こんにちは。子供の頃の夢は“スパイになる”ことだった岸波です。 宮崎駿監督が、アカデミー賞の「長編アニメ部門賞」を受賞して以降、初めての作品が今、テレビに流れています。 そうです、ハウス食品のテレビ・コマーシャルのことですね。
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ハウス食品のテレビCM
「おうちで食べよう」 | このCM、宮崎監督が自ら発案して、制作を売り込んだという作品。昭和30年代の路地裏風景の中で、女の子達がゴム跳びしている背景に久石譲さんの挿入歌「お母さんの写真」が流れます。 セリフは最後にただ一言。「おうちで食べよう」・・・これも宮崎監督が作ったコピーだそうです。コンセプトはずばり家族の絆! どうしても、その重要性を現代の日本人に訴えたくて、多くの人の目に触れるCMという形を選んだんだそうですが、その熱いメッセージ、確かに伝わってくるような実にほのぼのとした作品です。 ところで、昭和30年代と言えば、現在も続く代表的スパイ映画シリーズ、「007」の第一作「殺しの番号」が封切られたのが同じ昭和38年! という話が出れば、当然ここは、前回の「通信74」でお約束しました「007は二度死ぬ」にまつわる謎を徹底解明しなきゃなりませんね。 え?ちょっと強引ですか。 いや、そんなことはないですよね。 (←自分の胸に聞いてみようね。) daddy
ということで、今回のcinemaアラカルトは「007は二度死ぬ」の特集です。
1 「007は二度死ぬ」の頃 岸波通信74「皆レス」の冒頭で、以下のようなご質問をされた読者がいらっしゃいました。
ところで、映画評論家の岸波さんへ質問です。
先週の日曜日「007は二度死ぬ」(丹波哲郎と浜美恵子(?)が出演) をビデオで見たのですが、話の終盤に基地に乗り込む前の、あの海辺のロケ地はどこなんでしょうか?
静かな入江と瓦葺きの素敵な町並み。ボンドが日本人妻兼工作員に扇いでもらいながらも膝枕の、あのシーンです。ヘリで空中戦を行っていたのは、蔵王山系の合成映像らしいですが。 以上、まずは取り急ぎ御礼並びに質問でした。 |
「007は二度死ぬ 」が最初に上映されたのが1967年。僕がまだ12歳で中学校の一年生になった年、まさに紅顔の美少年(?)の頃ですね。 当時の日本と言えば、音楽界はグループサウンズが売り出し中の頃、スパイダースやブルーコメッツが大人気で、沢田研二(ジュリー)のタイガースが「僕のマリー」でデビューした年です。そういえば、ビートルズが来日して、日本中のファンを熱狂させたのが、その前年でした。 この年のレコード大賞を受賞したのがブルーコメッツの名曲「ブルー・シャトー」です。 「帰ってきたヨッパライ」や「世界は二人のために」も流行りました。 一方、テレビに目を転じると、「魔法使いサリー」や「仮面の忍者赤影」なんかが子供達の話題の中心でしたけれども、早熟な僕達はひたすら「スパイ大作戦」。
そうです、この頃のトレンドと言えば、何と言ってもスパイ! そして、もう一つがマカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)だったのです。 ちなみに、この年、話題のマカロニ・ウエスタンと言えば、クリント・イーストウッド主演の「続・夕陽のガンマン」。 ダーティ・ハリーでしか彼を知らない若いファンの皆さん、イーストウッドは「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」、そしてこの作品と続いたマカロニ・ウエスタンのシリーズが出世作でした。 「荒野の用心棒」が日本に登場したのは、その2年前の1965年12月。これまで聞いたことがない口笛で奏でるテーマ曲、その名も「さすらいの口笛」にのってとんでもないガンマンが現れました。 それまでの西部劇のヒーローは、若き日のジョン・ウェインに代表されるように、全身で「正義」を体現しているようなカッコイイ役。 でも、この「荒野の用心棒」シリーズの主人公、その名も「名無し」(!)は、善か悪か全く判らない薄汚れた野郎。 そして、これでもかという残虐な暴力シーン・・・主人公は、必ず一回は敵方の手に落ちて、ボコボコの拷問を受ける。それからヨレヨレで帰って来て、派手なガンプレイと立ち回り。 そう、西部劇のイメージを根底から覆したこれらの映画はイタリア製、だから「マカロニ・ウエスタン」。 (←アメリカでは「スパゲッティ・ウエスタン」と呼ばれていたとか・・・) daddy
その後、ジュリアーノ・ジェンマなど新しいスターも登場し、次々にイタリア製西部劇が作られました。
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映画「007は二度死ぬ」 のタイトル・ロゴ |
ところで「スパイ」の方ですが、映画の007ジェイムズ・ボンドに対抗して作られた人気テレビ・シリーズが「0011ナポレオン・ソロ」。
その続編となる「0022アンクルの女」で、女スパイエイプリル・ダンサーがブラウン管狭しと暴れまくったのもこの年からでした。 そうした中で、熱狂をもって迎えられたのが「007は二度死ぬ」! ご存知、初代ジェイムズ・ボンドのショーン・コネリーが演じた人気シリーズの第5作。いよいよ舞台は我が日本です。
2 秘密基地は何処に? この作品、イアン・フレミングの原作では、ボンドが愛するテレサを亡くし、仕事には身が入らず酒びたりの日々。 これを見かねた上司「M」が気晴らしに東洋の神秘〜日本に派遣するという内容でした。 でも、これじゃあ、血沸き肉踊る冒険活劇を期待しているファンは納得しない・・・ということで、大幅にストーリーが変更されました。 映画では、アメリカとソ連の宇宙船が次々と軌道から消滅する事件が起きて、両国の緊張が高まります。 これを探っていた英国情報部MI6は、日本から謎のロケットが打ち上げられていることを突き止めます。 そこで早速、ボンドが日本に派遣され、日本の秘密情報機関のタイガー田中(丹波哲郎)と協力し、怪しいと目される「オーサト化学」を内偵することに。 そして、敵の本拠地があるらしい九州のアキ島に、ボンドが日本人の漁師に化けて潜入! (←どう見てもバレバレ・・・。) daddy
と、ここです・・・「静かな入江と瓦葺きの素敵な町並み」
が登場するのは。 いきなり答えを、はい!
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007の九州上陸地 |
ん、イメージが違うって? しょーがありませんよ、コレ、現在の写真なんですから。 で、ここがどこかと言いますと、鹿児島県の坊津町、秋目浦というところです。 秋目浦は、昔大陸から、鑑真和上が上陸した場所としても知られています。 町を走る国道226号線沿いに「鑑真和上上陸記念碑」がありまして、何と、その近くに「007上陸記念碑」も建てられています。 あっ、アナタ信じてませんね? それではしょーがない、ハイ証拠写真!
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007上陸地記念碑 |
さあ、どうだまいったか! なお、「日本人妻兼工作員に扇いでもらいながらも膝枕」
のあのシーンのオネエサンは、タイガー田中の部下、キッシー鈴木(浜美枝)で、そのシーンが撮影されたのは、同じ秋目浦にある「山下さんの家」でした。 ところで、今や日本映画界の大御所である丹波哲郎さんがこの映画に出演することになったいきさつには、「ちょっと不思議なご縁」がありました。 この映画の企画が進行する少し前、丹波哲郎さんがハワイのホテルの部屋でシャワーを浴びようとしていると、突然、ドアをノックする人物がいたのだそうです。 驚いて出てみると、何とそこに立っていたのは、ショーン・コネリー。 実は、ショーン・コネリーは隣の部屋に投宿中で、間違って部屋の鍵を中においたまま自動ロックがかかってしまい、しょうがなくて隣の部屋の住人に助けを求めたとのこと。 この出会いが縁となって、二人の共演が実現することになったのです。
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end of the “cinemaアラカルト4 「007は二度死ぬ(前編)」” /// ということで、この続きは次回の“cinemaアラカルト”で・・・See
you again !
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ご存知、アストン・マーチン! |
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