とれいん工房の汽車旅12ヵ月 Twitter

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2009-02-13

katamachi2009-02-13

[]"中心"が空洞になっている東京。都市機能の多核化を図った地方都市

 前回の「"中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」。予想外の反響に正直驚いた。以前、鞆の浦とポニョの話京品ホテルの話Yahoo!ニュースリンクされたときはpv数が1万数千/日になったが、その時とは別種の反応はあった。と共に、はてなトップページに2日間掲載されるというのはこういうことなのか……と実感できた。"はてな村"の住人たちで、自分たちの住む"都市"って何なんだろう、と漠然とした疑問をお持ちの方が多かったということなんだろう。

 内容的には、

  • 日本の都市の都市では"核"としての機能が失われたことを指摘
  • 中心性を欠如したままで"コンパクトシティ"なる舶来の発想を持ち込むことに疑問

を中心に展開した*1。また、中心市街地および郊外の是非に対する価値判断には触れないように努めた(つもりだ)。

 今日は、日本地方都市の中心市街地空洞化していった原因について。


街の"中心"性を持ちながらも、頂点に空洞が広がる東京

 ヨーロッパの都市にとって、"旧市街"という存在がカギとなるというのは、現地を訪れた方なら承知のことだと思う。城郭の中に市街地が発生し、それが都市国家設立の基盤となったというのは中世史ではお馴染みの話だ。近世、近代、そして現代になっても市街地は中心性を保ち、政治宗教や祝祭の場になってきた。

 一方、日本の都市は微妙に異なる。1910年代からの産業革命大阪東京の人口と市域が劇的に拡大して、周辺の農村集落を飲み込む。1930年代には他の産業都市も肥大化し始め、戦後、そうした現象が地方都市でも見られるようになる。市域の拡大と共に"境界"は意味を失う。

 かつて城下町寺内町など環濠で覆われた都市は存在したが、その名残はほとんど現在残っていない*2。というか、近世の城郭自体が、市街地の外れにあった。大坂城江戸期の大坂の東端に位置する。名古屋城は北端、二条城(京都)は西端。仙台城などもしかり。そもそもお殿様自身が、天守閣に住んでいなかった。しかも明治以降、公共施設の用地として提供される一方、政治的・経済的中心性を失ったことで、街のランドマーク以外の要素を失った。

 ただ、東京は違うのでは……と指摘するのは東京大学教授建築史を専門とする、というか近代建築マニア藤森照信路上観察好きにはお馴染みの名前だ。

藤森照信研究室http://tampopo-house.iis.u-tokyo.ac.jp/

 藤森は、彼を世に知らしめた「建築探偵の冒険〈東京篇〉」で「皇居が見つかった」という一文を記している。

 古い建物と街並を求めて東京中を歩いて十数年。ふと気がつくと、その中心に皇居がそびえる。みんな知っていながら、なかなか皇居という存在に出会えなかった。

 いざ皇居という存在について調べてみようにも、東京論を展開する文章からはまったく黙殺されている。その理由は「文学者評論家の肉眼マナコに入るにはあまりにもでかすぎる」から、らしい。そんな、いつものような軽妙な切り口で、しかも広く深く過去の文献を彫り込みながら、彼の愛する東京という特異な街を描き出していく。

建築探偵の冒険〈東京篇〉 (ちくま文庫)

建築探偵の冒険〈東京篇〉 (ちくま文庫)

明治の東京計画 (岩波現代文庫)

明治の東京計画 (岩波現代文庫)

 江戸という街は、日本城下町としては珍しく江戸城を取り囲むようにして市街地が形成された、と藤森は指摘する。東京と名を改めてからも、道路や経済機能、官庁街、住宅も皇居の回りに張り巡らされた。

 周辺の農村地帯から中心に向かって徐々に都市活動の密度は高まっていき、その頂上にあるのが皇居お子様ランチ日の丸みたいに立つその一帯だけが空洞になっている。

 東京という都市は、単一の中心核を持っていながらも、その中心だけが空洞になっているというのだ。と、ロラン・バルトの「表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)」の「神聖なる<無>」という言葉を引きながら、当たり前すぎて誰も気付かなかった"事実"を資料と観察眼を元に組み立てていく。

 で、その日本の中心にある空間の田んぼで春と秋にコメ作りに勤しんでいる人がいる。日本にも、世界にも類を見ない都市空間がこの街にだけ存在する。

 ご先祖様から代々稲刈りを続けてきた、あの人。政治的にも文化的にも、ここは"核"であるはずなのに、絶対的な権力は従前から存在しない。日本という曖昧で不安定な社会根本はここかな。中心性が欠如していても、責任云々とかから超越していても、あうんの呼吸で成り立ってきた。彼のことを考えると、いろんなことを想像できるのだが、あえて藤森はそこらに触れない。ただ東京という街の片隅から遠くに霞んで見える皇居に目を注ぐだけだ。

 

60年代以降、東京大阪で都市機能の多核化と分散が進む

 ただ、戦争による被災を経て、東京はさらなる拡大を続ける。高度成長を迎えて人口が急増していく中で、1960年代初頭には中心部の都市機能への過度の集中が課題となってくる。道路渋滞や地価高騰などの問題が深刻になってきた。日本第二の都市である大阪も同じ悩みを共有していた。

 そこで、東京大阪は、周縁部に新たな"核"となる街を整備しようとした。いわゆる副都心計画。乗換駅に付随する繁華街でしかなかった新宿池袋新大阪に隣接する区画整理地域で高層ビルが林立するようになるのは70年代になってからである。

 東京ではこの時期に拠点の分散が図られたことが功を奏した。80年代になって日本経済の東京一極集中が顕著になってくると、副都心は様々な事業者が立地するための受け皿になっていった。山手線内の様々なエリア再開発が進み、新たな街と都市機能が生まれる。千葉大宮横浜八王子など電車で30〜50分ほどの都市も変貌していく。バブル崩壊を挟みながら、世界都市にも対抗できるだけの力を集めていく。六本木などでは大手デベロッパーによる大規模開発が進み、都心に隣接したところで高層ビルマンションがいまだに建てられている。十数年前には大失敗となる危惧もなされた有明埠頭も今ではそれなりに街として成熟している。地方の停滞と比べると、ヒトとモノとカネの集まり方は凄まじい。

 だが、大阪市60年代半ばから急激な人口減に見舞われる。手狭で住み良さに欠けた市街地から郊外へと人口の流失が始まった。経済力の衰えも目立ち始める。大阪市に対抗意識を燃やす大阪府は、市域外に巨大な環状道路を敷設し、その沿線に千里・泉北の二大ニュータウンや堺泉北コンビナート、そして工業団地や輸送拠点を整備していく。

 こうした都市機能の分散と多核化は、経済圏の中核となる大阪市中心部の都市機能を低下させるに至った。80年代から90年代にかけて、市も府も、失地を回復させるべく関西空港大阪ベイエリア都心部での再開発に巨額の資金を投じた。だが、時すでに遅し。今さら東京圏に追いつけるはずもない。投資に見合っただけの成果を挙げられず、かといって一度始めた事業を中止することもできず、やがて危機的な財政状態へと追い込まれる。


地方都市の郊外化と中心市街地衰退を促した都市機能の"多核化"

 そんな中で、70年代後半から「都市経営」という言葉が盛んに語られるようになる。その成功者として語られたのは神戸市。山を切り開き、土砂を海岸で埋め立て、陸と海に新たな街を誕生させ、先進的な都市機能を構築していく。民間の資本アイデアを借用した"株式会社神戸市"とも称されたその手法は、地方都市の目指すべき方法として注目を浴びた。

 当時、市長だった宮崎辰雄(元革新系の候補)がそのイニシアティブをとり、市役所幹部であった高寄昇三が"株式会社神戸市"の理論的構築をし、様々な出版物で"都市経営の大切さ"を世に知らしめていく*3

現代都市経営論 (1985年)

現代都市経営論 (1985年)

 背景には、

といった状況がこの時期にはあった。かくして地方都市は、80年代半ば頃から"地方の時代"にふさわしいまちづくりに邁進することになる。

 その羅針盤となったのが、長期総合計画(総合計画)である。

 これは地方自治体都市計画の基本となる計画で、街の基本理念や方向性を示す「基本構想」、基本的な施策や事業を体系的した「基本計画」、それを具体化するための「実施計画」の三要素が盛り込まれている。約十年に一度作成されるこのプランを元に、自治体は政策を展開していく。

 目指すは、「人と自然が調和し、豊かさと心ふれあうやすらぎのまち」(30年前の東村山市)。その言葉の軽さに僕なんかは空々しいモノを感じるのだが、とにかく市民のため、街のためを思って、役所の人たちは計画実現に邁進し始める。

 税収をアップさせて市民に"豊かな"生活をしてもらうには、商業や工業の拠点を造りたい。モノを運ぶ物流網も整備したい。あれもしたい、これもしたい。夢だけは膨らむ。

 ただ、既存の市街地での開発には困難が予想される。権利関係が複雑な上に、地価は高いし広い土地の確保は不可能。都市経営を可能とする先進的な施策を展開するのは難しい。

 そこで、郊外に注目をする。既存の市街地から数キロ離れた集落に都市機能の一部を分散させ、多核的なまちを作り出そうとした。それが新時代の地方都市には必要なんだ、と少なくとも役所の責任者は考えた*4


そして総合計画を元に「多核多重構造」→郊外重点の街が出来てきた

 "長期総合計画"でググると、こんな自治体の総合計画が上位に出てきた。

 世界遺産のお城を抱える産業都市、姫路市はこんな多核化構造を持つ都市イメージを持っている。

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 これらから、姫路市の都市構造は、中部市街地を広域生活圏における主核とし、各地域ブロックを基本単位とした地域生活圏が複合、連携した「多核多重構造」の都市形態となっています。

姫路市の都市構造

 生活圏と開発エリアがきれいに重なっていれば職住近在の理想的な街が出来るのかもしれないが、なかなかそうはいかない。

 昨年末、LRT(新時代型路面電車ライトレール)の導入を巡って市長選が展開されかけた(途中でうやむやになった)宇都宮市だと、こんな感じ。

f:id:katamachi:20090213073303g:image

 一極集中は、自動車交通の増加とともに、慢性的渋滞を発生させ、都市活動の低下や無秩序な拡散をもたらすと危惧される。

 そのため、鉄道や広域幹線道路等の交通の要衝を核として、土地利用と交通のバランスの取れた多極型構造の都市として、地域の均衡ある発展を目指したまちづくりを進める必要がある。

うつのみやのまちづくり 都市計画マスタープラン

 多極化した場合って、一番、LRTを含む公共交通機関が困るケースです。市民の移動が多種多様になってしまい、最大公約数的なルート設定が難しくなる。どうするんだろ。

 まあ、浜松や姫路、宇都宮に限らず、県都クラスの20〜50万人程度の街も「多核多重構造」と謳っている。中心部よりも、そうした周縁部の"核"に重点投資をしてきたのが、ここ25年ほど、全国の地方都市で展開された施策だった。正直、「昭和の大合併」以前の旧町村域の住民にも配慮して市税を総花的につかおう……という平等主義的な発想がそこにはあった。

 政策的には、矢田俊文ら地域構造論*5を提唱する経済地理学方面からのアプローチが、1987年第四次全国総合開発計画も含めた政府の方向性に反映されたとも言われている。そして、多極分散型国土の形成を目指す中央の方針が、地方の政策にも影響を与えた。

地域構造論の軌跡と展望 (MINERVA現代経済学叢書)

地域構造論の軌跡と展望 (MINERVA現代経済学叢書)

 かくして地方都市は、"核"となる拠点を結ぶ幹線道路を敷き、国道バイパスを繋げ、インターチェンジを作り、工業団地と物流拠点を整備していく。区画整理されたエリアには公共施設三セクのビルが建てられ、新たな"核"が誕生する。それを追うようにして、数年前まで田んぼだったロードサイドに、スーパーファミレスなどの郊外型店舗が新規に集まってくる。少し遅れて、いわゆる大規模小売店舗も郊外の拠点へと進出していく。それに輪をかけるように、自治体は市立病院市民ホール学校、そして市役所自体も郊外へと移していく。

 人口20〜50万人程度の県都クラスから、人口1万人程度の町でも、多かれ少なかれ郊外に公共施設が整備されていく。それに対し、政府も気前よく補助金をはずんでくれた。

 おらが集落にも何か目玉が欲しい。地方議員たちは予算の争奪戦を始めた。都市周辺で広大な敷地を持つ地主さんたちもそれを歓迎した。なにより、クルマを持つ多くの市民が郊外型の生活スタイルの利便性を享受した。

 バブル経済の崩壊にみんな気づき始めたのは1993年頃。この時期だと、地方都市インフラ整備はまだ道半ば、という段階か。そろそろ岡山県大阪府がヤバいゾと言われ始めていた当時。ここで止めておけば出血はまだ少なかったのかもしれないが、「地域経済の底支えのため」とか名目は変わりつつも、財政出動が行われていく。

 そして、あるとき、気がついた。地方都市の中核だったはずの旧市街地から人影が失われたことを。


"核"を失った中心市街地からヒトもカネもモノも消えた

 すでに1980年代半ばには地方都市のみならず大都市でも商店街の衰退が叫ばれていた。にも関わらず、長期総合計画に描かれたデザイン通りに郊外での公共投資が進められていく。

 それがあらかた完成した90年代後半。かつて都市の"核"だったエリアの衰退は決定的なものになる。駅前や旧市街地に立地していたスーパー百貨店などの大規模小売店ですら経営難に落ち込む(特に、そごうダイエーなど)。政府や議員たちは慌てて中心市街地活性化に取り組むが、客足が遠のいた街に人を呼び寄せるのは簡単なことではない。大店舗法の改正がさらなるダメージを与えながら、2009年現在に至る。

 経済の自由化・国際化、東京一極集中少子高齢化モータリゼーション、農業の問題......いろいろ中心市街地衰退の原因は挙げられる。

 ただ、最大の要因を挙げるなら、地方都市がこの二十数年間続けてきた"総合計画"に根本がある。

 東京のような首都なら、頂点である皇居に空洞があろうがなかろうが、ヒトとモノとカネは集まり続ける。だが、第2位の大阪ですら郊外化によって都市機能の配置がアンバランスになった。ましてや地方都市で、わざわざ農村部に拠点を造ってまで開発を促進させていく必要があったのか。

 結果として、都市機能の多核化にともなう市街地の分散化に、中心市街地は耐えうるだけの力を持っていなかった。

 「コンパクトシティ構想」というのは、そうした都市機能の多核化、分散という発想に対するアンチテーゼとして期待されているのだろう。開発のターゲットを郊外から既成市街地に戻すことで、中心性の高い都市作りを目指す。人口減と財政抑制に見舞われる近未来には、"効率的"な都市が実現できるかもしれない。

コンパクトシティ―持続可能な社会の都市像を求めて

コンパクトシティ―持続可能な社会の都市像を求めて

 理念としては正しいのかもしれない。でも、処方箋ではない。

 確かに、都市の"核"が、まだある程度、中心部にある自治体なら"可能性"はあるかもしれない。郊外化のスピードを緩める程度には役立つかも。

 だが、人口20〜50万人程度の県都クラスでそんな都市があるのかどうか。役所がそのスローガンを標榜している青森市富山市では実現可能なのか。単に国から補助金を引っ張り出すための"方便"に過ぎないのでは。

 ましてや、中心部が「自滅」してしまった都市ではどうなのか。

 役所や病院や物流機能やなんやらを都心部に戻す。巨大な商業施設を中心部に造る。土地利用の高度化を目指す。

 う〜ん、既存市街地っていまだに地価が高くて用地買収も難しいのに可能とは思えない。できたらバブルの時にでもやっているって。実際、大阪市大阪府80年代から90年代にかけて中心部と郊外部で同時多発的に大規模事業を展開して、そのどれもがうまく回転しなくて危機的な状況に追い詰められている。

 かくして地方都市未来図を描けなくなった。政府からの補助が削られていくのに、自己責任で自主財源を突っ込んでまでやってみたいアイデアもない。展望が開けないままでは、総合計画なんて立てられようがない。


自分たちの都市に関心を持たれたのなら、調べて欲しいことが1つだけある

 この事業をやれば、おらが町だけは、税収が上がる。人口も増える。"市民のため"に"善意"でやった施策の多くが裏目に出てしまった。

 「市民の、市民による、市民のための政治」なんていいいながら、

ってのを繰り返してきたから財政赤字が止まらなくなる。

 十数年前に役所が作成した需要予測を見れば、その杜撰さと経営センスのなさは一目瞭然だ。大きな器を作りすぎた上に、失敗が明らかになっても撤退する勇気を持てなかった。大阪だと、関西国際空港と関連開発がその象徴だ。

 そして、現在。大赤字をもたらした三セク施設や大規模開発の音頭取りをしてきた連中はすでに役所にはいない。地方公務員は政策の失敗をしても責任をとらされることはない……と、地方公務員法第27条を読む限り、そう理解するしかない。というか、大開発運動を促してきた中央政府の役人も、当時の首長を含めた幹部たちもすでに退職済。議員さんは知らぬ存ぜぬ。


 僕にも20〜40歳代ぐらいの公務員の知り合いは少なからずいるんで、ここで述べたようなことをもっと露骨に具体的にツッこんでみたりもする。

 彼らもみんな分かっているんですよ。財政が苦しい理由ってのを。ここ10年ほどの公務員叩きで辟易としているヒトも多そう。「公務員ってロクでもない。」と公務員さんらしい匿名のボヤきがあるが、その気持ちも分からないわけではない。あんたらがしっかりしろよ、と言っても、彼らの多くは日々の仕事に追われて、自治体の全体像、総合計画を考える立場とは懸け離れている。

 あのとき、類型的な主義主張や地縁、利害対立から距離を保ち、自分たちの力で考えようとしている人たちが総合計画を作成していれば、もう少し違った未来があったのかもしれない。

 でも遅すぎる。


 こう書き連ねると、半年前に書いた「誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」と同じ話の流れになってしまった。

 まあ、僕は今こそクルマと大規模店を排除すべきとか、中心市街地に資金を投じて活性化すべきとか、中央集権体制や自民党政治利益誘導型の議員や土建屋さんや大手企業が悪いとか、日本共産党が政権を取れば日本は救われるとか、なにか主義主張を語りたくてこのエントリーを書いたのではないんで別にそれでもいい。ただ、80年代から進められた都市機能の郊外分散が中央市街地疲弊の遠因になったと指摘し、ここの話はおしまいにする。


 最後に、1つ。アドバイスをしたい。

 もし、自分たちの都市に関心を持たれたのなら、ぜひ各地方自治体ホームページなんかにある「長期総合計画」「総合計画」を見て欲しい。調べたい自治体名とあわせてググれば、出てくるはず。

 たとえば浜松市だとこんな感じ。→http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/admin/totalplan/totalplan/kihonkousou.html

 なんか急遽、作りましたという感じが漂っている。"「環境と共生するクラスター型都市」を目指します"とあるなあ。合併したところなんで、周辺部の旧市町村エリアにも目配りしないといけない、と。総花的な予算の分配が行われて郊外化がさらに進みそう。

 「平成の大合併」が終わったばかりで新しい総合計画が完成していないところもあるし、ホームページに載っていないところもある。そういうときは、近所の図書館に必ず置いてある。200ページぐらいの分量もあるが、本編だけだと読みやすくは書かれている。ネットだけではなく冊子で、そして80年代90年代の過去の総合計画にもきちんと目を通して欲しい。近隣の市町村、あるいは類似サイズの他都市と比べてみたりするのもいい。なにがこの街に足りないのか。実際にどういう計画が実行されてきたのか。何年も前の都市計画地図を見ながら、今の風景と照らし合わせるのは、楽しくかつ有意義な作業だ。

 ただ、学生時代、何百という総合計画書を読み飛ばしてきたが、あまりにも退屈な作業だった。この市も、あの市も、みんな書き方や主張がワンパターンなんだよね。「にぎわいと活力あふれるまち」とか「 人の出会いとふれあいを大切にするまち」とかなんとか。もう内容面でも考え方でも雛形が80年代パターン化されていて、それをただ丸写ししているだけ。固有名詞を変えれば他の自治体の総合計画にも転用は可能。ひどいところでは、都市計画系のコンサルタント会社に丸投げしているところもあるんだとか。そう考えると寂しくなってくるのだけど、それはまた別の話。

*1:"ためにする議論"への違和感もあった

*2:逆に、それを辿ろうと僕なんかは町歩きを続けている

*3:個人的には、阪神大震災の直後、宮崎氏が市立中央病院市街地から埋立地に移したことに後悔する旨のコメントをしたのが印象に残っている

*4:本気で自分のアタマで考えたのかどうかは大いに疑問である。たぶん、どこかのエライ人が言っていたことの受け売りなんだろう

*5:経済地理学会と称するホームページによる地域構造論批判http://econgeog.misc.hit-u.ac.jp/gakkai/faq.htmlここで何があったのか。別な意味で気になる。矢田のグループに嫉妬する人たちは少なくなさそう

通りすがり通りすがり 2009/02/14 12:55 東京の場合、ストロー効果の頂点にいたので空洞化の矛盾には晒されずに済んだ面は確かにありますね。
ただ、バブル崩壊までのドーナツ化現象、その後の急激な都心回帰という流れはありましたし、それが地方同様サバービア幻想として語られることも多かったと思います。

あとは、30km圏以遠の開発で失敗したものが多いんです。
鉄道に絡めると運輸政策審議会答申はそうした開発が成功することを前提に需要予測モデルを作りましたので、幾つかの路線では泣かされてるケースもあります。

「長期総合計画」「総合計画」、後は「マスタープラン」などでしょうか?
本気で推進する気があるのなら、昨今流行の政策法務でも何でも使えるものは使いまくって縛りをかけにかかるでしょう。役所の対極にある市民運動の方々も何故かこれらの画餅作りが好きなのは、皆自分の思い描く絵を描きたいからでしょうか。

役所の方は世代を問わず、責任を回避して本気で満足している方も結構居ますよ。都市計画系のコンサルタント会社に丸投げの件も、文書作成同様、マニュアルがありますから考えようによっては更に悪質に展開する場合もあります。まあ都市に要求する機能を列挙しオブラートに包めば「にぎわい」だの「活気」だのになるのは仕方ないですが、オブラートにつつんだ時点で選択と集中は放棄している訳で。都市「経営」なら取捨選択は必須なのに。

請け負った仕事の範囲にもよりますが、コンサルも頭使っているのか疑わしい面があります。そう言えば運政審答申も企画開発などのコンサルを使ってます。

ただ、役所や仕事を請け負った建設業界が自分自身をどう思っているか、については認識を変えました。つまり、ある種の長期計画に固執するのは彼等もまた、物語を持っているからです。最近、『建設業界』『建設グラフ』など雑誌がネット上で記事を掲載するのを見て、そう思います。
神戸港の場合は人に絡めてこういう感じです。明治から語りおろしてますがめくっていけば阪神大震災まであります。
http://www.dokokyo.or.jp/ce/ce0605/aruku_01.html

経済地理学会、堂々と内紛を行っているのに驚きました。
それでも日本学術会議には登録しているのですね。
http://www.scj.go.jp/ja/info/link/link_touroku_ka.html

つきのわぐまつきのわぐま 2009/02/14 16:40 日本の各都市の年齢別人口を調べてみると、最近の若い世代は大都市の都心に近いエリアに集まる傾向があり、それらのエリアでは子供が増加しています。2000年〜2005年頃、大都市の都心に近いエリアで雨後の筍のようにマンションがニョキニョキ建っていましたが、そこに入居した団塊ジュニア世代(当時30才前後)やそれよりやや下の世代(2003年〜2007年のミニバブルの恩恵を受けた世代)が現在子育て真っ最中というところでしょう。

逆に、人口増加の著しかった高度成長期に開発された郊外のニュータウンは今や老人団地と化し、便利な都心部へ引っ越したい高齢者が家を売ろうにも買い手が居ないという状況に陥っています。また、都心から離れた郊外や農村に近いエリアほど若者が少なく、子供も減少傾向にあります。

郊外や農村は高齢化、若者は都心志向ということで、コンパクトシティという概念を持ち出すまでもなく、既に都市域の縮小は始まっているのではないかと思われます。

(余談)
コンパクトシティ論者がLRTやら何やらを持ち出してくる辺りに胡散臭さを感じてしまいますね。ノスタルジーや利権で街造りを語るのはいい加減終わりにして欲しいです。それでなくても、恐慌突入→企業業績悪化→税収減少→公的部門リストラ、という厳しい時代になりつつあるのに・・・。

らららららら 2009/02/14 22:43 まず東京がクラスター型の街だもんね
中心の東京駅の利用者は90万人弱で、110万人の地方の名古屋駅より少ない

大阪がキタとミナミに、名古屋が名駅と栄に、福岡は博多〜天神と
それぞ街に集約してるのに対して
東京は分散型、表参道も六本木も丸の内とそれぞれのクラスターが他都市に比べて極端に狭い
日本中がそのクラスター化した東京を見てしまってるのはあるかも

katamachikatamachi 2009/02/18 08:32 コメント、ありがとうございます。m(_ _)m

ちょっとドタバタしているんで、今晩にでも書きます。

katamachikatamachi 2009/02/19 19:35 通りすがりさん、ご返事、遅くなりました。

>東京の場合、ストロー効果の頂点にいたので空洞化の矛盾には晒されずに済んだ面は確かにありますね

高度成長期ほどではないにしても、70年代以降、コンスタントに人口流入が続いていますからね。ニューカマーの増加も顕著。僕が上で述べた言葉を使うならば、"核"がきちんとしていたから"郊外化"にも耐えられた。地方都市の中心市街地にはそれだけの求心力がなかった。

>30km圏以遠の開発で失敗したものが多いんです

千葉ニュータウンもそうだし、多摩ニュータウンあたりも"成功"したのかどうか微妙なところですよね。関西の千里・泉北と違い、都心からあまり遠すぎた、開発時期が遅すぎたというのが敗因なんでしょうか。70年代に関しては、東京・大阪圏の人口流入を過大に見積もりすぎたというのが、鉄道政策に限らず、都市政策全般に言えることだと思います。この時期のインフラ投資が宙に浮いてしまった事例は枚挙に暇がない。まあ、そういうことはあってもいいんでしょうが、80年代後半のバブル期、そして90年代半ばからの少子高齢化、そうした所でも、都市政策は完全に先を読み誤っていますね。

総合計画に関しては、全国各地の市町村のモノを斜め読みしたことがあるんですが、正直、まだパターン化される前の60年代、70年代って、しっかりした計画書を出している自治体もまだまだありました。80年代以降は、自治省あたりが作ったんだろう雛形の丸写しばかり。「選択と集中」は、財政難に陥った昨今でもまだ徹底されていませんよね。地域や関係者に配慮した総花的な総合計画は今後も続くんでしょう。

神戸の話。途中まで読んでみましたが、都市を築いていく"物語性"というのは面白い視点ですね。それを紡いでいくと共に、市民に共有されるように言葉を尽くすこと。自治体に求められているのはそうした説明責任なんだと思います。

katamachikatamachi 2009/02/19 19:46 つきのわぐまさん。

>最近の若い世代は大都市の都心に近いエリアに集まる傾向があり、それらのエリアでは子供が増加しています

都心部への人口回帰は顕著ですよね。小学校の増改築も進んでいるんだとか。ただ、人口増が顕著なのは、高層マンションの新築物件が集中して立地しているエリアばかり。木造アパートなど低層住宅が林立しているところではなかなかうまくいっていない。都心部にも、勝ち組エリアと負け組エリアがあるんでしょうね。郊外部のニュータウンでも、人気のあるところとそうでないところの差が激しくなりすぎている。僕が上で書いた「都心VS郊外」という類型的な視点では説明できない現象も起きているんでしょうね。

LRT……。北陸新幹線の絡みでうまく展開できた富山市。政令指定都市になって背伸びをしている堺市。その2市以外はなかなか続かないですね。京都市は、市長が代替わりした途端、話はどこかへ行ってしまったようです

katamachikatamachi 2009/02/19 19:54 らららさん。

東京圏は、都営大江戸線に囲まれた旧市街が1930年代になって拡大していく過程で、新宿・渋谷・池袋・上野・品川など山手線沿線のターミナルがうまく"核"として機能していきましたよね。

大阪は70年代ぐらいまでは梅田から船場、淀屋橋、難波……と幅広く機能分散はされていたんですよ。でも、90年代以降、梅田への一極集中が進みすぎて、大阪環状線内の都心部でもアンバランスな感じになっている印象はあります。

水仙水仙 2009/02/23 18:19 まちづくりのNPOを地方都市で行っています。国土交通省の成功事例として青森、富山がよく紹介されています。特に富山はLRTで成功したように書かれていますが、あれだけ人口密度が低く車に依存した都市で、電車や駅がインセンティブとなり事業所や住宅が集まり、アメーバー型の都市をヒトデ型に変えられるとはどうしても思えません。路面電車も始点と終点は栄えていますが、途中の駅の周囲で店舗の改装などすら見られません。総曲輪商店街もグランドプラザ中心に賑やかになりましたが、勿論車に依存しています。路面電車の通る商店街はほぼ消滅しています。既存ストックを生かすのは賛成ですが、セイフティネットとしての公共交通ならともかく、「電車で街が活性化」なんていう例は人口密度が低い地方都市ではありえないのではないでしょうか?経済産業省は推奨していますか?需要の低い都市まで「LRTで需要を喚起」なんて言うのは(特に都市交通戦略などで)根拠の無いものだと思いますが、けんかを売りましたかね?

katamachikatamachi 2009/02/25 08:23 水仙さん。

>電車で街が活性化」なんていう例は人口密度が低い地方都市ではありえないのではないでしょうか

僕も富山へは何度か訪れましたが、同じ印象を持ちました。富山ライトレールが走る北側にしても、既存の地鉄市内線が伸びる南側にしても、収容量が大きい駐車場があるからこその賑わいなのかなあとは感じました。ましてや、ご指摘の通り、既存ストックのないところではかなり厳しい、というより、住民のコンセンサスすら得られない感じになりかねないのではと思います。「LRTで需要を喚起」ではなく、コンパクトシティでもなんでもいいのですが、街をどうやって行きたいのかという政治的・市民的意見の調整が最優先であり、LRTはあくまでも、おまけなんです。

水仙水仙 2009/02/28 18:15 katamachiさん
ご返事ありがとうございます。総合計画もそうですが、中心市街地活性化基本計画、都市交通戦略もこれを取らないと補助金が貰えない仕組みになっており、補助金の為の計画づくりになっているような気がします。そしてどれもクラスター型都市、公共交通でまちづくりとその都市に合っているかを十分検証もしないで無理矢理合わせています。私は夜間人口と昼間人口のズレが無い都市が理想だと思っています。通勤、通院、通学が重要で空洞化したまちなかの再生が鍵となると思います。住宅地も職場も病院もついでに役所も郊外移転をして、それを公共交通で結んでみてもコストがかかるだけです。岐阜市は凄い駅前広場をつくりましたが、産業の再生が無ければ無駄遣いにしか思えません。まず都市を形成する経済的仕組み(地域内循環システム)の再生が先だと思うのです。需要があって出来た鉄道をストックを生かすとは言え、低密度で核の無い都市まで路面電車があれば全てLRT化するというのは新たな箱物行政になるのではないでしょうか?クラスターに人口密度を高めてから串を考えるべきで、串で団子をつくることは困難だと思います。

七氏七氏 2009/02/28 20:36 >katamachi 2009/02/19 19:46
>その2市以外はなかなか続かないですね。
予算が確保できていない状態ではまあ無理でしょう。
富山にしろ堺にしろ関連他事業予算から捻出の目処が
立っていたからこそ実現できた話、幾ら行政にLRTの
"素晴らしさ"を訴えたところで単独の予算なんてつくは
ずが無いんですけどねぇ・・・今の財政難の状況では。

>水仙 2009/02/23 18:19
>路面電車の通る商店街はほぼ消滅しています
万葉線なんかがそうですな。
高岡駅前中心部と郊外部を結び、第3セク化+新車を投入
しても依然として駅前商店街は見事なシャッター通り。
LRT導入論者はどう思っているでしょうかね・・・。

市野川市野川 2009/03/01 07:15 「コンパクトシティ」と関連するところで、中心市街地活性化については「先進事例」ということで青森市、富山市がよく挙げられてますが、その青森市の場合は再開発ビル「アウガ」が事実上債務超過状態になっている他、周辺中心市街地への波及効果も思わしくなく、現状は厳しいようです。

「商業界」3月号で取り上げられていました。
(私はあいにく見ていないのですが)
http://www.shogyokai.co.jp/shogyokai/back_num/view.php?type=gekkan&id=10000983


ちなみに、最近その業界では日本政策投資銀行の藻谷浩介氏の理論があちこちで取り上げられていて知られてきているようです。(各地で多数の講演をしています)

●参考ページ(藻谷氏の講演テキスト)
デフレ時代と中心市街地
http://www1k.mesh.ne.jp/toshikei/173.htm


中心市街地活性化の理論的には、後はクオールエイド社のサイトも興味深い内容があるかと個人的には思います。
http://www.quolaid.com/

katamachikatamachi 2009/03/02 02:01 水仙さん。

>補助金の為の計画づくりになっているような気がします。

それは僕もそんな印象を持っています。中央省庁としても中心市街地の活性化が地方都市を安定させるためにも先決だと理解しているからこそ補助金を充実させているのだと思います。でも、今さら何ともしようがないというのもまた事実。財政難の折、大盤振る舞いをすることも出来ず、実際、地方公共団体の「自己責任」でやらざるをえないような状況にありますよね。

岐阜駅前の話。「鉄道ピクトリアル」誌増刊の名鉄特集で広場の中にLRT用のスペースが確保されていた旨の記事を読み、いろんな意味で無駄遣いになってしまったんだなあと、さっき帰宅の電車の中で思いめぐらしていた次第です。

>まず都市を形成する経済的仕組み(地域内循環システム)の再生が先だと思うのです

そうですよねえ。ただ、それが産業の再生に繋がるのか。あるいは実現可能性があるのか。具体的な政策は可能なのか。なかなか難しい。都市の郊外化が決して都市のためにならなかったのと同様に、中心への回帰もまた困難な道のりなのかもしれません。比喩として使われた「串で団子をつくることは困難」というのは、本当、そうですよね。


堺市のLRT計画なんかも、堺東駅や堺駅付近の活性化よりも、埋立地の再開発(シャープの液晶工場が進出予定)の方に力点があったりするので、なんだか危なっかしいなあと思ったりもしています。

katamachikatamachi 2009/03/02 02:16 七氏さん。

>予算が確保できていない状態ではまあ無理でしょう

それはそうですね。一昨年、国交相は、かんばる鉄道には補助金を(そうじゃないところはゴメンね)......と、既存鉄道とそれを抱える自治体にも応分の負担と気合いを求めてきました。ましてや新線建設への補助は難しいんでしょうね。

市野川さん。

>青森市の場合は再開発ビル「アウガ」が事実上債務超過状態になっている

http://mainichi.jp/area/aomori/news/20081119ddlk02010080000c.htmlによると、一般会計から融資とありますね。二年前に知人と見に行ったときも、これで青森の中心市街地が活性化されたとは到底思えないという印象を持ちました。永年、数多くの旅行者に愛用されてきた駅前の食堂も閉鎖されてしまったし……

紹介された記事にある

>人口が増えずに空き地がどんどん増えている状況で容積率の「高度利用」をすれば、採算は立たないし、さらに空地を増やすだけなのです

という箇所は納得させられました。といいつつ、「理解のある地権者の土地だけを安く借りて、そこに住人や新規参入者を入居させて、容積率は未利用だが建蔽率の高い、緊張感ある空間を構築していく」ことが難しいのはなぜか。新規参入者を過度に期待するのはどうなのか。マッチングするのは誰か。そもそも地権者は誰から委ねたいのか。そこらの調査なんかも気になったりはしています。

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