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家族旅行
(「ある夏の家族旅行」改メ。第1回創元SF短編賞1次選考落選)

     1.一斉放送

 夏休み、わたしはある静かな島に家族四人で旅行に来ていた。海水浴、魚釣り、野外散策。山ほどある遊びに十歳の弟は大はしゃぎで、それを見つめる両親もとても幸せそうだった。わたしも中高一貫制で受験勉強に追われるわけでもない、という気楽な身分だったので、のんびりした島の雰囲気を堪能した。夜は小さな旅館でおいしいごちそう。みんなくたくたになって早々と寝ることになった。
 布団の中でわたしは楽しい一日を思い返していた。青い海も、弟の顔もよかったが、それを見つめる両親の、微笑んでぎゅっと手を繋いだ姿が一番うれしかった。
 実は最近、二人の仲がぎくしゃくしているような気がしていたのだ。昔からケンカして仲直りは日常茶飯だったが、今回はいつになく長引いているようで、少し不安になりかけていた。でも、やっぱりいつも通りの結末だった。大学時代に大恋愛で結ばれた二人。十四の娘がいるのにまだ三十代で熱々。ああいう夫婦になりたいな、と素直に思える二人だった。

 異変が起きたのは明け方。始まりは変な夢だった。いや、夢としか思えない奇怪な現象だった。わたしの頭に、わたし自身の声のようでありながら、しかしどう考えてもわたしの中から出てきたとは思えない、奇妙に抑揚を欠く声が響いたのだ。

《島内の皆様。これは諸君の脳内の言語野と視覚野にダイレクトに情報を流す「一斉放送」です。
 宣言します。この島は試験的『駆除』地域に指定されました。この惑星の荒廃した現状の修正を目指し、荒廃の元凶たる人類を駆除する計画のための、試験地域です。
 皆様にはこれより、二つの選択肢が与えられます。一つは人間であることを放棄し、『駆除者』への心身の改造を受けるという道です。『駆除者』となった皆様には、この惑星の未来のために他の人類を抹殺する、という崇高な使命と、それを遂行するために最適化された精神と肉体が与えられることになります。
 第二の選択肢は、この崇高な使命を拒否し、人間という卑小でいびつな生物のまま、『駆除者』によって与えられる、激甚な苦痛を伴う『焦熱刑』による死を選ぶ道です。
 我々は寛大です。選択は皆様の自由意志に委ねられています。ただし、期限は十五日。それを過ぎると『主』の恵みは閉ざされ、一律に『焦熱刑』による死の運命が待っています。時間は十分にあるはずです。入念に検討して下さい》

 声は一度では止まず、同じメッセージが録音機のように何度も何度も流れた。はっきり目が覚めたあとでもそれは続いていた。わたしは頭を抱えて悲鳴を上げた。ほぼ同時に母と弟の悲鳴も聞こえた。家族四人が一斉に上体を起こし、頭をおさえていた。父はさすがに声こそ上げなかったが、真剣な顔で何かに聴き入り、それから家族の顔をゆっくりと見回した。
「お父さんたちにも……聞こえているのね」
「……ああ」
全員の頭の中に「一斉放送」が響いているのは明らかだった。

 三十分ほど続いた「一斉放送」終了したとき、わたしたち家族は言葉もなくただ座り込むしかなくなっていた。「一斉放送」には音声と共に恐ろしい映像が付されており、しかもそれはただ恐ろしい映像であるだけでなく、わたしたちが置かれた残酷な運命の鮮やかな絵解きを与えていたのだ。
 映像は「駆除者」や「焦熱刑」という言葉を解説するように挿入された。「駆除者」とは魚と人間のあいのこような怪物。そしてその怪物が、怯える人間に銃のようなものから何か光線を発射しているシーンが「焦熱刑」だった。光線を受けた人間の全身は赤黒く焼けただれ、聞いたことのない苦悶の声を上げのたうち回っていた。さらに、その映像に「駆除者」のセリフがかぶせられた。まさにバーチャルな記録映像である。
『その苦しみは約十二時間続く。人間のまま死ぬことを存分に悔いるがいいわ。あははは……』
 奇怪な姿の生物が、若い女性の声で、血も涙もないセリフを吐く。それが意味するのは残酷な選択だ――この恐ろしい怪物の仲間に、身も心も生まれ変わるか、この恐ろしい拷問を受けて死んでいくか、いずれかしかない――そういうことだ。

「外は? 外はどうなっている?」
 真っ先に我に返った父が窓の近くに行きカーテンを開ける。誰もいない静かな早朝の風景。ただし、どの家にも電気がついているのが急迫した事態を暗示している。
「まだやつらは出てきていないようだ。ちょっと様子を見てこよう」
「大丈夫? お父さん」
「何、無茶はしないよ……む? なんだこれは?」
部屋の出口に手をかけた父はぎょっとして身を引いた。扉がすごい勢いでばんと全開になったのだ。
「……出られない。何か見えない壁のようなもので遮られている……」
 父の言葉に不安を増したわたしたちはドアの近くに来て、出口の空間を見た。よく見るとほんの少し赤茶色のゆらゆらしたもやのようなものが開口部全体を覆っている。手を伸ばすと不思議な力で押し返される。体当たりを試みた父ははじき返されて尻餅をついた。そのとき、あの声がまたもわたしたちの頭の中に響いてきた。

《あらかじめ言っておきます。皆様に残された選択肢は先ほど伝えた二つだけです。それ以外の選択肢、例えば反抗、逃亡、そして焦熱刑以外の自死を自ら選ぶ道は塞がれています。
 まず、反抗は不可能です。『駆除者』に改造された者は無改造の人間の十何倍の力と耐久力をもっています。素手はもちろん、皆様が用意できそうなどんな武器も通用しません。
 逃亡も不可能です。皆様の住居の出入り口には、目に見えない力場障壁が張られています。
 そして、どのような自殺も不可能です。我々は諸君の住居を個人レベルでモニターしています。そして何らかの仕方で皆様の生命に危険が及んだ場合、我々は皆様の行動を凍結させ、最上の延命処置を施し、その上で焦熱刑を実行することになります。自殺以外で深刻な怪我や病気を負った場合も同じ処置が施されますので、そのような場合には早めの投降をおすすめします。
 投降の具体的な手段もお伝えしておきましょう。着衣を全て脱ぎ捨て、力場障壁の前で『人類の駆除を我は望む』と唱えて下さい。『駆除者』が速やかに皆様を迎えに来るでしょう。脱衣が投降のしるしです。着衣は抵抗の証と見なされ、その場で焦熱刑が施されます。だから、もし人間のまま死にたいという酔狂な方は、故意に着衣し『駆除者』を呼べば、期日を待たずに焦熱刑に処されることになります。我々は寛大です。愚かな道を選ぶ者の意志もそれなりに尊重しています。『人類の駆除』を口にするのに抵抗感のある方は、『人類の駆除を我は拒む』と唱えて下さっても構いません。効果は同じです》
 残酷な「一斉放送」は、今度は二時間、やはりおぞましい動画入りで流れ続けた。


     2.投降

 わたしたち家族の絶望的な監禁生活が始まって十日目。とうとう父が口を開いた。
「僕は、たとえ人類の裏切り者になっても、家族が一緒に生き延びる道を選びたい。家族一緒ならたとえ化け物になってもきっとやっていける。僕はお前たちの誰にもあんな死に方をして欲しくないんだ。……それに、もう、あまり時間がない。このままだと……期日を待たずに焦熱刑が始まってしまうということも……」
 たしかに事態は切迫していた。二日前から弟が高熱を出し、一向に下がる気配がなかったのだ。
「苦しいよ……お腹……すいた……」
ほとんどうわごとのような弟の声を聞くたびに家族全員の心が痛んだ。
 あの日からわたしたちは部屋の外に出られなくなった。水道も電気も切れることはなく、水を飲むこと、トイレを使うこと、さらにはお風呂に入ることもできた。だが食料はほとんどなかった。おやつに買っていたポテトチップ、おみやげの干物、旅館の冷蔵庫に入っていた栄養ドリンクやおつまみ。それが食料の全てだった。両親はそれらを一切口にせず、わたしたち姉弟に与えてくれた。だが弟には酷すぎる環境だったようだ。

 廊下を見ると違う部屋の様子もわかった。力場障壁のため、ドアが開いたままの部屋が多かった。
 五日が経ち、最初に決断を下したのは、向かい側の部屋に泊まっていた大学生らしい二人組。選択は「抵抗」だった。二人とも絵に描いたような好青年ながらもオトナの魅力を漂わせており、何度か言葉を交わしたわたしは、何とか親の目を親の目を盗んでお近づきになれないものだろうか、などとつまらない夢想を広げていた――そんな二人が、いまや『駆除者』に浴びせられた怪光線によって赤黒く皮膚を変色させ、耳を覆いたくなる断末魔の絶叫を発している。
 恐ろしい叫びはほぼ六時間ほど続き、その後には真っ黒な粘土の山のようなものが残された。
 
 六日目には左隣の部屋にいた二人連れの女性が、七日目には右隣のカップルが「投降」し、「駆除者」たちに連れられてどこかへ姿を消した。まだ決意を固めきれない部屋も多いようだったが、その後も、ぽつり、ぽつりと裸の男女が奇怪な生物に先導され、部屋の前を通っていった。
 そして十日目の今日。わたしたち家族は、弟の高熱によって、最終的な決断を迫られることになったのである。

「時間がない。ともかく、『駆除者』を呼ぶ。いいかい?」
 弟の様子を見る限り、これ以上何もしないでいることができなかった。
「ならば……衣服を脱がなければならない。いいね?」
 最初に、父が浴衣を、そして下着を脱いだ。わたしは横を向いた。次に母が何も言わずに浴衣を脱ぎ、ブラを外した。パンティーは昨夜寝る前に洗ったものがまだ乾いていなかったのだ。そうして全裸になった母は弟の布団をはぐと、弟を裸にして、また寝かせて布団をかけた。
「さあ、お前の番だよ」
 父の声が聞こえた。激しい抵抗感がわたしをとらえた。これは「駆除者」になるための儀式の始まりなのだ。さらに言えば、わたしは、最近急に大人びてきた肉体を父や弟に見られることにためらいがあった。本当は母にも見られたくなかった。
「……脱ぐわ。でも、見ないで。こんなときにわがままかもしれないけど、恥ずかしいの。お願い」
父が黙って扉の前に移動し、外向きに立った。母は壁むきに姿勢を変えた。
「ありがとう」
わたしは浴衣を脱ぎ、洗い立てのブラとパンツを複雑な思いで脱ぎ捨てた。
「『駆除者』を呼ぶよ。可哀相だが、布団ははいでおいた方が安全かもしれない」
それを聞いた母が裸になった弟を抱き上げ、横抱きに抱え上げた。
「準備はいいね。『人類の駆除を、我らは望む』」

 忌まわしい合い言葉を発して三分もしないうちに、ウナギのような姿の男性の「駆除者」と、それに率いられた部下らしい三体が現れた。わたしは母に促され、入り口近くに移動した。
 父はせめてもの希望をウナギ男に伝えた。
「頼みがある。息子が高熱で今にも死にそうなんだ。『延命処置』とやらをすぐに施して欲しい。……そして、できれば、最終的な決断はもう少し先まで待ってほしい」
「延命措置の件は了解した。直ちに対応しよう。だが、決断を伸ばすことはできない。このまま改造手術場へ向かうか、撤回して死を選ぶか、いずれかだ」
「……やむを得ない。投降する」
 父の交渉は却下され、連行の準備が始まった。
 ウナギ男は最初にドアの前の父に銃のようなものを突きつけ、バリア越しに発射した。銃は武器ではなく捕獲装置のようなものだったらしい。父の両手と両足、両腕は真っ赤なレザーのバンドのようなもので縛られた。
「出ろ。その拘束具は力場障壁をキャンセルするはずだ」
父は恐る恐る踏み出し、バリアをすり抜けた。そして拘束具のせいで三十センチほどしか動かない足でよちよちと先に進んだ。
「次の者、入り口の前に出ろ」
母が弟を抱いたまま前に出た。
「お願いします。『延命処置』を」
「承知している」
そう言うとウナギ男は弟に緑色の光線を発射した。弟の苦しそうなうめき声が引き、うつろな目に急速に光が戻った。
「すごい! 頭が痛くなくなったよ!」
そんな弟の無邪気な声をわたしは複雑な気持ちで聞いた。そしてはじめに下に降りた弟が、次に母が拘束され、遂にわたしの番になった。
「次の者、前へ」
 わたしの番が来た。今なら、わたしだけ「抵抗」してこの世から姿を消すこともできる。そうすべきではないのか。弟の命は助かったのだ。わたしが改造されなければ、「駆除者」の数が一体減るのだ。その方が人類のためではないのか?
 ……だが、わたしにはその勇気がなかった。焦熱刑のイメージは余りにも鮮烈だった。そしてそれに劣らず、父や母の目の前でわたしのあんな死に方を見せることに抵抗があった。二人の悲しむ顔の想像がわたしの勇気を殺いだ。
 結局入り口の前に立ったわたしに捕獲銃が発射され、わたしの両手と両足には手かせと足かせが、そしておへその少し上ぐらいに両腕を胴体に拘束する真っ赤なバンドが現れた。わたしたち四人は一列に繋がれ、「駆除者」による絶望の場への連行が始まった。


     3.連行

 わたしたちを待っていたのは絶望だけではなかった。旅館の廊下や住居の前で、わたしたちはまだ投降していない人々の罵声と憎しみの声にさらされ続けた。
「裏切り者!」
「そこまで命が惜しいか? 弱虫!」
 彼らは明らかに正しい。そしてこれが、お互いにくじけそうになる心を励まし合うための必死の抵抗に発したものだということもわたしにはよくわかる。だが、だとしても、そんな罵声は、全裸で町中を歩く心細さ、恥ずかしさに加えて、わたしの心を激しくかき乱した。
 先頭の父と母の間に挟まれて歩いている弟も動揺しているようで、わたしの前を歩く母にべそをかきながら尋ねていた。
「ねえ、僕たち裏切り者なの? 弱虫なの? 僕、怪物なんかになりたくない!」
母が精一杯気を張って答える。
「お前は心配しなくていいの。お父さんを信じてあげて。お父さんはね、お前やお姉ちゃんに痛い思いをさせたくないの。それにたとえ怪物にされるときも、家族一緒ならきっと怖くない。そう信じましょう」

 先頭で父とウナギ男の話している声も聞こえてきた。
「ええと、ウナギ男さん、あなた、たしかあの旅館の支配人ですね」
「おお。この姿になってもわかりますか……ウナギじゃなくてアナゴですがね。いえね、あの力場障壁ってやつがあたしたちを従業員室に閉じこめちまいましてね。カアちゃんが怒るんですワ。あんた、怪物になったって何だっていいから、外に出られるようにしとくれ、ってね。いや、隠し金庫とか先祖代々の骨董の類が離れにあるんでね。そこが気が気じゃなかったみたいで。へへ、お恥ずかしい」
 そんなことのために人類を裏切ることができる人がいるの? わたしは唖然とした。でも、これは支配人さんの照れかもしれないなとも感じた。支配人さんはやはり焦熱刑が怖かったのだろう。わざと悪人ぶって照れ隠しをしているのではないか。そんな気がした。

 わたしを連行しているのは、魚屋さんで見かけたナマコそっくりの姿に改造された女性で、旅館の仲居さんに似ていた。顔と乳房から太ももの前面までが青黒いなめらかな皮膚で、それ以外の全身が全身がナマコの皮膚のようなでこぼこで覆われている。女性の大事な部分にはナマコの口に似た装飾がついていた。わたしは父にならい、思い切って声をかけてみた。
「ねえ、あなた、旅館の仲居さん?」
「そうよ。わたしが部屋で悩んでいたらあのヒトに誘われてね……うふふ。で、やっぱり焦熱刑は怖いし、それに、一緒に改造されるなら怖くないかな、と思って」
 支配人さんを「あのヒト」と指さした言い方に何となく違和感を感じたものの、やはりみんな心理は同じみたいだと納得した。同時に、改造された支配人さんや仲居さんの人間らしさに、わたしは少し意外さを覚えた。改造による心の変化というのは、それほど大きなものではないのだろうか?
 わたしのそんな当惑を知ってか知らずか、仲居さんはうれしそうに話を続けた。
「あなたもこっち側に来るのね。改造が終わったらきっと仲良しになれるわ。楽しみ。みんなが改造されるわけじゃないからね。あのね、もうじき仲間になるあなたには教えてあげる。『駆除者』が地球環境の救済を目指すって話、実は全くの嘘。わたしたちは他の星から来たある存在の道具になったのよ。その存在の狙いは安価な労働力と、この星の鉱物資源と生物資源。『救済』どころか、地球がぼろぼろになるまで搾取し尽くして、最後にポイ、という予定なんだって。今現在、もっと栄えた星への領土拡大の戦争の真っ最中なんだけど、ちょっと兵力と資源が不足気味になってきて、そのためにこんな辺境の星を襲ったんだって」
 わたしは唖然として言った。
「馬鹿げてる……。そこまでわかってるのに、地球人のあなたが、なぜそんなやつらのために働くの?」
 だが、ナマコ女はきょとんとしている。質問の意味が分からないらしいのだ。
「なんかよく分からないけど、あなたまだ人間だったのよね。まあ、すぐに分かるようになるわ。それより、焦熱刑ってすごく楽しいのよ。あたしと一緒にお出迎えした佐藤くん覚えてる? あいつが昨日『抵抗』したの。あたしが処刑を担当したんだけど、ひいひい言いながら真っ黒になっていって、痛快痛快!」
 屈託なく笑うナマコ女に、わたしは底知れぬ恐怖を感じた。目の前の生き物がひたすらに恐ろしかったし、それ以上に、わたし自身もまもなく改造され、彼女たちの同類にされてしまう、という運命がわたしの心を激しくゆすぶった――心を改造されてしまうと、家族のみんなも、わたし自身も、こんな風に考えるようにされてしまうのだ!

 ふと上を見上げると、不吉な赤黒い色の空飛ぶ円盤がじっと静止していた。


     4.改造の海

 「改造場」は砂浜にあった。正確には砂浜から海まですべてが「改造場」なのだとナマコ女は教えてくれた。
 海はまるで様変わりしていた。あの円盤から発射されている巨大な力場障壁が島全体を取り囲んでおり、島の周囲の光景がゆらゆらと薄赤くゆらめいていた。バリアの外からはこの島も円盤もまるで見えないし、近づくこともできなくなっているのだ、とナマコ女は解説してくれた。一隻の船がバリアに突入しそうになったとたん、島の左半分の空全体に巨大な船の側面が映し出され、やがて消えていったのを見たとき、この島がどんな空間に置かれているのか、何となく分かった。
 バリアの内側の海水は赤黒くどろどろした液体になっていた。
「この水域全体が巨大な記憶装置兼改造装置なの。この水の主成分は記憶装置と手術装置を兼ねたナノマシン。そこに、この島で採取されたあらゆる生物および生物の死骸の遺伝情報を含んだ有機分子が溶け込んでいる。ナノマシンは、それらの遺伝情報を『駆除者』のモチーフとして利用する。そしてモチーフを決めるのはあなた方自身の無意識。わたしはナマコになりたかったみたいなのね。なんでなのか、心当たりがあるんだけど、教えてあげない。うふふ」
 ナマコ女は絶望的な状況を楽しげに解説した。
 アナゴ男たちはわたしたちを砂浜から海の中へ導いた。さっそく「改造」が始まるらしかった。わたしたちは抵抗するすべもなく水に足を踏み入れ、暗い顔で沖へ進んでいった。 赤黒い海水は生き物のようにうごめいていた。やがて背の低い弟の腰が水に浸かったとき、弟が苦しみ始めた。
「い、痛い! お母さん! 何かがちんこの中に入ってくる! 痛い! 痛い!」
思わず歩みを止めるわたしたちを「駆除者」たちは強引に引きずり、わたしたち三人はさらに深いところに押しやられ、わたしたちの腰も水に沈んだ。最初に父が苦しみ出した。母とわたしはまだ平気だったが、ごよごよとうごめく海水が大事な部分へ入り込もうとしているのをはっきり感じた。
「この辺でよかろう。よし、拘束力場展開」
アナゴ男の指令と共にわたしたちは見えない力で水の中に引き込まれ、水底に横になったまま動けなくなった。どうしていいかわからず、わたしは息を止めてこの力が消えるのを待った。だが身動きできないままわたしは酸素を使い果たし、ごぼごぼと息を吐き、やがて肺の中に水が流れ込んできた。
 まもなく、わたしは溺れることなく、水の中で息をしている自分に気がついた。そういう成分の液体なのだろう。だが、溺れないというだけのことで、まるで心地よい状態ではなかった。いやむしろ、悪夢に近い経験というべきだろう。鼻や口を通して気管に、そして食道に、ごよごよとうごめく海水が入り込む。そんな不快でぞっとする動きの一つ一つが、わたし自身をおぞましい怪物に刻々と改造しているはずなのだ!
 おぞましい液体はわたしの全身で縦横に波打ちながら、体中の穴から体内に侵入していった。形容しようのない不快感が全身を覆った……

 一時間ほどの悪夢のような拷問が終わり、わたしたちを押さえつけていたあの力が消えた。わたしたちはアナゴ男とその部下たちに支えられながら、拘束された不自由な体で立ち上がった。
 わたしたち家族は互いの姿を見回し、自分たちがもはや人間とは言えない姿に変わってしまったという暗い事実を認めざるを得なかった。但し、わたしたちの姿はまだ、横にいるアナゴ男やナマコ女のような完全な怪物になってはいなかったし、心も人間のままのように思えた。皮膚の色が濃い青に変色し、表面はぬるぬるした粘液に覆われていた。目はまぶたのない、真っ赤でまん丸な、火災報知器のランプのようなものに変わっていた。唇は緑、乳首は鮮やかな赤。弟と父は、股の器官がカタツムリの巻き貝のような渦巻き状の器官に変わっていた。わたしと母の大事な部分は毛が抜け落ち、まん丸い吸盤のようになっていた。しかし――ああ、これでも十分人間離れしているのだけど――それでも、それ以外は、本当の『駆除者』たちに比べれば、まだずっと人間に近い姿をとどめているのだった。
 父と弟は憔悴していた。あの苦痛が一時間ずっと続いたようだ。母はどういうわけか、苦しそうというよりはむしろ、恥ずかしそうな、気まずそうな、不思議な顔をしていた。あの海水が母に、わたしとは違う感覚を与えたのかもしれなかった。


     5.父の秘密

 アナゴ男たちはわたしたちを浜辺まで連行し、そこにずらりと並べられた円形の硬いベッドにわたしたちを一人一人寝かせ、手足を拘束具で固定した。そしてひととおり作業が済むと、どこかへいなくなった。
 代わりに近づいてきたのは赤い魚の姿に変えられた「駆除者」だった。顔、乳房から太ももの前面のみ改造後のわたしたちと同じ青黒い皮膚。額から背中、そして腕と足には真っ赤な鱗が生え、背中には背びれ。目はわたしたちと同じ白目と黒目の区別がない真っ赤な目だ。
「よろしく。これからあなた方の成熟と脳改造を担当するタイ女よ。今のあなた方は肉体も精神もまだ『幼体』。これから一人前の成体に成熟するための作業を始めるわ。さあ、みんな何の生き物になるのかしらね?」
 タイ女はベッドに縛られたわたしたち全員の顔を順に見回した。
 何となく場違いな大声を出してタイ女に話しかけたのは父だった。
「き……君は? なんでここに? 追ってきて、それで、改造された……のか?」
「そうよ! わたしを捨て、ご家族で仲良く旅行なんて、やっぱり許す気になれなかった。 で、悶々と悩んだあげく、てこっそり追いかけて来ちゃった」
「……す、すべてケリはついているはずじゃないか! そういうのをストーカーと言うんだ!」
「そうとも言うわね。それがこんなことになっちゃうなんてね。うふふ、あなたにしても、とんだ家族旅行だったわね」
 ……何だろうこれは? わたしは、あまりにも場違いなやりとりに、しばらく何が起きているのか理解できなかった――この人は誰? お父さんの何なの?
「あなたがめそめそ命乞いに来たと知って、さっそく駆けつけたのよ」
「……いつ改造された?」
「一日目よ。考えるまでもない。あんな死に方したい人なんていないでしょ? あなただってそうでしょ? みんな自分が可愛いのよ」
「一緒にするな! 家族をもたない君に、オレの気持ちが分かるものか!」
「誰のせいでそうなったと思ってるの? 無理矢理子供を堕ろさせて人の子宮めちゃくちゃにしておいて……。いいわ、そんなに家族が大事なら、家族の面倒はわたしが見るから、あなた、安心して焦熱刑を受けなさいよ」
「……それは……こいつらには……オレがいないと……」
「うふふふ、正直ね。心配しなくとも、ここまで来た素体を勝手に処分する権限はわたしにはないの。さあ、脳改造を始めましょうね」
 父のベッドによじ登るタイ女を見ながら、わたしは今までとはまったく違う怒りと悲しみに襲われていた。

 ――この人、お父さんの愛人なんだ。お父さんはこの人との間に子供まで作り、そしてそれを堕胎させた。いやだ。こんなお父さん見たくなかった!――

 仲良しの夫婦、幸福な家族、悲劇の中でも支え合う家族の絆……そんな心の支えを強引に奪われてしまったような喪失感が、わたしの心を支配した。
「あなたがたの成熟は脳改造の完了と共に完成する。脳改造の媒体は性的快楽。オーガズムに達した瞬間、あなた方の古い人間の心は溶解し、新しい改造生物の制御システムが動作する。『駆除者』としての崇高な使命に至上の喜びを覚える道具に生まれ変わるの。機械にやらせてもいいけど、改造素体のクセやら何やらを知ってる個体が担当する方が効率がいいんだって。……さあ、さっさと終わらせましょ。三ヶ月ぶりね!」
 そう言うとタイ女は父の上に覆い被さった。わたしは目を背けたかった。だけど、今のわたしにまぶたはなかった。首は固定され、魚眼レンズからはいやでも父とタイ女の交わる映像が送られてきた。
 母は恐ろしい顔で真上に顔を向けていた。その魚眼には、わたし同様、ことの一部始終が映っているはずだった。怒り、悲しみ、嫉妬、ありとあらゆる負の感情がそこに読み取れる気がした。
 弟は何の表情も浮かべていなかった。弟もやはり同じ光景を見ている。父とあの女の関係、そして父が何をしているのか、どこまで理解できているのか分からない。でも、幼い心にこの光景が衝撃を与えることだけは間違いがない。そう思えた。
 女の様々な手つきで体をいじられ、おちんちんと大事な部分との結合が始まるとすぐ、父の表情は見る間に情けなく頼りないものに変わった。
「あっ……あっ…………お前たち、ごめん。父さんは、一足先に完全な化け物になるよ。駄目な父さんでごめんな…………うっ……」
 父はくにゃくにゃに溶けそうな声で何とかそれだけを口にすると、あの女の下で激しく痙攣した。同時に父の「成熟」が始まった。矢印形の生物の形が父の両手と顔上半分に浮かび上がってきた。理科の教科書に出ていたナミウズムシ、あるいはプラナリアが、父の無意識に求めた生物の姿らしかった。最終的に父は、背中にプラナリアの胴体を背負い、五本に別れた頭に両手両足と顔の上半分を覆われ、股の間からプラナリアの口である長い器官を伸ばした、出来損ないのヒーローのような姿になった。
「あら、淡水動物とは珍しいわね。沢にいたやつかしら。うふふ、ご主人はやっぱり死ぬのが怖かったみたいよ。こんな再生能力の強い動物を求めるなんてね……」
 人間ではなくなってしまった父が目を覚まし、拘束具をやすやすと引きちぎり、上体を起こした。
タイ女は父に声をかけた。
「さあ、次はあなたの番。奥様に脳改造をしてあげて。ただ、あと三十分待ってね。あなた自身の成熟は終わったけど、他の個体を改造するための器官は成熟がちょっと遅れるの」
「……悪いが、僕は妻には立たない。だいぶ前からそうだ。いい主婦として、いい母として、尊敬している。それは脳改造された今だって変わらない。だが、どうしても女としては見られないんだ。……すまないが、機械を使ってもらえないか。そして、その代わりと言っては何なんだが……」
 母の般若のような顔がさらに険しくなった。わたしの心は痛んだ。だが次の瞬間その気持ちも吹き飛ぶ絶望と困惑の底にわたしは突き落とされた。
「……この子の改造を担当させてはもらえないか」
 父だった怪物はわたしの方を見て、わたしを指さしたのだった。


     6.母の戦い

「うふふ、十四歳だったかしら。十分な年よね。いいわ。時間が来たらあなたが脳改造してあげて。奥様にはとびきり美形の『駆除者』を相手役に呼んで来ましょうか」
「いや、……それはいやだ。妻をオレ以外の男と寝させるなんて、我慢がならない。機械を使ってくれ」
「勝手ね! 本当にいやな男。自覚あるの? ……まあいいわ。じゃあ『男』じゃなきゃいいの? わたしが改造してあげるのはどう? あのね、機械では失敗も多いのよ。わたしなら改造人間のツボも知り尽くしているし、間違いないわよ」
「……うーん。たしかに、不良品の『駆除者』を製造するわけにはいかないなあ。やむを得ない。君、やってくれ」
 こんなのお父さんじゃない! わたしは心の中でそう叫んでいた。だが目の前の「お父さん」の冷酷な姿が、はたして脳改造によるものなのか、お父さんの本当の姿だったのか、わたしにはだんだん自信がなくなっていた。
 
 タイ女による母の「脳改造」が始まった。要するにそれは怪物による母のレイプである。
「馬鹿にしないで。あの人がどうであれ、わたしの心と体はあの人に捧げたの。他の男にも、女にだって、絶対に感じたりするもんですか!」
 母はおとなしいけど芯の強い女性だ。本気になった母は本当に怖いのだ。
「あらあら、あの人が言ってたとおり、おっかない人。そういうの、男は窮屈に感じるものよ」
 言いながらタイ女は、父にしていたような様々な手つきで母の乳房や大事な部分を撫で回した。同時に、どういう仕組みか、改造された父や弟についているような巻き貝状の器官を股から伸ばし、母の股の器官にあてがった。
「うふふふ、強がり言ってるけど、こんなになってるじゃないの」
 母は苦しそうだった。わたしは今回は母から目をそらさなかった。
「お母さん、頑張って、負けちゃ駄目!」
「あらまあ、けなげな娘さん。でもねえお嬢ちゃん、その声援はちょっと違うわよ。うふふ」
 しかしわたしの声援は母の心にはっきり届いたようだった。母の口元が一瞬引き締まった。そして母は、女がとうとう股の器官を挿入し始めたとき、いつもよりちょっと高い声でこう言った、
「あ……本当に上手……改造人間のセックスがこんなにすごいなんて……」
 わたしにはわかった。この声を出しているときの母は、本当の本気になった母だった。怒りが頂点に達して何の表情も見せなくなった、一番怖い母。
 母は多分本当は「感じて」はいない。快楽を感じているふりをして敵を欺きながら、強い意志の力で、人間の心を守り抜こうと決意したんだ。うまくいけば、脳改造をまぬがれたまま「成熟」して、悪魔の力を身につけた人間になる。そんな、昔のヒーローのような、細く険しい道に母は進もうとしている。同じマンガをいっぱい読んで、同じDVDをいっぱい見た母にはその道がはっきり見えているに違いない。そんな姿で、わたしたち姉弟を、さらには人類を、守る希望になろうとしている。そう思えた。お母さん、がんばれ。がんばれ!
「ああ……悔しい……こんな女に感じるなんて、いやだ、いやだ、心まで改造人間になるのはいや……『成熟』なんていや……やめて……お願い! もうやめて……」
 母の声はまだ高いままだ。しかしあの女はまったくそれに気づいていない。
「いやあ! イっちゃう! 心が! 心が! 奪われる! 人間じゃなくなっちゃう! これ以上化け物になるのはいやよ……いや……化け物は…………いや……」
 母の体がびくんびくんと痙攣した。そして母の全身がみるみる黒く硬質の皮膚で覆われ、お腹には体節が現れ、各体節からは昆虫の脚のような触手が伸び始めた。
「脳改造終了ね。あなたは、フナムシ女かしら?」
 フナムシ女として成熟した母は上体を起こし、父と同じく拘束具を引きちぎり、立ち上がった。わたしは「フナムシ」というモチーフに軽い困惑を感じつつ、母の動静を見守った。いかに母が決意して、直前まであの強固な意志を保っていても、結局最後に改造手術が母の心を変えてしまっている可能性は十分にあるのだ――いや、冷静に考えれば、そちらの可能性の方がずっと大きいのだった。
 ベッドから降りた母はタイ女の前に立ち、にっこり笑った。
「ありがとう。こんなすてきな身体に成熟させてくれて。あなたはわたしの第二の母よ!」
 相変わらずトーンの高い声でそう言いながら、母は乳房から液体を発射した。液体を浴びたタイ女は急速に融け始めた。
「ぐう……まさか……『駆除者』が他の『駆除者』を殺せるはずがない……未完成品? そんな馬鹿な……脳改造は完璧だったはず……早く……仲間たちに……ほうこく……」
 タイ女は泡の固まりになり、地面に吸い込まれていった。
「あっははははは、これがやりたかった! いい気味! これであの人はわたしだけのもの! あっはははははははは、もう心残りはないわ。あっははははははははははははは……」
 笑い続ける母の声から、あの高い緊張したトーンが急速に失われ、その声は徐々に無邪気な子供を思わせるものに変わっていった。わたしの心臓は激しくざわめいた。
 長い高笑いが終わると、フナムシ女になった母は、冷酷で優しい声で、弟の顔を覗き込んで言った。
「さあて、邪魔者は消えたし、あなたの改造はわたしが引き受けようかしらね。うふふふ。前からあなたの体をいじりたかったのよ。いいわよね。これも崇高な使命のためなんだし。うふふふふふ」
 弟は無表情なままその声を聞いていた。心がどうにかなってしまったのだと思えた。当たり前だ。十歳の男の子が、両親が交わる姿、しかも配偶者以外の者と交わる姿を二度も見せられ、さらには母親に性交を迫られているのだ。心を閉ざしてしまわない方がおかしい。


     7.改造のとき

 わたしは激しい絶望と人間不信に陥り、嘔吐感すらこみ上げてきた。
 母はたしかにその強い意志の力を使って脳改造に抵抗することに成功した。しかし、その強い意志の力は、わたしたち姉弟のためではなく、ましてや人類のためなんかではまったくなく、ただ、女としての嫉妬心と独占欲のためだけに使われたのだ。
 さらに言えば、母の姿は、母の心からとうの昔に父への愛が失われていることをはっきり示していた。この島に来ていやというほど分かったが、父はフナムシが病的に嫌いなのである。母が父にこだわるのは愛のためではなく、世間体とか、妻の座とか、そういう打算的なもののためだけなのだ。そうとしか思えなかった。

 父は母の「異常動作」を見て、やはり他の駆除者たちを呼び寄せようとしかけたようだ。だが、その後の母の様子を見て、今の母が完全に脳改造されていることを理解したようだ。
「おまえには呆れたよ。だけど、そんなところも好きだよ」
「ふざけないで! でも厄介者がいなくなって、あなたもほっとしたんじゃない?」
「まあ、そうだな。これでこいつらが完全に仲間になれば、また元通りの家族だな」
「楽しみね。うふふふ」
「あははは」
 まったく、いつも通りの夫婦の会話。そしてそれがいつも通りであればあるだけ、わたしの嘔吐感はつのった。二人が話している内容のおぞましさ。そして、わたしが「いつも通りの日常」だと思って微笑ましく見ていた光景の背後にある愛憎のうねり。そんな気持ちの悪いイメージが何重にも押し寄せてきた。そしてその嘔吐感と嫌悪感が凝縮され、具体的な肉体をまとってわたしに近づき、声をかけた。
「さて、準備ができたようだ。この子の脳改造を始めよう」

 ナミウズムシ男は、開いた状態で拘束されていたわたしの両足の間に膝をつき、上体を立てた姿勢で、わたしの半分改造された身体をねっとり眺め回した。
「改造は体のラインを変えるわけではないようだな。きれいだよ。母さんとは全然違う。このバストも、そして腰のくびれも」
 ナミウズムシ男はそう言いながらプラナリアと一体化した手で胸と腰を撫で回した。
「そう言えば、最後に一緒にお風呂に入ったのはいつだったかなあ」
 ――やめて。無邪気な思い出を汚さないで。優しい頼もしいお父さんの姿をこれ以上壊さないで!――
 体を撫で回す手は次第にあの女と同じいやらしい動きに変わってきた。わたしは、あの赤黒い海での海水を思い出し、たまらない不快感に包まれ、全身に鳥肌が立った。
「お、なかなか感度がいいね。ゾクゾクしてきたかい?」
 ナミウズムシ男の体からは粘液が出始めた。怪人は粘液をわたしの胸に塗りつけ、わたしの唇を奪い、舌を耳や口や肩に這わせた。そのたびにわたしの体にはあの不快感が押し寄せ、あの赤黒い海の悪夢が甦った。粘液はわたしの大事な部分からも出始めた。改造が進んでいるのかもしれない。わたしは戦慄した。
「さあて、そろそろいいかな」
 そういうと改造人間はプラナリアの「口」を下に降ろした。細長く、黒い器官だ。その器官はわたしの両足の間に狙いを定めていた。
 ナミウズムシ男はすぐにはそれを挿入せず、代わりにプラナリアの「口」の先端を細くして、わたしのお尻の穴に挿入し始めた。
「い、痛い、やめて! この化け物」
「ひどいなあ……と言いたいけど、実はお父さん、そういう罵倒を聞くと興奮しちゃう癖もあるんだよ。さっきの彼女、今日はやってくれなかったけどね」
 ――やめてやめてやめて。そんな、お父さんじゃないみたいなことを言わないで――
 怪人はお尻の穴に差し込んだ「口」から内容物をずるずると吸い始めた。そのたびにその器官はびくりびくりと反応した。
「おいしいよ。最高だ。あの女の何倍もおいしい」
 ――いやだいやだいやだ。もういや。もういや――
 お父さんだった化け物は「口」を引き抜くと、それをとうとうわたしの大事な部分に挿入し始めた。激しい痛みと不快感が全身を貫いた。
「さあ、もうじきまた家族一緒になれるよ……」
 ――ああ、ここだけは、この気持ちだけはお父さんの気持ち。人間だったお父さん。そしてわたしの優しいお父さん。そのお父さんから受け継がれた気持ち。……でも、この気持ちを守るために、お父さんはどれだけのものを犠牲にしたの? 一人の女性の気持ち、そのお腹の赤ちゃん、お母さんからの愛、そして人類への愛、地球の運命……みんな投げ捨ててまで、本当にそんなに「家族」が大事? 「家族」の幻想が大事?――
「……家族一緒に、地球侵略を進めようね」
 それを聞いたわたしは、無駄と分かっている最後の説得を試みた。
「……ねえ……お父さん……わたしはいやなの。人間を殺戮したり、拉致して改造したり、地球の環境を滅茶苦茶にする化け物の仲間になんてなりたくないの。いやなの!」
「大丈夫だよ。その『いや』という気持ちがもうじき消えてなくなる。そして『駆除』という使命の崇高さ、素晴らしさに目覚めるようになる。心配いらないよ」
「それがいやなの! 『いや』じゃなくなるのがいやなの! わかって! 『いや』という気持ちを失いたくないの! それがわからなくなるのがいやなの! もうわからないの? ねえ……わからないの?」
 わたしは涙を流し始めた。父は首を傾げて会話を打ち切った。あの仲居さんと同じだった。人間なら誰でも分かるはずの気持ち。それを決して分かり合えない断絶。そして、もうじき、あの女の言う「快楽の波」に飲み込まれるわたしも、その断絶の向こう側に連れ去られてしまう。大好きなクラスメートや先輩も「抵抗」心を示せば容赦なく殺せてしまう恐ろしい化け物になってしまう。いやだ! いやだ! いやだ……。
 わたしの嫌悪感が頂点に達し、挿入された固い棒が激しく動き始めたとき、わたしの中で何かが切れ、わたしがわたしでなくなるような頼りない感覚が生じた……。


     8.改造の完成

 ……数分が経過した。
「あっ、あっ、あっ、いっちゃう……」
 わたしの口は変な言葉を口走り、下半身には父や母に起きたのと同じ、感じたことのない痙攣が走った。
 痙攣と共にわたしの成熟が始まった。頭部と背中には固いごつごつした殻が生まれ、逆に肉体の方は柔らかく粘性の多い材質に変わっていった。乳房と腹部は幼体時と同じままだが、両腕と両足に黒いキノコのような柔らかい構造物が成長した。仲居さんや父の愛人や母と同じく、まぶたも復活した。
 サザエ女として成熟したわたしは、何倍にも増加した筋力で手足の拘束を引きちぎり、ベッドから上体を起こした。
 成熟したわたしは、最初にしたいことを母に告げた。弟を指さしてこう言ったのだ。
「ねえ、お母さん、この子の脳改造、わたしに任せてくれない? ねえぇ、いいでしょ? 他ならぬ娘の頼みよ!」
「譲ってあげな。別にこの先、こいつとセックスしちゃいけないとは言ってないんだから」
「……そうねえ。他ならぬ娘の頼み、か。しかも、『駆除者』として生まれ変わった記念すべき最初の任務ですものね。……いいわ。譲ってあげる」
「ありがとーう! お母さん、大好き!」
 わたしはお母さんにぎゅっと抱きつき、いたずらでお母さんの、そこだけは装甲化していないおっぱいをぺろりと舐めた。
「こら! いい? ちゃんと三十分待つのよ!」
「はーい。……でも待ちきれないな。ちょっと予行演習ね!」
そう言うとわたしは弟のベッドにぴょんと飛び乗り、父を真似て弟の股の間に膝をついた。
「ふ、ふ。あとはあなただけ。今は怖いかもしれないけど、すぐにとっても気持ちよくなるわ。そして、その気持ちよさの中で人間の心がとろとろに溶けて、お父さんや、お母さんや、お姉ちゃんの仲間になれるのよ!」
 そう言うとわたしは父と同じように弟の頭の両脇に手をついた。バキと音がしてベッドに穴が空いた。
「やだ。改造されたのを忘れて力の加減を間違えちゃった。怪我はない? 完成前に死なれたりしたら『駆除者』の仲間に申し訳が立たないわ」
 そう言いながらわたしは今度は脇の下の部分の板に、装甲化した手をねじ込んだ。
「な、何をしている? いくらなんでも不器用すぎるぞ」
「あら、ごめんね、お父様、お母様」
そう言うとわたしは両親に溶解液をぶちまけた。そして壊れかけたベッドを一気にたたき割り、弟の拘束具を引きちぎって弟を抱えた。そしてあの悪夢の赤黒い海に駆け出し、非常装置であるリミッターを解除すると全力で泳ぎ始め、海に潜った。


     9.脱出

 ――あのとき、父のペニスが動き始めたとき、わたしの不快感と嫌悪感は絶頂に達し、わたしはわたし自身の体の中にいることができなくなった。気がつくとわたしはわたしの体を離れ、その少し上から、父からひどい目に遭わされている可哀相な娘の姿を見ていた。娘は次第に興奮し、あえぎ声を出し始め、やがて痙攣が起き、「成熟」が始まった。そのままでいたら、その娘は完全な怪人になり、そしてわたしはどこへともなくかき消えてしまっていただろう。だがわたしは懸命に意志をふりしぼり、その娘は、こんなにひどい悪夢のような目にあっている娘は、それでもなお、他の誰でもないわたし自身である、という事実を正面から必死で見つめた。二人のわたしはいなくなり、わたしはわたしの体に帰った。――そしてわたしは脳改造を免れ、人間の心をもつサザエ女として成熟したのである。現実への忌避感と敵意を象徴する、ごつごつした殻に包まれた、サザエの「駆除者」に。
 リミッターや溶解液に関する知識は脳内にインストールされていた。海中深くには力場障壁の切れ目があることも知った。リミッターを解除してしまった以上、わたし自身の肉体はいずれ燃え尽きてしまう。だが、うまくやつらを撒けば、この子だけは助けられる可能性はあった。
 悲しい運命を背負わせてしまうが、この子の体を偉い先生か何かに見てもらい、侵略者の危機を世間に訴える。もちろんわたし自身が助かったら、この体で人体実験でも何でもしてもらう。そして、この体で「駆除者」を一人でも多くたたきつぶす。そんな辛い宿命を負うだけの覚悟が今のわたしにはできていた。あのひどい事件、そしてあの偽りの家族という地獄を乗り越えたわたしに、怖いものなどなかった。

 だがやはりわたしの決意にわたしの肉体はついてこなかった。赤い海を離れてからは、えら呼吸のできないこの子を連れて長時間の潜水はできない。海上に出るたびにわたしの姿は容易に補足され、追っ手は方向を変えながらわたしを取り囲もうとしてくる。
 追っ手との距離は明らかにせばまっていた。もうだめか。この子は、ここで溺れ死ぬよりも、ちゃんと脳改造を受けて両親と共に暮らした方が多分……多分だけど、幸せだ。投降してこの子を委ね、わたしはリミッター解除を使い切り自壊しよう。――そんな思いが湧いてきた。そのときだ。
「お姉ちゃん、死んじゃ駄目だ!」
 改造されて以降、ずっと黙ったままだった弟が突然口を開いた。
「リミッターを戻して。そして、僕に掴まって!」
 わたしはあまりの自信溢れる言葉に、言われるままの対応をした。すると弟は、リミッターを解除したわたしと比べても信じられない速さで海中を泳ぎ始めた。

 追っ手をやすやすと撒き、わたしたちは小さな無人島に上陸し体を休めた。わたしはリミッター解除の副作用で眠くて仕方がなくなっていた。見かねた弟がこう言った。
「ちょっと眠っていいよ。追っ手が来たらたたき起こす。ただ、お姉ちゃん、寝起きが悪いからなあ」
いつも通りの憎まれ口にわたしは安心して眠りにつき、たっぷり三時間は泥のように眠った。
 目をさますと弟がにっこり笑ってくれた。追っ手の気配はないようだった。
「もう大丈夫。追っ手は完全に撒いたみたいだ。お姉ちゃんをあんなやつらの手に渡すわけにはいかないからね」
 わたしはこれからのことを二人で相談せねばと思ったが、その前にどうしても聞かねばならないことがあった。弟の体のことだ。弟の体はいつの間にか鮮やかな銀と青のなめらかな皮膚に包まれ、両脇に胴体と平行の美しい縞が入っていた。理由はよく分からないが弟はやはり人間の心を失わないままカツオ男、いやカツオ少年として成熟(?)しているようなのだ。
「あなた、どうしたの? その体は……」
「本来、子供にはセックスによる脳改造の必要はないんだ。それが必要なのは、人間として成熟し、さらに骨の髄までセックスの快楽をたたき込まれてしまった大人だけなのさ」
 わたしは何となく不安になってきた。
「人間として成熟していない僕たちは、もっと高いレベルの個体に成熟できる可能性を失ってはいない。この知識はあの愛人のお姉さんにはあった筈だ。だけど、お母さんやお父さんは知らなかったみたいだね。そしてお姉ちゃんも」
 話しながら、父があの女に見せたように、弟の股間の巻き貝状の器官がほどけ、固く、まっすぐになってきたことにわたしは気がついた。やはり弟は成熟だけではなく脳改造もされてしまっている。心まで侵略者の手先に変えられてしまっている。それは弟の話自体からもわかることだ。弟のような子供は、セックスによる成熟の儀式が不要なのだ。あの赤い海に浸るだけで全てが完了するのだ。成熟も、そして脳改造も……
「お姉ちゃんは、肉体は人間として成熟してしまっているけど、幸い、人間の性欲に脳を冒されていない。お姉ちゃんの心はあの汚らしいやつらとは別のレベルにあるんだ。今ならまだ間に合うよ。今なら、僕と同じ高いレベルの個体に成熟し直せるんだ」
 わたしは意を決して弟に溶解液を発射しようとした。だが、溶解液は出なかった。
「溶解液は出ないよ。寝ている間に色々封印させてもらった。強化筋肉も出力を最低に落としてある。脳改造が終わるまでは解除できない。今のお姉ちゃんはひ弱な人間と同じさ。僕にはかなわないよ」
 そう言うと弟は改造人間の力でわたしを組み伏せ、押し倒した。そしてその鋭く尖った改造ペニスの先端をわたしの改造ヴァギナにあてがい、すこしずつ挿入し始めた。
「僕がお姉ちゃんを僕と同じレベルの個体に脳改造してあげる。人間のセックスは、汚らわしくて、破壊と憎しみしかもたらなさい。でもそんなセックスを知らない僕らだけが到達できる、光と栄光の世界にお姉ちゃんを連れて行ってあげる。人間が絶対到達できない快感をお姉ちゃんに刻みつけてあげる。今日あった穢れを全て浄化して、お姉ちゃんを『主』への奉仕に導かれる純粋な戦士に変えてあげる……」
 弟の声は次第に荒ぎ、くにゃくにゃになっていった。やがて弟がわたしを完全に貫いた瞬間、わたしの人間の心は神々しい光に満ちた「主」への奉仕への喜びに包まれ、静かに融けていった。


     Epilogue

 今、わたしたちは家族四人、再び一つになって「人類駆除」という使命に邁進している。

 父の再生力、母の装甲はわたしの溶解液を持ちこたえたらしい。わたしは二人に素直に詫び、弟の生まれ変わった姿を見せた。二人とも大喜びで弟を抱き上げた。
 弟とわたしは、両親よりも高いレベルの個体として「駆除者」たちの統率を担う立場にあった。今では、あの島の実験の真の意図もよく分かった。
 あの実験には何重もの意味があった。一つは様々な改造人間の試作。もう一つは人類の服従心と抵抗心の測定。三つ目は金銭欲や独占欲のような強力な欲望を兵器として応用する試みだった。しかし、この計画は不確定要素が大きいということで打ち切られた――父や母は不発に終わった実験の産物、という情けない地位にあるわけだ。そして一番重要な目的は、焦熱刑をも恐れない勇敢な改造素体を集めること。本当の目的は「焦熱刑」と称して休眠状態にされた改造素体にこそあったのだ。焦熱刑の記憶によって精神操作し、人間の頃の記録に操作を加え、彼らを高度な改造生物として甦らせる計画が着々と進行中だ。無駄な殺戮は極力行わず、人類という資源を徹底的に利用しつくすのが我々を改造した存在の方針なのだ。
 あの向かいの部屋のセクシーな男たちが、頼もしい駆除者として復活する日のことを、わたしは夢想した。弟のテレパシーに感知されないように、こっそりとだ。弟には内緒だが、わたしにはオトナの女の部分もちゃんと残っているのである。

 わたしたちはまた、わたしたちを改造した存在について、他の駆除者よりもずっと不快レベルで理解するに至っていた。わたしたちを改造した存在は、あの、多分支配人の愛人だった仲居が考えているようなわかりやすい、エゴに動かされた侵略者ではない。彼女のイメージは単に彼女が理解した限りの存在を、自分の欲望のレベルにまで引きずり降ろして分かった気になっているだけのものだ。
 もちろん、人類の駆除と改造、地球資源の徹底的な搾取、それに他星系との戦争。これらはすべて事実だ。だが、それを担う存在の本来の姿は、人間の理解を超えた宇宙進化の歯車であり、地球侵略もその単なる一コマなのだ。その意味で、あの存在に人間の道徳を当てはめて善や悪を問うことは無意味である。地震や台風に「悪意」がないのと同じこと。わたしたち姉弟は思考を欠くロボットとしてではなく、選ばれたエリートとして、心から納得して「人類駆除」の使命を進めているのだ。

 両親はわたしたちが自分たちよりも高等な種族として成熟したことを素直に認め、喜んでさえくれた。そして、わたしたちの元で働くことを快く引き受けてくれた。
 二人の上に指揮官として立ち、統率する身分になってから、「家族」という幻想がとてもよくできた仕組みであることがようやく分かってきた。そして脳改造後も残っていた二人へのわだかまりは徐々に消えていった。それどころか、二人が親として立派にふるまっていたことが今になって理解でき、子としての感謝と尊敬すら湧いた。
 とはいえ、わたしたちの指揮の下で人類の拉致や改造をしながら、二人は相変わらず欲望むき出しでケンカしたり仲直りしたりを繰り返している。そんな愚かしい姿が今では愛らしくて仕方がない。わたしと弟は二人の姿を微笑ましく眺めては、ぎゅっと手を繋ぐのだった。
<了>
(2010/1/12、第1回創元SF短編賞に応募、1次選考落選)

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