たいむかぷせる。
「空の境界the Garden of sinners」
・5/矛盾螺旋 Paradox Paradigm.(完)
どういうわけだか、私は街にいた。
今日はとてもいい天気で、見上げれば空はどこまでも蒼い。雲一つない空はキレイで、太陽の陽射しもうるさくない。
夢みたいに白くて暖かい陽射しのせいだろう。街はなんとなく蜃気楼のようにぼやけていて、いつもの大通りは砂漠みたいに気持ち良かった。
十一月になって毎日が曇りだったけれど、今日は真夏に戻ったように明るい一日だ。
私は下ろしたての臙脂色の紬を着て、喫茶店に入った。
私だって最近は喫茶店ぐらい利用する。
こんな一日のおかげだろう、いつもは陰気なアーネンエルベは混みあっていた。
明かりは窓からの陽射しだけ、というこの喫茶店は、今日のように強い陽射しの日は人気がある。
飾り気のない白いテーブルには、大きな窓から差し込む太陽の白。その他の部分は、店が持つ乾いた影の黒。
この二つの明暗が教会じみた荘厳さを見せて、待ち合わせに利用する者が後をたたない。
かくいう私も今日はその一人だった。
テーブルは二つしか空いてなかった。
私は席に座る。
と、同じように待ち合わせなのか、十代の男がもう一つのテーブルに座った。
私は椅子に座って待ち続ける。
私と一緒にやってきた男も、同じように待っていた。
私達は背中を合わせて、暖かな陽射しの中にいた。
―――不思議な静けさだ。
私は、ちょっと短気であるらしい。私本人に自覚はないのだが、周りが口をそろえていうのだからそうなのだろう。その私が、不満もなく誰かを待ち続けている。
どうしてこんなに穏やかなのか、と考えて、なんとなく理由が見つかった。
きっと、私と背中を向けて座っている男が待ち惚けをくっているせいだろう。
私は、私と同じように待ち続けている誰かがいる事に安心して、文句もなくあいつを待っていられるのだ。
長い時間が経って、私は窓の外で手を振っている莫迦者を見付けた。走ってきたらしく、息を弾ませて手を振ってくる。走って大丈夫なんだろうか、と私は少しだけ心配した。
ともあれ、こんな気持ちのいい日でも上下黒一色、という服装のセンスはいずれ改めさせなくてはいけないな、と私は胡乱なあたまで思ってもみる。
見ると―――外にはもう一人、手を振っている誰かがいた。白いワンピースを着た女だ。
私は席を立つ。
背中の男も、同じタイミングで席を立った。
……安心した。あのワンピースの女は、こいつの待ち人だったらしい。私はなんとなくホッとして、店の出口へと歩いていく。
不思議な事に、店の出口は二つあった。
東と西の両端に、まるで別れ道のよう。
私は西に、男は東の出口へと歩いていく。
私は店から出る前に、一度だけふりかえった。
と、あの男も同じようにふりかえっていた。
赤い髪をした、女みたいに華奢なヤツ。
そいつは私と目が合うと、そっぽを向いて片手をあげた。
見知らぬ男だけど、これも何かの縁だろう。
私も片手をあげて応えた。
私達は離れた出口にたって、そんな挨拶を交わした。
じゃあな、と男は口にしたふうに見えたのだが、声はまったく聞こえなかった。
私もじゃあな、と応えて店を出る。
―――外は、今までの事が夢のようないい天気だ。
私はとけこんでしまいそうな強い陽射しのなか、私の為に手を振っている誰かの元へと歩いていく。
なぜか、嬉しくて、どこか、切なかった。
白い陽射しは強すぎて、手をふる誰かの顔は見えないままだった。
私は、あの赤毛の男にもこんなふうに歩いていく場所があった事を、いもしない神さまに感謝した。
ほんと、なんて無様だろう。
きっとアーネンエルベが教会のようだったから、そんな気紛れを私は起こしてしまったのだ。
ふりかえれば、そこには教会なんてありはしない。あるのは砂漠のように平坦な地平線だけだ。
ほら、何も残らない。でもそれだって覚悟の上だ。
何も残らないのが人生だと、私は思う。
けど誰かは、何も残さないようにするのが人生なんだ、とか言うに決まっている。
ぴんぽーん、と鐘の音が鳴った。
その音を聞いて、私はこれがなんでもない夢なのだと判ってしまった。
砂漠みたいにキレイな街から、するすると、私は眠りから目覚めていった―――
◇
何度めかの呼び鈴の音を聞いて、私はベッドから起き上がった。
時計を見ると、時刻はまだ午前九時を回ったところだ。昨夜、例によって夜歩いて眠りについたのが朝の五時。あまり十分な睡眠時間とはいえないだろう。
呼び鈴はまだ鳴っている。
私がいる、という事を確信しているその我慢強さは、間違いなく幹也のものだ。
私はベッドの上で上半身だけを起こして、ぼう、と意識を泳がせる。
……おかしな夢を見たせいだ。
なんとなく、私は幹也に会う気にはなれなかった。
私は枕を乱暴に抱いて、そのまま横になった。
と。呼び鈴は唐突に止んだ。
「―――なんだ、あの根性なし」
呟いて、私はタオルケットをかぶりなおす。
もう本当に寝なおしてやる気になった。
けれど、相手はとんでもない実力行使をしてきた。
がちゃり、と鍵が開く音がする。
驚いてベッドから身を起こすが、間に合わない。
「おじゃまするけど。……起きてるじゃないか、式」
勝手にあがってきた黒桐幹也は、コンビニのビニール袋を片手に持ってそんな挨拶をしてきた。
落ち着きはらったその態度と、どうして私の部屋のカギを持っているのか、という疑問のせいで、私はしらず幹也を睨みつけていた。
「なんだ、意地汚い。こっちだって朝メシ抜いてるんだから、あげないぞ」
……幹也はビニール袋をかばうように背中に隠す。
その、あまりに的はずれば台詞に私はますます頭にきた。
「なんだ、この不法侵入者。そんなレトルト、頼まれたっているもんか」
「そりゃあ良かった。今日は平和な朝ごはんにできるんだね。君、なんだかんだって人の物を獲るクセ、治したんだ」
言いながら色々な食料を床に並べていく幹也。
幸せそうなその横顔を眺めて、私は月日の流れを実感した。
……あれから二週間ほど経ったのだろうか。
私は全治一週間という大怪我を負い、幹也は足の怪我で軽い病院通いをした。
私の怪我のほうが遥かに重症だったのだが、やはり私の体は人より丈夫らしく、傷は一週間で完治した。
……けれど、幹也はまだ病院に通っている。歩く事も走る事もできるというのだが、できうるかぎり走る事は避けるように、と医者に注意されたという。それが今だけでなく、完治した後も続く注意だと、幹也はしれっと喋っていた。
あのマンションに関する事を、私達は一度も話していない。その必要性は感じない。
ただ、幹也はときおり暗い顔をする。こいつにはこいつなりの心配ごとがあるのだろう。
かくいう私は―――あまり、傷を引きずってはいなかった。少なくとも、私は哀しむべきだと解ってはいるのだが、ひと月だけいた同居人がいなくなったところで、私はいつもと変わらない生活を送っている。
私には、それが少しだけ苛立たしかった。
「―――あのさ」
割り箸を片手にもって、私に背を向けたまま幹也は話しかけてきた。
私は感情の無い声で、なんだ、という返答をする。
「うん。あのマンションの話。橙子さんから聞いたんだけど、取り壊されるってさ」
「―――そうか。でも色々と問題があるんじゃないか? 住人とか、そういうの」
「そのあたりは心配する必要はないってさ。魔術師の不始末は魔術師がつける、とかいう決まり事があって、教会の人たちがやってきて処理はすべて済ませたって。架空の住人としてどこかに引っ越して、地下も全部焼き払って、何事もなかったようにしたらしい。証拠隠滅ってヤツかな。取り壊しは今日のお昼からだって」
それを言う為に、幹也はここにやってきたのだろう。
私は取り壊しを見にいくつもりはないし、幹也だってあるはずがない。それでも―――幹也は、取り壊される前にそれを私に伝えておこうと思ったのだろう。
「あっけないな」
私の本心からの呟きに、幹也はそうだねと同意する。それだけで、私達はマンションの話をやめた。
「でも、これで式をとりまいていた出来事は終わったんだ。僕は今回カヤの外だったから知らないけど、厄介事はこれでおしまいだろ? なら、式はこれからキチンと学校に行くこと。ちゃんと進級して卒業しないと、秋隆さんが悲しむぞ」
「―――それとこれとは別問題だろ。だいたいおまえがトウコなんかと関わってるから厄介事がやってくるんじゃないか。オレを更生させたかったら、まずおまえが更生しろってんだ。大学辞めちまったおまえに、学校に関してなにか言う権利あるのかよ」
うう、と幹也は黙り込む。今のところ、この“大学辞めた攻撃”がこいつを黙らせる切り札になっている。
「―――権利なんて言うのは、すごく、卑怯だと思う」
むにゃむにゃと難しい口振りで、幹也はため息をつく。
それで会話は終わって、私はぼんやりと午前中を過ごした。
今日は休日だっていうのに、幹也は遊びにも行かず私の部屋に留まっていた。
私はベッドの上で横になっていて。幹也は床で座り込んでなにやらやっている。
……ほんの一ヵ月前、こういう風景が日常だった。
私は、かつてそこにいた一人の男の事を思い出す。
今はもういない。初めから、いなかったはずの同居人。
彼が消えただけで、わずかばかりの後悔がある。
胸の穴は埋まらない。どんなに小さい穴でも、空いてしまった穴は居心地が悪くてイヤになる。
そこで、思ってしまった。
あの男が消えただけでこんなにも居心地が悪いのなら。今、目の前に座っている男を本当に無くした時、私は何を思うのだろう、と。
六月の目覚めから、わずか五ヵ月ばかりの私の記憶。
昔の両儀式ではなく、今の私が得てきた日々の欠片。
それは本当につまらない、価値のないものばかりだ。けど、捨て去るには惜しすぎて、私は大事に大事に胸の中にしまいこんでしまっている。
……欠けた部分が私にはある。トウコは、それは埋めるものだと偉そうに口にしていた。
たしかにそうだ。空いた穴は何かで埋めるしかない。
なら、もしかして。
いくばくかの時間と経験をへて、今の私は、それをこの男と定めたのだろうか?
「―――なあ、コクトー」
私は嫌っているはずの、彼の昔の呼び名を口にした。
過去の自分は他人すぎて、その真似をする事は嫌だったけれど。こうする事で、私は過去の私と繋がれるのかもしれない。
だっていうのに、幹也は振り返りもしなかった。
私がめずらしく深く考え込んでいるっていうのに、ぼやーと文庫本なんかを読んでいる。
あたまにきて、短く言った。
「カギ」
え? と幹也は振り返る。
私は顔を背けて、傷だらけの手の平を差し出した。
唐突に―――私は、ある事に思い至ったのだ。
「オレ、おまえの部屋のカギ持ってない。不公平だろ、そういうのって」
……ほんとに、あのおかしな夢のせいだ。
私は自分でも赤面すると判っていながら、そんなくだらない事も子供みたいに要求していた。
◇
私はこうして、さして変化のない螺旋のような日常を、この平和すぎる相手と過ごしていくのだと思っていた。
季節は冬。
街は、やがて四年ぶりの雪に見舞われる。
両儀式と黒桐幹也が初めて出会った時と同じ、朱い雪が降る―――
/矛盾螺旋・了
今日はとてもいい天気で、見上げれば空はどこまでも蒼い。雲一つない空はキレイで、太陽の陽射しもうるさくない。
夢みたいに白くて暖かい陽射しのせいだろう。街はなんとなく蜃気楼のようにぼやけていて、いつもの大通りは砂漠みたいに気持ち良かった。
十一月になって毎日が曇りだったけれど、今日は真夏に戻ったように明るい一日だ。
私は下ろしたての臙脂色の紬を着て、喫茶店に入った。
私だって最近は喫茶店ぐらい利用する。
こんな一日のおかげだろう、いつもは陰気なアーネンエルベは混みあっていた。
明かりは窓からの陽射しだけ、というこの喫茶店は、今日のように強い陽射しの日は人気がある。
飾り気のない白いテーブルには、大きな窓から差し込む太陽の白。その他の部分は、店が持つ乾いた影の黒。
この二つの明暗が教会じみた荘厳さを見せて、待ち合わせに利用する者が後をたたない。
かくいう私も今日はその一人だった。
テーブルは二つしか空いてなかった。
私は席に座る。
と、同じように待ち合わせなのか、十代の男がもう一つのテーブルに座った。
私は椅子に座って待ち続ける。
私と一緒にやってきた男も、同じように待っていた。
私達は背中を合わせて、暖かな陽射しの中にいた。
―――不思議な静けさだ。
私は、ちょっと短気であるらしい。私本人に自覚はないのだが、周りが口をそろえていうのだからそうなのだろう。その私が、不満もなく誰かを待ち続けている。
どうしてこんなに穏やかなのか、と考えて、なんとなく理由が見つかった。
きっと、私と背中を向けて座っている男が待ち惚けをくっているせいだろう。
私は、私と同じように待ち続けている誰かがいる事に安心して、文句もなくあいつを待っていられるのだ。
長い時間が経って、私は窓の外で手を振っている莫迦者を見付けた。走ってきたらしく、息を弾ませて手を振ってくる。走って大丈夫なんだろうか、と私は少しだけ心配した。
ともあれ、こんな気持ちのいい日でも上下黒一色、という服装のセンスはいずれ改めさせなくてはいけないな、と私は胡乱なあたまで思ってもみる。
見ると―――外にはもう一人、手を振っている誰かがいた。白いワンピースを着た女だ。
私は席を立つ。
背中の男も、同じタイミングで席を立った。
……安心した。あのワンピースの女は、こいつの待ち人だったらしい。私はなんとなくホッとして、店の出口へと歩いていく。
不思議な事に、店の出口は二つあった。
東と西の両端に、まるで別れ道のよう。
私は西に、男は東の出口へと歩いていく。
私は店から出る前に、一度だけふりかえった。
と、あの男も同じようにふりかえっていた。
赤い髪をした、女みたいに華奢なヤツ。
そいつは私と目が合うと、そっぽを向いて片手をあげた。
見知らぬ男だけど、これも何かの縁だろう。
私も片手をあげて応えた。
私達は離れた出口にたって、そんな挨拶を交わした。
じゃあな、と男は口にしたふうに見えたのだが、声はまったく聞こえなかった。
私もじゃあな、と応えて店を出る。
―――外は、今までの事が夢のようないい天気だ。
私はとけこんでしまいそうな強い陽射しのなか、私の為に手を振っている誰かの元へと歩いていく。
なぜか、嬉しくて、どこか、切なかった。
白い陽射しは強すぎて、手をふる誰かの顔は見えないままだった。
私は、あの赤毛の男にもこんなふうに歩いていく場所があった事を、いもしない神さまに感謝した。
ほんと、なんて無様だろう。
きっとアーネンエルベが教会のようだったから、そんな気紛れを私は起こしてしまったのだ。
ふりかえれば、そこには教会なんてありはしない。あるのは砂漠のように平坦な地平線だけだ。
ほら、何も残らない。でもそれだって覚悟の上だ。
何も残らないのが人生だと、私は思う。
けど誰かは、何も残さないようにするのが人生なんだ、とか言うに決まっている。
ぴんぽーん、と鐘の音が鳴った。
その音を聞いて、私はこれがなんでもない夢なのだと判ってしまった。
砂漠みたいにキレイな街から、するすると、私は眠りから目覚めていった―――
◇
何度めかの呼び鈴の音を聞いて、私はベッドから起き上がった。
時計を見ると、時刻はまだ午前九時を回ったところだ。昨夜、例によって夜歩いて眠りについたのが朝の五時。あまり十分な睡眠時間とはいえないだろう。
呼び鈴はまだ鳴っている。
私がいる、という事を確信しているその我慢強さは、間違いなく幹也のものだ。
私はベッドの上で上半身だけを起こして、ぼう、と意識を泳がせる。
……おかしな夢を見たせいだ。
なんとなく、私は幹也に会う気にはなれなかった。
私は枕を乱暴に抱いて、そのまま横になった。
と。呼び鈴は唐突に止んだ。
「―――なんだ、あの根性なし」
呟いて、私はタオルケットをかぶりなおす。
もう本当に寝なおしてやる気になった。
けれど、相手はとんでもない実力行使をしてきた。
がちゃり、と鍵が開く音がする。
驚いてベッドから身を起こすが、間に合わない。
「おじゃまするけど。……起きてるじゃないか、式」
勝手にあがってきた黒桐幹也は、コンビニのビニール袋を片手に持ってそんな挨拶をしてきた。
落ち着きはらったその態度と、どうして私の部屋のカギを持っているのか、という疑問のせいで、私はしらず幹也を睨みつけていた。
「なんだ、意地汚い。こっちだって朝メシ抜いてるんだから、あげないぞ」
……幹也はビニール袋をかばうように背中に隠す。
その、あまりに的はずれば台詞に私はますます頭にきた。
「なんだ、この不法侵入者。そんなレトルト、頼まれたっているもんか」
「そりゃあ良かった。今日は平和な朝ごはんにできるんだね。君、なんだかんだって人の物を獲るクセ、治したんだ」
言いながら色々な食料を床に並べていく幹也。
幸せそうなその横顔を眺めて、私は月日の流れを実感した。
……あれから二週間ほど経ったのだろうか。
私は全治一週間という大怪我を負い、幹也は足の怪我で軽い病院通いをした。
私の怪我のほうが遥かに重症だったのだが、やはり私の体は人より丈夫らしく、傷は一週間で完治した。
……けれど、幹也はまだ病院に通っている。歩く事も走る事もできるというのだが、できうるかぎり走る事は避けるように、と医者に注意されたという。それが今だけでなく、完治した後も続く注意だと、幹也はしれっと喋っていた。
あのマンションに関する事を、私達は一度も話していない。その必要性は感じない。
ただ、幹也はときおり暗い顔をする。こいつにはこいつなりの心配ごとがあるのだろう。
かくいう私は―――あまり、傷を引きずってはいなかった。少なくとも、私は哀しむべきだと解ってはいるのだが、ひと月だけいた同居人がいなくなったところで、私はいつもと変わらない生活を送っている。
私には、それが少しだけ苛立たしかった。
「―――あのさ」
割り箸を片手にもって、私に背を向けたまま幹也は話しかけてきた。
私は感情の無い声で、なんだ、という返答をする。
「うん。あのマンションの話。橙子さんから聞いたんだけど、取り壊されるってさ」
「―――そうか。でも色々と問題があるんじゃないか? 住人とか、そういうの」
「そのあたりは心配する必要はないってさ。魔術師の不始末は魔術師がつける、とかいう決まり事があって、教会の人たちがやってきて処理はすべて済ませたって。架空の住人としてどこかに引っ越して、地下も全部焼き払って、何事もなかったようにしたらしい。証拠隠滅ってヤツかな。取り壊しは今日のお昼からだって」
それを言う為に、幹也はここにやってきたのだろう。
私は取り壊しを見にいくつもりはないし、幹也だってあるはずがない。それでも―――幹也は、取り壊される前にそれを私に伝えておこうと思ったのだろう。
「あっけないな」
私の本心からの呟きに、幹也はそうだねと同意する。それだけで、私達はマンションの話をやめた。
「でも、これで式をとりまいていた出来事は終わったんだ。僕は今回カヤの外だったから知らないけど、厄介事はこれでおしまいだろ? なら、式はこれからキチンと学校に行くこと。ちゃんと進級して卒業しないと、秋隆さんが悲しむぞ」
「―――それとこれとは別問題だろ。だいたいおまえがトウコなんかと関わってるから厄介事がやってくるんじゃないか。オレを更生させたかったら、まずおまえが更生しろってんだ。大学辞めちまったおまえに、学校に関してなにか言う権利あるのかよ」
うう、と幹也は黙り込む。今のところ、この“大学辞めた攻撃”がこいつを黙らせる切り札になっている。
「―――権利なんて言うのは、すごく、卑怯だと思う」
むにゃむにゃと難しい口振りで、幹也はため息をつく。
それで会話は終わって、私はぼんやりと午前中を過ごした。
今日は休日だっていうのに、幹也は遊びにも行かず私の部屋に留まっていた。
私はベッドの上で横になっていて。幹也は床で座り込んでなにやらやっている。
……ほんの一ヵ月前、こういう風景が日常だった。
私は、かつてそこにいた一人の男の事を思い出す。
今はもういない。初めから、いなかったはずの同居人。
彼が消えただけで、わずかばかりの後悔がある。
胸の穴は埋まらない。どんなに小さい穴でも、空いてしまった穴は居心地が悪くてイヤになる。
そこで、思ってしまった。
あの男が消えただけでこんなにも居心地が悪いのなら。今、目の前に座っている男を本当に無くした時、私は何を思うのだろう、と。
六月の目覚めから、わずか五ヵ月ばかりの私の記憶。
昔の両儀式ではなく、今の私が得てきた日々の欠片。
それは本当につまらない、価値のないものばかりだ。けど、捨て去るには惜しすぎて、私は大事に大事に胸の中にしまいこんでしまっている。
……欠けた部分が私にはある。トウコは、それは埋めるものだと偉そうに口にしていた。
たしかにそうだ。空いた穴は何かで埋めるしかない。
なら、もしかして。
いくばくかの時間と経験をへて、今の私は、それをこの男と定めたのだろうか?
「―――なあ、コクトー」
私は嫌っているはずの、彼の昔の呼び名を口にした。
過去の自分は他人すぎて、その真似をする事は嫌だったけれど。こうする事で、私は過去の私と繋がれるのかもしれない。
だっていうのに、幹也は振り返りもしなかった。
私がめずらしく深く考え込んでいるっていうのに、ぼやーと文庫本なんかを読んでいる。
あたまにきて、短く言った。
「カギ」
え? と幹也は振り返る。
私は顔を背けて、傷だらけの手の平を差し出した。
唐突に―――私は、ある事に思い至ったのだ。
「オレ、おまえの部屋のカギ持ってない。不公平だろ、そういうのって」
……ほんとに、あのおかしな夢のせいだ。
私は自分でも赤面すると判っていながら、そんなくだらない事も子供みたいに要求していた。
◇
私はこうして、さして変化のない螺旋のような日常を、この平和すぎる相手と過ごしていくのだと思っていた。
季節は冬。
街は、やがて四年ぶりの雪に見舞われる。
両儀式と黒桐幹也が初めて出会った時と同じ、朱い雪が降る―――
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