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【転機 話しましょう】(50)静岡大教授の楊海英さん 己を見つめ生涯の仕事知る
迫害訴える古老
やがて文革が終わり、優秀な成績を見込まれて、名門の北京第二外国語学院大学日本語学科に進学した。「当時は西側の人文科学が解禁されておらず、新知識を得るために日本の本を手当たり次第に読んだ」。日本語は、自由で明るい世界に通じる窓だった。本を通じて、民族学者の梅(うめ)棹(さお)忠夫(1920~2010年)らを知り、民族学や関連分野の文化人類学を学びたいと思ったという。
平成元年に来日を果たし、国立民族学博物館・総合研究大学院大学(当時は横浜市、現在は神奈川県葉山町)で、松原正(まさ)毅(たけ)教授(現・名誉教授)の指導を受けた。専攻は故郷のモンゴルを中心とした遊牧文化の研究だ。
文化人類学の研究者として、現地調査の一環でたびたび内モンゴルに帰り、伝統文化を知る古老らへの聞き取りを行った際、どんな場所でも必ずある話題が出ることに気づいた。「昔あった伝統的な生活様式がなぜ失われたかを聞くうちに、どのお年寄りからも文革時代の漢人によるモンゴル人虐殺の話が出てくる」
だが、中国は漢人支配に不満を抱く多数の少数民族を抱えている。そんな中で漢人の少数民族弾圧の問題を正面から取り上げるのは、政治的に極めて危険なことだった。中国の政治の恐ろしさは、子供のころからよく知っていた。
しばらくは政治色のない文化人類学者として現地調査を盛んに行い、主にモンゴルの伝統文化について本や論文を書いてきた。一方で、本来の研究とは関係ない文革中の話も記録し続けた。ノートは数十冊に。「子供のころに見聞きした話なので、聞き取りしていてものすごい共感があった。これだけ虐殺の証言が集まってくると、もうモンゴル人として放ってはおけないと思うようになった」
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