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日付は、過去の忌まわしい戦争記念日
1.
関東大震災 1923年9月1日
1905年9月1日は、日露戦争で両国が休戦議定書に調印(休戦)した日だ。しかしこれは米国の介入の結果であり、戦勝国になりたかった日本にとっては屈辱の日だ。もちろん日本の教科書や歴史書では日本の勝利と書かれてはいる。だが、実際は「引き分け」だった。いや、引き分けにされた。政府としては日露戦争を日本海海戦の華々しい勝利で飾り、この日は国民の記憶から消し去りたい日付だった。
これから後、9月1日は「日露戦争終戦記念日」ではなく、「関東大震災の日」となっていく。今日、9月1日に日露戦争を思い出す人はいない。
2.
阪神大震災
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リーダー不在
地震発生時、奇妙なことに、日本政府の事実上のリーダーが不在となっている。責任を逃れるために、そういった状況を作り出したものと考えられる。
1.関東大震災 首相がいない
1918年に第一次世界大戦が終結し、荒廃したヨーロッパに変わる工業製品の輸出によってもたらされた戦争特需による好景気も、ヨーロッパの急速な経済回復によって終わり、景気に陰りが見えてきた日本経済に甚大な打撃を与えた。
折りしも加藤友三郎首相が8月24日(震災発生8日前)に急逝して「首相不在」という異常事態下での災害だった。通信・交通手段の途絶も加わり、関東以外の地域では伝聞情報による情報収集に頼らざるを得なくなり、新聞紙上では「東京全域が壊滅・水没」、「津波、赤城山麓にまで達する」、「政府首脳の全滅」、「伊豆諸島の大噴火による消滅」などと言ったデマや噂が取り上げられ、その中に「朝鮮人が暴徒化した」というものもあった。
憲兵隊や陸軍の中にはこの混乱に乗じ、自由主義や社会主義の指導者を一掃しようとした。大杉栄・伊藤野枝・大杉の6歳の甥橘宗一らが殺された甘粕事件、平澤計七らが殺された亀戸事件、在日中国人指導者の王希天などの殺害事件が起きた。
またその被害の大きさから、一時は遷都も検討された。遷都の候補地には姫路や京城などが挙げられた。
2.阪神大震災
自民党首相がいない
関東大震災では、都合よく加藤首相に死んでもらったが、今度は、湾岸戦争に端を発したバブル崩壊で自民党は都合よく野党に転じており、政治の黒幕の自民党は責任を社会党の村山に押し付けることに成功した。
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人工地震を連想させる共通した事実
日付だけでなく地震発生時間も異常だ。 地震の震度が極めて浅く、人工地震の可能な深さだ。
1.関東大震災 正午に狙い撃ちされた。
関東大震災は1923年9月1日11時58分に伊豆大島付近、相模湾で発生した地震。マグニチュードは7.9。
2.阪神大震災 「
砂漠の嵐」作戦開始時間と一致。
「砂漠の嵐」年表
まず、米国政府は「砂漠の嵐」作戦を発表した。
マーリン・フィッツウォーター大統領報道官は、「クエートの開放が始まった・・・」と発表。
1月17日午前2時38分(クエート時間)1月17日午前8時38分(日本時間)空爆開始。
(これは、爆弾投下時間であり、厳密に言うと、ヘリコプターが離陸したのは、約3時間前の日本時間午前6時前となり、奇しくも阪神大震災の時間と一致する。これで、地震発生の時間帯の謎が解けた。)
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救援活動が必要以上に不適切
故意に被害を拡大させており、正常な消火活動等の救援活動が見られない。
1.関東大震災 地震の衝撃よりもむしろ同時多発火災や軍・警察の不適切な誘導で多くの死傷者が出た。もちろん多くの外国人が殺害された。
1923年9月1日午前11時58分に発生した関東地震は、
地震後同時多発した火災によって、東京市に壊滅的な被害をもたらした。
2.阪神大震災 消防車の消火活動がなく、暴走族が火災の周辺を走り回り異様な光景が目立った。関西電力の通電により、地震直後ではなく、2~3日してあちこちで火災が発生した。建物の中に閉じ込められた人々は、生きたまま焼かれた。
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政治的、社会的に好都合な地域と時間帯
1.関東大震災 明治初期人口100万人を抱えた東京は、事実上世界の大都市だった。しかし、その後の欧米の発展に遅れを取り、日本政府はどうしても東京の改造を急がねばならなかった。地震の後、東京の近代化が急速に進展する。
2.阪神大震災 当時世界最大の明石海峡大橋が建設中で、吊橋の主ケーブルが架けられた直後だった。地震を克服したことで、日本の建築技術を世界に披露することになったと言う人もいる。だが、地震の浅い震度と人工地震の可能性を考えると、明石大橋にかかった地震の負荷は少なかった。
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その他
1.阪神大震災のあと地震予知が大きな問題となった。先進国のギリシアを見習って地震予知システムを導入する議論も活発化した。しかし、地震学会は最終的にこれを拒否した。もともと予知をすることなど馬鹿げている。人工地震なのだから。政府が防災対策に本気でないのはここに原因がある。地震訓練は「やらせ」にすぎない。
ギリシアで地震予知が国家規模で行われ成功していることは世界的に知られているが、日本では無視される。
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アルカイダのボジンカ計画は阪神大震災のことだった。
1995年1月21日を決行日とするテロ計画が事前に発見されたが、この事件の発端となったフィリピン航空434便爆破事件は、1994年12月11日に起こっている。
この決行日の前後にテロらしきものは阪神大震災以外に見当たらない。
この日1994年12月11日、第一次チェチェン紛争が勃発した。日本は、チェチェン紛争に関与していることをほのめかした。このような事例は結構多い。実際、第二次チェチェン紛争では、2004年8月21日のテロ爆破事件が起こったが、日本では同日、長渕剛が鹿児島の桜島で7万5千人を動員するオールナイトライブを敢行していた。8月21は、源頼朝が征夷大将軍に就任した日だった。
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この話は終わらない。
その後は
3月20日、
9月11日となって、日付合戦が続く。米国まで乗り出してきたようだ。、
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