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アメリカのインディペンデントな若手映画作家たちも、サバービアを好んで題材にする。ハーモニー・コリンの「ガンモ」、ヴィンセント・ギャロの「バッファロー66」、そしてレーガン時代の80年代サバービアを描いた「ドニー・ダーコ」。

BEYOND COAST──そこにないものは何だろうか。
もちろん、それは都市だ。集中するビルだ。
「ポリスノーツ」のグラフィックには集中するビル群が登場しない(じつはEMPS出動のアニメシーンで一部あるのだけれど、一番最初に出た9821版の同場面にはみごとにビル群がない)。BEYONDにないもの、それは風俗、暴力、およそ都市というものがつねに所有しつづけてきた猥雑な闇だ。BEYONDには闇がない。闇をはらむ主体としての都市がない。歓楽街カブキ・ディビジョンも、台詞として語られるだけで画面に登場することはない。物語冒頭の、ダーティーな都市そのもののロサンゼルスと、メインの舞台であるクリーンなBEYOND、その対比が意味するもの。それはとりもなおさず、BEYONDが巨大な郊外──宇宙に浮かぶ巨大な郊外、地球にとってのサバービアだということだ。
一個の巨大な郊外。そして、そこがスペースコロニーという閉鎖空間であること。
それは何を意味するのだろうか。

サバービア型の未来──ポリスノーツに描かれた未来はそれだ。ブレードランナー型の貧富の差が極限まで拡大した、資本主義の極限みたいな退廃都市型の未来ではなく、明るく、清潔で、そこそこの消費に支えられた平凡な幸福としての郊外型の未来の、その息詰まる閉塞へのまなざし。サバービアの「そうあるべき平穏な日常」が、じつは恐ろしい欺瞞のうえに築かれた平穏だったということ。
サバービアの庭にある核シェルター──それは幸福と世界の破滅を背中合わせにした60年代の風景だ。そして「ポリスノーツ」のBEYONDもまた、太陽フレアから身を守るためのシェルターと、明るい住宅地が共存する場所だった。
息詰まるユートピア(「平凡な生活」というユートピアのことだ)の風景。


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