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だからそこでの宇宙は、日常という枠からの逸脱という相対的な点においてしか意味をもたない。漫画「プラネテス」や「ムーンライト・マイル」が、主人公たちを「資質」をもったある種の「英雄」として、ある「領域」を知ってしまった存在として、その「英雄」としての内面を(ある意味、古典的に)描いているのとは対照的だ。もちろん、後者のほうがSFファンにとって共感しやすいのではあるけれど、まあ「マス」じゃないからなあ。
いや、しかし待てよ、そもそも宇宙飛行士って、いまの時代では英雄なんだろうか

チャレンジャー号とともに、そしてコロンビア号とともに死んでいったひとたち。彼らは、自分が乗り込む船と、そのミッションが負うリスクを知っていた。それでも、彼らは宇宙へ行くことを選びとった。映画「ライトスタッフ」で、宇宙船を海にしずめてしまったガス・グリソム飛行士を笑い、「サルでもできる仕事だ」と嘲る人間に、チャック・イェーガーが言う。「サルは危険を知らない。だが宇宙飛行士は危険を知っている。猿とは違う。ガスはよくやったよ」
もちろん、シャトルの任務は「ライトスタッフ」で描かれるマーキュリー計画なんかよりはるかに複雑化している。猿でもできる任務ではない。けれど、この台詞が意味しているところは、この地味な台詞が讃えている魂は、チャレンジャー号の乗組員もコロンビア号の乗組員も有していたはずだ。恐怖に耐える力。恐怖を知り、それでもなお「そこ」へ向かう意思。
彼らの、その魂は、間違いなく英雄として称えられる資格を持っているだろう。
彼らは英雄だ。

けれど、その英雄たちの名前をどれくらいのひとが知っているだろうか。
ついこのあいだ、宇宙開発の墓碑名に刻まれた7人の名前を、どれだけのひとが知っているだろうか。






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