私がハーレムものが嫌いな理由。
私は、小学四年生のときに痴漢の被害に遭いました。
書店で児童書を立ち読みしていたとき、いきなり背後から腕を掴まれたのですが、そのときは自分が何をされたのかはよく分かりませんでした。
当時はまだ性教育も受けておりませんでしたし、ただ恐ろしく、それでも自分がとても嫌なことをされている、ということだけは分かったので、どうにかその場から逃げ出したものの、書店の隅で震えていたら、また同じことをされました。
背後から腕を掴まれ、膨らんだ股間を何度もしつこくお尻に押しつけられたのです。
公共の場でのことでしたから、衣服越しのことではありましたが、本当に恐ろしい、としかいいようのない経験でした。
親には、言えませんでした。
勿論、他の誰にも。
心配をさせたくない、というのも勿論ありましたが、何よりそんなことをされた自分がひどく汚く、いやらしいものにされてしまったような気がして、恥ずかしくてとても口にすることが出来なかったのです。
そのときに着ていた服も、お気に入りのものだったのですが、それからは二度と着られなくなりました。
男のひとが、怖くなりました。
それまではそれなりに男の子の友達もいたのですが、そういうことをする「男性」と彼らが同じものである、と思うだけで、近づくのが怖くなりました。
好きなひとでも、駄目でした。
一緒に楽しい時間を過ごして、優しくされて、嬉しくて、好きだな、と思って、でも相手に触れられることを想像するだけで心が凍り付く。
子どものように「手を繋ぐ」さえ、気持ちが悪くて出来ない。
不意打ちで、女の子の友人が後ろから抱きついてきたときなど、冗談抜きに全身に鳥肌が立ちました。
他人に触れられることが、耐えられない。
だから、思春期の辺り……中学から高校までは、私はずっと周囲から「男嫌い」なのだと思われていましたし、自分でもそうなのだと思っていました。
けれど、大学入試が終わり、新天地への引っ越しの準備も終わって、今までのこととこれからのことをゆっくりと考える時間が出来たときに、これは違うだろう、と思ったのです。
かっこいい男性を見たら素敵だな、と思う。
憧れの先輩が、試合で活躍している姿を見たら、どきどきする。
そんな自分が「男嫌い」であるわけがないと、そんな風に思い込んでいたのは、小学四年生という子ども相手に変質的な行為をするような救いようのない変態のせい。
そんな変態のせいで、自分の人生を棒に振るなんて、そんな馬鹿な話があるか、と。
そう意識革命をした私でしたが、それでもまだ「迂闊に他人に触れられると全身鳥肌コース」な体質のままでしたから、ここは一丁荒療治してみるか、と大学で合気道部に入部しました。
取り敢えず「護身術」と呼ばれるものをマスターして、自信を持つことが出来たら、この鬱陶しい恐怖心を克服出来るだろうかと思ったのです。
……最初は、心底失敗したなあ、と思いました。
何しろ合気道というのは、「護身術」の代表格だけあって、攻撃の型が無いんです。
つまり、相手から攻撃を受けた際にどう対処するか、という技を学ぶだけであって、その稽古ともなれば、先輩方(男女問わず)から殴りかかられたり掴まれたり、果ては背後から抱きつかれたり。
正直私にとっては、かなりの拷問でした。
まあ、そんなことを言っていられない程ハードな稽古でありましたし、実際、いつの間にか本当に、平気になっていました。
触れられることも、触れることも。
嬉しかったです。
そのとき、部活もクラスも一緒だった男の子を好きになって、ひとを好きになれる自分が、嬉しかった。
いえ、その彼は私のことなんて「お友達」としか思っていなくて、美人のお友達とさっさと学生結婚してしまったのですけどね!
人生、何事もそう上手くいくものではないんだと、しみじみ実感しましたとも!
……だってその後も、「男のひと」に対する恐怖が、完全に消えたわけではありませんでしたから。
その後ようやく初カレが出来て、でも当初はほんっとうに、かなり! 面倒臭い女だったと思います。
手を繋ごうとするだけで、身構える。
「カレシ距離」で接触しようとすると、怯えて固まる。
本当に、よく我慢してくれたものだと思います。
彼が私の話を聞いて、「焦らなくていいから」と言ってくれなければ、今でもやっぱり男性に触れられなかったかも知れません。
――私が子どもの頃に受けたのは、助けを求めればすぐに誰かが来てくれる場での、衣服を乱されたわけでもなければ、直接肌に触れられたわけでもない痴漢行為です。
それでも、これだけのトラウマを抱えることがある。
本当にレイプの被害に遭った方々が、一体どれだけ深い心の傷を負ってしまったか、私には想像することも出来ません。
そういった性犯罪を許せない、という思いがあったせいか、勿論専門に勉強したわけではありませんが、それでも機会がある度、性犯罪に関する書籍やテレビドキュメンタリーは、かなり熱心に見ていた方だと思います。
強姦、強制わいせつといった性犯罪の被害者の半数以上は、未成年の子どもです。
平成23年の、警察に通報があった未成年に対する性犯罪件数は、4124件。
推定される実際発生件数は、その八倍です。
そういった犯罪を犯すゲス野郎にとっては、それは一瞬の快楽でしかないのでしょう。
けれど、被害者に残される傷は、一生消えません。
性犯罪被害者の方は、自分の産んだ男の子が自分よりも強く大きな「男性」になったときに、その子に対して恐怖を覚えることすらあると聞きます。
もし、自分の産んだ子どもが、あのようなおぞましい犯罪を犯すようなことがあったら。
その恐怖が、どれだけ被害者の方を苦しめると思いますか?
愛していた子ども、愛するべき子どもに、「恐怖」を覚える。
愛することが、出来ない。
そして、そんな母親の姿を見たお子さんが、一体どれだけ傷つくことか。
私は、性犯罪者が許せません。
そういった犯罪を、少しでも誘発する可能性があるものすら、本当に嫌で堪りません。
前作で、ファンタジーなBLは許容範囲、といったことを述べましたが、それは「男同士でくっついてくれれば、女の子に被害が来ることはないから」という歪んだ願望の顕れのようにも思います。
本当のところを申し上げれば、個人の識別さえ困難な程沢山のメンバーを抱えているアイドルグループが、肌も顕わな姿を公共の電波、及び紙面に堂々と晒しているのを見るのも嫌です。
彼女達が幾らでも換えの効く、流行のオモチャのような扱いをされているように感じられて、そんな風に自分を安売りしないで下さい、と思ってしまうのです。
性犯罪者が被害者に与えた傷は、被害者を一生支配します。
それは、そんな被害に遭わなければ得られた筈の幸福な人生を、丸ごと潰してしまうことです。
それは殺人とどこが違うのでしょうか。
少なくとも私は、その罪の重さは何も変わらないと思います。
前作の感想を下さった方の中に、「銃社会で銃を持った人間が、全て銃犯罪を犯すわけではないのだから、ハーレム小説を読んだ人間が全て性犯罪に走るわけではない」といった趣旨のことを書いていらした方がいました。
確かに、そうかも知れません。
ですが、銃の無い社会であれば、銃犯罪は発生せず、被害者が出ることも、突然家族を奪われて泣き苦しむ家族も出ない筈です。
ハーレム小説は、どうでしょう。
女性の尊厳を軽視し、使い捨てのオモチャのように次々とっかえひっかえ好きなように弄ぶ。
そんな描写を見た子どもが、どんなきっかけでそんな衝動に駆られておぞましい犯罪に走るとも限らない、そんな可能性が、万に一つも無いと言い切れるものでしょうか。
子どもは、社会が育てるものです。
そして私達は、そんな社会の一員です。
ネット社会という、どんな情報でも容易く入手出来る現在の社会だからこそ、私達はそんな社会の一員としての最低限の責任を忘れてはいけないと思うのです。
これからも、性犯罪が無くなることはないのでしょう。
それでも今後、そういった犯罪を犯す人間が少しでも減ることを願わずにはいられません。
性犯罪を犯す人間、特に子どもに対してそういった犯罪を犯す人間には、心の底から死ねばいいと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
性犯罪の加害者は、圧倒的に男性が多数とはいえ、勿論女性の加害者も存在します。
その場合は一層、被害者が被害届を出しにくいそうです。
レイプ被害者が加害者の舌を噛み切っても正当防衛が成立しますが、もしそういった犯罪に巻き込まれるようなことがあったら、相手は話の通じない動物以下の変態です。
どうか、全力で逃げて下さい。
※「サチッコ」 未成年への性暴力 相談窓口
06―6632―0699
(水曜~日曜 14:00~20:00)
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