第20回 皇太子殿下とご学友
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1984年10月16日、亡父の命日に私は成田発ロンドン着の直行便を乗務した。
私はチーフ・パーサーとしてその便の客室統括責任者で、同乗した乗務員は全員が私のグループのメンバーで、4名はロンドン基地所属の英国人乗務員だった。ファーストクラスのサービスを担当した私は、通常のお客様とは異なる20代の男性客2名が片道正規料金で60万もするファーストクラスにいることに違和感を覚えたのでした。
しかし、この若さでファーストクラスのサービスに慣れている点に、どんな方達なのかと興味を抱いたのでした。
その後の会話で、A君とH君は大学の同級生で、浩宮様と幼稚園から学習院大学まで一緒に学んだご学友だということが判明したのです。今回のロンドン行きの目的はオックスフォード大学マートン・カレッジに留学している浩宮様に会って、彼のホームシックを和らげるのだということだったのです。
A君は都内の有名な真言宗のお寺の息子、H君は祖父が大手家具の社長で、父親は不動産会社の社長でした。
当日のファーストクラスのお客様が少ないこともあり、食事サービス終了後、彼らと話す時間が多くなり、最後に彼らから私に依頼の相談があったのです。
それが、浩宮徳仁皇太子を慰労する意味で私的なパーテイを予定しており、その場に私のグループのスチュワーデスに参加してもらえないだろうかという依頼だったのです。私は、突然の申し出でなので、即答は出来ないので、後刻私の定宿に電話してくれということにしたのでした。
我々はロンドン到着後2日間の滞在だったので、配下メンバーに打診して翌日であれば全員が出席可能だということだったので、その旨を彼らに伝えたのでした。日本の次期皇太子と一緒にパーテイに同席して親しく話す機会はめったにないのですから、全員が参加を希望したのも当然です。
私は、そこで日本の皇室の歴史や2000年の長きにわたる皇室は世界にその例がないことも含めて予備知識として配下の全員に講義したのでした。私自身、以前に首相特別便は実現したのですが、天皇陛下の特別便の乗務を目標にしていたのですが、それが実現しなかったこともあり、是非とも将来の天皇になる次期皇太子殿下と私的に話す機会が実現することに大いに期待していたのです。
ところが、皇太子がこのパーテイに参加するにあたり、当時アイルランドの過激派に不穏な動静があり、英国皇室の配慮でSP(皇室警護官)を8名このパーテイに同伴するという条件付きだという連絡があったのです。私は、そんなリスクのある状況下で私の配下の女性達を参加させることは出来ないし、パーテイ会場に8名ものSPがいては盛り上がることも出来ないということでキャンセルしたのでした。
そこで、浩宮様は参加できないが、せっかくだからパーテイはやろうということになって、A君、H君と私と8名の独身スチュワーデス達と彼等の宿泊先のホテルのスイートルームで盛大なパーテイをやったのでした。これが縁で私は彼らと交遊することになり、A君の関係で裕福な都内の独身僧侶やH君の関係で学習院卒の社会人とスチュワーデスの合コンを数回、主催したりしたのです。
A君が京都の西本願寺に1年半修行に行ってた間、3回ほど京都で彼と会食する機会があり、彼のなじみの御茶屋さんで舞妓さんと遊んだこともありました。当時、男性歌手の結婚相手と話題になった勝乃さんや舞妓さん、踊りの師匠さん達とA君の招待で香港に2泊3日の小旅行にも行って、舞妓さんの修行の厳しさも初めて知りました。
後になって、浩宮様のおきさき候補がマスコミで取り上げられるようになった頃、どういうわけか、私の自宅に某新聞社の記者や女性週刊誌の記者から何度も、「おきさき候補の本命は誰ですか?」という電話がありました。
推測するに、合コンを主催した際に、私が皇室関係者と親しいと勝手に解釈したスチュワーデスの誰かが付き合っていたマスコミ関係者に話したのではないかと。
実は、A君やH君から、おきさき候補の情報を私は得ていて、本命は2人だと聞いていましたが知らぬ存ぜぬで通したのでした。
浩宮様が1986年10月、来日中のスペイン王女の歓迎パーティーに出席した際、外務省に勤める小和田雅子さんに一目ぼれしたということも聞いていたので、本命は小和田さんだなと思っていました。
ところが、後に、その候補の1人の女性とA君は結婚し、私はその結婚式に招待されたのです。新婦は鹿児島の島津家の長女で、仲人は京都西本願寺のご高齢の管主さんでした。お祝いにどれくらい包めばいいのかわからなかったので、H君に質問したのです。
「アナタは平民なので○○くらいでいいと思いますよ」がその答えでした。
私は生まれて初めて”平民!”なのだ、この時代に未だそんな旧習の身分制度があることを知ったのでした。
この結婚披露宴の会場で私が目にしたのは、時々週刊誌に写真が掲載される皇室関係の女性、爵位を持つ旧華族、有名な寺社の管主、変ったところでは大手の墓石会社の社長さんも出席していました。披露宴の引き出物は豪華な薩摩切子のペア・グラスでした。
それにしても「私は平民なんだ・・・」という思いは正直ショックでした。
A君は今では住職なり、H君は父親の不動産会社を継いだのですが、土地バブルの崩壊のあおりの影響で苦労しているようです。
いずれにしても、彼らはご学友でもある現在の浩宮徳仁皇太子をとても尊敬しています。
私は以前、ヨーロッパの社交界に出入りできる唯一の日本人女性の大屋正子さんから、日本の皇室は歴史が古いので、その次に古い英国皇室をはじめ多くの国家元首から大変尊敬されているということを聞いたことがあり、改めて日本の皇室に畏敬の念を感じるのです。
風天マン
実録「ハチャメチャ乗務員の飛行日誌」
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