皮肉な光景を見たので書いてみます。
「教養がない!」と他者を否定する人
たまに見かけますが、自身の教養を誇りにしている人が、他の誰かについて「あいつは教養がないからダメだ!」と否定する場面ってありますよね。これは真の教養人の姿ではないとぼくは思うのです。
彼は身に付けた教養を、他者を否定するための道具として使っています。教養を身に付ければ身に付けるほど、彼は強い武器を持ち、他者を攻撃する力が高まっていくわけです。
が、教養というのは本来、他者を攻撃するために身に付けるものではありません。
Wikiipediaには、「「教養」に相当するギリシア語は“パイデイア”であり、意味は「子供が教育係に指導されて身についたもの」のことである」とあります。つまり、字がそのまま示しているように、他者(ないし自分)を「教え」「養う」ための道具が、教養だということです。
「教養がある」という状態は、「知識がある」ことに加えて「人間性がある」ことが条件になるのでしょう。「知識がある」ことを理由に他者を攻撃する人たちは、「教養人」ではなく「知識人」と呼ぶべきだとぼくは考えます。知識の習得にあたって、人格の陶冶が伴っていないということですね。
ぼくは仕事柄「知識人」に含まれる人間だと思いますが、その知識を矛にして、他者の無知をあざ笑うような人間にはなりたくありません。ぼくがもし、誰かの無知を笑っていたとしたら、読者のみなさまはぜひ全力で突っ込んでやってください。
関連本。教養の意味について説いた一冊とのこと。ポチっておきました。