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【大鵬死去】甘いマスクとたゆまぬ努力…外国人力士席巻にも苦言 昭和のヒーロー逝く
《いまでも、目を閉じると、その母の声がきこえてくるようである》
昭和38年の週刊サンケイの取材にこう語っていた大鵬さんは、母の心配を吹き飛ばすように番付を上げていった。立派に羽ばたくことを願い、中国の古典、荘子の書に出てくる架空の巨鳥「鵬(おおとり)」から取ったしこ名通り、36年に横綱に昇進。この年は長嶋茂雄、王貞治の両選手を擁する巨人が日本シリーズを制し、黄金時代を迎えようとしていた。
当時の子供たちの好きなものを並べて流行語になった「巨人・大鵬・玉子焼き」。しかし、このフレーズを「私は1人で勝ち取った。団体競技の巨人とは違う」と、嫌っていたという。それは人の何倍も努力や鍛錬を積み重ねたという気概の現れでもあった。
近年は日本人力士が外国人力士に席巻される状況を憂えた。山名さんには「日本人力士が体力的に劣っているからではなく、稽古をしないから。自分たちのころのようなハングリーさがなくなっている」と、苦言を呈していたという。
現役時代から社会奉仕活動にも力を入れ、全国に寄贈した献血運搬車「大鵬号」は計70台に及ぶ。平成21年に文化功労者に選ばれた際、社会奉仕を続ける理由を、こう語っていた。
「自分だけじゃなく、みんなで喜びを分かち合いたかった」
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