反対派の会見でした。急いで書きましたので、まとまっていないところがあります。会見描写を中心に伝えます。個人的には現場ではないので、情報の重要度は劣るでしょう。
不思議な光景でした。結論からいうと、パラドックスだらけでした。この人々は主観的には善意に満ちて、争いはしたくない。知ってほしいと言っていました。だが客観的に、自らが当事者になり、外部に広げることで問題を複雑にしているのです。その自己矛盾を薄々気づいているようですが、直視していないようでした。
原発を巡る論点、また現地の感情は、ここが東京という現地から離れた場なので、知識面では新しいものはありませんでした。逆に、ネット上の方が情報が集まるかもしれません。(もちろん体感情報以外)。
私が当初から感じているように、複雑な問題が工事開始に絡んで一度に言及されるため、問題が混乱しました。これが問題解決を複雑にします。整理して考えるべきなのに、そして工事は住民意思決定の問題なのに、問題が複雑になっています。
私はエネルギー記者として、政府と電力会社の文章、さらには白書、決算、計画などの情報に大量に接してきました。そこは明らかに論理と数字の世界です。私が彼らのいう「体制より」になっていることは自戒しなければなりませんが、きょうの反対派の議論は感情に重きを置いたもので、そうした論理の世界とかなり異質なものに受け止めました。両者が同じ土俵に立つのも難しいのかなと感想を抱きます。
これは住民意思決定の問題です。用地買収は完了し、有権者の7割は賛成し、問題は周辺地の土地祝島の漁業権を根拠に埋め立てを拒否しているという問題です。
しかし、漁業権の問題で詳細省略しますが、中国電に現地説明で数多い不手際があったことは確認されました。土地ではなく漁業権を持つ祝島の合意を近年まで放置。だから感情対立を生んだのです。
また出席した人は、善意はあるのでしょうが、自分たちの関与がどのような影響があり、どのような責任を持つのか。認識してほしいと考えました。
ちなみに、私は現地に同情はするものの、東京在住で責任を引き受けられない以上、関与しないし、またいい加減な気持ちで、賛成・反対を言いたくないと考えています。
出席した方の発言は一般市民がみて、疑問に思うことが多くありました。
出席した映画監督は、現地賛成派に「お金が流れている」と繰り返しました。こうした問題は事実かもしれないし、そうではないかもしれません。ですが、主張するのなら証拠を出すのが常識です。こうした発言は明らかに名誉棄損を含みかねない問題です。
出席した翻訳家は「田浦は日本のタハリーム広場だ」。エジプト革命の話を持ち出しました。田浦は工事予定地ですが、私の愛する平和の日本を紛争地にしないでほしいと思いました。敵はだれでしょうか。
出席した反原発活動家。突然演説しました。「原発のコストはkWh20円だ。だから日本の電力料金はアメリカの4倍、スウェーデンの電力料金の6倍。EUの新規発電所の6割は自然エネ。アメリカでは太陽光のコストが原発より低くなった」。
思わず笑ってしまいました。私はいずれとも違う資料を持っています。太陽光が原発より安ければ、シフトが彼が何も言わなくても始まっているでしょう。こんなめんどくさいこと、誰もやりたくないはずですから。
さらに原発建設で5000億のお金が税金から出ていると。電源開発3法の補助は900億程度ですが、何を指すのか不明です。
この方、温暖化で日本の回りになどあるエネルギー源メタンハイドレードがとけ、地球が火の海になり数十億人が死ぬと、活字の文章を残していました。NPOバンクは評価しますが、基本的なエネルギーと高校理科の知識が必要です。メタンハイドレを私財なげうち調査する独立総合研究所の青山繁晴氏は聞いたら目をテンにするでしょう。
この人「上関や原発を巡る私の発言が報道されないのは、メディアがダメだ」と。間違った発言はは自粛するでしょう。なぜが出席した東京高尾山の自然保護活動家が「高尾と同じ」と発言していました。「すべて違います」と突っ込みたくなりました。
そしてこの人たちはメディア批判をしながらメディア掲載を望む矛盾の行動をしています。
本名を名乗らず、登場した現地の活動家の青年がいました。普通の青年で、彼の将来を心配しました。活動家は変と思い込んでいたから。だがこの人も、自分の存在そのものが、争点になるか自覚しているのか不明でした。「憎しみが向けられている」「裁判になるかも」そりゃそうでしょう。
青年「僕たちには遅らせることしかできない」「知ってほしい」。その善意は認めるものの、遅らせることで、賛成派住民と中国電は怒り始め、損害が出ている事実が分からないのでしょうか。
この青年らが刑事罰を受け、賠償をくらったら(電力のHP写真みると、明らかに犯罪)気の毒です。これを参加者はいやがらせ訴訟としていましたが、物理的な損害を生めば刑事事件になります。
青年は抜けられなくなっているのかもしれませんが、連合赤軍事件のように。抜けた方がいいと、私も本心で思いました。同席した監督たちは、なぜ青年を助けないのだろう。このおばさんたちはパクられる位置にいないのに。自己責任かもしれませんが、大人への義憤を感じました。
また別件の話ですがネットで情報が過多になり、少し調べれば、専門家に文系情報レベルは追いつけると分かりました。ネットのユーザーと知識も分析力も大して変わらないことに改めて気づきました。
私は、外部は介入せず静かにしてほしい、平和裏に解決してほしいと願っています。ですが、これをみると、外部の人の介入もあり、また現地の住人の人の不快感もあり、状況は混乱しているようです。
日本のエネルギー需給から考えると、原発は必要と考えます。そして政府・電力会社の内在的論理を知る私からすると、原発は、手続きが煩雑で、後戻りが難しいでしょう。
ですが、解決は住民合意では不可能そうです。外部勢力の支援もあるからです。中国電力は継続すると同時に10年程度で建てられるところ(なかなかないでしょうが)も探し、見つかったら「ちゃぶ台をひっくり返す」ように、出ていけばいいのではないでしょうか。そうでなければ、状況が好転する兆しはないので、強行突破しかありません。
もちろん経営責任は株主と国に取って。さらに、自然は人の手が入らなければ守れません。それも守れないでしょう。地域振興は、現地に任せることになります。この原発は、この町が誘致した現実があるようですが。
そのとき、外部の人々は、この地域には誰もいないでしょう。
会見の風景
私は電力中央研究所の上席研究員の杉山大志さん、主任研究員の「気分のエコでは救われない!‐データで考える地球温暖化」(日刊工業新聞)という本を出版します。2月25日に出版されます。もしよろしければご一読賜れば幸いです。
書いた動機は、地球温暖化問題についての正確な情報を知り、温暖化問題を考える議論の一助にしていただきたいと考えるためです。エネルギー政策での市民合意の必要性についても指摘しています