前も取り上げましたが、玉置さんの「寛容力」という言葉は大変印象的です。
「落ち着け!まずは、相手の私に対すツイートを全部読み上げてみろ!そして想像するんだ。相手になってみろ!相手は私のことをどう感じている?」
そして私は当該ツイートを声に出して読み始めました。すると、徐々にであはりますが、相手の置かれている立場がみえてくるところもありまし た。そして、相手の立場で考えてみると、なるほど私の問題のツイートはやはり気に障る部分があるなぁそのことがわかったきたんです。そこで、私は、その相手に対して、全面的に謝ることから始めました。
玉置さん自身も記事で書かれているように、この態度を維持し、「実践」することは超絶困難なことです。皮肉とかではなく、これを実現できるような人は、仏のような存在だと思います。
僕は寛容力がもともと無い方なので、誹謗中傷の発言主の気持ちを慮ることはできません。流石にそこまでの修行はまだできていません。
今、僕ができている「露出社会における寛容」と言えば、ただ「晒す」のをしないことです。
ことの賛否は、読者によって判断が分かれます。僕に対する否定の言葉を、僕のフォロワーに「晒し」たら、十中八九、発言主は叩かれるでしょう(その人が正しかろうが)。そういう意味では、僕は「戦力」を持っているようなものです。
もし僕が戦力を行使すれば、発言主はガチでメンタルダメージを食らいます。それは経験上、良く分かっています。それこそ人を殺せるほどでしょう。
なので僕はそうした「晒し」は行いません。自分がスルーすれば、まぁ1ヶ月後には収まっている話です。これが、今僕ができる最上の寛容です。
僕たちはもっと問題解決にフォーカスするべきです。何が今の課題で、それをどう解決するかを、考え、議論し、アクションするべきです。
不毛な議論には「解決すべき問題」がありません。オンラインの議論の大半は、そもそも課題が共有されてないので、「ツイートチャンバラ」にしかなりません。
僕は「解決すべき課題」が設定されていない議論には興味がありません。
また、課題が設定されていても、その課題の解決に対して自分が寄与できない/関心を持てないなら、関与しません(例えば「公務員制度改革のあるべき姿について語ろう」「印刷業界の課題と未来について語ろう」とか)。
玉置さんの語る「寛容力」をある程度実践し(僕もできてないけど)、より「解決すべき課題」にフォーカスできれば、オンラインの議論もそこそこ成り立つはずです。今はその二つがないので、あまり上手くいかないのだと思います。
とはいえ、言論テロは相変わらず繰り広げられるでしょう。これはもはやコントロールできない範囲の話です。少しでもオンラインの世界の様相が良い方向に変わっていくことを望むのみです。