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日本の陰謀(1) 1項


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1  前 書 2007/5/22
2  日本政府が歴史から消し去りたい日 2007/5/22
3  関東大震災と阪神・淡路大震災 2007/5/22
4  アメリカ同時多発テロ事件 2008/2/24
5  靖国神社を支援する日本のキリスト教 2007/6/1
6  靖国神社を支援する日本の仏教 2007/6/6
7  最新の日本の陰謀 2007/6/7
8  年金・保険の目的 2007/6/9
9  日本の支えるミャンマーの軍事政権 2007/6/10
10  日本では自殺は奨励され、時として強制される。 2007/6/11
11  日本の企業はほとんど政府の管理下にある。 2007/6/15
12  カナダで昔のテロ事件が問題になっている。 2007/6/17
13  1985年のテロを考える 2007/6/20
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  2007/5/22   #1

日本の陰謀 (1)

前 書


このシリーズでは、順不同に思いつくままに事例を取り上げる。

残念だが、この国には常に一貫した性癖がある。

歴史を書き換えるためには何でもする。

○○○○日に起こった出来事を取り消すことは出来ないが、同じ 日に派手な事件をぶつけて、自国あるいは世界のマスコミから都合の悪い出来事を消し去ることは出来る。

そうして人々の記憶は薄められる。不都合な事件が事前に予見できる場合は、同時に派手な事件がぶつけられる。予見できない場合は、その翌年以降の同じ日に派手な事件が引き起こされる。

過去の事件を上回る事件を作るのは大変な作業と準備が必要だ。それらは一般に、大災害・巨大なテロとなって現れる。

メディア論 田原総一朗
報道番組と世論形成


セント・ヘレンズ山


事前に予見される出来事に同時にぶつける事件

① 凶悪事件 奇妙で奇怪であればよい。出来るだけ費用をかけず世間を騒がせることが出来ればなおさらよい。やくざの抗争、強盗、立てこもり事件などがよく見られる。これらは最も見え見えで分かりやすい。だが、気をつけて見ないと、「やらせ」に気がつかない。メディアも政府とグルになって巧妙な報道を繰り返すからだ。

② 地震、津波、台風、大雨、大火事などの自然災害も同時にぶつけられる。現代の技術を使えば、それほど難しくはない。驚くべきことだ。

③ 事前準備が可能な場合は、仰々しい政治ショー、仰々しいコンサートなどがぶつけられる。

これらの陰謀はこれまで成功しているとこの国は見ている。これまでに判明した日付は、次の日付だ、他にもあることは間違いないだろう。次々と芋づる式に現れるのには本当に驚く。とりあえず思いつくままに並べてみる。

誇示したい事件

同じ日付に相手側に同様の事件を繰り返し、過去の事件をいやおうなく思い出させる。陰謀をほのめかすことにより、相手側を挑発する。相手側が挑発に乗って、この国を批判・攻撃すればなおさらよい。相手側を正面から攻撃するもっともな口実となるからだ。

① 1904年2月8日 日露戦争開戦 日本にとって記念すべき大勝利の戦争の開戦日

② 1964年10月10日 東京オリンピック

歴史から消し去りたい事件

自国民、他国民の記憶から不都合な事件を消し去ることが目的。歴史的な日付は記憶に残る。また○○周年記念などといって、国家行事などでマスコミの特集が繰り返されることから、将来の同じ日付に派手な事件をぶつけることで、事実上歴史から不都合な事件を消し去る。

① 1905年9月1日 日露戦争休戦 日本にとっては屈辱の休戦日。大勝利のつもりが、米国ルーズベルト大統領の仲介で引き分けに持ち込まれた。

② 1945年9月11日 GHQは戦犯容疑者39人の逮捕を指令。第二次世界大戦は講和で終った。つまり敗戦ではなく終戦だと信じていた日本の軍部にとって、この日は事実上の敗北の日で、日本軍部を裏切った米国への復讐の念は消えない。忌まわしい日だ。だが、客観的に見て、これは至極当然の成り行きだ。

③ 1963年11月22日 日米の衛星放送回線が稼動。これはケネディ大統領の積極的な後押しで実現。しかし日本にとっては屈辱の日だ。特に、日本のテレビ放送網に米国のライブ放送が加わることは、日本の放送業界の既得権を損なうものであり、許すわけにはいかなかった

④ 1991年1月17日 湾岸戦争開戦日 米国の指揮する連合軍の電撃作戦は、近代兵器を駆使した目覚しいもので、イラク軍を瞬く間に壊滅させた。日本は、歴史の片隅に追いやられ、軍事費の協力だけを要求された。世界の誰からも感謝されなかった。日本にとっては忌まわしい日だ。

⑤ 1993年8月6日 自民党宮沢政権崩壊、細川政権誕生

⑥ 2004年10月23日 パウエル国務長官は北朝鮮問題とイラク戦費の拠出で同日夕方来日。同時に新潟県中越地震が起こり、小泉首相はふざけた対応をする

⑦ 2005年3月20日 1月就任したライス国務長官は19日来日し、小泉首相と牛肉問題で会談。 20日羽田から韓国に向かうが、その飛行中、真下で、福岡県西方沖地震が起こる。日本から、「バイバイ。」の挨拶だった。

パロディ事件の捏造(ねつぞう)

最近の事件は多くが捏造だ。しかし、日本の事件は昔から捏造が主流で、昔は、警察もマスコミも丁寧に捏造していたため、わかりにくかった。最近は、かなり手口が荒くなっており、容易に判別できる。ここでは、分りやすい一例を取り上げる。

1980年1月16日、元ビートルズのポール・マッカートニーが来日、成田空港で大麻所持で逮捕される。 丁度10年後、1990年1月16日、今度は、俳優の勝新太郎がハワイ入国時、ホノルル空港にてコカイン所持で逮捕される。場所の設定がハワイというのが意味深だ。

参照 勝新太郎の芸名は、中国で「常勝軍」を組織したタウンゼント・ウォードにちなんで名づけられた
日本は第二次世界大戦の戦勝国 第二次世界大戦は八百長だった
日本は古代エジプト王朝 ナチス・ドイツは生き延びた

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2007/5/22   #2

日本の陰謀 (2)


1991年1月17日
1992年1月17日
1994年1月17日
1995年1月17日


日本政府が歴史から消し去りたい日

1991年1月17日 湾岸戦争開戦 米国の指揮した連合軍の電撃作戦は、近代兵器を駆使した目覚しいもので、イラク軍を瞬く間に壊滅させた。日本国民はCNNの生中継に魅せられた。日本は歴史の片隅に追いやられ、軍事費の協力だけを要求された。世界の誰からも感謝されなかった。本当に忌まわしい日だ。

湾岸危機から戦争にかけて、石油価格が値上がりした。それはバブル景気に浮かれていた日本経済を直撃した ブッシュ大統領率いる米政府は同盟国として日本に戦費の拠出と共同行動を求めたが、日本政府( 海部俊樹政権)はこれでパニック状態になった。

日本政府は軍需物資の輸送を民間の海運業者に依頼したが、海運組合はこれを拒否した。急いで作成した「 国連平和協力法案」は自民党左派や社会党などによって廃案となった。これは、「やらせ」と見るべきだ。
日本政府の陰謀 1月17日に新たな歴史を作り、復讐の意味もこめた。

約1年後、 宮沢首相はブッシュ大統領夫妻を東京に招くが、同夫妻はボロボロにされた。 バーバラ夫人の事態収拾のスピーチは本当に素晴らしく、救いだった。宮沢が、倒れたブッシュ大統領を眺めて微笑みながら拍手していたのは、「バカ丸出し」で、本当に、「猿」に見えた。「インフルエンザ腸炎」というのも、陰謀を感じさせる。湾岸戦争一周年記念を言ってもらいたい米国政府に先制アタックをしたつもりだろう。

湾 岸 戦 争

晩餐会で倒れるブッシュ大統領


顔面蒼白のブッシュ大統領

ノースリッジ地震

1992年1月7日来日。
 1月7日10:53 大統領専用機「 エア・フォース・ワン」で大阪空港旅客ターミナルビルの特設駐機場に到着
  11:20 大統領専用ヘリコプターで京都御苑に到着
   京都御所を見学する
   蹴鞠(けまり)に参加
   料亭・岡崎つる家(京都市)での海部俊樹前首相主催の昼食会に出席

 1月8日 宮澤首相と 迎賓館(東京都港区)で1回目の首脳会談
   赤坂御所 マイケル・アマコスト駐日大使とペアを組み、天皇陛下・皇太子殿下のペアとテニスをし、2連敗
  同夜、首相官邸大ホールでの宮沢首相夫妻主催の晩餐会で倒れる
  (バーバラ夫人の事態収拾のスピーチは素晴らしかった)

  1992年1月17日 朝鮮人従軍慰安婦問題で訪韓した宮沢首相が初の公式謝罪。これは、日本にとって寝た子を覚ますような暴挙で、韓国政府と韓国国民を狂喜させた。これは、日本政府の本意ではなく、マスコミを騒がせることが目的であったことは、後の歴史が物語る。今日、この際立った政治的発言を取り上げる政治家やジャーナリストは皆無だ。

1994年1月17日午前4時30分55秒(太平洋標準時)、カリフォルニア州ロサンゼルス市ノースリッジで地震が起こった。ノースリッジ地震あるいはロサンゼルス地震と呼ばれる。マグニチュードは6.7だったが、震源は14.6キロと、極めて浅かった。被害を受けた人は、死者57名、負傷者約5400人、入院1467名にのぼった。また、高速道路が崩壊するなどの大きな被害を受け、米国史上最も経済的損害の大きい地震となった。

奇しくも、ちょうど一年後1995年1月17日、日本では阪神・淡路大震災が発生した

1995年1月17日火曜日午前5時46分52秒地震が発生した。多くの被害を出した。震源 : 兵庫県津名郡北淡町(現在の淡路市)の北緯34度36分、東経135度02分、深さ16㎞の活断層
地震の規模 : マグニチュード7.3

両方の地震とも、震源が極めて浅い 深発地震

深発地震は震源の深さが深い地震であるが、実際のところ明確な定義はない。おおよそ深さ60kmまでの地震を浅発地震、60kmから200kmまでの地震を稍深発地震、200km以深で発生する地震を深発地震と言う。深さ500~670kmで発生することが多い。深発地震は670km以深では発生しない。

奇しくも、ちょうど一年後(1995年)の同日、日本では阪神・淡路大震災が発生した。

参照 ブッシュ大統領(父)の来日は、ソ連崩壊の記念だった。
来日した1992年1月7日はユリウス暦で1991年12月25日ソ連崩壊の日だった。

それだけではない。この日は、
第二次世界大戦以降欧州最悪の大量殺戮「スレブレニツァの虐殺」の始まりの日だった。
この日、ボスニア・ヘルツェゴビナで、「スルプスカ共和国」が設立される。
1995年7月13日この共和国軍は8千人のボシュニャク人を殺害する。
だが、この日は昭和天皇の歴代最長寿天皇達成10周年記念日で、
また、明治天皇の没後83周年記念日でもあった。
この大量虐殺を許した国連軍の総指揮官は日本の明石康だった。
日本の陰謀を否定することは難しい。
阪神大震災は、第二次世界大戦末期、無条件降伏に反対して割腹自殺した
阿南陸軍大将を記念したパロディだった
松下康雄が日本銀行総裁に就任した日は、旧暦で阪神大震災の日と一致した
人工地震 美濃・尾張地震 スマトラ島沖地震 災害と経済 吊橋が疑わしい
明治東京地震 岩手宮城内陸地震 サンフランシスコ地震 アラスカ地震 四川大地震
新潟県中越沖地震 ロシア・サハリン州の地震

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2007/5/22   #3

日本の陰謀 (3)


1905年9月1日
1923年9月1日

1991年1月17日
1992年1月17日
1994年1月17日
1995年1月17日

日本の陰謀(2)で阪神大震災について述べたが、この地震はしばしば関東大震災と比較される。これもまた奇妙な一致点がある。

阪神・淡路大震災 画像

続ビデオ

日付は、過去の忌まわしい戦争記念日

1. 関東大震災 1923年9月1日

1905年9月1日は、日露戦争で両国が休戦議定書に調印(休戦)した日だ。しかしこれは米国の介入の結果であり、戦勝国になりたかった日本にとっては屈辱の日だ。もちろん日本の教科書や歴史書では日本の勝利と書かれてはいる。だが、実際は「引き分け」だった。いや、引き分けにされた。政府としては日露戦争を日本海海戦の華々しい勝利で飾り、この日は国民の記憶から消し去りたい日付だった。

これから後、9月1日は「日露戦争終戦記念日」ではなく、「関東大震災の日」となっていく。今日、9月1日に日露戦争を思い出す人はいない。

2. 阪神大震災 

リーダー不在

地震発生時、奇妙なことに、日本政府の事実上のリーダーが不在となっている。責任を逃れるために、そういった状況を作り出したものと考えられる。

1.関東大震災 首相がいない

1918年に第一次世界大戦が終結し、荒廃したヨーロッパに変わる工業製品の輸出によってもたらされた戦争特需による好景気も、ヨーロッパの急速な経済回復によって終わり、景気に陰りが見えてきた日本経済に甚大な打撃を与えた。

折りしも加藤友三郎首相が8月24日(震災発生8日前)に急逝して「首相不在」という異常事態下での災害だった。通信・交通手段の途絶も加わり、関東以外の地域では伝聞情報による情報収集に頼らざるを得なくなり、新聞紙上では「東京全域が壊滅・水没」、「津波、赤城山麓にまで達する」、「政府首脳の全滅」、「伊豆諸島の大噴火による消滅」などと言ったデマや噂が取り上げられ、その中に「朝鮮人が暴徒化した」というものもあった。

憲兵隊や陸軍の中にはこの混乱に乗じ、自由主義や社会主義の指導者を一掃しようとした。大杉栄・伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが殺された甘粕事件、平澤計七らが殺された亀戸事件、在日中国人指導者の王希天などの殺害事件が起きた。

またその被害の大きさから、一時は遷都も検討された。遷都の候補地には姫路や京城などが挙げられた。

2.阪神大震災  自民党首相がいない

関東大震災では、都合よく加藤首相に死んでもらったが、今度は、湾岸戦争に端を発したバブル崩壊で自民党は都合よく野党に転じており、政治の黒幕の自民党は責任を社会党の村山に押し付けることに成功した。

人工地震を連想させる共通した事実

日付だけでなく地震発生時間も異常だ。 地震の震度が極めて浅く、人工地震の可能な深さだ。

1.関東大震災 正午に狙い撃ちされた。

関東大震災は1923年9月1日11時58分に伊豆大島付近、相模湾で発生した地震。マグニチュードは7.9。

2.阪神大震災 「 砂漠の嵐」作戦開始時間と一致。

「砂漠の嵐」年表

まず、米国政府は「砂漠の嵐」作戦を発表した。
マーリン・フィッツウォーター大統領報道官は、「クエートの開放が始まった・・・」と発表。

1月17日午前2時38分(クエート時間)1月17日午前8時38分(日本時間)空爆開始。

(これは、爆弾投下時間であり、厳密に言うと、ヘリコプターが離陸したのは、約3時間前の日本時間午前6時前となり、奇しくも阪神大震災の時間と一致する。これで、地震発生の時間帯の謎が解けた。)

救援活動が必要以上に不適切

故意に被害を拡大させており、正常な消火活動等の救援活動が見られない。

1.関東大震災 地震の衝撃よりもむしろ同時多発火災や軍・警察の不適切な誘導で多くの死傷者が出た。もちろん多くの外国人が殺害された。

1923年9月1日午前11時58分に発生した関東地震は、 地震後同時多発した火災によって、東京市に壊滅的な被害をもたらした

2.阪神大震災 消防車の消火活動がなく、暴走族が火災の周辺を走り回り異様な光景が目立った。関西電力の通電により、地震直後ではなく、2~3日してあちこちで火災が発生した。建物の中に閉じ込められた人々は、生きたまま焼かれた。

政治的、社会的に好都合な地域と時間帯

1.関東大震災 明治初期人口100万人を抱えた東京は、事実上世界の大都市だった。しかし、その後の欧米の発展に遅れを取り、日本政府はどうしても東京の改造を急がねばならなかった。地震の後、東京の近代化が急速に進展する。

2.阪神大震災 当時世界最大の明石海峡大橋が建設中で、吊橋の主ケーブルが架けられた直後だった。地震を克服したことで、日本の建築技術を世界に披露することになったと言う人もいる。だが、地震の浅い震度と人工地震の可能性を考えると、明石大橋にかかった地震の負荷は少なかった。

その他

1.阪神大震災のあと地震予知が大きな問題となった。先進国のギリシアを見習って地震予知システムを導入する議論も活発化した。しかし、地震学会は最終的にこれを拒否した。もともと予知をすることなど馬鹿げている。人工地震なのだから。政府が防災対策に本気でないのはここに原因がある。地震訓練は「やらせ」にすぎない。

ギリシアで地震予知が国家規模で行われ成功していることは世界的に知られているが、日本では無視される。

アルカイダボジンカ計画は阪神大震災のことだった。

1995年1月21日を決行日とするテロ計画が事前に発見されたが、この事件の発端となったフィリピン航空434便爆破事件は、1994年12月11日に起こっている。

この決行日の前後にテロらしきものは阪神大震災以外に見当たらない。

この日1994年12月11日、第一次チェチェン紛争が勃発した。日本は、チェチェン紛争に関与していることをほのめかした。このような事例は結構多い。実際、第二次チェチェン紛争では、2004年8月21日のテロ爆破事件が起こったが、日本では同日、長渕剛が鹿児島の桜島で7万5千人を動員するオールナイトライブを敢行していた。8月21は、源頼朝征夷大将軍に就任した日だった。

この話は終わらない。

その後は 3月20日 9月11日となって、日付合戦が続く。米国まで乗り出してきたようだ。、

参照 阪神大震災は、第二次世界大戦無条件降伏50周年記念日を記念したパロディだった
阪神淡路大震災と日本銀行 ノーベル賞と日本の秘密 とことんユダヤ人をバカにする日本
人工地震 6月8日のでっち上げ事件 阪神淡路大震災と明石海峡大橋 日本の政治家

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2008/2/24 #4

日本の陰謀 (4)

アメリカ同時多発テロ事件


アメリカ同時多発テロ事件は、2001年9月11日にアメリカで発生したテロ事件だ。世界では「9.11事件」と呼ばれるが、日本では、「同時多発テロ事件」と呼ぶ。ただ2005年にイギリス、ロンドンで ロンドン同時爆破事件が発生したため、「アメリカ同時多発テロ事件」と呼ぶことが増えた。

私はこの事件を英文のページで2007年5月29日公開したが、日本語での公開はインパクトが大きく、また簡単に理解してもらえないだろうと考え、保留した。そのまま今日まで月日が過ぎた。

だが、三浦和義米国当局に逮捕されたというニュースで、このロス疑惑まで関係あることを知った。そして、日本の陰謀は否定できないことを確信し、日本語での公表に踏み切った。要点は次のとおり。

アメリカ同時多発テロ事件 画像


(1) 三浦の逮捕は1985年9月11日で、その日は 東條英機逮捕の40年目の日だった。この日は、 日本にとって復讐の日だった。三浦和義は林真須美の支援活動を行い、北朝鮮テロ支援国家指定解除の日、10月10日午後10時に自殺した。10月10日は北朝鮮と日本にとって重要な日だ。三浦の弁護人・弘中淳一郎弁護士の誕生日は、東條英機の逮捕の日と一致する(旧暦1945年9月11日)。

三浦和義は三浦義一の身代わりとして登場した。三浦義一はA級戦犯でありながら米国占領軍に魂を売り、室町将軍として威張り散らした。日本の敵だ。三浦和義は、その身代わりとして事件を起こし、わざわざ米国に捕まりロサンゼルスで自殺した。

(2)  1985年は中曽根首相の指揮下で活発なテロが行われた。この年は、日本にとって終戦40周年記念の重要な年だった。

(4) 女優の 夏目雅子はこの日白血病で死亡した。この女優の死も少し疑わしい。しかも夏目雅子の報道はしばらく続いた。

(5) 2001年9月11日、日本には 二個の台風が上陸した 1966年6月28日、ビートルズ初来日の際、東京の羽田空港は台風4号の直撃を受け、ビートルズの乗った飛行機の空港着陸は大幅に遅れた。 台風はしばしば事件に利用される。台風の人工操作はすでに述べた

(6) 事故直後から、日本では「同時多発テロ事件」という聞きなれない呼び名が統一して使用された。日本では、大事件を日付で呼ぶことは珍しくない(2.26事件、5.15事件)。なぜこの事件を世界に合わせて日付で呼ばないのか説明がつかない。大事件や大地震の呼び名は当初多様なものが使われ、徐々に統一されるものだが、この事件では、待っていましたとばかりに、呼び名が統一された、そしてこの奇妙な呼び名が採用された

(7) この事件は真珠湾攻撃と比較されるが、この事件はどうして、世界では「日付」で呼ばれるのか。これには、日本政府の大きな意図があった

(8) 事件直後、中国の胡錦涛国家主席は、米国のブッシュ大統領に直接電話し協力を申し出た。ロシアのプーチン大統領は、ブッシュ大統領に対して、米国が国境空域で戦争時警戒態勢を取ることを認めた。しかし、日本の小泉首相については、何の報道もなかった。それどころか、小泉が被災地を訪れたのは、先進国首脳の中で最後だった。

(9) 事件直後公開されたビデオで、オサマ・ビン・ラディンは、「かつて広島と長崎に原爆を落とした米国がテロを非難する資格はない。」などと、全く関係のない日本の話を持ち出した

(10) 事件直後、株式相場の暴落で巨額の利益を得た者がいた。まるで、事件を予測するような変則的な先物商品が舞台裏で扱われたという情報がしばらくネット上に飛び交っていた。今日、そのサイトは見当たらない。これについては、2008年1月10日の
国会・外交防衛委員会でも取り上げられた。

(11) 事件の前日、9月10日、農林省は、日本初の狂牛病の発生を発表した。狂牛病は検査確認で判明する病気であり、政府は発表の可否、発表の時期を自由に設定できる。9月10日の発表は翌日の大事件を考えれば、最も日本に都合のいい日付だった。

(12) その後も小泉・安倍政権は9月11日にこだわり続ける

(13) ドイツやフランスと反米という点で、奇妙な連帯が生じた

多くの人はもうテロ事件を忘れているかもしれない。だが日独仏の同盟関係は強く感じられる。フランスは第二次世界大戦では連合国だったと思う人も多い。だが、フランスはすぐにドイツに降伏した。フランスはドイツに敵意を持っていたように見えるが、それ以上に米英に敵意を持っていた。今日でもその構図は変わらない。

フランス公使レオン・ロッシュは、幕末江戸幕府を支援した。箱館戦争では、軍事顧問ジュール・ブリュネは、榎本武揚を支援した。明治の薩長政府が英米と国交を結んだため、フランスは表面上江戸幕府と手を切る。だが、引き続き、反英・反米に関する対日工作は続く。このフランスの二枚舌外交は奇妙にも日本の利害と一致した。だが、江戸幕府が崩壊すると、1870年フランス王政は崩壊した。ナポレオン3世普仏戦争プロイセンの捕虜となったのだ。軍事面でフランスは海軍技術者ルイ=エミール・ベルタンを派遣し日本を支援するが、間もなくそれも破たんした。フランスの新造船巡洋艦畝傍が沈没した。代わりに英国で巡洋艦千代田が建造された。以後、表面上日本でのフランスの影響力は縮小した

第二次世界大戦では、カンボジアやベトナムでは、フランス海軍は日本海軍と同盟して米英と戦った。

これらは、歴史のひとコマにすぎない。だが、日独仏三国はかつて辿った歴史を繰り返しているようにしか見えない。

参照 ■ 日本の陰謀における狂牛病発生は、政治家のポスト就任へのあてつけの要素が強い。

2001年9月10日発生した狂牛病は、メガワティのインドネシア大統領就任にぶつけられた
2012年4月24日発生した狂牛病は、選挙に当選したロシアのプーチン大統領、
香港の梁振英(りょうしんえい)行政長官にぶつけられた
日独政府・自動車業界は、アメリカ同時多発テロ事件に日付を合わせて、
東京モーターモーターショーとフランクフルトモーターショーを開催した
9.11事件は、旧暦で2001年7月24日。この日は、1901年9月6日(旧暦7月24日)に
起こったマッキンリー大統領暗殺事件の旧暦での100周年記念日だった
島田紳介の電撃引退は、アナログ放送終了と清涼殿落雷事件の菅原道真の怨念を記念した。
この日は、日本の暦で、911テロ事件10周年記念日だった
9月11日をあざ笑う日本の政党 9.11の遺族代表が航空機事故で死亡
ハリケーン・カトリーナが席貿易センターを再び襲う 日本初の同時多発テロ:岩倉使節団

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2007/6/1   #5

日本の陰謀 (5)

靖国神社と日本の宗教


靖国神社を支援する日本の キリスト教

(1) カトリック

太平洋戦争中、靖国神社参拝が強要された折に、それに反対した学生への弾圧を受けて日本のカトリック教会は「靖国参拝は宗教活動に当たらない」との見解を出した。以後カトリック教会は戦争に協力した。司祭や信徒の中には天皇の神性を否定して逮捕された者もいる。しかし、終戦直後に靖国神社の扱いが問題になった際、カトリックの当時教皇庁駐日代表だったブルーノ・ビッター神父は靖国存続意見を提出した。

ローマ教皇庁は靖国神社への参拝を「宗教的行動でないから自由に参拝してよい」とする。

1960年代に入ると、信徒の参加と日本独自の文化への配慮を重視するようになり、仏式・神式の儀式への参列・焼香等が一定の条件付で許可される。

(2)プロテスタント

プロテスタント(当時は殆どが日本基督教団に合同)もカトリックと同様の立場を取っていたが、殆ど全ての教会に求道者を装った特高の密偵が入り厳しい監視下に置かれ、牧師連行などの弾圧を受けた。

私は、今日でもこの密偵の家族と一般の信者の区別はつかないと信ずる。いや、すべて、特高の協力者に変わったと考えたほうが現実的だ。

戦後は合同教会としての日本基督教団とともに、各教派の教団も再建された。救世軍など活動を禁止されていた教派も活動を再開した。連絡組織として日本キリスト教協議会、日本福音同盟など、またカトリックなども包含する日本キリスト教連合会が結成されている。だが、実態ははっきりしない。

2007年8月15日靖国神社 画像

小泉首相靖国参拝


靖国神社


長崎の大浦天主堂


大浦天主堂内部

(3) 東方正教会

日本の正教会は ニコライ・カサートキンらの伝道師を最初に派遣したロシア正教会の指導下におかれていた。・・・

「天皇及び皇族のための祈り」「為政者への祈り」があるなど、基本的に体制従属的と言われている。

カトリック教会が靖国神社を支援する理由

「かつて軍国主義政権の圧力のもとで、当時のカトリック教会の指導者は靖国神社をはじめとする神社参拝を心ならずも『儀礼』 として容認してしまいました。

首相の靖国神社参拝に抗議する声明」では、政教分離を主張しており、政治家が靖国参拝をするのが、外国を刺激するのでよくないと言う。一般信者の靖国参拝には触れておらず、事実上容認する。

カトリック教会が靖国参拝を勧めた時代、日本のカトリック教会は、“転びキリシタン”そのものだった。

ローマ法王・・「愛国心と宗教心の表明において、……神社参拝を宗教行事でないと政府当局が保証したのなら、信者はそれを実践しなければならない。」・・1932年

カトリック教会の日本人信徒には神社参拝が認められただけでなく、神社参拝は教会関係者が率先垂範して行なうべき責務、実践すべき徳目とされた

日独伊三国軍事同盟がここでもよく機能する

イタリアのムッソリーニは、ファシスト党を組織して一挙にイタリアの政治舞台に踊り出たが、国民の間では全く無関係な日本と、そして本来多くの支持者がいたわけではないドイツと同盟を結んだ。イタリア国民には寝耳に水だったはずだ。

しかも、ムッソリーニは、バチカンの権威にこだわり、当時イタリアの首都ローマの一部であったバチカンを、正式に「国家」として認めた。

1929年2月11日になってようやく教皇ピウス11世の全権代理ガスパッリ枢機卿とムッソリーニ首相との間で合意が成立

※奇しくも、この日は日本政府が神武天皇の即位をもって日本紀元元年に定めた2月11日の祝日「紀元節」(現在の建国記念日)と一致する。

バチカンの国家成立は、日本の建国記念日だったのだ。その後、ファシスト党に負い目を負ったバチカンは、ムッソリーニの言うことは何でも聞いただろう。日本の靖国神社のことなど知る由もない。

ドイツのヒットラーにも日本の匂いがぷんぷんするが、ムッソリーニも日本により作られた怪物人間、怪物集団と考えることはできる。日本の歴史には奇妙な日付の一致が多すぎる。

この3年後、バチカンは日本のカトリック教会に対して、靖国神社に参拝することを勧めた。

バチカンはナチス・ドイツにお墨付きを与えた

1933年7月20日 教皇ピウス11世は、ヒトラー率いるナチス・ドイツと政教条約を結び教会は司教・信者のナチスへの忠誠を誓った。これは後に大きな批判を招いた。

ナチス・ドイツとの政教条約に大きな役割を演じた元ローマ法王、ピウス12世の没後50年のミサが2008年10月9日、バチカン法王庁で行われた。現在の法王ベネディクト16世は「ピウス12世はあらゆる迫害から人々を救おうとした。」と擁護した。

バチカンのナチスに対する姿勢は今日も変わっていない。

日本でもしかり

終戦後、バチカンと日本政府、日本のカトリック教会の間では、この点について、何の協議も見直しもない。と言うことは、このバチカンの指令は今でも「有効で生きている」わけだ。

一般に、最も信仰心が厚く平和主義者であると報道され、国民もそう信じているキリスト教会がこの有様だ。

正直、その見事な欺瞞に恐れ入った。

参照 日本基督(キリスト)教団創立の日は、 室町幕府第6代将軍足利義教(よしのり)の謀殺500周年記念日
この教団は、 皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会における決議に基づき成立した。
日本と十字軍には重大な関係がある 靖国神社を支援する日本の仏教
靖国神社創建の日、鹿児島は集中豪雨 美女はスパイ 究極の民族浄化
旧日本軍の残虐行為 靖国神社を参拝するクリスチャンの麻生太郎 天気操作と靖国神社
三位一体の改革 鎖国とキリシタン弾圧 日本とユダヤ人の歴史
ユダヤ人とバテレン追放令 秦の始皇帝と島津十文字 岩倉使節団と明治政府のキリスト教禁教政策
フランス王フィリップ4世は日本人 モルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)

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  2007/6/6   #6

日本の陰謀 (6)

靖国神社を支援する日本の仏教


(1)本願寺派 宗教心など微塵も感じられない俗物組織だ 靖国神社より先を走っていた。

近代日本の国家体制を作っていった時期に当たる明治13年に、寺法は制定されました。大日本帝国憲法の、約10年前です。それが、第二次大戦でピークを迎える、天皇制ファシズムの時代に入り、本願寺派は、神祇不拝を放棄し、戦時教学を取り入れる。宗教団体法施行(昭和15年)後に制定された真宗本願寺派宗制(16年)では「王法為本ノ宗風ヲ顕揚ス是レ立教開宗ノ本源ナリ」と宣言するに至ると、本願寺挙げて前面的に戦争協力を行います。

仁徳天皇陵の秘密
古代イスラエルの痕跡

その後、新憲法(日本国憲法)制定の動きに合わせて、新宗制・新宗法が制定されていくわけですが、これによって、世俗法と宗教法とが、密接に関連して作り上げられてきたことが分かります。となれば、今後も、政治体制の変化によって、どうにでも変わることがある、ということでしょうか。

(2) 日蓮宗昭和の三派合同 このサイトは日蓮宗の立場で書かれており、都合の悪い部分はのかしてあるが、行間から十分に状況は世も取れる。無理やり靖国神社を押し付けられたのではなく、熱狂的に戦争を煽ったと考えたほうがいい。

すべての宗教団体は文部大臣の許可を義務付けられるなど、国家がいよいよ非常時に突入し、社会組織も個人も国家の統制下に入らざるを得ない時、宗教各界もまた、極力団結して国家目的遂行に奉仕すべきことを要請されたわけである。

農地解放で打撃を受けたのは、不在地主、財閥だけでなく、大地主だった寺社も含まれていたことは初耳だ。軍国主義を支えたのもこのあたりにあるのだろう。

(3) 曹洞宗 日本の仏教会は全て戦時教学

満州事変以降の戦時体制強化の中で、本願寺派をはじめ、仏教諸宗派は戦時教学化を進めた。

---------------
※結局、日本の宗教は世俗主義の塊で、宗教という衣をかぶった、利益集団なのだが、批判するものがいない日本社会(マスコミも沈黙)では、国民も実態が分からない。

だが、本能的に宗教は危ないものという認識が染み付いており、西洋のキリスト教などの浸透を防いでいると同時に、無宗教的な無関心人間を作り出している。

拝金主義と日和見主義はその典型だ。多くの日本人は、正しいか間違っているかではなく、損得で行動し、人間関係も築く。こういった人間関係がいい加減で危ういことは、日本人が一番知っている。
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戦後の混乱・革新の気運が渦巻く中、唯物論的立場よりの反宗教闘争、新興宗教の勃興、キリスト教の進出による危機感、そして、それらを包み込む貧困と社会不安。なすべき術を失った仏教界の深刻なる反省の欠如、道義の低下混迷のなかで、・・・・

参照 真珠湾攻撃が行われた12月8日は、仏教の開祖、釈迦が悟りを開いた成道(じょうどう)の日だった
靖国神社を支援する日本の キリスト教 ダライ・ラマ ヒトラーと七人の侍

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  2007/6/7   #7

日本の陰謀 (7)

2007年5月の日本の陰謀


陰謀の特徴

これまでも、重要なイベントには必ずその前後に、何かをほのめかす事件が起こり、全て日本に都合がいい。

1.

日程の調整できるイベントは、出来る限り、日程を調整する。もっぱら金がばらまかれる。関係者は、日本が特定の日付にこだわる理由を知らないから、すんなりと受け入れられる。

2.

自然災害を起こす。国内での報道は、予定の日付けに集中的に行う。誇張を伴う。

3.

海外の政治家にショッキングな発言・行動をさせる。当然発言を金で買う。これも簡単だ。


今回の目的

IWCで敗れた日本にとって、G8サミットで懸念される日本の孤立を国民に隠すことは至上命題。特務機関員、大臣、外務省、マスコミは総動員。米国、英国、中国に恥をかかせることだ。

カンヌ国際映画祭と、ミス・ユニバース・コンテストで華やかさに勢いをつけ、IWCに臨んだが、敗退。

今度は、敗退のシナリオにもとづいて、邪悪を演出する。

これまでは、国内で、発砲事件、拉致監禁事件などでマスコミをにぎあわせるのだが、今回は差し控えたようだ。

ロシアの政治家は簡単に賄賂で動く。以前のボリス・エリツィンなどは、北方領土問題で、明らかに無心していた。

海外のデモ隊、パパラッチ、フーリガンなどは、ほとんど日本の背後での動員と見ていい。昔から得意分野だ。これらの人間は、すでに3代目になっているものもいる。台湾の李登輝前総統は、親の時代から二代目で、実兄は靖国神社に祭られている。李登輝がたまたまそういった人間なのではなく、そういった人間を、金と人脈を使って総統にまで育てたのだ。
松岡農水大臣

松岡農水相自殺事件の真相

ミス・ユニバース世界大会で
日本人の森理世が優勝

カンヌ国際映画祭に
北野監督出席

IWC総会と窮地に立つ日本

シナリオ

2007年5月28日(月)
第60回カンヌ国際映画祭で日本映画「殯(もがり)の森」が二席に当たる審査員特別大賞「グランプリ」を受賞。

松岡利勝農水相(62)が28日昼、東京・赤坂の議員宿舎で首つり自殺を図り、意識不明の状態で発見されたが、同日午後2時、搬送先の慶応大学病院で死亡した。

★2007年5月29日(火)
【アンカレジ(米アラスカ州)1日】国際捕鯨委員会(IWC)総会が開幕した。

07年ミス・ユニバース・コンテストが28日、メキシコ市で開かれ、日本代表が優勝した。優勝の大本命だったアメリカ代表レイチェル・スミスさんがドレス審査中にステージで足をすべらせてコケたのだ。

この大会の模様は、米国人にとって、驚きを与えたのは、米国代表のレイチェル・スミスさんに対する目立った野次、会場内のメキシコ人観客のしつこい反米感情だった。

★2007年6月1日(金)
【アンカレジ(米アラスカ州)1日】国際捕鯨委員会(IWC)総会が1日、閉幕した。
沿岸捕鯨、認められず=日本、IWC脱退も辞さず

★2007年6月3日(日)

新華社電によると、中国南西部、雲南省のプーアール市で3日午前5時34分(日本時間同6時34分)、マグニチュード(M)6・4の地震があり、3人が死亡、290人以上が負傷した
最近の地震は、日本国内でも日曜が多い。

日本国内のニュースは誇張が大きい

雲南プーアル地震、被災者は100万人に

★2007年6月4日(月)

「ミサイル照準、欧州向けに」 ロシア大統領が強硬発言

★2007年6月7日(木)
ドイツでサミット開幕 9日まで

主要国首脳会議(サミット)が開かれるハイリゲンダム周辺に六日、先進国主導の経済運営などを批判する「反サミットデモ」の参加者約一万五千人が押し寄せ、一部が警官隊と衝突し、負傷者も出た。

第三十三回主要国首脳会議(G8サミット)が六日夜(日本時間七日未明)、ドイツ北東部ハイリゲンダムのホテルを会場に独首相主催の非公式夕食会で開幕。八日までの三日間の日程で地球温暖化対策とアフリカ支援、ヘッジファンド規制が主要議題として討議される。最終日にドイツのメルケル首相が議長総括を発表する予定。

2007年6月7日(木)
台湾の李登輝前総統、靖国神社を参拝。

参照 映画俳優のクリント・イーストウッドも日本人の可能性が高い。
誕生日は、日本プロレタリア映画同盟の「プロレタリア映画の夕」開催と一致。
西暦・旧暦ともタイタニック号の進水式と一致している。
松岡農水相の自殺は、日本の第二の敗戦を物語る

27年ぶりのアメリカ・イラン公式協議、東ティモール大統領選挙、
シラク仏大統領の選挙不出馬表明、英国議会は貴族院への直接選挙制導入案を可決。

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  2007/6/9   #8

日本の陰謀 (8)

年金保険の目的


1. 日本の年金制度は、ナチス・ドイツの年金制度を真似たものだ。それは、国民から無期限に金を集め、軍備と私腹に充て、年金の支払期限が来たら、いろいろな理由を付けて、税金で支払うというよく出来たトリックだ。今日の日本は正にこの考えに乗って年金行政を行っている。

2.特攻隊、玉砕など、自ら死んでいった日本兵は、天皇のためというより、むしろ残った家族と借金のために死んでいったと考えたほうがわかりやすい。石原も何故か同じことを示唆している。戦前・戦時中の保険・年金の情報が歴史の本や、マスコミの論評から欠落している。こういう場合、ウソがあることが多い。実は戦死者に保険金が支払われていた。

3.実際、日本の年金はどこにその資産があるのかさっぱり分からない。まずその掛金総額はいくらか。数百兆円はくだらないだろう。どこにあるのか、現金、銀行預金、株券、土地・建物、一体全体何に化けているのだろうか。

4.本来、日本の年金・保険は、戦争の遂行が目的であり、最後は、戦争の勝利により、相手国から勝ち取る賠償金などで穴埋めするか、敗戦によるドサクサのインフレでうやむやに出来る。最初からシナリオは出来ていた。

-------------------

※年金の目的が軍備の調達と国民の搾取であったことは、歴史的に明らかだ。

※日本人は、命を金と引き換えることをいとわない不思議な民族だ。借金のカタに生命保険を取ったり、夫が死んでくれれば生命保険が・・・などとうそぶく主婦もいる。戦争さえも年金・保険まみれだ。

1934年  軍縮条約は、国際連盟を脱退した日本が条約破棄を通告したことにより終わりを告げた。日本が国際連盟を脱退したことで世界は無条約時代に突入し、再び建艦競争の時代が到来した。

1935年  一般兵士向けの生命保険が拡大する

1939年 ドイツ陸軍機動部隊5個軍がポーランドに侵攻。第二次世界大戦が勃発。

1041年 日本軍がハワイ真珠湾を攻撃。
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石原慎太郎はこうも言う。

「特攻の母」は、特攻隊員は愛する者たちのため散っていったと言う。しかし、死ぬことが自己目的の特攻と、愛する者たちを守ることの間に、一体どのような関連があるのだろうか。私には生命保険以外に納得できる合理的な答えが見つからない。
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1941年(昭和16年) 船員保険 制定

1942年(昭和17年) 労働者年金保険 制定

1944年(昭和19年) 厚生年金保険 制定

1945年(昭和20年) 広島・長崎に原爆投下、日本無条件降伏。

参照 日本政府は、宝くじ・原爆・本土決戦の「三位一体」で国民から金を巻き上げる計画を立てた
犯罪にも保険制度を利用する日本政府 生命保険と命知らずの日本兵
薩摩藩、鹿鳴館そして大和生命 原油流出事故で儲かる保険会社

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  2007/6/10   #9

日本の陰謀 (9)

このシリーズでは、順不同に思いつくままに取り上げる。

日本の支える ミャンマーの軍事政権

ミャンマーの軍事政権は、日本が背後で支えている。この軍事政権と アウン・サン・スーチー女史との関係は微妙だ。この国の国旗も紅白を反転した日の丸を連想させる。日本の傀儡政府「 南京国民政府」の国旗と酷似しており、ミャンマーの国旗は日本製であることは疑いない。ミャンマーがこの国旗を掲げ続ける以上、ミャンマーは未だに 大東亜戦争を続けていることになる。そう考えると、この国の 軍事政権とは何か、親日の原因は何かがよくわかる。

軍 艦 行 進 曲


ミャンマーは1954年11月の平和条約締結以来、日本と友好的な関係を築いてきた。特に ネ・ウィンは日本の政治家に根強い親 ビルマ的空気を敏感に察知し、「親日国ビルマ」を演出するパフォーマンスに長けていたことは現代日緬関係史の常識に属する。このことがBSPP( ビルマ社会主義計画党)時代の巨額の二国間援助に影響を及ぼしている。欧米諸国とは対照的に、1988年の軍事クーデター後に成立した軍事政権をいち早く承認した他、軍事政権との要人往来や経済協力による援助を実施し続けてきた。 ミャンマーの人権問題や民主化問題に対し、日本政府は軍事政権と民主化勢力の双方に、“対話による解決を粘り強く働きかける”方針を採用しており、これまでに幾度か軍事政権に働きかけを行ってきた。 しかし、これまでのところは芳しい成果が上がっていない。 ミャンマーの軍歌には軍艦行進曲( 日本の軍艦マーチ)の旋律を流用したものがあり、ミャンマーが親日政権であることを示す。

ある掲示板に、ビルマ人から日本の軍艦マーチに関する投稿がありました。英文を翻訳して紹介します。

アウンサン

アウン・サン・スー・チー女史の父アウンサンは、日本の傀儡政権の国防相。その後、英国に寝返った後、暗殺された。こういう経歴の家族の娘のスー・チー女史を、自宅軟禁という中途半端な処置をしている軍事政権との関係も、少し怪しい。

日本軍との共闘

大東亜戦争(太平洋戦争)開戦後の1941年12月16日に、アウン・サンと同志たちは、日本軍の 特務機関 鈴木敬司大佐の率いた 南機関の支援を得てバンコクに ビルマ独立義勇軍を創設。日本軍と共に戦い、1942年3月に ラングーンを陥落、1942年7月ビルマからイギリス軍を駆逐することに成功し、ビルマ独立義勇軍をビルマ防衛軍に改組した。 南機関は バー・モウを中央行政府長官に据えビルマに軍政を敷き、鈴木大佐は離任した。1943年3月にはアウン・サンは日本に招かれ、わずか28歳の若きリーダーと称えられ 旭日章を受章し、同年8月1日に バー・モウを首相とするビルマ国が誕生すると国防相になった。ビルマ防衛軍はビルマ国軍に改組された。

ミャンマーの国旗
(変更後)

ミャンマーの国旗
(変更前)

日本の傀儡政府
「南京国民政府」の
国旗

日本の傀儡国家
「ビルマ国」の国旗

日の丸


大日本帝国
陸軍星章

ビルマの戦い

ユーラシア大陸の東西両端の大国日本とイギリス、地球の裏側の大国アメリカの思惑が交錯し、ビルマの地が決戦場となった。一方は日本人、朝鮮人、ビルマ人、インド人の連合であり、もう一方はイギリス人、アメリカ人、中国人、インド人、ネパール人、アフリカ人の連合だった。 ジャングルが、沼地が、砂漠が、山地が、田園が、都市が戦場となった。

ビルマは19世紀以来イギリスが植民地支配していた。1941年の 太平洋戦争開戦後間もなく、日本軍は 援蒋ルートの遮断などを目的としてビルマへ進攻し、勢いに乗じて全土を制圧した。連合軍は一旦退却したが、1943年末以降、イギリスはアジアにおける植民地の確保を、アメリカと中国は援蒋ルートの回復を主な目的として本格的反攻に転じた。日本軍は インパール作戦を実施してその機先を制しようと試みたが、作戦は惨憺たる失敗に終わった。連合軍は1945年の終戦までにビルマのほぼ全土を奪回した。

日本人の戦没者は18万名に達した。勝利したイギリスとアメリカはそれぞれの目的を達成したが、最終的にはイギリスはアジアから撤退し、アメリカも中国における足場を失った。ビルマは1948年に独立を達成した。

参照 競艇ギャンブルとミャンマー軍事政権 頑張れ、ガンバリ!! ハーミド・カルザイ
三億円強奪事件と川端康成 ノーベル賞と日本の秘密

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  2007/6/11   #10

日本の陰謀 (10)

日本では自殺は奨励され、時として強制される。


その結果と統計は、警察・医師・弁護士・監察医・官僚により隠され、ごまかされる。大方の日本人はこの事を知らない

※医学的には、働きすぎで人は死なない。外国では有名人(政治家、俳優、企業家)は猛烈に忙しいが、自殺はしない。日本の自殺の数字はあてにならないが、そこには二つの理由がある。

■ ごまかし

ごまかしと言っても、数字のごまかしと言うより、むしろ事実のごまかしだ。

たかじん 未解決事件
自殺報道 政界再編



(明らかに殺人事件の場合)

死体が見つかると、警察は身元を調べる。家族が判明すると、家族に死亡を伝えて、次のように言う。「あなたの家族が死にました。心当たりがありますか。」、さらに続ける、「事件の捜査を続ければ、あなたたち家族のことが新聞・テレビ・週刊誌に出ますよ。どうしますか。旦那さんの仕事や、娘さんの縁談にもさしさわりがあるのではないですか。もし、あなたの家族は自殺をしたという調書を出せば、その線で事件を処理しますよ。」

※日本では、どのような職業でも家族が事件に巻き込まれることは大きなハンディとなる。犯罪に関係なかったとしても、言い訳にはならない。この状況は警察関係者にとっても有利だ。今日、政府は警察に数字のノルマを突きつけており、現実はどうあれ、数字の上での目標達成を命じ、かつ圧力をかけている。実際の殺人事件の数よりむしろ、統計上の表面的な殺人事件の数の減少が必要だ。統計をごまかすのは発覚したときのリスクが大きい。それで、事件発生の時点で事実をゆがめるのだ。

こうして、ついには、政府の希望・思惑通りの数字が発表され、これは、「美しい国日本」のスローガンにも合致する。

(明らかに自殺の場合)

死体が見つかると、警察は身元を調べる。家族が判明すると、家族に死亡を伝えて、次のように言う。「あなたの家族が死にました。心当たりがありますか。」、さらに続ける、「自殺が表ざたになると、あなたたち家族のことが新聞・テレビ・週刊誌に出ますよ。どうしますか。旦那さんの仕事や、娘さんの縁談にもさしさわりがあるのではないですか。もし、あなたの家族が病死という調書を出せば、その線で事件を処理しますよ。」

※日本では、どのような職業でも家族が自殺をすることは大きなハンディとなる。犯罪に関係なかったとしても、言い訳にはならない。この状況は警察関係者にとっても有利だ。今日、政府は警察に数字のノルマを突きつけており、現実はどうあれ、数字の上での目標達成を命じ、かつ圧力をかけている。実際の自殺の数よりむしろ、統計上の表面的な自殺の数の減少が必要だ。統計をごまかすのは発覚したときのリスクが大きい。それで、自殺の時点で事実をゆがめるのだ。

こうして、ついには、政府の希望・思惑通りの数字が発表され、これは、「美しい国日本」のスローガンにも合致する。

強制と奨励

もう一つは、強制と奨励だ。歴史的に言うと、日本には自殺の長い歴史がある。それは文化でもあり、組織的な行為でもある。

明治27年の日清戦争、明治37年の日露戦争を通じて、生命保険の被保険者の中で数多くの戦死者が出ましたが、生命保険会社はこれらの遺族に対して、保険金を支払いました。その結果、多くの人々に生命保険の効用について理解を得ることができたのです。

戦前、約款上「戦争は免責」でしたが、政府の要請もあり遺族に対し保険金が支払われた

「特攻の母」は、特攻隊員は愛する者たちのために散っていったのだと言う。だが、死ぬことが自己目的化した特攻と、愛する者たちを守ることの間に、一体どのような関連性があるのだろうか。私には生命保険という以外に納得できる合理的な答えが一つも見つからないのだが。

石原慎太郎はこうも言う。今は豊かで平和が続いていて、若者は幸せそうに見えるが、僕は今の若者はちっとも幸せだと思わないし、うらやましいとも思わない。青春という限られた時間を人生という視点で見れば、今の若者は哀れなくらい無意識で自分自身をとらえていない。

事実の隠蔽はいたるところに

過去の国会の答弁で、年間数百人の自衛官が自殺したという記録が政府のネット上にあったが、今見つからない。現在の正確な数字も分からない。

米国兵の死亡者数を毎日毎日累計までニュースで発表しながら、戦争もしない日本の自衛隊において毎年数百人の自殺者があるというのは異常事態だが、その人数もわからない。

最後に、防衛庁にかかわることとして、近年、自衛官を含む防衛庁職員の自殺者数が異常に多いことに驚かざるを得ない。平成十三年度六十四人、十四年度八十五人、十五年度八十一人、十六年度百人、十七年度百一人

※この数字も上に述べたように、簡単に病死扱いにできる状況を考えると、信頼に値しない。

参照 ヒ素カレーとバングラデシュ 究極の民族浄化 三億円強奪事件と川端康成
ヒトラーと七人の侍 前原誠司国土交通大臣 組織ストーカーの目的 ヒトラーの秘密
オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件 石川遼と押尾学 皇太子の結婚記念日

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  2007/6/15   #11

日本の陰謀 (11)

日本の企業はほとんど政府の管理下にある。


タクシーは大日本帝国

太平洋戦争中、軍部は東京のタクシーを四社に統合した。それぞれの社名は「大日本帝国」を元にされた。 『和自動車』『日本交通』『都自動車』『際自動車』だ。 これを大手4社と呼んでおり、タクシー業界では東京だけでなく日本を代表する大会社で歴代の業界会長は4社の社長から選ばれることが慣例となっている。 赤坂、銀座等東京の一等地に広い不動産を所有し、ハイヤー、観光バスなど他の事業も行っている。

民間企業を装うが、国営企業であることは明白。何故、東京だけか。それは、外国大使館などの要人の諜報活動に従事する特務機関員やその手下などを配置するからだ。東京の外国人は100パーセント日本公安の監視下だ。タクシーに乗らず東京で移動することは難しい。

ビールやつまみは、官僚には出されない。官僚は、そんなはした金では喜ばない。これらの接待は、外国人要人などをビールなどで酔っ払わせ、情報を入手することにある。

私は、かつて頻繁にタクシーを利用したことがある。もちろん自費だ。バスや電車で通勤途中集団ストーカーの嫌がらせを連日受けていた。この時も、常に専従の運転手が用意された。気味が悪いほど親切だった。今考えると、公安の手配だったことは間違いない。タクシーの後ろに常に四輪駆動ジープが張り付いた。運転手が何か言うだろうと様子を見たが、ついにこの運転手は、ストーカー・ジープについて一言も話題にしなかった。今日、私はタクシーを頻繁に利用しない。すると、そのタクシー会社はストーカー行為に及ぶ。自宅から100m離れた視界ぎりぎりの路上で、ほぼ24時間停車している。もちろん、駐車禁止地域だが、運転手が搭乗していれば合法という警察のご都合解釈だ。
参考  (1) (2) (3) (4) (5) (6)

米国のタクシーはイエローキャブと呼ばれ、黄色い車体が多い。特に米国人は、タクシーは黄色だと思っており、東京4社の黄色い車体は外国人を引き付けるのに都合がいい。霞ヶ関の官僚がイエローキャブを好むことは絶対にない。

大和自動車
日本交通
帝都自動車
国際自動車
米国のタクシー
東京地検特捜部は総連本部売買で元公安庁長官宅を捜索

日本の大企業は、個人の創業者がおり、伝説が作られ、そして相続され、名門家系が出来上がると思っている人も多いだろう。だが、多くの場合、それは政府によって上手に演出された「茶番」だ。相続においても表向きは遺産分割協議が行われ、相続税を支払ったり、役員会で重役の去就があったり、株主総会で物事が決まったりしているように見えるが、それでも国家管理だ。何故なら、国家管理にはむかったらどうなるかを誰しも知っているし、また、国家管理にはむかうような人間は近づけない。

日本では国家の影響を受けずに会社の経営はできない。もし出来たとすれば、その人物の「自伝」や「自叙伝」が出版され、国民はそれを読むことが出来る。普通の常識をわきまえた人なら、その本を読めば、「正直な人生」か、「偽りの人生」かは簡単に見破れる。残念ながら、日本には企業家に関する客観的な自伝はあまりない。ほとんどが「のろけ話」の類だ。

上述の事例は、朝鮮総連の資産がもともと日本政府のものなのだが、売買をすると政府の資金が流出するので、名義を政府に戻したいのだが、世間がうるさく面倒だ。それで信頼の置ける人間の名前を借りただけの話で、何れ折を見て適当に処理される。一種の官製マネーロンダリングだ。

実例は数多いが、よく知られた人物を出してみる。

(1) 正力 松太郎

1921年6月:警視庁官房主事。7月:正六位 兄定吉方より分家して一家を創立する。

1923年9月: 関東大震災において「朝鮮人暴動の噂」を流布させる(1944年、警視庁での講演で、この虚報を「失敗だった」と発言)。10月:警視庁警務部長。虎ノ門事件

1924年1月:虎ノ門事件を防げなかった責任を問われ懲戒免官。直後、摂政宮(のちの昭和天皇)婚礼により恩赦。読売新聞の経営権を買収、社長に就任。

1945年10月:第1次読売争議。12月:A級戦犯に指定され、巣鴨拘置所に収容される。

1946年1月:公職追放

1947年9月:不起訴、釈放。

1952年10月:日本テレビ初代社長に就任(1955年まで務める)。

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※元警官が、新聞社の買収など出来るはずがない。驚いたのは、関東大震災との関連だ。やっぱりかという感じだ。

(2) 堤 康次郎

堤 康次郎(つつみ やすじろう)は、日本の実業家、政治家。西武グループの創業者。第44代衆議院議長。(堤が事業を始めたのは、政治資金を作るためであったが、それが日本有数の企業グループにまで発展した。)日米関係重視、道路建設の重要性にいち早く注目するなど、その後の戦後日本政治の主流思想の嚆矢こうし)/rp>だということも出来る。滋賀県大津市名誉市民。正三位勲一等

選挙で実弾(現金)を打ちまくった、又は土地や企業を買収する際の非情なやり口からことから、「ピストル堤」と呼ばれたと考えられているが違う。事実は実際にピストルで撃たれたことがあるからである。駿豆鉄道買収騒動の際眼前で右翼にピストルを撃たれたが堤は微動だにせず相手を感服させ自分の側に引き込んでいる。

1937年4月:衆議院議員当選(6回)

1940年:浅野財閥系から武蔵野鉄道の株式を購入し、多摩湖鉄道をこれに合併させた。武蔵野鉄道は、戦時中の陸上交通事業調整法に基づき西武農業鉄道を経て西武鉄道となった。太平洋戦争中も、B29の空襲の中、自宅地下壕に電話線を何本も引いていた。その電話口で、常に土地を買いつづけていた。戦後も、皇籍剥奪で経済的に行き詰まった旧宮家の都心の土地を次々と買収。華族の生活の面倒を見たとも言われる。 また大戦中、大戦後にかけて、都内の糞尿処理対策や流木対策に西武グループを挙げて対処した。

1942年4月:衆議院議員当選(7回)

※戦時中に土地を買いあさったのは堤康次郎だけではない。多くの産業界の胡散臭うさんくさ)/rp>い大物は皆そうだ。第一次大戦後のドイツの超インフレを知っていただけではこのような芸当は出来ない。必ずそうさせる保証を得ていなければ出来ないバクチだ。当然、政府の資産隠しに一役買っていたと考えるべきだろう。

参照 1956年1月1日正力松太郎は原子力委員会初代委員長に就任する。
だが、この日付には、古代エジプト王朝の秘密が隠されていた
第二次世界大戦は八百長だった 日本は第二次世界大戦の戦勝国
国家警察の真相 心理諜報戦

続く 内容には仮説を含んでいます。
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  2007/6/17   #12

日本の陰謀 (12)

カナダで昔のテロ事件が問題になっている。

トロント発インド航空機の空中爆発事件(1985年)に対する事件解明と警備対策が新たに問題になっている( エコノミスト2007年6月14日)。

インド航空182便爆破事件は1985年6月23日にインド航空のジャンボ機が北大西洋上で墜落した事件である。当時インド政府と対立していたシーク教徒が仕掛けた、旅客機搭載の手荷物の爆発によるものであった。

インド航空182便爆破事件

このテロ事件における犠牲者は329名にものぼったが、これは2001年にアメリカ同時多発テロによって更新されるまで、テロ事件の犠牲者数としては最多であった。また、ほぼ同時刻に日本の新東京国際空港(現在の成田国際空港)でも、インド航空機を標的とした爆発物が爆発し、空港の作業員が死傷する事件(成田空港手荷物爆発事件)が発生していた。

一方、刑事裁判はカナダで行われたが、最終的に起訴された被告人の1人が無罪確定したのが2005年であり、また捜査と裁判にかかった費用が1億3000万カナダドル(およそ約110億円)にもおよんだため、論争になったという。

だが、日本でも同時刻にテロがあったことが気になった。調べてみて驚いた。

この日(6月23日)は、沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決した日だった(沖縄戦の組織的抵抗が終結) 。

慰霊の日」は、1945年6月23日に沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、琉球政府及び沖縄県が定めた記念日である。復帰前は、住民の祝祭日に関する立法に基づく公休日とされ、現在でも沖縄県内では公休日である。そのため国の機関や国立大学(琉球大学)以外の役所・学校等は休日となる。毎年この日には糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれる。

沖縄戦

牛島中将

1945年4月の米軍沖縄上陸以降、戦闘を展開。5月22日一部反対を退けて南部撤退を決定。6月20日大将昇進が決定しているが、23日午前4時摩文仁丘の洞窟内で参謀長・長勇中将と共に古式に則り割腹自決した。

※牛島中将の割腹自殺(日本軍崩壊)は、6月23日午前4時だった。インド航空の旅客機もほぼ同時刻の早朝空中爆発している。おまけに、同時刻、インド航空の機内手荷物が日本の成田空港で爆発、2名が死亡している。明らかに奇妙だ。インドのテロは理由がはっきりしない。スリランカにしても、シーク教徒にしても、政府が宗教弾圧をしている訳でもないのに、過激派が存在する。日本の連合赤軍やオウム真理教と酷似する。大方の国民の心情と完全に乖離している、一部の不思議な狂信集団だ。

※念のために靖国神社と当時の首相を調べた。嫌な予感はした。

首相の靖国神社公式参拝は後にも先にも、この年の中曽根の公式参拝が最初で最後だ。1985年は、首相の公式参拝で賛否両論が日本の内外で激化した。

インド航空が爆発した時刻、沖縄では、糸満市摩文仁の平和祈念公園で、戦後40周年記念の沖縄全戦没者慰霊祭が盛大に行なわれていただろう。奇異に感じた沖縄県人もいたはずだが、・・・。

9.11テロの年も、小泉が8月15日に靖国参拝するのどうのと、マスコミをにぎわした。正直、私は不穏なものを感じた。9.11テロのあともしばらく靖国参拝で世間を騒がした。

※これらの心理状態は、ストーカーなどに見られる心理状態と酷似する。

例えば、アパートの隣に新婚さんが引っ越してきて、壁の隙間からそれを覗いて楽しんでいる男がいる。たまに、そこからハエやゴキブリを投げ込んでは、その新婚夫婦が騒ぐのを見てひそかに楽しんでいる。

しかし、その楽しみは、いつしか苦しみに変わる。・・・・いっこうに、その新婚夫婦は嫌がらせに気づかない。それどころか、その熱々ムードに当てられて、嫌がらせをするほうが苦しむ。翌朝顔を合わせても、つらい思いをするのは自分のほうだ。「勝ち組」のつもりが、「負け組」になってしまうのだ。これを挽回する方法は、一般に二つある。

一つは、「ほのめかし」でもう一つは「吹聴」だ。

たとえば、アパートの玄関ドアの前の通路にゴキブリの死体をばら撒いたりしたうえで、「最近ゴキブリが多くて嫌ですね~。」などとうそぶく。そして、夫婦の会話を盗み聞きして、・・・・・・。

「隣の人が変なことを言うのよ。ゴキブリはこの人のいたずらじゃないの?」「そんなことがあるはずないだろう。考えすぎだよ。隣人関係がおかしくなると困るから、二度とそんなことは言っちゃだめだよ・・・・・・・・・・。」

これで、この男は、やっと「勝者」になれたと確信する。普通、こういったことは、騒ぎが大きくなるまでエスカレートし、土壇場で終る。

日本の靖国神社公式参拝もこういった心理状態・行動パターンと酷似している。

参照 インド航空182便爆破事件は、日本が英国を完全に支配した
ソールズベリー内閣成立100周年記念のパロディだった
731部隊設立の目的は、東京オリンピックでの世界制覇だった
1985年のテロを考える 陰謀の中心はオリンピック(1) 陰謀の中心はオリンピック(2)

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  2007/6/20   #13

日本の陰謀 (13)

1985年のテロを考える


前回の解説でトロント発インド航空機の空中爆発事件を取り上げた。調べていくうちに、さらに話が展開することが分かった。芋づるのように話が伸びる。

前回の解説(12)

1. トロント発インド航空機の空中爆発事件(1985年)に対する事件解明と警備対策が新たに問題になっている。

2. この日(6月23日)は、沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決した日だった(沖縄戦の組織的抵抗が終結) 。

※念のために靖国神社と当時の首相を調べた。嫌な予感はした。

3. 首相の靖国神社公式参拝は後にも先にも、この年の中曽根の公式参拝が最初で最後だ。1985年は、首相の公式参拝で賛否両論が日本の内外で激化した。

4. インド航空が爆発した時刻、成田空港でも爆発があり、沖縄では、糸満市摩文仁の平和祈念公園で、戦後40周年記念の沖縄全戦没者慰霊祭が盛大に行なわれていた。

5. 9.11テロの年も、小泉が8月15日に靖国参拝するのどうのと、マスコミをにぎわした。正直、私は不穏なものを感じた。9.11テロのあともしばらく靖国参拝で世間を騒がした。

この時点での疑問

1.どうして、成田で同時テロを起こす必要があったのか。

2.8月15日と6月では、約2ヶ月前であり、どうせ報復をするのであれば、テロ当日の沖縄全戦没者慰霊祭に会わせて靖国神社公式参拝をするか、または、テロ自体を8月15日前後に持ってくればよかったはずだ。どうしてこうした手の込んだことをするのか。

事実の究明の順に説明しても論理と日時、場所が飛びますので、内容が難解になります。それで、飛躍と思われるかも知れませんが、仮説を立てて、一つのドラマを組み立てます。それに基づいて、一つ一つ検証してみてください。

終戦40周年記念(1985年)を迎えた中曽根と日本の陰謀

1.日本政府のよく練ったシナリオ。

 日本航空123便墜落事故

キーワードは、「赤穂浪士」、「勝組」、「平和とテロ」、「選挙の勝利」、「金儲けという国益」そして、「首相の靖国神社公式参拝」だ。
これらを全て満たすシナリオ作成が霞ヶ関の官僚たちに宿題として出された。その中で、特に目立ったものが、次のものだ。

(1)靖国神社公式参拝
(2)連合国への復讐
(3)事故の救出劇で政府・自衛隊・警察の人気を高める。
(4)経済的にも他国に大きな負担を強いることにより、経済大国への道を確実にする。

最初は、海外テロと靖国公式参拝だっただろう。政府は、報道などどうでもよかった。「靖国神社の首相公式参拝」を滞りなく行い、歴史の事実にすることだった。これで、靖国神社の国家管理の道に大きな一歩の前進が記される。将来は、当時の報道などどうでもいい。事実だけが残るからだ。

そこで何か大きな事件の捏造が検討された。キーワードを全て満たすものは、ジャンボの墜落だった。YS-11(東條英機の次男東條輝雄設計)も成果が芳しくなく、米国のジャンボジェットの繁栄は日本にとって我慢ならなかった。テロは、外国人にさせればよい。インドには、太平洋戦争中から、インド人日本軍や、日本に雇われたスパイはいくらでもいた。二代目も資金パイプを維持していたものは、引き続きスパイとして何でもしてくれる。これはインドに限ったことではない。

8月15日に外国で旅客機が墜落してもいいが、ちょっと見え見えで、リスクが大きすぎる。しかし、どうにかアピールしたい。最も安全なテロは、日本ですることだ。日本人遺族以外に文句を言う人も国もいない。ただ、8月15日では、これでも見え見えで危ない。しかも、肝心の終戦記念日の式典が台無しになるし、将来、この日が航空事故の日として国民の脳裏に焼き付けられるのも困る。3日ほど前ならそれほど疑われなくてすむ。

テロにするか、事故にするか。悩ましい。日本では外国のテロリストにテロをさせるわけにはいかない。彼らは仲間だから。しかも、上のキーワードのマイナスが大きすぎる。日本では事故にして、ボーイング社と米国を徹底追及し(最近のシンドラー社のように)、テロは別の機会に同じような事件を起こさせよう。そうして、2件の事件を1本糸で結べばよい。

日本の墜落事故が8月12日とすると、外国はどこでいつしようか。まず1945年の40周年だから1945年の太平洋戦争で8月15日の次に重要な日はいつだろう。それは、沖縄陥落の6月23日だ。

ただ、この日付はいろいろと都合よく、またややこしい。

1945年4月1日にアメリカ軍の沖縄本島上陸によって本格的に開始された沖縄戦は、第32軍司令官牛島満大将(当時は中将)をはじめとする司令部が自決した日をもって組織的戦闘が終結したとされている。この自決がいつあったのかについては、6月22日説と6月23日説があり、現在、沖縄県では6月23日説を採用している。しかし、どちらが本当に自決があった日であるかについては議論があり、1961年に当時の琉球政府が慰霊の日を定めた際にも、当初は6月22日としていたものを、1965年に6月23日に改めた経緯もある。

この日付のずれは、テロに都合がいい。日本人は日付を認識し、外国人は日付を認識できない。外国では、今でも沖縄陥落は6月22日とされている。だから、この日(6月23日)にテロを行っても外国には気づかれない。しかし、全く気づかれないと「ほのめかし効果」が出ない。それで、日本でも同時刻に類似の小事件を起こして、日本を意識させるとよい。航空事故といっても、数人単位の死者ですむ爆発とすれば、空港の貨物室あたりがよい。

テロリストは、いずれ身元が判明し、死んでもらう。ケネディのオズワルト、フジモリのセンデロ・ルミノソなどと同じ運命だ。インドの警察には、日本の子分を育ててあり、テロ実行犯はインドへ逃げ帰ったところで、こちらの指定するアジトに潜伏させ、しばらく資金援助し、そのうち、例の警察に急襲させ、射殺すればよい。

世界が、事故かテロかと騒げば騒ぐほど日本に都合がよい。インド航空がテロだとわかった頃に日本でどんでん返しを起こそう。今度こそ正真正銘の事故にすればよい。

だが、コースはどうするか。ジャンボが山中に墜落して大惨事になるのはいいが、住宅地を巻き込むといろいろやっかいだ。まず、墜落時の目撃者が多すぎる。海上でもいい。ジャンボは、東京ー大阪が就航していた。海上墜落でいいだろう。

ところが、このシナリオは直前に変更になった。海上墜落は、コストがかかりすぎる。事故の証明(演出)にはフライトレコーダーなどが必要だ。インド航空の場合、カナダ政府は事件の捜査と裁判だけでも110億円支出した。洋上の被害者捜索、機材(フライトレコーダー)などの捜索費を含むと莫大な金になる。

ここで直前に墜落場所を山中に変更させた。出来れば、人里離れたところがいい。目撃者が少ないほうがいい。全員即死が理想だ。せっかくだから、中曽根首相のためにも、群馬県、出来れば中曽根の別荘の軽井沢から見える場所がいい。約10kの地点に御巣鷹山があり、事前にそこの上野村の村長は、ぴったりの人材を用意してある(元ゼロ戦パイロット)。

どうせ墜落するなら、群馬四区(群馬県には小選挙区は5区あり、中曽根の地盤は高崎市、藤岡市、多野郡を含む四区だった。上野村は多野郡上野村)

時刻は、日暮れ時がいい。捜索は翌朝から始めれば全員即死で処理できる。航空会社は日航だ。外国の観光客には来て欲しくない。一般の日本人に悪影響だ。イベントの時だけ来て欲しい。カナダの航空機事故は地球の裏側で、日本にとって絶好だ。

茨城県つくば市で、1985年3月17日から同年9月16日までの184日間にかけて国際博覧会「つくば博」が開かれた。外国人招待客もすでに全員招待がすんでいる頃だし、8月以降はもう外人はいらない。日本を怖がって来なくなれば、なおいい。

日本の事件・事故は、人口輸送形態をコントロールするために、しばしば捏造される。因果関係は実に巧妙であり、詳細に分析しないとわからない。
例えば、
①東京オリンピックとその後の連続飛行機墜落事故
②関西空港・中部国際空港の開業・愛知万博と、伊丹空港周辺の奇怪な事件・事故
(2001池田小学校事件・1997神戸連続児童殺傷事件・2005JR福知山線脱線事故)

観光客の移動経路を政府の希望・計画に合うようにコントロール(促進・抑制)し、その手段として、恐怖心を利用する。ほかにも多くの事例がある。日本は、口では「観光立国」「ようこそJAPAN」というが、実は、観光関係の企業、人員は全て靖国神社派で固めてある。観光関係者から外国人を軽蔑する言葉は聴いても、褒める言葉は聴かない。絶対にないと言ってもいい。暴力団が警察とつるみ、労働組合が人事部とつるみ、民主党が自民党とつるむ日本では、外国人受入窓口(外務省・市町村観光課)は、国粋主義者で固められている。今頃になって、「はしか」騒ぎを起こしているが、外国人は怯えている。欧米では、絶滅している伝染病で、欧米では免疫のない人が多い。いや、免疫の有無についても感心がなく、一旦日本で感染し帰国すると大流行になるおそれがある。言葉と態度が全く反対なのは、これに限ったことではない。また外人観光客の数も調整している様子があちこちで見られる。今では、動員は日本人だけではない。外人も動員する時代になった。


参照 インド航空182便爆破事件は、日本が英国を完全に支配した
ソールズベリー内閣成立100周年記念のパロディだった
731部隊設立の目的は、東京オリンピックでの世界制覇だった
1985年のテロを考える 陰謀の中心はオリンピック(1) 陰謀の中心はオリンピック(2)

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2008/2/1   ##
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