先日、ソウル市中区区長の崔昌植(チェ・チャンシク)氏に会った際、彼がこう聞いた。「李舜臣(イ・スンシン)将軍の出生地がどこかご存知ですか?」。私は顕忠祠(忠武公と呼ばれる、李舜臣将軍を祭っている場所)だと思い、「忠清南道・牙山ではないか」と答えた。すると彼は「そうではなく、ソウル、それも都心の中区仁峴洞だ」と答えた。乙支路と忠武路の間だ。その後、私も何人かの人たちに同じ質問を投げかけた。大部分の人は牙山だと答え、何人かは「忠武(統営)」、あるいは「知らない」と答えた。ソウルと答えた人はほとんどいなかった。
李舜臣(忠武公)は1545年3月8日(陰暦)に漢城(現在のソウル)・乾川洞で生まれた。現在の仁峴洞1街31-2番地だ。彼は10代半ばに牙山にある母の実家に行き、22歳に戻ってきた。その後、戦時を除いた人生の大部分を漢城で過ごした。2回に渡る白衣従軍(罰を受けて一兵卒として従軍すること)を決めたのも漢城だった。
「ソウルの李舜臣」の足跡は1985年、明宝劇場(2008年に閉館した映画館)の前に設置された「忠武公李舜臣生家址」と書かれた標石が事実上全てだ。中区庁が7年前から誕生日にここで供養のための茶会を開いている。牙山と統営をはじめとする李舜臣ゆかりの地で様々な大規模行事が行われているのに比べるとこぢんまりとしている。ソウルは600年の古都らしく、数多くの著名人が誕生した。清渓川から南山の間だけでも、許筠(ホ・キュン、朝鮮時代の文臣、思想家)、林慶業(イム・キョンオプ、朝鮮時代の武臣)、朴彭年(パク・ペンニョン、朝鮮中期の文臣、学者)、尹善道(ユン・ソンド、朝鮮中期の文臣・詩人)、柳成龍(リュ・ソンリョン、朝鮮中期の文臣)、韓明澮(ハン・ミョンフェ、朝鮮前期の権臣)などの生家の位置が確認されている。しかし大部分は「死んだ記録」だ。
今年韓国を訪れた外国人は1000万人を超えた。この5年間、平均8%ずつの成長率を記録した。政府は次の目標を2020年の2000万人とした。日本人観光客の順調な増加、経済成長に力を得た中国人の急増、韓流の人気を考えると難しいことではないかもしれない。
問題は韓国の質だ。韓国観光公社が実施した調査の結果を見ると、昨年、観光客の80%がソウルを訪れた。主要訪問地の1位から3位までは、明洞(67%)、東大門市場(56%)、南大門市場(46%)だ。主な目的は買い物と食事で、10年前も今も変化がない。反対に韓国人が海外に行く主な目的は、自然景観や名所訪問だ。シェイクスピア、エッフェル、ロミオとジュリエット、ワシントンとリンカーン、西太后など、名所ごとに有名な人がいる。しかし韓国に来て人の話を聞いて感動し、覚えて帰る外国人は少ない。そのような有名人がいないのではなく、われわれ韓国人が発掘とストーリーテリングに無関心だからだ。韓国観光で買い物と食事の競争力が低下し、韓流も衰退したらどうなるのだろうか。
観光は付加価値が高い産業だ。収益はもちろん、国家ブランドや民族のプライド向上のためにも重要だ。ところがこれを実現するためにはホテルの客室増設と同じくらい、新たな観光資源発掘が急がれる。特にソウル都心に隠れている歴史文化資源から開発する必要がある。中区を例に挙げると、忠武公記念公園、鑄字所博物館、西小門聖地歴史文化公園、恵民署記念広場(恵民署は朝鮮時代の庶民のための医療施設)など15種類の事業を選び、観光名所化を推進しているが、財源が足りないため遅々として進まない状況だ。新たな政府はやるべきことが多いだろう。しかしこの問題にも目を向けてほしい。