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【大リーグ】「ザ・マン」ミュージアル氏死去 オ軍元指揮官のウィーバー氏も2013年1月21日 紙面から メジャー史にその名を刻んだ偉大な人物の訃報が相次いだ。1940〜60年代にかけてカージナルスで外野手などで活躍し、首位打者7度に輝くなど歴代4位の通算3630安打を放ったスタン・ミュージアル氏が19日(日本時間20日)、ミズーリ州の自宅で死去した。92歳。球団が発表した。現役時代には「ザ・マン(男の中の男)」の愛称で親しまれた。オリオールズの監督して1970年にワールドシリーズを制し、監督通算1480勝を挙げたアール・ウィーバー氏もこの日死去。82歳。大リーグ公式サイトなどによるとカリブ海をクルーズ中に心臓発作を起こした。ともに殿堂入りを果たすなどメジャー界の功労者だった。 ◆「ザ・マン」ミュージアル 首位打者7回 歴代4位3630安打誰からも愛されたミュージアル氏は、一族が集う自宅で静かに息を引き取ったという。人格者で「ザ・マン」と呼ばれた名選手は、グラウンド上でも私生活でも、米国社会のお手本とされてきた存在だった。 カージナルス一筋で1963年まで22年間プレー。バットコントロールと投球の読みに卓越し、歴代4位の通算3630安打をマーク。首位打者7度、ナ・リーグMVP3度、ワールドシリーズ優勝3度。58年には日米野球で来日し、稲尾和久(西鉄)らと対戦した。引退後の69年に殿堂入り。背番号「6」はカージナルスの永久欠番に指定された。 打撃の秘訣(ひけつ)について「各投手の球速を直球、カーブ、スライダーとすべて記憶していた。マウンドから30フィート(約9メートル)の間に球速で球種を判断し、その後の変化が分かっていた」と語ったことがある。 ハーモニカが趣味で、しばしば「私を野球に連れてって」を伴奏し、仲間と合唱を楽しんだ。高校時代から恋人だったリリアン夫人(昨年5月に死去)と添い遂げ、女優マリリン・モンローと離婚したジョー・ディマジオ(ヤンキース)と比較されることも。黒人選手の大リーグ参加についても積極的に支持した。 球団によると葬儀の日時は決まっていないという。大リーグはかけがえのない巨星を失った。 ◆「名将」ウィーバー オリオールズ17年1480勝名将が世を去った。ウィーバー氏は現役時代こそ13年間でメジャー経験がなかったが、1968年にオリオールズの監督に就任し、2度にわたり計17年間指揮。通算で1480勝(1060敗)を積み上げた。 盗塁や送りバントを多用しない大味な戦法を駆使した。地区優勝6度、リーグ優勝4度、ワールドシリーズ優勝1度。負け越しは最後に指揮した86年のみだった。勝率5割8分3厘は、2500試合以上の監督では歴代3位。年間最優秀監督にも3度輝いた。71年には日米野球で来日。長嶋茂雄(巨人)、王貞治(同)らと対戦した。 「瞬間湯沸かし器」としても知られ、大リーグ公式サイトによると退場処分は97回。審判員へは鼻を突き合わせて抗議し、口角泡を飛ばした。退場宣告後に土を蹴って審判にかけるパフォーマンスでも有名だった。2010年にビデオ判定が導入された際には「自分の時代にこれがあれば、恥ずかしい思いをすることも少なかっただろうに」と嘆息した。 殿堂入りは1996年。オリオールズの黄金期を築いた。 PR情報
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