2006/08/30
(水)朝刊
夕張市の財政実態を覆い隠してきた「不適切な会計処理」はいつ、どのように始まったのか。源流をたどると、市の第三セクターが経営する「石炭の歴史村」施設の一つ「知られざる世界の動物館」を舞台とした、ある男の暗躍に突き当たる。
「野生動物の貴重なはく製を寄贈するので、まちづくりに役立ててほしい。二億五千万円という評価額の鑑定書付きだ」。歴史村の全面オープンを翌年に控えた一九八二年秋、仏像彫刻家、はく製製造師、占い師などと自称する男が、当時の中田鉄治市長(故人)に申し出た。

訪れる人も少ない「世界の動物館」。建設をめぐる不透明な金の流れが、後の大がかりな「赤字隠し」の伏線となった |
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占い師が申し出
男は全国の温泉地などで、性的な展示物で酔客を集める「秘宝館」の立案者としても知られていた。地元道議の紹介だったが、髪やヒゲを伸ばし放題の仙人のような風ぼうに、市長周辺も当初は不信感を持った。
しかし中田氏は、なぜか男とウマが合った。ただちに提案をのみ、計画を変更。歴史村全面オープンに合わせ、約千点のはく製を展示する「動物館」を、総事業費四億三千万円で建設することを独断した。建設費は当初「三セクの自己資金」と説明したが、八二、八三両年度一般会計に計二億六千万円を計上。議会の批判を「市が借金した方が金利が安い」と振り切った。
ところがはく製の寄贈話には裏があった。実際には九州の銀行に担保として取られており、解除するには五千万円が必要だったのだ。
資金捻出(ねんしゅつ)に困った市は、はく製を五千万円で買うと同時に、歴史村に転売。歴史村は買い取り費用を金融機関から借り、市が債務保証した。第三セクターをトンネルに使った“ヤミ起債”(不適切な長期借り入れ)の手口。市職員OBは「これを機に財政運営のたがが外れ、同様の手法を繰り返すようになった」と振り返る。
男はその後、コンサルタント業者として動物館の企画、展示設計、歴史村内の土産品の考案などを受注し、ひと稼ぎする。ところが自らの事業に失敗すると、従業員の賃金未払いのまま、夕張から姿を消した。男との連絡役だった市長側近が同時期に行方不明になったことも当時、さまざまな憶測を呼んだ。
はく製の鑑定書は、何の権威も無い、男の個人団体によるものだった。男はその後、四国で別の詐欺容疑で逮捕され、実刑判決を受けた。
「最後は国が…」
八二年十二月二十一日の北海道新聞朝刊は、市議報酬引き上げに関連し「(夕張市は)財政再建団体への転落必至」と報じた。市財政は前年、再建団体入り寸前まで悪化し、自治省(当時)も緊縮財政への転換を強く指導していたからだ。ところが中田氏は同日の市議会で「再建団体にならないことが必至だ」と色をなして反論。翌八三年度に前年度比17%増の積極予算を組み、道や同省をあぜんとさせた。
そして迎えた八三年六月一日。五色の風船とハトが舞う盛大な歴史村全面オープンの記念式典で、炭鉱跡地の見事な変容に、来賓たちが感嘆の声を上げた。招かれた石黒直文元拓銀専務は「観光にかける市民の熱意に感動した」と、この日を振り返る。
ただ石黒氏は、別の銀行役員と交わした会話も記憶している。「こんな施設を造って、財政は本当に大丈夫か」「最後は国が面倒を見るんだろう」…。
夕張市がこのときすでに、三セクを利用した「錬金術」に手を染めていたことは、まだ誰も気付いていなかった。(鈴木徹) |