2013.1.23 05:06

坂本龍一、大島渚さんから「ひきょう者だ!」(2/2ページ)

大島渚監督の葬儀・告別式で弔辞を述べる坂本龍一。人生最大の恩師のために、米ニューヨークから急きょ駆けつけた=東京・築地

大島渚監督の葬儀・告別式で弔辞を述べる坂本龍一。人生最大の恩師のために、米ニューヨークから急きょ駆けつけた=東京・築地【拡大】

 参列者約700人。自宅のある米ニューヨークから前日(22日)急きょ来日した坂本は、築地本願寺の本堂へ。遺影の前に立つと、「はぁ…大島監督」とため息とともに呼びかけた。

 「偉大な映画監督、偉大な人でした。社会を厳しく叱る人間がいなくなり、日本は少しつまらない国になったかもしれません。あなたのすべてにありがとう」

 大島さんの代表作「戦場のメリークリスマス」(1983年)に出演、音楽も担当した。著名人6人が立った弔辞のトリで、ただ1人書面を持たず、あふれる胸の内を吐露した。

 15歳のころから、大島作品の大ファン。「日本春歌考」(67年)を観たのがきっかけで、以来、坂本にとってヒーローとなった。それだけに、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のメンバーとして活躍していた30歳のころ、「戦メリ」への出演依頼を受けたのは衝撃の思い出という。

 「大島さんは1人で台本を抱えてきて、『出てくれ』と。僕は心の中で『はい』と叫んでましたが、役者はまったくの素人なので、(口をついて出たのは)『音楽をやらせてください』。大島さんは『分かりました』と。僕も大胆でしたが、即答した大島さんもなんと大胆かと思いました」

 結局、俳優としての出演もテーマ曲も手がけて以降、米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、音楽家として確固たる世界的な地位を築いた。しかし、「戦メリ」で共演したビートたけし(65)は、映画監督として世界に羽ばたいたため、大島さんは坂本には大いに不満だったようだ。

 「何年かに1度、会ってました。そんなある日のことですが…」と坂本。「大島さんが僕のことを『お前はひきょう者だ!』と怒るんです。理由を聞くと『映画を作らないから』だと…。才能もないし、(これからも)ダメですね」と苦笑い。が、かいかぶってもくれた人生最大の恩師に対し、感謝の思いが消えることはない。

 葬儀会場には、この日も「戦メリ」のテーマ曲が流れた。「大島さんの告別式で聴くとは…つらい。今後、ピアノで弾く時はどうしても大島さんを思い出すでしょう」。23日夜には、約48時間の滞在で米国に“帰国”する坂本。その目は深い悲しみに沈んでいた。

(紙面から)