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2005~07年の間は、経常収支黒字の拡大にもかかわらず、円安が進行した。そして、08年と09年には、経常収支黒字が大幅に縮小したにもかかわらず、顕著に円高になった。11年にも経常収支黒字が大幅に縮小したが、円安にはならなかった。つまり、05年以降の動きは、教科書とまったく逆だ。
なぜこうなるのか。05年以降の円安の原因は、日本から大量の資金流出があったことだ。これは、「円キャリー取引」と呼ばれる。08、09年に円高になったのは、金融危機で円キャリーの「巻き戻し」が生じ、アメリカに投資されていた資金が日本に戻ってきたからだ。11年には、ユーロ危機の影響で海外から短期資金の流入があった。このため、円安にならなかったのである。
経常収支はフローの取引の記録だ。それに対し、資本収支はストックの取引の記録である。上で述べたことを、フローとストックという概念を用いて言えば、「為替レートは、フローの変化よりは、ストックの変化で動くようになった」ということだ。
こうなるのは、ストックの取引額のほうが遥かに大きいからだ。フロー変数は、変化するにしても、限度がある。たとえば、1人の個人が自動車を100台も買うことはない。しかし、FX取引でドルを100万ドル買うことはありうる。だから、為替レートはフローでなく、ストックで決まるのだ。
金融政策に関しても、国際資本移動の影響が重要性を増している。教科書には、「金融緩和をすると金利が下がり、国内の投資が増える」と書いてある。しかし、10年以上続く日本の金融緩和で、金利は下がったが、投資は増えなかった。特に住宅投資の激減ぶりは印象的だ。
なぜか。国内の金利が下がると、相対的に海外資産の魅力が増す。そして資金が海外に流出してしまう。
この取引は、設備投資や住宅投資とは違って、瞬時にできることに注意しよう。設備投資を増やすには、工場の設計図を描き、資材を調達し、建設工事を進めなければならない。それには、時間がかかるため、金利低下への対応は、徐々にしかできない。それに対して証券投資は、コンピュータのキーを叩くだけで取引が完了する。
金融緩和で利子率が下がると、国内の投資が反応するより早く、海外への投資が増えてしまう。金融政策は、国内のフロー変数に影響するより早く、国際的ストック取引に影響してしまうのだ。このため、金融政策で国内の経済をコントロールすることができなくなる。つまり、効果が海外に抜けてしまうのだ。「穴のあいたバケツに水を注ぐ」という表現があるが、現代世界での金融緩和は、「底のないバケツに水を注ぐ」ようなものである。
■ 美人投票のメカニズムでストックが動く
上で見たように、日本の金融緩和は「円キャリー取引」を誘発し、アメリカに資金が流出した。このため、アメリカの金融引き締めが効かないという事態が生じた。日本で効かずに、アメリカに影響したのである。
11年にも、日本の直接投資が急増するという事態が起きている。日本銀行の早川英男理事は、日銀が新たに打ち出した無制限の貸出支援制度により、円キャリー取引が増加する可能性があると先ごろ指摘した。アメリカの金融緩和も、国内の投資を増やしていない。
上に述べたように、ストックでは、巨額の取引が瞬時に行われる。それに加え、期待(予測)が大きく影響する。たとえば、FX取引でドルを買う場合、最大の関心事は、ドルが将来高くなるか安くなるかだ。そのため、将来の金利動向を予測する。それに対応して資本移動が起こり、為替レートが動く。
経済危機前に円キャリー取引が生じたのは、日本の金利が下がったからだけでなく、「日本政府が介入するから円高になることはない」との期待があったからだ。それがドル買いをさらに増やし、円安をさらに進めた。これは自己増殖過程だ。この期間の円安は、バブルだったのだ。
一般に、ストックの取引には、将来の見通しが大きな影響を与える。これは、ケインズの「美人投票論」だ(美人コンテストに賭ける場合、美人かどうかでなく、皆が美人と思うかどうかを基準にして賭ければ、勝つ)。このメカニズムがあるため、バブルの自己増殖が起こりやすい。
制御理論の概念を使えば、フローの取引だけがある世界ではネガティブフィードバックが掛かってシステムは安定的だが、ストックの取引が行われる世界では、ポジティブフィードバックが掛かって、不均衡が拡大する。ストックの取引が増えることは、経済システムを不安定化させるのだ。
これを、国際収支について見よう。経常収支で為替レートが決まる場合には、経常黒字拡大→円高→輸出減と輸入増→経常黒字縮小という自動調整メカニズムが働く。ところが、資本収支はこれと無関係に動くので、経常収支の不均衡が自動的には調整されなくなる。だから、不均衡がいつまでも続く。事実、アメリカの経常収支赤字は減らない。経済危機でいったんは縮小したが、その後再び増加した。今では経済危機前とほぼ同じ水準だ。
■ 金融政策についてはいまだ古い考えが支配的
これまでの経済理論では、消費、投資、政府支出、輸出、輸入など、フローの変数を中心に考えていた。金融財政政策などのマクロ経済政策は、これらの変数に影響を与えると考えられていた。しかし今の世界経済では、ストック変数を見る必要がある。フロー変数を見なくてよいというのではないが、ストック変数が大きな影響を持つにいたったことに注意する必要がある。フロー変数だけの枠組みで経済を見ると、重要な点を見逃す。
為替レートに関しては、経常収支の動向を見るより、各国の金利動向を見るほうが重要だ。このことはすでに広く認識されるようになった。
しかし、いまだにそう認識していない人もいる。「日本経済は不調なのだから、円高になるのはおかしい」という意見がある。あるいは、「日本に資金が流入するのは、日本経済が強いからだ」と言う人もいる。一見して逆のことを言っているようだが、どちらも、「為替レートは経常収支というフロー変数で決まるべきだ」と言っているのである。その点では同じ誤りに陥っている。
為替レートについてさえこの状態なのだから、金融政策については、まだ古い考えが支配的だ。つまり、その効果は国内だけで完結すると考えているのだ。そして、物価、失業率などフロー変数を国内だけで見ている。
経済の不況は、ビジネスサイクルによるものと捉えられ、金融政策でコントロールできると考えられている。そして、10年以上前からの量的緩和政策が物価にも失業率にもまったく影響しなかったという明白な証拠は、閑却されている。
(週刊東洋経済2012年11月24日号)
記事は週刊東洋経済執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
野口 悠紀雄
最終更新:11月27日(火)11時30分
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