2013-01-22

僕はもう限界かもしれない

読み返してみて、言いたいことが書けていなかったので、全面的に書き直します。

愚痴ダイアリーだしね。そして、groopsじゃなく、gloopsでしたね。多くの指摘してくれた方々に感謝。3時間も眠れてないから誤字は許して。。)

(見てる人が多くてビックリ・・・こんな拙いしかも書き直しまくりの内容で申し訳ない。。。)

今朝、妻と喧嘩した。

僕「gloopsって会社の説明会に行きたいんだ。」

妻「はぁ?節分の日は子どもの祝いをやるって言ってたでしょ?」

僕「やっぱりダメだよね。でも、僕は組み込みエンジニアで終わりたくない。

ゲーム業界に興味あるしWebにも興味があるんだ。チャレンジしたいんだよ」

妻「ダメアナタは最低ね。子どもや私のことは全く考えていない」

僕は、お前も俺の気持ちなんかわからないだろ?って言いたくなったが、飲み込んだ。

妻曰く、やりたいことを仕事にしている人なんてほとんどいない。だからアナタも夢を見るな。

っということらしい。ははっ、そんな人生何が楽しいんだろう?

僕はもう限界かもしれないと感じた。

(家に居るより仕事してるほうが良いと思い、人の手伝いまでして残業しまくった結果、人より仕事が早くなり残業少なくなり、チームの残業時間も減りました。

 ・・・まぁ、子どもと遊ぶ時間もできたし良い事だと思うようにしている)



僕は22歳で結婚して関西から新潟にきた。

結婚当初は幸せだった。喧嘩はしたけど、基本的には仲が良かった。(出会いが特殊だったのもあるのかもしれない。そのうち書くかも)

だけど、子どもが生まれてから一気に妻の態度が変わった。

僕は夫から父親に無理やりジョブチェンジさせられた。(妻の中で)

これは当たり前だとは思う。子供が出来れば誰だって親になるのだから

でも、意識を急激に変えることは難しい(少なくとも僕はそうだった)。

妻は「陣痛」と「出産」という母親になる儀式を経たが、

である僕には何の儀式もなかった。あったのは出産というイベントだ。

産後は、当然のようにキスしたりスキンシップをしてきたのが、

突然はね退けられるようになった。

物理的にも精神的にも妻が離れていくのを感じた。

子供可愛いし好きだが、辛いと思うことが多くなった。

冬はスタッドレスタイヤに交換しなければいけないし、

雪で大渋滞になったり、家に帰れば雪かき・・・体力的に辛い。

(このことで僕は一気に雪国が嫌いになった。流石、松尾芭蕉が嫌った土地だ)

僕の実家には一年に3回前後帰っていた。

しかし、いつも長くても2泊3日だった。

それをママ友や妻は「長い。たくさん帰っている」という。

一方、妻の実家は近所だ。1週間に一回は爺さん婆さんが来たり、こっちが行ったりする。

僕は正直、妻の母親は苦手というよりも嫌いだ。考え方が。

宗教的な側面が強すぎる。事ある毎に「ご先祖様のおかげ」という。

今生きている人の努力とかを無視しているようで、僕はこの考え方が嫌いだ。

別に宗教を否定しているわけじゃない。拠り所としては必要なのだろう。

だけど、僕にその考えを押し付けるのだけは勘弁してくれ・・・

(この辺りは本人にしっかりと伝えたので、今はそれほど毛嫌いしていない)

話が逸れた。

僕が決定的に絶望したのは先週だ。

仕事中に突然携帯が鳴った。実家の母からだ。

祖母が足を骨折して手術が必要になった。今は入院している。

僕の心臓は一気に活発になった。

僕は大のお婆ちゃん子だ。

小さい頃からずっと一緒に暮らしていた。

小学校中学校はお婆ちゃん子とは言えなかったが、

高校生になって勉強が好きになり性格的に落ち着くと、

素直にお婆ちゃんが大好きと思えるようになった。

祖母は戦争中に必死に生きてきた。

戦争で親兄弟はすべて死に天涯孤独に。

祖父と結婚したが、母が二十歳のころに亡くなったそうだ。

その後は大阪青果市場で働いて生活していたという。

そんな祖母が昨年、白内障のせいで全盲になった。

僕はショックだった。なぜ苦労した末に目が見えなくなるのか。

そして今回は骨折・・・

当然、すぐに有給申請をして帰省し、見舞いに行った。

とにかく色々話した。

ゲーム業界に行きたいこと(元ゲーマー)、多くの人に自分の作ったもので遊んでほしいこと。

今の仕事のこと、ひ孫(息子、娘のこと)、兄のこと(僕の)。

祖母は、肯定的な返事ばかりくれた。それに僕はいつも救われている。

そして帰る時間になった。突然、祖母が泣いた。

祖母が泣いたのを見たのは小学生以来だ(その時も僕が原因だ。)

「目が見えたらアンタの顔が見れたのに」

僕はなぜ新潟にいるんだろう。僕はなぜ祖母が目が見えなくても気にしていないと考えていたのだろう。

僕はなぜ何もできないんだろう・・・・・僕も泣いた。

本当はもっと泣きたい気持ちだったが、祖母を心配させるわけにいかいから、

泣きながらも笑いながら「またすぐ来るよ。必ず来るから早く元気になって」と言った。

祖母も「うん、うん」と言った。そして僕は病室を出た。

内心はギブアップだった。誰かに支えて欲しかった。

妻に電話した。何も言わず真っ先に「慰めてほしい」と言った。

妻は「どう慰めたらいいの?わからない」と答えた。

それはそうだろう。理由も何も言ってないのだから

ただ僕はこの時、話を聞いて欲しかっただけなのだ

僕は「あと一日居たい。祖母のそばに居たい」と言ったが、

妻は「ダメアナタは月曜の朝一に高速バスを降りて、

そのまま仕事に行くというけど、体力持たないって」と言った。

僕はキレた。なんて現実的な意見だろう。なんて感情無視した発言なのだろう。

僕は電話を切った。そして、エレベーターの前の壁を何度も何度も殴った。

いい加減、祖母に迷惑がかかると思い、車に行った。

そこで、もう一度妻に電話して話しをしたが、僕は携帯を投げることになった。

そして泣きわめいた。(比喩的な意味ではなく本当に泣きわめいた)

落ち着いてから実家に戻った。

母と兄がいた。僕は兄が苦手だ。そして、まともに話したことが無い。

何が好きで何が嫌いか、どんな学生時代を過ごしてどこに就職したのか、

僕は知らない・・・

そんな兄に泣きながら頼んだ。

「お婆ちゃんをお願いします」と。

兄は「わかったけど、申し訳ないけど長くないで。年やからな」

っと言った。内心僕はキレたが、地元にいる兄を頼るしかない。

そして、祖母にもきっとそのほうが良いだろうと思い、

「それでもお願いします」と言って話を終えた。

高速バス時間が近づく。

父に駅まで送ってもらう。その時、父も兄と同じように「長くない。仕方ない」と言った。

僕は黙って車に降りて駅に向かった。駅のホームで壁を何度も殴った。

家族が皆諦めていることに絶望した。誰にも相談出来ないことに絶望した。

妻にも親にも兄弟にも親友にも・・・・そこで気づいた。

僕には祖母しか相談出来る相手が居なかったことを。

新潟に戻ってきた。

妻に「別れる?」と言われた。唐突だった。

アナタは甘えられる相手がいいと思う。私はそれが出来ない」と言われた。

もう無理だと思ったが、子供のことを考えて別れないことにした。

子供は無邪気に笑っている。

「パパ~♪」と言って、抱きついてくる。

子供大事だし、好きだ。だが、僕は絶望している。

弱音が吐けないのだ。


僕はもう限界かもしれない。

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追記

皆さん、レスありがとうございます

本当に感謝しています

これを書こうと思ったのは、自分精神的に限界を感じたことを

どこかに残しておきたいと思ったからです。

そして、妻については限界を感じたことばかりを書いたので、

悪い側面ばかりです。

ことわっておくと、妻は良い母親です。

しっかりと子どもの面倒を見てくれています

大変助かっています。ただ、僕が勝手なだけなのだと思います

でも「2週間に一度は休日一人にさせて(自分Androidアプリ作りたいから)」

っと言っても聞いてくれないのを不満に思うくらいは大目に見て。。

あと、飲み代込で毎月のお小遣いが1万円なのを不満に思うのも大目に見て・・・

ボーナスの時なんか、5%だけでいいからって下さいって言ってキレられたさ)

愚痴になってしまった。

妻は家のことは積極的にやってくれている。

僕は大変感謝しているし、愛している。

でもね、結婚する前の恋人同士だった時のことを思い出すと・・・女性は変わるんだなぁっと思うんだ。。

レスを見ていると年齢とか疑問に思われているようなので書いときます

僕と妻は10歳くらい離れています。(妻が年上)

高校3年生の時にスタイル抜群だった妻(過去形)に一目惚れ。(京都駅で振られてボロクソに泣いた覚えがある。。)

長男長女に恵まれて今に至る。妻子を愛している。

否定的な意見が多い中、同意や温かみのある言葉感謝

否定的な意見の人(特にきつい物言いの人)は・・・・っと此処で言っても仕方ないので止めときます

楽しい人生』について意見求められたのでレスを。

これは、僕の勝手な考えであることが前提です。

そこに批判や否定的な意見があることは重々承知していますが、

僕の考えはたぶん変わらないことを先に書いておきます

楽しい人生』っというと、脊髄反射的に想像したことが『ソレ』なのだと思います

ちなみに僕は「妻子が笑顔でいて、そこに祖母がいて母がいて父がいる。僕は緑茶を飲みながら笑顔子どもの話を聞いている」

そんな光景が僕にとっての『楽しい人生』です。そこは金へのしがらみや、将来への不安とかが無い明るい空間です。

たぶん、実家が僕の心の拠り所であり、そこに妻子が入れば満点な人生なのだと思います

はてぶのトップになってしまった・・・とりあえず、上記のレスは読んでもらえたようで自己満足

数々の温かい言葉のお陰で、妻子と向き合おう、明日も頑張ろうと思えるようになって来ました。

此処に書いた時は、『とことん落としてくれるんだろうなぁ』

っと破滅願望がありましたが、若干落ち着いて来ました。

祖母の足の手術が今週あるので、帰ろうかなと思っています。(今週が無理なら再来週辺り)

祖母を理由にした覚えはありません。

これだけはハッキリ言えます

僕は祖母の重荷になりたくないし、祖母を重荷とも思わない。

妻子は大事だけど祖母も大事。板挟み?

そこだけは誤解されたくないので。(これでも何か言う人は無視


否定的な意見独身者が多いんだろうなぁ。

もちろん既婚者もいるでしょうが

僕は、相手のことを理解できるとは思っていません。

だって自分じゃないから。心読めないし言葉フィルタが掛かると思っている。

から、此処では言いたいことだけ言っている。

限界まで頑張った人っていうが、その『限界』は個人差がある。

そして、『限界』にも種類があると僕は思っている。

努力限界、心理的ショックの限界、肉体の限界・・・

僕にとって精神的にクリティカルなことがトリガーになって、

日々の妻とのスレ違い限界を感じた。

職場では人からよく声掛けられて、ソレに対して笑いながら冗談を言っていたけど、

それが今日は無理だった。鬱なのかもしれないけど、わからない。

結婚しない方が良いというレスがあったので。

それは正解でもあるし間違いだとも思います

相手が居れば結婚した方がいい!っという人は、僕は間違っていると思う。

なぜなら何にでも時期があると思うから

例えば、僕なんかは新潟一年間働いてみてから結婚が正解だったのだと思う。

その土地ほとんど知らない状態で結婚たから。

一年間働いた後だったら、雪がココまで生活に(僕にとって)悪影響を及ぼすとわかるから

地元に来てもらうように説得してから結婚したと思う。

から結婚は時期によって良いものでもあるし、悪いものでもあると思う。

是非皆さんには一考頂きたい。

25歳のとき、すでに長男は居ましたが、『どんな父親だったか・・・・。

職場仕事内容が変わって(社内SE → C言語組み込みエンジニア)、

不安定だったと思う。

なるべく妻の考える「良い旦那、良い父親」に沿うように努力していた。

今考えるとこの考えのせいでアイデンティティ喪失して歪んできたのかもしれない。

『大人になるタイミング』は人それぞれじゃないかな。

僕は親と祖母に自分初任給で何か買ってあげた時に、大人になったと感じた。

それまでプレゼントをもらえる側からプレゼントすることが出来る側になったから。

さて、今日はもう寝ますが、明日以降も返事出来る時はしようと思います

もしも、個人的に話がしたいという奇特な方が入れば以下のメールアドレスメール頂ければ返事します。

(基本的に全部返しますが、ストレスになるものは返さないかも。。)

hate12345@excite.co.jp

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