とれいん工房の汽車旅12ヵ月 Twitter

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2009-02-08

katamachi2009-02-08

[]"中心"が存在しない日本都市コンパクトシティは似合わない。

 というのが、以前、誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月で参考にしたid:Dr-Setonさんのエントリーを読んでの感想

 彼によって最近書かれた「自滅する地方 自滅した浜松 その3 - シートン俗物記」と「自滅する地方 自滅した浜松 その2」を併せて読むと、

というお話しである。

 日本地方都市というのは60年代までは駅前や繁華街などの従来からの市街地を核とした都市構造を形成してきたが、その後、70年代後半から郊外化が進捗していき、90年代になると"中心市街地"の衰退が"課題"となってきた。

 その際、大規模店舗がしばしば"悪玉"として挙げられている。ネタ元にされている「大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本 (岩波新書 新赤版 (960))」に限らず、郊外へ大規模店舗が進出したことで中心市街地商店街が疲弊したというのも、これまたあちこちで語られてきた。自動車もそんな"悪玉"の1つ。で、郊外化を食い止めるには何を規制しなければいけないか……という議論も出てくる。

 ここらの話は、都市を語る論者にとってはお馴染みの話題である。その点では特に違和感はない。

 大企業地元税金雇用も収めないからメリットがない...というのは左派系の財政学者が"搾取"という視点で60年代から語ってきたことだった。昔お世話になった、ある岩波文化人のセンセイもその1人。共産党系の市議なんかは各地で同じようなことを繰り返し主張していたんじゃないかな。

 それが、80年代半ばから都市郊外での大規模店進出が相次ぎ、明らかに旧来からの商店街が閑散としてきた。それがあまりにも極端なことになってきて地元商店主たちが騒ぎ出し、保守系地方政治家たちもついに動き始めた。左と右が同一歩調で歩み出した。隔世の感がある。

 かくして、1998年中心市街地活性化法が制定され、様々な施策が取られるようになった。

 日本におけるコンパクトシティ論もその延長線上にある。ヨーロッパから移入してきた施策特有のイメージ先行で分かりづらい側面もあるが、われらが「はてなキーワード」の

 都市郊外化、スプロール化による諸問題への反省から、市街地を小規模の地域に集約しコミュニティ再生しようというまちづくりの思想。

というところを参考にしてもらおう。市街地コンパクトに保つことで、歩いたり公共交通機関で行き来できる範囲を生活圏とし、住みやすいまちづくりを目指そう……というところか。


都市の"核"としての機能が失われた旧来の市街地に人々が帰ってくる保証はない

 id:Dr-Setonさんは、

 その処方箋存在するのか。それがコンパクトシティだとして、それは

と指摘されるような強制性を伴うものになるのか。次回はその処方箋について述べてみます。

と論を締め括っている。これにはまだ続きがあるようだが、まちづくりに関しては「コンパクトシティ処方箋」と

考えられているようだ。

 その理想は間違っていない。でも、舶来の施策に特有の違和感もあったりする。

 郊外農地住宅化のスピードを抑えて下水道などの公共材の支出抑制すれば、地方財政的には助かる。シャツター通りの続く商店街が変われば街は魅力的になるのかもしれない。それは確かだ。

 ただ、農地を持つ人、商店を持つ人。それぞれ抱えている事情がある。今の場当たり的な農業政策が続き、さらに様々な理由で跡継ぎが現れそうもない中で、都市郊外農業を続けていくモチベーションがどこにあるのか。商業店主も同じような悩みを持っている。

 そして気の毒にも、かつての中心だったエリアの住居や商店には空きが目立ち始めた。この30年間、もっと効果的な施策を打ち出していれば何とかなつたのかもしれないが、様々な運動論が語られはしたものの、理想現実とを調和した施策はなかなか見つからなかった。

 欧米のようなドライ施策を展開できなかった背景には、日本特有の賃貸借に対する考え方、借地借家法土地神話後継者の不在……などがあるとは想像できる。実際、中心市街地活性化させようと様々な人たちが運動していたが、その足を引っ張っていたのは当事者である商店主だったというのはあちこちで聞く話だ。また、地盤とする商店街などの商工業者たちに色目を使って保守系地方議員がカネのバラマキを始めたのも話が混乱する原因となった。

 成功事例として紹介される街もある。

 たとえば滋賀県長浜市。「黒壁」という古い建物を核に商店街再生に"成功"した街としてよく語られる。だが、観光客が素通りする街と化したあそこの商店街から、地元客は消えた。そして商店主たちはみんなヨソの人たち。地元住民はクルマで大規模小売店へと足を運ぶ。研究者をしていた十数年前、長浜市関係者たちにヒアリングしたとき、そのことを黒壁の責任者に質問したことがある。だが、「活性化すればそれでいいんです」という主旨以上の言葉はもらえなかった。東京資本で埋め尽くされた京都の町家なんかもそうだけど、それが本来の住民たちにとって"幸せ"なのかは疑問が残る。

 そもそも地方都市の中心から郊外へと人の流れが移住していったのは、大規模小売店舗立地法が廃止された2000年に始まったのではない。それ以前から、中心から周辺へ……という街の構造変化は起きている。市役所や警察署病院中学や高校などの公共施設も、旧来の市街地にあった施設が手狭になったこともあり、郊外への移転が次々と行われてきた。それは多くの都市においてこの数十年間進めてきたことである。

 中心市街地に近いところに住んでいた住民もそうだ。戦前もしくは高度成長以前からの手狭な住宅に満足する人は多くない。地価が安くて固定資産税が低くてもっと広いところへ住める郊外へと移転したくなる気持ち。分からないでもない。

 そんなわけで、「郊外化」は多くの関係者市民にとって歓迎されるべき施策だった。"政策"として意識していた実施した自治体はそんなに多くはないと思うが、結果的にはそうなった。

 そして、現在地方都市郊外に住む人たちが、かつての中心市街地に対して何か思い入れがあるのか……というと甚だ疑問だ。

 なんでだろう。それは上に書いた。「市役所や警察署病院中学や高校などの公共施設も、旧来の市街地にあった施設が手狭になったこともあり、郊外への移転が次々と行われてきた」ことで、街の中心性は失われた。中心市街地活性化コンパクトシティ理屈としては分からないわけではないが、現実問題、都市の"核"としての機能が失われたところに人々が帰ってくる保証はない。そこまで思い入れのある人は少ない。魅力あるコンパクトシティにするには、巨額の財政出動が必要だ。それを支持する市民はあまり多くないだろう。


日本都市には"核"がない

 いや、ヨーロッパではLRT(21世紀路面電車とでもしておこう)なんかが盛んで中心市街地活性化されて……というご意見をおっしゃる方がいる。

 僕も世界のいろんな街を回ってきたんで、それは見聞きしている。昨年はイスタンブールブカレストとかソフィア、それに中近世の香りが残るシギショアラとかの古都も訪ねた。中心と郊外とがトラムバスで結ばれて、昼も夜も旧市街地にはたくさん人が集まる。その賑わいは、日本地方都市では見られないモノだ。それは中東などの都市でも同様だ。もちろん、これらの都市でも周縁部には大型スーパーマーケットはたくさんあるのだが、一方で街の中心にも人はそれなりに集まってくる。

 何で彼我は違うのか。それは都市経済研究をやっていた90年代からズーッと僕には疑問だった。

 それが何となく分かったのは、研究室を離れてから。ある日、気付いた。ああ、中心市街地に対する思い入れ日本人とは違うなあ……と。

 ヨーロッパ都市の玄関口となる鉄道駅を降りると、僕はそのまま"旧市街"の"中心"へ向かう。

 街のセンターは一目瞭然である。かつて城塞で囲まれていただろう旧市街というのが地図の中でも明確に区分されていて、そこにはちょっとした広場があり、教会があり、市庁舎があり、バーやレストランが集まる飲み屋街もある。そして日曜日の朝にもなると、祈りを捧げる人で旧市街は静まりかえる。オフィスビルスーパーもある新市街も整備されて拡張しているが、旧市街にも、そうした市民生活にとっての核となる施設が今でも残っている。そこに住む人たちも、郊外に移住した人も、そこにある歴史性を大切にしている。中心市街地にいることに誇りを持っている。だから、今でも都市の"核"が残るのだ。

 それは中東なんかでも同じだ。金曜日の夜のモスク。そこで祈る人々。彼らを商売にする人。彼らが街というものを大切にしてきたからこそ、"中心"というものが今でも存在する。

 じゃあ、日本地方都市に、そこまで"思い入れ"を持たれている中心市街地があるのか。寺社仏閣の集客力が皆無なのは言うまでもない。ましてや、公共施設自体が次々と郊外に去ってしまった今では、"思い入れ"どころか用事のある人さえ少なくなったであろう。わざわざ郊外と旧来の商店街や駅の間にLRTを敷いても、乗車する人はいない。

 そんな"核"を持たない都市コンパクトシティという舶来の概念を持ってきても、現実社会と、そして人々の観念の上でも、合致していかない。なぜなら、そこには中心市街地なるものが存在していないからだ。考え方としてコンパクトシティというアイデアは評価できるとしても、「市民が支持する→政策に反映される」とはちょっと考えにくい。

 スプロール的に郊外農地住宅に転化されてしまっている現在、どこを中心地として設定するのか、どうやって市街地を縮小していくのか、答えが出ない問題である。昨今、コミュニティーバスとか言って交通弱者にも便利なように公共交通機関を整備しようという動きがある。これは「平成の大合併」で中心性を失った地域の救済的側面もあったのだけど、ルートを策定するとき、担当者はいつも難渋するという。人々の日々の動きがバラパラになってしまい、最適な路線を設定することができない。どうやっても利用者は少ないし、利便性を享受できない市民からは不満が出る、という。これも、地方都市に"核"が存在していないが故のことだろう。

 中心市街活性化でもコンパクトシティでも何でもいいんだけど、じゃあ、郊外に住んでいてはダメなのかね。そもそも、いろいろ面倒くさい中心市街地から離れて郊外に住みたいと思ったのは自分たちなんだけどね。

 コンパクトシティみたいな街ができれば素晴らしい。でも、大規模小売店舗やクルマ社会を悪玉とし、「べき論」で語られても困惑する。いや、現状ではたくさん問題があるんだと言われても、「お説ごもっとも、スミマセン」としか言えない。だって、僕たちはそんな"郊外"に住んでいるのだから。それを"自滅する地方"として扱われてしまうのは、なんだか解せないモノがある。過激なタイトルの方がいいというのは分かるけどさ。老朽木造住宅が密集する市街地での区画整理などの現場を見てきたんで、語り口が冷ややかになるのは申し訳ないんだけど。

 そもそも、施策の担い手である市役所の職員が郊外に住み、クルマ通勤しているようなところがほとんどなのに、コンパクトシティなんかできるはずないよと思ったりもするのだけど、それはまた別の話。

  • 続き

"中心"が空洞になっている東京。都市機能の多核化を図った地方都市。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

うえしょううえしょう 2009/02/08 09:02 中心市街地に賑わいがないという話ですが、郊外型スーパーの進出もありますが、「古い」というのも大きな理由にありますね。

他の成功事例として、郊外型スーパーを町の中心部に作って成功しているところが何都市かありますね。
私の住んでいる金沢も同様で、かつては中心市街地は衰退の一方でしたが、駅前にフォーラスが出来てからは逆に賑わうようになりました。

とおりすがりとおりすがり 2009/02/08 13:08 城下町というありようを参考にしてみては。
あれこそまさに中心のある町。

n.wakan.waka 2009/02/08 14:30 難しいですね。
戦後教育次第ではあったのでしょうけど、護国神社的なものなり、まぁ、とげぬき地蔵的なものでもいいんですけど、そういう一種の信仰の場が中心になりえなくなったのも辛かったですね。

ま、人口減少時代に入ったので、街が広いと道路の維持費も含めて行政コストが高くなる、超高齢化時代にアクセルとブレーキを踏み間違えたり道路を逆送しちゃうような人たちにいつまでも郊外のショッピングセンターに行けというのか的な意見はごもっともだけど、確かに「じゃあ、どうすんのよ?」と言われるとどうしようも無いというか、なんというか…難しいですね。

通りすがり通りすがり 2009/02/08 18:10 巨額の財政出動での再開発・・・そういうことはもっと色々な意味で地方社会に余裕があった頃に決めておくことでしたね。当時しり込みしたのは元をたどれば紛れも無く当の住民の意思であるとも言えるのでその意味で私は同情しません。

浜松の実情については知りませんが、連続立体交差化が早期になされたため、80年代初頭には都内からも視察団が送られたりしていました。交通の地域分断が早期に解消されたという意味ではコンパクトシティへの条件が早期に整っていた可能性はあります。まあ天下の東海道沿いですし、除雪費という動機付けも弱いので失敗しても逃げ道は幾らでもあると思っているのかもしれないですね。

ただ仰る通り、コンパクトシティは余程徹底しないと効果が無いでしょう。そこまで割り切れるには結局住民の愛着や伝統といった意思に働きかけるものが必要。しかし左派系の学者は嫌うでしょう。まあ保守系でもピンキリありますので面倒な地域を避けて先に金を掴みに来た田園地帯に資金を落とす傾向があったのは事実。更に言えばその種の農地は田園と言うより、貧農そのものな地域もありましたから。参拝客というと、西日本はそういうものが意外と残って地方私鉄にも寄与していると感じます。その中で一番採算の取れていない一畑は出雲大社があり、又損益に関わらず県から設備投資資金の補助を受けていますし。

もう一つコメントさせていただきたいのですが、幾つかの成功例や先導例が、首都圏や近畿圏の大都市での事例だということです。そこには通勤鉄道があり、膨大な市場があり、所得も高いし税収も大きい。確かコンパクトシティの一例は府中でしたしコミュニティバスも元は武蔵野市でしょう。自区や自市で解決出来ない課題も他所に押し付けることが出来る訳ですね。都内の事例ばかりで申し訳ないですが、杉並ゴミ戦争などはその一例ですし、府中も市として行っているギャンブルは自市からずっと離れた平和島の競艇です(府中競馬や多摩川競艇は直接やっているわけではないのです)。今は利益が出てないのですが、かつては街の雰囲気がどうした等の批判を受けずにその上がりだけしっかり手に出来たわけですね。

そういう前提を無視して理想を普遍化しようとする一部の分権論者・都市学者の姿勢は如何なものかと思います。武蔵野市の施策に関わったその手の論者の松下圭一教授など、アジテーションのような本ばかり出して全く自省がありませんし。

ま、自治体の関係者と話しても些細な規則やら中央批判で責任回避する傾向がありますから概して彼等の計画力に大きな期待は出来ないのも事実ですが。

通りすがり通りすがり 2009/02/08 18:26 >そもそも、施策の担い手である市役所の職員が郊外に住み、クルマで通勤しているようなところがほとんどなのに、コンパクトシティなんかできるはずないよと思ったりもするのだけど、それはまた別の話。

連続投稿で申し訳ありませんが、今回、感に入ったのもこの点です。もりくちさんのことですから赤字ローカル線存続論議で出ていた典型的な論法とのデジャブを意識されてのことかと思います。分権論者や地方を論じる学者の多くも、当の地方で教えている人はそう多くないという印象があります。そういう学者さんたちにとって、自治体とは3大都市近郊の衛星都市であり、そのことをどこまで自覚しているのか少し疑問な方も居ます。勿論、そうでない方も居ますし、私も大都市に住む住民ですから偉そうなことをいえるわけではありませんが。ですが案外、各駅停車や車などで、観光地でない地域まで旅を重ねて来ると、現実感が沸き易くなっているのかなぁとは思います。その意味では著書で何度か言われていたように、マニア的な視点も有用な時が来ているのかも知れないですね。

kuippakuippa 2009/02/08 19:35 ブックマークからの通りすがりです。
公共施設が郊外に移転。ここまではいいのですが日本の場合まさに文字通りバラバラの場所に移転します。土地の問題なのか、おのおのの地場の行政側の問題なのかわかりませんが、激しい我田引水がなされているように思います。
公共施設に限らず、農地にしても、商業地、工業地、住宅地にしても。これらは行政により監督されていますがモジュールごとに分離独立していません。住宅地の真ん中に普通に工場があり、商店があり、農地までが混在しています。
コンパクトシティはなにもすべてがひとところに集まれといっているのではなく、機能を寄せろということではないでしょうか。
あと、小規模事業者の衰退は日本の流通構造上の問題も多分に含んでいるので、ロケーションだけの問題ではないように思います。

biaslookbiaslook 2009/02/08 20:44 ラドバーンや田園調布のような庭付き一戸建て幻想という間違った欧米認識が原因では?
実際は欧米の都心部では、うさぎ小屋に住むのが普通なんだけどね。
うさぎ小屋と言って日本住宅を批判したのはどういう経緯なのか、ご存知ですか?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20081215/180186/?P=1

katamachikatamachi 2009/02/08 21:59 うえしょうさん。
>他の成功事例として、郊外型スーパーを町の中心部に作って成功しているところが何都市かありますね

確かに街の中心部にスーパーor中規模の百貨店風商業施設を持ってきた地方都市って、70年代末から一部で見られます。駐車場もそれなりのスペースを確保していますよね。成功しているところもある。失敗しているところもある。一時期、そごうとかダイエーとかがそういう微妙な店をあちこち出していましたが、撤退したところが多いんじゃないかなあとは思います。業態としての問題もあったりするので一概には言えないですが……

とおりすがりさん。
>城下町というありようを参考にしてみては

そうなんですよね。ある意味、地方分権の理想的な街の中核として存在しながら、明治以降は公共施設の敷地に転用される。そして、徐々に都市的にも、政治的にも中心性を失っていく。日本の都市に中心性がないというの僕の直感でもあり、また江戸城=東京の関係性を指摘した藤森照信の受け売りだったりもするんです。また機会があれば語ります。

katamachikatamachi 2009/02/08 22:07 n.wakaさん。

>街が広いと道路の維持費も含めて行政コストが高くなる

これは難問です。郊外化が進むにつれて、幹線道路の結節点などの渋滞が激しくなる。バイパスを造る。用地買収に苦慮する。お金がかかる。新しい交通流動が完成するとロードサイド型店舗が多数出現→中心市街地のさらなる疲弊……ということですよね。

「じゃあ、どうすんのよ?」と言われると僕も困るのですが、理念を語るのに現状否定から入ってもその概念は市民には共有されないんじゃないか……というのが自分の立場です。

katamachikatamachi 2009/02/08 22:25 通りすがりさん。

>巨額の財政出動での再開発・・・そういうことはもっと色々な意味で地方社会に余裕があった頃に決めておくことでしたね

確かにそうかもしれませんね。じゃあ、どの時期がベストだったのかなあと考えてみましたが、やっぱり80年代後半のバブル期かな。あの時期、県都クラスの地方都市は郊外部に工業団地を造ったり、環状道路を整備したりして、必要以上に都市の郊外化を進めたんですよね。あと、もっと小さい市町村も調子に乗って役所や学校を新築したりしてみた。高速道路とかリゾート法とか他のことでもそうですが、プラザ合意以降の政策って滅茶苦茶だったよなあと今さらながらボヤきたくもなります。

コンパクトシティという概念も、語り手によっていろんな側面を持っていますね。補助金を引っ張ってくる方便として使っているのかなあ......と邪推してみたりもします。武蔵野市のムーバスの"成功"以降、全国各地で広がったコミュニティーバスなんかもそうですよね。いや、確かに、あれば便利なんです。でもねえ……とかなんとか。松下圭一の本は、70年代以前の著作はいろいろ読んだのですが、ググると平成以降もたくさん本を刊行されていたんですよね。

>赤字ローカル線存続論議で出ていた典型的な論法とのデジャブを意識されてのことかと思います

とは、ちょっと違います。そこらについては以前、西岡研介「マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実」と絡めて(http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20070621/1182419625で書きました。

katamachikatamachi 2009/02/08 22:36 kuippaさん。

>土地の問題なのか、おのおのの地場の行政側の問題なのかわかりませんが、激しい我田引水がなされているように思います

そうですよね。自治体自体が街の分散化の原因になっていますよね。僕の直感では「昭和の大合併」あたりが原因になっているのではないか、と。戦前の旧町村を地盤とした地方議員たちによって議会は運営されているわけで、それぞれが損をしないように、各地域に対して"平等"な運営がなされてきた。中選挙区制をとっている大阪市議会なんて、そこらはかなり露骨ですよ。

コンパクトシティと小規模事業者の衰退に関するご指摘はその通りだと思います。複雑な要素を孕んでいますよね。だからこそ、なにかに原因を求めることは抑制しなければいけない……と自戒を込めて改めて感じました。

biaslookさん。
>庭付き一戸建て幻想という間違った欧米認識が原因では?

そうかもしれませんね。あと、東ヨーロッパや旧ソ連の国々を旅したとき、中心市街地に近接したアパートや一戸建てに"民泊"という形で泊まったことがあります。60・70年代の日本の団地よりはちょいとレベルが上なのかな……と思いました(地域差はあるのでしょうが)。

hiro_O4hiro_O4 2009/02/09 04:19 ブックマークから通りすがったもので、コメントさせていただきます。
>中心市街地に対する思い入れが日本人とは違うなあ……
まさにこの違いは大きいなぁと感づかされました。
さらに言うと「古い町並みに対する思い入れ」といってもいいかもしれません。
ヨーロッパでは築100年ほどのアパートが普通に使われていたりして、旧市街がほぼ変わらぬ状態で使われている印象があります。このため「中心」が移動しなかったと考えられます。
翻って日本ではまずそんな事例はないでしょう。日本では30年40年で建て替えます。この建て替え期に安くて広い郊外に出ていくのでしょうか。中心市街地で何十年も続いた商店が取り壊されたあと駐車場になったというのはよくある話です。

日本でなぜ古い建物が使われ続けないのか?
これは減価償却制度にも一因あるのではないかと思っています。

katamachikatamachi 2009/02/09 20:35 hiro_O4さん。

>ヨーロッパでは築100年ほどのアパートが普通に使われていたりして

向こうの街ではフツーにそうした建物がありますよね。そして旧市街に隣接してここ四十年ほどで整備された新しめのアパートもたくさんある。日本の場合、木造での建築で長持ちしない(これには異論もありますよね)、耐震構造のため工費が高くつく、市街地での権利関係の複雑さ、一戸建てへの渇望、都市鉄道の発達……などなど、同じようなまちづくりはできなかった理由は考えられます。僕は気付きませんでしたが、ご指摘された減価償却制度もあるのかもしれない。郊外の農地転用のアパートの場合、20〜30年ぐらいで費用を回収する前提でカネを借りたりしていますよね。

市街地の駐車場。確かに侘びしいですよね。バブルの頃、大都市でもその手のコインパーキングがたくさんできましたが、活用されず21世紀まで続いているところも意外に多かったりします。

つきのわぐまつきのわぐま 2009/02/10 22:36 Googleマップのストリートビューでアメリカ、フランス、イタリア、スペイン、オーストラリアの街並みをぶらぶら見て回ったことがありますが、欧米の街並みも様々ですね。中心市街地のような場所もあれば、クルマ無しではとても生活出来ないような郊外地区もあります。もちろん農村部は人家がまばら。NYのような大都会と地方の中小都市では街の構造も当然違います。基本的に日本も欧米も街並みはさほど変わりませんが、日本のほうが都市部の密集度が高い気がします。公共交通も高度に発達している。欧米は日本に比べて街がスカスカな感じがします。コンパクトシティー化をしたほうが良いのは日本よりもむしろ欧米のほうだと思いますが・・・特にアメリカの地方都市。(笑)

katamachikatamachi 2009/02/11 01:26 つきのわぐまさん。

>欧米の街並みも様々ですね。中心市街地のような場所もあれば、クルマ無しではとても生活出来ないような郊外地区もあります。

そうですよね。中心機能が弱いところでは自然と郊外の街並みの方が充実してくる。アメリカなんかはそれが極端なところなんでしょうね。中心市街地が「北斗の拳」状態になっているヨハネスブルグなんて、自家用車がない生活なんて考えられません。メトロなんて、ライフルを持った警備員が各車両に何人も乗っていても、駅から降りたら怖くて怖くて……って、あれは極端な例ですけど。

日本の場合は、80・90年代に政策の転換が行われ、県都レベルの地方都市から、人口1万人ぐらいの町まで、都市機能の郊外移転というのが行われていきます。

そこらの経緯にいて先ほどまで書いていたのですが、うっかりデータを消してしまって、今は茫然自失。また続きは後ほど。

ばちすかあふばちすかあふ 2009/02/12 17:56 言葉足らずで申し訳ありませんが、
地方分権化熱に浮かされたようなコンパクトシティ構想はマンハッタン+コニーアイランド+セントラルパークに代表される沿岸都市住民と内陸部住民≒農民+ミリシアの対立を生むような気がします。
ファスト風土と云われようとも、近隣住区理論と衛星都市網によるフラットな国民国家幻想の共有と保護者としての大きな政府が平野が偏在している日本の風土には合っている気がします。

katamachikatamachi 2009/02/12 23:17 >沿岸都市住民と内陸部住民≒農民+ミリシアの対立を生むような気がします。

個人的にはそこまで"対立"するだけの力が地方都市の関係者にあるのかなあとは思います。おらが街に病院をくれ、市民ホールをくれ……という、都市内部でのエリア間での争奪戦はすでに以前からあったわけだし。

「フラットな国民国家幻想の共有と保護者としての大きな政府」というのは何となくニュアンスは理解できます。コンパクトシティ構想というのは、80年代の地域政策に大きな影響を与えた地域構造論からの揺り戻しに過ぎないんじゃないかと思っています

perfectspellperfectspell 2009/02/13 04:14 ども。面白いエントリだな と思い、リンクした者です。

"かつての中心市街地に対して思い入れがない人たち"が多々存在するのは理解しましたが、"思い入れがある人たち"もいるんじゃないかな、と思います。
私がそうです。
世界との比較や日本の歴史が どうであれ「私は思い入れあるなー」等と思いながらエントリ読みました。

  (以下チラシの裏的なローカル話柄。スルー可能)
私は何者かというと、多分「半辺境」の住人なのでしょう。「中心」と「辺境」の間に位置してるような。
かつて大宮市に住んでいたのですが、"大宮駅辺りに行く事"を「駅に行く」とか「大宮駅に行く」等と言っていました。おそらく そういう言い方をするのが「半辺境」の住人。
"大宮駅辺りに行く事"を「大宮に行く」と言うのが「辺境」の住人かと。
で、「半辺境」の人たちは"かつての中心市街地に対して思い入れがある人たち"なんじゃないのかなー、と思うわけです。自分サンプルなんで説得力ありませんが。

ついでに軸がブレる事を加えると
「辺境」の人も思い入れある人がいそうだし、
「中心」の人こそ思い入れが無かったりするのかもしれませんが。
  (以上チラシの裏的なローカル話柄。スルー可能)

「結局は選挙で解決すべき問題なのかな。民主主義だし」
と、一瞬思いましたが、まず争点にならないし、
「郊外も中心もどっちも大事だよねー」
と公約する首長さんに投票するような気がします、私は。

長文失礼しました。ではでは。

katamachikatamachi 2009/02/13 06:26 >perfectspellさん

"思い入れ"という表現を使ったのは僕ですが、別な言い方もあったのかなあとは感じています。

大宮ですか……高校時代の旅行中、カネがなかったんで、駅前で駅寝(野宿)しながら深夜を歩き回ったことがあります。いい街かどうか分かりませんが、駅前には賑わいがあったと記憶しています(20年前のことですが)。

僕も大阪や名古屋の郊外にかつて住んでいたんで、「大宮駅に行く」(大阪だと梅田・難波、名古屋は名駅・栄)、「大宮に行く」(大阪or名古屋) というニュアンスの使い分けには納得できるものがあります。

ただ、地方都市になると、旧来からの市街地に用事が皆無の人も少なくない。高校生・大学生になると、衰退しきった商店街や旧態依然とした公共施設に行く必要すらない。地元の高校生や大学生の会話を聞いていると、一番、よく交わされる地名は「○○●」という大規模小売店舗の愛称。「○○●行こうゼ」とは言うんのですけどね……。

選挙で解決すべき問題とは思いますが、都市機能をいかに集中or分散していくのか、というのは、地方議員にとっては死活問題だったりするわけです。大宮・浦和・与野・さいたま新都心....複数の"中心"を持つ、さいたま市なんかも大変そうですね。

"中心"の欠如って、"父権"の失墜に似ているような気がします。かつては絶対的な力を持っていたから周囲から"尊敬"されていたけど、今は嫁も子供も外との繋がりを強めて独自の情報を持つに至り、その絶対的な"権威"が揺らいでいる。お父さんってなんで"エライ"のか。よくわかんない。

……ふと、昨日、中学娘に話を聞いてもらえないとボヤいていた職場の同僚を思いだしました。

つきのわぐまつきのわぐま 2009/03/21 20:44 Googleのストリートビューにイギリスとオランダが新規追加されたということで早速見てみましたが、イギリスの某地方都市(日本人もよく知っている街)の旧市街地にもシャッター商店街が・・・。旧市街地の衰退は日本だけの問題じゃないみたいですね。そのイギリスの地方都市には24時間営業のスーパーもありましたが、そこは店舗も綺麗で駐車場も完備されていました。

こうしてストリートビューで欧州各国をブラブラしてて思うのは、日本も欧州も街の構造は大して変わりないじゃんということです。欧州はインフラの老朽化が進んでいるところも多く、日本の中小都市のほうがまだマシと思うことも数多いです。「欧州は素晴らしい、先進的」と言っている年寄り連中はストリートビューを見たほうが良いと思います。ちなみに、既に公開されているフランス、イタリア、スペインの欧州各国は公開エリアが広がっています。

katamachikatamachi 2009/03/23 05:40 なかなかヨーロッパ系の都市って理想交じりで語られるんで、そこらの違和感ってのはありますね。

以前、京都市主宰のLRTのシンポジウムに参加したとき、市役所のエライ人や担当が今出川通にLRTが走れば魅力的な町になつて、人の流れも……と解説した後、聴衆が1人立ち上がって、「フランスのストラスブールのまちがでておりますが、今出川のまちとまったく違いますねえ。ああいう景色の中で走っておけばかっこうもいいんですが……」とか言いだして(実際はもっとトゲのある言い方だった)、会場がシーンとしたのを思いだします。(ここに書きました)http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20060929/1159606456。
他国のイイところを見つけて取り入れるということ事態は悪くはないのですが、変に理想化して、現実の問題点を拾い上げていかないのはいかがなものかと思っていました

つきのわぐまつきのわぐま 2009/03/23 20:16 ストラスブールもストリートビューで見られますが、旧市街地にある商店街の通り沿いにクルマがズラーッと並んでますね。(笑)これはヨーロッパの各都市で見られる光景ですが、道路沿いが駐車帯になってるみたいなんです。実は欧州の都市はクルマで溢れているという事実・・・。京都の皆さんもストリートビューをご覧になると良いかも知れませんね。

katamachikatamachi 2009/03/26 23:35 >旧市街地にある商店街の通り沿いにクルマがズラーッと並んでますね

去年行ったルーマニアなんかもそうでしたね。中心市街地は元気なんですけど、クルマの路駐も凄まじかった。でも、日本ほど渋滞しないのはなんでなのかなあと不思議に思っていました。その点、道の狭い→路駐が難しい京都の人たちのマナーの方がいいのかも……

つきのわぐまつきのわぐま 2009/09/03 00:30 スイスもストリートビューが見られるようになったということで早速ブラブラしてますが、ベルンの街並み(トランジット・モール)は大変気に入りました。

http://maps.google.co.jp/maps?cbp=12,73.99,,0,-6.12&cbll=46.948190,7.443343&ll=46.94819,7.443343&layer=c

http://maps.google.co.jp/maps?cbp=12,265.48,,0,-8.41&cbll=46.948172,7.443245&ll=46.948172,7.443245&layer=c

http://maps.google.co.jp/maps?cbp=12,227.37,,0,-5.06&cbll=46.947834,7.441088&ll=46.947834,7.441088&layer=c

この調和の取れた街並みの素晴らしさ。日本にこんな場所があるでしょうか?日本とヨーロッパでは街造りの哲学が全く異なるようです。市民の意識も・・・。日本とヨーロッパの中心市街地は全く別物ですね。

katamachikatamachi 2009/09/03 05:32 ベルンの街並みいいですね。道路が狭くてもLRTと街は共存できるという側面が見えてきますね。路面電車が建物の下を潜り抜ける箇所なんかカッコイイなあ。

日本とヨーロッパの違いというと寂しい感じもしますが、新しい道路を作ればバラ色の夢が待っているという幻想は欧州の人は持っていないんだろうなあとは感じます

つきのわぐまつきのわぐま 2009/09/05 10:00 こちらは台北の繁華街ですが、日本の街並みとよく似ています。

http://maps.google.co.jp/maps?cbp=12,91.65,,0,5.88&cbll=25.043522,121.507053&ll=25.043522,121.507053&layer=c

ここに路面電車を走らせてもなぁ・・・という感じです。地下鉄がすぐ近くを走ってますし。

こうしてストリートビューであちこちブラブラしていますが、アジアは街並みが新しくインフラにも余裕があること、ヨーロッパも伝統的な旧市街地を外れるとアジアやアメリカと大して変わらないことが分かります。

スイスの各都市では路面電車やトロリーバスがやけに目に付きます。内陸の国家なので、環境汚染(特に水の汚染)に対して敏感なのかも知れません。停電になったら大変そうですが・・・。(苦笑)

katamachikatamachi 2009/09/08 19:36 スイスに限らず、古い街並みや環境に配慮した都市があったり、モータリゼーション化されたっぽい街があったり、多彩な風景が欧州にはありますね。その一側面だけを切り取って、それを理想化したり、逆に日本はダメなんだと批判の材料に使ったりするのも、どこか問題があるのかも。

来年、ヨーロッパに行く計画があるんで、機会があったらスイスの街並みを久しぶりに訪ねてみたいですね。

スポンジスポンジ 2010/08/23 15:07 広島に住んでいます。
広島の中心街はJRの駅から離れており、公共交通機関で行こうとすれば、バスか路面電車です。
バスは時間通りこないし、路面電車は信号待ちで時間がかかる。そのため、車で行きたいが何が悲しくて、高い駐車場代を出して、わざわざ中心街にいかなれればならないのか。しかも、渋滞と駐車場待ち、それに中心街の道は狭く、運転し難い。
郊外の大店舗の方が明らかに車で行く便もコストも良い。郊外大店舗で買えない商品が中心街にはあるわけではない。何ゆえ、中心街に無理していかなければならないのか。特に営業努力をしている訳でない、自堕落な商店主を食わすために、なぜ、我々がしんどい思いをしなければならない?
中心街に人を呼びたいなら、まず駐車場を十分確保するとか、道路を整備するとか、そういった努力をしろ。中心街に行かなければならない魅力を提示しろ。何もしないのに、クソ政治家を抱きこむことにのみ精を出す奴らに、何の同情もできん!!

katamachikatamachi 2010/08/23 18:52 僕は長らく大阪に住んでいたんで、中心街にクルマで行こうという発想にはなかなかなりません。駐車場がないなら、渋滞がヒドイなら、公共交通機関で十分ではないのか、と。道路&駐車場整備に取り組もうともそんな空き地はどこにもないし、いやそれなりに整備に努力してきたけど効果が皆無なんで、じゃあ次にどうしようか......というのが問題にあると思います。商店主がコンパクトシティを希望してるのか……というと、そこらも微妙なところがあって、正直、自治体も商店街も目標が定まっていない中、人によって思惑がバラバラで統制が取れていない……というのが現状だと思います。

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