You Only Live Twice by Nancy Sinatra (『007は二度死ぬ』より) その2
タイトル
You Only Live Twice (remake, Hollywood version)
アーティスト
Nancy Sinatra
ライター
John Barry, Leslie Bricusse
収録アルバム
The Hit Years
リリース年
1967年
他のヴァージョン
Billy Strange, Roland Shaw & His Orchestra, the John Barry Orchestra, Mantovani, Nancy Sinatra (OST)

考えてみると、わが家のどこかに、『007は二度死ぬ』の取材記を含むイアン・フレミングの『007世界を行く』があるはずですし、ロアルド・ダールの日本取材同行記を掲載した「ミステリ・マガジン」の古い号もあるはずなのです。昨夜、ちょっとジタバタしてみましたが、残念ながらどちらも発掘できませんでした。かわりに、「マンハント」「ヒチコック・マガジン」「幻影城」「話の特集」といった古雑誌が山ほど出てきて、思わず読みふけりそうになり、かろうじて自制しました。

オールド・タイマーのなかには「おとなしい兇器」をはじめとする、ロアルド・ダールの短編をご記憶の方も多いでしょう。数十年前、鎌倉に住んでいたころ、詩人・田村隆一と何度かすれ違いましたが、最初のときは「あ、ダールを訳した人だ」と思い(詩人は食えないからだろう、田村は「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」日本版の初代編集長だった)、二度目のときは「インドでは八千草薫のような美女がハイライトひと箱の値段である」というインド旅行記を書いた人だ、と思いました。結局、この詩人の詩集は一冊しか読まず、それも表題すら忘れてしまいました。


高校の終わりごろ、ご多分に漏れず、わたしはダールのファンでした。でも、あのすぐれた短編作家が、いっぽうで、ひどく不出来な『007は二度死ぬ』のシナリオ・ライターだというのがどうにも納得がいかず、長いあいだ、わたしの頭のなかでは「おとなしい兇器」と『二度死ぬ』は分裂したままでした。

人間だから、そのうち、知恵がついてきます。しばらくたってからダールの短編集『キス・キス』と『あなたによく似た人』を再読し、やっと作家的人格が統合された像が見えました。はじめから、たいした書き手ではなかったのです。

アイディアのすぐれた短編の二つや三つ、運があれば素人にでも書けます。職業作家としては、そこから先がほんとうの勝負で、まともな長編が書けるか、一定水準以上の短編を大量に書けるか、というところで、資質の見極めがつきます。『二度死ぬ』のシナリオが薄っぺらで安直だったのは、ダールがそういう書き手だからです。短編では作家のほんとうの力量はわかりません。ダールの後半生の作品に見るべきものがないのは、当然です。人物を造形する能力のない、ささやかなアイディアだけに頼った書き手だったのです。

ロアルド・ダールの夫人は女優のパトリシア・ニール

いやはや、子どものときのあこがれがつぎつぎと幻滅に変わり、手のひらから砂がこぼれ落ちるように消えていくのが、われわれの一生というものなのかもしれません。

◆ 二人の関係者のリメイク ◆◆
さて、今回はYou Only Live Twiceのカヴァー・ヴァージョンを見ます。GoldfingerやThunderballとちがって、ほんの一握りしかありません。

まずは、カヴァーというか、オリジナルのOST盤で歌ったナンシー・シナトラ自身がハリウッドに帰って、いつものスタッフでリメイクしたヴァージョンがあります。

サンプル

お聴きになればわかるように、映画を見た人が違和感を覚えないように、オリジナルと同じ方向性でアレンジしています。どちらがいいとはにわかには断じがたく、お好みしだいではないかという気がします。ストリングスについてはOSTのほうに軍配、グルーヴとホーンはリメイクのほうが好ましい、とわたし自身は感じますが、さて、みなさんはどうでしょうか。

ナンシーのみならず、ジョン・バリーも自分のオーケストラの名義でリメイクしています。しかし、弦のアレンジとサウンドについては、官能的といっていいほど流麗なOSTのほうがずっとよく、このヴァージョンはバリーのファンだけが聴けばいいのではないかという気がします。

◆ ビリー・ストレンジ ◆◆
ナンシーのハリウッド・リメイク盤でアレンジとコンダクトをしたビリー・ストレンジも、自身の名義の盤でこの曲をカヴァーしています。こちらは、毎度ご紹介している、Add More Music(右の欄のFriendsリンクをご利用あれ)の「レア・インスト」ページでLPリップを入手することができます。No.49が、You Only Live Twiceを収録したJames Bond Double Featureです。

こちらもナンシーのリメイク盤同様、ドラムは明らかにハル・ブレインです。ハルは同じ曲を何度もプレイしていますが、そういう場合、重複を避けてドラム譜をまったくべつのスタイルに書き換える場合もあれば、自分自身をコピーすることもあります。この曲は後者で、ナンシー・リメイク盤とほぼ同じプレイをしています。

わたしはギター・インストが大好きなので、それだけでビリー・ストレンジ盤には肩入れしてしまいます。じっさい、Goldfinger同様、この曲も昔、MIDIで完全コピーをやったことがあるのですが、You Only Live Twiceは、OSTではなく、このビリー・ストレンジ盤をコピーしました。

冒頭のティンパニーが半音スライド・アップしている(ギターじゃないんだから、スラーがついて、レガートでプレイしている、というべきか!)のに気づかなくて、いちどプログラムしてしまってから、「あれ? なんでティンパニーのピッチが合わないんだ」なんて大ボケかましたりしましたが、なかなか楽しいコピーでした。

このヴァージョンでは、やはりなんといっても雰囲気のあるビリー御大のギターが好きなのですが、それ以外についていえば、コピーしていて、ピアノのオブリガートが面白いと感じました。カウントしてもよくわからず、じっさいにリアルタイムでキーボードをプレイして、やっと、なるほど、そういうタイミングであったか、なんて、またしてもボケをかまし、気づくのが遅いんだよ、おまえは、と自分で自分をド突きましたねえ。

こういうことです。AMMで配布しているファイルでは、00:17あたりでヴァースに入りますが、このファースト・ヴァースでピアノが小さくオブリガートを入れています。たとえば、最初のGmのところは、Bb-D-Gといった感じで、音を上昇させながら、極度に早いアルペジオとでもいったものを弾いているのです。一瞬にして3、4音をパラッと鳴らすわけです。このタイミングがわからなくて、リアルタイムで弾いて確認するハメになったのです。

弾いているうちに、そうか、とわかりました。アルペジオの最後の音でタイミングをとればいいのです。最初の音でタイミングをとろうとするから、わからなかったのです。この曲の場合でいうと、最後の音がつぎの小節の一拍目に来なければいけないのです。それまでの音は、そこに到るまでの飾りにすぎず、タイミングもアバウトでかまいません。

左からビリー・ストレンジ、リー・ヘイズルウッド、ナンシー・シナトラ

ドラムのほうで「フラム」(flam)というプレイがあります。これはわずかにタイミングをズラした二打で構成されていますが、タイミングを合わせるのはあとのほうの二打目で、一打目は装飾音にすぎません。これによく似たプレイを、ビリー・ストレンジ盤You Only Live Twiceのピアニストはやっていたのです。

ナンシー・リメイク盤のピアノも同じプレイをセカンド・ヴァースでやっていますが、ヴォーカルがあると、プレイがよく聞こえないもので、こういうアレンジの細部を楽しむなら、ビリー・ストレンジ盤のほうがいいでしょう。ハルのドラムもビリー・ストレンジ盤のほうがオンにミックスされています。

◆ ローランド・ショウ、マントヴァーニ ◆◆
残るのカヴァーはどちらもオーケストラものです。両者とも、聴くまえから、例によって大きな造りにしているのだろうと想像がつくタイプのオーケストラ・リーダーですが、さて、じっさいのところはどうでしょうか。

そうなってしまうだろうとは思うのですが、両者ともオリジナルとほぼ同じテンポでやっています。まあ、この曲には速いテンポが合わないのは目に見えているし、かといってあまり遅くすると、いやったらしいバラッドに堕す恐れもあり、こういう中間的なテンポを選択せざるをえないでしょう。

マントヴァーニは、ただただもう流麗なるストリングスで勝負というムードで、ラウンジとしては、これはこれでけっこうだろうと思います。曲に合ったアレンジです。


やや不思議なのはローランド・ショウで、オーケストラものなのですが、女性ヴォーカルをフィーチャーしています。きわめて匿名的なシンギング・スタイルで、バックグラウンド・ヴォーカル的な扱いです。ヘンリー・マンシーニがときおりコーラスでやっていることを、ソロ・ヴォーカルでやったという塩梅。いつもフル・オーケストレーションでガーンとぶちかます人なので、たまには気分を変えてチェンジアップを入れてみたのでしょう。

◆ エンド・タイトル ◆◆
昔は、映画の終わりというのは、物語が終わった直後に「The End」とか「終わり」とか「完」といった文字が出て、オーケストラがフォルテシモで鳴って、あっさり幕が下りたものです。

しかし、六〇年代のなかばから、長めのエンド・タイトルを採用し、そのうしろでテーマなり、他の音楽なりをプレイする、というスタイルもちらほらと見かけるようになりました。こういうのは善し悪しで、音楽がよければ楽しめるいっぽう、長くて退屈なだけのこともよくあります。

ジェイムズ・ボンド・シリーズでは、成功したエンド・タイトルがいくつかありますが、なんといっても、わたしは、最後に再びナンシー・シナトラの歌が流れる、この『007は二度死ぬ』のエンド・タイトルがすばらしいと思います。じっさい、この映画ではじめて、エンド・タイトルの価値を認識しました。

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by songsf4s | 2009-04-18 23:55 | 映画・TV音楽 | Comments(0)
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