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それでも、多くの人がいまなお宇宙への飛行にとり憑かれている。
ぼくらの上につねにある、あこがれの場所として、宇宙はある。小島監督もどこかのインタビューで、いつか宇宙へ行きたいと言っていたことがある。ジェームズ・キャメロンも、かなり本気で宇宙へ行こうと考えていたことがあったらしく、いつかロシアで適性検査を受けたとかいうニュースが流れたことがあったっけ(デマかもしれんけど)。
なぜみんな、宇宙へ行きたがるのだろう。あこがれというには、そこにはなにもなさ過ぎるというのに。コロンブスがイザベラ女王を口説き落とすときに並べ立てた、香辛料も黄金もないというのに(もちろん、無重力下での様々な科学実験と、それによる科学的な発展はあるだろうけど、それが飛行士のダイレクトなリターンにつながるわけじゃないでしょ)。
もちろん、コロンブスの動機が本当は黄金でも香辛料でもなかったように、ぼくらは何かを求めて、頭上のはるかな空間にとりつかれているわけではないのだろう。それは、いうなれば呪いみたいなものだ。
星々の世界への欲望は。

最近、どうしてだかSF以外の(苦笑)一般性のあるメディアで宇宙開発が題材として扱われることが多い。テレビドラマ「明日があるさ」の劇場版や、あのNHKの朝の連続テレビ小説、そして「愛するために愛されたい」という、タイトルだけではどこに宇宙がからんでくるのかまったくわからないTBSのドラマも、宇宙開発事業団(みたいなところ。違うけど)が舞台だったりする。
でも、それらを見ていて思うのは、そこでは「宇宙飛行士」が別に英雄なんかじゃない、ふつうのひとだ、ってことだ。もちろん、そうじゃなくちゃいけない。ふつうのひとが、努力の果てに宇宙へ行く。英雄としてではなく。視聴者との接点が(悪い言い方をするなら卑近さが)映画や小説なんかよりもずっとずっと重要視されるテレビドラマ(とその劇場版)で、主人公が英雄だったら、受け手はシラけきってしまうだろう。かれらが相手にしているのは、マスとしての観客なのだから。





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