それはとても残酷な事実だ。「アポロ13」を見た人は憶えているだろう、最初に月面に降りた11号からわずか2号あとの13号の時点で、宇宙飛行はもうアメリカ国民の関心をひかなくなっていた。宇宙飛行という「イベント」は、もはやマスの関心をかちえることはない。人々の記憶に残るのは「最初の人々」だけだ。だから、宇宙飛行士、といえばやはり、ガガーリンであり、テレシコワであり、アームストロングでありオルドリンであり、そしてマーキュリー計画のシェパードでありグレンなのだ。
メタルギアソリッド3の予告編は、もう観たと思う。そして、その舞台が60年代だということも知っているだろう。
そして、この時代の英雄はスネークのような戦士たちではなかった。スネークがジャングルにいるとき、「英雄」ははるか宇宙空間にいた。J.G.バラードは言う。「ニール・アームストロングはおそらく、現代のわれわれのうち、五万年たっても記憶されている唯一の人間に違いない(『J.G.バラードの千年王国ユーザーズガイド』)」
初期の宇宙飛行士達が、最後の「英雄」、多くの人々の記憶にとどめられる「英雄」だとしたら、60〜70年代は「英雄」が存在した最後の時代だった。
ここでやっと「ポリスノーツ」の話になる(ふぅ)。
いま現在、宇宙飛行士は何かのイコンにはなりえない。それは小島監督が「ポリスノーツ」を発表した94年の時点でそうだったし、はっきり言えば、月面着陸のあとからずっとそうだったのだけれど。しかし、「ポリスノーツ」の「警察権限をもった宇宙飛行士」ことポリスノーツたちは、宇宙開発の英雄として描かれている。「ポリスノーツ」はかつての英雄たちの、その35年後の物語だ。かつての英雄たちが、いかにして別々の道を──ある者は栄光を、ある者は凋落を、ある者は堕落を──歩んでいったか。
この物語世界では、ポリスノーツたちは英雄だった。いま現在、宇宙飛行士は「英雄」のイメージを担える器ではないというのに。
もちろん、それには理由がある。ポリスノーツが重ねられているのは、シャトル時代の宇宙飛行士ではなく、マーキュリー計画の宇宙飛行士たちのイメージだからだ。 |