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【大相撲】

白鵬が故納谷さんにV誓う

2013年1月20日 紙面から

弔問の後、報道陣の質問に答える白鵬=東京都江東区の大嶽部屋で

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◇初場所<7日目>

(19日・両国国技館)

 「角界の父」にささげる白星だった−。この日の取組前、元横綱大鵬の納谷幸喜氏が72歳で死去した。父とも師とも慕う存在を亡くした動揺を抑え、横綱白鵬(27)=宮城野=は豊響を上手投げで退け、6勝1敗とした。取組後、そのまま納谷氏が眠る大嶽部屋に向かい、勝利を報告した。悲しみをこらえ、白鵬は24度目の優勝を目指す。横綱日馬富士(28)=伊勢ケ浜=は魁聖を送り出して7連勝。

 「角界の父」と白鵬が呼ぶ大鵬親方にささげる白星だった。訃報を聞いたのは横綱土俵入りの直前。動揺した。「なかなか気持ちが入らなかったです」。しかし、「たくさんのお客さんが来てくれている」。いつもより激しく一心不乱に準備運動に打ち込んだ。花道に向かうときかしわ手を2回。「変な相撲は取れない」。厳しい目で豊響をにらみつけた。

 17日(5日目)の場所入り前。東京都江東区の大嶽部屋に隣接する大鵬親方の自宅を訪ねた。場所中としては異例の行動を「ちょっと行く機会があった」と白鵬は説明した。「柏鵬時代」から白鵬というしこ名がついた。日ごろからかわいがってもらってもいた。導かれるものがあったのだろう。

 滞在時間は10分。「悪いと聞いていたが、すごくしっかりしていて、思っていたよりいいなと思った。でも同時に無理をしているんだなと思いました」。白鵬が「32度の優勝に1つでも2つでも近づけるように精進します」と伝えると、「しっかりやれよと淡々と、厳しい言葉をいただきました」。それが最後の会話だった。

 大鵬親方の言葉として耳から離れないのは「横綱になるというのは年齢に関係なく宿命だ。横綱になったとき、引退することを考えた」という言葉だという。

 「偉大な横綱がそう考えたことを知って、これからどうなるんだろうという不安、怖さがありました」と思い返す。

 「以前、モンゴル料理をいっしょに食べたことがある。『今度、家に作りにいきます』と言って実現できなかったことが残念です」と声を振り絞った。取組後は大鵬親方が眠る大嶽部屋へ向かった。弔問を終えると「私には3人の父がいます。角界の父、生みの親、育ての親。その3人のうち1人がいなくなった。2日前に会えたのがよかった。最後にしっかり頑張ってくれと言われた」と語り、「これ以上話すと…。すいません」と目に涙を浮かべた。

 自らの引き際を「大鵬親方の優勝32度に並んだり超えられたら、無理してやることないのかなと思う」と語ったことがある。そこにたどり着くことが、大鵬親方への恩返しになる。 (岸本隆)

 

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