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ジョナサンやエドといった登場人物たちのドラマが、世界と、そのありようと分かちがたく結合している幸福──裏切り、死、怒り、笑い、悲しみ、そうした「ドラマ」が、BEYOND、そして宇宙での人間の生活という背景と、ひとつの構造物を成している。ゲームの設定にはSFっぽいものや、ファンタジーっぽいものがあふれているけど、それらの背景となる世界と、ドラマとは分離可能なものがほとんどだ。ぼくはそうしたものを見ると、ちょっとがっかりする──個人は、その暮らす世界と分離することはできないのに。最近のゲームを見ていると、なんだか僕らのこの「世界」とかかわり合うのを面倒臭がっているものや、避けたがっているもの、あるいは「個人」以外に世界など存在しないかのようにふるまっているものが多くて悲しくなる。
小島監督の物語がゲーム業界においてちょっぴり異彩を放っているのは、たぶんここにある。といっても、「現実を見ろ!」式のドグマではなくて、「世界にはこんなに面白いことがあるんだよ、こういう世界を想像することで、自分たちの世界についていろいろ思いを馳せるのは面白いことなんだよ」というふうに、いろんな方向に興味を振ってくれるのだ。
 ポリスノーツを通じて、ぼくらは思う。技術と人間のかかわりを。技術が人間にどんな世界をひらくのかを。これは、ほかのゲームではちょっと味わえない贅沢な体験だ。人の怒り、悲しみ、喜び、そうしたものが科学技術と、社会と、分かちがたくつながっていること。その関係性についてあれこれ考える楽しさ。
もちろん、そんなことに興味のない人も多いだろう。だからこそ、設定と物語が分離したストーリーが、まるで「個」しか世界にないような物語が、テクノロジーも政治も自分とかかわりがないかのような価値観が、こんなに「ゲーム」の物語にあふれかえっているのだろうから。ぼくも、かつてはそうだった。
でも、小島監督のゲームはぼくという存在を広げてくれた。世界にはたくさん面白いことがあることを、物語を通じて分からせてくれた。ばらばらだったいろんな知識を、ひとつにつなげてくれた。ゲームは所詮、暇つぶしに過ぎない。そういう割りきりも美しくはあるけれど、ぼくは貧乏性なので、いちどきにいろんなものが得られるのなら、それに飛びついてしまう──それが笑え、泣け、燃え、感動でき、手に汗握るゲームとなれば、なおさらだ。



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