山崎 元山崎元「ニュースの深層」

2013年01月23日(水) 山崎 元

授業のネット化で「フリー大学」が実現する! ~どの学校と教授が新時代の覇者になるか

コーセラ(Coursera)のホームページより

スタンフォード大もわからない大学教育のビジネスモデル

 ネットの世界では、どうしても米国の先行が目立つが、米国では、スタンフォードやハーバードなど一流校を含む多くの大学が、無料配信の講義サイトに力を入れ始めている。数年前から、教育熱心な教師が個人単位で授業をネットにアップしようとする動きはあったが、ここに来て、大学自体がオンライン教育に注力しているのだ。

 教師個人の授業のアップについては、大学が有料で顧客(学生)に売っている授業を、ネットを通じて無料で公開することのビジネス上の利害対立がしばしば問題になっていた。しかし、現に、ネット配信という授業の形態が技術的に可能である以上、大学もその利用可能性に、ビジネス上ある程度「賭けて」おく必要があると判断したのだろう。

 「日本経済新聞」(1月21日朝刊)によると、スタンフォード大の2012年秋からの年間授業料は4万1250ドルに達するという。一方、同校が設立したネット教育ベンチャー「コーセラ(Coursera)」は、無料であり、これまでに200ヵ国、230万人以上の登録があるという。コーセラは37大学の213の講義を配信している。

 記事によると、同校は「学生集めやコンテンツ販売が目的ではなく、オンライン教育のあり方を探っている」(広報)と言っているらしいが、これは、つまり、どのようなビジネスモデルがいいのか、スタンフォードでも解を得ていないということなのだろう。

 ビジネス的には、なかなかワクワクする状況といえるのではないか。

 思考実験としては、まず、「フリー大学」の可能性を考えてみるべきだろう。

 現在、大学に必要な「全ての」講義がネット上の動画コンテンツになっているわけではないが、既に多くの授業動画がある。また、無料ないしごく安価でネット上で読める専門論文は、分野によっては、博士号の学力に十分なくらいの数と質で存在する。

 たとえば、ネット上の授業の質を格付けするサービスと、学部学科ごとに修得すべきカリキュラムを提示してくれるサービスとがあって、サービスの修了者に試験を行い、学力に関してお墨付きを与えることができればどうか。それぞれに手間の掛かる仕事なので、完全な無料化は難しいかもしれないが、非常に安価な大学教育サービスが実現する可能性がある。

授業の「競争激化」と「価格破壊」が起こる

 このようにして、ネット上に「フリー大学」が実現すると、多くの点で大学教育が変わっていく可能性がある。

 教師にとっては嫌かもしれないが、大きな変化は、教師の授業間に競争が生じることだろう。大学の中にいて、比較される対象のないまま授業をしていれば、大学教師は、授業の上手下手を厳しく問われる機会がない。しかし、同じ科目で同じテキストを使った授業がネット上に複数あれば、優劣の評価は否応なく発生する。

 たとえば、大学教師に、一定の時間数の授業をネット上に公開するように義務づけると、大学の境を越えて、複数の教師を比較できるようになる。授業内容に自信のある大学や教師にとって、評価を上げるチャンスだ。

 当然ではあるが、ネット受講という形態を取る顧客(学生)にとっての利便性も見逃せない。場所と時間の制約を受けずに受講できるし、集中的に受講すれば、実質的に「飛び級」も可能になる。きちんと講義を受講し、十分な学力を身につけた学生に単位を与えない合理的な理由はない。飛び級が難しいことは、日本の教育を随分制約してきたように思うが、この点に風穴が開くなら喜ばしい。

 教員本人から講義を受け、直接質問できる授業形式にも価値はあるが、質問はネットを通じて行うことも可能だし、多くの大学の講義サイトがやろうとしているように、学生同士、あるいはボランティアの指導者が参加するSNSで相当の処理をすることもできる。

 大学の付加価値が、授業の内容にあるのだとすると、ネットによる「フリー大学」のようなサービス(ウィキペディアが可能なのだから十分可能ではないか?)、あるいは安価なネット大学が普及した場合に起こるであろう「授業の競争激化」と「授業の価格破壊」は、大学ビジネスにとってはチャンスになるかもしれないが、由々しき事態でもあるだろう。

 しかし、そもそも大学の教育サービスの付加価値は、授業内容にあるのだろうか。残念ながら、多くの場合、そうではないような気がする。

 一流校の一部も含めて、日本の多くの私立大では、近年、推薦入学あるいはAO入試(一芸入試)による入学者の学力低下が問題になっている。新卒者を採用する企業では、入社を希望する学生が一般入試で大学に入ったのか、それ以外で入学したのか、履歴を何とか知りたがる企業が増えているという。両者の間では「知的体力」が格段に異なる場合が多いのだから、当然のことだろう。

社会人大学院も学歴ロンダリングも、就職にあまり効果がない

 近年、国立大学の相対的な人気が回復しているが、これは、国立大学が入試を安売りしなかったことの効果が大きい。たとえば、就職市場で「東大卒」にブランド価値があるとすれば、残念ながら現時点では、東大の授業の質が良くて卒業生が大学で身につけた知識レベルが高いからではなく、同校の入試のスクリーニング効果にその理由がありそうだ。

 大学入試は、一定の出題範囲に対する、若い時点での達成と適応能力を見る上で、なかなか優れた能力テストなのかもしれない。日本の多くの大学は、入試を上回る付加価値のあるサービスやプロダクトを顧客に提供できていない、といえるのではないか。

 目下、社会人大学院をはじめとする大学院の修了資格には、就職市場でブランド価値があるようには思えない。また、学部(4年制大学)は二流校に行って一流大の大学院を卒業する通称「学歴ロンダリング」も、効果は限定的だ(採用する企業の側は、入社志望者が学歴をロンダリングしていることくらい、よく分かっている)。

 では、「大学の価値の中核は、学力の客観的な認定にこそある」と考えるとどうなるか。

 米国でも、オンライン受講のみで大学の卒業資格を与える例はほぼないという。授業コンテンツは無料でネットに載せてばらまくとしても、卒業資格の認定は高額の有料制にするというビジネスモデルを考えているのかもしれない。が、はたしてこれは必然性のあるモデルなのか。

 外国語を使った厳しい授業で知られ、卒業生の就職が引く手あまただという秋田県の国際教養大学のような例もある。卒業時点の学力認定が決して無価値だという訳ではないだろう。しかし、たとえば、いわゆるマンモス私大で同校のような授業と単位認定を行えば、数年で、キャンパスに留年生の渦ができるだろう。

一流スポーツ選手並みの報酬を得るスター教師

 一方、学力認定さえ厳格に行われるなら、授業はネットでも構うまい。リアルな大学とネットの大学の融合も、もっと考える余地があるのかもしれない。

 たとえば、先の「フリー大学」と併設して、あるいは、独立した別個の形で、学力の認定に特化した機関を作ったらどうなるか。いわば「学力の格付け機関」だ。

 仮に東大の教師の有志が集まって、希望する学生に対し、一般の東大生に対するよりも厳しい基準で学力をテストし、単位の認定や卒業学力の認定を行ったらどうなるか。そういう機関を東大の学内に作って、ポピュラーなものにできれば、「より優秀な東大生」の認定機関として大きな価値を持つかもしれないし、認定対象者を東大生以外に拡げることにもニーズが発生するだろう。

 替え玉受験ができない本人認証と、試験の厳格な管理は、目下、技術的には難しいかもしれない。しかし、これらの点がクリアできれば、「学力の認定」という大学サービスの付加価値の中核部分も、ネットのビジネスに載せることができよう。

 そうなった場合、たとえば、やる気と能力のある東大生は、米国や中国の一流大学で卒業を認定されたがるようになるのかもしれない。また、学校という単位が崩れ、優秀かつ有名な学者とその研究室が、自分たちによるものだけではなく、世界中から授業コンテンツと読むべき論文を集め、カリキュラムを作り、卒業単位の認定と試験を行うようになるかもしれない。

 もちろん、教師の側にもビジネスチャンスは拡がるはずだ。ネット配信する無料の授業で注目を集め、内容を進化させて課金制のプレミアム授業で稼ぎ、さらに、対面の少人数授業には高い値付けができる人気教師も登場するだろう。スター教師は、大学の枠にとらわれない教育活動によって、一流プロスポーツ選手並みの経済的報酬を得るようになってもおかしくない。

 大学教育のネット化はまだまだ始まったばかりだ。誰がこの分野の覇者となるのか、たぶん向こう数年で見えてくるだろうが、大いに注目していきたい。