。フィレンツェは、十三世紀初頭、グエルフィ党とギベリーニ党が対立して過酷な政治闘争を繰り返しました。十三世紀終わりには、グエルフィ党に帰一したけれど、グエルフィ党内部で、ピストイアで、黒派(ドナーティ家)と白派(チェルキ家)との激しい確執が続いていましたね。もしご存じなら、あの分裂した町の人びとに何が起こったか教えてください。一人でも正しい人はいますか? なぜあのような争いに悩まされたのか、教えてください。」チャッコは答えました。「長い争いの後、サンタ・トリニータ広場で、両派流血の衝突事件が起きました(1300年の五月祭)。そして、田舎出身のチェルキ家の白派がめざましく攻勢に出て、白派は陰謀を未然に知って、黒派をフィレンツェから追放しました(1301年六月)。しかし、三年たたないうちに、白派も倒れ、今うまく操っている教皇ボニファティウス八世の力により、黒派がのし上がっています(コルソ・ドナーティの率いる黒派は、ボニファティウス八世に助力を求め、教皇の言う平和調停者シャルル・ド・ヴァロア(フランス王フィリップ四世の弟)の南下により、ついに再びフィレンツェの政権を掌握し、過酷な法令によって白派約六百人をフィレンツェから追放しました。ダンテもその時の被追放者の一人)。長い間、黒派は頭を高くもたげて、白派がどんなに嘆き、どんなに辱めをうけようとも、白派の上に重くのしかかっています。正しい人は二人(誰を指すかは不明)いますが、誰も耳を貸そうとしません。高慢、嫉妬、どん欲の三つが火花となって町の人びとの心を燃やしています。」このようにしてチャッコの痛ましい言葉は終わりました。しかし私はまた言いました。「私はもっと知りたいのです。もう少し話してくれませんか。徳のある、ギベリーニ党の首領マネンテ・ファリナータ(ヤコポ・デリ・ウベルティの息子で、フィレンツェの救済者と言われた)や、名門アディマーリ家出身の軍人グエルフィ党員テッギアイオ(1266年没)や、身分は低かったがテッギアイオと親しかった有力なグエルフィ党員ヤコポ・ルスティクッチ(悪妻ゆえに別居し、男色に耽ったと言われる)や、アルリーゴ(誰を指すか不明)や、フィレンツェの名門ランベルティ家の一員で熱心なギベリーニ党員であるモスカや、その他市政に関して善行にいそしんだ人たちの事を話してほしいのです。彼らはどこにいるのでしょう? 彼らはどうなったのでしょう? 彼らが甘美な天国にいるのか、地獄の苦しみをうけているのか、知りたくてたまりません。」チャッコは言いました。「彼らは黒い魂とともにいます。それぞれの罪に従い、地獄の様々な場所に降ろされました。降りていけば、あなたは彼らを見れるでしょう。でも、あなたがもう一度美しい地上の世界に戻ったら、私の友達に私を思い出させてほしいのです。これ以上は語りません。これ以上は答えません。」チャッコはまっすぐなまなざしを斜めにゆがめて、私を少しの間見ていました。そして、頭を垂れて、真っ暗で目が見えないような仲間に加わって倒れ伏しました。ウェルギリウス先生は私におっしゃいました。「天使のラッパが鳴り響き、最後の審判の主宰者であるキリストがここに降りてこられる時まで、チャッコは目を覚まさないでしょう。その時が来れば、チャッコは自分の悲しい墓に戻り、肉体を身につけて、元の姿になり、永遠なる裁きを聞くのです。」このようにして私たちは、泥やぬかるみで汚い道をゆっくりと通り、来世について少し語り合いました。私は言いました。「先生、最後の審判の後、彼らの苦しみは増すのですか、減るのですか、それとも、今と同じままなのですか?」先生はおっしゃいました。「トマス・アクイナスによって再解釈されたアリストテレス哲学によれば、完全となればなるほど楽しみも苦しみも増える、といいますよ。この呪われた魂は、完全に達する喜びは得られなくても、最後の審判の後は今より完全に近くなるでしょう。」私たちは、今述べたことよりたくさん話をしながら、その道を迂回していきました。そして、下降の始まる所へ来ました。そこで、地下神プルートを見たのでした。(2005年6月8日)(2005年8月12日更新)

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第七曲
「パパ・サタン、パペ・サタン、アレッペ!」と、わけのわからないことをプルートが私たちに叫びました。すべてのことをわきまえているすばらしい詩聖であるウェルギリウス先生は、私を慰めようとして、おっしゃいました。「恐ろしさに負けてはいけませんよ。プルートがどんなに力があるといっても、この岩を下る私たちの旅を遮ることはできませんよ。」先生はプルートのふくれっ面に向けてしかりました。「静かにしなさい、地獄のオオカミ! 腐った根性を焼き尽くせ! 下の方へ下っていくこの旅にはちゃんと理由があるのです。反逆天使と戦って勝った大天使ミカエル(イスラエルの民の守護天使)が、神に背いた堕天使ルチフェルに復讐した所で、決められたのです。」船のマストが壊れた時に、風にふくらんだ帆が、つぶれて、しぼんで、ぐちゃぐちゃにからまるように、プルートは地面に倒れました。そして、私たちは、世界のあらゆる悪を包む、陰鬱な坂に沿って歩き、地獄の第四圏に降りていきました。ああ、神の正義よ! そこで私が見た苦しみや痛みはものすごかったのですが、誰がいったいこんな目にあわすのでしょう? 私たちの罪に対してこのような罰を与えるのは、誰でしょう? メッシナ海峡の渦巻きで有名なカリュブディスの渦巻く波が逆巻く波にぶつかるように、ここの魂達は舞いめぐるようです。今まで見てきたよりもたくさんの魂が、右から左から、叫び声をあげながら、重い石を胸で押しているのでした。互いに行き会うと、激しくぶつかり合いながら、「なぜため込むんだ?」「なぜ浪費するんだ?」と叫びあっていました。そして同じ事を叫びあいながら、暗い圏の中を反対向きに戻ってきて、半円の中を、ぶつかり合い、行ったり来たりを永遠に続けているのでした。それを見て私は、胸を引き裂かれるような思いで、言いました。「先生、ここにいるのはどんな人たちなのか、教えてください。私たちの左に見える頭を丸めた魂は、みんな聖職者ですか?」ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「君がここに見る者は、現世で、浪費するのに節度がなく、ある者はため込み、ある者は浪費したのですよ。その二つの罪が二つに分かれるこの圏の二点にいたると、叫びあうのです。それを聞けば分かるでしょう。頭をそられた所のある者は、心の中が強欲で満ちていた聖職者、教皇、枢機卿ですよ。」私は言いました。「先生、このような罪に汚れた魂のうち、知っている人が幾人かはいるでしょうね。」するとウェルギリウス先生はお答えになりました。「そんなことを望んでも無駄ですよ。分別の無い生をおくったために汚れているので、見分けがつかないほどですよ。吝嗇家と浪費家は、永遠に衝突するでしょう。天国に行けなくなって、そしてこのように争っているのは、吝嗇と、浪費のせいですよ。言葉で表現しようとするのも無駄ですよ。我が息子よ、人が口論する元になる、運命にゆだねられたこの世の財宝が、つかの間のまがい物であることが、君には分かるでしょう。月の下の、運命の女神が司る世界に今までの間にあった黄金のすべてをもってしても、これらの疲れ果てた魂の一人でも休みを与えられることはないのですよ。」「先生、今おっしゃった運命とはなんですか、教えてください。この世の富をすべて掌握している運命とはどんな物でしょう?」するとウェルギリウス先生はおっしゃいました。「よっぽど無知なのですね、君は! 運命とはどういう事か、話しますから、よく聞きなさい。創造主たる神は、すべての天国を作り、その天国それぞれに指導者を与え、それぞれの天がお互いに光り輝きあっています。光は皆同じように分けられています。同じように、神は、天使達もお定めになりました。運命は、空しい富を国から国へ、血のつながるこの人からあの人と移しますが、それは、人間の力の及ばないことなのですよ。ですから、ある国が栄えている間は、他の国は衰えているのです。その運命は人には分からないので、ちょうど草むらにひそむ蛇のようです。運命は、君たちの知恵など及ぶ所ではないのですよ。運命は、神々が行うように、先を見越し、判断し、定めるのです。運命は、普遍的に、必要に応じて休むことなく変わっていきます。このようにして、人びとは、激しい有為転変に見舞われるのですよ。責め苦しめられ呪われるのも運命だし、運がよくて、運命を褒め称えるべき人が、ののしり、責めるのも運命なのですよ。しかし、運命は恵みにあふれているので、悪口も聞こえないのです。運命は、天使と共に、その支配する天体をめぐらし、喜びを味わうのですよ。さあ、もっと悲惨な所へ歩を進めましょう。旅を始めた時は夕方だったので星が出ていましたが、今はもう真夜中を少し過ぎた所なので、星がもう出ていません。長居はできませんよ。」私たちはその圏を横切り、対岸に出て、ぐつぐつと煮え、噴き上げて溝を作る泉を通り過ぎました。その水は濃い紫色より黒く、私たちは、その溝の灰色の波に沿って進み、異様な道を伝って下に降りました。その黒ずんだ細い流れは、灰色の斜面の底に達すると、ステュクス(ギリシア神話では冥界を流れる五つの川の一つ)という名前の沼に流れ込むのでした。歩みながら、目を凝らしてみると、沼の中をうごめく泥まみれの魂がうごめいていました。皆、裸で、怒りが顔に染みついたようでした。その魂は、手でだけでなく、頭も胸も足も使って互いに叩きあっていて、手足に互いに噛みつきあっていました。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「我が子よ、怒りに負けた魂が見えるでしょう。そして、君に知ってほしいのは、上のねばねばした所の下では、魂がため息をつくので、ブクブクと水面が泡立っているのですよ。ご覧なさい、分かるでしょう。沼にはまっているその魂は言います。「太陽の光によって喜ばしく甘美である地上でも、私たちは顔を曇らせ、心の中は鬱々としていました。そのせいで今、この黒い沼の中でも鬱々として横たわっているのです。」彼らはこのようなつぶやきで喉を鳴らすのですよ。」こうして大きく弧を描きながら、私たちは、乾いた岸と沼の間の水たまりの周りを歩き、泥をむさぼり食らう人たちを見ました。そうこうするうちに、私たちは高い塔のたもとに来ました。(2005年6月8日)(2005年8月12日更新)

にくちゃんメモ:この第七曲では、前半で、吝嗇家と浪費家の魂のいる第四圏に入っていきます。そこで魂は、大きな石を転がしあっています。第四圏は、他の圏と同じように円状になっていて、その半分ずつを吝嗇家と浪費家が大きな石を転がしながら歩いています。半円を歩くので、円のうち二点でぶつかり合うことになり、そのぶつかった点で、「なぜため込むんだ?」「なぜ浪費するんだ?」と叫びあい、反対を向いて、吝嗇家は吝嗇家の半円を、浪費家は浪費家の半円を、また歩くというわけです。後半では、憤怒者の魂のいる第五圏に入っていきます。そこでは魂はステュクスの沼の中に入れられています。(2005年6月8日)(2005年7月21日更新)

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第八曲
しかし、私は説明しなくてはいけません。私たちが高い塔のふもとにたどり着く前に、私たちはその塔のてっぺんに、ウェルギリウス先生と、私の二人が近づいてきたということを示す二つの炎がおかれていたのに引きつけられていたのです。そして、遠くて見えない所には、戦闘開始の合図の炎がたかれていて、応戦の構えが完了したことを示していました。私は広大な知性の海のようなウェルギリウス先生に向かって言いました。「この二つの炎の印は何でしょうか? それに答えるような一つの炎は何でしょうか? 誰がこれをおいたのでしょうか?」先生はお答えになりました。「君が沼の水蒸気で分からなくなっていなければ、あの汚い波を見れば、私たちが待ち受けているのが何だか分かるでしょう。」弓から放たれた矢が希薄な空気の中を飛ぶより速く、小さなボートがやってきたのでした。舵手が一人乗っていて、叫びました。「さあ来たか、邪悪な魂め!」ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「フレジアス(アレースとクリューセーの子、イクシオンとコローニスの父。コローニスがアポロンに辱められたのを憤り、デルポイのアポロン神殿を焼き討ちし、その罪によりアポロンに殺され罰として永遠に下界へ落とされたという。フレジアスをステュクスの水夫としたのはダンテの創意。)よ、フレジアスよ、叫んでも無意味ですよ。この沼を渡る時以外、おまえは私たちとは関係ないのですよ。」いたずらに引っかかったのが分かって怒る人のように、フレジアスも怒りに沸くようでした。ウェルギリウス先生はそのボートに移り、私をボートに導いてくださり、そうするとボートは重さを感じて少し沈みました。魂には体重がありませんが、私には体重があるからです。私たちがこの死の川を進むと、私の目の前に、泥まみれの者が立ちあがり、言いました。「まだ死んでいないのにやってきたあなたはいったい誰ですか?」私は答えました。「ただ通り過ぎるだけです。それにしても、こんなに汚くなっているあなたは誰ですか?」その魂は答えました。「ご覧の通り、私は泣いているのです。」私は訊ねました。「呪われた魂よ、ここでずっと泣いていればいいのです。汚れていても、私はあなたが誰だか分かりました。フィレンツェの貴族アディマーリ家のフィリッポ・アルジェンティですね。」フィリッポ・アルジェンティは私を傷つけようとして、ボートに両手を伸ばそうとしたのですが、ウェルギリウス先生がそれを押しのけて、おっしゃいました。「犬畜生のような人たちと一緒に、あちらにお行きなさい!」すると、先生は私の首に手を回し、私の顔にキスして、おっしゃっいました。「こういう時に君が怒るのは正しいことですよ、君を産んだお母さんに祝福がありますように! フィリッポ・アルジェンティが傲慢に暮らした世界では、記憶にあるのは悪いことばかりでした。そのために、彼の魂はここでもひどい目に遭っているのですよ。生きている時に王様と尊敬されても、悪名高い名前しか残さず、ここに下れば豚のように泥の中でもがくことになる人は多いのですよ。」「先生、この川を去る前に、フィリッポ・アルジェンティがこの汚れた水の中に沈むのを是非見たいのです。」ウェルギリウス先生は私におっしゃいました。「対岸が見えてくる前に、君は満足するでしょう。そのような願いは叶いますよ。」少しして、私は、フィリッポ・アルジェンティが泥の中の仲間にズタズタにされているのを見ました。今日に至るまで、神への讃美と感謝を忘れません。「フィリッポ・アルジェンティに飛びかかれ!」と、その泥の中の魂たちは叫びました。そして、フィレンツェの人、フィリッポ・アルジェンティは、その叫び声を聞くと、頭がおかしくなったのか、自分で自分の身体をズタズタにし始めました。ここで私たちはそこから離れました。もう彼のことを語ることはありあせん。私は、嘆き悲しむ声を耳にしたので、前の方に目を凝らしました。優しい先生はおっしゃいました。「さあ、我が子よ、私たちは、いかめしい城壁とどう猛な民のいる町、ディーテ(ディーテの町は、ディーテの城壁から地心に至までの地獄全体を含む)に近づいてきましたよ。」私は言いました。「先生、谷間の上にモスクのようなディーテの城が真っ赤に燃えてくすぶっているように輝くのが見えます。」そして先生は私におっしゃいました。「永遠に内に燃える火が赤々と光り、君は、これは第六圏から下の地獄ではないかと間違えるほどでしょう。」そして私たちは、鉄でできているように見える城壁に囲まれる悲しみの町の堀に、ついにやってきました。かなり長い間、私たちはその周りをめぐり、とある場所に来て、舵手フレジアスが力強く叫びました。「さあ降りろ! ここが入り口だ。」そこで私は、門の上に、堕天使ルチフェルの一味である悪魔のような天使が千以上もいるのを見ました。天使は、怒って叫びました。「生きている人が近づいくるぞ、いったい誰だ? 死者の王国を歩いているぞ。」私の賢い先生は、天使と秘密に話をしたいというそぶりをしました。すると天使達は怒りを抑えていいました。「あなただけ来るのだ。大胆にもここを歩きすぎようとしているあの人はあっちへ行け。愚かにも歩んできた道を一人で引きかえさせろ。そいつをこの暗い所を通って連れてきたあなたは、そこにとどまれ。」読者よ、その呪いの言葉を聞いた私の気持ちを考えてみてください! 再びこの世に帰ってこれるとは思えないぐらい気持ちが落ち込みました! 私は悲嘆に暮れて叫びました。「何度も私を励ましてくださって、何度も私の道を阻む危険から救ってくださった先生、どうぞ私をおいていかないでください。もし旅を続けられないのなら、元来た道を一緒に帰ってください。」すると、ずっと私を導いてくださった先生はおっしゃいました。「恐れてはいけませんよ。私たちの旅は、誰も妨げることはできませんよ。神が進むのを許してくださったのですから。ここで私が戻るのを待っていなさい。疲れた心を休め、希望を持ちなさい。この地獄に、決して君を捨てたりしませんよ。」こうおっしゃると、先生は歩いて行かれた。優しいお父さんのような先生は、私をここに残していかれたので、私は、先生が本当に帰ってきてくださるかどうか、いぶかっていました。先生が、天使達とどのような話をなさったのかは聞こえませんでしたが、天使達は先生を長い間引き留めることはなく、先を争うように門の中に戻っていくのが見えました。私たちの敵である天使は、ウェルギリウス先生の顔の前で、門の重い扉を閉めました。門の外に残された先生は、目を伏せて、私の方にゆっくりと歩いて戻っていらっしゃいました。先生は、自信を失った顔をなさって、ため息をつかれました。「私をディーテの町から拒んだのはいったい誰でしょう? 私がいらだっているからといって、君が心配することはありませんよ。天使達が私たちを中に入れないように、どのようにたくらんだとしても、私はこの戦いに勝ちますよ! 天使達のあの横柄な態度は、今に始まったことではないのですよ。キリストが十字架上に死に、冥土に降り、地獄を征服した時も、あの天使達は抵抗したのです。そこの門の上に、永久に滅亡することを宣言する、死の言葉(地獄第三曲の初めにある言葉)が見えたでしょう。そして今、圏から圏をめぐり、坂を下り、この町の門を開いてくれる天使がやってくるのです。」(2005年6月9日)(2005年7月21日更新)

にくちゃんメモ:わかりにくいので、ここに書いておきますが、この第八曲の舞台は、まだ第五圏です。(2005年6月9日)

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第九曲
ウェルギリウス先生が振り返った時、先生は私が臆病になっているのをご覧になり、すぐにご自分の怒りの顔色を押さえられました。先生は耳をおすましになりました。そして、目を凝らしていられたけれど、濃い霧で真っ黒の空で遠くまで見えないようでした。先生はおっしゃいました。「しかし、絶対に私たちはこの戦いに勝たなければならないですよ。それとも、、、いや、ベアトリーチェは、私たちを見捨てないと約束してくれました。ああ、天からの使者はまだ来ません!」先生初めは力強いことをおっしゃったのに、後の方の言葉はその力強さがない事に私は気づき、私は不安になってしまいました。とぎれた言葉から、その後に続くであろう言葉を悪く考えてしまったのでした。私は先生に問いかけました。「絶望だけが罰である第一圏から、悲しみの深みであるこの谷間に降りた人はいますか?」先生は答えられました。「私の仲間の間では、私のこの旅のようなのは、稀ですよ。でも、一度、エリトンに惑わされてここへ降りたことがありますよ。エリトンは、テッサリアの巫女で、ポンペイユスの次子セクストゥスに頼まれてパルサルスの闘いの前夜、死んだ兵士の一人の魂を呼び出し、戦闘の結果を語らせました。エリトンは魂を元の肉体へ呼び戻すことができますから。私の魂が、肉体を離れて間もない頃、エリトンは私をこの城壁の中へ導き入れ、イスカリオテのユダが罰を受けている第九圏の第四円ジュデッカから一つの魂を取り出しました。その第九圏は最も低く、最も暗く、万物を取り巻く天から最も遠い所ですよ。私はそこへ行く道をよく知っていますから、心配しないでください。ひどい悪臭を放つこの沼は、この悲しみの町、ディーテを囲んでいます。腹の立つ交渉無しには入れませんよ。」先生はさらに何かおっしゃいましたが私は忘れてしまいました。私の目が、その高い塔のてっぺんが燃えているのに引きつけられてしまったからでした。その塔のてっぺんでは、血まみれでものすごい顔の三人のフリエが急に立ちあがったのでした。フリエは、復讐の三女神で、大地あるいは夜の娘とされ、地下冥界の底に住み、神々にも人間にも怖れられました。その姿は、腰に緑の水蛇を巻き、髪の代わりに角蛇や小さな蛇がはえ、両方のこめかみにとぐろを巻いていました。嘆きの女王であるプルートンの妻ペルセポネーに侍るフリエのことをよくご存じの(ウェルギリウスは『アエネイス』に書いていられるから)先生は私に叫んだのでした。「ご覧なさい! 恐ろしいフリエを! 左側がディーテの門を守るメガイラ、右で喚いているのがアレクトー、真ん中がティシポネーですよ。」先生はそうおっしゃると、口を閉ざされました。三人は、手でお互いの胸を叩きあい、爪で引き裂き、大きな悲鳴を上げていました。私は恐ろしさのあまりわけがわからなくなり、先生にすがりつきました。三人は、下を見て一緒に叫びました。「メドゥーサを呼んで、ダンテを石に変えよう。」メドゥーサというのは、ゴルゴン三姉妹の末妹で、もともと美女だったのですが、アテナ神殿で海神ポセイドンに陵辱された後に、その頭髪を蛇に変え、醜怪きわまりない女となったので、顔を見る者は必ず石になってしまうのです。さらに三人は言いました。「テゼオを簡単に逃してしまわないで、十分復讐していたら、世の人は恐れて、地獄に来ようなどとしなかっただろうに!」テゼオは、アテナイの伝説的英雄で、友人ペイリトオスと共に冥府に下り、プルートンの妻ペルセポネーをかどわし、連れ帰ろうとして失敗しました。ペイリトオスとテゼオは地獄に監禁されたが、ヘラクレースがやってきてテゼオだけを救い出したといいます。先生がおっしゃいました。「後ろを向いて、目を覆いなさい。メドゥーサがやってきて、見てしまったら、元の世界に戻れませんよ。」先生は私を後ろ向きにして、私の手では心許ないので、先生の手で私の目を覆ってくださいました。分別ある知性を持ち合わせた人よ、私のおかしな詩句に隠された意味を分かってください。汚い波のうねりの上に、恐ろしい物音が突風のように起こり、地獄の両岸が震えだしました。異なる地方の熱がぶつかり合ったできた風の音のようで、何にも妨げられずに森を打ちのめし、枝をへし折り、たたきつけ、ホコリを立て、野獣や牧者が逃げるぐらいでした。先生は私の目から手をのけて、おっしゃいました。「振り向いて、あの古くからできている泡をご覧なさい。沼の蒸気が濃くなっている辺りですよ。」足をぬらすことなく、スティクスを歩いてくる人の前に、千以上もの魂が、恐ろしさのあまり退散するのを見ました。それはまるで、蛇を前にしたカエルたちが、ちりぢりに池に飛び込み、池の底でうずくまるようでした。その人は、悪臭を放つ空気を顔の前からはらうため、時々左手を動かしましたが、その人をうんざりさせるのは、ただそれだけのようでした。私は、その人こそ、天国から使わされた使者の天使だと分かりました。私は先生の方を向きましたが、先生は、静かにして深くお辞儀をしているように、と合図されました。使者の神聖な様子には、憤りが満ちていました! 使者は門に近づき、棒で門に触れると、門は何の抵抗もなく開きました。使者は恐るべき敷居の上に立ち、言いました。「ああ、天国を追われた者たち、おとしめられた魂よ、このように横柄なのはいったいどういうことですか? 必ず実行され、何度もあなた方の苦しみを増させた天の意志に、なぜ頑固に抵抗するのですか? 運命に逆らって、何の得があるのですか? ケルベロスが、顎と喉の間の皮に鎖の跡がある理由を(ヘクラレースの十二功業の内、最も困難なのは、冥界のケルベロスを上界へ連れ戻すことだったが、彼はケルベロスに鎖をかけてこの難行を達成した。その時に顎や喉の皮に鎖の跡をつけたに違いないと、ダンテが考えた)忘れてはいないでしょうね!」すると使者は反対を向いて、私たちには一言も言わずに、ぬかるんだ道を戻っていきました。その様子は、一刻も早く天国に帰りたいという気持ちにせき立てられていて、自分の周りで起きていることにかまう暇など無いようでした。そして私たちは、その神聖な言葉を聞いたために不安も消し飛び、町の方へ歩いていきました。私たちは、何の抵抗もなくその町に入りました。あのような城壁の中にはどんな魂がいるのかと詳しく見てみたかった私は、目をキョロキョロさせて見ると、一面、苦しみとむごい怒りに充ち満ちていました。ローヌ川(フランスの川。地中海に注ぐ)が流れをよどますアルル(プロヴァンス地方のリヨン湾に近い都市。ローヌ河口の三角州付近に、古代ローマ人を葬る有名な墓がある。カール大帝がこの地にサラセン軍と闘い、キリスト教徒側に多くの戦死者を出し、葬る暇もなかったが、神のおはからにより、一夜の内におびただしい墓が作られたという)、あるいはカバネル湾(クロアチアの、アドリア海に突出するイーストラ半島を洗う湾。元はイタリア領)近くのプーラ(ローマ人の墓がたくさんあった)では、たくさんの墓地が地面をでこぼこさせていますが、ここも一面、墓ででこぼこでした。ただ違うのは、その墓の目的が苦しみのため、ということでした。墓のある所は一面、炎がめらめらし、どの職人が焼いた鉄よりも熱かったのです。どの墓も、蓋が片側にずらしてあり、そこから、恐ろしい嘆き声が聞こえました。私は、その中にいるのが、責め苦しめられいる魂だと分かりました。私は訊ねました。「先生、この下に横たわっているのは、どんな魂なのですか? 石の墓に埋葬されていても、このような痛ましい光景を見せています。」ウェルギリウス先生はお答えになりました。「ここに横たわっているのは、いろんな宗派の異端者の首領と、その弟子達ですよ。君が考えるよりもたくさんの魂が、このたくさんの墓の中にいるのですよ。その異端者の宗派と同じ宗派の弟子が一緒に埋葬されて横たわっていて、塚の温度はその宗派によって様々なのですよ。」そして先生は右を向かれて(地獄では、常に左へと(時計回り)旋回して下降するが、ここと、地獄十七曲では例外で、右へ(反時計回りに)進む。しかし、ダンテの意図は分からない)、私たちは、苦痛と高い壁の間を通り過ぎました。(2005年6月11日)(2006年1月27日更新)

にくちゃんメモ:第五圏と第六圏の間のディーテの門が舞台です。(2005年7月21日)

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第十曲
そして、私たちは、ディーテの町の城壁と苦しみの間の狭い道を下っていきました。ウェルギリウス先生が先に歩まれ、私はすぐ後に従いました。私は言いました。「ここの不信心な者たちの間、私を導いてくださるウェルギリウス先生、どうか教えてください。墓に埋められている魂に会うことはできますか? 蓋はみんなどけられていて、それに、誰も番をしていませんから。」すると、先生はおっしゃいました。「最後の審判が行われるという、ヨサファット(イエルサレムの近くの渓谷)から、上界に残してきた肉体を身につけてここに帰ってきたら、蓋はすべて閉じられますよ。ここの墓には、快楽至上主義を唱え、魂は肉体と共に死ぬとしたギリシアの哲学者エピクロス(前342−前271)と、その弟子達が葬られています。君が質問したことについては、私たちがここにいる間に、解決しますよ。君が私に言うのをやめた願い(地獄第六曲で出てきたファリナータに会いたい、という願い)も叶えられますよ。」私は言いました。「ああ、すばらしいウェルギリウス先生、私は私の気持ちを隠したのではありません。あまりしゃべりすぎるのをやめようと思ったのです。一度ならず、そのようなことを私におっしゃったので。」一つの棺の中から声が聞こえました。「おお、そのようにも控えめに語りつつ、私たちの炎の町を生きながら歩きすぎるトスカーナ人(フィレンツェはトスカーナの中にある)よ、しばらくの間、ここに立ち止まってください。あなたの話し方は、あなたが、私がひどく虐げられたあの高貴な故郷、フィレンツェの生まれであることが私には分かりました。」私はおびえて、先生のそばに寄りました。すると先生はおっしゃいました。「どうしたのですか? 振り返って、見てご覧なさい。ファリナータ(フィレンツェのウベルティ家出身の貴族。1239年にダンテの属したグエルフィ党とは政敵のギベリーニ党の首領となる。二度もグエルフィ党をフィレンツェから放逐した)が立ちあがりましたよ。腰から上が見えるでしょう。」私はもうファリナータの目を見ていました。ファリナータはそこに立ちあがっていて、胸を張り、額を上げ、地獄を侮蔑しているのを示しました。先生は私を励ましてくださり、棺を押しやって私の背を優しく押して、おっしゃいました。「ファリナータの挑発に乗らず、毅然たる品位を表してお話をしなさい。」そして私が墓の裾の所に行くと、ファリナータは私を見て、半分軽蔑したように私に言いました。「あなたの先祖はいったい誰だ?」私は、ただ、ファリナータに対して好意を示そうと思って、包み隠さず話しました。それに対して、ファリナータは少し眉を上げて過去の記憶を呼び起こしながら言いました。「私の敵、私の先祖の敵、私の党派の敵であるグエルフィ党だな。私はグエルフィ党を二度も追い出した(1248年と1260年の二度、グエルフィ党はフィレンツェから駆逐された)。」私は言いました。「確かにグエルフィ党は追放されましたが、一度ならず二度とも(1251年と、1260年)、各地からフィレンツェに戻ってきました(1266年、ベネヴェントの戦いの後、グエルフィ党は再びフィレンツェに帰り、ギベリーニ党は追放された。1280年に両党が調停を行ったが、ウベルティ家の者はフィレンツェに入ることを許されなかった)。あなた達ギベリーニ党の人たちは、初めの戦略の失敗から学ばないようです。」その時、同じ墓から魂が現れ、顎まで顔を出し、膝をついているようでした。それは、ダンテの親友、グイド・カヴァルカンティ(1300年の白派と黒派の争いでフィレンツェの北西のサルツァーナに幽閉され、病気になり、フィレンツェに戻って1300年八月没。グイドの妻はファリナータの娘)の父親のカヴァルカンテ・カヴァルカンティでした(彼はダンテと同じくグエルフィ党で、ギベリーニ党を厳しく非難する言葉を聞いて、ダンテと知り、思わず身を起こした)。彼は、私と一緒に息子がいるのではないかと思ったようで、見回しました。しかし、それが無駄だったと知ると、泣きながら言いました。「あなたがすばらしい才能でもって、この真っ暗な地獄をめぐるのなら、私の息子はどこにいるのでしょう? なぜ息子はあなたと一緒にいないのですか?」私はカヴァルカンテに言いました。「私は一人で来ているのではありません。私を導いてくださるこのウェルギリウス先生は、こちらに待っていられます。あなたの息子グイドが蔑んだ人(グイドがウェルギリウスを蔑んだ理由は不明)です。」彼の受けている罰(カヴァルカンテは、エピクロスに心酔していたので有名。ファリナータもエピクロスの弟子で、政敵を一つの墓に入れたのは、ダンテの辛らつな皮肉)と、彼の言った言葉から、私は彼の名前が分かったので、私の答えはこのようになったのでした。すると突然、彼は身を起こして叫びました。「何と言いましたか? グイドが蔑んだ、とは? 過去形で言うのは、息子はもう生きていないということなのですか? 美しい日の光はもう息子の目には光らないのですか?」魂は未来を知っているのに現在のことは知らないということはどういう事かと、私が答えるのをためらっていると、カヴァルカンテは墓に倒れ込んで、もう見えなくなってしまった。私が、求めに応じて初めに足を止めた、ふてぶてしいファリナータの魂は、カヴァルカンテには目もくれず、首も動かさず、何が起きるか見えるように身体をねじることもしませんでした。彼は、初めの話の続きをし始めました。「もし初めの戦略の失敗から学ばなかったというのであれば、その事はこの燃える墓よりも私を苦しめます。でも、冥界の女王が顔が五十回燃える前に(冥界の女王または月の女神。今後五十ヶ月たたないうちに、という意味。ファリナータの魂とダンテが出会ったのが1300年四月九日とすれば、それから第四十九回目の新月は、1304年三月五日頃、第五十回目の新月は、1304年四月四日頃となり、事実、この時期に、ダンテは追放された。)、あなたは、戦術の失敗から学ぶことが難しいと分かるでしょう(つまり、追放を解かれて故郷に帰ることが難しいということ)(*)。あなたがもう一度甘美な地上の世界に戻ることができるようにと、私が望む私に、教えてください。なぜあなた方の党は、ギベリーニ党員がフィレンツェへの帰郷を許しても、ウベルティ家の者だけは国敵として除外し、万一帰れば死刑に処すのですか?」私は答えました。「シエナの南数キロの地点に源を発するトスカーナ州の小さなアルビア川の左岸のモンタペルティの丘で、1260年九月、ギベリーニ党の軍隊はフィレンツェのグエルフィ党員を大殺戮しました。それで、私たちのフィレンツェの聖ジョヴァンニ聖堂で、そのように厳しい法令を決めたのです。」ファリナータはため息をつき、頭を振って言いました。「モンタペルティでの戦闘に加わったのは、私だけではありませんし、理由もなく他の人たちと同じ事をするということはないです。モンタペルティでの戦勝後、フィレンツェから約三十キロほど離れたエンポリで私が開いた会議で、私だけがフィレンツェを守ったのです。」私は言いました。「それでは、あなたの子孫が安らぎを得られますように。私が不審に思っていることを教えてください。私の聞いたことが正しいのなら、あなた方は、未来に起こることが分かるのに、現在のことは分からないようです。」ファリナータは言いました。「地獄にいる私たちは、遠くの物を見る時は、遠視の人のように見えるのです。神の光はその程度は私たちに与えられているのです。物が近づいてきたり、目の前で事が起これば、私たちには分からないのです。あなた方の生きている世界のことは、他の人が教えてくれないと分かりません。未来の扉が永遠に閉ざされると(最後の審判は時間そのものを終わらせ、それ以後にはもう未来はない)、私たちの知識は全く無くなってしまうということがあなたには分かったでしょう。」私は、カヴァルカンテに、息子の生存を知らせ損なったことに気づき、後悔して、言いました。「倒れてしまったカヴァルカンテに、息子はまだ地上で生きていると言ってくれませんか? そしてもしカヴァルカンテが、私が沈黙して答えなかったことを訊ねたら、死者の魂は、現在についても知っていると思い違いしていたからだ、と言ってください。」ウェルギリウス先生が私を呼ぶ仕草をなさったので、そのファリナータの魂に、一緒に墓にいる魂の名前を教えてほしいと、急いで訊ねました。ファリナータは言いました。「千以上もの魂が一緒にいます。ナポリ・シチリア王フェデリコ一世(1194−1250。神聖ローマ帝国皇帝としてはフリードリヒ二世。徹底したエピクロスの弟子であったと言われる)も、オッタヴィアーノ・デリ・ウバルディーニ枢機卿(熱烈なエピクロス信者)もいます。その他はもう言いません。」ファリナータは見えなくなりました。私はウェルギリウス先生の元へ戻りましたが、心に引っかかるのは、私への敵意あふれる預言的なファリナータの言葉でした(*)。先生は歩まれ、歩きながら私におっしゃいました。「君は何か心配ですか? なぜ取り乱しているのですか?」私は、心の中に満ちている考えを先生に話しました。賢い先生はおっしゃいました。「君に向かって語られたその言葉を覚えておきなさい。でも、今は、私の言葉に耳を傾けなさい。」先生は注意を引くため指を挙げておっしゃいました。「ベアトリーチェの美しい目には、すべてが見えていますから、ベアトリーチェの甘美な光の前に立つ時に、君の生涯のことが分かるでしょう。」先生は、左を向かれ、城壁から離れて、悪臭のひどい第七圏の谷へ続く道を通って中心へ降りられました。その悪臭は、上まで臭ってきて、私たちを悩ませました。(2005年6月11日)(2005年8月12日更新)

にくちゃんメモ:ここには書いてありませんが、この第十曲で通る所は、異端者の魂がいる、地獄の第六圏です。(2005年6月11日)

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第十一曲
私たちは、砕けたとても大きな石でできている急勾配の土手の縁にたどり着きました。下の方は、苦しみで満ちていました。深い地獄から吹き出す、すさまじい悪臭に、私たちは縁から後ろへ下がらざるを得ませんでした。大きな墓の蓋の下の方にかがみ込んだのですが、そこに、刻んである文字が見えました。「教皇アナスタシウス二世(在位496−498。ここは、ダンテの間違いで、フォーティヌスに説き伏されてキリストの神性を否定したのは、皇帝アナスタシウス一世(在位491−518))が葬られています。フォーティヌス(テッサロニカの助祭。四世紀のカエサレアの司祭アカキウスの説に従い、マリアの処女懐胎を否定した)に導かれて道を間違えた者。」ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「ゆっくりと降りていきましょう。そうすれば、このひどいニオイになれてきて、気にならなくなるでしょう。」私は言いました。「先生、時間を無駄にしないようにしたいです。」すると先生はお話を始められ、説明してくださいました。「私もそう思っていましたよ。我が子よ、この大きな石の中には、今まで過ぎてきた所と同軸に、下の方向に三圏あります。どの圏にも魂がひしめいていますよ。君が、その魂を見るだけで分かるように、どのようにして、そして、なぜそこに閉じこめられているかを教えましょう。すべての悪の目的は、不正を行うことであり、その目的は、暴力や欺きによって達成されます。暴力も欺きも天に呪われる罪です。しかし欺きは、人間に特有のことなので、神は、ひときわお嫌いになるのです。ですから、欺きの罪を負う魂のいる地獄は、一段と低く、また、受ける罰も多いのですよ。この下の、第七圏の中には、暴力者の魂がいます。暴力は、隣人への暴力、自分自身への暴力、神への暴力の、三つに分けられるので、それぞれ三つの環に別れています。私の説明で、君にははっきりしてくるでしょうが、その暴力は、その所有物にも及びますよ。暴力は、隣人を殺してしまったり、悲惨な傷を負わせたりします。所有物に対する暴力は、放火、盗み、破壊があります。従って、第一環では、殺人者、相手を打ちのめす者、破壊する者、奪う者が、それぞれ別れて責め苦をうけるのですよ。第二環では、自分自身に手をあげて自殺する者、自分の物に対して暴力を振るう者、ばくちなどで他人の利益を自分の利益とする者、資産を使い尽くす者、喜ぶべきなのに嘆く者がいます。最も狭い環である第三環には、神に対して暴力を振るう者がいます。神を心から信じずに呪う者、男色者です。そこには、男色が盛んであったパレスチナの古代都市ソドムの者、金利業者が集まった南部フランスの都市カオールの者は言うに及ばず、心の底から神をないがしろにし、神の名を呪った魂がいるのですよ。誰の良心をも苦しめる欺きは、自分を信頼している人にも、自分を全く信頼していない人にも及びます。後者は、自然が人間に与える愛の絆を断ち切るだけと見なされるので、偽善(第八圏の中の、第六嚢。以下、地獄の第八圏の中のどこの嚢にいるか書いておきます)、おべっか使い(第二嚢)、魔術(第四嚢)、詐欺(第十嚢)、窃盗(第七嚢)、聖職売買者(第三嚢)、売春仲介業者(第一嚢)、収賄者(第五嚢)、など(詐りの者は第八嚢、争いを招く者は第九嚢)の魂が第八圏にいるのです。前者の方つまり、自分を信頼している人に対する欺きは、自然の作る愛そのものを尊重しないばかりか、その後その愛に加わって特別な信頼を生むにいたるものまでも尊重しません。宇宙の中心、ディーテの周りにある最小の圏である第九圏には、裏切り者が永遠の苦しみをうけるのですよ。」私は言いました。「先生、先生の説明はとてもよく分かります。地獄の谷と、そこにいて苦しむ魂のこともよく分かりました。でも、ぬかるんだ沼にいた魂、風に吹かれていた魂、雨に打たれていた魂、厳しい言葉をぶつけ合う魂(以上は、上部地獄の第二圏から第五圏にいる魂のこと)は、神の天罰を受けるのであるなら、なぜこの炎の町ディーテの中で罰を受けないのですか? 神の天罰を受けていないのであれば、なぜあの魂達はあのように苦しむのですか?」先生はおっしゃいました。「なぜ君の知恵はいつもと違って迷ってぐらついているのですか? そうでなければ、君の心がどこを向いているのか、私が分からなくなっているのでしょうか? 君はアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を忘れてしまったのですか? そこには、天が許さない三つの性質、つまり、自制できないこと、悪意、残虐のことが論じてあったでしょう? 自制できないことは、神の気に障ることも少なく、とがめを受けることも少ないということを忘れてしまいましたか? この教理をよくわきまえて、第一圏から第五圏までで、誰の魂が罰せられているかを考えれば、わかるでしょう。そして、なぜその魂達がここにいる邪悪な魂と分けられていて、なぜその魂達には神の復讐が少ないのかがよく分かるでしょう。」私は言いました。「ああ、かすんだ目を晴らせてくれる太陽よ、私の疑いを晴らしてくださって、嬉しいです! 疑うことも、知ることに劣らず喜ばしいほどです! でも、話を少し元に戻して、私に教えてください。高利貸しは、神の善意に逆らうとおっしゃいましたが、そこの所を教えてください。」ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「アリストテレスの『形而上学』には、自然は神の知力とその技に由来すると、何度も指し示していますよ。そして、君がアリストテレスの「物理学」をよく読めば、本の初めの方で分かるとおり、人間の技は、自然を手本にしているのです。弟子が師匠に対するように、人間の技は神の孫に対するようなものです。創世記の初めを思い起こせば、人間は、技と自然によって日々の糧を得ていると分かります。しかし、高利貸しは、これとは違う他の方法をとり、他のものに希望を注ぎ込み、自然も技も無視するのです。さあ、私に従いなさい。進まないといけない時間ですよ。双魚宮は地平線に輝き(魚座の星は、午前四時頃上るので、夜明けに近い時間)、北斗はすべて北西の真上にあります。そして、私たちの降りる絶壁は、はるか彼方ですよ。」(2005年6月15日)(2005年7月21日更新)

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第十二曲
私たちが降りていった所は、岩がごつごつしているだけでなく、景色を見るとぞくっとするようなすさまじい所でした。トレント(ミラノの東北東約百七十キロの地点にあるイタリアの都市)のこちら側に、地震や浸食によってできたに違いない斜面にアジジェ川(リーシア・アルプスに源を発し、南チロルを流れ、トレントを過ぎアドリア海に注ぐ川)があり、その左岸に無残な崩壊の跡があります。地滑りの起こった頂上から下の平原まで岩が粉々に崩れ落ち、その上を通る人のための道となっていましたが、私たちが通る峡谷の形の坂も同じでした。粉々の割れ目の端(岩によってできている第六圏の端)に、偽の牡牛の子供であるクレタの恥さらし(ミノタルロスのこと。クレタ島の王ミノス二世は海神ポセイドンから生け贄の純白の牡牛を送られたが、犠牲にしなかったため海神の怒りを買い、王妃パシパエは牡牛に恋慕する。名匠ダイダロスの作った偽物の牡牛を利用して、王妃は牡牛を交わり、半人半牛の怪物を生んだ。それがミノタウロス。通常の牛頭人体ではなく、ダンテは人頭牛体とした)がいました。ミノタウロスは私たちを見つけて、怒りのあまり狂い、自分の体を噛みました。ウェルギリウス先生は、ミノタウロスに叫びました。「おまえは、上界でおまえに死をもたらしたアテネの貴公子テセウス(一度入れば出口の分からなくなる迷宮に封じ込まれたミノタウロスは、毎年七人ずつのアテナイの少年少女を人身御供に要求する。セテウスがその一人となってクレタ島に来て、ミノス王の娘アリアドネの援助を得て出口に戻れるように工夫して、ミノタウロスを退治した)を見たと思っているのではないか? 獣め、立ち去りなさい。この人は、おまえの妹のアリアドネに教えられて来たのではなく、おまえ達の罰を見ようとしてここに来ているのですよ。」ミノタウロスは、牡牛が打たれて死にそうになる瞬間に、手綱を放れ、走ることも跳ねることも身をよじることもできないでいるようでした。すると先生は注意を引くように叫びました。「走り抜けましょう! ミノタウロスが怒りのあまりにもだえ苦しんでいる間に、下へ降りましょう。」そして私たちは崩れ落ちた岩に沿って下へ歩いていきました。体重を持つ人間がそこを歩くのが初めてなので、足元の石は揺れ動きました。私が物思いに耽っているので、ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「私はミノタウロスの怒りを静めましたが、君はきっと、ミノタウロスに守られているこの山崩れを気にしているのではないですか? 君にお話ししましょう。前に私がここより下の地獄へ降りた時(地獄第九曲参照)、この岩はまだ崩れていませんでしたよ。でも、私の記憶が正しければ、それは、ひどく汚れた地獄の第一圏の大きな獲物(アダムの魂など)を、地獄の王ルチフェルから取り上げた(地獄第四曲参照)キリストが来られる少し前でした(つまりキリストが十字架で殺された時)。悪臭に満ちた谷が、上の方から底まで激しく振動し、宇宙が愛を感じたと思ったのです。それによって、一度ならず世界は混沌となったと信じるのは、ギリシアの哲学者エンペドクレス(前495頃ー前435頃。憎しみと愛の交互の支配が、宇宙の周期的な破壊と統一の原因とする)ですが、そのように私が思ったその時、古い岩が至る所にこのように崩れました。でも、下の谷を見てご覧なさい。血でできたフレジェトンタの川が見えるでしょう。他人に暴力を振るった魂が煮られているのですよ。」ああ、盲目などん欲さ、そして狂ったような怒りよ、それは、地球上での短い人生で私たち人間をそそのかして、私たちをこのようにもひどい永遠の世界で浸すとは! 私は、幅広く、弓のようにカーブした川を見ました。そこは、先生がおっしゃったとおり、広野のすべてを包むかのようでした。その川と堤のふもととの間を、半馬半人の怪物で、貪色で乱暴なケンタウロスが、現世で狩りをしていた時と同じように縦に列を組んで矢を携えて駆け回っていました。そしてケンタウロスは、私たちが降りていくのを見ると、立ち止まり、その内三人が弓矢を持って進み出ました。その三人の内の一人が、遠くから叫びました。「そこを降りている二人、どんな責め苦を受けに来たのだ? そこで言わないと、弓を引くぞ。」するとウェルギリウス先生が叫びました。「私たちは、ケイロン(ケンタウロス族の一人。オケアノスの娘ピリュラに恋したクロノスは、后レアの目を逃れるために馬に変身して、ピリュラと交わり、生まれたケイロンは腰から上が人間の馬身。しかし、賢明で諸芸に通じ、アキレウスその他多くの英雄たちを教育した。ウェルギリウスはケイロンがケンタウロス族の首領に違いないと判断して、ケイロンとの直接談合を申しでた)に近づいて、ケイロンに答えますよ。おまえは気が早く思慮がないから!」それから先生は私に肘でちょこっとつついて、おっしゃいました。「あれが、ネッソス(ケンタウロス族の一人。ヘラクレースはその妻ディアネイラをネッソスが陵辱しようとしたのを憤り、ネッソスを毒矢で殺した。死ぬ前にネッソスは自身の血につけた上着をディアネイラに与え、これさえ持っていれば夫の愛は他に移らないと告げた。後の夫の愛がイオレーに移ったのを嫉妬し、ディアネイラはネッソスの上着を夫に着せた所、ネッソスの血の毒のため、ヘラクレースは狂乱し、その苦しみを逃れようと火葬壇で焼身自殺し、後悔したディアネイラも首をくくって自殺した)ですよ。美しいディアネイラのために殺されましたが、自分の血で復讐しました。真ん中にいて叡智あふれるのはケイロンですよ。ケイロンはアキレウス(名前は地獄第五曲にも)を育てました。最後はポロス(ケンタウロス族の一人。ヘラクレースとの闘いの際、仲間の死体から抜いた毒矢を誤って自分の足に落として死んだ)で、乱暴な男ですよ。幾千もの隊をつくって溝の周りを駆けめぐり、罪のレベルによって決まる所より、血の川を上に出ている魂がいれば、矢で射るのですよ。」私たちが、その三人の機敏な獣たちに近づくと、ケイロンは矢を取り、V字型のところで、ヒゲを顎の両側にかき分けました。そして、大きな口があらわになった時、他の二人に言いました。「見ただろう? 後ろにいるヤツが触れるものが動くのを。死んだ人の足が触れても、重さがないから触れたものが動いたりしないぞ!」すると、すばらしい先生は、人間と馬とが合わさった所に近づいていらしていたのですが、お答えになりました。「このダンテは生きているのですよ。このように独りぼっちなので、私がこの暗い谷を案内することになったのですよ。ダンテは遊びではなくて、必要があってこの旅をしているのですよ。ベアトリーチェが、ハレルヤを歌うのを離れて、私にこの並々ならぬ任務を授けたのです。ダンテは悪者ではなく、また私も悪者の魂ではありませんよ。私にこの険しい道を進めさせる、あの大きな力にかけて頼みます。あなた達の群れの一人が、私たちを導いてくれませんか? 渡れるような浅瀬を導いて、空を飛べる魂ではないこのダンテを背に乗せて運んでほしいのです。」ケイロンは右を向いて、ネッソスに言いました。「おまえが行って、二人を案内しろ。他の群れに会ったら、道を譲らせるのだぞ!」そして、私たちは、煮えたぎる血で真っ赤な川の岸を、この頼りになる護衛と共に道を進めました。私は、血の川につかっている魂が、そのまぶたまで浸かっているのを見ました。すると大きなケンタウロスは説明してくれました。「ここには、虐殺と略奪を恣にした暴君どもがいます。ひどい罪悪の報いをうけているのです。そこにはアレクサンドロス(マケドニアのアレクサンドロス大王(前356−前323)、もしくは、テッサリアのフェラエの暴君アレクサンドロス(在位前368−前359頃)とする二つの説がある)が、そしてシチリアに嘆くべく年月をもたらした残忍なディオニュシオス(シュラクサイの王ディオニュシオス一世(在位前405−前367)、もしくは、その子ディオニュシオス二世(在位前367−前356)とする二つの説がある)がいます。そして、あちらに、真っ黒な髪の毛を塗りつけたような額をしているのは、残忍で知られる、北イタリアのギベリーニ党盟主、エッツェリーノ・ダ・ロマーノ三世(1194−1259)、そして、あの金髪なのは、上界で本当に継息子に殺された、オピッツォ・ダ・エステ(フェルラーラの君主、エステのオビッツォ二世(1247−1293)。グエルフィ党員で、酷薄事情の手段を弄して権勢を恣にしたが、実子アッツォ八世に絞め殺されたと伝えられる。実子を継息子としたのは、その行為が実子としてあるまじいからか、あるいはオビッツォの妻が他の男と姦通してできた子であったからか、のいずれか)です。」その時私はウェルギリウス先生を見ました。しかし先生は、おっしゃいました。「今は、彼が導いてくれているのですよ。私を見てもしょうがないですよ。」少し進むと、喉から上を出して、血の川から覗いている魂が何人かいて、そこでケンタウロスは止まりました。ケンタウロスは、その片側に一人だけいる魂を私たちに示して、言いました。「そこに立っているのは、ガイ・オヴ・モントフォート((1243−1298頃)レスター伯シモン・ド・モントフォートと、ジョン王の娘エリナーとの間にできた子。父がイーヴシャムの戦いで殺され、死体を侮辱された恨みを晴らそうと、1271年三月、教皇選挙のため枢機卿たちがヴィテルボのサン・シルヴェストロ聖堂に集まり、ミサを執り行っている最中、従兄弟に当たるコーンウォルのヘンリー王子を殺害、死体を表の通路へ引きずり出した)で、聖堂の中、しかもミサが行われているのに、その血がテムズ川(ヘンリー王子の心臓は、黄金の壺に収め、ガイ・オヴ・モントフォートの暴虐行為をイギリス人に思い出させるため、テムズ川にかかるロンドン橋畔の柱の上に置かれたという)に滴る心臓を引き裂いたのです。」次に私が見たのは、頭や胸を血の川から出した魂でした。その中には、名前を知っている魂もいました。血の川は少しずつ浅くなっていき、足元を焦がすだけになりました。そこには歩いて渡れる浅瀬があり、私たちはそこを渡りました。ケンタウロスは言いました。「ここに見える煮えたぎる血の川は、ご覧の通り、浅くなっていきます。でも、あなた方に知ってほしいのですが、向こう側では、川底がどんどん深くなっていて、暴君がうめいている所に達しているのです。神の正義が貫き刺すのは、地上の罰当たりのアッティラ(四・五世紀にヨーロッパを侵略したアジア遊牧民、フン族の王(406頃ー453)。452年、教皇レオ一世の懇請を容れてローマには侵攻しなかったが、九世紀には「神の笞」と呼びなされ、ヨーロッパ文学にも登場する)、ピルロス(アキレウスの子ピルロスとするのと、ギリシアのエピロスの王ピルロスとするのと両説ある)、セクストゥス(大ポンペイユスの次子で、シチリアを根城にイタリア海岸を劫略したセクストゥス・ポンペイユス・マグヌス(前75−前35)か)、また、天下の公道で盗みをはたらいたリニエル・ダ・コルネート(ダンテの時代に名をとどろかせた盗賊)と、リニエル・パッツォ(ダンテの時代に、フィレンツェとアレッツォにまたがる地域で出没した評判の盗賊。1280年頃没)の涙からは沸き立つ血が絞り出されています。」そして、ケンタウロスは身を翻して再び浅瀬を渡りました。(2005年6月17日)(2006年1月27日更新)

にくちゃんメモ:この第十二曲で通る所は、他人への暴力者の魂がいる、地獄の第七圏の第一環です。(2005年6月17日)

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第十三曲
ネッソスが向こうの岸に着く前に、私たちは道の跡がない森の中に入っていきました。緑の葉っぱなど無く黒い葉ばかりで、枝もなめらかなのは無く、ねじれて節くれ立っていて、実はなっていなくて毒のあるトゲばかりでした。チェチーナ(リヴォルノの南約三十キロの地点で地中海に注ぐ川)とコルネート(チヴィタヴェッキアの北約十五キロ、マルタ河畔にある都市。地獄第十二曲の最後に出てくるリニエル・ダ・コルネートはこの都市の出身。チェチーナとコルネートの間はトスカーナのマレンマと呼ばれる不毛の地、山林や沼沢多く、イノシシその他の野獣の好んで住む所)の間の、農地を嫌う野獣でさえ、ここのように木が茂り、荒果てている所は住処としないぐらいでした。ここにはあの不気味なアルピエ(鳥の形ながら女の顔を持つ醜い怪物。アエネアスとその士卒たちが、イオニア海のストロパデス群島に着いた時、群島に住むアルピエたちは一行の食物を排泄物で汚し、彼らの飢餓を預言して追い立てた)が巣くっていました。近く不幸な目に遭うと不吉な預言をしてトロイア人をストロパデス島から追い立てたのが、アルピエです。アルピエは、幅の広い羽根を持ち、人間の首と顔をしていて、足にはかぎ爪があり、お腹は膨れて羽毛でおおわれていて、木にとまっていて、奇妙な悲嘆にくれた金切り声で叫んでいました。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「奥に行く前に、覚えておいてくださいよ。ここは、恐ろしい砂地である第七圏の第三環に達するまで、第七圏の第二環ですよ。よく周りを見てご覧なさい。私が言わないことが見えるでしょう。もし私が言ったとしても、君は私の言葉を信じないでしょうから。」私の周りは嘆き悲しむ声がこだましていたのですが、その声の主が見えないのでした。私はわけがわからなくて、立ち止まってしまいました。幹の間から聞こえる声が、その木に隠れている人の声だと私が考えていると、先生はお思いになったようで、先生はおっしゃいました。「ここの木から、小枝を折ってみたら、君の考えが間違っていると分かりますよ。」そこで、私は少し手を挙げて、イバラの大きな木から小枝を一つ折りました。すると幹が叫んだのです。「なんで私をむしり取るのです?」折り目の所からの血が黒ずむと、幹はまた言いました。「なんであなたは私を引き裂くのですか? あなたには憐れみの心がないのですか? 私たちは昔は人間だったのです。今は木に変えられてしまったのです。例えもし私たちの心が蛇のようであっても、あなたの手はもう少し慈悲深くあってください。」緑の木の片端が燃えている時、もう一方から樹液がにじんで、しずくが落ち、空気がシューシュー言うように、折った枝から、血と言葉とが合わさり落ちたのでした。私は自分で折った枝を手から落として、恐ろしさのあまりそこに立ちすくんでしまいました。賢いウェルギリウス先生は、その木にお答えになりました。「ああ、傷ついた魂よ。私が書いた物(『アエネイス』)の中で読めることをダンテが信じていたなら、ダンテはあなたの枝を折ろうとはしなかったでしょう。しかし、この真実は、あまりにも信じがたいことなので、私がダンテに枝を折らせてしまったのですよ。今になって私は心を痛めているのですけれど。でも、ダンテにあなたが誰なのかを言ってください。きっとダンテは改心して、ダンテが戻っていく上界で、あなたの名誉の話をするでしょう。」すると幹が言いました。「あなたの美しい言葉があまりにもすばらしいので、答えないわけにはいきません。口から出てくる言葉に任せてお話ししますから、どうぞ気を悪くしないでください。私は神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世に仕えたピエル・デルラ・ヴィーニャ(1190−1249頃。下賤生まれであったが、ボローニャで勉学、才能をパレルモの大司教に認められ、その推挙により、1220年頃フリードリヒ二世の宮廷人となり、重用され、次々と要職に就いた。1249年、突然クレモナでとらえられ、投獄、失明、獄舎の壁に頭をぶち付けて自殺した。教皇と結託して、皇帝の毒殺を企てたのが地位失墜の原因だと推測されている)です。フリードリヒ二世の心の鍵を二つ持っていました。私の好き勝手で、帝の心を開けたり閉めたりし、彼の秘密はほとんど誰にも手を出させなかったのです。私はそのすばらしい職に専念するあまり、夜は眠れず、昼は疲れていました。王宮の罪悪である嫉妬は、すべての人の心を私への憎しみに燃え立たせ、その火はフリードリヒ二世の胸を焼き、私のすばらしい栄誉は悲しみに変わったのでした。私の心は、怒りに駆られて、死ぬことで蔑まれることから免れると信じ、自殺してしまったのです。私のこの木の奇妙な根にかけて、私はあなた達に誓いますが、誉れ高かった私の君主を裏切ったことは一度もありませんでした。もしあなた方の内一人でも、上界へ帰るのなら、嫉妬によって今もなお地に伏している私の想い出を慰めてください。」ウェルギリウス先生は少しの間黙っていらしたのですが、やがて、私におっしゃいました。「もっと知りたいことがあるのなら、この幹が黙っている今、君は機会を逸することなく、訊ねてみなさい。」私は言いました。「私の代わりに、先生が質問を続けて、この幹に訊ねてください。私は憐れみのあまり心がつぶされそうで、私には訊ねることができません。」先生はまたその幹におっしゃいました。「あなたが口に出した事を上界で惜しみなく果たせるよう、封じ込められた魂よ、もっと話を続けてください。どのようにして魂がこのような節くれに押し込められるようになったのですか? そして、もし分かるなら、いつの日か魂はその枝から出ることができるものなのかどうか、教えてください。」ウェルギリウス先生が話している間にも、枝は出血し、発声を妨げたので、幹は激しく息を吐きました。そして、その息は次の言葉に変わりました。「手短に話しましょう。自殺によって、魂が肉体から離れた瞬間、その狂暴な魂は、ミノス(地獄第五曲参照)によって第七圏に送られたのです。魂は、この森に落とされたのですが、割り当てた場所があるわけでもなく、運命に導かれるまま落ちたのです。それはちょうど、小麦が落ちた所に発芽し、若木となり、ついには大きな木になり、その葉をアルピエが食べて、苦痛を与え、嘆きとなって出るようです。他の魂と同じように、私たちが脱ぎ捨てた肉体を、最後の審判の日、ヨサファットの谷へ探しに行きますが、再びその肉体を身にまとうわけではないのです。自分で脱ぎ捨てたものを再び手にするのは、よくないことです。この悲しみに沈んだ森に肉体を引きずってきて、その肉体を虐げた魂の木のトゲに、永遠につり下げられるのです。」私たちは、幹がまた何か言うかと注意してその幹の所に立っていたのですが、突然激しい音がして、私たちはとてもビックリしました。それは、イノシシの逃げ道に立つ狩人の所に、イノシシと猟犬が近づいて、枝を踏みしだいて乱暴な振る舞いをするのに気づいた時のようでした。すると私たちの左に、裸で、深く傷つけられた二人の者が現れました。茂みを引き裂きながらものすごい速さで突っ走っていくのです。先頭の者が言いました。「さあ、早く来い、死よ!」すると後ろの者が、追いついていけないと思い、叫びました。「ラーノ(アルコラーノの略称。マコニ家の一員でシエナの紳士。「浪費者クラブ」に属し、放埒三昧の生活をして全財産を使い果たした。1288年、シエナ側の大敗に終わったアレッツォ征略に参加したらしく、アレッツォ付近のピエーヴェ・デル・トッポの戦いに、やぶれかぶれとなり自殺同様の死を遂げた)、トッポのあの戦いでは、君の足はそんなに速くなかったですよ。」そして、恐らく息が切れたのでしょう、彼は茂みで滑って、茂みのトゲで体中を刺してしまいました。この二人の後ろに、森いっぱいに俊足で貪婪な黒いメス犬が、紐を解かれた猟犬のように、走り回りました。隠れていた者に、そのメス犬たちは噛みつき、ズタズタに噛み裂き、惨めな体を口いっぱいにして走り去りました。すぐに先生は私の手を取って私を、血を滴らせている所から空しく嘆きをほとばしらせている茂みの所に導き出してくださいました。茂みは叫びました。「おお、ヤコポ・ダ・サント・アンドレア(パドヴァの浪費者で、相当な資材を、最も愚かしい方法で使い果たしたと言われる。ラーノに呼びかけた「後ろの者」のこと)よ、私に隠れたからといって何か良いことがありましたか? あなたが罪深い人生を送ったからといって、私にはなんのとがめもありません。」そこに立っていらしたウェルギリウス先生は茂みに訊ねられました。「たくさんの傷口から血と共に、不平の言葉を漏らすあなたは誰ですか?」茂み(この自殺者が誰かについて定説はない)は私たちに答えました。「私の葉をこのようにひどくむしり取ってしまったひどいありさまを見ようと、ここに来た魂よ。この悲しき茂みの足元に、その葉を集めてください。私は、最初の守護者、軍神マルスを洗礼者ヨハネに取り替えた町(フィレンツェ。伝説によると、初めフィレンツェの市民は軍神マルスを町の守護者とし、マルスをまつる大神殿を建てた。四世紀に、キリスト教徒となるに及び、マルスの代わりに洗礼者ヨハネ(聖ジョヴァンニ・バティスタ)を守護聖者とし、神殿を教会に変え、マルスの像をアルノ河畔の塔に移したが、450年、アッティラの攻撃によりフィレンツェが落ちた時、その像は川に沈んだという。バティスタに捧げたサン・ジョヴァンニ教会は破壊の難を免れた。九世紀の初め、カール大帝がフィレンツェを復興した時、市民はアルノ川からマルスの像を拾い上げ、後ポンテ・ヴェッキオ橋の柱頭に安置したと伝えられる)の出身です。そのため、最初の守護者は戦乱によって、いつまでもこの町に悲しみをもたらすでしょう。アルノ川(イタリア中部の川。源をアペニン山脈に発し、フィレンツェを過ぎ、ピサの近くで地中海に注ぐ)の橋の上にその像が残っていないなら、アッティラ(フィレンツェを滅ぼしたのはアッティラではなく、東ゴート族の王トティラだとの説があるが、フィレンツェがアッティラまたはトティラに滅ぼされたこと、カール大帝が同市を復興したこと、いずれも史実の確証を欠く。地獄編第十二曲参照)の残した灰の上に、町を作った市民たちの働きは、無駄であったでしょう。私は我が家で自殺したのでした。」(2005年6月18日)(2005年7月22日更新)

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第十四曲
私とその自殺者の生まれた所であるフィレンツェへの愛によって、私は散らばった葉っぱをかき集めて、その自殺者の木に返しました。私たちは、地獄の第七圏の第二環と第三環の境界の森にたどり着きました。そこで私は、恐るべき神の正義を見ました。見たこともないような光景を見たのです。どんな植物も育たない広野にたどり着いたのでした。あの第一環の血の川が第二環の森を取り巻くのと同じように、第二環の悲嘆の森がこの第三環の広野を取り巻いていました。私たちはその広野の縁に近い所に立ち止まりました。この不毛の地は、乾いた、燃えるように熱い砂が分厚く広がっていました。かつて、ローマの政治家小カトー(前94−前46。内乱に際しカエサルに抗してアフリカ北岸のウティカに赴き、リビアの砂漠を本拠としたが、カエサルの軍到るに及び、自殺した。ストア思想に養われた人格の高潔をもって知られる)の足が踏んだ土地と同じようでした。ああ、神の復讐よ! 私の目の前に広がったこの真実を読みとる読者の人は、どれほど畏怖の念を抱き、怖れることでしょう! 私が見た裸の魂の群れは、いろんな所にたむろしていて、皆、ひどく泣いていました。それぞれの群れは、それぞれの罰があるようでした。背中を地面にすりつける、神を冒涜した者の魂。小さくうずくまっている、高利貸しの魂。止まることなく、うろうろと歩き回る、男色家の魂。砂の上を、うろうろと歩き回る魂は多く、地面に横たわっている魂は少なかったのですが、数は少ないのですが、苦痛を訴える声はとても大きかったのでした。その砂だらけの土地に、大きな火の雨がゆっくりと降り注いでいました。それはちょうど、山で、風のない日に降る雪のようでした。アレクサンドロス大王(前324年にインド遠征)が灼熱のインドで軍隊を進めていた時に、炎が軍隊に落ちて、そして地面に落ちても火が消えないので、火が広がる前に兵隊たちが足で踏んで火を消した時のようでした。それと同じように、終わることのない炎の雨が地面に落ち、火打ち石の下の火口のように砂が焼け、苦しみは二倍になるようでした。その火の雨を払いのけるようと、あちこちに動かし続ける手は、休む暇もないようでした。私は言いました。「ウェルギリウス先生、地獄の門のところで出会った悪魔ども以外は、どんなものにも打ち勝つ先生、火の雨なんてどうということはないと、不機嫌そうに横たわり、尊大な顔をしているあの巨人の魂は誰ですか?」すると、自分のことを先生に訊ねたと察したその巨人は答えました。「私はカパネウス(テーベを攻めたギリシア七王の一人で、乱暴な巨漢。テーベに火を放つためにその市壁をよじ登る際、ゼウスも我にかなうまいと大言をはき、その怒りに触れ、雷に打たれて死んだ)です。生きていた時と、死んだ今も、私は変わりません! ゼウス(ギリシア神話の最高神)が怒って、鍛冶屋のウルカノス(ギリシア神話の火と鍛冶の神ヘパイストスと同一視されるローマの火神)に投げさせた雷で私は死にましたが、そのゼウスがウルカノスをクタクタにしても、また、モンジベルロ(シチリア島エトナ山の別名。神話では、この山の内部と、リパリ諸島の一つにウルカノスの仕事場があり、ウルカノスは一眼巨人族キュクロープたちに手伝わせてゼウスの雷を作ったという)のどす黒い鍛冶場で働く者たちを集め、フレグラ(オリンポス山の襲撃を企てた巨人族を、ゼウスがヘラクレースの助けを得て破った戦場)の戦いの時のように、「ウルカノスよ、助けてくれ!」と叫んで、クタクタに働かせて、力の限り私に雷を落としても、私がゼウスに与えたほどの復讐の喜びは得られないのだ!」するとウェルギリウス先生は、今まで聞いたこともないような力強い声でカパネウスにおっしゃいました。「ああ、カパネウス、その傲慢さが尽きないとなると、苦しみはもっと増えますよ。あなたがすごく怒るので、神の罰は大きくなり、ますます苦しむことになりますよ。」そして先生は、私に穏やかなお顔を向けられて、おっしゃいました。「あれが、テーベ(古代ギリシアの都市国家の一つ。その統治権をめぐって、オイディプスの子エテオクレスとポリュネイケスの間に争いが起き、ポリュネイケスに味方する七王がテーベに遠征した)を攻略した七王(アルゴスの王アドラストス、その義子カパネウス、ほかに、アンピアラオス、ヒッポメドン、パルテノパイオス、ポリュネイケス、テュデウス)の一人ですよ。神を蔑み、神をないがしろにし続けているようですが、私がカパネウスに言ったとおり、その毒づきこそ、その胸の格好の飾りですよ(毒づくほど神の怒りを買い苦しむから)。さあ、ついていらっしゃい。燃える砂に足を踏み込まないようにして、森により沿うように注意しなさい。」私たちは、言葉を交わさないで歩み、森のなかからほとばしる小さな流れ(自殺者の森の下をくぐり、ここに流れ下るフレジェトンタ)にたどり着きました。その流れの真っ赤な色は、今も私の身を震えさせるほどです! ブリカーメ(ヴィテルボ付近の硫黄泉。ローマ人に親しまれた温泉)の温泉からの流れは、下流の方では、売春婦専用の小川(彼らは一般夫人との混浴を禁じられ、各自に温泉を引いた)になるのですが、そのブリカーメの温泉の流れは熱の砂漠を貫いて流れるのでした。その流れの底と両岸と縁は石でできていたので、私はそこを渡れると思いました。先生はおっしゃいました。「私たちが、どんなに悪い魂でも通してしまう敷居のある門(地獄の門)を通った時から、私は君に様々な驚くべき事を見せてきましたね。ここで君が見る流れほど、驚くべき物は他にないでしょう。どんな炎もこの流れの上に来れば消えてしまうのですから。」先生にこのように言われた私は、もっと知りたいと思い、お願いしました。すると先生は続けられました。「この海の中央に、荒れ果てた国が一つありますよ。クレタ島(地中海にあるギリシアのクレタ島)です。そこの王(ギリシア神話のクロノス。ローマの古い農耕神サトゥルヌスと同一視される)が治めていた時、世界は平和でした。そこにはイーダ(クレタ島最高の山。近代での名称はプシロリティ)と呼ばれる山があり、そこは、緑が美しく、水も豊かな所でしたが、今は、古くて捨てられたように荒れ果てています。昔、レア(ギリシア神話によれば、ウラノス(天)と、ガイア(地)の娘で、最古の女神。クロノスの妻となり、多くの子を生んだが、我が子の一人に王座を奪われるとの預言を怖れたクロノスは、生まれるなり子を飲み込んでしまう。そこでレアはゼウスを生む直前にイーダ山に退き、ゼウスが生まれると、石をおむつに包んで子供だと偽り、クロノスに与え、クロノスはこれを飲み込む。ゼウスは無事育っていくが、泣き声の聞こえるのを案じ、祭司たちに命じて大声を上げさせ、剣や槍をやかましく響かせた。預言は実現し、ゼウスは父を王座から追い払う)はこの山を特に選んで、子供のゼウスの安全なゆりかごとしました。ゼウスがいることを隠すために、ゼウスが泣く時は、レアは彼女の召使いに命じて大声を上げさせました。この山中に、一人の古い巨人(旧約ダニエル書2・31〜35参照)の像が建っています。彼は背をダミアータ(エジプトの古い町で、ナイルのデルタに生じた東よりの支流の河口にあった)に向け、眼が鏡を見るように顔をローマに向けています。頭は黄金、腕、手、胸は純銀、そこから下の股にいたるまでは銅、股から下は鉄、ただし右足(右足はキリスト教会、左足は神聖ローマ帝国のこと)は素焼きの赤土で作られています。体の力は左足より右足にかかるのです。体は、純金の所を除いて、ひび割れていて、そこから涙がしたたり、足元に落ち、イーダ山中にある洞窟を浸食します。涙は岩から岩へとこの地獄へ落ち、アケロンテ(地獄第三曲参照)、スティクス(地獄第七曲参照)、フレジェトンタの川になり、さらにこの狭い水路を流れ、流れが行き着く所、つまり、下部地獄の最奥のコチートまで流れていきます。その沼のことは、私は君に言う必要はありませんよ。君は君のその目で見るのですから。」そこで私は先生に言いました。「先生が私におっしゃったように、私たちのわきを流れるこの小さな流れの水源は、私たちの世界なのですね。それならなぜこの第二環の縁にだけ現れるのですか?」先生は私におっしゃいました。「ここが円形でできているのは、分かっているでしょう。君の長い旅は左の方向のみに廻って、底の方に丸くめぐっています。そして、君はまだこの圏を全部まわっていません。ですから、もし君が、見たことがないことを見て、ビックリするには及びませんよ。」私は言いました。「先生、レーテ(冥界を流れる忘却の川。霊魂は煉獄へ赴き、この川の水を飲んで過去の罪の忘却を許される。従って、ウェルギリウスはダンテに、煉獄にいたればレーテを見るであろうと答えた。煉獄第二十八曲参照)とフレジェトンタはどこにあるのですか? フレジェトンタのことは、涙の雨の行く所とおっしゃいましたが、レーテのことは、何もおっしゃってくださいませんでした。」ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「君がそのように質問してくれて、嬉しいですよ。でも、血のように赤くて煮えたぎっている水で君の質問の答えがわかるでしょう。君がやがて見るレーテは、地獄の外にあるのです。懺悔により罪が取りのけられた時、魂が集まって己を浄める所ですよ。さあ、この森を離れる時ですよ。私の後ろについてきてください。燃えていない縁が通路ですよ。その上に来れば、すべての炎は消えてしまいますよ。」(2005年6月20日)(2005年7月22日更新)

にくちゃんメモ:巨人の話が出てきますが、これは「人類の歴史の総括」だそうです。頭から下に、金、銀、銅、鉄となるのは、黄金時代が次第に退歩して、時と共に人類が次第に堕落していくことを示すそうです。あまりよく分かりません。。。(2005年6月21日)(2008年6月23日更新)

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第十五曲
私たちは、石の縁の上を歩んでいました。川の蒸気が影のように空中を覆って、岸と川の水を、炎から保護していました。打ち寄せる波を怖れて、フィアミンギ人(フランドルの住民。土地が低いので海水の侵入を防ぐための堤防構築に長じていた)が、ウィサン(中世ではフランドルの一部であった海港。カレーとグリネ岬の中間に位置する)とブリュージュ(西フランドルの首府。往古フランドル防波堤の東端で、西端ウィサンと結ばれる)の間に作った防波堤、そして、パドヴァ(イタリア北東部の都市)人が、町と家々を、キャレンターナ(オーストリア西南部の山岳地帯。東に流れてドナウ川と合流するドラヴァ川の上流渓谷地域で、強い日光による雪解け水がしばしば氾濫を引き起こす)の雪解け水から守るために、ブレンタ(トレントの上方でチロル・アルプスに源を発し、東南に流れ、ヴェネツィアの入り江に注ぐ北部イタリアの川)の岸に作った仕掛け、これらのように、私たちの歩いていた堤は作られました。神、天使、悪魔の誰が作ったにせよ、これほどまでに高く分厚い物はなかったでしょう。私たちは森から遠ざかり、もし立ち止まって振り向いて見回してみても、森を見ることができなかったに違いないほどでした。私たちは、堤に沿って、こちらに急いでやってくる魂の一軍に出会いました。その魂の一人一人は、私たちを、上から下から眺めました。その様子は、新月の夜に、誰かに出会った人のようでした。彼らは眉をひそめて、私たちに目を凝らしました。それは、年をとった裁縫師が針の穴に糸を通す時のようでした。このように見つめている変わった魂が、私のことが誰だか分かり、私の洋服の裾を引っ張って叫びました。「なんて不思議なことだろう!」そして、その魂が私に腕を伸ばした時、私はその魂の焼けただれた顔を見ました。でも、そんな姿でも、私は私の記憶から彼の名前を思い出すことができたのでした。そして私は彼の方に下を向き、言いました。「本当にあなたですか? ブルネット(1220頃−1294。フィレンツェのグエルフィ党員で、公証人を職としたブルネット・ラティーニ。文筆家としても知られ、歴史・博物・倫理・修辞・政治などに関する百科全書とも言うべきフランス語での散文作品や、イタリア語での長編教訓詩の作者として有名。ダンテの師と言われるが、ダンテより45才年上なので、文字通りの師弟関係の間柄ではない)さん!」するとブルネットは言いました。「おお、我が息子よ、ブルネット・ラティーニが、君と一緒に歩く間、この群れを先に行かせたいのだけれど、いいですか?」そして私は言いました。「心の底からお願いします。お隣に座ってもいいなら、そうします。ただ、一緒にいるあのウェルギリウス先生がよろしければ。」ブルネットは言いました。「我が子よ、この群れの誰でも、ほんの一瞬でも足を止めれば、降り注ぐ炎を払いのけることもできず百年も身を横たえなければなりません。ですから、歩みを止めないでください。私は君の側についていき、そして、永遠の苦しみを嘆きつつ歩む仲間たちに合流しましょう。」私は堤の道から降りて、ブルネットと肩を並べて歩く勇気がなかったので、彼に敬意を払って頭を下げて、一緒に歩きました。ブルネットは言いました。「あなたはまだ死んでいないのに、どういう運勢で、また、どういう運命で、ここに来たのですか? あなたの道を導いている人は誰ですか?」私は答えました。「明るい上界で、私はまだ三十五才になっていないのに、とある谷で道に迷ったのです。昨日の朝、私はその谷に背を向けました(この話をしている時は、4月9日の未明)。再びそこに戻ろうとした時に、ウェルギリウス先生が現れ、私は向きを戻し、この道を通って浄福の境地に導いていただいているのです。」ブルネットは私に言いました。「あの幸せな世での私の判断に誤りがなければ、あなたはあなたの星座に従えば、必ず栄光の港にたどり着くでしょう。そしてもし、私があのように早く死んでいなければ、天のあなたへのご加護がこのように厚いのを見て、私はあなたのすることを励ましたでしょう。でも、昔、フィエゾレ(フィレンツェの東北約六キロの丘の上にあり、フィレンツェとアルノ川流域を見下ろす町。往古、エトルリア十二市の一つであったが、ローマ人に攻略され、今も双方の遺跡をとどめる。伝説によれば、フィレンツェの貴族はローマの人の、平民はフィエゾレ人の末という。ダンテはその伝承に従った)を下った、いまだに粗野で執拗な恩を忘れた邪悪な民は、あなたのすばらしい働きにより、かえってあなたの敵になるでしょう。それも道理です。酸っぱいベリー(フィエゾレ出身のフィレンツェ人)の実る所には、甘いイチジク(ダンテ自身もこめたローマ人の末のフィレンツェ人)は実りません。フィレンツェ市民は盲人と呼ばれ、貪欲、高慢、強欲なのです。清いあなたは、彼らのやり方に汚されてはいけません。あなたの運命は、あなたにすばらしい誉れをもたらしてくれるので、グエルフィ党内での黒派と白派の両方があなたを破滅させるでしょう。しかし、ダンテ、あなたは、あなたを自分の派閥に引き込もうとする黒派、白派から、遠い所にいるのです。出自のいやしい(フィエゾレ人)フィレンツェ市民は、勝手に派閥闘争すればいいのです。その腐敗の中から一人真のローマ人が現れたとしても、手を触れてはいけません。フィエゾレ人が下り来てフィレンツェが今のように邪悪な町になっていても、神聖なローマ人は生きているのです。」私はブルネットに答えました。「私の願ったことが叶っていたら、あなたは死によって追放されることは無かったでしょうに。あなたが生きていられた時、よく、人間が永遠に生きる生き方を教えてくださった当時の、優しく、すばらしく、父親のような面影が心にクッキリと浮かびます。そして今は、私の胸をかきむしられるようです。あなたに教えてもらったことや、あなたへの感謝の気持ちを、私は生きているかぎり、語り続けるでしょう。私の将来についてあなたが話してくれたことを記憶し、チャッコ(地獄第六曲参照)やファリナータ(地獄第十曲参照)の預言と共に、ベアトリーチェに出会えればベアトリーチェが解き明かせてくれるでしょう(しかし、実際に解き明かしたのは、ダンテの曾祖父の父。天国第十七曲参照)。あなたに知ってほしいのですが、私の良心が私を責めないかぎり、運命の望むままにします。この預言は初めて耳にするわけではないのです(ファリナータの預言のこと。地獄第十曲参照)。人事を尽くして天命を待つ、ということです。」ウェルギリウス先生は、これを聞いて、右を向き、私をじっと見つめ、こうおっしゃいました。「君はよく話を聞くので、聖者や賢者の教えをきちんと理解し、ちゃんと心に留めていますね。」しかし私は先生に答えませんでした。私はブルネットさんと一緒に歩きながら話を続け、男色の罪でこの環に入れられた者のうち、一番際立った魂は誰かと訊ねました。するとブルネットは言いました。「知っておいた方がいい人たちもいますが、その他の人たちのことについては黙っていましょう。多くを語るには、時間が短いですから。手短にお話ししましょう。ここにいるのは、生きている時は、聖職者や、文筆業ですばらしかったのですが、皆同じ罪で自分をダメにしてしまいました。六世紀初めのラテン文法学者プリスキアヌス・カエサリエンシスや、フィレンツェの有名な法学者アッコルソ・ダ・バニョーロの息子で父に劣らぬ法学者であったフランチェスコ・ダッコルソ(1225−1293。ボローニャ大学教授であったが、1273年、エドワード一世に招かれて英国に渡り、オクスフォード大学で法学を講じた)が、惨めな群れと一緒にいます。もしあなたが、男色の罪を犯した極端な魂に興味を持っているなら、あなたはもう見たかも知れませんが、フィレンツェ名門の出の司教であったアンドレア・デ・モッツィ(1287年から1295年までフィレンツェ市の司教であったが、1295年九月、あるまじき行為のためボニファティウス八世によってヴィチェンツァの司教に左遷、翌年二月に死んだ)がいます。ボニファティウス八世(地獄編第十九曲参照)によって、アルノ川のあるフィレンツェから、バッキリオーネ川(アルプスに源を発する北イタリアの川。パドヴァ付近で三つに分かれるが、本流のバッキリオーネはブロンドロの近くでアドリア海に入る。上流はヴィディェンツァの町を貫流するので、川の名をヴィディェンツァの代わりに用いた)のあるヴィチェンツァへ左遷され、そこで死にました。私はもっと話をしたいのですが、もうあなたと一緒に歩いて話をすることはできません。あちらに、砂から煙が上るのが見えるでしょう。私とは一緒にいられない魂たち(同じ罪を犯していても、聖職者とか文学者の一団とは気風を異にし、とうてい仲間となれない連中)がやってきます。私の人生である、私の書いた本「リ・リヴール・ドゥ・トレゾール」だけは、あなたに読んでほしいと思います。」そしてブルネットは後ろに去っていきました。その様子は、緑の布の賞を勝ち取ろうと、ヴェローナの競争(パリオと呼ばれる競技。ヴェローナ郊外の競技場で行われた。走者は裸で、優勝者には緑の布が、敗者、すなわち最後に到着した者には、一羽の雄鳥が与えられ、彼はそれを持って衆人環視の中、ヴェローナの市内へ入る)で広野を走る人のようでした。そして、彼は、負けるのではなく、勝つ者のようでした。(2005年6月21日)(2005年8月13日更新)

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第十六曲
私たちは、第八圏に落ちる滝のとどろきが、ブンブンいうミツバチの巣の音のように聞こえる所に来ました。ひどい苦しみの雨の下を通り過ぎる魂の群れから離れて、三人の魂が走ってきました。彼らは私たちに向かって叫びながら来ました。「止まりなさい! あなたの着る衣服(当時フィレンツェ市民は、トーガを着用した古代ローマ人の風に習い、どの国民にも引けをとらぬ高貴華麗な服装をしていたので、一見してそれと分かった)からすると、あなたは私たちの頽廃した町、フィレンツェの生まれのようです。」彼らの手足は、古く、新しく、炎に焼き印を押された傷がたくさんありました! 彼らのことを思い出すと、今でも、私は深い悲しみを覚えます。彼らの叫び声を聞いたウェルギリウス先生は、私に向かって、おっしゃいました。「待ちなさい。この人たちは、敬意を払うべき魂ですよ。ここの場所が炎の雨が降らない所ならば、走り寄っていくべきなのは彼らではなく、君の方ですよ。」私たちが立ち止まると、彼らは炎に焼かれた時の悲鳴を上げて、私たちに近づき、三人は輪を作るようにしてまわりました。裸になり、油を体に塗った闘士が、相手を叩いたり突いたりする前に、どこをねらえば最もきくかと見合うようでした。このようにして彼らは回るのですが、顔は私を見ているので首と足とは反対の方向を向いているのでした。彼らの内の一人が話しました。「この不毛の砂地のありさまと、黒こげて、皮膚がはがれた体を見れば、私たちのことや、私たちの願いを、あなたは蔑むかも知れませんが、私たちの名声で、心を動かして、どうかあなたがどなたか、そして、どうやって生きた足で危なげもなくこの地獄をめぐっているのか、教えてください。一番前にいるのは、私がその足跡を踏んでいるわけですが、裸で、皮がむけているとはいえ、あなたが想像する以上に高い身分の人です。彼はすばらしいグアルドラーダ(フィレンツェの名門出自ベルリンチョーネ・ベルティ・デ・ラヴィニャーニの娘。グイド・グエルラ四世に嫁ぎ、ラヴィニャーニ家とフィレンツェの名門コンティ・グイド家とがつながる)の孫、名前をグイド・グエルラ(グイド・グエルラ四世とグアルドラーダの第四子、マルコヴァルドの長男。1220年頃生まれ。グエルフィ党の長として活躍。1272年にモンテヴァルキで死んだ)といい、生前は智と剣でもって多くのことを成し遂げました。もう一人の人は、私の後ろで砂を踏んでいますが、テッギアイオ・アルドブランデ(地獄第六曲参照)で、その名声は世界に広くたたえられました。そして私は、彼らと並んで罰を受ける、ヤコポ・ルスティクッチ(地獄第六曲参照)です。私のどう猛な妻が、私を罪に走らせたのでした。」火を避けることができたなら、私は彼らの間に飛び降りたでしょう。そして、ウェルギリウス先生もそれを許してくださったと思います。でも、もしそうしたら、私は焼けこげてしまったと分かっていたので、彼らの肩を抱きたいと思った初めの気持ちは、恐怖に負けてしまいました。そして私は言いました。「蔑みではありません。あなた達の様子に私の心には、悲しみが広がったのです。ここにいられるウェルギリウス先生が私におっしゃった言葉から、あなた達自身のような方々が来るかも知れないと、私が感じた時に、その気持ちは始まりましたが、その気持ちはいつまでも続くでしょう。私はあなた方と同じ町の出身です。あなた方の名声や偉業は繰りかえし話されていて、いつも聞いていました。私は苦しい体験を経て(地獄第一曲初めの所参照)、私の先生が浄福の境地を約束してくださった旅をしているのです。でも、そのためには、まず地獄の底に行かないといけないのです。」さっきの魂(ヤコポ・ルスティクッチ)がまた話し始めました。「あなたの魂が何年もあなたの体を導き、あなたの死後もあなたの名声の光が輝きますように。我々の町フィレンツェでは、昔と同じように今も文と武とが、栄えていますか? それとも、文と武の両方とももう無くなってしまいましたか? 昔は私たちと一緒に罰を受けていたけれど、今はわれらの仲間と行くグイリエルモ・ボルシエーレ(ボッカッチョ『デカメロン』第一日の第八話に出てくる人物。もとフィレンツェの財布作りであったが、職に飽きて社交人となり、旅行と貴族訪問に余生を送ったと伝えられる風流人。十三世紀の末に死んだらしい)の語ったことは、私たちを悲嘆にくれさせるのです。」顔を上げて私は叫びました。「成り上がりの人びとが自負と放逸を生み、それによってフィレンツェは嘆き悲しむのです。」この言葉を私の答えだと考えた三人は、真実を聞いた人がするように、互いに顔を見ました。彼らは一度に皆で言いました。「いつもあなたがいとも簡単に質問に答えるので、思いのままをこのように語ることができるあなたは、幸せ者です。あなたがここの明かりのない暗い所を逃れて、美しい星を見上げる上界に戻れて、”私は地獄に行ってきました”と喜んで話す日が来れば、生きている人たちに、私たちのことを言うのを忘れないでください。」彼らは、輪になっていたのをやめて走り去りました。その足の素早さは鳥の翼のようでした。瞬く内に彼らはいなくなりました。すると先生が立ち去る時だとおっしゃいました。私は先生について行きました。私たちがもし話をしていても、お互いに聞き取れない位の大きな音を立てた滝にすぐに着きました。源をモンテ・ヴィソ(アルプス高峰の一つ)に発し、アペニン(イタリア半島を南北に分ける山脈)の左のすそ野では、東に流れて本来の水路を保ち、下流の川底に下るまでの上流ではアックァケータと呼ばれ、フォルリ(ラヴェンナの西南約三十キロの地点、モントーネとロンコ両川の間の流域にある町)では名前が変わるあの川(モントーネ川。アドリア海に注ぐ)が、サン・ベネディット・デル・アルペ(フォルリの上方、エトルスク・アペニン山系の山。その中腹にベネディクト会修道院があったのでこの名を得た)の上方、千人を越える人が入る地点で(この意味についてはいろんな説がある)、一つの流れとなり、轟然、一挙に落下する様を同じように、今ここに、私たちの耳を痛めるほどの響きを立て、険しい崖から汚れた水が流れ下っていた。私は腰の所に一つの紐(禁欲のイメージ)を巻いていたのですが、それは、かつて、けばけばしい模様のヒョウ(地獄第一曲参照)をつかまえようと考えた物でした。ウェルギリウス先生がその紐を体から取りなさいとおっしゃったので、そのようにし、それを巻いて先生に渡しました。そして、先生はそれを受け取り、右を向かれて、岸から少し離れて、それを深い谷底へと投げ降ろしました。私は心の中で言いました。「先生が紐の落ちるのを見つめる変わった合図に答えて、変わったことが起こるに違いない。」行動をただ見るだけでなく、心の中を読んで、考えを理解してしまう人と一緒にいるのは、どんなに注意深くしてもダメです! 先生はおっしゃいました。「私が期待している物が、すぐに登ってくるでしょう。君が心に描いている物が、今、君の目の前にやってきますよ。」口に出した時に嘘に聞こえてしまうような真実を口にするよりは、黙っていた方がましという物です。本当のことを話しても、嘘だと思われてしまうからです。しかし、私は黙っていることができません。読者よ、この私の『神曲』が長く読まれることを願いますが、その詞によって誓って言います。そこで私は見たのでした。濃くて真っ黒な空気を突っ切って、泳ぎ登ってくるものを見たのでした。それは、屈強な人の心にも驚きを覚えさせる物でした。それはちょうど、暗礁や、海にある何かに引っかかったイカリを取ろうとして、泳ぎ下った人が、腕を広げ足をすぼめて戻ってきたようでした。(2005年6月22日)(2005年8月13日更新)

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第十七曲
「さあ、見てご覧なさい、山々を踏みしだき、城壁も武器も壊してしまう、とがった尾の獣を! 見てご覧なさい、世界をぐちゃぐちゃにしてしまうあの獣を!」ウェルギリウス先生は、このようにおっしゃり、その獣が、岩がごつごつした土手の縁(フレジェトンタの岸)の近くに着地するように導かれました。ひどく不快な、欺瞞の姿(ジュリオーネ。クリュサオルとカリオエーの子、三頭三身の怪物、ヘラクレースに退治されるが、ダンテはこれを欺瞞の象徴とした)を現して獣は近づき、頭と胸を巧みに地面につけましたが、尾は垂らしていました。ジュリオーネの顔は、正直な人の顔のようで慈しみに満ちていましたが、顔以外は蛇のようでした。二本の前足は、脇の下まで毛むくじゃらで、背中、胸、両脇は、アラビア唐草模様や、渦巻きの飾りで彩られていました(飾りは、目をくらまし、欺く手段)。トルコ人やモンゴル人でさえも、このようにいろいろな色で複雑に織った布を作ることはできなかったでしょうし、アラクネー(ギリシア神話に出てくる。染色に長じたイドモンの娘で、織物の名手。慢心して女神アテナと織物の技を競い、女神の怒りに触れ、クモに変えられる)の機も、このように複雑には織れなかったでしょう。釣り船が岸に着き、半分は陸に、半分は水にあるように、そして、大酒飲みのゲルマン人が住んでいる所のビーバーが餌をとろうと身を構えるように、その獣の中の獣であるジュリオーネは砂の広がる所の境の石の上に身を置きました。サソリの毒針のような毒を持つ股を巻き上げ、尾は空中に振るわせていました。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「さあ、私たちは行く道から少しわきへそれてあの獣が横たわって待っている所に行かなければいけませんよ。」それで、私たちは、道をそれて、右に降り(地獄第九曲と、ここの箇所だけ、右に曲がる)、石の縁を十歩ほど歩き、砂と炎をよけるようにしました。そして、私たちがジュリオーネの所に来た時、少し遠くに、砂がある所と何もなくなってしまう所の縁に、何人かの高利貸しの人がうずくまっているのに気がつきました。すると先生がおっしゃいました。「この、第三環のことをよく分かるように、自分で行って彼らの苦悩を見ていらっしゃい。ただし、彼らと話すのは短くするようにしなさいよ。君が行っている間に、私はこのジュリオーネと話をして、背中に乗らせてもらえるようにしましょう。」そこで私は一人で第七圏の縁を歩いて、苦しんでいる人たちの所に行きました。眼からは苦しみが吹き出していて、こちらでは炎から、あちらでは熱い砂から身を守ろうと、手ではらっていました。実際彼らは、夏に、犬が蠅やアブに刺されないように前足や鼻を忙しそうに動かすのと同じでした。私は炎の雨に打たれる彼らの中の幾人かをよく見てみましたが、知っている魂はいませんでした。しかし、それぞれの罪人の首には、それぞれの色で彩られた家紋の入った財布をかけていて、それを見て、喜んでいることに気がつきました。私はその人たちを見回していると、黄色いお財布にライオンの顔と形の家紋を見ました。それは、フィレンツェの名門で、グエルフィ党に属したジャンフィリアッツィ家の紋所でした(ここでダンテが指しているのは、フランスで高利貸しを営んだメッセル・カテルロ・ディ・ロッソ・ジャンフィリアッツィ。1283年頃死亡。)。そして私がさらに目を凝らすと、血のように赤いお財布にバターよりも白いガチョウの家紋を見ました。それは、フィレンツェの名門で、ギベリーニ党に属したウブリアーキ家の紋所(しかし誰を指しているかは不明)でした。そして、白いお財布に、青い、お腹に赤ちゃんのいる雌豚の家紋(パドヴァの名門スクロヴェーニ家の紋所。ここでダンテが語らせているのは、高利によって一代で巨富を集めたリナルド・スクロヴェーニ(1288年三月から翌年十月の間に没)だと思われる)のついているのを持っている一人の魂が私に訊ねました。「この濠の中で、あなたは何をしているのですか? ここから出て行きなさい! でも、あなたは生きているので、あなたは上界に戻った時に私のことを言えるように、教えてあげよう。私の隣人のヴタリアーノ・ヂ・ヤコポ・ヴィタリアーニ(パドヴァの高利貸し)がもうすぐやってきて、私の左側(罪が大きい)に座ります。ここにいるのは皆フィレンツェの人で、私だけがパドヴァの生まれです。彼らは「お財布に三頭の山羊のいる至高の騎士、ジョヴァンニ・ブイアモンテ(1260−1310。ベッキ家出自のフィレンツェの名だたる高利貸し。ギベリーニ党に属し、彼の父も、彼も、騎士)よ、早く来い!」と何度も何度も叫び、私の耳をつんざきます。」こう言い終えると、牡牛が自分の鼻をなめるように、彼は自分の舌を突き出しました。私は、そこにもっととどまると、長居をしてはいけないとおっしゃった先生を怒らせてしまうのではないかと思い、不満そうな罪人たちから離れ、戻りました。私は、先生がもう既にジュリオーネの背にまたがっていられるのを見ました。すると先生はおっしゃいました。「さあ、勇気を持って心を強くしなさい。今から、下っていきますよ。前に乗りなさい。危険な尾から君を守るように、私は君の後ろに乗りましょう。」熱で震えが来ると感じる人は、爪は色を失い、日陰を見るだけで体が震えるでしょう。先生のお言葉を聞いた私は、ちょうどそんな人のようでした。でも、その時、先生の戒めは、私に恥を感じさせました。主人が立派だと、恥はしもべを勇敢にするものです。わたしはその巨大な肩にもじもじと取りすがって、「先生、私を抱きかかえてください」と叫びたかったのですが、言葉になりませんでした。私が脅かされている時にはいつも助けてくださった先生は、私がまたがるやいなや、私に両腕を回してしっかりと抱きしめてくださいました。そして先生は叫ばれました。「さあ、ジュリオーネ、進みなさい。ゆっくりと、大きく輪を描いて降りなさい。生きているから体重がある人が乗っていることを忘れないでくださいよ。」ボートが岸を離れて後ずさりしてて出ていくように、ジュリオーネはゆっくりと後ろに行き、岸壁を離れ、自分の身が自由になる所に来たと感じた時、初め胸があった場所に尾を向けて、その尾をぐっと伸ばして、それからウナギのようにうねり、前足で空気を自分の方に集めました。パエトン(太陽神ヘリオスとクリュメネーの子。父に乞うて大空に父の戦車を御したが、軌道を外れ、太陽の火は地を焼きそうになったので、ゼウスは雷を発してパエトンをエリダノス川に撃墜した)が、父の戦車の手綱を放した時、我々が今日見るように、太陽の火は空を焼いて銀河を成しているのですが、その時のパエトンの恐れ、または、憐れなイカロス(ダイダロスの子。父の発明した翼を身につけ、共にラビュリントスを脱出するため飛行したが、父の命令に従わず高く飛びすぎ、太陽の熱で翼の蝋が溶け、イカリオス海に墜死した)が蝋が溶け始めた時に腰から翼が離れるのを感じて、その父が「コースが違うぞ!」と叫んだ時のイカロスの恐れも、私が空中に舞っていて、どこを見ても、腰を下ろしているジュリオーネだけしか見えなかった時に感じた恐怖ほど大きくはなかったでしょう。ジュリオーネはゆっくりと泳ぐように動き、旋回して降りていきました。でもそれは、前から、下からと風が来ることで分かったのでした。右側からは渦が巻いている音がし、下の方からはおぞましい音が聞こえて来ました。私は、これを聞こうとして、首を伸ばして下を見てみました。でも、身を乗り出したら、もっと恐ろしさが増しました。なぜなら、うめき声が聞こえ、炎が見えたからです。私は体が震えて、すくんでしまい、足をきつくしてすがりつきました。その時、私は、それまで見えなかったものが見えてきたのです。ジュリオーネが旋回して下降していくのが、四方八方から私たちに近づいてくる苦痛の風に左右されていることが分かったのです。何時間も飛びながら獲物を探せないでいた鷹が、合図をうけないのに降りてきて、鷹匠が「ああ、もう降りてきてしまった。」とため息をつき、鷹は疲れ果てて、急降下せず、百回ほども輪を描いて、鷹匠から少し離れた所に、怒って、侮ったように止まりまるように、ジュリオーネはギザギザした崖(第七圏と第八圏を区切る巨大な絶壁)のふもとの底に私たちを降ろしました。するとジュリオーネは弦を離れた矢のように消え去りました。(2005年6月23日)(2005年8月13日更新)

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第十八曲
地獄には、マレボルジャ(悪の嚢)と呼ばれる所があります。その周りを取り巻く圏(第七圏と第八圏の境にある崖)のように、鉄の色をした石でできています。この邪悪な広野の真ん中に、広く深い穴が(その底が第九圏)大きな口を開けていていました。その構造は、そこに到着してからお話ししましょう。その穴と圏の間は、円形に帯状になっていて、そこは十個の谷に別れています。中心を同じにした輪のような形で、城の城壁を守るための堀があるような地形のようでした。そして、城の正門から延びる橋のように、堀から堀へと、橋が遠くの岸へとのびていました。岩でできていて突き出ている、車のスポークのような物が岸から岸へと、溝を交差して(この橋は七つあり、その橋はすべて、第六嚢の上で壊れている)、車のハブのように集まっているのです。私たちがジュリオーネの背中から振り落とされたのが、この場所でした。ウェルギリウス先生は、左を向き、私は先生に従いました。すると、右に見えたのは、新たな悲嘆、新たな拷問の方法、そして新たな責め苦をうける魂が、第一嚢の深みにひしめいていたのでした。二つの列を作っている裸の魂たちは、底を歩いていました。通り過ぎる時に、私たちの方に顔を向ける、私たちの側の魂たちがいて(時計と反対回りに)、他の魂は、私たちと同じ方向にとても速く歩いていました。ジュビレオの年(特別祝年に際しての大赦。ここで言うのは、1300年2月22日に、教皇ボニファティウス八世の出した回勅によるローマ教会第一回のもので、前年のクリスマスからの一年間にローマを訪れ、十五日間滞在し、毎日聖ピエトロ大聖堂と聖パオロ教会に詣でて悔罪した信者、または三十日間同様の行事をしたローマ市民は、特別大赦を許された。そのため、ローマ市民の他に、年間を通じローマには毎日約二万人の信者が滞在したという。ダンテは恐らくローマにあって実際にその光景を見たのだろう)を迎えたローマ市民は橋(ハドリアヌス皇帝が自分の墓とローマ市を結ぶためにテーヴェレ川にかけたポンテ・サンタンジェロ(聖天使橋)。墓は後に手を加えて聖天使城(カステル・サンタンジェロ)と呼ばれた。この城のすぐ南に聖ピエトロ大聖堂がある)を行ったり来たりする群衆に場所を提供するための措置をとって、聖天使城(カステル・サンタンジェロ)に顔を向けて聖ピエトロ大聖堂へ行く者と、反対に、聖天使城を後にしてテーヴェレ川を渡った地点にある低い丘、モンテ・ジョルダーノの方向に向かって進む者とに分けた時のようでした。黒い岩の道のどちら側にも、角のある悪魔が太い鞭を持って、残酷にも喜びながら魂の背中をむち打っているのを見ました。ああ、魂は、初めの一打ちでひっくり返ってしまうのです! 二度、三度と打たれる魂はいませんでした! 歩いていく内に、下に横たわる人と目が合い、私はつぶやきました。「この人は、確かどこかで見たことがあるぞ。」そして、私は、それが誰なのかと確かめようと、足を止めると、先生も私と共に立ち止まってくださり、大変優しいことに、少し後戻りしてもいいと許してくださいました。その鞭を打たれた魂は、顔を伏せて私から隠れようとしましたが、私には分かってしまいました。私は言いました。「顔をふせるそこのあなた、私に間違いがなければ、あなたは、ヴィネディーコ・カッチャネミーコ(ボローニャの高名なグエルフィ党領袖。エステ公爵に取り入り、金をもらって自分の妹ギソラベルラを公爵の情婦にしたと伝えられる。1300年までに死んだとダンテは信じているが、実際に死んだのは1303年一月)ですね。なぜこんな苦境に陥っているのですか?」ヴィネディーコ・カッチャネミーコは言いました。「答えたくありません。でも、昔の世界を思い出させるあなたの単刀直入な問いかけを聞いて、語る気になりました。私が妹のギソラベルラを無理矢理公爵の情婦にしたのです。世の中ではその下劣な話がどのように扱われたかは知りませんが。ここで泣き叫ぶボローニャ人は私だけではないのです。実際、ここには同郷の者でいっぱいで、サヴェーナとレーノ(共に、トスカーナ・アペニン山脈に源を発して北流する北部イタリアの川。ボローニャでは東西おのおの約三キロの地点を流れているので、その流域はボローニャ文化圏を包む)の間で、「シパ(「然り」を意味する古代ボローニャ方言)」と言うよう教え込まれる人の数はもっと多いのです。私たちが強欲な心の持ち主であると思い出せば、その証拠が分かるでしょう。」その時、悪魔が尾の鞭で彼を激しく鞭打ち、叫びました。「ぽん引きめ! 行け! ここでは金に換える女はいないぞ!」私は振り向いて、ウェルギリウス先生の所に急いでいきました。私たちは少し歩くと、岸から突き出た岩の橋にたどり着きました。私たちは簡単に登ることができ、ギザギザ尖った尾根を右に向き、果てしなくめぐる圏を後にしました。私たちが、むち打たれる魂の通り道である、尾根の下に大きく口を開ける溝がある所に来て、先生はおっしゃいました。「止まって、卑しむべき魂が見える所に立ちなさい。先ほどは、顔が見えなかったでしょう。なぜなら、あちらでは、彼らは私たちと同じ方向に歩いていたから。」私たちは、古い橋から見ました。同じように、むち打たれて追い立てられ、向こう側を私たちの方に進んでくる魂の群れを見たのです。先生は、私が訊ねないのに、おっしゃいました。「痛みにもかかわらず、一滴も涙を流さない、力強い魂がこちらへ来るのをご覧なさい。堂々とした王者の風格がいまだに漂っています! あれは、イアソン(金毛の羊皮を求めコルキスへ遠征した英雄たちアルゴナウテス(アルゴー丸乗組員)の指導者。途中、女ばかりのレムノス島に立ち寄ったイアソンは、ヒュプシピュレーを誘惑し、捨てる。数多くの冒険の後、ついに目的地コルキスについたが、イアソンはそこの国王アイエーテスの娘メディアに恋慕され、その助けで金毛の羊皮を奪い、メディアと共に帰航する。イアソンはメディアと結婚し、二子をもうけたが、のちイアソンはメディアに飽き、コリントス王クレオンの娘クレウサを妻としたために、メディアは怒ってわが子二人とクレウサを殺してしまう)ですよ。勇気と知恵でコルキス(コーカサスの南、黒海東端にあったと伝えられるアイエーテスの王国。アルゴナウテスたちの冒険の目的地)人から金の雄羊を奪った人ですよ。レンノ(エーゲ海北東部にあるレムノス島。トアス王の治世、島の女たちが女神アプロディテの祭祀を怠り女神の怒りに触れ、体から悪臭を発するようにさせられた。島の男たちはこの悪臭に耐えかね、トラキアからとらえてきた女を妻としたので、復讐に島の女たちは一夜のうちに島の男を皆殺しにした)の島の大胆で非情な女たちが、昔、島の男をすべて皆殺しにした後、イアソンはそこを通り過ぎました。イアソンの愛の言葉や、美しい容貌によって、イアソンは、初め島の女たちを欺いていた若い娘ヒュプシピュレー(トアス王の娘。レムノス島の女が全島の男を皆殺しにした時、ヒュプシピュレーは密かに父を隠してその命を救った)をたぶらかしました。そして、ヒュプシピュレーに子供ができると、イアソンは、彼女をただ独り島に残して、立ち去ってしまいました。そのような罪で、今彼は責め苦をうけているのですよ。それには、メディアの仕返しも加わっているのですよ。イアソンと共に行くのは、このような欺きの罪の者たちです。第一の谷(第一嚢)と、そこにとらえられている者については、これだけ知れば充分ですよ。」私たちは、狭い尾根が第二の堤と交差している所に来ていました。そこは次の溝への橋となっていました。そこでは、第二嚢に入れられた魂の、しくしく泣く声、荒い鼻息、自分の掌で自分を叩く音が聞こえました。岸は、下から沸いてくる悪臭によって、ネバネバしたカビがノリのようについて見るのもおぞましく、ニオイもひどかった。嚢の底は深くくぼんでいて、よく見えなかったので、その門に登って橋の一番高い所から見ないといけませんでした。そこに行って、私たちは、魂が溝の中で、人々の使うトイレから流れ出したと思われる排泄物の中にひしめいるのをみたのです。私は目を凝らしていると、頭が汚物にまみれているので、お坊さんか俗人か分からない人を見つけました。その魂は叫びました。「なんであなたは、他の汚いヤツらでなく、私をじろじろ見るのですか?」そして私は答えました。「なぜなら、良く思い出してみると、私はあなたの髪の毛がきれいに乾いていたのを、一二度見たことがあるからです。あなたは、ルッカ(ピサの北東約二十キロの地点にあるトスカーナの一都市)のアレッシオ・インテルミネイ(ルッカの名門インテルミネイ家の出自で、十三世紀の後半に活躍し、へつらったり、言葉巧みに人の気に入られるようにしながら、実は誠意が無く心がねじけていることで有名)ですね。だから私は他の人よりもあなたを見ていたのです。」アレッシオ・インテルミネイは、自分の汚い額を打って、答えました。「私がこの深みにいるのは、口から絶え間なく出てしまったお世辞のせいです。」アレッシオ・インテルミネイは話すのをやめ、ウェルギリウス先生は私におっしゃいました。「もっと身を乗り出して、下をよく見てご覧なさい。立ちあがったり、うずくまったりしていて、汚い爪で体をかきむしっている、不快で乱れた髪の売春婦の顔がよく見えるでしょう。タイデ(ローマの喜劇詩人テンティウスの喜劇「宦官」第三幕第一場に出てくる古代ギリシアの遊女タイス。タイスの遊郭の客トラソーが、グナトーという兵士を介して一人の奴隷をタイスに贈り、「タイスは喜んで私に多くの感謝を贈ったか?」とグナトーに訊くと、グナトーはおもねり、「多くどころか、千も」と答える。この逸話をキケロは「友情論」第二十六章に取り上げているが、恐らく「宦官」を読んでいなかったらしいダンテは、タイスとトラソーの直接の対話と思い違えて文を為したと考えられる)ですよ。遊郭のなじみの客が「とっても感謝してくれるかい?」と訊いた時、「とっても? そんな。信じられないぐらいとてもですよ!」と答えたのがタイデです。これだけ見れば、もう充分でしょう。」(2005年6月24日)(2005年7月22日更新)

にくちゃんメモ:この第十八曲で、ダンテとウェルギリウスは、やっと第八圏(マルボルジャ)にやってきます。第一嚢(婦女誘惑者)、第二嚢(おべっか使い)を通ります。(2005年6月24日)

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第十九曲
ああ、シモン・マグス(サマリヤの魔術師。フィリポの説教を聞いてキリスト教に入信したが、使徒たちの所へ金を持参し、「我が手を置く者悉く聖霊をうけられるよう、この権威を我に与えよ」と言い、使徒ペテロに厳しく叱責される(使徒行録8の9−24参照)。ここから、すべて神に関する物や仕事を金で売買する行為が、シモンの名にちなみ、「シモニア」と呼ばれるようになった)よ! シモン・マグスに従った人間のくずどもよ! 強欲な生き物よ、聖なるものの花嫁となるべき神の聖物を金銀に代える売女たち。あなた方がこの第三嚢にいるからには、今こそあなた達の罪業を公にしなければなりません。私たちは、溝の真ん中にある橋を登りつめて、この墓(聖物売買者たちが埋葬されている場所、第三嚢)が見える所に来ました。ああ、至高の知恵よ、天国に、地上に、そして地獄にまで示す技の、なんと偉大なことだろう! その力の配分が公平なのはなんとすばらしいのだろう! 私が見た、すべての側面と底は、穴がたくさん開いている鉛色の岩ばかりで、それらは皆同じ大きさで、丸い形をしていました。それは、愛するサン・ジョヴァンニ(フィレンツェ市の中央部にある有名な洗礼堂。パプテスマ(洗者)の聖ヨハネ(サン・ジョヴァンニ)はフィレンツェの守護聖者であり、ダンテも含めて、当時のフィレンツェの子供たちはほとんど皆ここで受洗した)に洗礼のために置かれたものより幅が広くもなく、深さが深くもないと感じました。数年前に、その一つの中に溺れている人を助けようして、私はそれを壊してしまいました(これを聖物毀損だと非難する人たちもあった。それへのダンテの弁明として書かれている)。このように理由を挙げることで、人々の疑いを解く証しとしましょう! どの口の穴からも、罪人の足が一人ずつ、つま先からふくらはぎまで、突き出ていて、他の部分は穴の中にありました。足の裏は炎に巻かれていて、激しく引きつらせていました。その激しさは、鎖でも綱でも引きちぎってしまいそうなぐらいでした。外側が油まみれのものが燃える時に、炎が表面に沿って走るように、踵からつま先そして裏側も、炎が取り巻いていました。私は訊ねました。「先生、あれは誰ですか? 他の仲間たちよりもひどく身をよじっている、あの怒っている魂は誰ですか? あの真っ赤な炎に身をなめられているのは誰ですか?」するとウェルギリウス先生は答えられました。「あの魂のいる、低い岸の方(第八圏は中央に向かって下に傾斜しているので、それぞれの嚢の内側の岸は外側の岸よりも低い)に、連れて行ってほしいというのなら、本人(教皇ニコラウス三世(在位1277−1280)。強力な支配者的人物。その最大の弱点は、近親推挙・縁故採用(*))から、その人が誰で、なぜここにいるのか聞くことができますよ。」私は言いました。「先生がよいと思うことを、私も同じように良く思うのです。先生は私の主です。ご存じの通り、私は先生のお心の向く方に参ります。先生は私の思いをご存じです。」私たちは、第四の岸に行って、左に曲がり、降りていき、穴だらけの狭い底に着きました。先生は、臑の所が苦しくて嘆いている魂のいる穴へ連れて行くまでは、私を、先生の側から離されませんでした。私は言いました。「あなたが誰であろうとも、逆さまに立っている魂よ、ああ、不幸な魂よ、上半身を下にしてクイのように打ち込まれている魂よ、話ができるのなら、話をしてください。」不義の暗殺者に呼び戻されて、葬られているのにまだ死ぬのを遅らせてほしいと、その懺悔を聞くお坊さんのように、私は立っていました。その魂は叫びました。「もうそこに立っているのですか? もうそこに立っているのですか? ボニファティウス(教皇ボニファティウス八世(在位1294−1303)。ケレスティヌス五世の退位に決定的な影響を及ぼし、名誉欲が強く、あまりにも甚だしい近親愛のために、一般人は言うまでもなく、宗教心のある人々からさえ嫌われた。穴の中のニコラウス三世は、ダンテをボニファティウス八世だと思い違えた)? 未来記は私に数年のさばを読みました! あなたはあの役得にもう飽きてしまったのですか? それをつかむために、あの麗しい花嫁(キリスト、並びに地上におけるキリストの代理者の花嫁であるローマ教会)をだまして奪い、従えることも恐れなかったあの役得に。」私は、どのように答えていいのか分からない質問をされて、笑いものにされた人のように、唖然としてしまいました。すると、ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「急いでその魂に言いなさい。”私はその人ではないですよ、私はあなたが考えている人ではありませんよ。”と言いなさい。」そして私は先生のおっしゃったとおり言いました。その魂は、それを聞いて、両足をねじらせました。そして、ため息をついて、泣き声で私に言いました。「それならば、あなたは私に何をしてほしいのですか? 私の名前を知りたいと、それが理由で、あの岸を下ってきたというのなら、教えましょう。私は教皇の服を身にまとっていたのだ、と。私はあの牝熊(ニコラウス三世はローマの貴族オルシーニ家から出たが、オルシーニ家は「牝熊の末裔」と呼ばれ、家紋にも牝熊を用いたという)の息子でしたが、子熊どもを推し挙げたいと願う(*)あまり、上界では財貨を袋に入れ、地獄では自分自身を穴に入れているのです。私の頭の下には、私の前に聖物売買罪(聖職者にこの罪を犯すもの多く、頭からこの穴へ突き込まれ、順次ずり下がっていく仕掛けとなっている)を犯した魂が岩の割れ目にぎゅうぎゅう詰め込まれています。あなたと間違えた、ボニファティウスが来れば、私も順番で、押し込まれるでしょう。でも、もう既に私の足が燃されている時間は、そして、逆さになっている時間も、ボニファティウスが足を燃やされる時間より長いのです(ボニファティウス八世のあと、在位一年のベネディクトゥス十一世を経て、教皇クレメンス五世の在位は1305年から1314年まで。従って、ボニファティウス八世がニコラウス三世と同じ姿勢で苦しむ期間は十一年で、ニコラウス三世の二十三年に比べるとはるかに短い)。ボニファティウスがやってきたら、私と二人合わせてもあまりある罪を重ねた者(教皇クレメンス五世。本名は、ベルトラン・ド・ゴー。1264年頃、フランスのガスコーニュに生まれた。いわゆる教皇庁のアヴィニョン流謫期(1309−1377)最初の教皇で、一歩も足をイタリアに踏み入れたことはあるまいと言われる、教皇権をほとんどフランス王に依存させるようにした張本人。金銭欲が強く、聖物売買の常習犯)が、西の方からやってくるでしょう。クレメンスは、マカバイ記にあるヨシュア(ユダヤの祭司長シモンの次子ヨシュア。彼はシリアの王アンティオコス四世(紀元前164年頃没)に銀360タラントンを贈ると約束し、兄から祭司長の地位を剥奪する。またこの王と共謀して、ユダヤの民俗宗教を根絶やし、ギリシアの習慣を入れ、その神々を祭ることを企て、ユダヤ人蜂起の契機を作った)の生まれ変わりとなるでしょう。その王がヨシュアにぺこぺこしたのと同じようにフランスの統治者(「美王」と呼ばれるフィリップ四世(1268−1314)。王権の強化に努め、婚姻関係により著しく領土を拡大した。教会領課税の件で、教皇ボニファティウス八世と争ってこれを捕らえ、教皇クレメンス五世を擁立して教皇庁を南仏のアヴィニョンに置く)もこのお坊さんに同じような態度をとるでしょう。」私はちょっと大胆すぎたかも知れませんが、高らかな調子で次のように言いました。「それでは、教えてください。主は、聖ペテロに天国の鍵を委ねる前に、どれほどのお金を求めたのですか? 主が求めたのは、”私に従いなさい”というお言葉だけでしょう。聖ペトロも、他の使徒たちも、イスガリオテのユダの後任として、使徒パウロを使徒職にくじ引きで決められた時、パウロに金も銀も求めませんでした。そういうことなら、ここにいるといいでしょう。あなたの罰は当然だからです。シャルル一世 (ナポリ王アンジューのシャルル一世(1226−85)。ここでダンテが糾弾しているのは、ニコラウス三世の姪との結婚を拒んだシャルルに対し、その領土であったシチリアの島民に反乱を起こさせ、ついにアンジュー王家がシチリアを失うに至らしめたことを指す。ニコラウス三世は、他にも数多くこの種の陰謀に加担した)に対して、勇気ある振る舞いをさせた、あの不当な利益を守るのがいいでしょう。あなたが幸せな人生を送っていた時、預かっていたすべての鍵の中で最もすばらしい鍵に対する私の敬意が無かったとしたら、そして今なお私の口を閉ざさなければ、私はあなたにもっと激しい言葉を投げかけるでしょう。なぜなら、あなたが強欲なので、世界に悲しみをもたらし、善を踏みしだき、悪を持ち上げたからです。腐敗したローマ教会を見て、あなたのような牧者が、思い浮かべていたのは、あの福音史家(ダンテはヨハネの黙示録の筆者を、福音書のヨハネと同一視している。ふまえている箇所は、ヨハネの黙示録17の1−3、7、9、12、18であるが、ダンテ独自の解釈も混入している。例えば、ダンテにとっての地上の王たちを支配する大きな都とは、帝国の首府ローマではなく、教皇の君臨するローマ)でした。その、腐敗したローマ教会には、聖霊の七つの賜物を備えており、教皇の統治さえ正しければ、教会がそれから活力を得る十戒がありました。あなた達は、自分たちのために、金と銀でできた神様を作ったのです。あなた達と偶像礼拝者と、どこが違うでしょうか、偶像礼拝者たちは一つの神を拝みますが、あなた達は百もの神を拝むということ以外に、どこが違うでしょうか(彼らが礼拝する偶像に一に対し、汝らの礼拝する偶像は百にも上ろう、の意味。しかし、ここは出エジプト記32の4−8から句を得ているので、「汝らはただに一つの偶像を拝するだけでなく、黄金生の偶像ならなんでも拝する」とも解釈できる)? ああ、コンスタンティヌス(臨終に際し受洗してキリスト者となったローマ皇帝コンスタンティヌス一世(274頃ー337)。既にキリスト教を公認していた帝は、330年、異教的伝統の強いローマを捨てて、都をビサンティウムに造営し、コンスタンティノポリスと名付けた)よ、あなたの回心からではなくて、最初の富める父親(教皇シルヴェステル一世(在位314−335)。中世の伝説によれば、コンスタンティヌス一世は、シルヴェステルに自分のらい病を治癒してもらった礼に、遷都に先立ち、西ローマ帝国の地上権をすべてローマ教会に贈与したという。有名な「コンスタンティヌスの贈与」であり、その法的文書も残る。ダンテより一世紀後に出た史家ロレンツォ・ヴァルラは、この文書の偽造であることを立証したが、ダンテは中世の伝承をそのまま認めてこのように書いた。事実がどうであれ、シルヴェステル一世が最初の富める教皇であった事に変わりなく、ローマ教会堕落の一歩はここに踏み出されたとダンテは見たのである)が、あなたから受けた施物によって、なんとひどいことになったことでしょう!」私がこのようなことをニコラウス三世の魂に言っている間、彼は怒りによってか良心によってか、両足を激しくバタバタとしました。私は、ウェルギリウス先生が、私が彼に言った話を気に入ってくださったと思いました。なぜなら、先生は、ずっとほほえみを浮かべて、私の言葉に耳を傾けていられたからです。すると先生は、私を両腕に抱きしめて、先ほど下った道を上りました。先生は、生きた人間である私の重みに疲れた様子はなく、第四の岸と第五の岸を分ける門のいただきに私を運び上げてくださいました。先生はそこに荷物である私を降ろされました。そこは山羊さえ通るのが難しいような険しい岩の道でした。そこから、次の谷が見えてきました。(2005年6月28日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:この第十九曲では第八圏第三嚢(聖物売買者)を通ります。(2005年7月24日)

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第二十曲
さて、奇妙な罰について詩を作り、呪われた地獄第二十曲の言葉にしなければなりません。私は、溝の深みを見下ろすことができる所に来ました。その底は罪人の苦悩の涙で濡れていました。そして、魂は、円形の谷間に、黙って(首が曲げられているので、物を言うことができない)、泣きながら、聖堂内で連祷を唱えながら歩くようにしていました。視線を低くして、彼らの顔のをよく見てみると、皆、ひどくねじ曲がっているのです。つまり、顎は胸の上にあるのではなくて、首がねじ曲げられて、顔は、背中を見下ろしているのです。後ろ向きに動くことによって、前の方向に歩くことになるのです。もしかしたら、麻痺を起こして時としてこのようにねじ曲げられるかも知れませんが、そんな人を私は知りません! それに、そんなことがあり得るとも思えません! 読者よ、私の本を読むことによって、得られる利益を、神があなたに許してくださるのなら、想像してみてください。私たちの体が、ねじれていて、目から流す涙が、お尻の割れ目に落ちるありさまを見て、その時の私がどうやって涙を流さないでいたか想像してみてください。ごつごつした岩に身をもたせかけて、私は泣いてしまいました。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「君はまだ愚者のようですよ。ここの場所では慈悲の心を持っていては敬虔な心を持つことはできませんよ(父と子と聖霊の三一神の位徳によって造立された地獄では、憐れまないことが憐れむことであり、神の裁きを見て悲しむのは神の哀憐への最大の反逆行為)。神の裁きに対して憐れみを持つ者がいれば、その人より悪い罪人はいるでしょうか?! 頭を上げなさい、そしてそこの魂をを見てご覧なさい。彼のために、テーベの人々の目の前で、大地が裂けて、それを見た人々は叫びました。"どこへ急ぐのですか、アンピアラオス? なぜ戦いをやめるのです(ギリシア神話のアンピアラオス。アルゴスの英雄で預言者。アルゴスの王アドラストスのテーベ遠征に加わった七将軍の一人。この戦いで死ぬと知ったアンピアラオスは、難を逃れるため身を隠したが、妻のエリピュレー(アドラストスの妹)に裏切られて結局出征し、戦場で追っ手から逃れようとした時、大地が割れ、戦車もろとも地に呑まれて死ぬ)?"アンピアラオスは、誰をも捕らえてはなさいミノス(地獄第五曲参照)につかまるまで、落ち続けたのですよ。あれが、肩が胸に変えられたなれの果てです。前にある物をあまりにもよく見ようとしたから、後ろに目がつき、後ろ向きにしか進めないのですよ。ティレシアス(テーベの占い師。ある時森のなかで交尾中の二匹の蛇をツエで分けたため七年間女身に変えられた。七年の時満ち、同じ二匹の蛇を再びツエで打ち、男身に変える。男女両性の内性愛の喜びはどちらが大きいかについてゼウスとヘラが議論した時、両性の経験を持つテイレシアスに判決を求めた。テイレシアスはゼウスと同じくそれは女性だと言ったので、ヘラは怒って彼を盲目にしたが、ゼウスはその代償として彼に預言の力を与えた)をご覧なさい。体をすべて変えて、男から女になり、また男に戻る時には、二匹の交尾している蛇をもう一度叩かないといけなかったのです。背中をお腹に向けているのは、アルンス(エトルリアの占星師アルンス。ルカヌスの『パルサリア』1の584−638によれば、大ポンペイユスとユリウス・カエサルとの対立から生じた内乱で、前者の敗北を預言した)ですよ。谷底のカルラーラ人(白大理石の石切場として有名なカルラーラの住民)が土を掘り起こすルーニ(古名はルーナ。マグラ川の左岸に位置するエトルリアの海岸町で、付近にカルラーラの大理石採掘場があった)の丘で、白い大理石の間の洞窟に住み、そこからは、視界を妨げる物はなく、海も星もよく観察することができたのです。そして、あちらで乱れた髪の毛で胸が見えないように覆っていて、体の前の毛の生えた所をあちら側へ向けている女は、マント(テーベの女預言者で、既出のテレシアスの娘。父の死後イタリアに来て、テーヴェレ川の神と結婚。一子オクノスは一つの町を作り、母の名にちなんで、マントゥアと名付けた(*))ですよ。マントは多くの国々をめぐった後、私が生まれた所(マントゥア)に住み着きました。マントのことを少しお話ししましょう。マントの父親が死んだ時、バッコス(ギリシア神話のバッコス(ディオニューソス)は、ポイオティアの首都テーベで生まれたので、テーベをバコすなわちバッコスと呼んだのである。七将軍の遠征後、テーベは王クレオンの手に落ちた)の聖なる都市が人手に渡り、マントは長い間世界中をさすらいました。北イタリアに、ティロル(ティロル。ただしここでは十二世紀にヴェノスタの貴族たちが建てた同地方の城)の上でドイツとの境界となるヴェノスタ・アルプスの山並みの裾に、一つの湖が広がっていて、名前を、ベナクス湖(今のガルダ湖)といいました。思うに千以上もの泉が、ガルダ(ガルダ湖東岸の一都市。ヴェローナの北西約二十五キロ)からヴァル・カモニカ(ガルダ湖の西方、イゼオ湖にそそぐオリオ川流域の渓谷で、長さ約八十キロ)へアルプスの間を潤し、この湖に流れてくるのです。その湖の中央に、一聖所(司教が祝福を与えることのできるのは、自分の教区内だけに限られている。ダンテの言う三教区のどれにも入る聖所とはガルダ湖中央の小島の礼拝堂で、トレント、ブレシア、ヴェローナ三教区の共同管轄下にあった)があり、そこを通り過ぎる、トレント(ガルダ湖北東の都市)、ブレシア(ガルダ湖西方の都市)、ヴェローナ(ガルダ湖東方の都市)の主教は、祝福を与えることもできました。ブレシア人やベルガモ(イゼオ湖の西方、ブレシアの北西約五十キロ、アッダ河畔の都市)人の来襲に備え、強く美しい要塞のペスキエラ(ガルダ湖の東南岸にある城塞都市。ブレシアの南東約三十キロ)が、湖の岸の最も低い所にあります。そこで、ベナクス湖の水がすべてあふれて、川を作り、降って、緑の牧場を貫流するのです。でも、その水が流れて川となると、その名前はベナクスからメンチョ(今の名はミンチョ。ペスキエラ付近でガルダ湖より流れ、ゴヴェルノーロの近くでポー川と合流)となり、ゴヴェルノーロ(マントトゥアの南東約二十キロの都市)にいたり、ポー川に流れるのです。少し進んで、低い平原にいたると、川幅が広がり、沼となり、夏は土地が乾き、所々に汚水が停滞して衛生を害することがあります。マントはそこを通りかかって、沼の中央に人も住まず、耕すこともない土地があるのを見ました。一切人と交際しなくても良いと、召使いを従えて住み、術を行い、そこで死にました。後に、その周りに住んでいた人々が、どの側にも沼で守られているその場所に、集まってきました。彼らはマントの骨の上に町を作り、その場所を最初に選んだマントにちなみ、その土地の名前を魔術に頼ることなく(土地の名前を定める時に占いで決める習慣があった)、マントゥアと呼びました。かつてその町には今よりも多くの人が住んでいました。カサローディ(アルベルト・ダ・カサローディ伯爵。一族はグエルフィ党に属し、1272年、マントゥアの城主となったが、領民に憎まれた。これをなだめるため、軽率にもピナモンテ・デ・ブオナコルシの腹黒い献策を納れ、自分の一族を含む多くの貴族を追放した。孤立無援となったアルベルトを、ピナモンテは市民大衆の助力の元に放逐し、その全財産を没収、他に五十ものマントゥアの名家を根絶した)の愚かさがピナモンテに欺かれる以前には。ですから、私は君に警告しますよ。私の町の起源について何を聞こうと、この真実以外の偽りごと(ウェルギリウスは『アエネイス』10の198−200で、マントゥアを創立したのは、テーヴェレ川の神と女預言者マントの間にできた子オクノスだと述べている(*)。)にたぶらかされてはいけませんよ。」私は答えました。「先生、先生のご説明はいちいち私の理にかない、全く信じております。他の説など、火が消えた炭のようなものです。でも、教えてください。今通り過ぎていく魂の中に、先生の目にとまる者があれば、教えてください。私はそのことが気になっているのです。」先生はおっしゃいました。「あそこにいる、ほおひげを背中に垂らして背中が黒くなっているのは、トロイア戦争のためにギリシアに男の人の姿が無く、そのため赤ちゃんが生まれることの少なかった頃、占い師でした。カルカス(トロイア遠征のギリシア軍に参加した最大の預言者)と共に、アウリーデ(エウリポス海峡にのぞむボイオティアの港)に最初の船出をする時を占いました。その名はエウリュピュロス(『アエネイス』において彼がギリシア軍の行動につき神託を得るのは、トロイア撤収の際で、そこ(2の114−124)にはカルカスの名も出てくる。ダンテは二つの出来事を混同しているらしい)私は私の調べ高い悲劇の中のある所で彼のことを歌いました。君はどこの場面か知っているでしょう。君は、一つ一つの行をすべて知っているのだから。そしてあちらの、両脇腹がひどく痩せているのは、ミケーレ・スコット(1175年頃スコットランドに生まれ、1235年頃死んだ中世の学者で巫術師)ですよ。たぶらかしの妖術に長けていました。あれはグイド・ボナッティ(イタリアのフォルリの有名な占星学者、占い師。フィレンツェの生まれとも言う)ですよ。アスデンテ(本名、マエストロ・ベンヴェヌート。アスデンテは「歯無し」の意味のあだ名。十三世紀の後半、預言者・占い師として名の聞こえたイタリアのパルマの靴屋)をご覧なさい。靴を作るのだけに専念していれば良かったのにと、今さら悔やんでいます。針や、機織りの道具や、紡錘を捨てて、占い師になったあの不幸な女たちをご覧なさい。草や人の形をした人形で邪法を行ったのです(これらの呪術の方法は東西軌を一にする)。さあ、いらっしゃい。イバラを持つカイン(月のこと。カイーノはアダムとエバの長男で、弟のアベルを殺したカイン。アベル殺しを否認したため神罰を受け、月に幽閉されたとの伝説がイタリアにあり、月面に見える背中にイバラの束を負うている男(日本で言う兎に相当)はすなわちカイン)は、既に両半球(両半球とは、イエルサレムを頂点とする北半球と、煉獄山を頂点とする南半球。スペインとインドの一部がその分割の境界。月が両半球の境に届くとは、地平線上にある状態、時刻は午前六時頃(第十一曲の最後で、午前四時だったこと参照))の境にとどき、ソビリア(スペインの町、セビリアの古名)の下の波に触れています。昨晩(ダンテが暗い森に迷い込んで行き詰まった1300年四月八日聖金曜日の前夜。従ってこの時点では一昨夜)月は既に丸かった。このことを君は良く覚えているでしょう。あの深い森のなかで、一度ならず君はそのおかげをこうむったはずですよ(ダンテの真意不明とされる箇所。暗い森を行く者にとって満月の光は助けとなるにしても、やがてそれに変わる太陽の光と比ぶべくもない。ここは、暗黒の森をさまよったダンテの、満月に対する素直な感謝の表明と解すべきか)。」このように先生が話している間も、私たちは歩き続けました。(2005年6月29日)(2006年1月27日更新)

にくちゃんメモ:ここは、魔術師の魂のいる、地獄第八圏の第四嚢です。(2005年6月29日)

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第二十一曲
橋から橋へと私たちは歩きました。その間、私たちは、この神曲に関係のないことなどを話していました。そして、高みに来た時、次の第五嚢との切れ目を見て、空しく嘆く声を耳にしました。でも、私には、異様に暗い所しか見えませんでした! ヴェネツィアの造船所では(その頃の造船所は、1104年に設けられ、1303年から翌年にかけて、さらに1325年に大がかりな拡張工事を行い、ダンテの時代にはヨーロッパで最も重要な造船所の一つであった)、冬の間中、水漏れしている船を修理するために、ネバネバのタールが煮られていています。冬は航海できないので、そこでは、新しい船を造ったり、古い船を修理したり、たくさんの航海に耐えてきた力骨を補強し、舳先や艫に釘を打ち、櫂を作るものあれば、ロープを縒るもの、船首の三角帆を修理するもの、大帆にツギを当てるものがいます。そしてここでも、火ではなく、神の技によって、煮えたぎるネバネバのタールが岸にこびりついていました。私はそこで、そのタールを見ましたが、タールの中には何も見えませんでした。煮えたぎることによってブクブクと泡が上ってくるだけです。私が一心にその下を覗いていると、先生が私に叫ばれました。「気をつけなさい、気をつけなさい!」先生は私をつかんで、先生の方に引き寄せられました。私は後ろを振り返りました。ちょうど、突然の恐怖に体の力が抜けてしまって、でも、なぜ逃げてきたのかを見ざるを得ないで振り返る人のようでした。すると、私たちの後ろに断崖をを駆け上ってくる黒い悪魔が見えました。その悪魔の顔や姿は、なんと恐ろしいのでしょう! 翼を広げて、岩の上を軽々と馳せる身のこなしは、なんと恐ろしいのでしょう! 大きな尖ったこぶのような肩の片方に、一人の罪人をまたがらせ、踵をガシッとつかんでいました。悪魔は私たちのいる橋から叫びました。「おお、マレブランケ(「邪悪の爪」の意味で、第五嚢にいる悪魔たちの醜怪獰猛な姿の一特徴を捉えたあだ名)、こいつは聖チタ(1218年に生まれ、1278年頃死んだ聖女。ルッカの守護聖人。またもとは自身召使いの女であったことから、召使いの女たちの守護聖人。墓は、ルッカのサン・フレディアーノ教会にあるので、ここはルッカの町を指す)の長老(トスカーナ方言で護民官の意味。ルッカでは十人が選ばれた。ここに言及されているのは、二詩人が汚吏の獄第五嚢に達したと推定される日、ルッカで死んだ護民官マルティーノ・ボッタイオであろう。ボッタイオの汚職と愚行を語る逸話は多い)の一人だぞ! おまえがコイツを下へぶち込め、俺はもっと獲物を取りに戻るぞ(アケロン河畔でのミノスの判定を待たず、直接ここへ持ち帰ったのであろう)! ヤツらがたくさんいるあのルッカへ行くぞ! あそこでは、ボントゥーロのほかは(ボントゥーロ・ダーティ。十四世紀の初頭、ルッカ人民党の党首。金の力で町の枢要な公職を自分の思い通りに動かした最もひどい行政家。その「ボントゥーロのほかは」と言わせたダンテの痛烈な風刺に注意。当時のルッカ市政がいかに腐敗していたかが分かる)みんな汚職吏だ! ルッカでは、金になるなら、ノーもイェスに変わってしまうんだからな!」悪魔は罪人を谷底にぶち込み、固い断崖から飛び戻ったのですが、その速さと言ったら、解き放された泥棒の後を追いかける番犬もこのように速いのはいないほどでした。いったん沈んだ罪人は、体を伸ばして浮かび上がってきて、すると、橋の下にいる悪魔たちが皆叫びました。「ここでは、聖顔(今もルッカのサン・マルティーノ聖堂に安置されている十字架上の古いキリスト像。伝説によれば、キリストの埋葬に協力したニコデモがキリストの像を黒い材質の木に刻もうとして心を砕き、睡魔に襲われて目が覚めた頃、その木像は完成していた。742年聖地からルッカへ移され、内外の尊崇を集め、困りごとのあるルッカ市民は、この像に祈りと聖体をささげる習わしであったという)の真似なんかできないぞ! ここでは、セルキオ川(アペニン山脈に源を発し、ルッカの付近を流れ、リグリア海に注ぐトスカーナの川。夏になるとルッカの市民はこぞってこの川に水浴した)でのようには泳げないぞ! こっちは熊手を持っているんだから、タールから姿を見せると、熊手で引っかけてしまうぞ!」悪魔たちは、百以上の熊手で罪人を引っかけて、金切り声で叫びました。「ここでは、踊るのでも、隠れて踊らねばならない。タールの上に出たいのなら、隠れてしなくちゃいけないんだぞ!」それはちょうど、料理人が、手伝いに命じて、肉をフォークで鍋の底に沈めて浮かび上がらないようにするのと同じようでした。ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「君は、ここに私と一緒にいるのを、悪魔たちに知られないようにした方がいいでしょう。ギザギザした岩の後ろにかがみ込めば、悪魔たちに見えないでしょう。どんな乱暴が私にふりかかっても、恐れてはいけませんよ。私はここのことをよく知っていますからね。前にも一度、このような騒ぎに巻き込まれましたから。」先生は橋を渡り、向こう側に進まれました。しかし、六番目の岸に着いた時、先生は毅然たる態度を示さずにはいられないことになったのです。その怒りが荒立つ様子といったら、ちょうど、立ち止まっている場所から、出しぬけに物乞いをする乞食に向かって犬が群がって襲いかかる時のようでした。橋の下から出てきた悪魔たちが、熊手を先生に向かってかまえました。しかし先生は、叫ばれました。「おまえたちの乱暴は許しませんよ! 熊手で私を引っかける前に、おまえたちの一人が進み出て、私の言うことを聞き、それから、私に熊手を引っかけるかどうか決めなさい。」悪魔たちは叫びました。「マラコーダ(「邪悪の尾」の意味。第五嚢を監視する悪鬼の頭目)よ、行け!」すると一人の悪魔が進み出ました。他の悪魔はとどまっていました。そして、マラコーダは言いました。「こんな事をして、何かいいことでもあるのか?」先生はおっしゃいました。「マラコーダよ、幸福なる運命と、神のお許しがなければ、すべての抵抗に打ち勝って、安全にここまでやってこられないだろう、と思わないのか? さあ、私たちを通しなさい。私がもう一人をこの荒れ果てた道を案内するのは、天国の思し召しなのですよ。」すると傲慢な悪魔は、シュンとなり、熊手も足元に取り落とし、他の悪魔に言いました。「コイツには手を出すなよ!」先生は私を呼ばれました。「さあ、橋の岩の後ろに縮こまって、じっとしているダンテよ、安心してこちらへいらっしゃい。」先生のそのお言葉に、私は立ち上がり、先生の元に走りました。すると悪魔たちは前へ出たので、私は、先ほどの約束を破るのではないかと恐れました。協定で、カプローナ(ピサ市から約八キロの距離にあって、アルノ河畔の丘に建つ城。ピサのグエルフィ党首領ウゴリーノ伯が死に、同市からグエルフィ党員が追放されて間もない1289年八月、ルッカとフィレンツェの市民を先頭に、トスカーナ地域のグエルフィ党員はピサ地域に侵攻、カプローナ城その他の要塞を占領した。二十五才の若いダンテもこの戦いに参加し、その時の印象をここに成文した)の城から出てきた歩兵たちが、敵軍の間を通る時に、同じような恐れにとらわれた様子を、私はかつて見たことがあります。私は先生にできるだけ近寄り、悪魔たちの薄気味悪い顔から目を離しませんでした。悪魔たちは、熊手を私に向け、その中の一人が言いました。「ヤツのお尻を引っかけてやろうか?」すると他の悪魔たちが答えました。「そうだ、やってやれ!」しかし、先生と話をした悪魔(マラコーダ)が、パッと振り向き、命令しました。「やめろ、やめろ、スカルミリオーネ(「汚い乱れ髪」の意味。ダンテの造語。他の悪鬼の名の場合にも、その相貌に関係のあるものは多いが、実在の人物を風刺したのもあり、真意は結局造語したダンテ自身でないとつかめない)!」そして、マラコーダは私たちに言いました。「この橋を渡ってまっすぐに行くことはできないぞ。第六の門が砕けていて行く手をふさいでいるからな(やがて明らかとなるように、マラコーダは、いかにも第五嚢を預かる悪鬼に相応しく、まことしやかにウェルギリウスを欺いている)。どうしても進もうと思うなら、この尾根づたいに進め。すぐに、渡れる橋があるから(これがマラコーダの嘘)。ここの道がここに壊れてから、今の刻限(地獄第二十曲の終わりで、地獄への旅に出て二日目の午前六時過ぎであることを示していたから、「いまの刻限」は午前七時に当たる)からあと五時間したら、1266年と一日だ(既に地獄第十二曲で示すように、地獄の岩崩れはキリストの十字架上の死の時におこったとダンテは措定する。十字架にかけられたのはキリスト三十四才の聖金曜日だから、1266年に34年を加算すると1300年となり、息絶えたのは復活祭の前の聖土曜日午後とダンテは考えたので、マラコーダのこの算術となる)。体を干しているヤツがいないかどうか調べに、ちょうどそこへ仲間を差し向ける所だ。一緒に行け。不作法な真似はさせないから。前へ出ろ、アリキーノにカルカブリーナ」マラコーダは命令しました。「おまえもだ、カニャッツォ。そして、バルバリッチャは隊長だ。リビコッコも来い。それにドラギニャッツォ、それに牙のあるチリアットとグラッフィアカーネとファルファレルロと、狂ったルビカンテも。溝を見て回って、煮えたぎるタールをよく見ろ。この二人を洞窟と洞窟をつなぐ橋に安全に送り届けろよ。」私は言いました。「ああ、先生、これはどうしたことでしょう。案内はいりませんから、先生と私だけで参りましょう。先生は道をご存じでしょう。他の道しるべはいりません。いつも通りの観察の鋭い先生ですから、彼らがしきりに歯をギシギシ言わせ、互いに目配せしているのが、おわかりでしょう? 私たちは危険です!」すると先生は私におっしゃいました。「私は君を怖がらせはしませんよ。彼らは思う存分歯をギシギシやらせておきましょう。彼らはタールに煮えられている者に対してやっているのですから。私たちにではありませんよ。」彼らは左に向いて、岸に沿って行く前に、舌を上下の歯の間に圧して、マラコーダへの敬礼とし、マラコーダはおならをして合図としました(舌の上下の歯の間から出すのが、命令了解を示す手下の首領への、放屁がそれに対する首領の手下への合図)。(2005年6月30日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:ここは、汚職者のいる、地獄第八圏の第五嚢です(2005年6月30日)

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第二十二曲
騎手の軍隊が陣営を移し、攻撃を仕掛け、軍を整え、そしてある時は、後退して逃げ延びるありさまを、私は昔見たことがあります(フィレンツェのグエルフィ党員とアレッツォのギベリーニ党員の間で闘われた1289年六月十一日におけるカンパルディーニの戦い、あるいは同年の晩夏におけるカプローナの戦い(地獄第二十一曲参照)で、ダンテはこの経験をしたと思われる)。偵察隊が地形を捜索するのを見たことがあります。ああ、アレッツォ(トスカーナ地域の南東部にある都市。ダンテの時代、ギベリーニ党の本拠地で、グエルフィ党員の多いフィレンツェと不断の敵対状態にあった)人よ、私は、騎馬隊の戦い、馬上試合も見ました。それは、らっぱ、鐘、太鼓、城ののろしなど、その時に応じて様々の合図がありました。でも、このような(地獄第二十一曲終わり参照)おならによって合図されて、騎兵や歩兵が動き、陸や星を頼りに進む船を見たことはありませんでした! 私たちは、十人の悪魔と一緒に歩んでいました。旅の友のなんと獰猛なことだろう! でも、これは、ことわざに言う、教会では聖徒を、居酒屋では大酒ぐらいを友とする、ということです。私は、この第五嚢がどのようになっているか、そして、下の方で焼かれている魂がどんな様子かを見ようと、タールに注意を向けていました。時々、罪人の背中が、苦痛をゆるめるために、タールからのぞき、そして稲妻よりも速く、背中を隠すのでした。それはちょうど、背中を弓なりに曲げて船に近づき、水夫たちに嵐の襲来のために準備するように知らせるイルカ(イルカの群れが海面を泳ぎ、船に近づく時は、やがて嵐の襲来を告げるものと信じられていた)のようでした。ここの罪深い魂たちは、溝の水際で、足も胴体も下に隠しているのに、鼻だけ水から出しているカエルのような姿勢をしていました。しかし、バルバリッチャが近づくやいなや、彼らは煮えたぎるタールの下に急いで身をかがめました。思い出すと今でも心が震えるのですが、たまたま一匹のカエルが残って、他のカエルが飛び込むように、一人の魂がぐずぐずしているのを見ました。その魂の前に立っていたグラッフィアカーネは、その魂の、タールだらけの髪の毛に熊手を引っかけて、くるくる回し、引き上げました。その魂は、カワウソのようでした! 道案内のために悪魔が選び出された時(地獄第二十一曲終わり参照)、名前を呼ばれた悪魔は前へ出たのですが、私はそれを聞いていたので、私は、すべての悪魔の名前を知っていました。「おい、ルビカンテ、おまえの爪をヤツの背中に引っかけて、皮をはいじまえ。」恐ろしい悪魔が叫んで、ルビカンテをあおり立てました。私は言いました。「ウェルギリウス先生、できましたら、お願いです、あの敵の手に落ちた不幸な魂の名前を教えてくださいませんか?」先生は右に歩まれ、その魂の側へ行き、どこの出身かを訊ねました。するとその魂は答えました。「私はナヴァール(ピレネー山脈のフランス側とスペイン側との両方にまたがる王国ナヴァール。十世紀に独立国となった。ここで身の上を語っている人物の正体は不明)王国で生まれ育ちました。私の母は、私をある首領の従僕にしました。なぜなら、父が、資財を使いつくし、自殺したからです。それで、私はすばらしきティボーニ(1253年から70年までナヴァールの王であったティボーニ二世。歴代のナヴァール王の誰よりも仁慈公正であったと伝えられる)王の下に仕えました。そこで私は汚職の味を覚えてしまい、結局ここで煮えられて罪を償っているのです。」その時、イノシシのように口の両側から牙をむき出しにしたチリアットが、片方の牙で彼に噛みつきました。そのナヴァールの魂は、意地悪な猫たちになぶられるネズミのようでした。しかし、バルバリッチャは腕で彼を抱え込んで叫びました。「下がれ、俺がコイツを支えている間はな!」するとバルバリッチャは先生に顔を向け、言いました。「コイツからもっと何か聞きたいなら、他のヤツらが引き裂きにかかる前に、いろいろ聞いておけ。」先生はおっしゃいました。「それでは、教えてください。このタールの下にいる魂の内、イタリア人はいますか?」すると、彼は答えました。「ちょっと前に、イタリアの隣のサルディーニャ島生まれの者と一緒にいました。ああ、私もあの人と今もこの下に一緒にいたなら、爪も熊手も恐れなくて済んだのに!」すると、リビコッコが叫びました。「もうこれ以上待てないぞ!」リビコッコは自分の熊手を彼の腕に引っかけると、引き裂いてしまい、筋肉がひとかたまり落ちてしまいました。今度はドラギニャッツォが彼の足に向かいかまえたものの、彼らの首領であるバルバリッチャが鋭いまなざしで、辺りを見回しました。少し騒がしさがおさまった時、先生は、傷つけられた所を見つめているナヴァールの魂に訊ねられました。「岸に行こうとした時に取り残されてしまった不幸なその人の名前はなんですか?」彼は言いました。「修道士ゴミタ(所属の修道会の名は知られていないが、サルディーニャ生まれの修道士。サルディーニャ島ガルラ州の法官であったピサのニーノ・ヴィスコンティの代官となったが、地位を悪用して役職の不正取引に従事、また自分の監視下にあった囚人の逃亡に加担したなどの積悪が露顕し、ニーノによって絞首された)です。ガルラの生まれで、ペテン師の中のペテン師です。あるじの敵を手なずけ、その扱いがうまいものだから、彼を褒めないものはいないほどでした。彼はしかるべき手続きをとらずに、自分の懐に金を取り込み、しかも、持参者をすんなりと立ち退かせ、他のことでも、ちんぴらの汚職吏ではなく、大物の貫禄は充分です。彼と馬の合うのは、ロゴドーロ(ダンテの時代にサルディーニャ島が司法上四分割されていた地域の内、最も大きなもの。同島の北西部を占める)のドンノ・ミケール・ザンケ(ドンノは敬称。この人物の実像については不明の部分が多く、最近の研究では、サルディーニャのエンツィオ王の代官、あるいはその部下であったとの説、エンツィオの母、もしくはエンツィオの離別した妻を娶ったとの説、すべて否定されている。比較的確実とされているのは、彼が支配権獲得のための様々な陰謀に加担し、1275年娘婿ブランカ・ドーリアによって暗殺されたこと)です。サルディーニャの事については、話は尽きません。おお、別の悪魔が歯をギシギシ言わせているのを見てください。もっと話をしたいですが、カサブタをひっかこうとかまえているあの悪魔が恐いのです。」しかし、バルバリッチャが、まさに打ちかかろうとして目をぎょろつかせていたファルファレルロに向かって叫びました。「あっちへ行け、鳥野郎」。恐れつつも去った所から立ちあがり、その魂は言いました。「あなた達が、トスカーナやロンバルディア生まれの者(このナヴァール生まれの亡者は、ダンテをトスカーナの、ウェルギリウスをロンバルディアの生まれと判断し、二人の歓心を買おうとしている)に会って、話をしたいのであれば、連れてきましょう(ダンテの最も知りたがっているイタリア本土の亡者の消息を後回しとする所に、この語り手のずるい計略がある)。でも、マレブランケをもう少し後ろへ下がらせなければいけません。そうでないと、その魂たちが安全にタールのそこから上がって来られないですから。私は、この場所にとどまって、タールの上が安全だという合図の口笛を吹いて、一つの口笛の代わりに七つの口笛、つまり七人の魂を呼びましょう。」この話を聞いて、カニャッツォが鼻を突き出して、頭を振って言いました。「コイツのずるいたくらみを聞いたか? 自分の身を投げ入れたいばかりに!」すると、ずるいたくらみはお手の物のこの魂は、言いました。「私の仲間をもっとひどい苦しみに遭わせられるものなら、いかにも私は悪巧みが得意ですよ。」しかし、アリキーノはこらえられなくなり、悪魔仲間の考えにたてつき、叫びました。「おまえが飛び込めば、俺はおまえを追ったりしないで、俺の翼でおまえをタールにぶち込むぞ。俺は、第五嚢と第六嚢の間の堤の頂きを降りて、少し第六嚢の方に向かって岸を隔てとするぞ。おまえ一人で、俺たちに勝てるかどうか、見物だな!」ああ、読者よ、奇妙なゲームの始まりです。悪魔たちは第五嚢に背を向けました。このことに反対した浅知恵のカニャッツォは、最も早かったです。ナヴァールの魂は、地面に足をしっかりと据え、巧みに隙をねらっていましたが、あっという間に飛び込み、彼は自由になり、悪魔の計画は失敗に終わってしまいました。これを見た悪魔は、悔しがりましたが、その中でも、大失敗をしてしまったアリキーノはとても悔しがり、叫びました。「絶対つかまえてやるぞ!」しかし、後の祭り。翼も恐怖の速さには歯が立ちませんでした(アリキーノの翼も、ナヴァールの亡者の恐怖に駆られての賢明の逃げぶりには追いつけない。この箇所、恐らく『アエネイス』8の224の「恐怖が彼の足に翼を貸した」を踏まえている)。魂は潜り、追う悪魔は胸を上に向けざるを得ませんでした。それはちょうど、鷹が近づいてきて、鴨が水に素早くもぐり、どこに行ってしまったか分からなくなり、鷹が打ち負かされて空に戻らなければならないのと同じでした。その間、アリキーノに対して怒ったカルカブリーナは、罪ある魂が逃げ切れることを願って、アリキーノと格闘しようと、飛び立ちました。そして、汚職吏の姿がタールの中に消えた時、カルカブリーナは、アリキーノに爪を向け、タールの上で、とっくみあいになりました。しかし、アリキーノも、既に十分成長した鷹のように、カルカブリーナに爪を引っかけ、取っ組み合うあまり、二人とも煮えたぎるタールの中に落っこちてしまいました。熱により二人はすぐに引き離されたが、翼はタールでべっとりこびりついて舞い上がることができなかったのです。バルバリッチャは、他の悪魔たちと同じぐらい怒って、四人の悪魔に熊手を持たせて対岸に飛ばせました。四人は、あちこちの持ち場に降り立ち、タールにまみれた仲間に熊手をさしのべたけれど、仲間は既にその皮膚の中まで焼けていたのでした。私たちは、グチャグチャになっている彼らを残し、そこを離れました。(2005年7月1日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:ここは、まだ、地獄第八圏の第五嚢です(2005年7月1日)

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第二十三曲
静けさの中、先生は前へ、私は後ろへ、二人だけで下級修道士(フランシスコ会修道士。清貧と謙抑を誓うこの修道会では、修道士はすべて下級と呼ばれた)のように道を進みました。私は、先ほどの悪魔たちの小競り合いのことを考え、カエルとネズミのイソップ寓話(カエルとネズミが共に旅をしていて、水辺に来た。カエルはネズミを助けて水を越えようとして、ネズミを欺き、ネズミの足とカエルの自分の足とを結びあわせて、水の深い所に行って、ネズミを溺れさせた。そこに一羽の鷹が来て、ネズミが水に浮いているのを引き上げて、図らずも生きたカエルを獲ることができた)を思い出しました。カルカブリーナがアリキーノをやっつけようとするのは、カエルがネズミを水に溺れさせようとしたのと同じで、争ったあげく、タールに落ちてしまうのは、カエルとネズミが鷹に捕られてしまうのと同じです。一つの考えが新たな考えを生むように、私の恐れは、新たな恐れを生み、倍になるようでした。私は考えていました。「あの悪魔たちは、私たちのために愚弄され、屈辱を感じ、ひどく怒ってしまった。この怒りが彼らの悪意に加われば、あの悪魔たちは、きっと私たちを追ってくるだろう。それは、口にくわえた野ウサギを痛めつける犬よりもひどいでしょう。」私はとっても恐かったのです! 私は身の毛のよだつ思いをして、後ろを見ていました。私は言いました。「ああ、ウェルギリウス先生、ご自身と私を隠してください。マレブランケが恐いのです。あの悪魔たちは私たちを追ってきています。声が聞こえてきます。」先生はお答えになりました。「例えもし私が鏡だったとしても、君の心が私に伝わるより速く、君の姿を写すことはできませんよ。実は、今、君の心は私の心と同じなのですよ。つまり、同じ事を考えていたのです。君の心と、私の心と合わせて、私は一つの考えにいたりました。右の岸が、次の第六嚢に降りられるぐらいの坂道なら、私たちは、怖がっていた追っ手から逃れられますよ。」先生がその計画を私に告げる前に、悪魔たちが翼を広く広げて近くまで来て、そして私たちをつかまえようとしたのでした! 先生は無意識に私を抱きしめてくださいました。それはちょうど、お母さんが、ざわめきに目を覚まして、炎が近づくのを見て、自分のことより子供のことにしか気が回らず、何か着替えることもせず、赤ちゃんを抱き上げて走るようでした。そして、先生は、堤の尾根を越え、第六嚢の高い方の壁を石をまき散らしながら、その岸を滑り降りました。粉ひき車をまわす水が、細い水路をものすごい速さで流れるのも、もっと言えば、水かきの羽根を打つ時のものすごい速さも、この時の先生が坂を滑り降りる時ほど速くはありませんでした。先生は、旅の同伴者というのではなく、我が子のように、私を胸に乗せ、滑り降りてくださったのでした。先生の足が下の深みの底に届くか届かないかという時に、十人の悪魔たちが、私たちの上の高い所に来たのでした。しかし、もう恐れることはありませんでした。悪魔たちは、第五嚢に仕えると定めた、天の摂理によって、そこから離れられないのでした。そして、下に見えるのは、とても疲れた様子で、涙を流しながら、とってもゆっくりと一歩一歩歩む、きれいな色を塗られた魂たちでした。皆、フードが目を覆うぐらい下がったコートを着ていました。それはクルーニ(ブルゴーニュにあるベネディクト会の有名なクリュニー修道院。富裕のため服装の華美を以て知られていた。シトー会を捨ててこの派へ入った甥宛の手紙で、クレルヴォーのベルナール(1090−1153)は、「もしも聖性が飛切上等の高価な布で作り、長い袖と深い帽子を持つ柔らかで華奢な僧衣に宿るというのなら、踏みとどまって君の後を追わぬ私の根拠はなくなろう」と辛辣に述べている)の修道士のコートのようでした。外側はキラキラ輝く、金メッキをしたマントなのですが、内側は鉛が貼ってあり、その重さに比べれば、フリードリヒ(フリードリヒ二世。地獄第十曲参照。王に叛意を示した罪人には、全身を覆う分厚い鉛の外衣を着用させ、大釜に入れ、鉛も人体も溶けるまで煮たという。確証の裏付けのないこの伝承はダンテの時代にもなお生きていた)が着せたものは、藁のようです。ああ、永遠に苦しみを着せるコート! 私たちは、いつものように、左に歩き、魂たちの嘆きを聞きつつ、彼らと歩みました。しかし、彼らはコートの重みのせいで、疲れ果てていて、歩くのがとても遅いので、私たちの一歩ごとに、側にいる魂は、どんどん新顔となってしまうのでした。そこで、私は先生に訊ねました。「歩いている内に、私が、名前や行いを知っている魂がいるかどうか、よくご覧ください。」すると、私のトスカーナ訛りを聞いた魂がどこか後ろの方から叫びました。「そんなに速く行かないでください、そこの人、この重苦しい空を走る(魂にとっては走ると思われた)あなた方。あなた(ダンテのこと)が求めていることに、私は答えられます。」これに対して、先生は私に向かっておっしゃいました。「止まりなさい、彼を待って、歩調を合わせてお歩きなさい。」私は立ち止まり、二人の魂の、私に追いつこうと必死な顔を見ました。でも、コートの重さと、のろのろと歩く多くの魂のために、道が狭いので、なかなか追いつけないのでした。二人が追いつくと、目をそばめて(一つには僧帽が深いために、また一つには着衣が重いために、身をめぐらすことができない。同時に、彼らのずるさを示す身振りでもある)しばらく私を見つめ、言葉を交わすこともしませんでした。そして、互いに顧みて言いました。「この人は生きているようです。喉が動いているから。それに、二人とも、死んでいるなら、どんな特権があって、重いコートを着ないで歩けるんだろう?」そして、彼らは私に話しかけました。「ああ、偽善者のたむろする所にやってきたトスカーナ人よ、私たちを軽蔑せずに、あなたがどなただか言ってください。」私は彼らに答えました。「私は、アルノ流域最大の町、フィレンツェで生まれ育ちました。そして私は今までと同じように今も肉体を持って生きています。でも、あなた方はどなたですか? 悲しみの涙を頬にたくさん流しているのが見えます。そして、キラキラしているコートは、どんな罰なのですか?」二人の内の一人が答えました。「このオレンジ色のコートは分厚く、鉛でできていて、重みはこのように秤をもきしませるほどです(秤の形は、両腕を伸ばした人体に似ており、二つの秤皿に重いものを乗せると、首に相当する中央の交叉部がきしむ。ここでは、重さゆえ喉がきしんで声もまともに出ないさま)。私たちは、ボローニャ生まれの安逸助修士(1261年、教皇ウルバヌス四世の許可を得てボローニャに創立された聖マリア騎士団修道会に属する修道士。この修道会の目的は、イタリア各都市に見られる派閥間の闘争や確執を無くし、圧制下にある弱者を守り、各家庭に平和をもたらすことであったが、会規の甘さゆえに創立後十年にして安逸修道会のあだ名を得た)です。私の名前はカタラーノ(カタラーノ・ディ・グイド・ディ・オスティア。1210年頃ボローニャに生まれ、1285年没。グエルフィ党員。エミリアやロンバルディア各都市の長官を務めたあと、ロデリンゴと協力して1261年聖マリア騎士団修道会を結成した。1265年と1267年にロデリンゴと共にボローニャの長官となり、晩年をボローニャ付近のロンツァーノの聖マリア騎士団修道院に過ごした。ダンテの弾劾は、この二人が始終教皇の意のままに動き、真の平和と関わりのないきれい事師にすぎなかった点に向けられる)、こいつはロデリンゴ(ロデリンゴ・デリ・アンダーロ。1210年頃ボローニャのギベリーニ党の名家に生まれ、カタラーノと行動半径を共にし、1293年、ロンツァーノの修道院で死んだ)です。フィレンツェに平和をもたらすために、普通は一人の人だけが選ばれるのですが、二人とも選ばれました(長官になったこと。長官は普通一人が定め)。私たちがどのような人かというのは、今もガルディンゴ(フィレンツェの一部で、パラッツォ・ベッキョの近くにある。フィレンツェのギベリーニ党を率いるウベルティ家の本拠はそこにあったが、カタラーノとロデリンゴのフィレンツェ長官時代、ギベリーニ党に対する民衆の蜂起によって破壊され、廃墟だけが残った。この二人の安逸助修士の正体への痛烈な風刺)のあたりに残っています。」私は言いました。「ああ、修道士よ、あなた達の不幸は・・・・・・」しかし、私はもう言いませんでした。言えなかったのです。なぜなら、三本の杭で(左右に伸ばされた両手に一本ずつ、束ねた両足に一本、計三本)地面に磔にされた者を見たからです。彼は私を見た時、苦しみのため息をヒゲに吐き入れ、体は身もだえしていました(地獄第十九曲の教皇ニコラウス三世の場合と同様、生きた人間に現状を見られ、上界に知らされることのやるせなさゆえの嘆息と身もだえ)。するとそれを見ていた修道士カタラーノは、私に言いました。「あなたが見ている、あのはりつけになっている男は、民衆のためなら一人の男を犠牲にしても良いとファリサイ人に勧めた男、カイアファ(「一人の人が民の代わりに死んで、国民全体の滅びない方が得策だ」とファリサイ人たちにたきつけた大司祭カイアファ。ヨハネによる福音書11の45−52参照)です。ご覧の通り、裸で(この嚢の他の魂と異なり、鉛裏の衣を着せられておらず、従って重圧を感ずるのが甚だしいことに注意。なおここは、イザヤ書51の23を踏まえている)道をまたいではり付けられているので、その上を通る魂たちの重さを感じないといけないのです。彼の舅(アンナス。ヨハネによる福音書18の13参照)も、ユダヤ教徒たちの災いの種となる議会のメンバー(ヨハネによる福音書11の47に、「祭司長とファリサイ人たちは議会を招集し」とある)も、この嚢の中で同じような苦しみを受けています。」私は、ウェルギリウス先生が、はりつけになって横たわっている男が、永遠に流刑にされたようなのを、じっとご覧になっているのに気づきました。すると、先生は顔を上げ、その助修士の一人にお尋ねになりました。「もし許されるのなら、教えてほしいのです。この底から私たちを引き上げに来てくれる黒い天使(堕落して悪魔となった天使はすべて黒い)の誰かに頼まないでも、この場所から私たちが出られる通路が、右の方にあるかどうか教えてほしいのです。」その助修士は答えました。「あなたが望んでいるよりも近い所に、岩の尾根があります。その岩は、取り巻いている岩から突き出ていて、恐ろしい谷のすべてに橋を渡してあります。この谷では、その橋は崩れ落ちていて、どこも通れません。でも、あなた方は、この岸を背にして坂になった盛り上がって崩れているのをよじ登れます。」先生はそこでしばらく立ち止まり、頭を垂れていましたが、やがておっしゃいました。「あちらで罪人を熊手で引っかけているあのマラコーダが、私たちに嘘をついたのだな。」すると助修士が、言いました。「ボローニャで昔聞いたのですが、悪魔は、たくさん悪いことをしますが、その中の一つは、嘘をつくことです。嘘つきの父(ヨハネによる福音書8の44に、イエスの言葉として、「悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいない。彼の内には真理がないから。彼が偽りを言う時は、自分に相応しい話し方をしている。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父なるがゆえに」とある)のようなものです。」先生は、急いで、大股で歩き出されました。先生の顔には怒りの跡が見られました。私も、重荷に悩む魂たちと別れ、慕わしい先生の足跡を追いました。(2005年7月4日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:この第十二曲では、悪魔達のいる第五嚢から逃れて、偽善者たちの魂のいる地獄第八圏の第六嚢に行きます。(2005年7月4日)(2005年7月25日更新)

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第二十四曲
新しい年は始まったばかりで、太陽は宝瓶宮の下にその髪をくしけずり(太陽が宝瓶宮にある期間は、おおむね一月二十一日から二月二十一日まで。「髪をくしけずる」とは光線を暖めること。『アエネイス』9の638には「髪長き日の神」とある)、夜は既に短くなる頃。霜は、色白の姉(雪)の面影を地面にうつすけれども、筆の穂がかすれて長く続かないのと同じように、日が昇ってきた頃。農民が起き出し、地面が霜で真っ白なのを見る。羊のための飼料がない! 怒って腰を打ち叩いて(絶望の身振り。聖書や古典文学にしばしば見える)、掘っ立て小屋に戻り、あちこちにつぶやくのは、不幸な人が何をしたらいいのか分からないのに似ていて、また外に出てみると、その少ししか経っていない間に、世の中が変わってしまったのを見て、新たに望みを呼び起こして杖をとって、羊を追うために牧場へ向かう。。。先生の曇った顔色を見て、私が困惑し、そしてすぐに慰められたのは、ちょうどそのような感じでした。なぜなら、私たちが壊れた橋の所に着いた時、先生は私に向かって、初めて山の麓で見た時(地獄第一曲参照)と同じ暖かなまなざしを向けてくださったからです。先生は注意深く壊れている所をお調べになり、どうやって登ろうか考えてから、腕を広げて私を抱きかかえてくださいました。そして、常に、あらかじめ次にどうするか準備して、前もって考えて行動する人と同じように、先生は、大きな岩へ私を登らせている間も、次に登る岩を既に選んでいられました。先生はおっしゃいました。「さあ、あちらの岩に登りなさい。でも、君の体重に耐えられるかどうか、試してみるのですよ。」あの重たいコートを着た人(見てきたばかりの魂たち)にはとても登れる道ではありませんでした。私は先生に助けられていて、先生には重さがないのにもかかわらず、私たちはこの険しい岩山を登るのはとても大変でした。そして、私たちが登った岸が、滑り降りた岸よりも長かったら、先生には言えませんが、私個人としては、もうやめてしまったでしょう。でも、嚢の坂は、すべて、どん底の井戸の口の方へと傾いているので、岸はどんどん低くなっていくのです。しかし、どうにかして私たちは、最終的に、岩が崩れている最後の所の上にたどり着きました。私は頂上に来た時には、息が切れてしまっていたので、それより先に進めず、しゃがみ込んでしまいました。先生はおっしゃいました。「さあ、怠けてはいられませんよ。柔らかなクッションの上に座っていたり、ベッドでくるまっていては、誉れ(原語ファーマは、「人の口の端に上る」意味のギリシア語から来ており、必ずしも良い意味だけを持つものではないが、中世では昇華されて「名声」「誉れ」を内容とするようになった)を得ることはできませんよ。そして、誉れがなくて人生を過ごした人が地上に残す跡といえば、風の中の煙、水に浮かぶ泡のようなもので、とても虚しいものですよ。さあ、お立ちなさい。重い肉体によって、力がでないというのでなければ、どんな戦いにも打ち勝つ元気で、君の疲れに打ち勝つのですよ。これよりもっと急勾配の煉獄の山を登らなければならないのですよ。今までの罪人を見ただけでは不十分ですよ! 私の言うことが分かるなら、私の言葉から、行動を起こしなさい。」私は立ち上がり、本当はそんなに元気ではなかったのですが、元気に見えるようにして、言いました。「進んでください。もう大丈夫ですから。」私たちは登って橋に沿っていきました。そこは、ギザギザしていて、狭く、歩きにくく、それまで登ってきた所よりもっと険しかったのです。元気がないと思われないように、私は登りながら話をしていました。すると、第七嚢の深みから言葉にならない声が聞こえたのです。私はその門の頂上にいたにもかかわらず、何を言っているのか分かりませんでした。誰がしゃべっているにせよ、走りながらしゃべっているように聞こえました。私は下を見てみましたが、どんなに瞳を凝らしても、真っ暗闇しか見えませんでした。それで私は言いました。「先生、第七嚢と第八嚢の間に降りましょう。何か分かりませんが、音が聞こえるのです。見下ろしても何も見えません。」先生は答えられました。「君の問いへの答えは実行で示しましょう。なぜなら適切な要求には、不言実行がいいのです。」私たちは、橋の一番上から、橋の端と第八嚢との連なる所に降りました。そして第七嚢のありさまが見えたのでした。そこの下には、たくさんの蛇の群れが見えました。恐ろしいほどの種類の蛇なので、今思い出しても血の気が引いてしまいます。リビア(古代ギリシアの地誌では、エジプトを除く北アフリカ全体の名称。その地域は後マルマリーカとキュレナイカの二つに分かれ、リビアはローマ帝国のアフリカ植民地の一部となる)も、もう、その砂漠を自慢できません。確かに、リビアには、ケリドリ(滑った後に煙が立つ蛇。この蛇もこめて、以下、ダンテはルカヌスの『パルサリア』9の711−714、719−721に出てくるリビアの蛇を列挙した)、ヤクリ(飛ぶことのできる蛇)、ファレー(尾で道を造っていく蛇)、チェンクリ(いわゆる蛇行をせず、一直線に進む蛇。腹部には手の込んだマダラや元禄模様がある)、アンフィシベナ(双頭を持ち、銘々勝手な方向へ進む習性あり)がいます。エチオピア(古代のエチオピアは、エジプトの南部からザンジバルにいたる広範なアフリカ地域を指す。ダンテはここで、リビア、エチオピア、紅海付近の地域を、蛇の多い砂漠地帯に組み入れた)や、紅海のほとりの地域を加えても、これほど多くの蛇は住んではいません。この冷酷でむごい蛇の群がる中を、おびえる裸の(裸体ゆえ毒蛇の被害を一層直接に受ける。読者に苦痛の感覚を伝えるため、ダンテは既に地獄第十四曲でも裸体を登場させた)魂たちは、隠れる穴や、姿を見えなくする石(プリニウスの『博物誌』37の61によれば、エチオピア、アフリカ、キュプロス島に産するヘリオトロピウムと呼ぶ石で、色は青みを帯びた緑、血紅色の縞が走る。この石に植物のヘリオトロピウム(きだちるり草)の汁を注ぎ、秘密の呪文を唱えると、石の所有者の姿は見えなくなると信じられた)を探して走り回っていました。その魂たちは、手を後ろから蛇に縛られていました。蛇の頭と尾は魂たちの腰を刺し、それを前でからめて結び目を作っているのでした。そして、私たちがいる岸の近くを走る罪人に向かって、一匹の蛇が飛びつき、首と肩のつながる所を刺し貫きました。ペンで紙にoやi(アルファベットの中でも一筆で最も速く書ける二字)を書くよりも速く、その魂は燃え上がり、焼けてしまい、灰となって崩れました。そして、その灰は地面に散り散りになったのですが、集まってきて、素早くもとの姿を取り戻したのです。偉大な賢人たちによれば、フェニックスは死後五百年経つとよみがえるといいます(神秘的なアラビアの霊鳥フェニックスについては、ブルネット・ラティーニ、ラクタンティウス、プリニウスその他いずれも記述しているが、ダンテはここで主としてオウィディウスに拠っている。その『変身譜』15の392−402参照)。この鳥は、生きている時は、草や穀類を食べず、香木(アラビア、東アフリカのカンラン科常緑高木。礼拝などでたく。アラビアの正月では、たいて香煙を素焼のつぼに2分間満たし、湯を注ぐと甘い味の湯ができる)の涙と、アモモ(生姜科の芳香植物)の汁を食べ、カンショウとモツヤクを巣とします。隠れていた悪魔がひっくり返したのか(マルコによる福音書1の26、9の17−27、ルカによる福音書4の35などに、人にとりつき、あるいは人から出ていく悪鬼・悪霊の記事がある)静脈の閉塞によるものなのか(原語のオピラッツィオンはもと医学用語で、静脈に閉塞が起こり、血液の循環が止まる状態を言う)、理由は分からないけれども、人が発作的に倒れ、そして起きあがり、周りを見回すと、激しい苦痛をこうむったことで取り乱して、周りをにらみつけて嘆くことがあります。この罪人が起きあがった時もこれと同じです。ああ、神の力が、復讐のためにこのようにも激しい打撃を雨のように降らすとは! 先生は、その魂に、誰なのかをお尋ねになりました。すると彼は答えました。「それほど昔ではありません(1295年三月と考えられていたが、最近の研究では1300年の三月となった)。私はトスカーナからこの恐ろしい第七嚢の渓谷に落ちました。私は人と言うより、獣のような生活を好んでいました。私はラバ(原語のムールには庶子の意味もあるゆえの自嘲)でしたから。私はヴァンニ・フッチ(ピストイアの貴族、グエルフッチョ・ディ・ジェラルデット・デ・ラッツァーリの庶子。黒派の熱烈な支持者。種種の非行が伝えられている中で、1293年仲間と共謀してピストイアのサン・ツェノ教会内のサン・ヤコポ宝蔵を劫略したが、罪をランピーノ・ディ・フランチェスコ・フォレーシなる者にきせてうまく逃げおおせ、その後もしばしばピストイアへ帰り、仲間と悪事をはたらいた話が最も有名。しかしついに捕らえられ処刑された)という名の獣です! ピストイア(フィレンツェからルッカに行く途中にある都市)が私にお似合いの洞穴でした。」私は先生に言いました。「彼に、逃げないように言ってください。彼に、どのような罪でここに落ちてきたのか訊いてください。この、血と怒り(1289年から93年にいたるピサ攻略戦で、フィレンツェ軍に参加して闘ったフッチを、恐らくダンテは見知っていたのであろう。そこから来た表現)にまみれた男を、私は知っていますから。」その罪人は聞いていたけれども、聞こえないふりをしないで、心と顔を私の方に向け、恥の苦しみに顔を赤らめて、言いました。「私が、昔の世で死んだ時よりも、この悲惨な第七嚢で不意にあなたに見られたことの方が、ずっとつらいです。でも、あなたの問いに答えなければいけません。私がこの第七嚢に落ち込んだのは盗みのせいです。私は聖具保管室の宝を盗んだのです。しかし、初めはその罪は誤って他人にきせられたのです。この暗い底からあなたが逃げるとして、私のこのざまを見たことで、あなたが喜ば(黒派と敵対する白派の一員ダンテゆえに)ないように、耳をすまして私の預言を聞いてください(既に見てきたように、地獄の魂には未来を予言する力がある)。ピストイアから黒派は一掃されます(1301年5月、ピストイアの白派は、当時フィレンツェを統治していた白派の助力を得、同市の黒派勢力を根こそぎ一掃した)。そして、フィレンツェは、市民も政治も変わるでしょう(フィレンツェの黒白両派を和解させるという名目で、1301年11月1日同市に到着したシャルル・ド・ヴァロアは、約束を裏切り、黒派の側に立つ。追放されていた黒派の首領コルソ・ドナーティが帰って来、監獄を破って囚人を解放し、五日間に渡り白派に対する徹底的な弾圧を行う。翌年、次々と出る追放令により、ダンテも含めて、白派は根こそぎフィレンツェから追放された。地獄第六曲参照)。ヴァル・ディ・マグラ(マラスピーナ家の領地ルニジアーナを流れるマグラ川の渓谷)から、軍神マルスは分厚い戦雲(戦争の起こりそうな気配)に包まれた電光(猛将モロエルロ・マラスピーナ。ギベリーニ党員の多かったマラスピーナ一族では珍しくグエルフィ党員であったが、1301年以後はその黒派の支持者となり、数々の武勲を立てた)を引っ張り出すでしょう。そして嵐の中、カンポ・ピチェン(ピストイア周辺にある平原(ただし正確にどこを指すかについては異説多し)。ここでダンテがフッチに言わせているのは、ピストイアを追放された黒派が、フィレンツェとルッカの黒派と合同し、1302年、モロエルロ・マラスピーナ指揮の下にこの平原の城塞を攻略した出来事とされるが、1305−1306年に行われた別の攻略とする説もあり、曖昧なのがかえってフッチの預言に相応しいとも解せられる)で、激しく戦いが起こるでしょう。そこで軍神マルスは霧をつんざき、一人残らず白派を打ちのめすでしょう。ここまで話したことで、あなたの心は痛むでしょう!」(2005年7月4日)(2006年1月12日更新)

にくちゃんメモ:二人は、第六嚢の岩を登り、やっとの事で、盗みの罪の魂のいる第七嚢に来ました。(2005年7月4日)(2005年7月25日更新)

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第二十五曲
盗賊ヴァンニ・フッチはこのように言い終わると、親指を人差し指と中指の間に突き出し(洋の東西を問わず卑猥の表示であるが、ピストイアでは特にそうであった)、高く上げ叫びました。「神よ、これでも食らえ!」これを境に、蛇たちは私たちの方にきました。なぜなら蛇の一匹が「もうこれ以上は言わせないぞ」とばかりにフッチの首に巻き付いたからです。他の一匹はフッチの両腕にからまりつき、固結びのようになりました。その二匹の蛇のせいで、フッチは動くこともできませんでした。ピストイア、ああ、ピストイア! なぜ自らを焼いて灰となり、すべて終わりにしないのでしょう、祖先よりずっと悪いことを重ねてきたのに(伝説によると、ローマ共和政末期の野心家ルキウス・セルギウス・カティリナ(紀元前108−前62)は、いわゆる「カティリナ事件」を起こして野望を達成しようとしたが、キケロらの奮闘によって敗れ、エトルリアに逃れ追悼軍と闘って敗北した。敗残の傷病兵が定着して生計を立てた場所は、立地条件も良く、地味も肥えていたので、町となった。それがピストイアである。しかし由来が由来だけに、残忍酷薄の気風はダンテの時代にもなお著しかったという)? この真っ暗な地獄の圏をめぐってきた私ですが、神に対してこれほど傲慢な魂は見たことがありませんでした。テーベの高い城壁から落ちた者(カパネウス(地獄第十四曲参照))といえども、フッチにはかないません。フッチは何も言わずに逃げていきました。そこへ、怒ったケンタウロス(地獄第十二曲に出てきた半馬半人の怪物ケンタウロス族)が、叫び声をあげながら駆けてくるのを私は見ました。「ヤツはどこだ? あの野生の獣はどこだ?」マレンマ(地獄第十三曲参照)の沼にいる蛇も、ケンタウロスの背中の、人と馬のつなぎ目の所まで乗せられる蛇ほどは多くはなかったでしょう。ケンタウロスの肩の上の首筋のちょうど後ろに、翼を広げた竜が一匹乗っていて、来る者来る者すべてに火を吐いていました。ウェルギリウス先生は私におっしゃいました。「あれは、カークス(神話のカークス。ウルカヌスとメドゥーサの子。ローマ七丘の一つアウェウティヌスの洞窟に住み、その地域の住民を捕食した半人の怪物で、口からは火を吐く。ヘラクレースがスペインの怪物ゲリュオンから奪い取った牛の何頭かを盗み、ヘラクレースに追跡されないため、牛の尾を縛って後ろ向きに歩ませ、自分の住む洞窟に引きずり入れたが、泣き声でヘラクレースに隠し場所を知られ、カークスはヘラクレースに殺される。ウェルギリウスのカークスは「半ば人間」とされている(『アエネイス』8の194)だけであるが、ダンテはケンタウロスとし、また口から火を吐かせず、火を吐く竜を肩に乗せさせている)ですよ。アウェウティヌス山(ローマ七丘の一つアウェウティヌス)の洞窟の下に、何度も血の湖を作りました。カークスは、兄弟(第七圏のフレジェトンタの岸を馳せて監視するケンタウロスたち)らと同じ一つの道を行きません。なぜなら、かつてカークスが家畜の群れをかすめ取った(盗の罪ゆえに)からです。それで、カークスのこの悪い行いは、ヘラクレースに百回もこん棒でぶたれて(カークスの死に様についてはリウィウスの『ローマ建国史』(1の7)によっているが、そこにはただ一撃を受けたとある。オウィディウスは四撃と書いているので、それらを勘案し、ダンテ独自の発想から不特定多数の百を採ったのであろう)やめましたが、その内カークスは十ぐらいしか感じなかったでしょう。」先生がこのようにお話の間に、カークスは逃げてしまいました。そしてその時、三人の魂(やがてその名が出てくる)が私たちの下の方に来ていたのですが、「あなた達二人はどなたですか?」という声を聞いて初めて気がつきました。この声に、私たちは話をやめ、この三人の魂に注意を向けました。私はその三人が誰なのか知りませんでしたが、よくあるように、三人の内の一人が他の人の名前を呼んで、「チャンファ(古い注釈によれば、フィレンツェの名門ドナーティ家の一員ドミヌス・チャンファ。家畜盗みに長じ、店舗を荒らし、金庫破りの常習犯であったという。1289年以前に死んだ。グエルフィ党に属していた関係から、チャンファと相識のダンテは、他の魂たちもフィレンツェの市民かと想像したのである)はどこに行った?」と言ったので、先生の注意を引こうと、私は指を唇に持っていきました(口をつぐむ時の所作)。読者よ、私がこれから語ることをたやすく信じられないかも知れませんが、怪しむことはありません。それを見た私でも信じがたいのですから。彼らを見ていると、急に、六本足の一匹の蛇(変身したチャンファ)が、魂たちの一人の前に出て、その六本足でからみついたのです。中足でその罪人のお腹を締め付け、前足で両腕を押さえ、左右の頬を噛み、後ろ足は腿に回し、尾を股の間に通し、上へ曲げて後ろから腰に巻き付きました。どんな木に絡みつくツタも、この恐ろしい獣が罪人の四肢に絡みつくほど強く絡みつくことはなかったでしょう。すると、まるで、熱いロウのように彼らはくっついて両方の色がグチャグチャになってどちらがどちらか分からないようになってしまいました。それはちょうど、全く黒くはない黒っぽい色が、炎の前に先だって、紙を伝わり、白が消えていくようなものでした(人と蛇の間の色を、白と黒の間の色と例えた)。他の二人の魂は、これを見て叫びました。「ああ、アニュロ(古い注釈によれば、フィレンツェのギベリーニ党の名門ブルネレスキ家の一人のアニュロまたはアニョロ。初めはグエルフィ党の白派に属したが、のち黒派に乗り換えた。少年の時から物盗りの名手で、両親の財布の中身をいつも抜いていたが、長じて店舗に押し入り、金庫を空にし、自由自在に変装したという)! こんなに変わってしまったなんて! あなたはもうあなただけでもないし、二人でもない!」二つの頭が一つになってしまって、二つとも無くなり、二つが混じり合い、一つの顔となったのです。四つにぼやけた肉片から二本の腕ができ、足のついた腿、お腹、胸、そして腕が生えてきて、見たこともない身体となりました。もとの顔は無くなっていて、それは、二つに見えたり、また、その二つのどちらでもなく見えたりして、そのままのろのろと立ち去っていきました。暑い夏のような熱の中をかいくぐり、生け垣から生け垣にシュッと走るトカゲは稲妻のように見えますが、残りの二人のお腹をめがけて怒りに燃えて火を吐きつつ、胡椒の実のように黒い一匹の小蛇(最後になって、この小蛇がフィレンツェの名門カヴァルカンティ家のフランチェスコであることが分かる)も、まさにそのようでした。小蛇は、二人の内の一人のお臍の部分に噛みつき、その前に倒れ、身体を伸ばすのです。指された盗賊の魂は、その獣を黙ってみていましたが、眠たくなったのか、熱が出たのか、そこに立ったままアクビをしました。蛇とその魂は互いに見つめ合っていましたが、彼は、傷口や、口から、激しく煙を吐き、煙は混じり合いました。惨めなナシディオやサベルロについて物語るルカヌス(ルカヌスの『パルサリア』9の763−776に、カトーの軍団に属するローマの一兵士サベルルスが、リビアの砂漠でセプスと呼ばれる毒蛇に噛まれ、その体のびらんしてゆく様が描かれている。また同書9の790−797に、同じくカトー幕下のローマの一兵士ナシディオが、プレステルと呼ばれる毒蛇に噛まれ、体がふくれあがり、ついに胴鎧も破裂して死んだと記されている)も、黙って、私が言おうとしていることを聞いてください。そして、カドモとアレトゥーサに関してオウィディウス(オウィディウスは『変身譜』4の576−580、586−589に、テーベを設立したカドモスが、軍神マルスの使いである蛇を殺した罰として蛇身に変えられた話を、また5の572−641に、オルティギア島の泉にニンフ、アレトゥーサが、水浴中河神アルペイオスに見初められ、女神に願って泉に変身し、オルティギア島まで逃げ帰ってきたものの、後を追う河神はアレトゥーサの泉に自分の水を混ぜ、遂に交わった話を記している)も、語るのをやめてください。オウィディウスは、前者を蛇に、後者を泉に変えたと書きましたが、私は嫉妬しません。なぜなら、オウィディウスといえども、蛇と人とがグチャグチャに変形して、そして完全に入れ替わるということは書いていないのですから。蛇がその尾を裂いて二股にし、傷ついた魂は両足を引き寄せて一本の尾とし、両足と両腿はくっつき、その痕がないほどでした。一方、裂かれた尾は、無くなった足の形になり、皮膚は柔らかになり、尾の皮は固くなりました。私は見ました。両腕が脇の下に滑り込み、そのは虫類の二本の短い前足はその魂の両腕が縮まるにつれてどんどん伸びていきました。その獣の後ろ足は互いによじれ合い、性器になり、魂の性器は二本の足となりました。煙が二人を渦巻き、色が変わり、何も生えていなかった蛇の頭に髪が生え、魂の髪はなくなっていきました。片方は立ち上がり、他方は横に倒れました。しかしどちらも邪悪な目と目を合わせてにらみ合い、その下の顔はどんどん変わっていきました。立っている者の顔をこめかみの方に引き寄せ、集まった盛り上がりから二つの耳ができ、なめらかな頬の上に来ました。前に引き寄せられなかった部分から、鼻ができ、唇がちょうどよい大きさに引き出されました。倒れていた方は、顔を前にせり出し、耳を頭の中へ入れました。それはちょうど、カタツムリが角を引っ込めるようでした。一つの形をしていて、言葉を発していたその舌は二股に裂けました。もう一人の方の二股だった舌は癒着して一つになりました。その時、煙がおさまりました。獣になった魂は、音を立てて谷の地面をはって逃げていき、後を追う者は、何か言いながら、その後ろにつばを吐きました。そして彼は、新しくできた肩を、蛇になった仲間に向けて、第三の魂に言いました。「私は、前に自分でやっていたように、ブオーゾ(三人の魂の二番目。誰を指すか定説はないが、1285年頃に死んだブオーゾ・ディ・フォレーゼ・ドナーティなる盗賊とするのが有力。従って、地獄第三十曲のブオーゾ・ドナーティとは別人)に四つんばいでこの谷を走らせよう。」このように、私は第七嚢にいる者たちが互いに姿を入れ替えるのを見ました。読者の皆さん、私のペンが乱れたとしても、この光景の異様さのせいだと、お許しください。この光景は私の目を混乱させ、私の心を動揺させましたが、二人の盗賊が、私の目をかすめて逃げなかったのは明らかです。それで、残る一人がプッチョ・シャンカート(フィレンツェのガリガイ家の一員。シャンカートはあだ名で、足の不自由な人の意味。ギベリーニ党員だったので1280年、グエルフィ党と和議成り、彼もフィレンツェに帰った。名だたる盗賊ながら、盗みぶりが堂々としてしかも巧妙であったという。ダンテが彼だけを変身させなかったゆえん)だとはっきり分かりました。三人の魂の内、変身しなかったのは、彼だけでした。また、もう一人(フランチェスコ)は、ガヴィルレ(アルノ川上流域の村で、フィリーネから遠くない。フィレンツェの名門カヴァルカンティ家の一員で「やぶにらみ」のあだ名を持つフランチェスコが、この村民に憎まれ、殺された。激怒したカバルカンティ家は直ちに報復し、村民のほとんど全部を虐殺したという。ブオーゾを襲った胡椒の実のように青黒い一小蛇は、このフランチェスコであった)よ、今もあなたを嘆き悲しませている者です。(2005年7月6日)(2005年7月25日更新)

にくちゃんメモ:まだ第七嚢にいます。(2005年7月6日)(2005年7月25日更新)

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第二十六曲
喜びなさい、フィレンツェよ、なぜなら、あなたは大変偉大なので、陸にも海にもその羽根が広がるように、名前が市外にも広がっていて、果ては地獄の至る所まで広がっているのですからです! 盗賊の中に、あなたの市民を五人(アニュロ、ブオーゾ、プッチョ、チャンファ、カヴァルカンティ)も見つけてしまい、とても恥ずかしいです。その事実はあなたの名誉を高めることはありません。しかし、明け方に見る夢が正夢なら(ホラティウスの『風刺詩』1の10の33に、「夢が真実となる真夜中過ぎ」とあり、オウィディウスの『ヘロイデス』19の195−196にも、「我がともしび既に消えかかる暁の直前、夢誠となるが常の時刻」とある。古代から中世にかけてこの俗言は広く行われていた)、プラート(フィレンツェの北西約二十キロの地点にあり、ピストイアにいたる途中の町。なぜプラートがフィレンツェに危難が来るのを願ったかについては諸説あり、いずれも憶測の域を出ない。この町出身の枢機卿ニッコロが、1304年、教皇の命をうけて黒白両派を和解させるためフィレンツェに赴いたが、両派は聞き入れず、激怒した枢機卿は同市の聖務を禁止し、市民の陪餐停止を命じて去ったことに関係するというのもその一つ)があなたに求めるもの(危難に襲われること。ダンテも含めて追放されるにいたる苛烈な闘争)を、その内思い知ることとなるでしょう。そして、その難が既に来たとしても、早すぎたことにはなりません! 避けることができないのなら、早く来てください! 年老いて郷土の災いを見るのはますます心が痛みますから。私たちは、以前降りる時の足場にした、大きな石を梯子代わりに登り始めました。先生は前に行き、後ろの私を引き上げてくださいました。私たちは、岩や、尾根の険しい山を踏み分け、寂しい道を行きました。手をついて行かなければ、足だけでは進めないほどでした。その時私は悲しかったですが、今になって、その時私が見たものを思い出してもまた、悲しいです。第八嚢の罪人が、世にまれなる才能を天から受けているのに、善用しないで、このような罰をこうむるのは、とても悲しいことです。そこで私の詩人としての天分を控えるようにしたのは、徳の導かない所へ天分が走り出さないためです。よい星、またはそれよりも何かよいものが、私にその天分を与えてくれたのなら、その賜物を私が誤用してしまわないためです。嚢の底が見える所に立って見た、輝き渡る多くの炎は、夏至の頃の、夕刻、丘の上に憩う農夫(葡萄の収穫は秋に、打ち耕しは春に行われる。今は夏なので農夫は丘の上に憩う)が、下の方の谷で、ブドウを集めているのか、土を耕しているのかしている所に見える蛍のようでした。また、熊によって復讐をとげた者(列王記下、2の23−24に、預言者エリアの事業を継いだエリシャに関し、次のような話がある。ある時エリシャがベテルへの道を上がってゆくと、町から小さい子供たちが出てきて彼をからかい、「上がってこい、禿頭。上がってこい、禿頭。」といったので、彼は振り向き、子供らをにらみ、主の名によって彼らを呪った。すると森のなかから二頭の牝熊が出てきて、彼らの内四十二人の子供をかき裂いた。復讐を遂げた者とはこのエリシャのこと)が、馬が天に向かって後ろ足で立つエリアの戦車が去るのを見て、目でその後を追おうにも、立ち上る小さな雲のような炎の他には何も見えなかったと伝えられる(同じく列王記下、2の11−12に出ている話。エリアとエリシャが道を進みながら話していると、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、二人の間を分け隔て、エリアは竜巻に乗り天へ上がっていった。エリシャはこれを見、「我が父、我が父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んでいたが、エリアの姿はもう見えなかった)が、底への道沿いに動く炎も皆それに似ていて、でも、炎は、罪人を中に隠して、少しも外に表すことはなかったのです。私は橋の上にいました。見てみようと、身を乗り出していました。でも、大きな岩につかまっていなかったら、底に落ちてしまっていたでしょう。このようにも、夢中になっている私をご覧になった先生は、説明を始めました。「あの、動いている火の中に魂がいるのですよ。それぞれの魂は、燃える火の罰に身を巻かれているのですよ。」私は答えました。「ああ、先生、先生のおっしゃったことで、私は正しかったと分かりました。つまり、既にそのようなことだと思っていたのです。でも、お聞きしたいのです。双子のエテオクレス兄弟(テーベの王オイディプスとイオカステーの間に生まれた子で、ポリュネイケスと双生の兄弟。盲目となったオイディプスに退位を強いたので、テーベを去らせた兄弟が永遠に敵となるよう、王は神々に祈った。父退位の後、兄弟は一年交替で王位につく取り決めであったが、一年経ってもエテオクレスは位を譲らず、ポリュネイケスはアルゴスの王アドラストスの助力を求め、有名な七将軍のテーベ遠征となる。地獄第十四曲参照。オイディプスの祈りは叶えられ、この戦いで兄弟は相打ちで死に、同じ火葬壇で焼かれたが、激しく憎み合っていた兄弟の煙は二つに分かれて立ち上ったという)が入れられた火葬壇から上る炎のように、先が二つに分かれている炎の中にいるのは誰ですか?」先生はおっしゃいました。「あの中で互いに怒りながら苦しんでいるのは、オデュッセウス(イオニア海の小島イタケーの王ラエルテースの子、テレマコスの父。トロイア戦争におけるギリシア方英雄の一人。ディオメデスと共謀してスキューロス島から若いアキレスを連れてきたり、トロイアの安危がかかっているパラスの古い木像を盗んだりした。トロイア滅亡のもととなった木馬の奇計も彼の案出と伝えられる)とディオメデス(テュデウスとデイピュレーとの子、アルゴスの王。トロイア戦争では、アキレウスに次ぐギリシア方の英雄)ですよ。かつて一緒に欺き偽る行為で神の怒りを招いたように、今でも共に罰を受けているのですよ。ローマ人の高貴な種である、トロイア方の英雄アエネアスとその一族が出ていく門となった木馬を待ち伏せたために、彼らは(ダンテは木馬の奇計もオデュッセウスとディオメデスの共謀と措定し、同罪を課した)炎の中で苦しんでいるのですよ。あの中で彼らは、デイダメイア(スキューロス王リュコメデスの娘。アキレウスがトロイア攻めの遠征軍に加わらないようにと、母テティスはアキレウスを女装させ、リュコメデスに預けた。それをオデュッセウスに見破られてアキレウスは遠征軍に参加するのだが、その時デイダメイアはすでにアキレウスの子ネオプトレモスを孕んでいた。アキレウスの戦死を聞いたディダメイアは、悲嘆のあまり死ぬ)が悲しんで死んでもなお、アキレウスを悼む原因となったたくらみのために嘆き、パルラディオ(トロイアの伝説的な創立者イーロスに、神寵としてゼウスが天降らせたというパラス・アテナの大きな木像。これをディオメデスとオデュッセウスが盗み出すくだりは、『アエネイス』2の162−170にある)を盗んだ罰に堪え忍んでいるのです。」私は言いました。「彼らが炎の中からでも話ができるのなら、先生、お願いします、千回ものお願いにも匹敵するように、重ねてお願いします。二つ角が生えているようなあの炎が私たちの近くにやってくるまで待つのを許してください。私がどんなにかそれを望んでいるかおわかりでしょう!」先生は私におっしゃいました。「君の望みは褒めるに値するものですよ。ですから、私は許可しますよ。でも、君は話すのを控えて、見ていなさい。私が話をしますから。なぜなら、私は、君が聞きたいと思うことが分かっているからですよ。それに、彼らはギリシア人でしたから、君の言葉を蔑むかも知れませんから。」そして、炎が私たちの方に近づいてきた時、先生は、時と場所を見計らって、次のように話しかけ、私はそれを聞いていました。「ああ、一つの炎に包まれている二人の魂のあなた方。私が生きていた時あなた方の心に適い、現世において私がすばらしい詩を書いた時多かれ少なかれあなた方の心に適ったのでしたら、立ち止まって、あなた方の内一人が、どのような罪を背負い、死んでいったかを教えてください。」年老いた二つの角のような炎の内大きな方が、風に吹かれたように揺らぎ、何かつぶやきました。そして、話をする時の舌のように、炎が前後にゆれ、声を振り絞って言いました。「ガエタ(中部イタリア、ラティウムの南にある海港。アエネアスの乳母カイエータがそこで死んで葬られたのを記念したのが名の起こりという。『アエネイス』7の1−4、およびオウィディウス『変身譜』14の157参照)、まだアエネアスがそう名付けていませんでしたが、そのガエタの近くに一年以上も私を引き留めたキルケー(太陽神ヘリオスとペルセイスとの娘。伝説の島アイアイエーに棲み、人間を獣に変える力を持っていた。『オデュッセイア』10の135によれば、オデュッセウスとその部下がこの島へ打ち上げられた時、部下は豚に変えられたが、オデュッセウスは露草の力により、キルケーに迫って部下たちを人間の姿に戻させ、滞在すること一年、キルケーとの間に一子テレゴノスをもうけたのち、再び航海を続けた)と別れ去る時、私の息子(テレマコス)への慈しみも、私の年老いた父(ラエルテース)への敬いも、また、ペネローペ(オデュッセウスの貞淑な妻)を喜ばしたであろう夫婦の愛でさえも、現実の世界というものを知りたい、人間の悪行と善行を経験したいという燃えるような望みに打ち勝つことはできませんでした。それで、私は一隻の小舟で、私を捨てなかった少しの仲間と共に、深く広い海へ乗り出しました。私はスペインから、モロッコまで、岸々を見、またサルディーニャ島及び、周りを海に囲まれる様々な島も見ました。私も仲間も年老いて、疲れていました。最終的に、ヘラクレースが人間はそこから向こうへは行けないと目印を立てた狭い所(ヘラクレースの柱(陸標)が、北アフリカのアビラ岬と、スペインのカルペ(ジブラルタル)岬を指すと考えられるのは、もと一つの山であったのをヘラクレースが打ち割ったとの伝説による。この二つの海角は、そこから先へ航海すれば誰も生きて帰れないことを告げる印とされた)にいたりました。右手にはセビリア(スペインの西南部の町セビリア。地獄第二十曲には、ソビリアの名で出ている。ジブラルタル海峡を古くはシビリア海峡と呼んだ)を見、そこを離れると、左手にセウタ((ラテン名セプタ、七丘の町の意味)。北アフリカの都市、モロッコにあり、スペイン側のジブラルタルと向き合う)が既に後ろにありました。私は言いました。「十万もの(不特定多数を示す。ルカヌスの『パルサリア』1の299には、ここと照合する箇所が「千度も危難を」となっている)危険を冒して西へたどり着いた兄弟たちよ、私たちの五官が眠らずにいる期間、それも残り少なくなってしまいましたが、太陽の沈む向こうの、人が住まない世界の探検を拒んではいけません。あなた方の起源(求知欲は始祖以来人間の宿命的な特質)を考えなさい。あなた達はギリシア人です! 愚かな獣のように作られたのではなく、美徳と知識を求めるように作られたのです。」この短い説教で、私は仲間たちの心配を、進むべき航路へと向けたので、彼らを戻そうとしてもできなかったでしょう。船尾を太陽の出る方向へ向け、オールを翼に代えて、気が狂ったように飛び回り、左へと進みました(未知の世界を探検したい一念から、好風を待たずしゃにむに南西の方向へ船を乗り進めた)。夜は南極の全ての星を見せ、北極は低くなり、その星は海より下に没しました。私たちが狭い航路へ乗り入れてから、五回のすばらしい満月を見ました(月が満ち欠けすること五回。五ヶ月過ぎたのである)。そこで遠くに黒い尖った山(この山がなんであったかは、やがて煉獄編で明らかにされる)を見つけましたが、その山は、それまでに見たことのないような高い山でした。私たちは大喜びしましたが、すぐに嘆きに変わりました。その新しい陸地からぐるぐる回る風が吹き、船の前の所を吹き飛ばしたのです。風は三回も船を激しく揺り動かし、四度目には、船の前の所が空を向いて高く突き上げ、船尾は水中に深くもぐりました。天意(神の許し無しに生者は煉獄の地を踏めない。当時そうと知らなかったことを、知った今、オデュッセウスは回想して物語った)でありました。そして、海は私たち皆を飲み込みました。」(2005年7月7日)(2006年2月13日更新)

にくちゃんメモ:陰謀家の魂のいる第八嚢に来ました。(2005年7月7日)

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第二十七曲
その炎はまっすぐに立っていましたが、それ以上何も言わず、心優しい詩人であるウェルギリウス先生に許可を得て、私たちの側から去っていきました。そのちょうど後ろから、今度は他の炎が、炎の先で注意を引こうと、変な音を立てて叫びながらやってきました。自分のヤスリで作ったのに、その初めての鳴き声が自分の叫び声だったという、あのシチリアの牡牛(アテナイの工人ペリラロスが、シチリア島アグリゲントゥムの僭主パラリスのために作った銅の牡牛。この牡牛の中へ犠牲者を閉じこめて焼けば、焼かれる者の悲鳴が牡牛の鳴き声そっくりに聞こえるように工夫されていた。所が皮肉にも、犠牲者第一号はパラリスその人であった)が、いつも犠牲者の声を出して鳴いたので、銅でできていたのに痛みに刺し貫かれていると思われるのと同じように、中が炎で燃えている魂には、炎には口がないので、苦しみの言葉が、炎の言葉に代えられたようでした。しかし、その苦しみの言葉が上に行くと、炎の先に到り、炎の中の罪人の言葉が、炎の震えとなっていて、私たちはその言葉を聞きました。「ああ、私が声をかけているあなた、ロンバルディア(ウェルギリウスの郷国。ダンテは、ウェルギリウスの頃、既にラテン語とイタリア語は共存していたとの想定に立つ)の言葉で「お行きなさい、もう訊ねませんから。」と言ったあなた(オデュッセウスの魂に語ったウェルギリウス)、私があなたの所へやってくるのはゆっくりだったかも知れませんが、どうか歩みを止めて、私とお話ししてください。私がそうしたがっているのがおわかりでしょう、私は燃えているのに! あなた達は、私が負っている罪を犯したあの美しいイタリアの地から、この真っ暗な世界に降りてきたばかりなら、ロマーニャの国(アドリア海の西、ボローニャ山脈の北、ポー川の南を包含するイタリア東北一帯。イモラ、フォルリ、リミニ等を含む)は今、平和か、それとも戦争をしているのか、教えてください。私(グイド・ダ・モンテフェルトロ(1220頃ー1298)。文武両道の達人、「狐」とあだ名されたギベリーニ党の指導者。死の直前、教皇ボニファティウス八世の腹心と言われ、それに基づきダンテは彼をこの獄に置いた)の故郷はウルビノ市と、テーヴェレ川(イタリアではポー川に次ぐ最も重要な河川。エトルリラ・アペニン山脈のコロナーロ山のふもとに発し、ローマの南約三十キロの、オスティア付近で地中海に入る)の源の山々の間なのです。」私はよく聞こうとして身をかがめていたのですが、ウェルギリウス先生は、私の脇をつついておっしゃいました。「君が話をしなさい。彼はイタリア人ですから。」そこで、わたしは、モンテフェルトロに答える準備ができていたので、すぐに話し始めました。「ああ、橋の下に炎で隠れている魂よ、あなたの故郷ロマーニャでは、今も昔も、暴君の心の中で戦いの絶えることはありません。でも、私がそこを離れてここに来た時には、あからさまな戦争はありませんでした。ラヴェンナ(ロマーニャの一都市。アドリア海に臨み、ラモーネ、モントーネ両河口の中間に位置する。もとは海岸から1.6キロほどしか離れていなかったが、今は約八キロの内陸。アウグストゥス皇帝の時代には、ローマ艦隊の二大根拠地の一つで、軍事上北イタリアの最も枢要な都会。その後幾多の変遷を経、1270年から90年代の終わりまで、ポレンタ家の支配下に置かれた)の状況は変わっていません。ポレンタ(フォルリ市の南数キロ、ブレッティノーロ(近世のベルティノーロ)近くの城塞都市。グエルフィ党の領袖として有名なポレンタ家の出自はこの町。ダンテが語っている時点での当主は、グイド・ダ・ポレンタ(1310年没)で、フランチェスカ・ダ・リミニの父、1321年ダンテがラヴェンナで客となったグイド・ノヴェルロの祖父にあたる。その家紋は、半分を紺地に銀、半分を金地に赤であらわした鷹。ダンテが、「羽ぐくむ」「覆う」と表現したように、グイド・ダ・ポレンタの統治は仁慈であった)の鷹は羽ぐぐみ、チェルヴィア(アドリア海に臨む一都市。ラヴェンナの南東約二十キロの地点にある。中世では塩の専売で栄えた)までその翼で覆っています。長い間、包囲されているのに耐え、フランス人の血の山を築いたあの町(フォルリ。地獄第十六曲参照。ダンテは「俗語論」1の14の3で、フォルリをロマーニャの中心都市だという。この町は、今ダンテが話している魂、グイド・ダ・モンテフェルトロ指揮のもと、ロマーニャ伯ジョヴァンニ・ダピアの率いる教皇マルティヌス四世方の仏伊連合軍と戦い、年余にわたる攻囲に耐え、多くの損害を与えて遂に敵軍を撃退した)は、今再び緑の爪(当時フォルリを支配していたスカルペッタ・デリ・オルデラッフィ。同家の楯形紋章上半部は、金地に、後ろ足で立つ緑色の獅子を配したもの(緑の爪)。フィレンツェを追われたダンテは、スカルペッタの秘書として、1303年、フォルリに滞在したらしい)がつかんでいます。モンターニャ(リミニのギベリーニ党首モンターニャ・デ・パルチターティ)を虐げたヴェルルッキオの古い猛犬(マラテスタ・ダ・ヴェルルッキオ(1312年没)。1295年、リミニのモンターニャ及びギベリーニ党と戦って勝ち、モンターニャを捕らえて長男のマラテスティーノに預け、遂に獄死させた。「親も子も」とあるゆえん。ヴェルルッキオは、リミニの南西約十六キロの地点にある城下村で、マラテスタ家がリミニ市からもらった領地。百才の寿を保ったマラテスタに四男あり、マラテスシーノの異母弟で次男のジャンチオットはフランチェスカ・ダ・リミニの夫、三男パオロはその愛人、共に地獄第五曲に登場する)と新しい猛犬(マラテスティーノ)は、もとの所(リミニ)で、牙をむいています。ラモーネ川とサンテルノ川のほとりの町(ラモーネ河畔の町は、ラヴェンナの南西約三十キロのファエンツァ。サンテルノ河畔の町は、ボローニャの南東約三十キロのイモラ)は、白い穴に住むライオン(銀白地に紺獅子を紋章とするマギナルド・パガーノ・ダ・スシーナーナ。ダンテの時代、パガーニ一族の長。1290年にファエンツァの、1291年にフォルリの、1296年にイモラの統治者となった)によって統治されています。しかし彼らは、季節ごとに、党を変えました(ギベリーニ党の出自。ロマーニャでは強くその党を支持しながら、恩を受けたと称してフィレンツェのグエルフィ党に忠誠を誓うなど、出たり入ったりまた出たり、マギナルドの政治的豹変を示す事例はきわめて多い)。サヴィオ川(エトルリア・アペニン山脈に源を発し、チェゼーナを過ぎて北上、ラヴェンナの南約十三キロの地点でアドリア海に入る)が横を通るあの町(トスカーナ・アペニン山脈に属する山の麓の町、チェゼーナ。フォルリとリミニの中間にあり、サヴィオ川に町はずれを洗われる。十四世紀の初め、法的には自由都市で、ここにダンテが挙げているどの町よりも自由を享受していたが、市政の実権は、グイド・ダ・モンテフェルトロの従兄弟ガラッソーに握られていた)は、山と平野の間に横たわっていますが、同じように、暴虐と自由の国の間に横たわるように生きています。さあ、あなたがどなたか、私たちに教えてください。私があなたにお話ししたぐらい話をしてください。あなたの名前が地上に高く掲げられますように!」炎はそのままで、しばらく何か叫んでいましたが、炎の尖った先があちこちに揺れだし、言葉を話し始めました。「いつか現世に帰って行く魂に話しかけると私が思っていれば、この炎はもうこれから揺らめきはしません。でも、私の聞いたことが本当なら、この深みから生きて帰った人は一人もいないということなので、恥をこうむる恐れ無しに、あなたに答えましょう。私は武器を操る者でしたが、紐を身にまとえば改心できると信じ、帯紐修士(フランシスコ会修道士。聖フランシスコの模範に従い、見に荒い紐を巻く所からこの名を得た。ただしダンテがここに述べているグイドの生涯の行実についての史的確証はない)となりました。私が昔そうであったような罪人に戻したあの大司教(教皇ボニファティウス八世)さえいなかったら、ああ、彼に災いあれ! 私の信じたことは叶ったでしょうに。そのいきさつをお話ししましょう。わたしがまだ、母からもらった身体を身につけていた頃、私の行いはライオンのようではなく、狐(狐のあだ名の通り、グイドの行為は狡知に長けていた。もし彼が獅子的な暴力を振るう単純な武将であったら、第七圏へ落ちていたであろう)のようでした。私は悪い策略や抜け道をよく知っていて、これらの技をうまく使いこなすという噂は、地球の果てまで知られていました。誰もが帆を下ろし、綱を巻くような老齢期に私もさしかかったと思った時、それまで私が楽しみを見出してきたことが、悲しみとなり、後悔し、告解し、修道士となりました。ああ、それが身の仇! 新しいファリサイ人(枢機卿や高位の聖職者たち。これを新しいファリサイ人としたダンテの痛烈な評価)の首領(教皇ボニファティウス八世)が、ラテラーノ(ダンテの時代には近世のヴァティカーノ、すなわち教皇庁と同義であったが、ここではローマを意味する。教皇ケレスティヌス五世の退位(地獄第三曲参照)が妥当か否かに関し、ボニファティウス八世とコロンナ家一族の間に論争があり、後者は前者が欺瞞の策を用いて教皇職に就いたと断じた。1297年5月、ステファノ・コロンナが教皇庁の宝物の一部を盗んだとの風説を頼りに、教皇はコロンナ家出身の枢機卿二名を廃し、この二人の他一族の有力者を破門し、主な城を明け渡せと命じた。コロンナ一族はローマの南東約三十キロの地点にあるパレストリーナの城塞にこもり、1298年9月まで教皇側の軍勢を退けて守り続けた)の近くで戦争を始めました。それも、サラセン人(中世ではスペイン、北部アフリカ、シリア、パレスチナに住むアラブやイスラム教徒を指す)や、ユダヤ人とではありません。どの敵も、キリスト者でしたから。誰もアクリ(アクレ。アクレ湾の北端にあり、イエルサレムの北430キロ、ツロの南約40キロ。約百年間キリスト教徒の手中にあったが、1291年の春、スルターンの兵力に包囲されて奪い返され、聖地におけるキリスト教徒のこの最後の拠点の陥落と共に、ラテン民族のイエルサレム王国は終わりを告げる)を征服した人はいなく、スルタンの王国で商人になった人もいませんでした(アクレ陥落の報が伝わると、教皇ニコラウス四世は直ちに新しく十字軍を組織してアクレの奪還を企て、またイスラムの拠点エジプトと商取引をすれば破門すると全キリスト教徒に呼びかけた)。高貴な職も、聖なる誓いも教皇ボニファティウス八世には関係なく、戒めと断食で痩せていく、私が身につけていた紐も関係ないのです(高位聖職者が聖フランチェスコの精神に目もくれなかったことも、ダンテは折あるごとに糾弾して止まない)。コンスタンティヌス一世(地獄第十九曲参照)が、ハンセン病を治そうと、シラッティ(ローマの北約四十キロ、テーヴェレ河畔の孤山ソラッテ。教皇シルヴェステル一世はコンスタンティヌス一世の迫害を避け、この山の洞窟に隠れたと言われる)の山にシルヴェステル一世(教皇シルヴェステル一世。地獄第十九曲参照。なおここに書かれている伝説は、1292年から98年までジェノヴァの大司教であったヤコブス・デ・ヴォラギネの『黄金諸聖伝』12の2−3に出ているが確証はない)を探したように、教皇ボニファティウス八世も私を捜し出しました。コロンナ一家を倒して一人勝ちしようという熱望の熱を治す名医に私を見立てたのです。私の助言を求めましたが、教皇ボニファティウス八世の言葉はお酒に酔っているようだったので黙っていると、教皇ボニファティウス八世は言いました。”恐れることはない。おまえの罪を私が許す代わりに、ペネストリーノ(今のパレストリーナ)を打ち負かす手段(ぜんぜん罪を問わない大赦と引き替えに城を明け渡すこと。教皇の約束を信じて、コロンナ側が城を渡すと、教皇は間髪を入れず徹底的に城塞を破壊した。グイドのこの欺瞞行為の献策に対し、教皇はいわば免償を先払いしたのである)を教えるのだ。おまえも知っているとおり、私は天国に鍵をかけることも、開けることもできるのだ(マタイによる福音書16の18−19参照)。そのため鍵は二つあるのだが、私の先任者はそれを大切にしなかったのだ(一般に信じられた所では、教皇ケレスティヌス五世は、譲るべきでない教皇職を、恫喝されてボニファティウス八世に与えた(地獄第三曲参照)。それをボニファティウスは「大切にしなかった」というのだが、ボニファティウスの「大切ぶり」と思い比べれば、彼にこれらの言葉を吐かせたのはダンテの痛烈な皮肉)。”教皇ボニファティウス八世の説得に黙っているのはよくない選択だと思い、私はこう言いました。”父よ、私が今落ち込まねばならない罪を赦してくださるなら、約束を長くし、その守りを短くすれば(約束を長くするとは大赦を与えること。守りを短くするとは電光石火的に城を破壊すること)、聖座にあって勝利を得られましょう。”私が死んだ時、聖フランチェスコ(グイドがその一員であった修道会の創立者聖フランチェスコ。グイドは1298年9月に死んだ)が私を迎えに来ました。しかし、黒いケルビーニ(堕天使、悪魔。地獄第二十三曲参照。ただしここでダンテは、堕落しても十分の知識を備え、論理の筋を通す者として黒い天使を登場させたと思われる)の一人が叫びました。”そいつを連れて行くな。私をないがしろにするな! そいつは下へ降りて、私の他の従僕に加わるのだ。なぜなら、間違った助言をしたからな。その時から今まで、私はずっとそいつの髪の毛から離れなかった(死ねばたちまち引きつかもうと)。なぜなら、悔い改めない者は許されず、罪を悔いながら同時に罪を犯そうと願うのは、矛盾するので両立しない!”ああ、なんて惨めなんだろう! 黒いケルビーニが私を捕らえて”私の論理学者ぶりを、思い知ったか!”と言った時、私は震えました。黒いケルビーニが私をミノスの所に連れて行くと、ミノスは尾を背に八回巻き付け、怒って歯がみして言いました。”こいつは盗賊の火獄へ行くのだ。”そういうわけで、ご覧の通り、ここに住み、火に包まれゆっくり動き、憤慨しているのです。」このように身の上を話し終わると、グイド・ダ・モンテフェルトロの嘆き悲しむ炎は、炎の先の角をねじくれて揺らめきながら、私たちから離れていきました。先生と私は歩みを進め、次の門まで尾根を登りました。次の嚢では、仲違いをする魂たちが地獄の報いを負っていました。(2005年7月8日)(2006年1月12日更新)

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第二十八曲
簡単に散文で書くにしても、私が見たこのような血と傷の光景を書き尽くすことなど、どんなにがんばったとしても、誰ができるでしょう? どんな舌も言い尽くすことができないのは、確かでしょう。このような痛みを表現するには、人間の記憶や言葉は不十分です。プリア(ダンテの生きた中世では、現在のプリアを含め、南イタリア全体の呼称)の宿命的な土地に、かつてローマ人(トロイアのアエネアス一族の後裔としてのローマ人。ここでは主としてタレントゥム市民やサムニウム族を相手に闘ったローマ人)が流した血を悲しむ人々、または、あの正確な、リヴィオ(ティトゥス・リウィウス(紀元前59−後17)。パドヴァに生まれたローマの歴史家。その著『ローマ建国史』142巻は正確な記事と流麗な文章により、黄金時代のラテン文学の白眉といわれるが、批判的精神を欠く)の歴史が示すように、たくさんの黄金の指輪を強奪した、あの長い戦争(ハンニバルを相手とする第二ポエニ戦争(紀元前218−前201)。この戦争中、前216年に、プリアのカンナエ村で行われた戦いでは多数のローマ人が殺され、おびただしい金の指輪を戦利品としてカルタゴへ持ち去った。リウィウス『ローマ建国史』23の12の1−2にその記事がある)の従軍者たちが、そして、ロベール・ギスカール(ノルマンディの冒険家ロベール・ギスカール(1015頃ー85)プリア及びカラブリアの君主として、十一世紀の後半、南イタリアやシチリア島でギリシア軍やサラセン軍と闘った。ダンテは彼を信仰のために闘ったキリスト武者の仲間に入れている(天国第十八曲参照))との戦いで痛みを覚えた者たち、すべてのプリア人を裏切ったチェペラン(ラティウムの南東、リーリ河畔の一都市、近世ではチェプラーノと呼ぶ。ローマ王国とナポリ王国の境の要であったが、1266年二月二十六日、ベネヴェントの決戦で、プリアの将兵はマンフレッド王を裏切り、敵のナポリ王シャルル一世に内通し、敵軍のチェペラン通過を許し、マンフレッド王方の敗北となった。しかし史実に照らすと、このダンテの表現は信じがたい)および、老人アラルド(サン・ヴァレリアンの領主エラール・ド・ヴァレリ(1200年頃ー77)。1268年八月二十三日のタリアコッツォの戦いで、ナポリ王シャルル一世は彼の献策を用い、マンフレッド王の甥で、ホーヘンシュタウフェン王家最後の末裔に当たるコンラディンとその軍勢を殲滅した)が、武器もなく勝利したタリアコッツォ(中部イタリアのアブルッツォ地方の一都市)で、今も骨の山をさらす者たちと再びここに集い、手足を切り落とされたり、刺し貫かれたりしたとしても、この第九嚢の血腥い光景と比較することさえできません。中板か脇当てが無くなった樽でも、私が見た魂のようにパックリと口を開けたりしません。ある魂は、喉の所から、おならをする所まで裂けていました。足と足の間から腸がこぼれ落ちていて、心臓等の重要な器官と共に、口から飲み込んだものを便にする汚い嚢もまた、垂れ下がっていました。私が立ち止まって、その魂の悲惨な様子をじっと見ていると、その魂は私を見て両手で自分の胸を押し開けて言いました。「さあ、私が自分で我が身を引き裂くのを見なさい! マホメット(マホメット(570頃ー632頃)。アラビアの預言者、イスラム教の創始者。中世を通じ、マホメットは背教のキリスト者、あるいは枢機卿ですらあったとの見方が流布しており、それに、マホメットを宗教的一致の強烈な攪乱者とするダンテ自身の見解も加わり、第九嚢に入れられることとなった)がどんなに形を変え、切り裂かれているか、見なさい! 私の前を泣きながら歩いているのは、アリ(イスラム教第四祖。マホメットの従兄弟、600年頃メッカに生まれ、マホメットの娘ファーティマを妻とした。661年暗殺される。アリがイスラム教第四祖となったことはイスラム教徒を二つの党派に分裂させる要因を作った。ダンテが、マホメットを顎から下へ、アリを顎から上へ断ち割られた者として描き、両者あわせて完全な分裂相とした周到な用意の神学的背景には、トマス・アクィナスの『神学大全』がある)で、顔を喉から頭頂部まで裂かれています。ご覧の通り、ここの溝を通り過ぎる魂は、生前、スキャンダルの扇動者と不和の種をまいた魂たちで、死んで、今ではこのように裂き割られているのです。私たちがこの悲しみの道をめぐる度に、ここの後ろにいる悪魔が私たちをこの残酷な道にきちんと並ぶよう、この群れの一人一人を、悪魔の剣で切り裂くのです。なぜなら、悪魔の前をまた通り過ぎる時までには、私たちの傷はふさがっているからです。それにしても、あなたは誰ですか? 橋の上で考え込んで、自分の告白によって定められた罰が行われるのを引き延ばそうとしているみたいです。」ウェルギリウス先生はお答えになりました。「このダンテには、まだ死は訪れていませんよ。罪に対する罰を受けに来ているのでもありませんよ。ただ、いろんな経験をさせようと、既に死んでいる私がこの地獄を、圏から圏へ、底の方に向かって、ダンテを連れて歩いているのですよ。私があなたに物を言うのが真実なのと同じように、このことは真実なのですよ。」先生の言葉を聞いた百以上の魂たちは、驚きのあまり自分の受けている苦しみも忘れ、私を見ようと立ち止まりました。「そういうことなら、遅かれ早かれ、太陽を見ることになるあなた、フラ・ドルチン(ノヴァーラのドルチーノ・デ・トルニエルリ。十三世紀の後半、一司祭の私生児として生まれ、使徒時代の原始キリスト教に復帰する目的で、パルマのジェラルド・セガレルリが1260年に創立した使徒兄弟団に入り、それからはフラ(兄弟)・ドルチーノと呼ばれた。異端のかどで1300年にセガレルリが火あぶりにされてからは、ドルチーノが同団の頭目となり、1305年、教皇クレメンス五世の禁止令を無視して信徒数千名を引き連れ、ノヴァーラト、ヴェルチェルリの間の山に立てこもり、教皇方の十字軍に抗すること年余、食料が無くなり、餓死寸前の状態で信徒の多くは山上で殺戮あるいは焚殺された。ドルチーノとその愛妻の美女マルゲリータ、並びに側近たちは生け捕りにされ、1307年六月ヴェルチェルリで火あぶりにされたが、特にドルチーノは刑に先立ち死体を無惨に損傷された上、町を引き回されたという。ダンテはドルチーノがやがて地獄の第八圏第九嚢に落ちるべき事を暗示している。ただしドルチーノに対する近年の評価が、中世のそれと本質的に異なるのは当然)に言ってください。私を追ってここに来る気がないのなら、ノアラ人(ドルチーノ攻略の十字軍に加わったノヴァーラの市民たち)に雪の囲みが勝利をもたらさないように、食料を蓄えておけと言ってください。そうしないと、勝利は得られません。」歩みを始めようと片足を上げたマホメットはこのように私に言って、足を地に踏み、歩いていきました。喉が引き裂かれ、鼻が眉毛の所まで切り落とされ、耳が片方しかない、別の魂が、仲間と同じように驚いて見て立ち止まって、皆より前へ出て、傷口から真っ赤な血をしたたり落としながら喉を開けて、言いました。「ああ、罪を責められないあなた、あまりに似ているため、人違いでなければ、私はあなたを地上のイタリアで見たことがあります。ヴェルチェルリ(ピエモンテ地方の一都市。トリノの北東約六十キロ)からマルカーボ(ラヴェンナの、ポー・ディ・プリマーロ河畔に、ヴェネツィア人が構築した城塞)になだらかに低くなるすばらしい平野(ポー川流域の平野)を見れば、ピエル・ダ・メディチーナ(メディチーナは今エミリア地方の小都市で、ボローニャの東約二十キロの地点にある。しかし往古は要塞を持つ強力な自治都市。この町の名を冠するピエルが何者かはほとんど不明。しかしダンテが彼を知っていたことは疑われず、文脈から察すると、ポレンタ家とマラテスタ家を離反させる不和の原因を作り、しかも両家に取り入って財貨を巻き上げ、絶えず非行を重ねていた人物であるらしい)を思い出してください。そして、私たちの預言が嘘でないなら、ファーノ(アドリア海に注ぐメタウロ川の北数キロ、ペーザロの東南十キロにある海浜の一都市)の最もすばらしい二人の市民であるメッセール・グイド(ファーの貴族、グイド・デル・カッセロ)と、アンジョレルロ(同じくファーノの貴族、アンジェレルロ・ディ・カリニャーノ。この二人は、対立する党派のそれぞれ指導者であったが、リミニの領主マラテスティーノが父の跡を継いで間もない1312年(それより前との説もある)のある日、マラテスティーノに招かれ、アドリア海浜、リミニとペーザロの中間にある小都市ラ・カットリーカで開かれた会議に臨んだ。行きか帰りの船中、二人はフォカーラ岬の沖でマラテスティーノの手先に急撃され、水死をとげた。ファーノの実権を握るためにマラテスティーノがしくんだ芝居である。マラテスティーノについては地獄第二十七曲参照)に、知らせてください。二人は、残忍な暴君(マラテスティーノ)の裏切りで、カットリーカの近くの海に、彼らの船から袋に入れられて放り投げられるでしょう、と。チプリ(キュプロス。地中海の東端にある)とマヨリカ(マヨルカ。地中海の西端にある)の二つの島の間で、海賊やアルゴス人(大船アルゴス丸に乗って遠征した英雄たちと同族のギリシア人)が行うことといったら、ネプチューン(海神ネプトゥーヌス)は見たことが無いほどです。ここで私と一緒にいる者が、それを見ないために断食しておけば良かったと思うぐらいの町(リミニ)を支配していた、片目の(マラテスティーノは隻眼で、デルロッキョ(片目)とあだ名された)あの裏切り者は、談合に加われと彼らに言い、フォカラ(マルケ地方のラ・カットリーカとファーノの中間、アドリア海に屹立する岬で、そこから吹き付ける風のため、沖は航行の難所として船乗りたちに恐れられ、そこを通過する時安全を願って願掛けするのが航行者の習いであった。従ってイタリアには「フォカーラの風から神御身を守らんことを」との言いぐさもある)の風を避けるようお願いする必要もないでしょう(そこを通過する前に処理してしまうから)。そこで、私はピエル・ダ・メディチーナに言いました。「もし、あなたが、私に地上であなたの言葉を伝えてほしいのなら、リミニを見たことを悔いる人は誰ですか? 私に紹介してください。」すぐに彼は近くに立っていた仲間の顎をつかみ、口を半分開けさせて言いました。「これがその人です。口がきけないのです。この男(紀元前一世紀のローマの政治家ガイユス・スクリボニウス・クリオ。父は反カエサル派であったのに、護民官に選ばれるとカエサルに買収され、内乱が勃発して元老員がカエサルを共和政の敵と断ずるや、ローマから逃れカエサルと行動を共にした。前49年、アフリカに渡り、ヌミディアのユーバ一世と闘って敗死。ルビコン川を渡れとカエサルの決断を促したのはクリオであった。ダンテはルカヌスによってここを綴っている)は、追放されて、チェーザレ(ガイユス・ユリウス・カエサル)に”準備ができているのに、ためらうのは、常に害がある”と説いて、チェーザレの疑いをしずめました。」かつては大胆な素早い発言で有名であったクリオは、喉から舌を切られてしまい、なんて頼りなく当惑した姿に見えたことでしょう! すると、両腕はあるのだけれど、手のない魂が、汚い空に血だらけの手首を伸ばして、自分の顔にその血が垂れ落ちるのもかまわず、叫びました。「そこのあなた、どうか、モスカ(モスカ・デ・ランベルティ。フィレンツェの名門ランベルティ家の一人。熱烈なギベリーニ党員で、アミデイ家をそそのかし、違約したブオンデルモンテ・デ・ブオンデルモンティを殺させ、フィレンツェにおけるグエルフィ党とギベリーニ党の血で血を洗う長い確執の端緒を開いた。ダンテは地獄の第三圏で、チャッコにモスカの消息を聞いている(地獄第六曲参照))も思い出してください。「一度行われたことは、いかんともしがたい。進んで物事をすれば良い結果を生む(つまり、ブオンデルモンティを殺せば一切の解決になる、ということ)」と言い、ああ、それがトスカーナ人の不幸の種になった、そのモスカを。」私はすぐに言いました。「そして、あなた達一族の命取りにもなりました(ランベルティの一族は十三世紀の終わりまでに全部滅亡)。」するとモスカは、傷にまた傷が新たに加わり、痛みに狂った人のように立ち去りました。しかし私が立ち止まったままたくさんの魂を見ているうち、あるものを見ました。それは、もし、他の証なく、だからといって、自分のやましくない感情を胸当てとして勇気づけてくれる良い友である、良識が私を力づけてくれなかったら、私は口にするのも恐ろしかったでしょう。私は見たのです。今でも目の前に見るようです。頭がない体が、他の魂たちと同じように動くのを見たのです。その胴体は、切り離された自分の頭の髪の毛をつかんで、提灯をさげるように手に持ってぶら下げ、その頭は私たちを見て、「ああ」と言ったのです。彼は、自分の体の一部を提灯としているので、体と頭は二つのようで一つ、一つのようで二つなのでした。こんな事があり得るでしょうか? このように定めた神のみぞ知る、ということです。そして、彼は、私たちのいる橋の下にやってきて、腕を挙げて頭を高い所に持っていき、私たちに近くで話せるようにしました。その頭は言いました。「このひどい罰を見なさい! そこのあなたはまだ息をしていて、死んだ魂たちを見ているようだが、私と同じぐらい重い罰を負っている魂は見えないでしょう! 上界で私のことを伝えるつもりなら、覚えておいてください。私はベルトラム・ダル・ボルニオ(フランスのペリゴール司祭区にあるオートフォールの城主ベルトラン・ド・ボルン(1140頃ー1215以前)。初期のトルバドゥール詩人としてきこえ、オートフォールに近いダロンのシトー会修道士として死んだ。イギリス王ヘンリー二世(1133−89)の次子ヘンリー(1155−83)は、父の生前二度王位につき、若王と呼ばれたが、フランスにおける領地の所有権で父と争い、激しい敵意を父子は生涯持ち続けた。しかしベルトランが若王をそそのかして父に反逆させたとの史実は不明。ダンテは古いプロヴァンスのトルバドゥール詩人伝などを参考にして書いたらしい)です。若い王をそそのかして悪事を行わせました。私は、父と子をケンカさせました。よこしまなそそのかしによりアブサローネ(アブサロム(ヘブライ語で「父は平和」の意味)。ゲシュルの王タルマイの娘、マアカによってもうけたダビデの第三子。ダビデの護官でギロ人のアヒトフェルにそそのかされ、父ダビデに反旗を翻したが、事成らず、ヨアブの手にかかって死んだ。サムエル記下の3、13、14、15、17、18の各章参照)とダヴィデの仲を裂いたアキトフェール(ダビデ王の護官アヒトフェル。その忠言は無謬とされていたが、バテシバの祖父であった関係上、王から離反し、アブサロムにすすめ王の廃位を企てて失敗、家に帰り縊死した。サムエル記下15の7から23にかけて参照)も、私には及びません。私は、しっかりと結びついていた人と人との仲を裂いたので、胴体の中にあった生命の源から切り離された頭を、ああ、このように持っているのです。これが、応報のおきてです!」(2005年8月13日)

にくちゃんメモ:宗教・政治上の不和の種をまいた魂のいる、第八圏第九嚢に来ました。(2005年7月13日)

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第二十九曲
おびただしい数の魂の群れがそれぞれ体を切られていて、私の目は衝撃を受け混乱してしまい、ずっと見て涙を流していたい、と思いました。しかし、ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「君は何を見つめているのですか? なぜ君の目は、この下の方の、切りつけられて悲惨な魂をずっと見つめているのですか? 他の嚢ではこのようなことはなかったでしょう。君が、魂のことを一人一人数えたいのなら、考えてみなさい、この谷の周りは二十二マイル(約三十五キロ。ダンテは地獄の大きさに関してここで初めて正確な数字を出した。地獄第三十曲に、第十嚢の周囲十一マイルに近くとあるから、地獄の穴は下へ降りるほど狭くなる漏斗系であることが分かる)もあるのですよ。それに、月はもう私たちの足元にあります(地獄の旅行者であるダンテは、時のたつのを示すのに太陽を用いず、夜の世界を照らす星や月によっていることに注意。地獄第二十曲では、その前夜満ちていた月が西の地平に沈もうとし、ほぼ午前六時頃であるのを知らされた。今月が二詩人の脚下にあるとすれば、太陽は頭上にあるに違いなく、午後一時頃になっている)。私たちに許されている時間はもう少ししかありませんよ(ここで初めて一定の時間しか地獄巡りに費やされないことを読者は知ると共に、旅の終わりの近いのを感ずる)。ここで君が見るものより、これから見るものの方がずっと多いのですよ。」私は先生に話し始めました。「先生が、私が探しているものを分かってくだされば、きっと先生は私がここにもっと留まるのを許してくださるでしょう。」先生は歩き続けていらして、私は先生を追いつつ、付け加えました。「この溝に沿った下の方をしばらく見ていた時、私と血のつながるもの(後出のジェリ・デル・ベルロ)の魂が、この地獄に堕ちてこのようにもつらい目に合わせられることとなった罪を嘆き悲しんでいると思えたのです。」すると先生はおっしゃいました。「今からは、その魂のことを考えるのはおやめなさい。他のことを考え、その魂のことはそこに捨てておきなさい。なぜなら、その魂が、橋の下で君を指さし、身振り手振りでおどそうとしていたのを、私は見たからです。そして、私は、その魂の名前を”ジェリ・デル・ベルロ(ダンテの父アリギエーロ二世の本従兄弟、アリギエーロ一世の孫。性格の評価については古い注釈者の賛否がまちまちであるが、不和の種をまき散らして喜んだことには衆評一致している。フィレンツェの名門サケッティ家の一人に殺される羽目となったのも、ジェリが同家の一族を離反させ、恨みを買ったことに基づく。1342年、アリギエーリ家とサケッティ家はようやく和解した)”と誰かが呼ぶのを聞きましたよ。その時君は、アルタフォルテ(オートフォールのイタリア語形。「高い城塞」の意味で、その名の通り当時は第一級の堅固な重要な場所。そこに城主ベルトラン・ド・ボルンが弟と共に住んでいた。地獄第二十八曲参照)の城主であった者に心を奪われていて、ジェリ・デル・ベルロが通り過ぎるまで、そちらを見なかったのです。」私は先生に答えました。「ああ、先生、彼と不名誉を分かち合う者が、まだ彼の仇討ちをしていないので(私怨をはらす敵討ちは、ダンテの当時法律で認められていた。のちジェリの甥達が、サケッティ家の者一人を殺して仇を討った)、彼は、憤激していたのです。そういうわけで、私に声をかけることなく行ってしまったのだと思います。ですからますます彼のことが不憫なのです。」私たちはこのようなことを話しながら、次の第十嚢に渡る橋の始まる所に着きました。もう少し明るかったら、底も見えたでしょう。私たちは、マルボルジャの修道院かと思わせる第十嚢の上に来て、そこに住む修道士の姿を見ました。悲しみの異様な金切り声が、悲しみを矢じりとするような弓矢のように、私を刺し貫いたので、私は耳を手で覆ってしまいました。七月から九月の間に、ヴァルディキアーナ(キアーナ川の流域となっている渓谷。ダンテの時代、特に夏季にはマラリアが猖獗を極めた)の、マレンマ(地獄第十三曲、地獄第二十五曲参照)の、サルディーニャ(サルディーニャ島。地獄第二十二曲参照。マレンマと共に沼地多く、マラリアが流行した)の病院の患者達を、一つの溝に詰め込まれているのを想像してみてください。ここは、そのように悲惨な所でした。腐った肉体から臭う悪臭が立ちのぼっていました。私たちは、左へ左へと進んでいき、最後の岸への長い橋を降りていきました。次第に視界が開け、底が見えました。神の使者の正義の手で登録された、騙りの罪を罰する所が見えたのでした。エジナ(ギリシアのアルゴーリスとアティカの両州に入り込むサロニコス湾内のアイギーナ島。伝説によると河神アソポスの娘で水の妖精アイギーナは、ゼウスに愛され、オイノーネ島へ連れて行かれ、そこでゼウスの子アイアコスを生んだ。アイアコスは母にちなんで島の名をアイギーノと改めたが、アイギーナに嫉妬するヘラは、この島に疫病を蔓延させ、人はほとんど死に絶えた。人の住むもとの状態にしてほしいとのアイアコスの嘆願に答え、ゼウスは島の蟻を人に変え、爾来島はミュルミドン人(蟻人)と呼ばれるようになったという。ダンテはオウィディウス『変身譜』7の523−657によってここを書いた)の全島民が病気になり死んだのを見た悲しみも、これ以上ではないでしょう。その時は、空気が悪疫と共に吹き荒れ、動物から小さな虫まで皆死にました。後に、詩人達の語る所によると、昔の民は蟻から人間になったと言います。それよりも、ここで、たくさんの魂達が、病苦にやつれ衰えてうごめいているのは悲惨な光景でした。ある者は他の者のお腹の上に横になり、またある者は他の者の背中に、また、ある者は四つんばいになり、この惨めな道をうごめくのです。ゆっくりとゆっくりと、黙って私たちは歩きました。体をもたげることもできない病気の魂達を見、その言葉に耳を傾けながら歩きました。私は、頭からつま先まで、カサブタだらけの、互いに寄りかかっている二人の魂が座っているのを見ました。その二人はちょうど、お鍋を乾かす時に、鍋同士をもたせかけるようでした。その二人は、そうしても治らないのに、気が狂ったように爪を立てて自分の体をぽりぽりかきむしっていて、その速さといったら、馬小屋を世話する少年が、雇い主に急がされているのか、ただ、眠たいから速く仕事を終わらせてベッドへ行きたいからか、そのような少年が使う馬ぐしの当て方よりも速かったのです。爪がカサブタを落とすのは、ナイフで鯉や、他のもっと大きい魚の鱗を落とすようでした。その二人の内の一人に、先生はおっしゃいました。「ああ、あなたは、自分の身の鎖かたびらのさねを指ではずそうとし、時には、指をやっとこばさみのようにしている、あなた、あなたの指の爪が持ちこたえればいいです。この場所に住むたくさんの魂のうち、誰かイタリア人はいるかどうか、教えてください。」涙を流して魂は答えました。「ご覧の通り、私たちはこのような姿をしていますが、私たちは、イタリア人です。しかし、私たちに質問をするあなた、あなたはどなたですか?」先生はおっしゃいました。「私は、こちらの生きている者が岸から岸へ降りていくのを導いています。地獄の全体を見せようと思っているのですよ。」それを聞いた二人は、お互いの支えを失って、よろめいて、先生の言葉を耳にした他の者と同じように、私を振り返りました。私の優しい先生は、私に近づいてきてくださり、おっしゃいました。「さあ、知りたいことを、彼らに尋ねてご覧なさい。」先生は私に話すように促されたので、私は話し始めました。「現世でのあなた達の想い出がいつまでも人々の心から薄れず、長く続いてほしいと思いますが、あなた達の名前と、どこで生まれたのか、教えてください。あなた方の受ける罰が恐ろしく忌まわしいからといって、話をするのを恐れないでください。」一人の魂が答えました。「私はアレッツォ(トスカーナ地方の南東部、フィレンツェとペルージャのほぼ中間にある一都市。ギベリーニ党の堅固な拠点であり、グエルフィ党の強いフィレンツェと絶えず抗争を繰り返した。さてここで名をあかさず物語っている人物は、グリフォリーノという錬金術師だとされているが、その生涯についてはほとんど知られていない。口碑によると、飛行の術を教えてやると持ちかけてグリフォリーノはアルベロ・ダ・シエナから多額の金を巻き上げ、怒ったアルベロは司祭職にあった父にグリフォリーノを魔術師だと告発、当時の慣習によりグリフォリーノは火刑に処せられた)の生まれで、アルベロ・ダ・シエナ(シエナは北イタリアのトスカーナ地方中心部に位置する一丘上の都市。フィレンツェの真南約五十キロ、アレッツォの南西約五十キロ。ギベリーニ党の本拠であった。この町の人アルベロは、シエナ司祭職を1216年から52年までつとめ、異端糾明にきわめて峻烈であったボンフィリオの養子、または居候であったとする説が古く行われているけれども、ボンフィリオの司祭職以後になる1259年にはグリフォリーノを火刑に処したのは別の司祭であろう)に恨まれて焼き殺されました。でも、ここにいるのは、そのように死んだからではないのです。確かに私は彼に冗談交じりに言いました。”私は空の飛び方を知っています。”と。すると彼は、その術を知りたがったけれど、知恵が足らないので、私にその術を行うように求めました。そして、私が彼をダイダロス(地獄第十七曲参照)の二代目にしなかったばっかりに、彼の父に当たる者によって私は焼き殺されました。でも、現世で行った錬金術のため、間違えることのないミノスは、私を十の嚢の中の最後の第十嚢に落としました。」私は詩聖ウェルギリウス先生に言いました。「シエナ人ほどバカな民をご存じですか? フランス人もシエナ人にはかなわないでしょう!」これを聞いた他のハンセン病患者は、私の皮肉は聞かなかったふりをして、言いました。「ほどほどに浪費するコツを得ていたストリッカ(皮肉な文脈から推理して、ほどほどの浪費家どころか、馬鹿大尽ぶりを発揮したに違いないこのストリッカが誰かについては諸説あり。最も可能性が強いとされるのは、ニッコロと兄弟で、1276年と1286年にボローニャの長官を務めたストリッカ・ディ・ジョヴァンニ・デ・サリンベーニ)は別です。丁字の種が根付く庭(シエナ。美食に必要な香料を多量に消費した都市)で、丁字の豪華な使い方(ニッコロが初めて丁字の正確な用法を紹介したとか、丁字の炭火でキジその他の食鳥の焼き方をあしらう方法に長じていたとか、丁字を主とする各種香料の混ぜあわせに巧みであったとか、諸説あり)を初めて考え出したニッコロ(シエナのニッコロ・デ・サリンベーニだと言われる。ジョヴァンニ・デ・サリンベーニの息子で、シエナの消費者クラブの一員、放蕩三昧の生涯を送ったらしい)は別です。ぶどう園と森を使い果たしたカッチャ・ダッシャン(シエナの南東約二十五キロ、オンブローネ河畔にある小都市アッシアーノの名門の出。その名は1250年から1293年に到る記録に出てくる。非常な浪費家であったらしい)、知恵をひけらかしたアッバリアート(アッバリアートはあだ名で、「頭がおかしくなった者」の意味。シエナの貴族ライニエーリ・デ・フォルカッキエーリの息子バルトロメオ(略してメオ)をさす。記録によると、1277年から、1300年まで、シエナその他イタリアの諸都市で顕職に就いたが、1278年、旗亭で不法飲酒をしたかどで罰金刑に処せられた)の一味(以上の四名が加盟していたシエナの浪費家クラブ。放蕩無頼の金持ちの若者十二名を持って組織し、放蕩の限りを尽くさねばクラブ員の資格を失ったという。十三世紀の後半、世の視聴を集め、会員による愚行の数々が語り伝えられている)も別です。あなたの尻馬に乗って、シエナ人をこのようにも悪く言う私が誰か、私をよく見れば、私の顔に答えが書いてあります。見覚えがあるでしょう。私は錬金術で様々な金属を作り変えたカポッキオ(1293年、贋金作りのかどで、シエナで生きながら火あぶりの刑に処せられた人物。フィレンツェの生まれとも、シエナの生まれとも言う。物まねの名人で、様々の逸話を残す)です。私の目に間違いがなければ、あなたは思い出すでしょう。私が巧みに自然の真似をする猿であったと。(2005年7月13日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:偽造の罪の魂のいる、第八圏第十嚢に来ました。(2005年7月13日)

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第三十曲
ヘラ(ゼウスの正妻として最も重きをなす)が、セメレー(テーベの王カドモストハルモニアの娘。ゼウスに愛されバッコスを生む。嫉妬に駆られたヘラは、セメレーの老乳母に姿を変えてセメレーに現れ、ヘラに求婚した時と同じ正装で来るようゼウスにせがめとそそのかす。ゼウスはやむなく戦車に乗って来、電光と雷を放ち、セメレーは焼死してしまう)のためにテーベ人に対し、しばしば(アタマンテもまたテーベの血筋につながる)怒りに燃えた頃、アタマス王(ボイオティアのオルコメスの王で、アイオロスの子。ヘラの命令でネペレー(雲の意味)と結婚したが、セメレーの妹イノを密かに愛し、二子レアルコスとメリケルテスをもうけた。ネペレーへの不実と、イノがセメレーとゼウスの子バッコスの乳母であったことにより、アタマスはヘラの激怒を買い、狂気にさせられ、イノと二人の子を牝獅子と二匹の仔獅子だと思いこみ、レアルコスを捕らえ、岩にぶちつけて殺す。これを見たイノは、メリケルテスを連れて海に投身自殺する。このあたり、『変身譜』4の512−530に拠っている)は、狂ってしまい、ある日、彼の妻が二人の息子を両手に抱えてやってくるのを見て、彼は叫びました。「網を張り、牝獅子と二頭の仔獅子を、通り道で捕らえよう!」そしてアタマスはかぎ爪の付いた手を伸ばし、彼の二人の息子の一人レアルコスをつかみ、ぐるぐる振り回し、岩にぶつけたのでした。イノはもう一人の息子を腕に抱えながら、溺死しました。悪い運命によって、傲慢きわまりないトロイア人は国王(プリアモス。オウィディウスの『変身譜』13の403−404に言う。「この長引いた戦争にとどめの一撃が与えられ、トロイアは亡んだ、プリアモスも共に。」)が領土と共に滅ぼされた時、とらわれの身のヘカベー(トロイア王プリアモスの第一の后。トロイア落城の後、寡婦となったヘカベーは、娘ポリュクセネーと共に捕虜となった。ギリシアへ連行される途中、ポリュクセネーはヘカベーから引き離され、アキレウスの墓にいけにえとしてささげられる。やがてまもなく、トラキアの王ポリュメストルに殺されたポリュドロス(プリアモスの末子)の死体が浜に打ち上げられた。悲嘆のあまり狂ったヘカベーは牝犬に変じ、海中に身を投げる。爾来その場所をキュノスセーマ(犬の墓)と呼ぶことになった)は、娘ポリュクセネーが虐殺され、息子のポリュドロスの死体が浜に打ち上げられたのを見て、悲嘆にくれ悲しみ、狂ってしまい、犬のように吠えました。悲しみがヘカベーの心をおかしくしてしまったのです。檻から出た豚のように、目に入るものに狂ったように噛みつき、方向も分からず走り回る、狂って裸でいる蒼白な二人の魂を私は見ました。でも、テーベやトロイアの人々は、犠牲者が動物であれ人間であれ、これほどひどい残虐行為に走る事はありません。その魂のうち一人は、カポッキオに飛びかかり、カポッキオの首に噛みつき、引きずり回し、カポッキオのお腹は岩でごつごつした地面を引きずられていました。アレッツォ生まれの魂(グリフォリーノ(地獄第二十九曲参照))は、座っている所で震えながら言いました。「あの狂った魂を見ましたか? 彼は、ジャンニ・スキッキ(フィレンツェのカヴァルカンティ家の人物で、1280年頃に死んだ。物まね、特に声帯模写に長じ、フィレンツェの貴族ブオーゾ・ドナーティが死んだ時、その財産をねらう甥のシモーネに頼まれ、まだドナーティが生きているように装い、公証人を呼び寄せて、ブオーゾそのままの声で、シモーネと自分に都合の良い遺言書を作成させた。ジャンニ・スキッキに法外の財産を譲るように述べるので、シモーネは異議を唱えようとしたが、声があまりにも良くブオーゾににており、恐怖に駆られて沈黙したという)です! 彼は狂っていて、ずっと誰かの真似をしてだますのです。」私は答えました。「ああ、もう一人の魂が、あなたに噛みつかなければいいのですが。もしよろしければ、あの魂が去る前に、あの魂が誰なのか教えてくれませんか?」グリフォリーノは私に言いました。「あれは、昔のミュラ(キュプロス王キニュラスの娘。父親への慕情やみがたく、母の留守中、乳母の助けを借り、他の婦人に変装して父の寝床に忍び入り、欲望をとげた。事実を知ったキニュラスはミュラを殺そうとしたが、ミュラはアラビアに逃れ、ミュラ(没薬)の木に変身して美少年アドーニスを生んだ)の邪悪な魂です。愛のおきてを破り、父親を恋慕しました。ミュラは他人になりすまして、父親との罪の愛に走りました。それはちょうど、あそこを走っていく者と同じです。つまりスキッキは、家畜の群れの女王(ブオーゾはトスカーナ地方では右に出る者はないとの評判のラバを持っていた。ブオーゾになりすましたスキッキはそれを遺言書で自分の所有にしたのである)を手に入れようともくろみ、ブオーゾ・ドナーティ(1190年代から十三世紀の中頃まで生きていたフィレンツェの貴族。嗣子無く死んだらしい)になりすまし、遺言状を作り、正式書式としました。」私がずっと見つめていた凶暴な二人の魂が去っていくと、私は他の魂に目を移しました。もし足が二またに分かれる所から足を切り取ったら、リュートのような形に見えるであろう魂を私は見ました。その魂は、ひどい水腫にかかっていて、体が不釣り合いな感じになっていて、顔とお腹が腫れていて、乾いた唇は開けていました。それは、熱を出して苦しんでいる人の唇がめくれ上がって、もう片方の唇は垂れ下がっているかのようでした。その魂は言いました。「なぜだか分かりませんが、罰をまったく受けていないあなた方、この悲しみに満ちた世界にとどまって、この惨めなマエストロ・アダモ(ブレシア生まれの鋳金師との説が古くから行われているけれども、疑わしい。知られているのは、ロメーナのグイディ伯爵にそそのかされ、フィレンツェのフィオリーニ金貨の純度を下げて贋造し、発覚、1281年に火あぶりの刑死をとげたこと。マエストロは親方の身分をあらわす称号)を見てください。生きている時は、望むことはすべてできたのに、ここでは、ああ、一滴の水がほしくてたまりません。カゼンディン(アルノ川の上流、トスカーナ・アペニン山脈にある風光明媚の地方カセンティーノ。ダンテの時代、グイディ伯爵の所領であった)の緑の丘から小川が流れ、アルノにくだり、両岸を冷たく潤して、私の目の前を流れました。それを思い浮かべると、私のしなびた顔を乾かせるこの病気より、私の乾きをひどくさせます。私をじりじりと苦しめる無慈悲な正義は、私が罪を犯した所によって、苦しみのため息をはかせます。ロメーナ(カセンティーノ地方にあるロメーナ城。ダンテの時代にはグイディ伯爵の居城)で、私はバティスタ(洗礼者ヨハネ。1252年に初めて鋳造されたフィレンツェの金貨は、表に町の守護聖人、洗礼者聖ヨハネの像を、裏にユリの花を打ち出していた。フィオリーニ金貨の名は、このユリの花(フィオレ)から来ている)の印のある金を贋造することを学び、そのせいで火あぶりの刑にあいました。しかしもしここでグイド(ロメーナのグイド二世)や、アレッサンドロ(グイドの弟)や、またその弟(アレッサンドロの下にあった二人の弟のいずれか一人)の不幸な姿に会えるのなら、ブランダ(二説あり。一つは、サン・ドメニコ聖堂が建つ丘のふもとの、シエナでは有名な泉。もとブランディ家の所有地だったのでその名を得、既に速く1081年の文書に出ている。もう一つは、ロメーナ城付近の同名の泉。今は涸れているが、古い文書にはしばしば言及されており、マエストロ・アダモの犯罪の場面に一層近い。古い注釈によると、多くは前説を採っているが、著名度の高さにひかれてのことであろう)の泉と引き替えてもかまいません。この嚢で走り回っている狂人達が本当のことを言ったのなら、兄弟の一人(1300年以前に死んでいるグイド二世。他の三兄弟は1300年の時点で存命)はもうここにいるそうです。でも、その魂に出会っても、手足の動かない私には、何の役にも立ちません! 私がもう少し軽かったら(彼は今水腫のため身が重く、一ミリ動くこともままならない)、百年に一インチでも動くことができたら、私はもう道へ踏み出していたでしょう。この周りは十一マイル(約17.5キロ)あり、直径は少なくとも半マイル(約800メートル)ですが、この身の毛もよだつ連中の中のどこかに彼を捜すためです。彼らのせいで、私はこのような者たちの同類になり、つらい目に遭っているのです。彼らが私をそそのかして、七分の一を混ぜものにしたフィオリーニ金貨を鋳させたのです。」そして私はマエストロ・アダモに言いました。「あなたのすぐそばの右側に横たわっている、冬の濡れた手のように湯気を出している、二人の憐れな魂は誰ですか?」マエストロ・アダモは答えました。「私がこの嚢に落ちた時には、もう彼らはここにいました。彼らはその時からちょっとも動きませんから、永遠に動かないのじゃないかと思うのです。一人は、ジョゼッポ(旧約創世記39の6−20に出てくるヨセフ。嘘つき女は、ヨセフを誘惑しようとして拒まれ、逆恨みにヨセフを誘惑者だと言い立てた侍従長ポティファルの妻)にあらぬ罪を着せさせた嘘つき女です。もう片方は、トロイアのギリシア人の、嘘つきシノン(トロイア戦争の時、わざとトロイア川の捕虜となり、言葉を飾り、表情をとりつくろい、プリアモスを信用させ、有名な木馬をトロイア城内に引き入れた人物。「トロイアのギリシア人」とは、『アエネイス』2の148−149に、プリアモスのシノンへの言葉として、「そなたが誰であれ、以後はそなたの捨てたギリシア人を忘れ、われらの見方となるべし」とあるのを踏まえている)です。燃えるような熱を出しているので、とってもくさいです。」すると彼らの内の一人が、悪口を言って紹介されたのに怒ったのか、コブシを固くしてアダモの固いお腹を叩きました。それは太鼓のようにこだましました。すると、マエストロ・アダモは、彼がお腹に受けたコブシのように強い腕で、彼の顔を叩きました。すると彼は、アダモに言いました。「足がこのように膨れてしまって、私が動き回れないけれど、腕はこのように動けるのだぞ。」もう一人は答えました。「火あぶりの刑の柱の所に行く時、火の粉を払うあなたの腕は、このようにも素早くはなかったけれど、ニセ金作りの時はもっと素早かった!」すると水腫の者が言いました。「それはあなたの言うとおりです。でも、トロイアで真相(木馬に関して)を問われた時は、あなたの言うとおりではなかった!」シノンは言いました。「私の言葉が間違っていたのなら、あなたが作ったお金は偽物です。私は一つの罪でここにいるのだけれど、あなたはニセ金を何枚も作ったのだから、地獄で受ける罰よりもっと罰を受けるのだ!」膨れたお腹の者が素早く答えました。「馬だ、馬のことを思い出すんだ、偽善者よ。このことは全世界に広まっていることを知って苦しめ!」するとギリシア人が言いました。「あなたの舌をひびわれさせる乾きで苦しめ。あなたの目を隠す腐った水で膨れたお腹で苦しめ!」するとニセ金作りが言いました。「あなたの生きている時に嘘をついて身の災いを招いたので、今も私をののしって却って私に言いこめられているのだ。乾き膨れるのが私の持病なら、あなたは身が燃えて頭が痛むのです。あなたならおだてなくても、ナルキッソスの鏡(テスピアイの美少年。泉の水に映った自分の美貌に見とれ、恋し、望みのとげられぬままやつれはて、ついに同名の花(水仙)となった。種種の伝えがあるが、ダンテはオウィディウス『変身譜』3の351−510に拠っている。ナルキッソスの鏡とは水のこと)を舐めるでしょう!」私は彼らのやりとりにすっかり気をとられて、聞いていましたが、その時先生が私におっしゃいました。「ずっと見ていたいならそうしなさい。見ているのなら、私はもう我慢しませんよ。」私は先生の声に怒りの音を聞き取り、先生の方に向かいました。その時恥ずかしかったことと言ったら、今でも覚えているほどです。悪い夢を見て、夢の中で、これは夢なんだと願う人のように、事実を事実でないかのように願うものですが、その時の私はまさにその通りでした。謝ろうと願いながら、しゃべれず、実は謝っているのに、なお謝ることを願い、もう謝ったと思えなかったのです。先生はおっしゃいました。「そんなに恥じなくても、君の犯した過ちより大きな過ちが洗いぬぐわれますよ。ですから、そんなに悲しまないで、忘れてしまいなさい。このような、魂達が意味もなく言い合いをしている所に行っても、私が君の側にいることを覚えていなさい。やたらと聞きたいと思うのは、卑しい願いですよ。」(2005年7月14日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:まだ第八圏第十嚢にいます。(2005年7月14日)

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第三十一曲
ウェルギリウス先生からの訓戒は、初めは私を突き刺し、両方の頬を赤らめさせましたが、次には、癒しをもたらしてくださいました。昔聞いたことがあるのですがアキレウスの父が所有していたアキレウスの槍(アキレウスが父ペレウスから譲られた槍は、そのさびの効力により二度刺すと傷口が癒えるとの古い伝説を、プロヴァンスの言い伝えではさびと関係なく二度刺す行為に効力があると変えた。ダンテは、プロヴァンスの所伝に従っている)は、初めの一刺しは苦痛をもたらしますが、二度目に刺すと、癒してくれる薬となるといいます。私たちは、悲惨な谷に背を向け、壁をめぐらす岸の上に出て、黙ってそこを横切りました。夜でも昼でもない薄暗い所で、私はあまりよく見えませんでした。でも、その時突然、角笛の高い音を聞きました。その音は、どんな雷の音も及ばないほどで、私はどこから鳴っているのかと、目を凝らし、両目とも一つの場所に留まりました。カール・マーニョ(フランク族の王カール大帝(シャルマーニュ、742−814))が聖なる後衛を失った悲劇の敗軍の時でさえ、後衛の将オルランド(カール大帝麾下十二勇士の随一ロラン。大帝のスペイン遠征の帰途、後衛の将となっていたが、ピレネー山中で継父のガヌロンに裏切られ、サラセン人に襲われ全員玉砕した。その時ロランが渾身の力をこめて吹き鳴らした角笛の音は、150キロも離れていたカール大帝の陣営に達したと「ロランの歌」は記す。ダンテは恐らく「ロランの歌」によってここを書いた)の角笛も、このように恐ろしくは吹き鳴らさなかったでしょう。そちらの方へ目を凝らしていると、やがて、高い塔が立ち並んでいるのが見えました。私は言いました。「先生、これは何という町ですか?」先生は私におっしゃいました。「こんなに遠くから見ようとするから、君の想像は間違ってしまうのですよ。あちらへ行けば、距離によって目に映るものがどれほど惑わされるかが、君にも分かるでしょう。そういうことなら、もう少し進みましょう。」すると先生は優しく私の手を取り、おっしゃいました。「私たちがもう少し遠くへ行く前に、君には事実が変に思えるかも知れないので、話しておきましょう。あれは塔ではありませんよ。あれは、巨人達です。巨人達は、岸の周りに立っていますが、皆、お臍から下は隠れています。」霧が晴れてくると、空を覆っていた霧の中に隠れていたものが、少しずつゆっくりと見えてくるように、私は分厚く真っ暗な空に目を凝らしながら、縁の方にゆっくり近づいていくと、思い違いの代わりに、恐怖が私を包み込みました。モンテレッジョン(シエナの北西約十三キロ、低い丘の頂上にある堅固な城。ダンテの時代にはその周囲を等距離に十四の望楼を持つ巨壁が取り囲んでいた。巨壁と望楼はフィレンツェのグエルフィ党をモンタペルティで撃破したことの記念にシエナの市民が1260年から十年がかりで構築したもの)に、円形の城壁に高くそびえる塔がたくさんあるように、ここでは縁の周りの岸の上に、ゼウス(地獄第十四曲参照。巨人(ギガース)たちがオリュンポスの神々に戦いを挑んだプレグラの野で、巨人達はゼウスの雷のため手ひどい敗北を喫した)の雷に天上から脅かされつつ、上半身だけそびえ立たせる恐ろしい巨人達が立っていました。その時、顔、肩、胸、お腹、そして両脇に垂れる大きな腕を、私は見分けていました。鯨や象は巨大で力があるけれども、知能が足らないので危険ではありません。しかし巨人は巨大で力があり、さらに知能もあるので、自然は、巨人を滅ぼして、鯨や象を生存させているのです。巨人の顔は、ローマの聖ピエトロの松かさ(現在は教皇庁の聖庭にある高さ四メートル以上の巨大な青銅の松かさ。ダンテの時代には聖ピエトロ大聖堂前に立っていたが、元来はローマ皇帝ハドリアヌスの廟の装飾品と言われる)のように長くて大きく見え、巨人の体の骨もそれと釣り合っているようです。下半身を隠している岸も、背の高いフリジア人(オランダの最北部フリースランド州の住民。背丈が高いので有名。このフリジア人が三人肩車になっても、巨人の腰から頭髪までの高さにはとうてい及ぶべくもないとの想定により、ある注釈者は巨人の腰と頭の間を約6.6メートルと計算した)が三人集まって肩車しても、その巨人の腰から髪の毛までの高さにはとうてい及びません。人が、外套に締め金をかける場所から下は、約七メートルと思えました。「ラフェル・マイ・アメク・ツァービ・アルミ(意味のない言葉の羅列。ここでダンテは、明らかにバベルの塔の故事を意識している)」と彼は獰猛な口から、このような早口な言葉を言いました。これよりも甘美な賛美歌などこの口には似合いませんが。ウェルギリウス先生は、その巨人に呼びかけました。「大馬鹿者、角笛を吹きなさい。怒りがこみ上げてきたら、その気持ちを角笛を吹いて心を晴らせなさい。混乱した魂よ、首のあたりを探せば、角笛を結わえてある紐が見つかるでしょう。角笛はあなたの胸につり下がっていますよ。」そして先生は私の方を向いておっしゃいました。「あの巨人は自分の罪を自分で責めているのですよ。名前はネンブロット(創世記10の9のニムロデ。クシュの子で、「地上の最初の権力者、力ある猟師」としか書かれていないが、ダンテは中世の伝承や教父達の言い伝えに従い、彼をバベルの塔の立案者に仕立て、猟師ゆえ角笛を持たせ、またオロシウスやアウグスティヌスの所見により巨人とした)ですよ。邪悪な思いによって、世界でただ一つの言葉だけを使うことができなくなりました。彼をこのままにしておきましょう。言葉を交わしてもムダです。なぜなら、彼の言葉が誰にも通じないように、私たちの言葉は彼に通じないからですよ。」私たちは左へ左へと歩みをどんどん進めました。そのうち、弓が届くぐらいの距離のかなたに、もう一人の巨人を見つけました。先ほど見たネンブロットよりももっと狂暴そうで、大きかったのです。この巨人を誰がつかまえて縛り上げたのかは知りませんが、この巨人は、大きな鎖できつく縛られていて、片腕を背中に回し、もう片方の腕を前に固定されていていました。その鎖は、首から腰へと五回巻かれていました。先生はおっしゃいました。「このおごり高ぶる者はゼウスに逆らって自分の力を試そうとしたのですよ。そのせいでこのような報いを受けているのですよ。名前はエピアルテス(ギリシア神話のギガース(巨人)の一人。父は海神ポセイドン、母はトリオプスの娘イーピメデイア。オリュンポスの神々に戦いを挑んだ時、、左目をアポロンに、右目をヘラクレースに射られて死んだ)で、巨人達が神々の驚異となった時、腕を挙げました。しかしその腕も、もはや動かせません。」私は先生に言いました。「もしできれば、あの大きなブリアレオス(ウラノスとガイアの子で、ヘカトンケイル(百手巨人)の一人。ホメロス以来所伝によって行状を異にするが、通説ではオリュンポスの神々と戦い、ゼウスの雷にあたって死に、エトナ山のふもとに埋められたとされる)を見てみたいのですが。」先生はお答えになりました。「ここからそんなに遠くない所に、君はアンタイオス(ポセイドンとガイアの子の巨人。リビアに住み、通行人に相撲を挑み、必ず勝って殺し、その戦利品で父の神殿を飾ったという。ヘラクレースと闘った折、アンタイオスを何度大地に投げつけてもますます強くなるのは、母神の大地からの力を得ると判断したヘラクレースは、アンタイオスを宙に持ち上げて絞め殺したと伝えられる。ダンテが他の巨人達と異なり、「縛られていない」と表現したのは、プレグラの戦い以後の生まれだから)に会うでしょう。彼は話ができるし、鎖で縛られてもいませんよ。そして私たちをすべての罪の底へ連れて行ってくれるでしょう。君が見たいと思っているブリアレオスはずいぶん遠くにいます。彼はこのエピアルテスと同じように縛られていていますが、違う所はもっと獰猛な所です。」すると突然エピアルテスが身を震わせ、それは、どんな大地震でもこれほど激しく塔を揺らしはしないと思えたほどでした。この時私は、いつもにまして死を恐れました。彼が縛られている鎖を見ていなかったら、恐れのために死んでしまったかも知れません。私たちはエピアルテスを過ぎて、進んでいきました。すると、アンタイオスが立っている所に来ました。その上半身の岩穴から外に出る所は、頭を除いても5アルレ(当時の尺度で、国により長さを異にするが、フィレンツェでは1アルレが約一メートル半ゆえ、5アルレは約七メートル半)もありました。そこで、先生がおっしゃいました。「ああ、アニバル(カルタゴの将軍ハンニバル(前247−前183)。ザマの戦い(前202)に敗れた後、なおも久しきに渡り回天の作を立てたが、結局ローマの追求逃れ難しと悟り、服毒自殺した)が兵士達と退却した時(ザマの戦いを指す)、シピオン(プブリウス・コルネリウス・スキピオ(前236−前184)。古代ローマ貴族の名家の出。前202年のザマの戦いに大勝し、翌年カルタゴを屈服させ「アフリカヌス」の呼称を得た)を栄光の後継者としたこの谷間(チュニジアの北部を流れてチュニス湾に注ぐバグラダス川(現在のメジェルダ川)の渓谷。その近くにザマがあった)で、千頭ものライオンを獲物とした(ルカヌスの『パルサリア』4の601−602による。もしアンタイオスがプレグラの戦いで巨人側に加わっていたら、勝利は巨人側に帰したであろうとの表現も、『パルサリア』4の595−597にある。ウェルギリウスはアンタイオスをおだて、意に従わせようとする)勇士よ、もしあなたが兄弟達の激しい戦いに加わっていたら勝利は地上軍(巨人族はすべて地神ガイアを母とする)にもたらされたと、今もなお信じられているあなたを見込んで頼むのです。この慎ましい願いを蔑まず、氷に閉じこめられたコチート(地獄第十四曲参照)に私たちを降ろしてください。私たちを、ティテュオス(ガイアの子。冥界にあって二羽のハゲタカがその肝を食い、巨躯は9ヘクタールの地を覆う)やテュポン’またはテュポエウス。オリュンポスの神々が、巨人達を征服した時、ガイアは立腹してタルタロスと交わり、キリキアで生んだ人獣混合体の巨大な怪物。その力と大きさは何者にも勝ったという。ウェルギリウスはわざとこの二巨人の名を挙げ、アンタイオスに「負けてたまるか」という気を起こさせる)の所にはつれていかないでください。このダンテは、あなたがここでほしがっている名声を与えてくれます。ですから、身をかがめてください。しかめっ面をしないでください。このダンテは生きているので、地上に戻ったらあなたの伝説を広めることもできるのです。神の恩寵がダンテをその膝元に召さなければ、ダンテはもっと生きるでしょう。」すると巨人は急いで手を伸ばして、ヘラクレースにも使った恐るべき握力で先生を捕らえました。すると、その手に握られた先生は、私におっしゃいました。「さあ、来なさい、私が君を抱きかかえましょう。」私たちは一つの束になりました。おそるおそる私が見上げると、巨人アンテオが身をかがめているのは、ちょうど、ガリセンダの塔(ボローニャの斜塔の一つで、1110年にガリセンディ家のフィリッポとオッドが建てた。高さ約50メートル、斜角3メートル。ただしダンテの時代にはもっと高かった)の傾いている方向と逆に、その上を雲が通りすぎる時、その塔を、傾いている側の下から眺めるようでした。その瞬間、私は、他の道を通っていけば良かったと思いました。しかし、アンタイオスは、イスカリオテのユダと共に天使の頭目ルチフェルを飲み込んでいる地獄の底に、私たちを注意深く降ろしてくれました。すると、身をかがめた巨人はすぐに、船のマストのように身を起こしました。(2005年7月15日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:第八圏から第九圏に降りる所です。(2005年7月15日)

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第三十二曲
地獄の重みを一点に集める恐ろしい穴について語るにふさわしい荒々しく耳障りな言葉を、私がうまく使えれば、記憶を絞り出すのですが、私にはそのような才能がないので、これから物語ることは、あまり気乗りがしないのです。全宇宙の底(ダンテの拠ったプトレマイオスの天文学では、地球が全宇宙の中心ゆえ、地獄の底はすなわち全宇宙の底)についてありのままを語ることは、面白半分にはできません。アムピオーン(ゼウスとアンティオペーの子。ムーサイの助けを得て、テーベ市の城壁を築いたという。すなわち、彼が竪琴を奏でると、妙音に魅せられキタイロン山から石自ずと転がり落ち、その集積が堅固な壁になった。ホラティウスの「詩論」394−396に言及あり)を助けてテーベに壁を作った淑女、ムーサイよ、私が見たことを詩にするのを、どうか助けてください。ああ、書くのも恐ろしいこの地獄の底にいる、出来損ないの魂達よ、いっそ、羊や山羊に生まれていれば良かったのに! 私たちが、巨人の足元より低い真っ暗な穴(アンタイオスら巨人は第九圏の縁に立つ。二詩人は今その縁よりも低い所へ降ろされた)に降り立ち、坂道を下り、高い壁を見上げていた時、誰かの声が聞こえました。「足元を気をつけなさい! 惨めな魂達の頭をけっ飛ばさないように注意しなさい!」その言葉にひかれて振り返ると、足元は、氷のガラス板のような、コチートの沼でした。冬のオーストリアのドナウ川もドン川も、極寒の空の下で、このように分厚く凍らないでしょう。トスカーナ地方の北西山系にそびえるタムブラ山や、タムブラ山と同山系に属する峻峰、パニア・デルラ・クローチェの一つであるピエトラパーナがその上に落ちてきても、縁がきしみさえしなかったでしょう。氷に閉じこめられ寒さで真っ青な魂達が、頸のあたりまで出し、コウノトリがクチバシをこするように歯をカチカチ鳴らしていました。それはちょうど、初夏にカエルが水面から鼻を出してゲロゲロ鳴くようでした。どの魂も、顔を氷の方に下に向け、口では寒さを、目では心の苦悩をあらわしていました。私は少しの間、周りを見回して、そして下を見ると、二人の魂が(この魂の中の一人が、「足元を気をつけなさい」と声をかけたのであろう)髪の毛が絡み合うように身を寄せ合っていました。私は彼らに訊きました。「互いに胸を寄せ合っているお二方、私に教えてください。あなた方はどなたですか?」二人は頭を後ろに曲げたのですが、私の方に顔を向けると、それまではどんよりしていた目から涙が唇まで落ち、その落ちた涙が二人の間で寒さで凍り、互いにもっとくっついてしまいました。板と板をくっつけるかすがいも、このように固くくっつけることはできません! そして二人は怒り出し、二頭の山羊が互いに突き当たるようでした。すると、別の魂が、寒さのために両耳を凍らせ、顔をうつむけ、叫びました。「何であなたはそんなに私たちをじろじろ見るのですか? この二人の魂が誰なのか知りたいのなら、教えましょう。ビセンツォ(プラート並びにカンピ・ビセンツェの近くを流れ、フィレンツェの西約十六キロの地点でアルノに注ぐ川。ビセンツィオの谷とその上流シエーヴェの谷に、それぞれアルベルティ伯爵家の城があった)川が源を発する谷間は、この二人と、その父親アルベルト(マンゴーナの伯爵アルベルト・デリ・アルベルティ。マンゴーナ城はアルペルトの子でグエルフィ党員のアレッサンドロに相続されたのを、兄でギベリーニ党員のナポレオーネが横領した。これが原因で兄弟は争い、1282年から86年に到る年次に殺し合って死んだ)のものでした。二人は兄弟です。もしあなたがこのカイーナ(地獄第九圏第一円)を探し回っても、この氷付けに彼らほど相応しい魂はいません。アーサー王の手から一突きで胸と影とを刺し貫かれた者(アーサー王の甥(息子とも言う)モードレッド。ダンテが読んだと思われる古いフランス語で書かれた稿本の「アーサー王物語」によると、謀叛心あるモードレッドは王の殺意を感じ先んじて王を殺したが、王もまた激しい勢いでモードレッドを刺した。王の剣が相手を貫いた後、一条の日光さらに傷口から差し込むのが見えたという)でも、フォカッチャ(ピストイアのヴァンニ・デ・カンチェルリエリ。フォカッチャという悪名で鳴り響いていた。1293年の十月、従兄のデット・ディ・シニバルド・カンチェルリエリを謀殺した)でも、ここにいる、頭が私の邪魔になって視界を遮る、このサッソール・マスケローニ(フィレンツェのトスキ家の一員、遺産相続に絡んで肉親の者(叔父・兄・甥・従兄弟など諸説あり)を殺した罪が発覚し、釘の突き刺さった箱に入れられてフィレンツェ市中引き回しの上、斬首されたという。ダンテの当時評判であったらしい)と呼ばれる者でも、まあこいつのことは、あなたがトスカーナの生まれなら知っているでしょうが、とにかくこの二人には及びません。あなたがもっと訊ねる前に言っておくと、私はカミチョン・デ・パッツィ(アルベルト(またはウベルト)・カミチョーネ・パッツィ・ディ・ヴァル・ダルノが正式の名。肉親のウベルティーノといくつかの城塞を共有していたが、独占する目的でウベルティーノを謀殺したこと以外、行状不詳)です。私は、カルリン(カルリーノ・デ・バッツィ・ディ・ヴァル・ダルノ。カミチョーネの血縁の者。1302年、フィレンツェの黒派とルッカ市民がピストイアを攻めた時、彼はフィレンツェの白派のためにアルノの谷の一城を守っていたが、買収されてそれを黒派の手に渡した。裏切りの罪は肉親殺しの罪よりもはるかに重いので、カルリーノが死ねばコチートの第二円に入れられ、自分の罪の軽さが証明されるだろうと、カミチョーネは預言してるのである。勿論、「潔白」からはほど遠い)が私が潔白であるのを証明してくれるのを待っているのです。」もっと先には、寒さに紫色の顔をした犬のような千もの顔を見ました。私は、今でも凍った池を見ると、震えが来るほどです。私たちは全宇宙の重さが一点に集まる中心に近づいて行ったのですが、私はその永遠の寒さに凍えていました。運命か、偶然か、天意によってか分かりませんが、頭の間をかき分けて歩くうち、それらたくさんの顔の一つを強く蹴ってしまいました。その魂は、泣き叫びました。「何で私をけっ飛ばすんですか? モンタペルティ(トスカーナの一村。シエナの東数キロ、アルビア河畔の丘上に位置する。ここで、1260年九月四日、シエナ及びフィレンツェのギベリーニ党と、フィレンツェのグエルフィ党の間で苛烈な戦闘があり、グエルフィ党は完敗した。地獄第十曲参照)での罪への仕返しでないのなら、なぜあなたは私を悩ますのですか?」そして、私は言いました。「ウェルギリウス先生、少し待ってください。この魂に訊いてみたいことがあるのです。それが終わったら、先生のお望みの通り急ぎますから。」先生は立ち止まりました。私は、その、悪態をつきまくっている魂に言いました。「このようにも他の魂をとがめるあなたは、どなたですか?」その魂は答えました。「あなたこそ誰なんですか? 他人の顔をけっ飛ばしながらアンテノーラ(祖国や仲間を裏切った者が落ちて罰せられる地獄第九圏第二円。ギリシア神話のアンテノールにちなむ命名。アンテノールはトロイア王プリアモスの賢明な顧問役であり、『イリアス』ではパリスとメネラオスの一騎打ちで事件の解決をはかろうとする平和主義者なのだが、中世ではトロイアを敵方のギリシア勢に売り渡した裏切り者とされている)を通り過ぎるあなたは、いったい誰ですか? 生きていたとしても、あんなに強くは蹴りませんよ!」私は答えました。「私は生きています。ですから、もしあなたが名声をほしければ、あなたの名前を私は記憶しておきます。そうすれば地上に帰ってからあなたのことを話せますから。」するとその魂は言いました。「その反対こそが私が願う所です! 地獄で人の気に入るように振る舞う方法を知らないようですね! こんな風に私を苦しめるのをやめてください。ここから出ていってください!」そこで私はその魂の髪の毛をひっつかんで言いました。「あなたは、自分が誰なのか、私に教えた方がいいです! さもなくば、髪の毛を全部引っこ抜きます!」すると魂は言いました。「禿げてしまうまで髪の毛をむしられたって、千回も私の頭を踏みつけられたって、私の名前は言いません。」私は彼の髪の毛に指を絡ませて、一つかみ以上髪の毛を抜いてしまいました。その魂は目を下に伏せたまま悲鳴を上げました。すると他の魂が叫びました。「どうしたのですか、ボッカ(ボッカ・デリ・アバティ。1258年、ギベリーニ党がフィレンツェから追放された後も同党員として踏みとどまり、モンタペルティの戦いではグエルフィ党員としてフィレンツェの味方を装い、しかも、フィレンツェ側の旗色が悪いと見ると、フィレンツェ軍の旗手ヤコポ・デ・バッツィの片手を切り落とし、味方を大混乱に陥れ、グエルフィ党完敗の素因を作った)? 歯をガタガタ言わせるだけでなく吠えるなんて! どんな悪魔が来たというのだ?」私は言いました。「もうあなたに言ってほしいことはありません。憎むべき裏切りもの! もうあなたの名前は分かりました。あなたの恥ずべき本当の消息を地上に持ち帰ります。」ボッカは答えました。「あっちへ行け! あなたが言いたいように何でも言ってください! でも、ここを出ていく時に、あのおしゃべり(ブオーゾ・ダ・ドゥエラ。パラヴィチーノ侯爵と共にクレモナのギベリーニ党指導者の一人。1265年、アンジュー家のシャルル一世が、マンフレディと会戦してナポリ王国を占領する目的でイタリアへ進軍した時、彼はマンフレディから大金を受け取り、その軍勢を必ずロンバルディアで食い止めると誓っておきながら、シャルル一世に買収され、無抵抗のうちにフランス軍を通過させた。この裏切り行為により彼は1267年クレモナから追放され、1282年に復権したものの、その後クレモナ市民の怒りによってドゥエラ家は断絶する)についても言ってくださいよ! あいつはここで、フランス人から受け取った銀(フランスのシャルル一世からもらった金)を嘆くのです。地上で、”罪人達が凍っている所で、ドゥエラを見た”と言うがいいです。そして、もし”他に誰がいましたか?”と訊かれたら困るだろうから、教えておきましょう。あなたのすぐそばにいるのは、喉をフィオレンツァに切り裂かれたベッケリアのヤツ(パヴィアのテザウロ・デ・ベッケリア。ヴァルロンブローザの修道院長で、教皇アレクサンデル四世のトスカーナ特使。1258年、フィレンツェからギベリーニ党が追放された後、彼はギベリーニ党と通謀していた嫌疑でフィレンツェ市民に捕らえられ、同年殺害された)です。ジャンニ・デ・ソルダニエル(フィレンツェのギベリーニ党員。1266年、ナポリ王マンフレディの死後、フィレンツェの庶民はグイド・ノヴェルロの政府とギベリーニ党の貴族に反抗して蜂起した。この時ジャンニは自身ギベリーニ党員であるにもかかわらず、権勢欲から庶民の先頭に立って自党を攻撃したという)は、ガネルローネ(ガヌロン。地獄第三十一曲参照。ピレネー山中ロンスヴォーに後衛の陣をしいていたカール大帝軍惨敗の原因を作った裏切り者。中世ではその名は、裏切り行為の代名詞となる)や、ファレンツァ(ラヴェンナの南西約三十キロの地点にあるエミリアの一都市。グエルフィ、ギベリーニ両党の反目が苛烈を極めたことで有名)の城に夜討ちをかけたテバルデルロ(ファエンツァ市のギベリーニ党に属するザムブラシ家の一員。ボローニャを追放されてファエンツァに亡命していたギベリーニ党のラムベルタツィ家の者への私怨から、1280年十一月十三日の明け方、彼は自党を裏切り、ボローニャのグエルフィ党ジェレメイ家のため市門を開き、ラムベルタツィ家の者を殺戮させた。テバルデルロは地獄第二十七曲に出てくるフォルリの戦いで1282年戦死した)と共にずっと先の方にいます。」ボッカから離れてすぐに、私は二人の魂が一つの穴に一緒に凍っているのを見ました。一人の頭が、もう一人の頭の帽子であるかのようにくっついていたのです。お腹を空かせた人がパンを囓るように、下にいる魂は上の魂の頸にかぶりついていていました。テュデウス(テーベに向かった七将の一人。メラニッポスと戦い、腹部に致命傷を受けたが、屈せず、アムピアラオスからもらったメラニッポスの頭を割り、脳髄を食べたという)が怒り狂って、メラニッポス(テーベのアスタコスの子。七将を迎えてプロイティダイ門を守り、テュデウスの腹部に致命傷を与えたが、自分も死んだ)のこめかみを囓った時のすさまじさも、この魂が相手の頭を囓っているのと同じようです。私は言いました。「ああ、野獣のように噛みついて、頭に噛みついている相手への憎しみを示すあなた、どうしてそのようにしているか、教えてください。もしあなたの復讐が理にかなうのなら、あなた方の名前と罪を知った上で、地上に帰った時、あなたに報いると約束しましょう。私が死ぬ前に私の舌が乾くことがなければ。」(2005年7月18日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:地獄第九圏には四つのカイーナ、アンテノーラ、トロメア、ジュデッカという円があります。この第三十二曲では、第一円のカイーナ、第二円のアンテノーラに行きます。(2005年7月18日)

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第三十三曲
残忍な食事をやめ、その罪人は口を上げて、噛みつぶした頭の髪の毛で口をぬぐい、言いました。「あなたは私に、望みを絶たれた悲しみを、また新たに痛感させるのか。口に出さなくても、心は締め付けられるようなのに。でも、もし私の言葉が、私が囓るこの裏切り者に、悪名の果実を結ばせる種となるのであれば、私は泣きながら話しましょう。私はあなたの名前や、どうやってここへ降りてきたのか知りませんが、あなたの言葉を聞くと、あなたはフィレンツェの者に思えます。まず、あなたに知っておいてほしいのは、私は、ウゴリーノ伯爵(詳しくはウゴリーノ・デルラ・ゲラールデスカ。ドノラティーコ伯爵。ウゴリーノ・ダ・ピサのなでも知られる。1220年頃代々ギベリーニ党の領袖で、ピサやサルディーニャに広大な領地を持つ貴族の家に生まれた。1275年、グエルフィ党の首領ショヴァンニ・ヴィスコンティと通謀し、伝統的にギベリーニ党の根強いピサの実権を手中に収めようとしたが、事が発覚し、追放され、財産は没収された。翌年ピサに帰り、まもなく勢力と名声を取り戻す。1284年、メローリアの海戦でピサが敗れた後、ピサの長官に選ばれ、翌年、彼の政敵から「城の売り渡し」と呼ばれる妥協政策を採用。これが裏切り行為と見なされ、下獄、1289年餓死する)で、こちらは、大司教ルッジエリ(ルッジエリ・デリ・ウバルディーニ。父は、煉獄第二十四曲に出てくるウバルディーノ・ダルラ・ピラ。地獄第十曲に出てくる有名なギベリーニ党の枢機卿オッタヴィアーノ・デリ・ウバルディーニの甥、ウゴリーノ・ダッツォとは従兄弟の間柄。1278年から95年までピサの大司教であった)です。私がこのような隣づきあいをする理由を話しましょう。私は彼を信じていましたが、彼の悪巧みにより私は捕らえられ、そこで死んだのです。このことについては話す必要がないでしょう。しかし、あなたが知りようのないこと、つまり私の死にようがいかにむごたらしかったかを話しましょう。聞いてください。そうすれば、彼が私を不当に扱ったかどうか分かるでしょう。私によって、「飢餓の塔」(グアランディ家所有のこの塔は、爾来、「飢餓の塔」の名を得た)と呼ばれていて、これからも囚人が閉じこめられる鷹籠の狭い穴(恐らくは小さな窓を指す。古い注釈には、もとここへピサ市の鷹が入れられ、羽ね換えしたと伝える)から、私は何度月が通り過ぎるのを見たことでしょう(伯爵とその子らは1288年の七月末投獄され、翌年二月初旬に死んだから、半年以上の月日が経過した)。そして最後に、私の未来に幕を引く悪い夢を見ました。私は、ピサ人からルッカを隠す山(ピサの北東にあるサン・ジュリアーノ山。ルッカへ行く途中にあたる)の上で、子連れオオカミ(ウゴリーノ伯とその子供たち。ルッカには伯爵の友達や同志がいるので、そこへ逃げようとしたのである)を追い回した支配者であり狩猟家である、このルッジエリの夢を見ました。痩せた体で、良く馴らされて従順な牝犬(ルッジエリにけしかけられるピサの烏合の庶民)と共にシスモンディ(ピサの貴族、ギベリーニ党の領袖)とランフランキ(ピサの貴族、ギベリーニ党の領袖)を引き連れたグアランディ(ピサの貴族、ギベリーニ党の領袖)を先に立て、少し追われると、オオカミの父も子供たちも疲れたようで、その時私は、長い犬歯が脇腹を引き裂いたと見たように思いました。明け方に目覚めた時、私は、私と一緒にいた私の子供たちが(ウゴリーノと共に幽閉されていた四人の子供のうち、実を言うと二人は孫であり、また四人ともダンテが描いているよりも年長であった。しかしこの思い違いは、「ピサ年代記」を始め、ダンテ当時の文献に共通)眠りながらもパンをほしがって泣くのを聞きました。その時の私の心の叫びを考えてあなたが悲しまないのであれば、あなたは冷酷な人です! あなたが泣いていないということは、あなたは泣いたことがあるのでしょうか? 子供たちは目を覚ましました。普段なら私たちの食べ物が運ばれてくる時間でした。でも、私たちの誰もが、夢を思い返して不安におびえていました。下の方からは恐ろしい塔のドアを釘付けする音が聞こえてきました。私は黙って、私の血と肉である子供たちを見ました。私は泣きませんでした。私の中身は石のようでしたから。でも、子供たちは泣きました。私のかわいいアンセルムッチョ(親愛をあらわす接尾詞ウッチョをアンセルムにつけたもの。これはウゴリーノ伯の長男グエルフォの子供ゆえ、事実は伯爵の孫。1272年以後の生まれと考えられるから、死んだのは十六歳前後であっただろう)が言いました。”お父さん、どうしたのですか? なぜそんな風に見るのですか?”そう言われても、その日一日中、夜も、次の日の太陽が世界を照らすまで、私は涙を流さず、何も言いませんでした。わずかな一筋の太陽の光が、私たちの悲惨な獄房に差し込み、私は私の四人の子供たちの顔が私に似ていて、しかも、私と同じようなおびえた顔をしているのを見ると、私は怒りのあまり自分の両手を噛みました。すると、私が手を噛んだのが、空腹のためだと思った子供たちは、私の側に来て言いました。”ああ、お父さん、私たちを食べてください、そうすれば私たちの悲しみも少なくなるでしょう。この悲しみに満ちた身体をくださったのはお父さんです。ですから、お父さんが私たちからその身体をはぎ取ってください!”子供たちをこれ以上悲しませまいと、私は心を静めました。その日も、また次の日も、私たち親子は黙って座っていました。ああ、非情な大地よ! 私たちを飲み込んでしまってほしいです! 四日目が来ると、ガッド(ウゴリーノ伯の第四子。正確な出生時は不明だが、1288年には既に成人していたと思われる。なおこの辺りの描写から、獄房では囚人は足かせをはめられていたと見て良い)は私の足元に身を投げて、言いました。”お父さん、どうして私を助けてくれないのですか? なぜですか、お父さん?(マタイによる福音書27の46、「わが神、わが神、なにとて私を見捨てたまいし?」の影響)”そして彼は死にました。私は、五日目と六日目に、他の三人の子供たちは一人ずつ死んでいくのを見たのでした。そして私は目が見えなくなり、手探りで子供たちの骸を探し、もう死んでいるのに、二日間の間名前を呼び続けました。しかし、悲しみがその極みに達していても死にませんが、ついに飢えのために死んでしまったのでした。」ウゴリーノはこのように語ると、怒りに燃えて下をにらみつけ、また、犬のように強い歯で、惨めな頭に齧り付き骨にあたってガチガチと言わせていました。ああ、ピサよ、「シ」の音が聞かれる麗しい国(イタリア。ダンテは『俗語論』1の8で、皇帝詞「然り」を、スペイン人はオク、フランス人はオイル、イタリア人はシという旨を述べている)の人々の汚点よ! あなたの隣人(わけてもフィレンツェとルッカの人たち)があなたを罰するのをためらうのなら、二つの島カプライア(コルシカ島北端の東部、ティレニア海にある小島)とゴルゴーナ(カプライア島の北、ピサに一層近い小島。ダンテの時代、これらの両島はピサ市に属していた)を動かせてくっつけアルノ河口でダムでせき止め、ピサ人を氾濫で滅びさせてください! ウゴリーノ伯爵があなたの裏切り者となり、あなたの城を売り渡したと非難されても、その子供たちを苦しませることはなかったのです。若いと言うことが、近代のテーベよ(ピサのこと。テーベは古代において犯罪と流血で悪名をとどろかせた。地獄第二十六曲、第三十曲参照)、イル・ブリガータ(ウゴリーノ伯の長男グエルフォの息ニーノ、従ってアンセルムッチョには兄に当たる。餓死した時は二十才に近かったであろう。既に結婚していたとの説もある)やウグイッチョーネ(伯の五男で末子、ガッドの弟)や、既に我が詩に名を挙げた他の二人(アンセルムッチョとガッド)を無罪とします。私たちはさらに進み、顔を下に向けず上を向いている、別の罪深い者たちを荒く氷に包まれている所に来ました。ここでは、泣けば泣くほど泣けなくなり、目からの出口のない悲しみは、内側へ苦しみを増して戻るのです。初めの涙は結晶となり、水晶の面頬のようで、眼窩を満たすのです。暗闇のひどい冷たさが、タコのできた箇所のように、私の顔から感覚を奪っていたにもかかわらず、風を感じたように思ったので、私は言いました。「先生、どうして風が起こるのですか? この深みにはどんな熱も届かないと思っていました。」すると先生は私におっしゃいました。「もうすぐ君の目で、風を動かす原因となる答えを見つけられる所に行きますよ。」その時、氷で覆われている不幸な魂の一人が私たちに叫びました。「ああ、地獄の一番底のジュデッカを与えられた邪な魂達よ(ダンテに対する重大な侮辱。当然詩人の激しい反撃を受ける)、私の顔から硬い氷のお面をどかしてください、そうすれば、少なくとも、新たに流れる涙が再び凍る前に、私の心に詰まっている苦しみから解き放たれるでしょう。」私はその魂に答えました。「それがあなたの望みなら、あなたの名前を教えてください。もし私があなたを助けてあげなかったら、この氷の下に赴かなければならないですから(コチートは地心に向かって傾斜しているから、いずれその底部に達することをダンテは知っている(実際はルチフェルの身を伝って降りるのだが)。それを知りながら、魂の願いを果たせぬ場合最深部へ落ちるというのは、与えられた侮辱へのダンテのからかい)!」するとその魂は答えました。「私は修道士アルベリーゴ(ファエンツァのグエルフィ党貴族、マンフレディ家の出。1267年頃、安逸助修士(地獄第二十三曲参照)となった。1285年、アルベリーゴを退けてファエンツァの支配権を得ようとたくらみ、争論となった時、マンフレッドはアルベリーゴをなぐりつけた。若気のあやまちとして許すように見せかけ、ほとぼりも冷めた頃、自宅に和解の宴を設けてアルベリーゴはマンフレッドとその息子一人を招待した。デザート・コースに入り、「果物を」とアルベリーゴが大声で命ずると、タペストリーの後ろに隠れていた刺客達が飛び出し、アルベリーゴの眼前でマンフレッド父子を殺戮した。このことから「助修士アルベリーゴの悪い果物」は市井の語りぐさとなった)です。良からぬ園の果物の件の(果物を暗殺の合図としたこと)。ここでは、イチジクの代わりにナツメヤシをもらっているのです(「良からぬ園の果実」の比喩から、さらに皮肉な言葉遊びをし、「イチジクに対してナツメヤシ」(「海老で鯛を釣る」に相当)と自嘲する。イチジクよりもはるかにナツメヤシが高価なように、あの犯罪は、第九圏第三円に落ちるという高価な代償をもたらしたという意味)。」私は言いました。「ああ! それでは、あなたはもう死んでしまったのですか?」するとアルベリーゴは言いました。「私の身体が上界でどうなっているのか、私は知らないのです。このトロメア(コチートの第三円。名の由来については二説あるが、聖書外典マカバイ記上、16の11−17に出てくるジェリコ(エリコ)の首長トロメオ(プトレマイオス)にもとづくとするのが妥当であろう。前134年、トロメオは飽くなき権勢欲に駆り立てられ、岳父にあたる祭司長マカバイ家のシモンとその二子を自分の城塞に招き入れ、酒食を供して大酔させ、手下の者と示し合わせ、武器を取って父子並びにその従者を惨殺した。よって賓客に対する裏切りの罪を犯す者の罰せられる獄の名とする)は特別で、魂をアトロポス(ギリシア神話の運命の三女神の一。原ギリシア語は、「変更を許さぬ者」を意味し、寿命の糸を断つ女神の名となる。従ってここは、「まだ寿命があるうちに」魂だけが落ちてくる、の意味)が送る前に、直にここに送られてくる時もあるのです。あなたがもっと快く私のガラスの涙を私の顔から取り除いてくれるよう、教えてあげましょう。私のように魂が信に背くことがあれば、悪魔が肉体を魂から引き離し、その後は、肉体が生きている限り、悪魔が肉体の支配者となるのです。一方で、魂は、この水槽に真っ逆さまに落ちるのです。私のちょうど後ろで寒い目に遭っている魂も、地上に肉体をおいてきているのです。でも、あなたが地上から降りてきたばかりなら、知っているにちがいありません。これは、セル・ブランカ・ドーリア(ジェノヴァのギベリーニ党名門オーリア家の一員。領地を奪う目的で、甥とも従兄弟とも言われる一近親と示し合わせ、サルディーニャのログドロ州の太守で岳父のミケール・ザンケを宴に招き、謀殺した。それは1275年頃とも1290年頃とも言われる。ブランカは1233年頃生まれ、1325年頃死んだ)です。この人が私たちと同じくここに氷り付けになってから何年も経ちました。」私は言いました。「あなたは嘘をついているのでしょう。なぜならブランカ・ドーリアはまだ死んでいません。彼は、食べ、飲み、寝て、洋服を着ています。」アルベリーゴは言いました。「上にあるマルブランケの嚢の中(職権を悪用し、不当な取引で金を貯めた汚吏の魂が罰せられる第八圏第五嚢。地獄第二十一曲参照)の、ネチネチした、タールの煮えたぎる所へ、まだミケール・ザンケ(地獄第二十二曲参照)の魂が着いていないうちに、ブランカ・ドーリアはその身体を悪魔に残して悪魔に自分を変わらせたのです。共に裏切り行為をした彼の近親の一人もまた同じでした。それよりさあ、早く、約束通り、手を伸ばしてください。私の目を開けてください。」私は目を開けてあげませんでした。彼に不親切にすることは寛大な報酬というものです(地獄第二十曲の「ここの場所では慈悲の心を持っていては敬虔な心を持つことはできませんよ」あるいは地獄第八曲のフィリッポ・アルジェンティのくだりで、ダンテが、「今日に至るまで、神への讃美と感謝を忘れません」と歌った。地獄の道理は上界と逆で、残酷こそこの上もない憐れみなのである。だからダンテは、あえてブランカの願いを聞かなかった)。ああ、ジェノヴァ人よ、良いことを遠ざけ、悪いことに親しむ者よ、なぜあなた達はこの地球から追いやられないのでしょうか? なぜなら、私は、あなた達の一人(ブランカ・ドーリア)が、ロマーニャの極悪非道の魂(アルベリーゴ)と一緒にいるのを見たのですが、ブランカ・ドーリアは、自らの行いのせいで魂は現在コチートに浸かりながら、肉体は生きていて、今なお地上を歩むのですから。(2005年7月18日)(2005年8月13日更新)

にくちゃんメモ:この第三十三曲では、第九圏第二円のアンテノーラから、第三円のトロメアに行きます。(2005年7月18日)(2005年7月28日更新)

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第三十四曲
ウェルギリウス先生はおっしゃいました。「地獄の王は旗ひるがえす(北イタリアに生まれた司教詩人ヴェナンティウス・フォルトゥナトゥス(530頃ー609頃)が、ポアティエの司教時代に作った有名なラテン語讃歌の冒頭句、「王は旗ひるがえす」に皮肉に「地獄の」をつけたもの。旗とはルチフェルの翼)、私たちに向かって。さあ、前を向いて、彼(ルチフェル)を見分けられるかどうか見てご覧なさい。」私は、濃い霧が出たり、日の光が陰っても、遠くの風車が大きな羽根を回しているのは見えるものだ、と思いました。その時突風が吹き、私は、他に遮るものがないので、先生の後ろに身を寄せました。足元を見ると、氷の下に固まった魂達の上に私は立っていたのでした。今、この詩を書いている時でさえ震えが来るほどです。魂達は、ガラスの中の藁のように見えました。ある者は横になっていて、ある者は垂直に立っていて頭を上にしている者も、足を上にしている者もいて、また、顔を足元まで曲げて弓のような者もいました。私たちは歩いていったのですが、先生は、かつては美しかった生き物(反逆を企てる前のルチフェルは、まさにその名の通り「光を見に負う者」であった。無比の醜悪を身に負う現在との対比。煉獄第十二曲、天国第十九曲参照)を私に見せようと思われたのか、私の前からどいて、私を立ち止まらせて、おっしゃいました。「これがディーテ(悪魔は地獄第八曲、第十一曲、第十二曲で、既にこの名で呼ばれている)です。君の内にある勇気を必要とする場所ですよ。」読者よ、その時私がどんなに身も心も寒かったか訊かないでください。私が感じたことは、とても言葉にできません。私は死んではいないのですが、生きた心地もしなかったのです! もしできるなら、想像してみてください、生も死も奪われて、私がどのようであったかを。悲しみの王の中の王であるルチフェルは、胸から上を氷の外に出して立っていました。ルチフェルの大きな腕の長さから考えると、ルチフェルの背丈はものすごく大きいのでした。巨人達と私の背丈が同じぐらいに感じるほどです。今醜いのと同じだけ、かつては美しかったルチフェルが、そのように美しく創ってくださった創造主に向かって眉毛を上げて傲慢無礼の態度をとったとしたら、悲しみのもととなるのも、うなずけるというものです。ああ、ルチフェルの頭に三つの顔がある(父と子と聖霊の三位格を持つ三一神のグロテスクな写し。三面の悪魔は中世を通じて造像の民間的慣習となっていた)のを見た時、私がどんなに驚いたことでしょう! 一つの顔は前にあって真っ赤でした。他の二つの顔は、両肩中央の真上で前方の顔と接していて、三つの頂上の鶏冠(高慢を象徴する)のところで一つになっていました(三一神の悪魔的パロディ)。右の顔は白と黄色の混ざった色で、左の顔はエチオピア人の皮膚の色でした。それぞれの顔の下から、大きな翼が生えていていました(全部で六枚。イザヤ書6の2にあるとおり、天使の時分も六枚の翼を備えていた。それが今は魔王の旗の役目をする)。翼と言っても、このような大きな翼の生えた大きな鳥がいればの話ですが。それにしても、このような大きな帆を持つ船を見たことがないぐらいだったのです。どの翼にも毛は生えていなくて、コウモリのようでした。ルチフェルはその六つの翼をはためかすことによって三つの風を起こしていて、そのために、コチートは凍りついていました。ルチフェルは六つの目で泣いていて、三つの顔から涙と血のヨダレがしたたり落ちていました。三つのそれぞれの口で罪人をくわえていて、麻や亜麻を熊手でかくように、歯で噛んでいて、三人の罪人は常に苦しんでいました。前面の罪人は、時々背中の皮を爪ではがれていて、それに比べれば噛まれているのはどうということはないでしょう。先生は説明してくださいました。「上のあそこで一番苦しんでいる魂が、イスカリオテのユダ(キリストを売ったイスカリオテのユダ。ゆえに地獄では最も名誉ある位置を占め、第九圏第四円も彼にちなんでジュデッカと名付けられる)ですよ。頭はルチフェルの口の中ですが足は外で動いています。頭を突き出している二人の内、黒い顔を垂れているのはブルート(マルクス・ユニウス・ブルータス(前85−前42)。ローマの政治家でカエサルの暗殺の首謀者の一人。教皇を天上的世界の、皇帝と地上的世界の代表と見たダンテの教えでは、キリストは教皇の教皇ゆえ前者の反逆者ユダがルチフェルに呵責されると同様、ブルータスもまた呵責されねばならない)ですよ。身をよじりながらも、一言も発しない気丈さをご覧なさい。もう一人は、カッシオ(ガイユス・カッシウス・ロンギヌス(前42没)。ローマの将軍で、カエサル暗殺の首謀者の一人)ですよ。彼はまだ逞しく見えます。しかし、もうすぐ夜が訪れますよ(1300年四月九日、聖土曜日の午後六時)。もうここは見終わりましたから、ここを離れましょう。」先生が頸に手を回すようにおっしゃったので、私はそうしました。先生は良い機会と良い場所を見計らってルチフェルの翼が十分大きく開いた時に、毛深い脇腹につかまりました。そして、下の方へ毛房を一つかみ一つかみとしながら、密集した毛と氷の間を降りていきました。私たちが、ルチフェルの股がお尻のふくらみの上で曲がっているあたりへ(悪魔の身体の中心部。すなわちプトレマイオスの天文学では地球の中心であり、全宇宙の中心である)たどり着いた時、先生は渾身の力を振るい、頭を毛の生えた臑の方へ向け(重力の中心に来たウェルギリウスは、地獄と反対の方向へ出るために、足と頭を置き換えねばならない。ウェルギリウスの背に負われ、手をその頸に回しているダンテには方向転換したことが分かるものの悪魔の毛ずねを伝って足の方へよじ登るウェルギリウスの動作から「再び地獄へ帰って行く」のかと一瞬錯覚した)、登るようにして毛をつかんでいったので、私は、私たちはまた地獄に戻っていくのかと思いました。先生は疲れて息切れしながら、おっしゃいました。「しっかりとつかまりなさい。他に道はないのですよ。この階段を進まないと、これまで見てきた悪の世界から離れることができないのですよ。」先生は私を岩の割れ目をくぐらせて、外に出させ、その縁に私を座らせ、それから先生も注意深くそこを登り、私の所までいらっしゃいました。私はさっきまで見ていたルチフェルを見ようと目を上げました。しかし、私が見たのは、ルチフェルが二本の足を上に上げて逆立ちしているのでした(重力が逆に働く側へ出たので逆立ちと見えたまでのこと。ここでは既に両足の先が上を向いている)。それを見て私が混乱したかどうかは、通ってきた所がどんな様子だったか分からない愚かな人たちには分からないでしょう。先生はおっしゃいました。「さあ、君の足で立ちなさい。道は長く(あるダンテ学者は、これから地表までの道程を算定して、時速百キロの乗り物なら完全に四昼夜かかるという。それを二詩人は一昼夜で通り抜ける!)、けわしいのに、日はもう辰の時点(地獄の旅では夜の世界を主宰する月や星が時刻測定の基準となった。しかしこれからの南半球の旅では、太陽の位置で時刻が測られる。考えて「辰の時点」の訳語を与えたメッヅァ・テルツァはほぼ午前七時半)ですよ。」その時私たちが来たのは、城の広間ではなく、自然にできた地下牢(*)のようで、粗末な床で、光もあまり差し込まない所でした。私は立ちあがって、言いました。「ああ、先生、この地獄から離れる前に、少し説明をしてください。コチートの氷はどうなりましたか? なぜルチフェルは逆立ちになっていたのですか? 太陽はどうしてこの短い間に夜から朝になったのですか?」先生はおっしゃいました。「君は、まだ地心の彼方で、地球を貫くウジ虫(ルチフェル。ウジ虫(ヴェルモ)という同じ言葉が、地獄第六曲でケルベロスを指している)の毛を私がつかんでいた場所にいると思っているのですよ。私が下に向かっていた時は、まだ君はそこにいたのです。でも、私が身をひるがえした時、君はすべての重さがあらゆる方向から引き寄せられる地点を通過したのですよ。君は今、キリストが、その頂点(イエルサレム。中世の地図では、イエルサレムを乾いた大陸すなわち北半球の中心として描き、十字架のキリストをその標識とするのが常であった。地獄はイエルサレムの真下に位置する)で殺された半球とは裏側の南半球の下に来ているのですよ。そして今君は、ジュデッカ(地獄第九圏第四円、すなわちコチートの最深部。ルチフェルの正面の口に噛まれるイスカリオテのユダにちなむ命名であるが、ダンテの時代には、ヨーロッパ各都市でのユダヤ人の集合居住区も、そう呼ばれていた)の背面を成す円形の岩盤に両足をおいているのですよ。むこうで夜なら、こちらでは朝です。そして、私たちが毛をつかんで梯子としたルチフェルは前と変わりなく今も同じ姿勢のままですよ。ルチフェルが天からこちら側(南半球において、イエルサレムと対蹠をなす地点。この想定はダンテ独自のもの)の南半球に墜ちてきた時、この南半球を覆っていた陸は恐怖のあまり海に隠れて北半球に入りこみました。また、煉獄の山はルチフェルが地獄にくだった時に彼に触れるのを恐れて地底を離れた土に成り、この土地はそこを離れたためにここに空いた場所(*印の所のこと)が残ることになったのですよ。ベルゼブルつまりルチフェル(マタイによる福音書12の24に、「悪霊どもの頭ベルゼブル」と呼ばれているもの。ルチフェル、悪魔の別名)から遠ざかる事、地獄の長さと同じほどの距離に、目では見えませんが、小さな川の音が聞こえる所があります。つまりそこは南半球の狭い道で、ルチフェルの所から地上の一点に通じる道で、その長さは地獄の入り口からルチフェルまでの距離と同じなのです。その小川は、煉獄で浄められる罪が地獄へ帰る川(恐らくレーテ。地獄第十四曲参照)で、曲がりくねって緩やかな傾斜をしていて、流れで洗われた岩のくぼみを沿って流れるのですよ。」先生と私はその隠れ道に入り、明るい世界へ戻ろうと進んでいきました。私たちは、休憩しようなどと考えもせず、登っていきました。先生が先に、私がその後に続いて、登っていきました。そして、私たちの前に一つの丸い穴のような地表への出口から、ついに天が創った美しいものを見たのです。そこから私たちは再び星々(両半球の時差を勿論勘定に入れて、時は1300年四月九日、夕星の輝き出す時刻。神曲全三篇とも、「星々」の一語を結びとしているのは、遍歴者ダンテの微視と巨視をかねそなえた高邁な求道の態度を端的に示す)を見ようと外に出ました。(2005年7月20日)(2005年7月28日更新)

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