テキストサイトの歴史
1.はじめに
◆この文は?
この文は、かつてネットで大きな旋風を巻き起こした「テキストサイト」について、2001年〜2003年頃の「テキストサイトブーム」期を中心に出来事とその意味を書き記したものです。
さらに、その前の1995年〜2000年についても簡単に書き記しており、テキストサイト界隈に関する「テキストサイトの発生からテキストサイトブームまでの流れ」が把握できるようになっています。
ブーム終了後も少しではありますが記しました。
◆今回初めての試みとして
なお、今回初めての試みとして、調査過程の一部を下記ブログに随時書き記しています。
調査過程を随時公開するという試みは、将来、私と同じようにサイト論を制作する者の役に立つと考えました。
この試みが誰かの役に立てば幸いです。
・『テキストサイトブーム関連まとめページ制作作業の進捗報告書 』
2.1995年〜1996年 インターネット元年
◆インターネットが研究機関のものから一般のものへ
92年、「AT&T Jens」を皮切りに日本の商用インターネット接続サービスが開始される。92年から94年の間に「IIJ」「TWICS」「InfoWeb」「リムネット」「ベッコアメ・インターネット」と商用インターネット接続サービスが開始された。
93年12月、「NTT」が『日本の新着情報』という登録型リンク集を始める。94年、この『日本の新着情報』に登録されたURLの多くが大学の研究室あるいは研究機関であった。
この頃のインターネットはまだ学術色の濃いネットワークであった(*1 )。
「インターネット元年」は人によって言う年に違いがあるのだが、よく聞くのは95年である(*2 )。
この年、Windows95の登場によりパソコンが一般家庭に普及し始め、
インターネットが大学や研究機関以外にも広まりだした(*3 )。
そしてインターネットが学術ネットワークからの脱皮を始めた95年から学術以外のコンテンツが徐々に増えていくこととなる。その1つが「日記」であろう。この「日記」というコンテンツ同士を繋げる「日記ページのリンク集」が作られた。
*1 :94年には内容としては学術・研究ではない有力サイトも少数存在したがファイルが置かれているのは大学のサーバである。
*2 :95年が「インターネット元年」と呼ばれる理由としては「Windows95の登場」「村井純氏が「インターネット」を著した」
「インターネットが流行語大賞の候補になった」などが挙げられる。「メガ日記 」が始まったのも95年。
96年も「インターネット元年」として多く挙げられる年であるが、Windows95日本語版の発売は95年11月であることから、影響が本格的に現れたのが96年と考えれば「インターネット元年は96年」という言い方も可能だろう。
もしかしたらJUNETが誕生した84年、あるいはWIDEプロジェクトが始まった88年を挙げてくる人もいるかもしれない。
どれが正しくてどれが間違えているということではなく、どの指標を軸にするのかによって変わってくるということ。
*3 :『日本の新着情報』の過去ログを見ると解りやすい⇒「日本の新着情報 バックナンバー 」。
◆『日記リンクス』と『日記猿人』と『ReadMe!JAPAN』
95年、豊橋技科大に所属していた津田優氏は日記ページ同士を繋げる「日記ページのリンク集」を作った。これが『日記リンクス』である。
『日記リンクス』はアクセスランキングを実装したことで人気となり、日に日に影響力を増していったが、それによって揉め事が発生する(
*4 )。
『日記リンクス』が揉め事によってアクセスランキングを停止した後、その代替として機能したのが96年開設の『日記猿人(
*5 )』と『
ReadMe!JAPAN (
*6 )』であった。
この『ReadMe!JAPAN』が後にテキストサイト界の中で重要な位置を占めることになる。
◆コンテンツの多様化
インターネットが普及していき、色々な背景をもった人がインターネットの世界に入ってくることになった。
そしてインターネット上のコンテンツが多様化していった。例えば、絵が得意な者はイラストを公開し、プログラムが得意な者はソフトウェアを公開し、
文が得意な者は文章を公開した。文が得意な者が立ち上げるサイトの代表的なものとして「雑文サイト」があった。
【雑文サイト】
雑文サイトとは文章のジャンル的に定義すると「随筆・エッセイを公開しているサイト」のことである。雑文サイトを派閥として見てみると95年に開設した『雑文館(
*7 )』が中心となったサイト群のことである。
雑文サイトの醍醐味は「ふと、たまたまサイトに立ち寄った人が前提知識無しに読んでも面白いと思えるような、一話で完成された文」である。
代表的な雑文サイトとして『雑文館』の他に『
ATSUYO’S HOMEPAGE 』『
みや千代日記 』『
補陀落通信 』
『
それだけは聞かんとってくれ 』『
鉄血くだらな帝國 』『
大西科学 (
*8 )』『
どーでもいいコトを真剣に考えてみよう 』『
森で屁をこく 』等が挙げられる。
まず「雑文館」ありというのは動かせないでしょう。今はなき新屋さんのサイト。ここで雑文の面白さに目覚めた人も多いかと思います。ここは、1996年あたりからの稼働でしたっけ。実際にはその前にパソ通時代というのがあって、新屋さん、おがんさん、みやちょさん、ぽいうさん(当時のハンドルネームはマジン)、といったところがニフティで「いかに面白い文章を書くか」というのに精進していたらしいのです。同じ頃、ニフティの違うフォーラムでは、田口ランディが大口叩いていたんですよね。私が小説を書くなら、このへんを面白おかしく書いてみたいなあ。
私が「雑文館」をはじめて見たのは、1997年ごろでしたっけ。仕事がらみで検索していて、「がんばれ!ゲイツ君」というパソコンサイトのリンク集から辿っていった「ひまわり戦記」がはじめでした。そこで、「ああ、ネットでもこんな面白い文章を書く人がいるのか」と、新屋さんはじめ、新屋さんのリンク集からどんどんと雑文サイトを追いかけて。
雑文界の最初は、いまの日記才人の前身である「日記猿人」にある、ということでいいのでしょうか。そのころ日記猿人には、新屋さんはじめ、みやちょさんの「みや千代日記」、うえださんの「補陀落通信」などが存在していました。まあ、この三人が雑文御三家でしょうか。
御三家に影響されて、雑文を書き始める人が徐々に増えてきました。「それだけは聞かんとってくれ」のkeithさん、「大西科学」のジャッキーさん、「どーでもいいコトを真剣に考えてみよう」のにょしかわさん、あたりが第二世代でしょうか。このへんの人物によって、伝説の第一回雑文祭「ある朝突然に」が開催されたんですよね。あれはびっくりしました。
このころ、雑文サイトの多くは、リードミーに登録していたのではないかと思います。日記猿人から離れて。ところがそのころから、リードミーの上位がエロサイトとゲーム系ニュースサイトに占拠されてしまったんですよね(そのころはまだネット系ニュースサイトというものはなかった)。そんなわけで雑文サイトの多くはリードミーを離れ、新屋さんがやっていた登録型の「勝手にリンク」、その発展系の「オフィスの友」に参加したのではないかと記憶しています。私のサイトの「オフィスの友海賊版」は文字通りそのパクリです。
さらにここから派生して、雑文サイトがいっきに増えたのが1998年ごろだったと思います。keithさんの後輩である「森で屁をこく」の louさん、貧乏ミュージシャンが売りだった「破竹の勢い」のいっしょうさん、文章の破綻しかたがすばらしかった「203号室」のやかたさん、などなど。
むろん、この流れとはあまり関係ないところでも雑文は動いていました。もっとも大きいのは「我が妻との闘争」で有名な呉さんのアミーゴ人脈でしょうか。「MICK WORLD」のMICKさん、「湘南から元気倶楽部」の静炉厳さんなど、こちらも多士済々。独立系では「もんちゃんのKnowみそ」も見逃せません。
くだらな日記(2002年9月)
(旧鉄血くだらな帝國 )
3.1997年〜1998年 ― 原始テキストサイトの誕生
◆ゲーム系テキストが人気に
「テキストサイト」の起源を語ると『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の名が必ず出てくる。
だがその前に、紙媒体の2つの連載に触れなければならない。
95年、「ゲーム批評」の95年9月号において、がっぷ獅子丸氏の「悪趣味ゲーム紀行」が始まる。
この「悪趣味ゲーム紀行」は名作ではなく変なゲームに対し、非常にぶっちゃけた批評を行うことで人気になった。
96年7月、「ユーズドゲームズ」創刊。そして白川嘘一郎氏の「バカゲー専科」が連載開始。
こちらも人気となる。こうしてゲームに「バカゲー」「クソゲー」という新たな評価軸が生まれた。そしてこの流れがウェブにも訪れるのである。
96年11月、岡田斗司夫氏が編集長のウェブマガジン『
おたくウィークリー 』が始まる。
この「交錯するオタク情報を初心者からディープなユーザーにまで届けする、オンライン週刊誌」の
プレ創刊3号(97年1月)から始まったクソゲー論評が阿部広樹氏の「
俺はくそゲーハンターだヨ! 」である。
さらに阿部氏はクソゲー論評本「超クソゲー」を著し、自らのサイト『A.prompt』を立ち上げた。
この『A.prompt』はDOSプロンプトを真似た黒背景なデザインに、文章のところどころでフォントの色・サイズ変える「ABC体」と呼ばれる特徴的な文体を用いていた。
この文体が後の「フォント弄り」となっていく。
そしてクソゲー論評が大人気となったもう一つのサイトが『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』であった(
*9 )。
クソゲー論評とは、「ダメなゲーム(さらに話を広げてゲーム業界)を別の視点から見ることで新たな発見をし、それをネタに面白文章を作成する」ということ。
そしてクソゲー論評を読み、はまった人が
「日常を別の視点から見ることで新たな発見をし、それをネタに面白文章を作成する」という、後の「テキストサイト」を作っていくことになる(
*10 )。
この頃のゲーム系文章サイトとしては『A.prompt』『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の他に、
『パワードダイ(のゲーム業界残酷物語)』『
糞藝研究所 』『山本総翼右ムェゲ』『
兄貴の館 』『神聖バカゲー騎士団』『
execute &h0000 』等が挙げられる(
*11 )。
強弱を表現するためのフォント弄り
どういったものか説明する前に、実際の物を見てもらうほうが解りやすいため、引用する。
3月 6日
ちょっと暇になってきたので、前から作れ作れと言われていたホームページを作成する事にした。
日記を毎日つける事により文章能力の向上を図り、いずれはコラムニストとして大成し ウハウハの人生を歩もう とか、この日記を読んで感動した超大手ゲーム会社の社長が 是非役員待遇で我が社に とスカウトに来るのを 、
「いや、御社には Y岡という男が勤務していますので 辞退します」
等といって かっこよく断る 自分の姿を妄想して悦に入りつつ作成開始・・・・・・。
結果、ホームページ作成は めんどくせぇ ということを学習する羽目になった。ひとつ勉強になった。
というわけで、皆さんよろしく ネ !
Diary 98年 3月
(A_PROMPT(復刻版) )
上記引用は『A_prompt.』が開設して一発目の日記である。黒背景に基本白文字だが、強調したいところを白以外の色にし、さらに拡大している。
このようにして、文章に強弱をつける技法がフォント弄りである。
黒背景にメッセージは白あるいは緑、重要なメッセージは目立つ色にする(高輝度メッセージ)というのはコンピュータの世界では昔から行われていたことであり、
それを個人サイトの日記に応用することもインターネット初期から行われていたことだが、一気に広めたのは
クソゲーハンターABC氏であることから「ABC体」「ABC文体」「ABC文調」「ABC文法」とも言う。
実はいまABC系とか言われているHTML操作系日記は、俺がいきなり発明したもんではありません。
文体としては、東海林さだおや戦前の講談なんかから脈々と続き、70年代から80年代に入って宝島なんかで一気に整備され、その後ログインで爆発して他のゲーム系雑誌のバカ記事の原型へと発展していった文章漫談そのものです。
それに、他のサイトでぼちぼち使われはじめていた文字強調や色替えなんかを取り入れたにすぎません。
Diary 99年 4月
(A_PROMPT(復刻版) )
◆コジャレ系
97年〜98年の文章サイトでは、特に人気があったジャンルとして先の「ゲーム系」の他にもう一つあった。
それは「コジャレ系」と呼ばれるものである。
「コジャレ系サイト」の大きな特徴は2つ、それは「デザイン」と「サブカル(オタク)」になる。
コジャレ系 :無理に要約すれば「文章やデザインがちょっと洒落ているサイト」。特徴としては、フォントが小さい・HNがカタカナ・BBSがライトデザインなどといったあたり。現在のライト系につながる。
テキスト系用語集 か行
(esquisse )
ちなみに、私がサイトをつくって作文するようになったのは1999年4月ごろのことであり、それからたかだか2年と少しの歳月が経っただけである。にもかかわらず、その短期間で周囲をとりまく環境は確実に変化している。
当時は「コジャレ系」と呼ばれるサイトの全盛期であったように思う。カタカナのサイト名、入り口としての役割しか果たさないindexページ、原色を否定した色づかい、やや小さめのフォントサイズ、オタク風サブカルチャーによる味付け、日常性ではなく思想性を打ち出した日記――そういった特徴を持つコジャレ系サイトは、個人テキストサイト界隈を席巻していた感があった。
エレメモ(エレメンタルノート )
コジャレ系というのは当時のインターネットでよく使われた表現であり、同時に非常に定義が曖昧な表現でもあった。僕の持論は、当時から最先端のデザインを追求していたウェブマガジン「SHIFT」がまずあり、その元スタッフによる個人サイト「world9-1」のデザインに影響を受けたサイト群がコジャレ系であるというものだ。ただ、そのうち「コジャレ系のサイトとリンクしているサイトがコジャレ系」というネットワーク説が強くなってくる。こうなってくると初期の定義はもうグダグダだ。コジャレ系はなぜか東京、名古屋、福岡が熱かったという不思議な地理性があったことも付け加えておこう。
ネット幸福論 第十三回(MouRa)
「コジャレ系サイト」の発生を語るには、まず『
SHIFT 』というサイトを説明しなければならない。『SHIFT』は96年11月に創刊した「e-zine(電子雑誌)」である。
内容としては「サイトレビュー」(当時)があり、
「ART(担当:Chibashi氏)」「FASHION(担当:Z.A.K.氏)」「MUSIC(担当:Kyota Hamaya氏)」「X-girl(担当:AKO氏)」
「OTAKU(担当:Tomotaka Nagata氏)」「OTHER COOL JP(担当:Takehito Oguchi氏)」「WORLD(担当:Satoru Tanno氏)」とジャンル分けし、それぞれ担当が探してきた
お勧めサイトを紹介するというものであった。
"ABOUT SHIFT"
SHIFTは、日本のウェブカルチャーを、日本のネットサーファーはもちろん、バイリンガルで紹介するオンラインマガジンです。
月1の更新で、日本のクールサイトをジャンル別に35サイト、世界のサイトを5つ紹介していきます。
大型のサーチシステムでは、サーチしきれないようなサイトをフォローするべく、個人で情報を発信するサイトの水路として機能してくことと、日本のリアルなカルチャーを紹介するのが目的であり、それがSHIFTの目指すところです。
About SHIFT(SHIFT)
当時はエヴァンゲリオンが社会現象になっており、『SHIFT』でも「vol4(97年3月)」にて「エヴァンゲリオン」特集が組まれた。
この「vol4」にて「加熱するエヴァ人気を体感するために、嘘エヴァページをでっちあげているサイトある」として紹介されたのが、当時カウンターがまだ800しか回ってなかった『ハイパーノイヅ』である。
この後『ハイパーノイヅ』は「新世紀エヴァンイミダス」が雑誌で取り上げられ、2ヵ月後にはカウンターが10000を突破するのだが『SHIFT』で紹介されたときはまだ弱小サイトであった。
洒落たデザインである『SHIFT』でサブカル(オタク)のサイトが紹介され、やがて洒落たデザインとサブカル(オタク)が結びついた「コジャレ系サイト」が現れることになった。
『ハイパーノイヅ』の他に『SHIFT』に取り上げられたサイトとしては『
outdex 』『ペヤンゲ』『
ヤングオデオン 』等があげられる。
数多くのサイトを紹介してきた『SHIFT』、そのうち「OTAKU」を担当していた永田氏のサイトが『WORLD 9-1』である。
『SHIFT』『WORLD 9-1』『ヤングオデオン』、そしてデザイナーであるオシモト氏の『
04 』、
これらのサイトは現在の視点で見ても洒落たデザインであり、多くの「コジャレ系」サイトの参考となった。
ただし、そのうち「コジャレ系のサイトとリンクしているサイトがコジャレ系」というネットワーク説が強くなり、
例えば『ウガニク』のような洒落たデザインではないサイトも「コジャレ系」と呼ばれるようになっていく(デザインとしてのコジャレ系から派閥としてのコジャレ系へ)。
「コジャレ系」としては先にあげた『WORLD 9-1』『outdex』『ペヤンゲ』『ヤングオデオン』『ウガニク』の他に『
クリアラバーソウル 』『A → Z』
『Acid overdrive』『
HEXAGON 』『
オトノチカラ 』『カクエガク』『S*e』などがあげられる。
その中でも『クリアラバーソウル』の桑島由一氏はライトノベル作家となり、代表作の「神様家族」はアニメ化され、『hexagon』のヤマグチノボル氏はこちらもライトノベル作家となり、「ゼロの使い魔」はアニメ化された。
大物も輩出した「コジャレ系」であったが、テキストサイトブームの前にはその多くが姿を消していった。
――そういった特徴を持つコジャレ系サイトは、個人テキストサイト界隈を席巻していた感があった。もっとも、コジャレ系を支えていたのは主に20代前半のウェブマスターたちであり、就職して時間がとれなくなるなど、それぞれの事情によってサイトは閉鎖され、また、コジャレ系の乱立によってマンネリ化が進んだこともあって、現在ではいかにもそれらしいコジャレ系は大部分が姿を消してしまった。
エレメモ(エレメンタルノート )
◆『ホソキンズ ルゥム』によるサイト批評開始
『ホソキンズ ルゥム(後のHEY BULLDOG)』は『Read Me!』に登録されているサイトの批評・紹介を行っていたサイトである。ただし、批評においては罵倒ともとれる記述が多かったため、幾つかのアンチサイトが発生した。アンチサイトとしては『キンタマ細田研究KAI』『ヘーイ!テリアとラブラドール』等が挙げられる。
評価が分かれるサイト(
*12 )である。
*12 :良い評価としては膨大な『Read Me!』登録サイトを片っ端から見ていった、その功労に対して。
悪い評価としては罵倒に近い批評であったということ。
「レトロ・リンク (NO-FUTURE )」の中ほどに
批評の一部が書いてある。ただし、サイトレビューというのは非常に難しいものであることも確かであり(例えば、一時期サイトレビューを行っていた『荒廃の猫』は「レビューを始めてから、あれだけ嫌いだった愛・蔵太さんが尊敬の対象になりました。「あんなん単なる罵倒してるだけの糞じゃねえか」と思っている人は、実際にサイトレビューをしてみましょう。あまりの不毛さに素で泣けます」
と語っていた)、どう評価すべきなのかは悩ましいところ。
4.1999年〜2000年 テキストサイトの形、出来上がる
◆『ろじっくぱらだいす』の登場と痛い系の活況 ―ゲーム系文章サイトの系譜―
『ろじっくぱらだいす』はもっとも成功したテキストサイトである。文章としては「お馬鹿ネタ系テキスト」である。
自虐ネタが得意であり、
本来恋人と一緒にいるはずのクリスマスイブに一人で怒涛のサイト更新をする非モテ系の祭典「
クリスマス殲滅委員会 」「
クリスマス殲滅委員会2000 」を行った。
「クリスマス殲滅委員会2000」は参加サイトが100を超える一大企画となり、その後「クリスマス特別更新」としてテキストサイトブーム後も『ろじっくぱらだいす』の影響を受けたサイト達によって続けられることとなる。
そして『ろじっくぱらだいす』と『兄貴の館』を中心とした自虐ネタが得意なサイト群が「痛い系」である。
「痛い系」では痛いサイトの王者を決める「痛い度ランキング選手権」「第2回痛い度ランキング選手権」、あるいは「リレー801SS「学園天国」」などの企画が行われた。
代表的な痛い系として、『ろじっくぱらだいす』『兄貴の館』の他に、
『
一流ホームページ 』『
紐井屋 』
『
裏MIZUHAの憂鬱 』『
碑文 』
『全壊スピリッツ』『
大(仮名)帝国 』
『
もっと焚木を! 』『
G-LABO 』
『
えこのみっくぱらだいす 』などがあげられる。
「痛い系」では『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の影響を受けたサイトが多いことを記憶に止めておくべきだろう。
◆ライト日記系 ―コジャレ系の系譜―
「ライト日記系(
*13 )」サイトとは、「コジャレ系」のデザインを引き継いだサイトのことを言う。
すなわち「入り口としての役割しか果たさないindexページ」「原色をなるべく避ける、やわらかい色づかい」「やや小さめのフォントサイズ」等の特徴が確認できる(
*14 )サイトである。
他の特徴としては、サイトの開設当初から日記をメインコンテンツにしており、
その中で反響の大きかったものを別枠に切り分ける方式をとっていることが多い。
この方式は後のテキストサイトにおいてもよく使われることになった。
代表的なサイトとして、『
ドリフトウッド 』『マフィア』『
九十九式 』『
ナフ 』『
桃色核実験 』などが挙げられる。
*13 :「ライト日記系」サイトは99年から現れたが、「ライト日記系」という呼び方が生まれたのは01年。
初めは「ライト感覚日記系」という単語であった。単語の提唱者は『偽黒武堂の三国志探訪 』のニセクロ氏。
氏によると「日記系概況<2001年度春-秋> 」
にて使った「ライト感覚日記系」と言う呼称はあくまで仮称であった。
その後『九十九式』の「宇宙時代のテキスト系 」において「ライト感覚日記系」が「ライト日記系」と短縮して書かれ、
「宇宙時代のテキスト系」が『ちゆ12歳』に取り上げられたことで「ライト日記系」という単語が定着したとのこと。
このエントリーのコメント欄を参照⇒「ライト感覚日記系について 」
*14 :実際にサイトを見てデザインを確認したければ『ハントウメイ 』が現存しており、かつ当時の状態がそのまま残っているのでよいだろう。
◆テキスレ立つ
00年8月、『2ちゃんねる』の「ネットウォッチ@2ch掲示板」に「■◇◆日記系サイトの裏事情◆◇■」スレッドが立つ。
スレッド名の通り、大手サイトの裏情報を書き込むことが目的のスレッドだったのだが、やがてサイト紹介が主目的となり「おすすめ・非おすすめ日記系サイト」に名称変更。
さらに「テキストサイトはここで語れ」に変わり、ここにテキスレが誕生した(
*15 )。その他には、あまり知られていない面白いサイトを紹介しあう「中堅テキスレ」や、
サイトごとのヲチスレ(主に脳死関連のサイト)があった。
まず、大手日記サイトの裏事情を語るスレとして「日記系サイトの裏事情」が誕生。第3弾の頃より、あまり有名ではない面白いサイトを紹介するという流れに。そして第4弾から「おすすめ・非おすすめ日記系サイト」と名前を変更。愛・蔵太氏降臨等により、レビューが流行。ただ、マターリ進行であった「裏事情」と比べ、自演や煽り罵倒の横行で荒れ模様気味となる。
第9弾辺りで、対象を日記系だけでなく、読み物系全般に広げようという機運が高まり、名前を「テキストサイトはここで語れ」に変更。多数のレビュアが登場してスレを盛り上げる。基本的に祭りはせずに別スレを立てるため、比較的マターリした展開で、一つの黄金時代を迎えることになる。
ネトヲチ閉鎖、再開を経て、テキスレ第5弾辺りからナフ周辺祭りが開催。それに嫌気の差した住民が各スレに散り、余儀なく縮小されることになる。まよ、信念登場の頃には相当荒れ放題となっていた。その後、話題は大手語りに回帰。反アクセス至上主義色が鮮明になっていく。その後、ニンジャワショイ、1・17事件。金子氏企画の「このテキストサイトがすごい!」支援という流れに。
テキスレ盛衰記 (アルヲ)
のちに、テキスレの話題を紹介する「テキストサイト系テキストサイト」が誕生することになる。
*15 :
調査用に私が歴代テキスレへのリンクを作成しているので、スレの中身を確認したい場合は使うとよい。
ただし、完全に消失しており『Wayback Machine』にすら残って無かったものもある。
「テキスレリンク 」
「中堅テキスレリンク 」
5.2001年 テキストサイトブーム
◆『侍魂』の登場
『侍魂』は01年1月18日に開設したテキストサイトである。
『侍魂』が初めに注目を浴びたのは2月に公開した「
ヒットマン事件簿 」。「ヒットマン事件簿」とは健氏が「家の近くの公衆電話で鉄パイプ持った知らない人から今から殺しに行くと言われた」ときの話であり、これが『兄貴の館』で紹介され、話題となった。
「ヒットマン事件簿」は黒背景に基本白文字だが、ところどころにフォントの拡大&白以外の色を使うという、いわゆる「フォント弄り(ABC体)」の文章である。
『侍魂』は
『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』でテキストサイトに目覚め、『斬鉄剣』の影響を受け、サイト開設を決意した と語っており、文章からもそれが読み取れる。
そして3月、10000ヒット記念として健氏はテキストサイト界に伝説として記録されるテキストを書き上げた。それが中国のロボット「先行者」を面白おかしく紹介した「
最先端ロボット技術 」「
最先端ロボット技術外伝 」である。
「最先端ロボット技術」「最先端ロボット技術外伝」の特徴的な点は改行の使い方にあり、
人によっては一見無駄にも見える改行の連発によって、お笑いでいうところの「間」を作り上げた。
「強弱を表現するためのフォント弄り+間を表現するための改行」これが『侍魂』の文章である。『侍魂』の計算されつくしたテキストは読者の爆笑をさそい、サイトのアクセスはうなぎ昇り。
全盛期で一日25万アクセス。メールも一日数百来ていたという。02年10月に通算1億ヒットを達成した。
この『侍魂』の影響はすさまじく、第二の『侍魂』を目指すテキストサイトが大量発生した。
◆侍魂を作ったきっかけ
一番はお客さんを楽しませたいというのがあったんですけど、その他の理由で大きかったのは、「俺ってどれだけの価値があるんだろう?」っていうのを知りたかったんですよ。
俺の周りがみんな就職活動をする中で、俺は家業を継ぐんで就職活動をしないんですよ。みんな良い会社に入るために自分を試していくわけじゃないですか。それで、内定を取れれば、その会社に初任給分の働きをするって認められるわけですよね。その時点でそいつは月給○万の価値があるわけなんですよ。
で、周りが内定を取っていく中で「俺だったらどれくらいの会社まで受かるのかな?」っていうのを試してみたかったんですよ。フワフワとした連中の「自分探し」とか「自己発見」じゃなくて、もっとシビアに「俺はいくらぐらい稼げるのか?世の中にどれぐらいの価値を認めてもらえるのか?」って。
「侍魂」の健さんに聞きました! (All About Japan [笑えるサイト] )
「先行者」を初めて見たのは、雑誌「サピオ」(2001年1月10日号)に掲載された最先端テクノロジーについての記事だった。
そのなかに「先行者」の写真が白黒で掲載されていた。これは面白い、絶対に人気を博すると直感した。あとは、このネタをどのように書くかということだ。
最初は、台湾海峡で戦争が起こったという物語を書いた。中国から「先行者」が台湾海峡を越えて台湾に渡り、迎え撃つのはアメリカのイージス艦と日本のソニー製ペット型ロボット「アイボ」で、
「アイボ」が「先行者」の股間にある中華キャノンに噛みつく、そんなストーリーだった。
しかし、どうもしっくりこない。そこで逆にシンプルに書き込んでいった。
まずロボット技術をコミカルに紹介し最後にブリキのオモチャのような「先行者」の写真を掲載し、「追いついてない、ちっとも追いついてないよ」というツッコミを入れて落とすのだ。これが成功した。
第1章 ネット史上初の大ブレイク日記(金田善裕著 個人ホームページのカリスマ)
間を表現するための改行
どういったものか説明する前に、実際の物を見てもらうほうが解りやすいため、引用する。
ある国がロボット技術の最先端をひた走る
我が日本にライバルとして参戦してきました
それは
中華人民共和国
4000年の歴史を持ち
12億の国民を従える超巨大国家
今回報じられた内容を紹介しよう
中国湖南省の長砂国防科学技術大学で
中国初の人間型ロボットを開発に成功
説明によると名前は
先行者
高さ1.4メートル 重さ20キロ
頭部 目 首 胴体 腕 足
人間と同様のパーツを持ち
さらに基本的な言語能力まで備えている と言う
中国政府直属の国防科学技術大学で開発された
まさに中国最先端技術の結晶である
これを報じた新華電社はこう言い切りました
先行者の開発により中国のロボット技術は日本の本田、ソニーの ライバルとして 最先端の先進国レベルに追いついた !!
さぁ中国政府の切り札
「先行者」の登場です!!
先行者
追いついてない
ちっとも追いついてないよ
さすが中国人
国をあげてオチ付けなくても良いのに
愉快な国ですまったく
俺もこういうの作ったことあります
夏休みの工作でな
最先端ロボット技術
(侍魂 )
上記引用文はテキストサイトブームのきっかけになった『侍魂』の「最先端ロボット技術」、その一部である。この文は文字数にして411文字なのだが、その中には「172個」もの改行タグが使われている。
この改行によって一文、一文の間に時間的間隔を空けさせる。それは会話における「間」と同じ。『侍魂』が巧みだったのは、この改行の使い方であった。
IW:「侍魂」のテキストは、独特な文体です。一般的に、してはいけないと言われる無駄な改行などが、さらに笑いを増幅していると思いますが?
健:「アンチ侍魂」を掲げる人などに叩かれることはあります。でも、伝統的なテキストオンリーのページは、伝えたいことがたくさんあって、論理的にきっちり構成できる文章には向いていると思いますが、侍魂のように「ぱっと見て気軽に笑える」文章を書くためには、演出は必要だと思います。改行で間をあけるやり方は、まさに会話における間の取り方と同じ。ネタの文章は完成していても、この「間」の計算に時間がかかってしまいます。
エッケ・ホモ! これがメガヒット級の個人サイトだ
(INTERNET Watch )
それまで日本のインターネットの歴史で、個人の日記や読み物のホームページが一日一万人の訪問者を呼ぶことはなかった。
「侍魂」は、ホームページを作ってわずか二ヶ月でその歴史を書きかえてしまった。
それは偶然でもなく、幸運でもない。数多くの読者を獲得するホームページには、作者の工夫や努力がある。
「あんまり活字を読まない人でも、あっさり読める文字量にするのが第一条件で、第二条件が、スパッ、スパッと歯切れよく落とす間です。
リズムよくあっさり読めるように、4コママンガ的に読めるようにしていったんです」
一〇分もあれば読み終える量だが、その構成を考えるのに、一週間をかけたという。練りに練り上げられたテキストが、読者を引きつけるのだ。
第1章 ネット史上初の大ブレイク日記(金田善裕著 個人ホームページのカリスマ)
◆『ちゆ12歳』の登場(VNI系)
01年2月14日に開設した『
バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳 』はオタク・サブカルネタが得意なテキストサイトである。
管理人である「ちゆ」を「バーチャルな世界にデータだけが存在する電波少女」とし、
「(バーチャル世界の住人なので)ゲップもしなければトイレにも行かない。理想的な新世紀のアイドル」と言い、さらに
サイトに描かれているちゆのイラストを「(バーチャル世界の住人なので)イラストではなく写真である」
というぶっとんだ設定に、サイトデザインはピンク色。一見すると電波サイトである。
しかしテキストの内容は濃いオタク・サブカルから政治までこなすという持っているネタの多さとそれを面白文に加工する技術に長ける実力派で、『裏ニュース』『
TECHSIDE 』『ムーノーローカル』からのリンクにより一躍有名となった。
そして『ちゆ12歳』と同じサイトデザイン(ちゆフォーマット(
*16 ))を用いた「量産型VNI」と呼ばれる模倣サイトが大量発生することとなった(
*17 )。
代表的な量産型VNIとしては『ちよ74歳』『バーチャルネット一般人無双』『
TBN 』
『
バーチャル2ちゃんねらー裕子 』
『
バーチャルネット・ラウンジャーもなみ9歳 』
『
バーチャルネットAA描き・チェき14歳 』
『
バーチャルネットストーカー・ヨシミ22歳 』
などがあげられる。ちなみに「VNI四天王」という言葉があるが、これは『ちゆ12歳』と量産型ではないVNI
『
777's LoopLight'sLoom 』
『
ウロンのひとりごと 』
『
米 』
の4サイトを指す。
◆テキストサイトブーム ― テキストサイトの活況と模倣サイトの大量発生
『侍魂』と『ちゆ12歳』の登場はテキストサイトを知らなかった人にテキストサイトの存在を知らしめた。
大量のアクセス数を誇るこの2サイトと一足作に有名になっていた『ろじっくぱらだいす』。この3サイトに引きづられる形で他のテキストサイトもアクセス数が増えていき、
テキストサイト界に好景気が訪れるのである。そして、第二の『侍魂』、第二の『ちゆ12歳』、第二の『ろじっくぱらだいす』を目指す模倣サイトが発生した。「読者の急増」と「サイトの急増」、こうしてテキストサイトブームが訪れた。
「『侍魂』『ちゆ12歳』『ろじっくぱらだいす』のように注目を浴びたい」
『侍魂』の模倣サイトは『侍魂』と同じように「フォント弄り&改行」を多用し、『ちゆ12歳』の模倣サイトは『ちゆ12歳』と同じサイトデザインを用い、
『ろじっくぱらだいす』の模倣サイトは自虐系日記を書いた。
しかし、模倣サイトの多くは『侍魂』『ちゆ12歳』『ろじっくぱらだいす』のように面白い文を書くことが出来なかった(
*18 )。
「フォント弄り&改行」の真の意味を理解せず、形だけ真似した文。知識がないのにサブカルネタ。自虐系日記を書いても自分だけ身内だけが面白いと感じる文。
ある程度の文であれば義務教育で書かされていることもあり、経験がある。だから「テキストサイトであれば自分にも出来る」、模倣サイトそう思ったのだろう。
しかし、そうではなかった。面白い文を書くにはセンスや知識が必要、しかもほぼ毎日更新しなければならない。
テキストサイトは一見簡単に見えて実は難易度が高く、多くの模倣サイトは模倣元のように大人気になることはできなかった。大人気どころか弱小サイト止まりであった。これはサイト管理人本人の能力の問題である。
しかし、一部の人はそれを認めることができない。それを認めてしまうことは自分を自分で否定することだから。ここにスキがあった。
このスキをついたのが「アクセス至上主義」である(
*19 )。
「まずは、サイトの構成からだね。僕はテキストサイトを作りたいから、出来るだけ軽くシンプルな構成にして…」
「ちょっと待て。ここはニュースサイトにしておけ」
「へ?何で??僕は、テキストを書きたいんだけど」
「ニュースサイトでもテキストはかける。Hit数を稼ぐのに重要な要素として、『安定して面白い話題を提供する。毎日更新が望ましい』。『色々なサイトにリンクされる』のなどがある。これらの要素はテキストサイトよりもニュースサイトのほうが満たしやすいのだよ」
「僕は、テキストの溜め込みもあるし、内容にも自信があるよ。だからテキストサイトでいいじゃない」
「そこが甘いんだよ。ほとんどの大手日記サイトは、最初こそ質の高いテキストと素早い更新頻度で一気に注目を集めていたが、数ヶ月もすると、クオリティも更新量も目に見えて衰えてくるだろうが。ほとんどの大手テキストサイトってのは「笑い」を中心として人気を集めている。だが、「笑い」というのはあまりにも感性に依然する部分が大きい(だから、才能が重要なんだ)ために、あっという間に才能が消費尽くされちまう。漫画界には『ギャグ漫画家は2年で潰れる』という格言があるのもそのためだ。月刊や週間で書いてるプロが2年足らずで才能が枯渇してしまうのならば、毎日のように更新を繰り返す素人があっという間に才能がなくなるのは自明の理だろう?」
ニュースサイトの作り方2(荒廃の歌)
*18 :
言うまでもないことではあるが、もちろん模倣サイトのなかにも良質なサイトは存在する。ただし少数であった。
*19 :
発生過程についてはこちらにも書かれている⇒アクセス至上主義発生過程
(またたびきゃんぱす )
◆『斬鉄剣』vs『無題』
『侍魂』活躍の恩恵を一番に受けたのは『斬鉄剣』であろう。『斬鉄剣』は「ランク制リンク制度事件(
*20 )」によって影響力を失い、更新停止となっていたが、
『侍魂』が「『斬鉄剣』から影響を受けた」と語ったことで『斬鉄剣』は影響力を取り戻した。
01年3月、『斬鉄剣』復活。しかし、一部のサイトは『斬鉄剣』が過去に行ったことを忘れていなかった。
4月、『斬鉄剣』に罵倒されたことのある『無題』が『斬鉄剣』の復活に気づく。
4月16日 (月)
■斬鉄剣がひそかに復活してるぞ! 気をつけろ! (←なぜパクリ?)
しっかしこの男、相変わらず自分棚上げ芸の達人だなァ。ヘタレの分際で語るなよ。たとえナミ様が忘れようと無かったことにしようと、私は忘れませんよ? 斬鉄剣の過去の所業は。
卯月(無題 )
こうして『無題』は斬鉄剣批判を開始。『斬鉄剣』が言及したことに対し、次々と反論を展開した。
このことが原因で『斬鉄剣』と『無題』は揉め事の火種を作っていき、「1・17事件」に繋がっていくことになる。
■私と斬鉄剣の関わりを述べれば、斬鉄剣が私の掲示板にリンク報告をしてきたのが最初のきっかけ。
んで、リンクしてくれたんならってことで特に何も考えずに相互リンクに。もっとも、あんまり面白いサイトじゃなかったので、「斬鉄剣風に言うなら『と金』かな?」(注:「と金」は斬鉄剣のランク制リンクの階級)…というコメントをつけた所、気に入らなかったのかなんかいろいろ言及されたりした。
で、その後まるるん事件と並行して斬鉄剣ランク制リンク事件が勃発。そこでの場当たり的にコロコロ変わる対応や、ログさえ残らないんだったら何言ってもいいや的な言動、嘘臭い上辺だけの綺麗事連発の謝罪にうさん臭さを感じ、まるるん事件の資料として入手したチャットログを読んで、斬鉄剣に対する疑惑と嫌悪が決定的に。ICQに登録して会話を試みるも、速攻無視リスト行きを喰らう。(チャットで斬鉄剣をQ登録している人間複数で照合した結果なので確かな事実。「無視リスト行きはねーだろ」って突っ込んだら、「そんなことやってません」って強弁された。嘘つき)
その後、斬鉄剣とは距離を置いていたのだが、斬鉄剣の議論掲示板なる場所でくぼ様が遊んでいたので、私も参加。…してみた所、あっさりと「ここは議論ゴッコをする所です!」って悲鳴を上げて、議論掲示板閉鎖。
そして、ランク制リンク以降、各サイトに総スカンを喰らって日記系に居られなくなったナミ様が斬鉄剣を閉鎖。その後こっそり立ち上げた、「至誠天ニ通ズ」というサイトのテキストで、名指しもリンクもせずにあてこすられ罵倒されるという屈辱を受けたのをきっかけに斬鉄剣と本格的にやり合うことを決意するも、ほどなく新サイトも閉鎖。怒りのやり所を失う。
…と思ったら、「侍魂」ブレイク現象に乗っかって、「あの侍魂が影響され師と崇めるサイト」として、どさくさに紛れて復活。過去のことを無かったことにして(一応テキストで過去について言及して反省しましたって態度取ってるけどあんなもん嘘っぱちだ)、侍魂以降の素人相手に「伝説の名サイト」扱いされ、権威として君臨。信者やシンパが多数増殖し、超大手サイトとして影響力を持ち出す。そして、その権威を武器に自分好みのサイトを掘り出しアクセスを流し恩を売り、一大派閥を形成。「テキスト系のご意見番」として崇め奉られるというクソったれな状況が発生。
それで私は、「斬鉄剣」みたいなクソ外道が権威として崇められる現状は最悪だと思うので、この現状を打破すべく斬鉄剣批判を展開することとなった……というのははっきり言って建前であり大義名分。本当の理由は私怨であり私情であり義憤。即ち、個人的感情の産物。…なので、私の斬鉄剣批判はあんまりアテにしない方がいいです。
VS 斬鉄剣・1(無題 )
*20 :
『斬鉄剣』が99年10月に始めた「ランク制リンク制度」という、相互リンクの申し込みをしてきたサイトに対しランク付けしてリンクする制度があるのだが、申し込んできたとあるサイトに対し「糞」とランク付けし、TOPページで馬鹿にした事件のこと。
この『斬鉄剣』の行き過ぎた行動に対し、他サイトから抗議の声があがったが『斬鉄剣』は謝罪というより喧嘩を売っているというほうが近い謝罪文をのせ、相手を挑発。
結果、斬鉄剣批判の声が大きくなっていき、相互リンクサイトは次々と『斬鉄剣』へのリンクを削除していった。
詳細については次の文を参考のこと⇒「皆も同じ事言いたがってたんだろ? 」
「斬鉄剣のクサれた歴史 」
◆アクセス至上主義
「アクセス至上主義」とはサイト運営においてアクセス数を最も重要視し、そのためには手段を選ばず行動する考え方のことである。
主に「侍魂以後」世代のテキストサイトに支持された。
アクセス至上主義の中心的サイトであった『堕落誌』は、自らが立ち上げた『アクセス至上主義WEBリング』においてこう書いている。
アクセスを求めること=格好悪い、という風潮を変えていきませんか。
アクセスが欲しいと思うことって全然普通です。理由なんていりません。
アクセスが増えて、管理人が嬉しいならそれでいいじゃないですか。
アクセスを楽しく増やしましょう。
アクセス至上主義WEBリング
文章を公開するからには多くの人に読んでもらいたい。そういう考え方が出てくることは自然である。
そもそも『侍魂』はアクセス数を重要視しており、
その子どもである侍魂以後世代がアクセス数を重要視するのは当然であると言える。
しかし、アクセス至上主義の場合はコンテンツの向上といった根本的な解決作の他に、「大手サイトにメールを送る」などの小手先な手法を用いた為、
他のサイトに迷惑をかけることがあり(
*21 )、非難の対象となった。
アクセス至上主義の巧みだったところは、アクセス数が少ないサイトの原因を「テキストの出来が悪い(管理人の文章能力が低い)」よりも、「サイト運営のやり方、文章の公開の仕方に問題がある」としたところにある。
「侍魂以後」世代のテキストサイトには「自分も『侍魂』『ちゆ12歳』『ろじぱら』程度の文なら書ける」と思ってサイトを立ち上げた人が多いため、
「テキストの出来に自信をもっている」場合が多い。そんな彼らに「アクセス数が少ないのはテキストの出来が悪いから」と言っても聴いてもらえず、「アクセスしてもらうには、リンクをもらわないとダメ。リンクをもらう方法がありますよ。」
と言ったほうが支持される。アクセス至上主義は人の心の弱さを突き、一部から支持を受けた。
*21 :01年11月におきた出来事が有名。『堕落誌』がアクセス数増のために、自分のサイトの読者を使って大手サイトの管理人宛に『堕落誌』の推薦メールを送らせるという企画を行ったのだが、
メールが送られたサイトの1つ『LINE ON』は「他所に迷惑がかかるようなことは止めろ」と『堕落誌』に苦言を呈した。しかし『堕落誌』は黙殺。
その頃、『堕落誌』は「バーチャルネットアイドルマジカルゆみ11歳」の中で 「大手の人=人間的な魅力に溢れた人じゃないですから。たまたま運と偶然にちょっとした文章力が重なってアクセスを稼ぐようになっただけ。たまたま人より早く日記サイトを開設したという幸運に恵まれただけです。」と書いた。
これに対し『LINE ON』は「そういう自分は大手サイトのおこぼれアクセスを目当てにしていたのを忘れたんでしょうか。わかってんのか、塾憂。」とさらなる苦言を呈した。
『堕落誌』は開き直りととれる文で返答したものの、この『堕落誌』vs『LINE ON』の揉め事により『堕落誌』は各所から非難されるようになり、閉鎖となった。
詳細は次の文章を参照⇒「塾憂とLINE ON (仁騒動 記録・検証サイト )」
「堕落雑〜塾憂〜ってウザイ 」
先月の下旬に「個人ホームページのカリスマ」という本が発売されたのをご存知でしょうか?個人で運営されていながら膨大なアクセスを得ているサイト及びその管理人を紹介している本です。14のサイトが紹介されている中で、一番始めに紹介されているのが健さんの侍魂です。ボク自身はあまり健さんに対して興味を持っていないので、今まで彼のインタビュー記事等を読んだ事はほとんど無かったのですが、この本を読んで思った事が2つかあります。
まず一つ目に、彼は侍魂を運営しようと思った動機が「自分の力でどれだけアクセスを集めることができるか試したい」というものであったという事です。これは侍魂の大ヒット後のアクセス至上主義につながる部分があるのではないでしょうか?侍魂に影響を受けてサイトを開設した人の多くが、アクセスを集める事を第一の目標としていた事の原因の一部がここにあるように思われます。
NIKKI LOGS 200206a
(YUMEGIWA LAST BOY )
アクセス至上主義と称されるものが何故批判を受けるのか。
基本的には、そりゃアクセス数は多い方がいい。特殊な場合をのぞいては、多くの人はそう考えているのではないだろうか。
僕もその例外ではなく、単純に増えたら嬉しいし、減ったら寂しい。
しかし、問題はアクセス数を増やす事自体を目的としてしまう場合だ。
これは何も今に始まった病気ではないが、近年のテキスト人口爆発に伴って増えてきた奇病の一種である。
患者の特徴は、アクセス数をただ単純に「数字」として捉えている所にある。
アクセス数というのは、数字であって数字でない。その一つ一つは、インターネットを通して、端末の向こう側にいる一人一人の人間がサイトにアクセスし、文章を読んでいる事を意味している。
結局、そこの所に頭が回る程度の想像力を持っているかどうかが問われているのだ。
歪んだ自己顕示欲にもとづく動機から、オッペケ大手サイトに「掘り出し物」リンクされちゃった初心者サイトの中には、自分を見失ってしまう人もいる。そりゃぁ突然アクセス数が100倍になっていたりしたら、頭が茹だってしまっても仕方ないが。
ただ、それで増長して「テキストサイトは、アクセス数を増やすゲーム」などとのたまうのは、相当に失礼な事であるのは自覚しておいて欲しい。
誰に対して失礼か?言うまでもなく、自分のサイトを見てくれている読者に対して、である。
「アクセス数ばかり気にしやがって」と叩かれているのではない。作品を数値化しないと判断できない鈍さと、人間をただの数字としてしか見ない傲慢さとが、人を不愉快にさせるのだ。
そんな低脳サイトを喜んで見ている人達も、よく考えた方がいい。お前ら、ナメられてんだぞ?
このサイトも、最近随分と「アクセス数」が増えたけど、僕は常に意識的でありたい。
端末の向こう側で、毎日能動的に99式にアクセスしてくれる人の事を。たまたま通りがかった人の事を。メールを送ってくれる人の事を。掲示板に書きこんでくれる人の事を。僕は、読者の一人一人に向かって、届く言葉で、あなたに何かを伝えようとして毎日文章を書いている。
僕は、数字が欲しいのではなく、読者が欲しいんだ。
偽善と言われようと構わない。しかられたって、かまわない。日記を書いていくとー(決めたー)なのにー(アクセス増が)急じゃ)ー怖いー
アクセス至上主義とは何だったのか
(九十九式 )
◆アクセスアップ論・テキストサイト論の流行
01年8月、『
かまくら 』は「
さくらとちぃのテキストサイト論 」の連載を始める。
これは(オフ会の話に偏っているが)テキストサイト界のことについて書いたテキストである。
さらに、アクセス至上主義にからみアクセスアップのための具体的手法を書いた『堕落誌』の「アクセスを増やす裏技外伝」。
これらのテキストにより、テキストサイト論・アクセスアップ論の話が連鎖的に広がっていき、01年後半から02年前半にかけて多くのサイト論・アクセスアップ論テキストが書かれる事となった。
代表的なものとして、上記2テキストの他に、
「
ほめことぱげこのテキストサイト論 (
かまくら )」
「荒廃の歌・特別編(荒廃の歌)」
「お父さんのためのテキストサイト講座(鞠棚)」
「アクセス考(面会謝絶)」
「テキスト界成り上がり講座(宇佐教授の無駄学研究室)」
「テキストサイト作成論、
サイトの構成 、
ホームページとは? (
斬鉄剣 )」
「
テキストサイト界近況 (
BlackAsh )」
「
日記系概況<2001年度春-秋> (
偽黒武堂の三国志探訪 )」
などが挙げられる。02年7月に発行された書籍「テキストサイト大全」はテキストサイト論の集大成と言えるだろう。
また、テキストサイト論の流行に伴って揉め事が発生した(
*22 )。
*22 :例えば『斬鉄剣』と『G∽FORCE』の間で発生した揉め事がある。『斬鉄剣』が書いた「テキストサイト・時代の流れ 」に対し、
『G∽FORCE』が「なぜ、アンチ斬鉄剣なのか?」において『斬鉄剣』の問題点(論理のすり替えによる見解の正当化など)を上げ、「斬鉄剣のナミって人は、もうちょっと物事を客観的に見れるようにならないとダメ」と書く。
これに対し、『斬鉄剣』は「理論と思い 」の中でオススメリンクの名を借りた『G∽FORCE』潰しを行った(いわゆるネガティブアクセス剛掌波)。
『G∽FORCE』は『斬鉄剣』からきた人たちによって掲示板を荒らされ、テキストサイト界からの撤退を決意した。
6.2002年 脳死、猛威を振るう
◆重要サイトの閉鎖・更新停止による活力の低下
01年10月、痛い系サイトの中心にいた『兄貴の館』が02年3月一杯で終了すると発表。
『裏MIZUHAの憂鬱』は、これまでの感謝とお別れの意図を込めて出来るだけ多くのサイト運営者で兄貴を見送ろうという「
アニキまつり 」を企画。
3月21日、170個のサイトの背景が『兄貴の館』でおなじみのマッチョな男がポージングをしている画像となった。3月31日、『兄貴の館』終了。
『侍魂』は01年後半から徐々に更新頻度が下がっていき、健氏が社会人となった02年には更新がまれとなる。
『ちゆ12歳』も02年から更新頻度が下がっていく。9月、『ちゆ12歳ポータル』を開設し、「ちゆネット(ODNの「まるごとプラス」+ちゆドメインのメールアドレス)」「ちゆショップ(携帯電話に張るシール、マウスパッドを販売)」などの商売に乗り出したが話題にはならず。肝心な更新頻度は下がったまま。
界隈を牽引してきた中心的サイトの影響力低下は、快進撃を続けるテキストサイト界に陰を落としていく。
◆脳死とテキテキサイト
01年の『斬鉄剣』vs『無題』、アクセス至上主義、そしてアクセスアップ論・テキストサイト論の流行。こうした「自分の考えを高らかに主張する」流れは論争の火種を生むこととなる。
02年の傾向として「自分の考えを高らかに主張し、かつ他人への迷惑を考えない」、そんなサイトが幾つかの揉め事を引き起こした。
@脳死
テキストサイト界でいうところの脳死というのは、「迷惑行為を行うテキストサイト」に与えられる称号である。
一部テキストサイトの行動・発言が周りのことを考えていないことから、「思考が停止しているとしか思えない」として脳死と呼ばれるようになった。
「脳死スレ」のテンプレを以下に引用する。
☆『脳死レンジャー』って何?☆
ネットの公共性をわきまえない言動をするテキストサイト管理人を
「脳が死んでいるとしか思えない」ので「脳死系」と呼ぶ(参考・テキストサイト大全)。
具体的にはネットバトルを仕掛ける、他サイトを誹謗・中傷する、閲覧者の信頼を裏切る、
アクセス数やネゲットを目当てに迷惑な行動を取る、他所のテキストをパクる、
他所の掲示板に電波文を何度も投稿する、などが脳死的行為に該当する。
「脳死系」のうち、問題行動を継続的に続ける、面白いほど間抜けである、
自意識が強くツッコミを流せない、などの理由で、
長期的観察対象になり得ると認定された管理人が「脳死レンジャー」である。
古参サイト・有名サイトでも状況次第で脳死レンジャー認定することがある。
ただし大物すぎて扱いきれない(例:温帯)、テキストサイトに関わってこない(例:ぷららん)、
などのようなものは脳死レンジャー認定対象外である。
☆『脳死ライダー』って何?☆
かつて「脳死」とは、「無題」管理人マサムネと戦う者たちの総称であった。
彼らは脳が死んでいるとしか思えないほど馬鹿であるがゆえ脳死と呼ばれ、
個性豊かにして愚かで迷惑な言動を披露して散っていった。
しかしマサムネの失墜と共に、時代は脳死同士で戦う脳死バトルに突入。
これに伴って「脳死」の定義も若干変化した。
現在ではネットの公共性をわきまえない言動をするテキストサイト管理人を「脳死」、
そのサイトを「脳死系サイト」と呼ぶ。(参考・テキストサイト大全)
具体的には自サイトに揉め事の種となる文をアップする、他サイトを誹謗・中傷する、
他所の掲示板に意味不明な怪文を何度も投稿する、他所のテキストをパクる、
その他アクセス数やネゲットを目当てに迷惑な行動を取ることなどが脳死的行為に該当する。
「脳死」のうち、ろくなアフターフォローもないまま問題行動を継続的に続ける、
面白いほど間抜けである、自意識が強くツッコミを流せない、ほほえましい、などの理由で、
長期的観察対象になり得ると認定された管理人が「脳死ライダー」である。
古参サイト・有名サイトでも状況次第で脳死ライダー認定することがある。
ただし大物すぎて反応を楽しめない(例:温帯)、
そもそもテキストサイトに関わってこない(例:ぷららん)、
などのようなものは脳死ライダー認定対象外である。
1.まったくもってまとまりのない集団
2.脳死レンジャー
3.基本的に色で識別される。個別には魚類だの繊維だの蟲だのアシカだの麻雀牌だのいろいろ
4.20代が多かった
5.2002年1月17日(1.17事件)〜
6.関連各サイトの掲示板、チャットに波及
7.初期に関しては「脳死力研究所」跡地が詳しい。
8.「侍魂」のブレイクで一躍ブームになったテキストサイト。
数多くのテキストサイト管理人を産み出したが、その中で
アクセス数稼ぎや売名目的でほとんど理論武装もせず、主に古参サイトに
論戦をふっかける管理人達が現れはじめた。
彼等を評して「脳が死んでいるとしか思えない」。すなわち「脳死」。
文中リンクでの罵倒合戦、掲示板やチャットへの突撃、脳死内での内ゲバなどなど
しばらくの間バトルロワイアル状態が続いたが
「脳死」という言葉をはじめて使った「無題」マサムネのオフラインのトラブルによる失脚、
「仁」という脳死を超えた存在の出現、言及サイトおよび「ダークマター」の閉鎖などが重なり、
糸の切れた凧状態に。そして昨年末「斬鉄剣」も更新停止。
特に多かったのが「後のことを考えずにとりあえず喧嘩を売る」行為である。
02年だけでも「1・17事件」「魚類の乱」「ヒールというかフール」「斬鉄剣vs旅打ち日記騒動」「仁騒動」(
*23 )といった揉め事が起き、その主犯は脳死認定された。
*23 :各揉め事について書いておくが簡単に書いただけなので、詳細については資料を参照すること。
「1・17事件」:
『斬鉄剣』と『無題』との論争に『無情な日常』が割って入り、『斬鉄剣』擁護の発言を行う。さらに『無題』の掲示板に乗り込み、挑発した。それに対し『無題』は「はあ? 貴様は正真正銘ホンモノの白痴か。だったら黙ってろ。中途半端な理解と覚悟で口を開くな。不愉快だ。」と一喝。『無情な日常』は謝罪することとなった。
資料:1・17事件
「魚類の乱」:
『鯛ページ』が『斬鉄剣』批判の文を載せる。その文中で「誹謗中傷が好きな方は素敵なわんちゃんのサイトへ行って下さい」と書き、『ケルベロス』を軽く煽った。コレに対し『ケルベロス』が反撃し言い争いになった。この「魚vs犬」の争いを見た『無題』はこの争いを低レベルと評す。すると、『鯛ページ』は矛先を『ケルベロス』から『無題』に変え、「貴方は脳が不自由ですか?」等と煽る。その後も『鯛ページ』は『無題』を罵倒した。やがて『鯛ページ』の自分勝手な発言に対し鯛批判を行うサイトが増えていき、鯛包囲網が出来上がると、『鯛ページ』は自分の発言が「すべては計算尽くのネタであった」と言う事にして大逆転を狙ったが流石に無理であり、 3月31日に『鯛ページ』はサイト閉鎖を宣言、謝罪した。
資料:魚類の乱
資料:YOU IS A BIG FOOL MEN > 鯛
「ヒールというかフール」:
『戦意』は『無題』に対し「現実で他人に言いたい事を言えないヲタが匿名性の高い空間でいびつなゴシップを撒き散らしている」と評し、『無題』へのリンクを貼った。これに対し『無題』が反撃すると、ひまわりは謝罪になっていない謝罪文を載せた。だがその後も『無題』への罵倒を行った。これによって『斬鉄剣』等から非難されると『戦意』は『無題』に対して再び謝罪した。だがまたも『無題』を挑発し、さらに魚類の乱で『無題』に敗れた『鯛ページ』を擁護。リンク集をリニューアルした際にはコメントで『無題』や『斬鉄剣』を煽る。さらに『クロユリ』に対しネガティブアクセス剛掌波を発動。『斬鉄剣』を「珍鉄剣」と言い煽るなど謝罪と煽りを繰り返した。
資料:ヒールというかフール
「斬鉄剣vs旅打ち日記騒動」:
『旅打ち日記』が『斬鉄剣』にネガティブコメント(楽しみ方としては、アホ加減を薄ら笑いしよう。脳みその中身が見てみたい)付きリンクを貼る。これに気が付いた『斬鉄剣』が「舐めくさったリンクコメント書いてんじゃねーよこのバカタレが」と怒りをあらわに。『旅打ち日記』はリンクコメントを変更した。
資料:斬鉄剣VS旅打ち日記騒動
「仁騒動」:
『仁さんの徒然草』が「LINE ON vs 堕落誌」に何故か乱入。
『堕落誌』を擁護し、『LINE ON』を餓鬼、精神病的などと罵倒。だが『仁さんの徒然草』はすぐに方針変更し『堕落誌』を批判する。この『仁さんの徒然草』の変わり身を『ダークマター』が取り上げると『仁さんの徒然草』は『ダークマター』まで批判。この様子をじっと観察していた『LINE ON』は8月10日、『仁さんの徒然草』に対し、「人の事を餓鬼だの精神病呼ばわりした日記に対する責任を取れ」と要求した。これに対し『仁さんの徒然草』はメールで『LINE ON』に謝罪したが、『LINE ON』は「サイト上で悪口を書いたのだから謝罪文もサイトに書くべき」「責任取るつもりがあるなら、行動で納得させて下さいよ。私を」とサイト上での謝罪を要求した。『仁さんの徒然草』はサイトに謝罪文を載せたものの言い訳がましく、あまり謝罪文とは言えない謝罪文であった。その後『仁さんの徒然草』は『LINE ON』の掲示板に自分勝手な書き込みを行ったことで『LINE ON』のさらなる怒りを買う。『LINE ON』は「仁氏とのコミュニケーションは何一つ実らない。よって今後は停止する」とし、『仁さんの徒然草』を黙殺することにした。
資料:仁さんの徒然草(JIN's ESSAY.)騒動記
資料:脳死史上最悪の男、仁
Aテキスト系テキストサイト
脳死関連の揉め事は、その多くが『アルヲの独り言(あるヲッチャーの独り言)』のアルヲ氏によって記録に残された(
*24 )。
『アルヲの独り言』を創始とした「テキストサイト(テキストサイト界の出来事)をネタにしたテキストを書くサイト」が現れる。それが「テキスト系テキストサイト(通称:テキテキサイト)」(
*25 )である。
代表的なサイトとして『
ダークマター 』『
Text Cicle 』『
YUMEGIWA LAST BOY 』
『Target capture』『ねとながめ』『
off topic 』『
迎賓館裏口 』『
てらたまテキストサイトニュース 』などが挙げられる。
*24 :アルヲ氏が書き残したものは『脳死ログ 』にある。(アルヲ)となっているものがそれ。
*25 :この言葉の起源は不明だが、『ダークマター』の濁氏は「テキストサイト系テキストサイトという言葉を、最初に言ったのは私だった気がしますが、実際の所どうなんでしょうか」と言っている。
◆サイト批評サイトの登場と挫折
テキストサイトブームが起き、テキストサイトが大量発生すると「埋もれ問題」が発生した。
「埋もれ問題」とは、良質の若手サイトが登場しても大量に発生した低質サイトの中に埋もれて目立つ機会を得られくなり、
結果として大手サイトの顔ぶれが何時までも変わらず、界隈が活性化されないという現象である。
最近、テキストサイトやニュースサイトが乱立しています。これは、テキスト界が活性化しているということで大変喜ばしいことですが、同時に一つ個人的な心配事があります
それはかつてのゲーム業界の、「アタリショック」と同等のものがテキスト界に津波を起こさないかという事です
言うなればゴミ(失礼)に埋もれてしまって、真に素晴らしいサイトが人の目に触れずに消え去らないかと言う事と、カス(失礼)サイトだけを頻繁に目にした閲覧者が「テキストサイトなんて面白くない」と判断して去ってしまわないかということです
荒廃的なお知らせ(荒廃の歌)
これに対し、埋もれている良い若手・中堅テキストサイトを発掘しようという気運高まり、サイト(テキスト)批評(レビュー)サイトが多く登場するようになった。
代表的なものとして『
このテキストサイトがすごい! 』『中堅テキスレレビュー 』『デマゴーグ』『Free Fisher』『earth aspic』『
テキ通 』『キングギドラ』等があげられる。
そのほか、『アルヲの独り言』内の「中堅サイト厳選リンク集」や『荒廃の歌』『我思う、故にラーメン』『ルミ姉さんと一緒(;´Д`)ハァハァ』もレビューを行っていた。
批評サイトは「テキストサイトをネタにしたテキストを書くサイト」であるから「テキスト系テキストサイト」の仲間として扱われる場合がある。
『侍魂』の登場以後、大量の低質模倣サイトが発生したことは問題視されており、
「本当に面白いテキストサイト」を外部の人間に見てもらえるような仕組みが必要であった。
批評サイトのなかで特に期待されていたのがテキスレ発祥の『このテキストサイトがすごい!』であろう。中心人物の金子氏はテキスレ12にて現在の問題点を述べ(
*26 )、そして新たな批評サイトの構想を練る。
金子氏の頭にあったのは「このミステリーがすごい」のテキストサイト版であった。
メインコンテンツのテキストサイトランキングでは評するに値するレベルに達した20人程の評者を用意しテキストをキチッと読んだ上で投票により決定される「評者投票制システム」を採用することで、ランキングの信頼性を確保。
他のサイト批評サイトとは一線を画すものであった。
603 名前: 名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日: 02/01/19 08:56 ID:c/XNp4GR
デゴマーグのろじぱら批判に関して言えば、確かになにかの専門系じゃなくて、
日記系サイトなら俺でもできそうだなという人間を大量にサイト管理の方向に
走らせてしまい、結果糞サイトが増大したという責任はあるけど、あくまで
不作為の責任なので、それに対してどうこういうのは酷。あからさまに客に
嫌われるようなことなんかいってもメリットは何もないわけだし。
やはり、日記系に人を大量に流れ込ませた「侍魂」が諸悪の根源かと。あそ
こが「斬鉄剣」をリスペクトしていなければ、塾憂も宇佐も最初からなかっ
たようなもんだから、ここまで低質化することはなかった。
ただし、「侍」がなくても、遅かれ早かれこういう問題は出てきていたと思
う。一昔前の日記系のように、ハイレベルな管理者が凌ぎを削る、という状
況はもう出現しないし、そういう状況を出現させたいのなら、ある程度自分
らでコミュニティを閉じて部外者を締め出せばいいと思う。
604 名前: 名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日: 02/01/19 10:32 ID:/HbZiQaW
>>603
松田っぽい考えだな。
かつての「ハイレベルな管理者が凌ぎを削」っていた時代に
今ほどの大量の読者が流れ込んでいたとしたら、
結局はそれらハイレベル日記の模倣サイトが乱立していたに違いない。
だけどハイレベル管理者はそんなことには動じなかったろうよ。
侍魂は確かに日記系に大量の読者を引き込んだし、
斬鉄というクソをリスペクトしていたためにクソ模倣サイトが結果として増えた。
だけどこれって悪でもなんでもないだろ?玉石混交で全然いい。
それを悪だと言うならデマゴーグと同じ視点だ。
クソがどれだけ増えようともろじぱらは我が道を行っている。
「どこそこのせいでクソが増えて困った」とか言ってる暇があるなら
ろじぱらみたいにクソはほっといて自分のテキストを書くべきだ。
誤読者が増えるとテキストサイト全体の質が落ちるっていう松田の論理は
確かに正しいが、コミュニティを閉じてまで質の維持を図る必要性はないだろ。
ろじぱらも侍魂も模倣者に説教垂れる必要は全くない。
よって、これは>>603批判ではなく松田批判でありデマゴーグ批判だ。
606 名前: 603 投稿日: 02/01/19 11:15 ID:0vp6x9N/
>>604
自分もまったく現状を非難する気はないし、コミュニティを閉じる
必要もないし、遅かれ早かれこういう状況になっていたと思うので、
概ね同意。実際、ハイレベルな「ちゆ」を模倣した糞のようなサイ
トが現在乱立をはじめている。パソコンの発達、インターネット人
口の増大により、ウェブサイト開設の敷居が下がり、レベルの低い
管理者が大量流入した必然の結果。貴方とはいい意見交換ができそ
うだから、もう少し続けます。
玉石混合という言葉が出たついでに書くが、現在はそのバランスが
異常なまでに偏っている。つまり、玉が圧倒的に少ない。理由とし
ては、今まであげた理由もあるが、玉を捜すのが極めて困難、とい
うこともあげられる。
また、たとえいいテキストを書いていても評価されるとは限らない。
誰にも見つけられずに消えていった素晴らしいサイトを幾つも知っ
ている。
人は少なからず評価を求めているものだから、気合入れてテキスト
を書いていても放置ではやる気がなくなるというもの。
607 名前: 603 投稿日: 02/01/19 11:16 ID:0vp6x9N/
現在は大手サイトによる掘り出し物リンク、「ちゆ」のニュースリ
ンクという形で、それらが幾分か解消されるようなシステムになっ
てはいるものの、完全には程遠いゆえ、「斬鉄」のように管理者の
感性が歪んでいる場合、どうでもいいサイトが大手面をはじめると
いう悪夢のような状況が発現する。
これを解消するためにはどうすればいいのか。ホソキンが事実上倒
壊し、猫、まよが死亡した今求められるのは、複数の人間が行う
サイトレビューサイトなのではないか。それも、40人、50人単位
で行う一言レビュー、簡単に言えば「このミステリーがすごい」みた
いなものをテキストサイトにそっくり移行することは出来ないか、
と考える。
それを行える媒体はどれか。ここだ。テキスレだ。ある程度テキスト
サイトを読み込んでいる人間が揃っている。人数もいる。
テキスレ読者で、サイトレビューサイトを立ち上げてみないか。テキ
ストサイト界に、面白いものが勝者になるというシステムを構築して
みないか。
というお話。どうざんしょ。
■■■テキストサイトはここで語れ(その12)■■■
第一回のテキストサイトランキングでは一日に4000ヒットのアクセスを記録し、注目も高さを裏付けるものであった。
しかし、2回、3回と行うにつれ問題も発生した。20人程の評者を抱えるため金子氏ではその統制が難しく、最初は高かった評者のボランティア精神は時間の経過と共に薄れ、多忙を理由に作業を行わなくなっていった。
結局、4回目は行われずに『このテキストサイトがすごい!』は終了。金子氏は「
このテキ反省文 」を書き、『このテキストサイトがすごい!』を踏み台にした有益な批評サイトが登場することを願ったが結局それは登場しなかった。
サイト批評サイトは『このテキストサイトがすごい!』に限らず、その殆どが数ヶ月という短命に終わった(長く続いたのは『ホソキンズ ルゥム』のみ)。
理由は色々考えられるが
・「サイト批評サイト」は裏方であり、批評する人は多大な労力の割りに得るものが少ない(得るものより失うもののほうが大きい)
・他人のふんどしで相撲を取ってると言われることが多い
・批評するからには自らの批評について批評(あるいは非難)されることが避けられない
などによりモチベーションの維持が難しいことがあげられるだろう。
ただし、同じ「発掘する」という目的でも、批評ではなく「紹介」という方法では『
テキスタイルポップ 』という成功例がある(
*27 )。
*26 :私が「『このテキストサイトがすごい!』開設の経緯 」にまとめてある。
*27 :登場時期の遅い(03年開設)『テキスタイルポップ』には、「批評サイトではありません。世の中いろんなサイトがあります。
こんなサイトがあるよー、という紹介をしていきたいと思います。言及とか興味ないです。オールポジティブアクセスが目標です。」とわざわざ書いてある。
後発サイトだけあって前例から学習しているということだろう。
「このテキ」の評者はだいたい20人でした。
評者は毎月、20程度のサイトを読み、それを順位付けすることでランキングが決定されます。
当初はほとんど100%の人が、期限内に投票を提出していたのですが、2回、3回と重ねるごとに締め切りが守られなくなり、投票率も下がってきます。
その理由として主に挙げられていたのは、「多忙」というものでした。
多忙という理由の裏には、このテキの活動が生活の優先順位の中でかなり下にあることを意味します。
「このテキ」の評者活動を支えていたのは、「テキストサイト界に風穴を開けたい」というボランティア精神でした。ただ、このような長期活動において、ボランティア精神というのは時間とともに風化していきます。その結果が、投票率の低下を招きました。
これは何も内部告発をしているわけではなく、誰しもが陥る当たり前のパターンであり、評者に「やりがい」を提供できなかった管理人のミスであると考えます。
本来、「やりがい」の代わりに現実世界においては対価としてギャラが支払われますが、資金力のない一個人である私にとっては、必死に「やりがい」を提供する努力を行うしかありませんでした。そして、それは私の能力の限界を超えていました。
このテキ反省文
(このテキストサイトがすごい! )
ぶっちゃけた話、サイト批評サイトなんて、運営する側にしてみたら百害あって一利なしというのが個人的な雑感であります。
だって、誰も知らないようなサイトくそみそに貶したところで自分の印象が悪くなるだけだし、大手サイト批判したらしたで信者に掲示板荒らされたりするし、当たり前のこと感想書いても「ヌルい」とか言われるだろうし、そもそも批評依頼してくるサイトが早々面白いわけもないし、いちおう批評するんだからそんなつまらないサイトでもそれなりに目を通さないといけないし、それなら寝てるほうが100倍マシだし……ということで、辛いだけだよ!
テキスト界の住人
(見下げ果てた日々の企て )
こんばんは。《荒廃の歌》の管理人の冬夜です
「サイト論とか他サイトを言及するときは、猫様の口調では厳しすぎです」というアドバイスにしたがって本人が出てきました。今後、こういった関係のを書くときはちょこちょこ出てくると思いますので、よろしくお願いします
それと、ここまで書いた表現で、少々行き過ぎた面があったことをお詫び申し上げます。主義・主張が大幅に変わったわけではないので基本的な文章は変えませんが、後から読み返して自分でもアホ臭さに赤面する文などは一部削除しています←元に戻しました
ええっと、レビューに応募してくださって結局、レビューしなかったサイト様のの書き込みでよく「まあ、うちはレビューする価値も無いほどのクソサイトですから」という、あからさまな当てこすりをよく見かけます
とりあえず言い訳しておきますと、「レビューしない=カス」だなんて思っていません。レビューをしなかったのは、「しにくかったから」です。いわゆる「可も無く不可もなく」というやつです。ただ単に私の技量不足の面もありますが
というわけで、「レビューしなかったけれど別にカスなんて思ってないですサイト様」を今度暇を見つけてアップします
レビューをやめたのと、わざわざ「カス」という括りを使ったのはこういうことがあるからです(注:そのままはまずいと思うので、一部改変しています)
「うちは日記メインですが、できれば○○のパクリだと言ってもらえると嬉しいです」←アホですか?
「アクセス数と面白さは反比例するという信念でやっています」←遠まわしにケンカ売ってますか?
「できたばかりでつまらない日記ですがよろしくお願いします」←「出来たばかりは送らないでください」と応募要項に書いています。ちゃんと読んで下さい。あと、「つまらない」と思っているのに送ってくる神経が素敵です。謙遜のつもりなのかもしれませんが、99.99%の確立で本当につまらないので意味は無いと思います
「お願いします。http://xxxxx.xxxxx.xxxx」←一番多いです。URLだけですか。そのシンプル故に脳内思考が極めてよく分かっていい感じです
「既に打ち切りしたらしいですけれど、どうかレビューお願いします」←お断りします。時間無いですし
こんなのが大量に来たらさすがにキレます。おまけにサイトレビューには莫大な時間がかかるし、表現にもかなり気を使いました。これだけやっても、《荒廃の歌》にとってはマイナスにしかなりません(時間がかかるため、通常の更新が出来ない)。それどころか、名指しで「お前」呼ばわりされてこんな事まで言われる始末です
>批評家って言うのは基本的に 他人のふんどしで相撲を取ってるって言うか 他人の釜の飯を食ってるって言うか そういうもんでしょ?偉そうな口たたく存在じゃないと思うんですけど
プチ(←切れた音)
というわけで、サイトレビューは二度としません。サイトレビューのマイナス面はMHKさんの12月2日の日記に詳しく書かれています。ただ一つ言える事は、レビューを始めてから、あれだけ嫌いだった愛・蔵太さんが尊敬の対象になりました。「あんなん単なる罵倒してるだけの糞じゃねえか」と思っている人は、実際にサイトレビューをしてみましょう。あまりの不毛さに素で泣けます
《荒廃の歌・特別編》 管理人よりの言及
(荒廃の歌)
”「作品はそれ単体で価値を持つべきだ」という意見はナンセンスである”という麻草クンの意見には、話をテキストサイトに限るならば、ほぼ同意です。
テキストサイトというものは、管理人のキャラクターやサイト全体の味や匂いまで含めて評価すべきというのが、ルミの見解です。実際のところ、テキスト単品だけ取り出しても面白い人は、そのサイトも面白いということが殆どですが、ではその逆も真、つまり単品のテキストがつまらなければ、そのサイトもつまらないかと言うと、そうでもないことが往々にしてあるのです。
テキストサイトにおける付随価値を否定するのはナンセンスです。
例えばインストゥルメンタル音楽の視聴におけるブラインドフォールドテストのごとくに、作者を知らされずに大手人気サイトのテキストを切り出して、面白いかどうか問うという実験があったとすれば、その集計結果は微妙なところです。
読者は、ろじぱらのユーモアや侍魂のストレートな笑いや紐井屋の痛さに親しんでいるからこそ、そこにアップされているテキストを面白く感じるのではないでしょうか。そしてそれは、そのサイトが長年かかって築き上げてきた付随価値以外の何者でもありません。そこを否定してしまっては、「ではテキストサイトとは一体何なのか?」という根源的な問題に踏み込まねばならなくなってしまいます。作品が単体で完成している小説や詩に比べ、未だその定義すらも定かでない”テキストサイト”というものを評価しようとする場合、現在のところは、その付随価値を認めなければならないとルミは考えます。
テキストサイト批評の直面する問題の多くが、麻草クンのいうように深刻な事態を迎えているのは間違いないでしょう。
明確なガイドラインは存在せず、デファクトスタンダードになり得るような批評サイトも存在しないとなれば、志す者は暗中模索で数多くの失敗と経験を積み重ねなければなりません。
そして批評サイトの多くが、その方法論を確立する前に総じて短命に終わるのは、他サイトに言及することの難しさを言外に物語っているのではないかと思います。
テキストサイト批評はエンターティメントになり得るか?
正直、難しいところだと思います。宝島の「このミス」を見れば出版媒体では既に「なり得る」との回答が出ていると考えていいかと思いますが、ことWEB 上、しかも海のものとも山のものとも知れない「テキストサイト」なるものが相手では、未だ未知数と言っていいでしょう。
2002年4月後半
(ルミ姉さんと一緒(;´Д`)ハァハァ☆ )
◆『ろじっくぱらだいす』による「Web投げ銭」の提案
「投げ銭システム」とはサイトの管理人を大道芸人とみなし、大道芸を見て感動した人が芸人にお金を渡すのと同じように、
サイトのコンテンツに対して感動した人がサイトの管理人にお金を渡すシステムのことを言う(
*28 )。
提唱者は、言語学の学術書を中心に出している出版社「ひつじ書房」の松本功氏である。
松本氏は「
投げ銭システム推進準備委員会 」を立ち上げ、個人や小さな会社が導入できるようなオンライン小額決済システムの実現に動いた。
この「投げ銭システム」の提案を元に、『ろじっくぱらだいす』が考え、後に実行したのが「Web投げ銭」である。
「Web投げ銭」は「投げ銭システム」をより具体的に考え、実現可能な方法について検討した。
1-1 サイトとお金と意欲
「趣味のサイトでお金を稼げないか。」管理者ならば誰でも一度は考えるでしょう。自分の作ったコンテンツを元にサイトで大儲け、まではいかなくとも、電話代とプロバイダ料金ぐらいはカバーできないか、と。逆に良質のコンテンツを作る管理者がお金を得ることは、モチベーションの維持や新規コンテンツへの意欲にも繋がるでしょう。
基本的にサイト管理者は無償で奉仕することを強いられています。傍観者から不平不満をぶちまけられながら、学業仕事の合間をぬってコンテンツを提供。その苦労に比べ、得られるものはあまりにも少ないのが現状です。趣味でサイトを運営している分には気にならないでしょう。しかし、さまざまなマイナス要因が趣味の楽しみを超えてしまった時。その時、サイト管理者は良質なコンテンツを提供するのを止めてしまいます。
しかし、もしサイトでお金を稼いでいたなら。それはさまざまなマイナス要因を乗り越えるパワーの一部に成り得るかもしれません。また、アルバイトに充てている時間を少し減らしてコンテンツ作りに励む管理人も出るかもしれません。ではサイトでお金を稼ぐにはどうすればいいか?
有名サイトなら「雑誌にコラムを書く」などの仕事があるでしょう。しかし普通のテキストサイトがお金を稼ぐには「広告を付ける」しかないのが現状です。ですが、無料スペースを使っているサイトは、他社広告禁止のためそれすらもできない。また、どんなに面白いコンテンツを作っても、アクセス数を集めなければ充分な収入にはなりません。しかも、「あのサイトは面白いから広告をクリックしてお金をあげよう」というのはちょっとおかしい。広告の概念からは外れています。
ではサイトをすべて有料にしてはどうか。――きっと結果はみなさんの想像通りになるでしょう。みなさんが毎日見ているサイトのほとんどは、無料だから見ているのです。お金を払ってまで見たいサイトがいったい幾つありますか?有料化の結果、モチベーションの維持どころか個人サイトコミュニティの衰退にも繋がりかねません。
ではどうするか。
1-2 Web投げ銭の提唱
私は最も適切なシステムは「投げ銭」ではないかと考えます。
みなさんは路上で大道芸を見たことはありますか?大道芸人は芸を披露したあと、観客の前に帽子を置きます。観客は思い思いの金額をその帽子に入れます。「投げ銭」です。
このシステムのメリットは、お金を払う払わない・金額の大小は客の自由意志であり、無料で見続けてもまったく問題ないということです。また管理者は仕事と違って責任がないため、趣味のレベルで無理なくコンテンツを製作できます。また面白いコンテンツは評価され多くの投げ銭を貰えるため、アクセス数などという目に見えない数字よりモチベーションの維持・向上も図れます。
1.Web投げ銭の提唱
(ろじっくぱらだいす )
『ろじっくぱらだいす』はWeb投げ銭を行う事で義務や権利が生じないようにするために2つの事を挙げている。
「管理人は、投げ銭をした人としなかった人を区別しない」(閲覧者が投げ銭をすることで何かが得られると思わないようにするため)
「閲覧者は、現在まで見たコンテンツに対して投げ銭をする」(投げ銭をしてもらうことが管理人にとって重荷とならないようにするため)
これを大前提にすることで、気軽に投げ銭をし、受け取ることができるというのが『ろじっくぱらだいす』の考えたWeb投げ銭の特徴である。
ただし、閲覧者の意識改革が必要であることも事実であり(当時はまだサイトでお金を稼ぐということに抵抗感が強い時代だった)、
問題を起こさずに運営できるのかどうかで議論になった。
ちなみにWeb投げ銭からヒントを得てだんでぃ氏が考えたシステムが「
web拍手 (
*29 )」である。
*28 :この辺を参考のこと⇒『Bitliteracy Long Interview 』
『投げ銭・宣言! 』
*29 :大道芸を見た観客は大道芸人を応援する気持ちを込めて拍手や投げ銭をする。その拍手の部分をシステム化したもの。
サイトに拍手ボタンを設置し、閲覧者がそれを押すことで閲覧者は応援の気持ちを伝えることができ、サイト管理人はボタンを押された回数により記事の評価を知ることができる。
サイト管理人を応援したいがメールを書くのは面倒、わざわざメールを書かなくともワンクリックで応援の気持ちを伝えることは出来ないかという思想である。
↓以下の引用は2002年当時の反応
◆ サイトから収入を得る方法〜ろじっくぱらだいす「Web投げ銭」 [03:17]
以前、「バナー広告は金にならない」と書きましたが、今回ろじぱらさんが提唱する方法は、
『面白いコンテンツを見せてもらったので適当なお金を払う』
という感じ。大道芸人が差し出す帽子にお金を入れるような感覚で、サイトにも「チャリン♪」とお金をあげるんです。これが、ネットバンキングやウェブ上での決済方法の発達により、可能となってきたのではないか、というお話。
詳細はリンク先をご覧になれば十分理解できると思います。とにかく、「投げ銭」を受け容れる窓口をどう設定するか、が最大の問題ですかね。あとは、払いたくなるようなコンテンツを作っていくことかな(面白いサイトの作り方は、ろじぱらさんのこちらのテキストで書かれていますね)。
しかし、ろじぱらさんが提唱する「投げ銭」の定義にはちと困難がありかと。
『閲覧者は、現在まで見たコンテンツに対して投げ銭をする・・・ 将来のコンテンツに対しては投げ銭をしない』
とありますが、これはねぇ・・・
ワタナベさんもわかってて、それでもあえて書いてるんでしょうが、大道芸人とウェブサイトの大きな違いは、「継続性」にあります。大道芸人は、たとえば新宿日曜日の歩行者天国で30分くらい芸を見せて、それで「投げ銭」をもらう。また同じ場所に来ることはあまり多くないんじゃないかな(芸のレパートリーに限界があるため、同じ場所でやって同じ観客を相手にするといずれ新鮮味が薄れる)。対して、ウェブサイトはネタ更新(=芸)により存続しますが、それはいつも同じ場所(=アドレス)にあります。だから、同じパターンの更新が続くと飽きるという現象が生じ、故にサイト管理人は日々ネタのひねり出しに苦労しているわけです(笑)
つまるところ、ウェブサイトは「恒常的に同じ場所にある」というインターネットのシステム上不可避的な拘束を受けざるを得ない。そうであるにもかかわらず、
『閲覧者は将来のコンテンツに期待して投げ銭してはいけません。今あるコンテンツを見たことに対して投げ銭をしてください』
というのは、少なくとも今はムリでしょう。閲覧者の意識が相当に変化しなければ、これはあり得ない。それを半ば期待して書いてるんでしょうけど、閲覧者は、どうしても、「明日の更新はどうなるのかな」「このネタの続きが気になるな」という意識で来る。つーか、気になるからまた来るし、また来る気にさせるそのコンテンツに価値を見出すケースが相当に多いんだから。
ろじぱらさんの提唱する「投げ銭」、確かにお金は入るかも知れません。けれども、その意識までを変革するには・・・ 少なくとも今は、難しいかも、と思わざるを得ないです。
BlackAsh News!! 新着順 - 6月 11〜 -
(BlackAsh )
02-06-11-TU
ろじぱらのweb投げ銭システムについて
今回の件に関してはBlackAshさんの見解が適切だと思いますが、それを踏まえた上で更に自分なりに考察してみたいと思います。まず結論としてボクはワタナベさんの期待通りにはならないと思います。今回一番問題なのはワタナベさんが提唱している考え方(web投げ銭の定義)が正確にかつ確実に普及しないのではないかということです。九十九式の5月19日及び6月6日に誤読者問題が話題が上ったように、送り手(今回の場合は提案者であるワタナベさん)の意図を受け手(これから投げ銭システムを利用しようと考える人達)の全員が正確に理解することは非常に難しいと言えます。更に、初めて「web投げ銭について考えてみた」を読んだ時は、ワタナベさんの意図を正確に理解したつもりであっても、月日が経つにつれ気づかぬうちに「今あるコンテンツに対してではなく将来のコンテンツに対して投げ銭する」という方向に堕してしまう人もいるでしょう。ついでに言えば、ネット上には日本語をロクに理解もできない電波さんも沢山いらっしゃいます。こういった事は大半のテキストサイト管理人や閲覧者には当てはまらないでしょうが、一旦お金が絡むとなるとごく少数の人間が原因でも、大きなトラブルへと発展する危険性を有していると言えます。…ということでボクはこのシステムをテキストサイト界に広げるのに反対です。
NIKKI LOGS 200206a
(YUMEGIWA LAST BOY)
さて。
結論から先に言っちゃうことにしよう。
柊の結論。
Web投げ銭は心情として応援したい試みではあるけれど、このしくみは恐らくそれほど広まらないし、現状では成功と呼べるほどの成果も上がらないだろう。
どうして僕がこう考えるのか、続けて書いていくから、興味を持った人はもう少し付き合ってね。
まず、個人ホームページが対価を得るには「インターネットに公開したコンテンツは無料で提供されるべきだ」と云うイデオロギー(思想)を克服しなければいけない。
ここで問題になるのは、このイデオロギーを克服するのは「読者」の側で、投げ銭を提案する「作者」じゃないと云うことだ。
自分の考えは変えられても人の考えを変えるのは難しい。
次に、一定数以上の読者が集まるサイトでは必ず出てくるであろう「クレームメール」の問題。
僕が思うに、ろじっくぱらだいすの「Web投げ銭について考えてみた」の中で最も重要な文章は
ろじぱら的Web投げ銭の定義なんじゃないかな、と思うんだけど、果たしてたとえ少額でも金が動くのに対してすべてのケースがこんなにスマートでいられるだろうか。
ひとがひとにお金を出すってのは、なかなかキレイに済まないんだ、残念だけど。
ohanasi
(迎賓館裏口 )
ウェブコンテンツに対するマイクロペイメントというのは、ずっと懸案であったテーマと言える。つまりはずっと懸案のまま解決できていない問題とも言えるわけで、Jakob Nielsen 博士は1998年と1999年の二度にわたってマイクロペイメントを擁護したものの、結局彼が予測したようには普及しなかった。そこらへんの問題については Clay Shirky による「マイクロペイメントへの反論」に詳しいが、この文章の冒頭でも述べられているように、P2P 技術が重要性を増していくことを考えるとマイクロペイメントが普及しないのはちょっと困ったことでもある。
日本においてマイクロペイメントを推進する運動としては、投げ銭システムが最も有名だが、成功しているとは言えない。この文章を書いている時点で、そのトップページに「現在は投げ銭出来ません」と明記しているぐらいだもの。
投げ銭システムに対する批評として、山形浩生による「投げ銭と青空文庫と:電子テキストについて考える」がある。これは以前にも少し書いたことがあるのだが、この文章における松本功によるフリーソフトウェア批判への反論、フリーソフトウェアと青空文庫の関連性の分析はともかく、投げ銭システムに対する批判の部分には少しおかしなところがある。少なくとも松本功は既存の集金システムに対するオルタナティブを目指していた(いる?)のだから、郵便振替でいいだろうというのははなから違うはずだし、「価値があると思うやつは5000円振り込め」というのができないのが「loser文章」と断じるのも議論上粗雑過ぎる。人の実際的な金銭感覚なんて結構いいかげんだし、時期性にかなり影響されるはずだ。例として挙げている布施英利のメールマガジンなんてその好例だろうに。
ただ山形浩生が「さもしい」という言葉で表現している、金銭を要求することに対する心理的なハードルは確かにある。僕自身がそうしたシステムを利用しないのは、単に金銭を目的・想定して文章を書いていない、ただそれだけなのだが、この「心理的なハードル」は無視できない。
ただ状況もこれから大きく変わるかもしれない。ろじっくぱらだいすにおいて公開された「Web投げ銭について考えてみた」が契機となってこの問題が議論されているからだ…などと書きながら僕はいわゆるテキストサイト界に興味がなく、ろじぱらを含む有名どころすらほとんど巡回していないのでその議論の詳細を知らないのだが、いずれにしろ有名サイトが取り上げただけでこれまで沈滞していたものが一気に活気付くというのも皮肉であり一面愉快でもある。
現状 eBANK でおひねりというのがベストであるようだが、確かにこれで日本版 PAYPAL が実現し、ユーザがはじめから「そういうものだ」と思えるところまで持っていければ、ユーザのマイクロペイメントに対する心理的抵抗も変わるかもしれない。
ただ上にリンクした文章にしても、トラブルが起きないためのユーザ側、サイト作成者側それぞれの気構えについてわざわざスペースを割いて書かざるを得なかったわけで、そうした十分な前説が必要な時点で既に難しいのではとも思う。このままでは、口座を持つのはウェブサイト作成者だけになり、投げ銭という仕組みが彼ら(テキストサイト界?)の馴れ合いと政治の道具にちまちま利用されるだけに終わりかねない。すぐにウェブサイトの面白さの指標化といった方向に話が進むのもそういった匂いを濃厚に感じるし。
どうでもよいことにこだわってしまう
(YAMDAS Project )
◆ROVNI―ブロードバンドの普及に伴い、新たな娯楽へ移住した者達
01年〜02年のウェブにおける重要な出来事と言えば「ブロードバンドの普及」ということになるだろう。
そしてブロードバンドの普及に伴い、MMORPGが次々と登場。「FF11」と「ラグナロクオンライン」の二つは特に人気があった。
3月20日、『
バーチャルネットアコライト・さやさや16歳 』開設。『さやさや16歳』はサイトデザインが量産型VNIでありながら
中身はラグナロクオンラインプレイ日記であった。このようなVNIをROVNI(
*30 )という。
『さやさや16歳』は開設3日目にして大手RO総合情報サイトからリンクが貼られ、ROコミュニティ内の大手サイトとなった。
そして5月1日、鍵系VNIの『バーチャルマザーマーメイド・晴子28歳』がROVNI化。5月8日、やはり鍵系VNIの『バーチャル幼なじみアイドル・名雪17歳(一般人無双)』がROVNI化。
多くのVNIがROにはまった原因として『さやさや16歳』『晴子28歳』と『名雪17歳』の力が大きいと言われている。
この後次々とROVNIが誕生していき、VNI界の中でROVNIは一大勢力となった。
この流れはネット文化論的にみると重要である。なぜなら「ナローバンド」から「ブロードバンド」への変化が形になって現れた出来事だから。
「テキストサイト」というのはナローバンドに適応した文化。ROVNIはVNIであるものの実態としてはテキストサイトではなく「ラグナロクオンライン日記サイト」。
「ラグナロクオンライン」はブロードバンドの普及に伴うMMORPGの本格普及の流れに乗って現れた。
つまり「VNIからROVNI」へという変化は「ナローバンドからブロードバンドへ」という流れそのものであり、
「既存のコミュニティ」が「ブロードバンドの普及に伴い誕生した新しいコミュニティ」に人を取られていったことを示す。
つまり「ブロードバンドの普及が既存のウェブ文化に影響を与えた」ことを解り易く示した出来事であると言えるだろう。
ROVNIは系譜としてはテキストサイトなこともあり、他人が読んで面白いキチッとしたプレイ日記を書くサイトもあったのだが、
自己満足なプレイ日記しかコンテンツがないものも多く、中には『さやさや16歳』のことは知っていても『ちゆ12歳』のことはあまり知らないものまで存在した。
そしてそれは一部VNIから非難されることとなった(
*31 )。1年前に大量発生した侍魂模倣サイトと同じように。
*30 :元祖ROVNIは『バーチャルネットアコライト†神無 Lv.27† 』(02年2月4日開設)と思われるが無名サイトである。
よって、事実上の元祖ROVNIは『さやさや16歳』と言ってしまっていい。
*31 :非難の風は日に日に強くなり、やがてROVNIを罵倒するサイトが現れる。それが『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳(偽者)』であり、『佐祐理18歳』が中心となって起こした揉め事が「ROVNI騒動」である。
「ROVNI騒動」は快進撃を続けていたVNI界のターニングポイントとなった。詳細は次を参照のこと⇒「ROVNI騒動 」
7.2003年 ブーム終焉の予兆
◆『テキッ娘。』の挫折
VNIの勢いが落ち始めた03年、『かまくら』の釜本雪生氏は1月にVNIサイト『
バーチャルネットアイドルユニット「テキッ娘。」 』を立ち上げた。目的としては「ちゆや侍魂の更新頻度が落ちた今、廃れていくテキストサイト界にカンフル剤をうつべく、テキッ娘を開始しようと思った」ということらしい(
*32 )。
このサイトはVNI系だが、管理人が「テキストサイト大全」の雪生氏だけあって、色々なテキストサイトのいいとこ取りをしたようなサイトである。
特徴としては以下があげられる。
・週6回更新。
・「電子の世界でデビューを果たした5人組のネットアイドルグループの運営する番組」というコンセプト。
・イメージとしては疑似深夜ラジオ番組
・単一のサイトで曜日によって異なる女の子がDJを務める
・5人のDJはそれぞれ得意分野を持っている。日曜日「たまき」は洋楽、月曜日「かれん」は漫画、火曜日「えりりん」は映画、水曜日「あまね」はゲーム、木曜日「ゆかりん」は競馬&toto。
・ピックアップニュース、フリートーク(お便り紹介)は定期更新。得意分野に関する記事は不定期更新。
・絵は『
LALAMIX 』に描いてもらった。
VNI系であるから仮想人格を設定するわけだが、更新する曜日ごとに違う人格を5つ用意したというのが『テキッ娘。』一番の特徴であろう。
しかも5人の人格にはそれぞれに違う得意分野を設定しているという凝りよう。
これを雪生氏は「バーチャルディスクジョッキーシステム」と名づけた。このシステムだが、読者に広く話題を提供する点では優れているものの、
5人のDJが日替わりで担当するといっても書いているのは一人なわけで、負担が大きいのは事実であろう。
『テキッ娘。』はすぐに話題となり、専用スレも立ったが、スレには「これは更新が厳しいんじゃないの?」という意見がでている。
36 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 07:16 ID:nwRkpQ37
VNIがまだ四天王(ちゆ米ウロンL)だけの頃に登場してれば
少しは、ねぇ…と思った。
この四人を雑誌とかが娘。のように起用してる事を考えると
雪男といえ、一人五役じゃ辛いわな。
すごーく惜しいサイトである事には賛同。
これじゃ「かまくら」のほうが面白いっす。
雪男の芸風はお米たんのお兄ちゃんに似てるんで
「それなりに」期待はしてる。
39 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/10 08:01 ID:n4hwJDJv
結論、
傷の浅いうちに止めた方が
っつーかんじですか
実際の話、2、3ヶ月やってからニッチもサッチもいかなくときが
一番くるしいのではないかという…
雪男さん、濁又にリンクしてるって事は、ここ見てらっしゃいますか?
かまくら更新がんばってください
52 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/01/11 11:18 ID:S7TBCI/H
冷静に考えると絶対これ行き詰まるぞ。個人でやったら。
中の人を早急に補充したほうがいいと思われる。
5人もいるのにキャラ分けが満足にできず
語尾の変化とか喋り方程度で区別させて
それでもなんとなく芸風は同じ、みたいなことになりそう。
話題の幅もそれほど大きくとれないだろうし
テキッ娘
『ちゆ12歳』の強さは「濃いオタク文化というのを、ライトなオタクや一般人に伝えることの上手さ」にある。
しかし、量産型VNI達の多くはそのことが解らず、あるいは解っていても真似できず、結果として量産型VNI達の多くは身内だけしか面白くない「ただのオタクサイト」に成り下がっていた。
『テキッ娘。』は、サイトデザインは凝っているし、内容は一般人でも理解ができるように噛み砕いた文章で書かれている。
『ちゆ12歳』と同じ一般人に方向が向いているサイトである。
開設してすぐにアクセス数を一日3000ヒット稼いでいたことから相当期待されていた(悪くいうならヲチられていた)わけだが、
当時VNI四天王と言われた『777's Loop Light's Loom』との間に揉め事が発生(
*33 )。
さらには『
バーチャルネットアイドルユニット 不適ッ娘。 』『
バーチャルネットアイドルユニット 敵ッ娘。 』というパロディサイトが現れるなど、
周りからおちょくられる始末。
それでも3月中旬までは更新していた。だが、3月末に「春休みをとります」といって更新休止。4月に再開する予定だったのだが、4月になっても再開されない。
そして8月、雪生氏はついに『テキッ娘。』の「無期限更新停止」を発表する。
テキッ娘。に関してのお詫び
まずは、何よりも先に「テキッ娘。」の更新を楽しみにしてくださっていた方々にお詫びします。長々と放置して申し訳ありませんでした。
更新停止については一言で申しますと、「就職したので時間が無くなってしまった」というのが理由です。正直な話、ずっと悩んではいました。「毎日更新をやめて形態を変えればまだ細々とは続けられるんじゃないか」という迷いを引きずったまま具体的に何もせずここまで引っ張ってしまった、というのが放置の真相です。
もちろんそれが更新停止の告知を出さなかったことの言い訳になるとは思っていませんし、何事も無かったことにしようとも思っていません。「忙しくて続けられなくなった」だけで「やりたくなくなった」わけではないので、いつかは形を変えて(更新負担の軽い形で)復活させてみたいとも思っています。その時またお会いしましょう、ということでテキッ娘については「閉鎖」ではなく「無期限更新停止」という形で残します(フォーム等は外しておきます)。
今までテキッ娘を読んでくれて本当にありがとうございました。今後も何らかの形でネット活動は続けていくつもりですので、失った信頼は言葉でなく行動で取り戻せていけたらと考えています。今しばらくの休養をどうかお許しください。それではまた。
お詫び
(かまくら )
その後、『テキッ娘。』は2度と更新されることは無かった。
*32 :03年2月13日にネットラジオで雪生氏がそう語ったらしいのだが私はそのネットラジオを聞いていない。
あくまで「テキッ娘。Part2 」に書いてあったことが元なので「らしい」と書いた。
この発言で重要なのは「廃れていくテキストサイト界」という言葉を使ったことである。
267 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 16:14 ID:i1V975Gx
http://www.radiat.net/ondemand_wed.html
ここから「みかか」
釜本おやじのカマっぽいトークが楽しめる(藁)
268 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 18:18 ID:jvWT3Cn5
>>267
つまんねーラジオだなオイ。ラジオってこういうもんなの?
269 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 18:27 ID:jzJ1coMZ
>>268
だよねー。
でも頑張って聴いたぞ。
・雪男のコメントまとめ
ちゆや侍魂の更新頻度が落ちた今、廃れていくテキストサイト界にカンフル剤をうつべく、テキッ娘を開始しようと思った。
2chのスレ住民の方がよく考えてる(と冗談めかすように)。
また、この前スレに登場した雪男は本人じゃない。
次の展開は考えてある。
…とまあ、こんな感じで特に聴くほどの内容はなかったです。
270 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 18:48 ID:jvWT3Cn5
>>269
自分、ラジオってほとんど聴かないからスキルが足らないのかと思った。
271 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 22:54 ID:50l1VFuB
>269
素朴なつっこみとしては、テキストサイト界って廃れていっているのかと言いたい。
272 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 22:58 ID:oCCyD/Px
廃れてるっつーより一般的になってきたと思うのだが。
273 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:03/02/13 23:08 ID:EdV3MngT
廃れてはないな。
増えすぎて色々趣向の方向が変わってきたというべきか。
テキッ娘。Part2
このとおり「廃れていく」という表現に対し、否定的な意見がすぐに書かれている。
後ほど「衰退への意識」でも触れるが03年時、テキストサイト界の人々は「テキストサイトの衰退」を一部の人だけ感じていたものの、多くの人は衰退という認識を持ってはいなかった。
*33 :
『777's Loop Light's Loom』が『テキッ娘。』の画像を改竄し、パロディネタを公開。これに対し、『7テキッ娘。』の釜本雪生が『777'sLLL』にメールを送り、画像の削除を要求した。すると『777'sLLL』は雪生が送ったメールを公開、さらに「あーなんだ、本物のバカか。遠慮して損した。笑」などと雪生を馬鹿にしたことで騒動になった。
◆『ダークマター』の更新停止と後継を狙ったサイト達
03年6月30日、開設以来テキストサイト界のニュースサイトというべき存在であり、大きな影響力を持っていた『ダークマター』が更新停止となる。
そして後継を狙う者たちが現れた。ただし、「テキテキサイトの寿命は短い」の前例通りすぐに閉鎖・更新停止となるものが多かった(そもそも『ダークマター』自体が1年)。
『
ニュートリノ 』はサイトデザインからして『ダークマター』そのままであり、後継になろうという意思があからさまであったが一ヶ月持たずに更新停止。
他に『ナイトメア』『
ディッシュアップ! 』も短い命であった。
そんななかでも
『Target capture』 『
ねとながめ 』『
off topic 』が後継サイトとして育った。
しかしテキストサイト界の拡大が止まり、そしてなにより情報源であった「ネットウォッチ@2ch掲示板」の性質が2004年以降大きく変化したことによってテキストサイト系テキストサイトは消えていくことになる。
◆衰退への意識
2003年9月1日、『遥かな道しるべ』は「テキストサイト系テキストサイトの現状メモ」という記事を書いた。
最近はテキストサイト系テキストサイトの閉鎖が多いという内容である。
2003年09月01日月曜日
テキストサイト系テキストサイトの走りでもあるてらにゅさんが更新終了。てらたまテキストサイトニュースの頃から見ていた者としてはログも残さず無くなってしまうのはかなり寂しいですが、何はともあれ1年半お疲れ様でした。
--------------------
時期的なものなのか気のせいなのか何とも言えないところですが、なんか最近テキストサイト系テキストサイトと呼ばれる類のサイトの閉鎖や休止が相次いでいるようないないような。自分の所の更新に関るのでためしにちょっとメモ。
テキストサイト系テキストサイトの現状メモ
■ダークマターのテキストサイト系テキストサイトリンク集より
・ニュース系
てらにゅ(閉鎖) HAGAKURE理論 HAGAKURE Plus est(更新停止中) URAGAWA LAST BOY パラレルは宝(閉鎖) 遥かな道しるべ diarrhea(閉鎖) テキコンのぞき。(閉鎖)
・ネタ系
MMR Super(閉鎖)
・情報系
読我新聞 殺害現場 それ行けGoogle探検隊(最終更新05月04日)
・批評系
ヘイ・ブルドッグ 愛・蔵太の気ままな日記 めけめけ@DC(批評は停滞気味) デマゴーグマイルド(批評は停滞気味) オブザデ(閉鎖) FindMe!(最終更新02月15日)
・創作批評系
続・ルミ姉さんと一緒(;´Д`)ハァハァ(最終更新07月25日)
・エッセイ系
D-Point チャッピーのおまけ日記 迎賓館裏口 中堅テキスレレビ(最終更新06月04日)
・データベース系
テキスタイルポップ トヨペケたん(;´Д`)ハァハァ VNI総合ウォッチ 過去ログ倉庫&News(最終更新04月08日)
・ファンサイト系
おむつプレイ(最終更新07月13日)
・地獄の番犬
ケルベロス(閉鎖)
■ダークマター閉鎖以後
UNDER500(最終更新07月22日) ナイトメア(閉鎖) ニュートリノ(最終更新07月29日) ディッシュアップ! off topic 流星RIDE
実際に見てみたら過去1ヶ月以内に更新があるサイトが3分の1ほどとなかなか寂しい結果に。他のジャンルと比べて割合的にはそう多くないのかもしれないですが、絶対数が少ないのでどうしても寂寥感を感じてしまいます。
2003年09月01日月曜日(遥かな道しるべ)
これに対し、『
おれはおまえのパパじゃない 』は、
「
ジャンルの盛衰 」にて
テキスト系テキストだけではなく、テキストサイト全体で元気の無さが目立つと書く。さらに
『
ARTIFACT 』が
「
テキストサイトの衰退? 」
を書いた。この3記事は「ウェブ文化論的には重要」である。
06年に、かーず氏とばるぼら氏の対談をきっかけにして「FLASH・動画板とそれを中心をしたコミュニティの衰退」が話題としてよく上がっていたが、このときは「FLASH・動画板の衰退」を住民が意識しており、
各ブログでは「何故衰退したのか」や「衰退の経緯」について色々書かれることとなった。
つまり、「テキストサイトの衰退」という内容のエントリーに対する反応を見ることで当時の人々はテキストサイトの衰退をどの程度意識していたのか?ということを知ることができるのである。
『ARTIFACT』が有名なこともあり、反応は沢山あったのだが『ARTIFACT』が引いてきた資料の妥当性、あるいはコミュニティ論についてばかり反応しており、「テキストサイトの衰退」という言葉に対しての反応がうすい。
「テキスレ」にも『
テキストサイトの衰退? 』へのリンクが貼られ話題となったが、
やはり、参考にした資料が適切ではないという書き込みばかりで、「何故衰退したのか」や「衰退の経緯」といった反応がない(*34)。
つまり、03年下半期当時の人々は「テキストサイトの衰退」という認識をほとんど持っていなかった(注意:全くなかったわけではない)、そして「テキストサイトの衰退」という単語に対し興味を持たなかったということであろう。
しかし、「テキストサイトの衰退」といった内容の記事が書かれ始めたことは事実である。
「テキストサイトの衰退」という言葉に対し「衰退などしていない」という真正面からの有力な反論が無かったこともまた事実である。
つまり、テキストサイト界にまだ活気はあるものの折り返し地点に入ったという思いを、はっきりとではないが、なんとなく感じ始めていた。03年下半期は、そんな時期ではないだろうか。
8.2004年〜2009年 成熟化
テキストサイトブームが終わった04年以降、テキストサイト界隈がネットの話題に上がってくることは少なくなり、ネット全体から見たテキストサイトの存在感は低下していった。
だから04年以降のテキストサイト界隈は「衰退」という言葉と共に語られることが多い。
何故「話題に上がってくることが少なくなった」のか、何故「衰退」と言われるようになったのか。
以下の要因があげられるだろう。
・「ブームに便乗してやってきた人間が抜けた」ことで人口が最盛期と比べて減ったと考えられる(
*35 )。
・テキストサイトの2chにおける拠点であり、テキストサイト系テキストサイトの情報源であったネットウォッチ板がネトゲ勢力に乗っ取られた(
*36 )。
・『日記才人』が07年に稼動を停止。
・『ReadMe!JAPAN』が07年に
システム障害が発生 し、翌年には稼動停止。
・テキストサイト界隈外に目を向ければ、増加する「個人ニュースサイト」そして「ブログ」。紅白Flash合戦が大成功を収めた「Flash」、『Youtube』に『ニコニコ動画』。話題を彼らに持っていかれた。
では、テキストサイト界隈は「終わった」ということなのだろうか。いや、そうではない。古参のサイトの多くは更新を続け、さらにはブーム終了後に開設したサイトも育ってきている。
『NIKKI SONIC』『ReadMe! Newwork Review Carnival』『テキストサイトサミット』『紅白日記合戦』とイベントは行われ続けており、
これらのイベントには古参サイトからブーム終了後に開設したサイトまで幅広く参加している(
*37 )。
つまり、テキストサイト界隈はブーム終了後も十分な活力がある。
「衰退」という言葉はインパクトが強いせいで、サイト論ではよく用いられる単語なのだが、上記の通りテキストサイト界隈については活力があり、「衰退」と表現するのは実態に合わない。
では、どのような単語を使えばよいのだろうか。ここでは以下の単語を使いたい。
「成熟化」
人口の激増し、言い争いが多かった時代から、安定した時代へ。古参から中堅、新人まで比較的バランスよくいる時代。それがテキストサイトブーム後のテキストサイト界隈である。
数年後は「衰退」という言葉がふさわしい事態になるかもしれない。しかし今時点では「衰退」と語るにはまだはやい。テキストサイト界隈の歴史はまだ続いていく。古参サイトが更新を続け、新規サイトが出現する限り。
*35 :断言せずに「考えられる」と書いた理由は、人口の正確な数字は出しようがなく、断言できない為。こういうのはある程度、感覚に頼るしかない。『ReadMe!JAPAN』の数字を使えばよいという人がいるかもしれないが、『ReadMe!JAPAN』の数字は当てにならない。
*36 :04年3月12日、ネトゲサロン板での晒し叩きのキャラウォッチが禁止になり、キャラウォッチ系スレはネットウォッチ板に移住させられた。
*37 :04年以降のイベントと参加サイトを表にした。サイト名の下に書いてある日付は開設日である(開設日が不明のサイトは表から外した)。「除夜のテキスト祭り」は参加サイトが多すぎるので作業時間の関係上、調査不可能であったことから表には入れていないが
入れれるものなら入れたほうが良いのは言うまでも無い。
また、「オフ喜利」も表にはいれてないものの重要イベントといえるだろう。
主な参考文献
下記文献は極一部であるが、前提知識が少なくてもとっつき易いもの、あるいは特に重要なものを載せておく。
『
[文献を読む]記事一覧 』『
[調査]記事一覧 』も参考のこと。
[書籍1]釜本雪夫+くぼうちのぶゆき 『テキストサイト大全』 ソフトマジック、2002年
[書籍2]金田善裕 『個人ホームページのカリスマ』 講談社、2002年
[書籍3]井上真花 『人気ホームページの作り方』 ソシム、2002年
[書籍4]ばるぼら 『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 翔泳社、2005年
[ウェブ1]アルヲ アルヲメモ、2002年
[ウェブ2]tmash、Black、MIST 『テキストサイト界近況 』 BlackAsh 、2001年
[ウェブ3]Maybe-na 『教科書には載らないバーチャルネットアイドルちゆ12歳の歴史』 ラブラブドキュンパックリコ、2007年
[ウェブ4]宗像明将 『ネット幸福論』 MouRa
[ウェブ5]sakota 『テキストサイト関連年表』 Arikitarina WEB、2004年
[ウェブ6]サカイ 『レトロ・リンク 』 NO-FUTURE 、2004年
[ウェブ7]nanjy 『【注意】ReadMe登録前に知っておきたい「批評サイト問題」 』 TVマル秘ガイド、2004年
[ウェブ8]じおこ 『教科書には載らないVNIの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ 』 無料HPスペース娘・じおこ13歳 、2002年
[ウェブ9]永江孝規 『インターネットにおける自発的コミュニティの形成,特に Web 日記に関して』 Hacked by NAGAE Takanori (3ki3ro) 、1999年
おまけ
自分の中でいまいち消化できなかったものの、考えてみたことを載せておきます。あくまでも「おまけ」です。
◆テキストサイトの系統
これまでのことを踏まえた上でテキストサイトの簡単な系統図を示す。
一応念のために言っておくと、系統図は作る人によって違うものが出来上がるだろう。
なぜなら「どの指標を軸にするのか」「どういった視点で評価するのか」によって変わってくるからである。
そもそも日記系サイト・テキストサイトの系統図を作ること自体に無理があるわけで、それでも作るとなるとかなりの「割り切り」が必要になる。
もちろん下図もかなり割り切っている。いちいち例外を気にしていては図など作れない。
日記系: ブログ、雑文、テキストサイトをひとまとめとした言い方。広義のテキストサイト。
日常日記系: まさに日記そのもの。テキストサイトという言葉が無い時代のテキストサイトは日記系と呼ばれており、テキストサイトという言葉が生まれてからも日記系と言う人は少なくなかった。
日常日記系時事派: 時事ネタ中心。後のアルファブロガーに多いタイプ。
コジャレ系: 日記系のうち、洒落たデザインとサブカルが結びついたサイト。『SHIFT』で紹介されたサイトが多い。
ライト日記系: 「コジャレ系」のデザインを引き継いだサイト
ネタ日記系: 日記系のうち、面白日記のサイト。クソゲー論評の文体、フォント弄りを使うことが多かった。
痛い系: ネタ日記系のうちネタの自虐率が高いサイト。クソゲー論評に影響を受けたサイトが多い。
不条理系: ネタ日記系のうち予測不可能な文書のサイト。例えばまじめな文章の途中で唐突に「ウンコ」とかの単語がでてくる。
絵日記系: 絵日記サイトにはテキストサイトをルーツに持つ者がいるので狭義のテキストサイトに入れても不自然ではない。図では境界線上に配置した。
量産型VNI: VNIはテキストサイトと言われているが、時事ネタ日記・ニュースサイト傾向が強い。
テキストサイトブーム以降のテキストサイト: 言い換えるなら「侍魂以後」のテキストサイト。テキストサイトという言葉が広まり、
テキストサイトを日記系ではなくテキストサイトとして意識し、サイトを開設した世代。
テキテキサイト: テキストサイトの話題を取り扱うサイト。テキストサイトについて書いたテキストサイト。侍魂以後に出現。
雑文系: 随筆・エッセイのサイト。中心人物達は元々パソコン通信で活動していた。狭義のテキストサイトからは外したが、入れても間違いではない。
ブログ: =日常日記系。言い換えるならブログ騒動以後の日常日記系。ブログという言葉が広まったことで日常日記系をブログとして意識し、サイトを開設した世代。
ちなみにこの図は『
新・Readme!新作評価レビュースレ 』にあった図を元に私なりのカスタマイズをしたものである。
元の図は次を参照のこと⇒『
日記系サイトの系統図 』
◆テキストサイトとは
そもそも「このサイトは狭義のテキストサイト」と判断するための条件は何なのだろうか。少し考えてみよう。
★大まかな条件
【エンターテイメント性が強いテキストをメインコンテンツとした日記系(基本的には日次更新)サイト】
これは(人により言い方に多少の違いはあれど似たようなことは)よく言われることである。
娯楽的なテキストであり、必ずしも日次更新というわけでは無いものの更新頻度が高いのはテキストサイトの特徴であろう。
しかし、具体性のない定義であることから、テキストサイト以外もこの条件に当てはまってしまう場合がある。
例えば、雑文系サイトが頑張って毎日更新した場合、雑文系サイトも娯楽的なところがあるのでこの条件に当てはまってしまう。そこでもっと具体性のある条件も考えていきたい。
★細かい条件1(システム的視点)
【技術的視点で見たときに「フォント弄り」あるいは「間を意識した改行」を多様しているサイト】
「フォント弄り」「間を意識した改行」、テキストサイトの特徴としてよく言われるのがこの2つだ。特に「侍魂以後〜テキストサイトブーム期」に開設したテキストサイトはこの2つをよく使っていた。
ただしこの条件に当てはまらないテキストサイトが数多くあることも事実である。だから必須条件という訳ではない。
先に挙げた★大まかな条件とこの条件の2つに当てはまった場合はテキストサイトである可能性が高い。
★細かい条件2(歴史的視点)
【影響元を辿っていくと最後には「ゲーム系テキスト 」「コジャレ系 」のサイトに辿り着くサイト】
例)テキストをメインコンテンツとした『さくらばのほめぱげ』というサイトがあるとする
『さくらばのほめぱげ』は『えこのみっくぱらだいす』の影響を受けた⇒『えこのみっくぱらだいす』は『ろじっくぱらだいす』の影響を受けた⇒『ろじっくぱらだいす』は『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の影響を受けた
↓
『さくらばのほめぱげ』はテキストサイト!
これは、「初めに数個の面白いサイトがあって、それの影響を受けた模倣サイトが沢山現れ、さらにその模倣サイトの影響を受けた模倣サイトが
現れることで、初めの数サイトを中心とした1つの大きな界隈が出来上がる」という現象を元にしている。これも必須条件という訳ではない。そもそも、『"FUNNY" GAMER'S HEAVEN』の影響を受けたからといってそれが必ずしも文で表現するサイトになるわけではない。
動画で表現する場合だって考えられる。また「ゲーム系テキスト」「コジャレ系」が影響元ではないテキストサイトも十分に考えられる。先に挙げた★大まかな条件とこの条件の2つに当てはまった場合はテキストサイトである可能性が高い。
★細かい条件3(コミュニティ的視点)
【「クリスマス殲滅委員会」「テキストサイト史記」「テキストコンテスト」「NIKKI SONIC」「RNRC」「テキストサイトサミット」「紅白日記合戦」「除夜のテキスト祭り」などのテキストサイトが主催のイベントに参加したサイト】
テキストサイトが主催した、テキストを公開するイベントに参加したサイトは一部例外を除き、普通に考えればテキストサイトだろう。
当然、イベントには参加せず淡々と更新し続けるテキストサイトもある。だから必須条件という訳ではない。先に挙げた★大まかな条件とこの条件の2つに当てはまった場合はテキストサイトである可能性が高い。
と、条件を簡単に挙げてみたが、まだ不十分である。テキストサイト界隈は現在も進行していることから、きちんと定義するには時期尚早であることも事実である。とりあえず現時点で考えてみたが議論の余地はかなりある。将来的に個人サイト文化を研究する人が沢山出てくれば、色々な視点で考えて議論することで、より適切な判断条件・定義が出てくるのではないだろうか。
テキストサイトを語るにあたってまず一番最初にしておかなくちゃならないことは、当たり前だけど「どっからどこまでをテキストサイトと呼ぶか?」
の定義だろう。この条件を満たしていなければテキストサイトとは呼ばない、という絶対条件は果たして存在するのだろうか?
これについては筆者はこう答えるしかない。「そんなものはありません」と。石を投げられてしまいそうな返事だけど、こればっかりは本当にそうなんだから仕方がない。
テキストサイトがテキストサイトであるために絶対に必要な条件というのは、実は存在しないのだ。本人がなんとなく「うちってテキストサイトかなあ」
と思えばそこはテキストサイトだし、逆に本人が「うちはテキストサイトじゃない! そんな風に扱われるのは心外だ」という態度を示したところで周りが
「でも、あそこってテキストサイトだよなあ」と思えばそこはテキストサイトになってしまうもの。
本当にいい加減な話だけど、逆に言えばこのとんでもないアバウトさと懐の広さがテキストサイトの良いところであって、だからこそここまで発展してこれたんだって見方もできなくもないかな。
テキストサイトの定義 (釜本雪生&くぼうちのぶゆき著 テキストサイト大全)
◆テキストサイトの強み
初期のテキストサイトが発生した97〜98年当時、殆どのインターネット回線はまだナローバンドであった。
そんな状況だから、ウェブ上に動画コンテンツは少なく、動画どころか画像も多用できない。
オンラインゲームは「Diablo」「ウルティマオンライン」などほんの少しだけ。
ネット上に娯楽が少ない状況の中、テキストサイトはネット上の貴重な娯楽を担っていた。ナローバンドに対応した「データ量の少ない娯楽」、それがテキストサイトの特徴であり、強みであった。
しかし、だ。通信インフラが整い高速化していくことは、確かにインターネット全体の未来にとっては歓迎すべき事態だろう。
だがそれは、我々のこのテキストサイトの未来にとってはどうなのだろうか?
かつてあの低速回線時代を通り抜けてきた者なら、テレホタイムにサイトを読み込んだままトイレに行って帰ってきたらまだ半分も表示されてなかった、
なんて悪夢を一度や二度ならず経験しているはずだ。画像一枚満足に表示できない、そんな粗末な回線状況だったからこそ、
軽くて表示の速いテキストサイトは当時ネットの娯楽に飢えていた人々に受け入れられていったわけだ。
特別他のジャンルに比べて面白かったというよりは、文字だけのテキストサイトくらいしか娯楽としてまともに毎日見るに絶えるものが他になかったというのがかつてのネットだったのだ。
画像やムービーはそれだけで何メガというデータ量を要するのに対して、文字だけのテキストサイトはサイト全部のデータ合わせて1メガに満たないなんてことがザラにある。
データ量に対しての面白さの密度、という条件ならばテキストサイトにかなうものはネットに存在しない。これはかつて間違いなくテキストサイトが持っていた大きな大きなアドバンテージだった。
テキストサイトの未来 〜テクノロジー編(釜本雪生&くぼうちのぶゆき著 テキストサイト大全)
◆【再掲】VNIの黄昏
下記文は2006年に私がブログに書いたものである。
その後消したのだが、ローカルに保存してあったものを久しぶりに読み返してみると捨てるには惜しいと感じたためここに再掲する。
3年以上前に書いた文であるので今とは多少認識が違う点もあるのだが、あえて修正せずに、ほぼ当時のままの再掲である。
2006-08-28
太平洋戦争は1941年12月8日の真珠湾攻撃もしくはコタバル上陸に始まり、1945年8月15日の停戦、もしくは9月2日の降伏調印で終わる。つまり、期間は(1941.12.08〜1945.8.15)もしくは(1941.12.08〜1945.9.2)である。
テキストサイトブームの始まりは『侍魂』が先行者ネタを公開した01年3月3日である。これは色々な人が言っているし、私もそれで良いと思っている。確かにあの文がきっかけだと思う。では終わりはどこに定めればよいだろうか。テキストサイトブームの終わりはここだなんていっている人はいないし考えたことも無いだろう。しかし年表をつくってそこにテキストサイトブームという項目を入れるならばどうしてもその期間を書かねばならない。
2001年〜2002年 テキストサイトブーム
2001年3月〜 テキストサイトブーム
などと日付をアバウトに書く手もある。これも立派な手法で、そうせざるを得ないこともある。それこそなんちゃらブームというのはいつの間にか始まっていつのまにか終わっているものなので明確な日付を決めることが不可能なこともあるだろう。とは言ってもきちんと調べて、始まりと終わりに相応しい出来事があるのなら、何年何月何日〜何年何月何日としたいものだ。
物事手始めとしてここで言うテキストサイトブームの定義を明確にしなければならない。現状ではテキストサイトブームの定義が人によって違っており、それはネット文化研究が学問として成り立っていない現状ではしかたがない。
テキストサイトブーム:
(『ろじっくぱらだいす』『侍魂』『ちゆ12歳』などの活躍によって)テキストサイトが人気になり、
テキストサイトが急増した現象のこと。
と、ここでは定義する。
となるとテキストサイトブームの終わりとして相応しい出来事はテキストサイトの急増が終わるきっかけとなった出来事ということになる。
2006-08-29
テキストサイトブームにおいて最重要サイトを挙げるならば
『ろじっくぱらだいす』『侍魂』『ちゆ12歳』
だろう。次点として
『斬鉄剣』『無題』
といった所か。そして、彼らを模倣したサイトが急増し、テキストサイト界という勢力ができた。何故あの時、テキストサイトというものを多くの人が作ったのだろうか。
インターネットにより人々は自分の持っている技術を多くの人に見てもらう機会を得た。しかし、殆どの人は公開できるような技術を持っていなかった。例えばイラスト技術とかアプリケーションソフトを作れるだけのプログラム技術とか、
そういった技術は義務教育では教わらない。自ら道を選び努力した人でなければ、そういった技術は持っていない。
しかし文は誰でも書いたことがあるし、書ける。だれだって小学校で作文を書かされた経験はある。そして文は絵と違って、上手い下手がはっきりとは見えない。イラストサイトは出来なくても、自作ソフトウェアを公開するサイトは出来なくとも、テキストサイトなら出来ると思った人は多かったのだと思う。いわゆる「フォント弄り」技術も解りやすい技術で真似しやすかった。
テキストサイトは急増した。そしてその多くはすぐに消えていった。
2006-08-30
01年後半はテキストサイト界が最も勢いのある時期であった。『ろじぱら』『兄貴の館』等の痛い系サイトがリレーで「やおいSS」を書く企画「学園天国」。「堕落誌〜塾憂〜」が仕掛けて盛り上がった「アクセスアップ論」「アクセス数至上主義」。「テキストサイト論」的な文を書くサイトも多かった。『斬鉄剣』なんかはその代表格だろう。もっとも『斬鉄剣』の文には批判が多かったが・・・・・・『無題』を中心とした斬鉄剣批判は大いに盛り上がった。テキストサイトをレビューするサイトなんてのが現れた。ちゆクローン、いわゆるVNI系が現れたのもこの時期だ。
この頃のテキストサイト界には自己満足な日記ではなく読者が楽しめる文、価値のある文を書かなくてはならないという風潮というか空気というか、そんなものがあったように感じる。侍魂以後のサイトには、『侍魂』のように有名になるぞという野心と気合が感じられた。
とはいっても今言ったのは中堅以上のサイトの話であって大多数のサイトは、とりあえず「フォント弄り」を使って、自分だけが面白いと思っている文を公開しているだけであった。そしてそういったサイトは長続きせずに、すぐに消えていった。テキストサイトである以上、どうしても他者が見て面白い文を書かねばならない。それを毎日のように、そして長く続けなければばらない。批判されることも多い。テキストサイトの難易度の高さに人々は気がついていった。
02年になると、『侍魂』は殆ど更新しなくなり、リーダーシップを発揮していた『兄貴の館』は閉鎖。テキストサイトブームは下火になった。しかしVNI系は02年に入り、より勢いを増していくのである。
2006-08-31
01年8月、『ちゆ12歳』の模倣サイトである『ちよ74歳』が現れた。それ以降、『ちゆ12歳』の模倣サイトが増えていき、それらは量産型VNIと呼ばれた。
VNI系は多くが「ちゆフォーマット」という同じデザインを使っており、「ちゆフォーマット」を使っている者同士でリンクしあい、話題を共有した。この現象は、後に輸入される「Blog」と同じである。他にも、ちゆフォーマットとBlogは共通点が多い。デザインも似ている。ちゆフォーマットは優れたフォーマットだった。
ただ一点・・・「ちゆフォーマット」と「Blog」には大きな違いがある。Blogというものは何を書こうが自由。つまらない内輪日記を書いても無視されてアクセス数が伸びないだけ。「ちゆフォーマット」はどうだろうか。VNIの母・『ちゆ12歳』の分類は「テキストサイト」である。
テキストサイト界には自己満足な日記ではなく読者が楽しめる文、
価値のある文を書かなくてはならないという風潮がある。
「ちゆフォーマット」を使ったVNIはテキストサイト界の一派閥なのだ。「面白くあること」が問われるのである。
02年春、増加していくVNI達は次々とオンラインゲームに引きずり込まれていった。
RagnarokOnlineに・・・・・・。
2006-09-03
02年4月13日、『さやさや18歳』開設。
02年5月1日〜、『晴子28歳』がRO日記に。
02年5月8日〜、『名雪17歳』がRO日記に。
VNIは繋がりが強い。馴れ合っていると言ってしまってもいいだろう。だからROは瞬く間にVNI界に広まっていった。そして彼らを見たROプレイヤーによってRO日記をコンテンツにするVNI、ROVNIが数多く作られた。
ROVNIはVNIだからテキストサイトということになる。しかしROVNIは他テキストサイトとは決定的な違いがある。それはROVNIはテキストサイトをやろうと思ったわけではないということ。彼らは『ラグナロク・ナウ』『RODN』等のRO総合情報サイトのリンクから『さやさや18歳』の日記を見て、さやさやを真似てRO日記を書こうと思っただけだ。
テキストサイトの管理人の多くは『侍魂』『ろじっくぱらだいす』『ちゆ12歳』を見て感銘を受けた。そして自分も彼らのようになろうと思った。
ROVNIは『侍魂』『ろじっくぱらだいす』『ちゆ12歳』なんて知らないか知ってても少し見た程度。だからROVNIの中にはちゆフォーマットを使っていながら『ちゆ12歳』へのリンクが貼られていないものがあった。彼らにとっては「ちゆフォーマット」ではなく「さやさやフォーマット」なのだろう。「テキストサイト論」「アクセスアップ論」なんて言葉は当然知らない。しかし、彼らの分類はテキストサイトなのである。
ROVNIはテキストサイトであってテキストサイトではない。そしてROVNIのコンテンツは「ROプレイ日記」であり、その多くが「自分だけ身内だけが面白いと思っている文」であった。テキストサイトのあるべき姿からは程遠い。「フォント弄り」を使って、自分だけが面白いと思っている文を公開している侍魂模倣サイトと同じである。
9月、ROVNIは増える一方であった。そしてバーチャルネットアイドル総合ウォッチPART3ではROVNI叩きが加速していった。
2006-09-08
テキストサイト界には自己満足な日記ではなく読者が楽しめる文、
価値のある文を書かなくてはならないという風潮がある。
「自分だけ身内だけが面白いと思っている日記」だけがコンテンツである場合が多いROVNIに対し、
いち早く批判をしたのはVNIの『花火雪月花』であった。7月、『花火雪月花』はこう言ってROVNIを批判した。
「・・・厭味ですか・・・。ともかく私はこれまでサクラ大戦のことや管理人の考えなどを、拙い文章ながらそれなりに一生懸命伝えてきました。10HITでも継続的に見て下さっている方がいらっしゃるので嬉しかったです」
「しかし何ですか、ラグナロク日記しかやってないというのは。私より後から出てきたサイトにそういうところが多いような気がします」
「勿論全部が全部ではありませんけどね」
「そういうところが馴れ合いだけでアクセス数を一ヶ月で10000近くマークしているのを見て、正直私は愕然としました。管理人のサイトなんか、10ヶ月でようやく10000ですよ。・・・本当に、呆れました」
「そうはいきませんよ。・・・おそらく、同じような手で新規にVNIを始める方々が今後も出てくることでしょう。そしてそれは明らかに、楽しいニュースとテキストをお茶の間にお届けするVNIの掟を破り、VNI界全体の質を低下させます。・・・いや、私はもう、低下しつつあると見ています」
「・・・す、凄いこと言っちゃいましたね。明日メールボックス見たらウイルスがうようよしてるかも・・・」
「だから、もう私はVNIという世界にいるのは無意味だと思いました。勿論、素晴らしいサイト様は沢山あります。毎日色々なところから情報を集めてきてニュースを作ったり、おそらくは数時間も書けて論理的かつ面白いテキストを書き上げたり・・・そういう努力をしているサイト様には本当に拍手を送りたいと思います。しかし、上に挙げたようなサイトが蔓延することで、テキストやカウンタの意義、果てはVNIという存在自体が軽々しく扱われてしまうような気がしてならないのです。そしてそれは質の高い更新を続けるトップレベルのVNIの方々に対し、非常に失礼なことだと思います。」
しかし、弱小サイトだった『花火雪月花』がROVNIを批判したところで何かが変わるわけでもなく、ROVNIは増加し続けた。
9月、バーチャルネットアイドル総合ウォッチPART3ではROVNI叩きが加速。そしてROVNIを叩くことが目的のVNIが誕生する。
152 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日:02/09/04 09:09 CL1LWASc
お前ら、徹底的にRO系VNIを罵倒しまくるだけのVNI欲しいですか?
203 名前:152 投稿日:02/09/05 09:40 jfcx3Lsj
(略)
今回もそれと同じように、さやさやはただ最初にRO系を生み出しただけで、
それをマネしたアフォが悪いのではないかと。
さやさや程度のVNIサイトが1つ2つくらいあっても問題ないでしょう。
みんなが実際嫌がってるのは、劣化コピーが大量発生してることであって。
291 名前:偽さゆりん 投稿日:02/09/07 15:38 gRyAm33O
お前ら、出来ましたよーっ。
http://members.tripod.co.jp/sayuri18/
鳥ってなんだか重いですね……。あははー……。
こうして偽さゆりん(=152)はアンチROVNIサイト、『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳(偽者)』を開設させた。
はじめまして。私は、仮想世界に生きる”電子の厨房”佐祐理といいます。Kanonの倉田佐祐理よりもVNIの厨房さゆりんの方が(・∀・)イイ!!というヲチャー達を楽しませつつRO廃人どもを罵倒するために生まれた新しい形のVNIです。どうかよろしくお願いします。
偽さゆりんはVNIヲチスレ住民の期待を受けROVNI叩きを開始した。が、思わぬ敵が登場し、偽さゆりんはその敵に翻弄されてしまうことになるのである。
303 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! 投稿日:02/09/07 20:59 ISZTRgem
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pastel/5466/
新着ROVNI
2006-09-25
ROVNIを叩くためだけのサイト『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳(偽さゆりん)』は2つのサイトに負けてしまう。
それは『るぅりん☆6歳』と『レイホウ19歳』であった。
『るぅりん☆6歳』には「面白さ」で負けた。
『るぅりん☆6歳』は偽さゆりんが持つROVNIのイメージ
「ウザいキャラ」「ムカつく語尾」「有名人とのSS」「貢ぎ物」「ノーマナー」「死にオチ」「自己中心の日記」
をそのまま演じて、面白い文を書いてみせた。これにより偽さゆりんが主張したROVNI(ROプレイ日記)は面白くないという説が崩れてしまった。
さらに『るぅりん☆6歳』は『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』をヲチし、煽った。これにより、本来であれば『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』がROVNIをヲチし、からかうという構図であったはずが、ROVNI(るぅりん☆6歳)が『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』をヲチし、からかうという逆の状態になってしまった。
『レイホウ19歳』には論戦で負けた。
偽さゆりんにとってはROVNIが挑発にのって怒りに任せた反論をしてくると戦い易かったのだろうと思うが、いち早く反応したROVNIの『レイホウ19歳』はそうではなかった。
レイホウ氏の反論は上手かった。例えば、偽さゆりんが「ラグナロク日記書いてるだけの人がアイドルなんですかぁ?」と書いたことに対してレイホウ氏はわざわざ今までの自分の過去の日記を読み返し、
数
割合
プレイ日記
17
11.4%
馴れ合い
12
8.0%
その他
120
80.5%
という風にラグナロク日記だけを書いてる日が少ないことを具体的な数字で示した。
こういう風にされると偽さゆりんは反撃のしようがない。実際にラグナロク日記以外が書かれている日が多いのだから。
こういった場合は「レイホウさんはまともです。私が苦言を呈しているのは他の低質ROVNIサイトなのです。」と言ってレイホウ氏とは戦わない、無視をするのが上策と思うのだが、偽さゆりんはレイホウ氏に下手な反論をしてしまい、自滅してしまうのである。
こうして2つのサイトに負けた『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』であったが、偽さゆりんが犯した一番大きな判断ミスはROVNI叩きのサイトをVNIフォーマットでやってしまったことであった。
VNIフォーマットを使った『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』はVNIである。テキストサイトである。つまり『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』は面白くあることが求められるのである。しかし『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』はただの罵倒サイトであり、面白くなかった。だから支持を集められなかった。
『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』は一ヶ月も持たずに閉鎖となった
2006-10-07
低質ROVNIをVNI界から追い出そうとした『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』であったが、批判に対して反応したROVNIはそれなりに高い質のROVNIばかりであり、偽さゆりんが一番に批判したかった多数の低質ROVNI達は全く反応を見せず、批判は意味のないものに終わった。
02年9月11日、VNIブックマーク集である『ほかん庫』がROVNI騒動の影響により閉鎖を発表。
当方が更新の停止を決意した理由と致しましては、各々バーチャルネットアイドル(以下VNI)を一括りに『VNI界』として見た場合、その『VNI界の低質化』の現象が激化しているという事態が直接の理由に当たります。
VNIというものが一つのジャンルとして認識され始めてから久しい昨今、『VNI界』というジャンルの大きさは予測できない程の広がりを見せました。当方が確認している限り、そのサイト数は700を超えています。
しかしVNI界の拡大に伴い、それを構成する個々のサイトの低質化も目立つ様になってきたのもまた事実です。
ネタでは無いのにも拘らず数日で更新を停止してしまっているサイト。アクセス数稼ぎの為に無意味にちゆフォーマットを採用し、VNIを名乗るサイト。これが原因の全てではありませんが、この様な例を挙げ始めたら限がありません。
そしてそれらサイトの中には、ちゆ12歳様にリンクを張っていないサイトも多数見られます。
勿論ちゆ様がそれを強制・推奨しているわけではありませんが、フォーマットを借用している以上、敬意、場合によっては謝罪の念を払うためにリンクを張るのは『VNI』を名乗る者として当然の行為だと、当方はそう考えております。
氷瀬秋子氏から『ほかん庫(仮)』を受け継いだ時点で当方の中に在った、VNIらに対する期待と興味は、既に現時点では欠片程も残っておりません。VNI界を一ブックマーク集ページとしてまったりと見つめ続けるのは、時間の浪費と判断致しました。
結局は、「ちゆって誰?」と言い出す人間(最早VNIではない)が出現しそうな勢いで、それら劣化コピーとも言い難いサイトが増え続ける現状を冷静に静観し続けられるほど、当方は大人でもなかったという話です。
9月30日、『バーチャル厨房アイドル佐祐理18歳』が閉鎖となり、ROVNI騒動は終わる。拡大を続けていたVNI界であったが、この騒動により、ブックマーク集を失ったことで縮小に転じた。
・ ・ ・
01年3月3日、『侍魂』は「先行者ネタ」を公開、一大ブームとなった。それによって、人々は『侍魂』『ろじっくぱらだいす』『ちゆ12歳』に憧れ、「面白い文のサイト」を作ろうと思った。作れると思った。だから多くの人がテキストサイトを作った。
インターネットにより人々は自分の持っている技術を多くの人に見てもらう機会を得た。しかし、殆どの人は公開できるような技術を持っていない。例えばイラスト技術とかアプリケーションソフトを作れるだけのプログラム技術とか、そういった技術は義務教育では教わらない。自ら道を選び努力した人でなければ、そういった技術は持っていない・・・・・
でも文なら書けると思った。
しかし、沢山作られたテキストサイトの殆どはすぐに消えていった。テキストサイトブームによってわかったことは、面白い文を書くということはイラストを描いたり、アプリケーションソフトを作ったりするのと同じように難易度が高いという現実・・・本人が面白いと思って書いてる文も所詮「自分だけ身内だけが面白いと思っている文」でしかなかったという現実・・・・・・
そして最後は「自分だけ身内だけが面白いと思っている文」を書いているサイト達によってブックマーク集が潰され、テキストサイトブームは終わったのであった。
テキストサイトブームの始まりと終わり(考えたことを書く日記 )
2010.03.12「VNIの黄昏」を追加
2010.02.19Version1.00公開
2010.01.30制作再開
2009.11.08制作中止
2009.05.25制作開始
2008.11.21企画立案