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【転機 話しましょう】(50)静岡大教授の楊海英さん 己を見つめ生涯の仕事知る
毎年2月に開かれる「菜の花忌」。作家の司馬遼太郎さんをしのび、当日は「司馬遼太郎賞」の贈賞式などが行われます。前回受賞した静岡大教授の楊(よう)海(かい)英(えい)さん(47)は、中国・内モンゴル自治区出身の文化人類学者。中国では現在もタブーとされる文化大革命(1966~76年)で、その人生が大きく変わり…。(磨井慎吾)
文革の辛い記憶
3つの名前を持っている。モンゴル名のオーノス・チョクト、中国名の楊海英、帰化の際に付けた日本名の大野旭(あきら)だ。言論活動では「楊」を使うが、好きなわけではないと話す。「帰化の前から楊の名前で書いてきたから。中国の少数民族は中国名を持たないと不便が多く、その意味では植民地的な名前。でも使っていると常に内モンゴルという自らの出身を意識する」
帰化前の国籍は中国だが、自己認識はモンゴル人。漢民族が支配する中国を祖国とは思わないが、外国では中国人として扱われる。「モンゴル人とは何か」と、考え続けてきた。
幼少期は常に文化大革命の政治的暴力におびやかされていた。「人民の敵」とされると、裁判をせずに殺されてしまうことも。楊家も、内モンゴルに入植した漢人や、漢人に協力するモンゴル人から、たびたび私刑や家財の略奪を受けた。
「母が毎晩の(強制参加の)政治集会から帰ってくるたび、『今日はあの人が死んだよ』と教えられた。とにかく、周りの人がどんどん死んでいく。とても怖かった」。恐怖の記憶は、子供心に焼き付いた。
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