2013年01月21日の日記

2013-01-21

趣味の話

私は趣味らしい趣味を一切持っていない.

初対面の人に趣味を聞かれたとき便宜上読書」や「映画鑑賞」と答えてはいる.

もちろん,本当に好きな人に深く突っ込んだ話をされた場合対応できるように,いくつかのネタも用意はしている.

便宜上趣味が本当に好きか嫌いかといえば自分にもよくわからないし,恐らく好きでも嫌いでもないのだろう.

読書映画鑑賞に限ったことではなく,近頃はあらゆることに感情を動かされないようになったと感じる.

なぜ,これまで生きてきて趣味の1つも持たなかったのだろうか.冷静に考えなくてもおかしな話ではあると思う.

いろいろ考えてみた結果,一番の理由は「あらゆる趣味領域に適度に距離を置き,深入りしなかった」からだと思う.

「距離を置いて静観し,本当に楽しめることが見つかるまで様子を見る」という生活をずっと続けていたから,

無趣味をこじらせて至極つまらない人間になってしまったと実感している.

切実に趣味が欲しいと思っているが,何を見ても聞いても調べても没頭したいものが無い.

私が心から没頭できる趣味を見つけられる日は来るのだろうか・・・

http://anond.hatelabo.jp/20130120193053

1つしか入力してないのに、何個もになってるから、一つを残して削除したら全部消えてたので書き直したら、また何個も入ってる?!

なぜ?????

http://anond.hatelabo.jp/20130121013035

ゼミ生」とか言うあたり文系っぽいし、「内省的に思い悩む俺」に酔ってるだけだと思うけどねえ。

http://anond.hatelabo.jp/20130121011254

今いるコミュニティの中で人を信用できなくて、どうして宗教関連の集まりで人を信用できるようになるの?

アムウェイは、宗教以外にも信仰友達作りとうさんくささを合わせ持った集まりがあるって言いたかたからです

http://anond.hatelabo.jp/20130121001007

というかさ、そこまで本気で悩んでるんなら、それこそ近所の寺やら神社やら教会やらに出かけて、そこの住職やら神主やら牧師やらに話したらどうだ?

http://anond.hatelabo.jp/20130120193053

薬飲んでるの?

自分が飲んでても他人にまで勧めない方が良いと思う。

一人一人状況は違うし、セカンドオピニオンの話も出てる。

精神科医自身が精神科医は宛にならないと批判してる本もあるし、発達障害にしてもうつ病にしても他の病気にしても、範囲を広げすぎて病気を作ってるという人も居る。

何らかのサポート必要でも、それが薬なのかどうか、必要だとしてもその薬で良いのか、など、医師の間でも意見が別れてる部分じゃ無いかと思う。

医者の話を鵜呑みにしない方が良いと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20130121005313

宗教から離れるべきなのでしょう。しかし私は元記事に書いたとおり信仰心の篤い人々の情熱に強烈な羨望を抱いていて、それに類するような情熱を持ったようなコミュニティを欲しているところが願いを叶いづらくしている。

宗教を廃したコミュニティに属して苦しみが無くなれば助かると私自身も思っている。ただ、私もかつて幾つかの趣味コミュニティに属した経験からすると、やはり趣味宗教に勝らず同様の情熱はないのではないかあゆしんでいる。

助言をもらっておいてこの言い草で申し訳ない。

1月17日記憶

先週の1月17日、やはり自分の観測範囲にもいくつもの震災感想みたいな投稿が流れてきて、色々と自分でも思うところがあったので書いてみようと思う。記憶違いもたくさんあるかもしれないが。

1995年当時、自分神戸市長田区に住む18歳の学生だった。いつのまにか震災前と同じ時間が経っているということに今気づいた。

あの日、1月17日に提出しなければいけない課題があったので、朝3時くらいまでかかって課題を片づけようやく眠りに落ちたころに、まったく経験したことのないほどの揺れで目を覚ました。揺れで目を覚ましたというより、目を覚ますまでそれが揺れであるとは理解さえできていなかった。古く狭い家で所狭しと家具家財が並べてあったので、自分の上にも多数の本が落ちてきた。本棚でなく本程度でよかったと、後から部屋を眺めて思った。とにかく、階下で寝る親が大丈夫なのかと傾いた階段を駆け下りた。造りの古い家なので隣家と土壁が共有されているはずなのに、割れた壁のところどころからからの光が入ってきているようだということに階段下りながら気づいた。隣家との間に隙間ができたのだろうかとぼんやりと思いながらも階下へと急いだ。部屋は恐ろしく家具が散乱しいくつもの食器が割れているものの、幸い親も兄弟もとくに怪我もなく無事だった。とにかく外に出ようと身近にあった上着を羽織家族で家の外にでた。壁を共有するはずの隣家は、我が家と隙間があいたのではなく、完全に倒壊して路上瓦礫の山と化していた。すぐ近くにも、1階が倒壊し瓦礫の上に乗る2階、のような家屋がいくつかあった。自分の家が半壊で済んだのは本当にたまたまだったんだと思う。普段、挨拶することもめったにない近所の人たちと会話を交わす。幸い崩れた隣家の人は無事だったようで、すでにどこかへ行ったとのこと。まだ外は薄暗く「今何時ですか?」と今思うと少し間抜けな質問をした覚えがある。まったく現実味がなかった。

母に促され近所に住む祖父母の様子を見に行く。祖父母の家は我が家以上に古い建物で密集して立っている。徒歩で15分ほどだが必死で走った。家はかなり崩れかけていたが、幸いにも倒壊せずに原型を保ち、二人とも怪我もないようだった。あとでもう一度来るから注意して暖かくして、と言い自分の家へと無事を伝えに戻った。今ほど携帯電話は普及していなかった。

家に戻るころには空が白み始めていたが、すでにそのときにはあちこちに黒い煙が空高く登っていた。家にもどり再び家の前で近所の人たちと状況を交換しあっているときだったと思う、どこかから「裏で人が埋まっている」という声が聞こえた気がした。気がしたのではなく聞こえたはずだった。でも、自分にはまったく現実味がなくどうすればよいのかわからず動けなかった。このとき自分の行動、何もしなかったという行為を今でも激しく悔いている。

そこからしばらくはよく覚えていないが、午前中には祖父母も連れ、家族で近所の小学校避難しようということになったようだ。たまたまその小学校は何年か前に立て替えたばかりの新しい校舎で、大勢の人に安心感を与えていた。学校へ着いた時点ではまだ給水タンクに水が残っていたようで、とりあえず持っていた水筒に少しだけ水を入れた。すでに大勢の人がいたが、とりあえず手頃な教室へと入り、家族、祖父母あわせて6人で2畳ほどのスペースを拝借した。あとから知ったことだが、早い段階で小学校へと避難し、教室へ入れた人は恵まれていたようだ。午後には教室体育館といった室内はすでに足の踏み場もないほどの混雑になり、大勢の人が階段廊下で寒さに凍えることになった。

誰かがポツリとどうしたらいいのか誰か指示してよと言うのが聞こえた。まったくそのとおりだと思ったけれど、絶対にかなわないことだし、自分をしっかり持たなくてはと思った。

自宅も祖父母宅も、周りは火の海になっていて、家まで火が来るのは時間の問題だと思ったので、とにかく貴重品と身の回り品を避難先の小学校へと急いで持ち出した。途中、小中学校のころの同級生とすれ違う。お互いよかったと声をかけつつも精神的にも時間にも余裕がなくそのまま別れる。

つの間にか夕方になっていたけれど、相変わらず現実味はわかなかった。いつのまにか、誰かからおにぎりを頂いていたので食べた。小学校教室で2畳ほどのスペースで6人で寝る。隙間で横になるものの、興奮して眠れないので諦める。校舎の外ではすでに自然発生的にできあがった自警団のような人たちがたき火を囲んで輪になっていた。

翌日、翌々日と何をしていたのかあまり覚えていないが、とにかく顔を洗って歯を磨きたいと思ったことだけは覚えている。3日も経てばそんなことはどうでもよくなった。幸い、食事に関しては小学校へ十分な量の支援物資が届けられ、あまり困ることはなかった。毎日歩いていた街が完全に焦土になっていることに強いショックと悲しみを受けながら、なんとはなく道を歩いて過ごす。今でも火事のあとの匂い解体現場匂いがすると心が締め付けられる気がするのはこのとき記憶とつながっているからだろうと思う。

このころ、テレビ広告公共広告機構のものではなく通常のCMに戻った。避難先の小学校教室では常時テレビがつけられていたので、CMが切り替わったことに大勢の人が不快感をあらわにしていた。

5日目くらい経ったところで、母親の友人が家へと招いてくれた。最寄駅はすでに焼失していたので、20分ほどかけて隣の駅まで廃墟の街並みを歩く。電車に乗り3駅ほど移動すると、まったく地震なんてなかったかのように日常の街並みが広がっていた。母親の友人宅で風呂に入り、暖かい食事を頂く。普通の家庭というものをひさしぶりに思い出す。電車に乗って帰り、また30分廃墟を歩いて小学校へ帰る。滋賀の親戚が祖父母を預かるとのことで、祖父母を送り出す。

1週間を過ぎたころ、担任から来られる学生だけでも登校するようにとの連絡が入る。片道30分歩いて電車に乗り、久しぶりに学校へ。やはりここも地震なんてなかったかのような日常そのままが残っている。何人もの同級生と抱き合って無事を喜びあう。

電車に乗って数駅移動するだけでまったく地震の影響を受けていない街が広がり、みんないつも通りの生活をしているということに理不尽な怒りと焦りを感じる。

あちこち綻んだ家を親の友人の大工に応急処置してもらう。とにかく散乱した家具や食器を片づける。家の前で切れてぶらさがる電線関西電力作業員に直してもらう。そんなことをしながら2週間ほど経つ。ガス、水道はないので自衛隊給水車毎日ポリタンクの水を入れてもらい、カセットコンロで最小限の湯を沸かす。不思議もので、ポリタンクカセットコンロがこのころには十分な数が普及していた。おそらく支援物資として大量に届けられたりしたんだろう。ありがたいことだと思った。

1か月ほどして小学校から自宅へと戻る。ガスは相変わらず出ない。そのころから毎日ではないものの通学も再び始める。

テレビでは震災特番だけでなく通常の番組が流れている。いつのまにかオウム真理教ニュースが増えている。世間全体が地震のことなんて忘れているんだろうとやはり理不尽な怒りと焦りを感じる。そう思いつつも、自分には帰る家が残っていたが小学校には帰る場所のない人たちがまだまだいるんだということに思い至り、自分理不尽さを恥じる。

あれから18年。いつのまにか地震前と同じだけの時間が経っていた。忘れてはいけないと思う。今でも東北では大勢の人が震災の真っただ中にいることを。忘れられることが一番つらいことだと思う。

最後まで駄文を読んでいただきありがとうございました。阪神大震災東日本大震災で被害にあわれた方に心からお見舞い申し上げます

http://anond.hatelabo.jp/20130120230813

目に見えない現象を存在しないものとみなすのは庶民としては正しい姿なのかもな。しらんけど。

信仰など別にいらない。

人間だけいればいい。

家族を作るんだな

http://anond.hatelabo.jp/20130121005447

しか禅宗系の方にとってみればそういう生き方もありかとは思うのですが、自分差し当たって生きるにあたって必要人間関係を維持し、他者に善行を施す行動力を持つにはやはり共同体の形成を志向した信仰心自分には必要ではないかと思っております。そうでなくてはいつか心を病んでしまうだろうという考えが心の裡にあります

http://anond.hatelabo.jp/20130121005926

寂しいのは確かだけどもぼっちかといわれれば、勉強会や専攻に関係するイベント趣味コミュニティに参加しているので少し違うと思う。そうした交流の中で他人への信頼感を持てないというところに苦しさがある。

アムウェイを持ち出してきたのはどういう意図なのかよくわからないけれども、あまり参加したくはないとだけ。

http://anond.hatelabo.jp/20130120230813

円高は、たしかに最終的な利益とかには影響する。だけど為替なんか単なるパラメータであって、そのパラメータがどう動こうと儲かる仕組みを作るのが当たり前なんだ。

パラメータがどう動こうと、勝てる仕組みは作れるってのなら、ドラクエでひのきの棒とステテコパンツだけで、最後魔王を倒してみせろよ。

http://anond.hatelabo.jp/20130120225128

俺も経験ある。

同じ本2冊買ってきたり…タイトルがまるで残っていないってことだよね。

本をひらいて違和感を抱くということは、少しは内容を覚えているとも考えられる。

ポジティブ思考。

  

ほとんど何も残らない。

なんて無意味なのだろうか。

そういう死んだ読書でも意味はあると思う。

個人的には、本を読んでいる時間がしあわせだから、それでいい。

既に読んだ本持っている本を買ってきてしまうと、ショックだけども。

http://anond.hatelabo.jp/20130120121044

 私が発達障害の診断を受けた時は、自分が騒ぐのではなく、母親IQについてギャーギャーと騒いでいるのを自分が見ることで、客観的に「思いのほか母親ってこういう時に役に立たないなあ。」「さて自分は、どうしたらいいんだろう?」とすこし落ち着いて考える余裕ができた。

 母親もショックだろうけど、一番ショックなのは自分なのだから

 元増田は高校1年生のようだけど、健常者向けの普通高校や専門高校に通学しているのなら、かなり早い段階で自分が通う学校以外にいるであろう障害者就職活動に詳しい人を見つけてみるといいのかな。「この先生きのこるにはどうしたらいいの」という進路で遅かれ早かれ公的サポート必要になるから

 こういうことは8年も経つと、大したことじゃないよ、と思えてくる。25歳や30歳を超えてから医師に言われるよりは、いいじゃないか、と私は思う。

http://anond.hatelabo.jp/20130120121044

今見てるかどうかわからないし増田は見てもしょうがないような気がして見てなかったんだけど

ブクマで見たので

ずっと前にも書いたけど、発達障害とされる状態が範囲が広がり過ぎてると思う。

元々は、脳の機能の問題とされてたので、脳の血流を測って前頭葉が不活発な様子が見られないと、そう診断されなかったはずなのに

今は、それなしで心理テストなどだけで診断してるのでおかしいなと思ってたら

DSMの判断基準が変わって、機能的な問題じゃなくても、そう診断することになってるらしい!

元々は先天的機能の問題だったはずなのに、今は後天的もの(家庭その他の環境要因)で情緒障害的になってるのまで、発達障害にしてしまってる可能性がある。

脳の機能的な問題として結果が出たので無ければ、心理テストや知能テストその他の何かを計るテストで、現状こうなってますというのは分かっても、発達障害なのかはわからないと思う。

なんでそんなふうに広げて来たのかわからないけど、このあたりは医者でも意見が別れてる部分じゃ無いかと思う。

ブクマにもあった意見、〝何をどうすべきかは親がクッションになってくれるべきで、問題はイシャじゃなくて親だよ。〟 にもあるように、親がだいぶ変わってるような気がする。

他の増田の書き込みは読んでないが、増田はてなの一部は、医者を過信してたり信仰してたり、時には医者ステマだったりして、結局何だか医者に呼び込む事になってる。なんか言われてもあまり気にしない方が良いのでは?まだブクマ意見のがマシだと思う。

うつ病についても、範囲広げすぎというのを書いている精神医療側の人の本があるのを今日知った。発達障害には直接関係いから書名は書かないけど。

そんなもんだから、というのも念頭に置いて良いんじゃ無いかと。

親に説明したのは、このような状態だから、責めないで理解してあげてという意味医者は言ってるんだと思うけど、逆効果になったわけだし、それが話せる状態なら医者に話してみるか、ご自分で新たに心理の専門のカウンセラー(大学教育学部心理学教室など。当たり外れあるかも)で相談してみたら?余計親の対応が酷くなった話もして。

勉強や知能テストは、その時のコンディションとか集中できない心理状態にあるとかでも結果は左右されるはずだから、親の厳しいというかあまり愛情や思いやりが感じられない接し方もあって、本来の能力が発揮出来ず萎縮した状態なのかもしれないとも思った。

http://anond.hatelabo.jp/20130120211054

から50万円のつもりで実は最初から48万円しか入れてない=銀行へ来る前に誰かが抜いてるんじゃないのという話になっているのでは

元記事では「何度も数えた1万円札50枚、50万円入れたのに」とあるが、ATMに突っ込む直前に数えているかどうかはわからん

http://anond.hatelabo.jp/20130120233054

付き合い方を慎重に教えるのはありだと思うが、隔離果たして良い結果を招くだろうか

学校隔離したって、それ以外の場所で触れるのだから、間違っていると思う。

インターネット携帯電話も利用できてあたりまえ、という状況に移行しつつある。

それに、これだけ便利で面白いものを使わないようにって言ったって、守らないだろ。

隔離するだけ無駄

というか、使わざるを得ないような環境なのだから、使い方教えないほうがおかしい。

ちゃんとした使い方付き合い方を教えるべきだろう。リテラシー教育

  

学校先生はたいへんだと思うけれどね。

モノの考え方、道具の使い方、こういうことはきちんと教えなきゃダメだろう。

http://anond.hatelabo.jp/20130121001007

要は寂しいだけでしょ

学校ぼっちなら教会に行ったってぼっちだよ

宗教が嫌なら、似たようなのでアムウェイの集まりがある

知り合いがやってるけど、同年代で集まって勉強会したり食事会したりしてるよ

本人は楽しいし刺激がある有意義な場だって言ってる

仕事の上でヒントになるかもと思って顔を出したことがあるけど、

ノンアルコールなのにみんな楽しそうにやってたよ

俺は同性の友人はいらないし、女を口説けるような場でもなかったから全く楽しくなかったけど

http://anond.hatelabo.jp/20130120234514

そうなのか? 顧客への愛想は要らないだろうけど、明らかに違法低賃金掃除やら調理やら全て任されて、当局に訴えてもまともに相手をされない黒人インディアンの話とか、良くアメリカ掲示板では見かけるんだが(ま、嘘っぱちも結構混じってるとは思うけどね)。

http://anond.hatelabo.jp/20130121000447

取り敢えず、まっさきに「他人を基地外という、お前がまさに誹謗中傷を行なっている」とだけ言っておく。つか、こういう記事は、普通に興味が無い人は、いちいちリンク先になんて飛ばないから、単純に「ネトウヨと叫ぶ奴こそ気が狂ってる」という印象を拡散してるだけだと忠告しておこう。

http://anond.hatelabo.jp/20130121001007

その苦しみをまるごと観察して楽しめば良いのではないかと、特にそういったコミュニティとは縁がない仏教系(禅宗系)の外縁にたゆたう人間としては思います

http://anond.hatelabo.jp/20130121004503

そこには信心のようなものがないし、あたたかみもなにも感じない。

他人の信仰心すら感じ取ることができんのなら、宗教から離れるべき。宗教を廃したコミュニティくらい探せば見つかるし(趣味を軸にした集まりとかね。これも宗教っぽいといえばそうだけど)。

http://anond.hatelabo.jp/20130121002833

元増田より。返信感謝

私は不勉強あなたのように聖書通読したことがないが、確かにそうかもしれない。欧米における教会文化日本の神仏行事は同じものとみなせるかもしれない。そうであれば、日本の神仏行事に参加することで私の悩みは解消されるのかもしれない。

ただ、それにも障害がある。ここで元の記事に無いことを言い出すのは忍びないのだけど、私にはいわゆるお盆の習慣や地域の祭への参加という習慣が無い。これは私が育った家庭がそもそもそういう家だったかである。両親が無宗教者というわけではなく、過度な人付き合いが嫌いなだけだったようだが。そういうわけで、初詣には行ったとしても、そこには信心のようなものがないし、あたたかみもなにも感じない。初詣に際しては神社や寺を手伝う人々がいるけれども、そういう人に与していないので元記事で羨んだような共同体を感じるようにもいかない。

結局のところ元記事で言いたかった苦しみはキリスト教に限らず、宗教行事を通じた共同体の形成になじめないでいて、それをごまかすことも叶わなくなったことなのかもしれない。

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