2012年12月13日

左翼の思考パターン。これって誰かに似てやしませんか?

先日の記事で部外者は、左翼ではないか?と書いたがここに左翼の思考パターンという記事があったので転載する。

これを読んでよくよく考えてもらいたいと思う。

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 これはある地方議員の公式サイトに掲載されていた論評で、「これはわかりやすい」とコピペして保存しておいたものです。(ところが、引用元のサイトが閉鎖されてしまい、書いた議員の名前さえもわからなくなってしまいました。)

 今ひとついいネタも見つからないので、この機会に紹介します。

以下本文

「右翼」についての考察

−そもそも「右翼」とは何者なのか−

【第1章:悪魔化(デモナイゼーション)】

 『悪魔化(=デモナイゼーション)』という言葉があります。これは、人をいわれなく貶める(おとしめる)のに最も有効な手法です(⇔ゆえに最も卑劣な行為とも言えるでしょう)。
 『悪魔化』の手法は単純でして、論点をひたすらぼかせばそれで良い。

 ここで、貴方が、田中さん(仮称)のAという点を気に入らなかったとしましょう。最初はAだけを気に入らなかった貴方でしたが、段々と腹の虫がおさまらなくなってくる。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という格言の類で、田中さんの他のことまで癇にさわるようになってきました。「何とかしてあの野郎にガツンと食らわしてやりたい・・・・」そこで貴方は田中さん(仮称)を『悪魔』に仕立て上げることを思いつくわけです。

 貴方は「田中さん?あの人もいい人なんだけど、俺はAという点が気に食わないなあ」などとは絶対に言ってはなりません。それでは、田中さんは「欠点もある人」でしかないからです。
 『悪魔』とは、否定されねばならない存在です。欠点がある、良い点がある等という中途半端な存在ではありません。全存在を否定されねばならないモノ、それが『悪魔』なのです。
 したがって、貴方が田中さんを『悪魔』に仕立てたいのであれば「田中さんねぇ・・・・あの人も昔はよかったんだけど。最近は・・・・・」とひたすら繰り返してしゃべり続ける必要があります。もしくは「田中さんねぇ・・・・・あの人、意外と人気がないんだよねぇ・・・・」というのも有効でしょう。そのような空気を作り上げることが大切なのです。

 これで田中さんは『悪魔』になります。なぜなら、貴方は田中さんのAという行為のみならず、「田中さんのする全ての行為」を否定し、そのような空気を作り上げることに成功したからですね。
 『悪魔化(デモナイゼーション)』の恐ろしさは、全人格を否定されるところにあります。本来否定されるべきはずのAという点以外にも田中さんは良い点をお持ちのはずなのに「貴方が気に入らない」というただ一点で、田中さんは『悪魔』にされてしまうのですから。つまり『悪魔化』とは本来的にデマゴギーの要素が極めて強いものなのです。(・・・・・考えてみれば、空恐ろしいことです。ですから、私は、「田中さんねぇ・・・・あの人も昔はよかったんだけど。最近は・・・・・」「田中さんねぇ・・・・・あの人、意外と人気がないんだよねぇ・・・・」などと言ってくる人には細心の注意を払うことにしています。この御仁は何を意図してこのような発言をしているのかを見極めないと田中さんが『悪魔』になってしまう恐れがありますから)

【第2章:左翼がはなった悪魔化】

 左翼は通常『革新』勢力と称されます。『革新』とは「新しいものを作りましょう。もっと良いものを作りましょう」と主張する人たちのことです(←本当はこんなに単純なものでもないのだが)。そのような主張をするためには、必然的に、今までの流れを否定する必要がでてきます。
 そういえば、『革新』の本家本元であった旧ソビエト連邦においては、書記長交代のたびに前政権の否定がくりかえされていましたね。フルシチョフはスターリンの批判をし、ブレジネフはフルシチョフの批判をし・・・・・(以下省略)・・・

 わが国において、『革新』が本格的に始動したのは先の戦争の後でした。当然、『革新』の性として今までの流れを否定することになるのですが・・・・・・・よほど、今までの流れが嫌いだったのか、過去を清算したかったのか、それとも『戦争に反対したのは唯一われわれ共産党でした』と主張したかったのか(⇔これは虚偽であることが現在では明らかになっている)、その辺りの真意は測りかねますが、いずれにせよ何らかの意図をもって革新勢力はそれまでの流れを全否定する方向へと走り始めました。

 ここで、彼らが嫌いなものを挙げてみましょう。

1)戦争一般→嫌い
2)全体主義→嫌い
3)天皇制→嫌い
4)軍備拡張論者→嫌い
5)非民主主義的→嫌い
6)復古主義→嫌い
7)国歌・国旗→嫌い
8)先の戦争→大嫌い


 彼らが何を嫌おうとそれは彼らの勝手なのですが、彼らが犯した最大の罪は「俺たちが嫌いなものは、全否定する」という態度で一括りにまとめたことでした。
 もう一度、前章の『悪魔化』された田中さん(仮称)を思い出してください。「貴方が田中さんを嫌いだ」という理由で田中さんは悪魔化されるにいたったわけです。つまり、貴方にとって田中さんがする全ての行動が気に食わないということは、田中さんがするAという行動も、Bという動作も、Cという行為も、「貴方の気に入らない人間がする」という一点において同価値なのです。だから、貴方は田中さんを全否定したのですね。

 同じことを革新勢力は行いました。「俺たちが気に食わない」という一点において同じ価値を持つのであれば、それをくっつけたからとて何の問題もないだろう・・・・と言わんばかりに一括りにまとめてしまったのです。

 つまり、

1)戦争一般→嫌い
2)全体主義→嫌い
3)天皇制→嫌い
4)軍備拡張論者→嫌い
5)非民主主義的→嫌い
6)復古主義→嫌い
7)国歌・国旗→嫌い
8)先の戦争→大嫌い

 ゆえに、「戦争一般」=「全体主義」=「天皇制」=「軍備拡張論者」=「非民主主義的」=「復古主義」=「国歌・国旗」=「先の戦争」

 あまりにもステレオタイプゆえに、にわかに首肯しかねるむきもあるでしょう。しかし、これを文章にすれば、馴染みの深いフレーズが出てきます。曰く、「天皇制を信奉する者は、かつての戦争を省みないものであり、軍備拡張をもじさない非民主主義的全体主義者である」

 これは戦後において広く流布されたゆえに、未だに拭いがたい影響力を有しています。

 常識的に考えれば、天皇制の擁護者でありながら戦争反対を唱える者がいてもおかしくはありません。復古主義者が軍備拡張論者である必要もないでしょう。民主主義を唱えながらも「戦争賛成」と主張する者もいるはずです。

 結局、この等価式は

 1)カエルには脚がある
 2)机には脚がある
 3)カラスには脚がある
 4)人にも脚がある
   ゆえに、「カエル」=「机」=「カラス」=「人間」

 ・・・・と主張するようなもので、何も言っていないのと同じなのです。

 事実、革新勢力もその矛盾に気づいていたのか、必死でこの等価式の整合性を保とうと努力してきました。天皇制がいかに非民主的な存在かを示し、復古主義が軍備拡張を目指すことを指摘し、国歌・国旗が軍国主義的であると声を大にして主張してきたのですが・・・・・結局のところ、元々抱え込んでいる矛盾を解消するまでには至らなかったとみえます。言を積み重ねれば積み重ねるほど、自然と、彼らの『ことば』は空虚で観念的なものになり、どんどん現実から乖離していきました。

【第3章:実体のない『右翼』】

 さて、前章で述べたように、「戦争一般」=「全体主義」=「天皇制」=「軍備拡張論者」=「非民主主義的」=「復古主義」=「国歌・国旗」=「先の戦争」という等価式には何の実体もなければ、意味もないものです。
 つまり、『右翼』とは、何がしかの実体があるものではなく、『左翼でないもの』の総称に過ぎなかったのです。

 それは、すなわち、分類の方法がまるで違ったにすぎないということでもあります。

 例えを引いてみましょう。世の中には「男と女」の区別がある。これらをどのように区別しましょうか?

 1つ目の方法は、特徴を列記して分類する方法です。「男とはAという特徴、Bという特徴、Cという特徴・・・・を兼ね備えた者を指す」「女とはDという特徴、Eという特徴、Fという特徴・・・・・を兼ね備えた者を指す」といった具合に特徴を積み重ねていく手法です。博物学的な分類方法と言えるでしょう。
 2つ目の方法は、『のけ者』をつくっていく方法です。「女とはDという特徴、Eという特徴、Fという特徴を兼ね備えた者を指す」そして「男はそれ以外の全ての存在を指す(←のけ者)」といった具合に分類していく手法がこれに該当します。

 左翼が使った手法は後者のそれでした。自分たち以外の考えを持つ者を一括して『右翼』と呼び、それを批判し続けたのです。その方法は、相手を批判し自己の立場を固めるためには実に簡単かつ効果的なものでした。

サヨクの思考パターン よくわかる解説(1/2)
http://blogs.yahoo.co.jp/naojuv/60140765.html

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如何だろうか?

何処かの誰かに似ては居ないだろうか?

これを読んであの人と思ったらコメントに書いて欲しい。思いましたと。

集計してみて多いならやっぱりそうだと考える。

では何ゆえ左翼が紛れ込んでいるのか?

左翼と、統一教会と共通点がそこにはあったからに他ならない。

それは、反日である。反日と日本の属国化である。日本の植民地化。

この共通点があったからこそ紛れ込んで居ると思われる。

気をつけないと骨の髄まで日本嫌いになってしまいますよ?

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同じことを繰り返し記事にするのは左翼の典型である。
posted by 田黒吾寛 at 23:47| Comment(4) | かんご氏研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

祖国に代わり日本人妻が謝罪します --統一教会。 一般人から見る異様な謝罪。

面白い記事を見つけた。

先日の祖国に代わり日本人妻が謝罪します。というあのイベントである。そのことが一般の人のブログの記事になっているのだ。

引用する。

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祖国に代わり日本人妻が謝罪します --統一教会

国会前での謝罪イベント.jpg
国会前での謝罪イベント(29日)

統一教会による、日本人妻を動員しての謝罪イベントはこれが初めてではない。

自分の友人の姉も一時期統一教会に入り、家族が苦労するのを見たが、彼らは日本人の贖罪意識につけ込む。日本人に対する多少の非道徳も、朝鮮民族に対する日本の加害行為を理由に免罪されると考えているフシも感じられた。

今月の24日、統一教会の日本人妻達は、柳寛順の像に参拝した後「日本強占期」の謝罪と慰安婦問題の解決を日本政府に促すキャンペーンに動員された。もっとも、参加者の表情を見る限り、無理矢理狩り出されたという雰囲気はない。


柳寛順像の前での日本人妻を動員したイベント(24日)

ユガンスン前での謝罪.jpg
日本夫人ら「柳寛順烈士の精神愛しています」

【天安(チョナン)=ニューシス】イ・ジョンイク記者= 「日本統一教の拉致監禁による韓国人権被害者対策委」は24日韓国人男性と結婚して家庭を作った日本夫人が拉致・監禁が恐ろしくて故郷訪問さえ出来ずにいるとし日本政府の事態解決と韓国政府の協力を促した。

対策委はこの日午後忠南(チュンナム)、天安市(チョナンシ)、並川面(ピョンチョンミョン)、アウネ体育館で大韓民国に居住する日本人夫人500人余りが参加した中で記者会見を行い、1966年統一教の拉致が初めて発生した後で拉致監禁に対する被害を訴えた。

この日行事に先立ち日本人夫人500人余りは伝統衣装着物と韓国伝統衣装韓服を着飾って天安市(チョナンシ)、並川面(ピョンチョンミョン)の柳寛順烈士追悼閣を参拝して日帝強制占領期間に対する謝罪と日本慰安婦問題に対する日本責任と解決を促す行事を行った。

(1)NAVER 2012.6.24

そして、今日(29日)ソウル汝矣島の国会議事堂前でも日本軍慰安婦問題謝罪集会が開かれた。 「歴史問題を克服し、日韓の一体化を推進する有志の集まり」・・・メンバーの大部分は統一教会の日本人女性信者らしい。この事は韓国メディアでもあまり触れられていないようである。

江利川安栄は、第7代日本統一教会会長(ソース)。


感極まって鼻水が止まらない参加者

日本人女性たち国会先立って「日本に代って従軍慰安婦謝罪」

「歴史問題を克服して韓日一体化を推進する有志の集い」 40人余り集会

[天地日報=イム・ムンシク記者] 「帝国主義時代の日本が隣国の韓国に洗うことはできない傷を負わせた歴史的な真実を明確に知ることになりました」

29日午前11時30分ソウル、汝矣島(ヨイド)国会議事堂の前. 日本人女性40人余りがスローガンに合わせていっせいに頭を下げた。 従軍慰安婦問題に対する謝罪の表示であった。

「故郷の春」歌と日本曲古お上熱唱が終わった。 マイクを捉えた江利川安栄氏は「強制的に挺身隊(従軍慰安婦)という名前で遠い異国の土に引きずられて行くほかはなかった方らに同じ女性としてそのみじめな立場を慰めて差し上げることにはならないが、日本からきた人として心より謝罪する」と話した。

江利川さんが代表を務める「歴史問題を克服して韓日一体化を推進する有志の集い」の会員たちはこの日、集会で従軍慰安婦問題と関連して謝罪の意を伝え、韓日両国の友好増進を促した。

江利川代表は「私たちのこの謝罪が過去日本が犯した歴史的な罪を洗うにはあまりにも不足であることをよく知っている」として「しかし『こうでもしなければ』という良心の声を無視できなかった」とした。

彼女は中国の軍事力増強に憂慮を表しながら「アジアと世界の平和と安全を望む人々に不安の種になっている」と指摘して「目の前に近づいた中国の威嚇に韓国と日本両国が力を集めて対処していかなければならない時が違うか」と主張した。

また「過去の歴史を越えて韓国と日本が確固たる平和同盟を結んで東アジアの平和と安全を守る核心になって、進んで歴史的、世界的な大変革期に世界平和の礎石を構築できる歴史的使命を成しとげてくれ」と頼んだ。

「歴史問題を克服して韓日一体化を推進する維持会」会員は韓国人と結婚して韓国に住んでいる日本人女性たちで大部分統一教会信者で構成されている。 集い関係者は前に参加を希望する一般人でも集いを拡大する計画といった。 今後120日間国会や日本大使館の前で1人デモなどを展開していくという方針だ。

続・慰安婦騒動を考える
http://ianfukangaeru.blogspot.jp/2012/06/blog-post_29.html

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いかがだろうか。

一般人から見ても異様な謝罪としか映らないのだ。

そして一般の人から見て、統一教会は、彼らは日本人の贖罪意識につけ込む。
日本人に対する多少の非道徳も、朝鮮民族に対する日本の加害行為を理由に免罪されると考えているフシも感じられた。

と記しているのだ。

日本の贖罪意識につけこむのは在日部外者も一緒である。小生は最近思うのだが、部外者は統一教会を利用しているだけでなく彼自身が在日左翼なのではないだろうかと思う様になってきたのである。

左翼は利用する為にはなんでもする。たとえ信仰してなくても信仰しているふりもするのだ。

そういった点で見ると部外者は極左なのかもしれない。

おだてて居るととんでもないことになりますよ?

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posted by 田黒吾寛 at 00:17| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月10日

朝鮮の実態。嫌韓厨ってなんぞ?

中山グループを正しく見れますようにブログのコメントに部外者がコメントをしていた。

たまたま見たら小生のことを「反対派嫌韓厨」とレッテルをつけている。

引用しよう。

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もそも彼はコメント欄にて

 教材が、
@無神論者の米本氏のブログhttp://22448866.seesaa.net/article/301761335html
A反対派嫌韓厨のゴカンのブログですが
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-367.html

「無神論者」と「嫌韓」にどんな原理を学べと言うのかな?

それぞれ、「清平批判」と「大東亜戦争肯定論」だが、これにどんな原理を学べ・・・と。
http://blog.goo.ne.jp/kaoru_nisikawa67890/e/1fc8df6c8cc030673835d01390feea33?fm=rss
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URL逆だし・・・。

言っておくが、小生は嫌韓ではない、あえて言うならば、在日韓国進駐軍と称して日本で無残な殺戮、陵辱、強姦、強盗、惨殺をしていた朝鮮人が嫌いなのである。大正時代の関東大震災のとき、日本で無残な殺戮、陵辱、強姦、強盗、惨殺をしていた在日朝鮮人が嫌いなのである。

そして、

和夫一家惨殺事件を起こしたことが許せないだけである。

更に

  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
  ||   ★kango の特徴★         ||
  || 息を吐くように嘘をつく         ||
  || 上から目線でいつも逆ギレする   ||
  || 反論できない時は慰安婦、バア   ||
  || ル神ネタ、宗教者の品性無し  Λ_Λ  いいですね。
  || 統一村の寄生虫      \ (゜ー゜*)
  ||_____________  ⊂⊂ |
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧    | ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |      |
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧  は〜い、先生。
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ


が嫌いなだけである。

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そもそも嫌韓厨の文字は、部外者が嫌いな2chが由来である。

意味分って使ってつかってんのかね?

分ってないのに使っているのが部外者である。

歴史捏造者によく似ている。

それとよく部外者が口にする、

「7割は落ちるであろう。」の言葉だが、自分はどっちに入っていると思っているのだ?

まさか落ちてない方に計算しているのではないだろう?

部外者がそういうことを良くも言えるものだ。自分は落ちてないと思っているのなら献金、訓読、聖日礼拝、家庭盟誓 などもやっているのか?と問いたい。


独善的なのは朝鮮人そのものである。


以前は、兄弟喧嘩なぞ興味ないといっていたのにそれが何故加担するようになったのか?

主流派に組して賛同を得たい為だけのことである。

ただそれだけの話である。


posted by 田黒吾寛 at 17:48| Comment(3) | かんご氏研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月09日

大国主は日本最初のイジメ被害者だった。 淫乱と結びつける妄想部外者その意図は?

昨日はバアル神の事を書いたが、今日は大国主のことを書こうと思う。

部外者の言うことには、

>しかし東洋の東端にある島国では、その頃鎖国された国の中で、バアルの御神体を熱心に拝む者達がいた。
この国に伝わったバアルは大国主と名を変え、大黒天と同一視されると富をもたらす神として淫乱で強欲な者達の崇拝を集めるようになった。そしてやがてその姿を現し、やはり陽物として崇拝されたのである。それが金精大明神であった。
http://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-1175.html

だそうだ。

読者は良くご存知であろう。因幡の白兎の話である。兎を治療した人こそ大国主なのである。

面白い記事を紹介しよう。

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古事記に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと)のお話をしてみようと思います。

「大国主(おおくにぬし)」というのは、大いなる国の主(あるじ)という意味です。
しかも大国主は、八岐大蛇(やまたのオロチ)退治で有名な、スサノオの7代目の孫でもある。

要するに家柄・血統に申し分なく、国家の大王となった素晴らしい男です。

ところが、若き日の大国主は、実は、日本初の「イジメ」の被害者でもあった! というお話です。

小中学生などのお子様をお持ちの方で、イジメの問題にお悩みの方に、ぜひとも語ってあげていただきたい物語なのです。

古事記の大国主の物語は、アノ「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の物語から始まります。

そんなのは知っているよという方も多いかと思いますが、ちょっと復習してみると、若き日のオオクニヌシは、オオナムチという名前です。

彼には、たくさんの異母兄弟がいて、その兄貴たちは、ある日、因幡(いなば)にいる八上比売(ヤカミ姫)という、たいへんな美人をモノにしようと、鳥取県方面に向かいます。

長い旅行ですから、それぞれの兄貴たちは、たくさんの荷物を持っています。
そのたくさんの荷物を、ぜんぶ担がせられたのが、オオナムチです。

古事記では、この時点のオオナムチのことを、「従者(まがもの)」と書いています。
要するに、若き日のオオナムチは、たくさんいる兄貴たちのパシリだったわけです。

日本神話に登場する大いなる神々の物語は、どれもみんなそうなのですが、ぜんぶ、神々の「成長」の物語になっています。

たとえば、アマテラスといえば、日本の最高神(ちなみに女性が最高神となっているのは、世界で日本だけなのだそうです)ですが、登場したての頃は、弟のスサノオの態度にむくれて、天の岩戸に自分だけさっさと隠れてしまう、軟弱娘として描かれています。

そのスサノオにしても、最初に登場するときは、亡くなったお母ちゃんが恋しいと、自分に与えられた仕事(海を守る)すらも放り出して、男の子なのに泣いてばかりいた。
で、天界を追い出されて地上に放逐されて、八岐大蛇(やまたのおろち)退治をし、最後は立派な大王神に成長していきます。

日本神話に共通している心は、若いころはみんな乱行したり、無茶をしたり、わがままを言ったりしてみんなを困らせたりするけれど、いろいろな苦労をして、最後には立派に成長するドラマになっている、という点にあります。

このあたりが、生まれたときから完璧神である世界の神話との大きな違いで、日本神話は、常に「人は成長する生き物である」ということが大きなテーマとなっています。

宮崎アニメで、「千と千尋の神隠し」というアニメがありますが、登場人物の千尋という少女は、はじめは親の引っ越しがヤダヤダというばかりのわがまま娘です。
そのわがまま娘が、様々な冒険や失敗を経由して、最後には立派な少女に成長する。
あのアニメも、まさに日本神話そのものの物語といえます。

話しが脱線しましたが、大国主、若き日のオオナムチは、そんなわけで、兄貴たち全員の荷物を背負わされて、後ろからついていきます。

兄貴たちは手ぶらですから、どんどん先に行ってしまう。
まー、向かう先には美しい乙女が待っているとなれば、そりゃあはやる気持ちを抑えられずに、「どんな娘だろか」「うわさによると見目麗しく、スタイル・・・」などと大はしゃぎだったとうことが想像できます。

オオナムチは、重たい荷物を持って、そのはるか後ろの方から、たったひとりで、トボトボと兄貴たちを追いかけている。

で、兄貴たち一行が気多の岬(鳥取市)に着いた時、道端に毛皮を脱いだ真っ裸のウサギが苦しそうに倒れていた。

兄弟達は、ウサギに向かって、「海水を浴びて、風に当たって、高い山の頂上で横たわっていれば治る」と教えます。
ウサギは、兄貴たちに教えられた通り、山の頂上で横になる。

ところが海水が乾くにつれて、風に吹かれた皮膚が乾燥してひび割れ、塩分が傷に浸みて、痛くて痛くてたまらない。

ウサギが苦しんでいるところに、荷物を担いだオオナムチが遅れてやってきます。

オオナムチが、「おまえは、どうして泣いているのか?」と尋ねると、ウサギは、

「私は隠岐島に住んでいる者だが、気多の岬に渡りたくて仕方がない。
そこで海を渡るためにサメを騙して、『私とお前の一族のどちらが多いか、数えてみないか? お前は自分の一族をぜんぶ連れて来て、この島から気多の岬までずらりと並んでくれ。
そうしたら、私がその上を踏んで、走りながら数えて渡り、私の一族とお前の一族と、どちらが多いか調べよう』と誘いました」という。

言われた鮫たちは、すっかり騙されて、うつ伏せに並んだ。
ウサギは、その上を踏んで数え渡ってきて、いま、まさに地面に降りようとしたとき、得意になってしまって、思わず、
「お前等は私に騙されたんだ、ザマーミロ」と言っちまった。

ウサギがそう言い終わるやいなや、いちばん端に伏せていたサメが、怒ってウサギにかみつきます。
で、ウサギの毛皮を、すっかりはぎ取ってしまった、というわけです。

で、先に行った大勢の神々が、「海水を浴びて風に当たり、横たわっていればよい」と言うのでその通りにしたら、体が、すっかりボロボロになってしまった、というわけです。

これを聞いたオオナムチは、
「今すぐ河口へ行って、真水で身体を洗い、そのまま河口の蒲(がま)の花の花粉を採って、敷き詰めてその上に転がり横たわりなさい。そうすれば、お前の肌はきっと直る」とウサギに教えた。

ウサギがその教え通りにすると、あら不思議、ウサギの体は、すっかりもとに戻ってしまった。

これが因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の物語です。

オオクニヌシのやさしいいたわりで、ウサギさん、元気になってよかったね、人を騙したら、イケナイんだよ、などという挿話としても有名です。

けれど、オオクニヌシ神話の佳境ともいえるのは、実はこの後にくる物語です。



助けられた白兎(ウサギ)は、オオナムチに、

「あの大勢の神々達は、八上比売を手に入れることはできません。
いまは旅行袋を背負って、みすぼらしい役目の“従者”であっても、ヤカミ姫を妻にできるのは、あなたです!!」と予言してくれる。

で、ホントに大勢の兄貴たちは全員、ヤカミ姫にふられてしまい、姫が結婚相手に選んだのは、パシリの従者のオオナムチ、ということになります。

ここで日本神話は、とても大切なメッセージを、ボクたちに遺してくれています。
それは、どんなにイジメられても「やさしい心を失わなかった」大国主を、世間(ヤガミヒメ)は、ちゃんと見ていた、ということです。

彼は、自分がつらい立場にあっても、愚痴ひとつ言わず、文句も言わず、兄貴たちの荷物を辛抱して担ぎます。
そして、自分も苦しいけれど、目の前でもっと苦しんでいるウサギを助けた。

人を見下し、軽んじる者より、ヤガミヒメ(世間)は、そういうオオナムチを尊敬し、選んでいる。

イジメ被害にあって、相手を恨んだり、相手と闘争的になるのは、よくある話です。
一発殴られたら、10発殴り返せ、ともいいます。

けれど、殴られてもぶたれても、じっと辛抱して笑顔で人にやさしく接するという生き方もある、ということです。

兄貴たちは、オオナムチを軽く見ています。
たかが従者のパシリなのです。

なんで、オオナムチごときがヤガミヒメをGETするんだよっ! ザケンなよ!!となります。
心がさもしい者の考え、とる行動は、いまも昔もかわりません。
ついに兄貴たちは、オオナムチをこの世から抹殺しちまえ!となります。

そして兄貴たちは相談して、オオナムチに赤い猪を捕獲しろと命じます。

山にいる赤い猪を兄貴たちみんなで追い出すから、お前は、それを待ち受けて捕えろというのです。

みんなで苦労して、山からイノシシを追い出すんだ。もし失敗しやがったらお前の命はないものと思え!!というわけです。

ところが兄貴たちが山から落としたのは、猪ではなくて、真っ赤に焼けた大岩でした。

このシーン、宮崎アニメの「もののけ姫」で、猪の神が山から突進してくるシーンにも応用されていますので、ご記憶の方も多いかと思います。

オオナムチにしてみれば、イノシシが来ると思ったら、焼けただれた巨岩が落ちてきたのです。
逃げれば「死」、巨岩を受け止めても「死」。

いわば究極の選択ですが、オオナムチは、勇気を奮い起こしてこの岩を、素手で捕まえます。
そして、石に焼き付けられて死んでしまう。

これを知ったオオナムチの母親は、息子の死を嘆き悲しみ、天の神に、なんとかして息子を生き返らせてほしいと頼みます。

天の神は、すぐに赤貝姫とハマグリ姫を遣わして、オオナムチを生き返らせます。
赤貝姫が巨岩に張り付いた遺体をこそげ集め、ハマグリ姫が母親の乳を塗ったのです。
すると遺体は生き返って立派な青年になった。

殺したはずのオオナムチが、また息を吹き返したのです。
兄貴たちにしてみれば、いつ復讐されるかわからない。
恐怖の総和です。
この恐怖の総和について、今日の本文の最後に、youtubeで拾ったアニメを掲載しておきます。
白人社会、銃社会の構図の動画です。
非常にわかりやすくまとまっています。

オオナムチの復讐が怖くてたまらない兄貴たちは、ふたたびオオナムチを殺しちまえ、ということになって、今度は巨木に楔(くさび)を打ち込み、その割れ目にオオクニヌシを誘い入れて、クサビを外して彼ををはさみ殺してしまいます。

オオナムチの母は、それを知ると、オオナムチの遺体を探しだし、生き返らせます。

けれどこのままでは、またオオナムチは兄貴たちに狙われます。
母は、オオナムチを紀国のオオヤビコのもとに逃がします。
ちなみにオオヤビコというのは、イザナギとイザナミの子です。とても古い神様です。

ところが、隠れたはずのオオヤビコのところにさえ、兄貴たちは追ってきます。
そしてオオクニヌシを矢で射殺そうとする。

イジメが高じて、こんどはストーカーにまではじめてきて、さらに武器さえ持っていれば、なんでもできるとばかり、古い神様がオオナムチをかくまっているという事実さえも忘れて、オオナムチを追ったわけです。

あまりのことに古い神であるオオヤビコは、オオクニヌシを地底の国(根の堅洲国)にいるスサノオのもとに落ち延びさせることにします。

オオナムチが地底の国にたどりつくと、そこには凛々しい顔をした美しい娘がいた。
ふたりはひとめで恋におちます。

娘の名はスセリ姫。
スサノオの娘です。

スセリ姫は、さっそくオオナムチを家に連れ帰り、父のスサノオに引き合わせます。
このころのスサノオは、もはや立派な地底の大王です。

ひとめでオオナムチの力量を見抜いたスサノオは、オオナムチに試練を与える。
ここがまた、大切なポイントです。

兄貴たちは、オオナムチをいじめ、怒りや恐怖からオオナムチの殺害を企てます。

ようやく逃げてきた地底の国(根の堅洲国)は、強大なスサノオが締めている国です。もはや軟弱な兄貴たちが四の五のできる環境ではない。

その根の堅洲国で、オオナムチは、スサノオがかわいがっている実の娘と恋仲になり、結婚したのです。
しかもスサノオは、オオナムチの凄みというか、彼の力量をしっかりと見抜いている。

ほんらいであれば、これで一件落着。
ハリウッド映画なら、オオナムチはスセリ姫と結ばれて、ハッピーエンドでシャンシャン♪となりそうなところです。

ところがスサノオは、オオナムチに数々の試練を課す。

まず、オオナムチの泊まる部屋を用意してあげた。
オオナムチがその部屋に行くと、なんとそこは毒蛇がうじゃうじゃといる蛇の部屋です。

妻のスセリ姫は、オオナムチに鈴を渡し「ヘビが襲ってきたら、この鈴を三度振って打ち払いなさい」と言います。
その通りにしてみると、蛇は自然と鎮まる。
オオナムチは、それでぐっすりと眠り、平気な顔で蛇の部屋から出て来ます。
第一の関門、クリアです。

続いてスサノオは、オオナムチを、今度はムカデとハチの部屋に寝かせます。
ここでも、妻のスセリ姫が、ムカデとハチを撃退する鈴を渡して、オオナムチは、またまたぐっすりと眠り、何食わぬ顔で起きてきます。
第二の関門クリアです。

スサノオは、次にナリカブラの矢を、広い野原に射込みます。
そしてその矢を、オオナムチに取って来いと命じます。

オオナムチが野原の中へ入ると、スサノオは、素早く野原の周囲に火を放ちます。
火に囲まれたオオナムチには、逃げ道がない。

するとどこからともなく、ねずみ(ボクではありません^^;)がやってきて、
「内はホラホラ、外はスブスブ。」とひとりごとをつぶやいて、去っていきます。

そこで、オオナムチがねずみのいた場所を踏んでみると、足場が崩れて、穴にスポッと落ちる。

で、オオナムチが穴にこもっていると、火はその上を燃えて通り過ぎ、ほとぼりが冷めた頃、さっきのねずみが、スサノオの放った矢を口にくわえてひっこり出てきた。

このとき、矢の羽は、そのねずみの子供たちが食べてしまって無くなっていたのだそうです。(スミマセン^^:)

さて、スサノオのもとでは、スセリ姫が、夫のオオナムチが、ついに猛火に焼かれて死んでしまったと思い、葬式の用具まで抱えて泣き伏しています。

「ワシの見込み違いであったか・・・」
スサノオは、焼け野原に入っていきます。

するとそこに、オオナムチが、スサノオの矢を持って、涼しい顔で現れた。
第三の関門クリアです。

スサノオは、オオナムチを、自分の部屋に連れ帰ります。
そしてゴロリと横になると、「ワシの頭のシラミをとってくれ」と命じます。

オオナムチがスサノオの髪の毛を見ると、なんとそこには、ムカデがうじゃうじゃいます。

するとそこへスセリ姫がやってきて、椋の木(むくのき)の実と赤土を夫に与えます。

オオナムチは、その木の実を噛み砕き、赤土を口に含んで、ペッと吐き出す。

スサノオはその音を聞いて、オオナムチが、ムカデをかみ砕いているものと思い、安心して、眠ってしまった。

オオナムチとスセリ姫は、スサノオが寝たのを確かめると、スサノオの髪の毛を四方の柱に結び付け、さらに五百人がかりでようやく動かせるぐらいの巨大な岩で部屋の入口を塞ぎます。

そしてオオナムチは、スセリ姫を背負い、スサノオの秘蔵の宝である、生太刀、生弓矢、天の沼琴(ヌコト)を抱えて、急いで駆け出します。

そのとき!!

天の沼琴(ヌコト)が木に触れて響き渡ります。
その音色で、大地が揺れ動いた。

スサノオが驚いて目を覚まします。

スサノオが起き上がろうとすると、髪が柱に結び付けられていたので、反動で部屋が引き倒れます。

スサノオが髪をほどいている間に、オオナムチは、急いで逃げる。
やっとのことで髪をほどいたスサノオは、オオナムチ夫婦を追いかけます。
そして、あと一歩でというところで、黄泉の国の比良坂にたどり着く。

坂の向こうには、オオナムチと愛娘がいます。

スサノオは言います。
「オオナムチ(葦原色許男命)よ、その生太刀・生弓矢でお前の腹違いの兄弟達を坂の裾に追い伏せよ。
川の瀬に追い払え。
そしておまえは、大国主神となって、葦原中ツ国(=日本)の支配者となれ!」と言葉を送ります。



このあと、オオナムチは、見事に兄貴たちを成敗し、まさに大いなる国の主(あるじ)となります。

たいへんなイジメ被害を受けながらも、やさしい心を失わなかったオオナムチは、世間の支持を得るけれど、兄貴たちによって今度は命を狙われます。

ようやく逃げてきた地底の国では、こんどはスサノオからありとあらゆる試練を与えられる。
その試練を、夫婦で力を合わせて乗り越えたオオナムチは、そこでようやく大いなる国の主となっていきます。

学校で、イジメ被害にあうということは、その子はみんなと違った個性がある、ということです。
そしてどんなにひどいイジメにあっても、正しい心を失わないでいること。
そして数々の人生の試練に打ち勝っていくこと。
そうすることで、はじめて人は大いなる人物として成長していくことができる。

そんなことを教えてくれるのが、オオクニヌシの物語なのではないかと思います。

先日、若い方に大東亜戦争における日米戦争の話をしたら、彼は、日本が真珠湾を奇襲攻撃したから戦争になったのだ、と思っていたと語っていました。

それは、赤穂浪士の討ち入りの日だけを見て、47人の狼藉者が吉良上野介というじいさんを殺害した、という見方をするのと同じことです。
そこだけを見たら、ひどい話かもしれない。

けれど、当時は新興国アメリカが、東亜の植民地利権を確保しようとしていたのです。
当時の世界は、日、英、米の三国が、まさに世界をリードする強国だった。

東亜に、人種差別撤廃、植民地制度反対の日本がある限り、植民地後発の米国は東亜での植民地利権を確保することができない。

そこで、米国はワシントン軍縮会議を開いて、体よく日本の軍事力を削ぎ、英国と結んで、日本の追い落としにかかります。

そして無政府状態となって混乱する中国大陸で、一生懸命に中国人の平和と人権を守ろうと努力していた日本を、後ろから中国の反日勢力をあおることで、日本人を徹底的にイジメ抜こうとした。

そうして起こったのが、支那事変です。

日本は、それでも世界の人々の平和と人権の確立と幸福を願い、ひたすら努力をし続けた。

挙句、起こったのが、日本に対する経済封鎖です。

もはや亡国の道をたどるか、乾坤一擲、悪を誅して国家の自尊を図るか、究極の選択をする中にあって、最後の最後に選択したのが、日米開戦だった。

そして日本は、殺されます。
まるでオオナムチが、兄貴たちから焼けたイノシシを抱かせられたのと同様、日本は焼け野原となる。

ようやく戦後の復興をなした日本は、こんどは為替相場をいじられることで、裂け木に挟まれるようにして、国力、経済力を奪われます。

そしていま日本は、左翼政権というスサノオの試練を与えられている。

ヘビの部屋は、支那による南京虐殺ねつ造や、韓国による従軍慰安婦問題は、スサノオに与えられたヘビの部屋なのかもしれません。
ムカデやハチの部屋は、村山談話なのかもしれない。

そして炎に包まれた日本は、平成不況の日本そのものかもしれないし、もしかすると、民主党内閣は、スサノオによる髪の毛のムカデ退治なのかもしれない。

いま、日本は、ようやく保守勢力が台頭し、いよいよスサノオのもとからも離れ、大いなる国のあるじとして復活しようとしています。

どんなときにも誠実に、誠意をもって、めげず明るく。

それが日本人という生き方なのかもしれないと思います。

ねずさんのひとりごとより転載。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1158.html

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いかがだろうか、大国主が、どうしたらバアル神と結びつくのだろうか?


このブログにあるように大国主は日本の国そのものであると感じないだろうか?

どんなに苛めにあっても、前向きな日本人である。その日本を誇りに思うのだ。

部外者が、従軍慰安婦問題を取り上げるたびに、日本のよさが蹂躙されているようで心痛い。

日本の心が分らない、朝鮮人に蹂躙されている統一村がかわいそうでならないのだ。

統一教会に入会するのを拒否した部外者が統一村で革命ごっこをして自ら日本の救世主気取りですか。

だが、これも上辺だけの見方に過ぎないだろう。

その意図は、日本の朝鮮への属国化である。

この一点を見つめて部外者は記事を書いているだけに過ぎないのだ。

来るべき朝鮮マンセーの日の為に・・・。

もし、朝鮮の属国となったならば日本人は、李氏朝鮮時代の朝鮮の白丁と同じような運命を日本は辿ることになるだろう。李氏朝鮮時代の写真を思い出して欲しい、知らないなら調べて欲しい。

これは決して妄想ではない。李氏朝鮮時代が妄想というならば、朝鮮進駐軍のときの朝鮮人の日本人に対しての蛮行を思い出して欲しい。

関東大震災のとき在日朝鮮人の蛮行を思い出して欲しい。

和夫一家惨殺事件を思い出して欲しい。

ベトナム戦争の時の韓国軍の蛮行を思い出して欲しい。


あの姿が朝鮮人なのだから。

努々(ゆめゆめ)部外者の記事に踊らされることの無いように肝に銘じるべきであろう。

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部外者が、人の意見を聞かないのは朝鮮人の気質そのものであり当たり前のことである。話し合い等出来るわけがないのだ。

部外者の頭の中には、勝つか負けるかこれしかないのである。

こちらが引いたら、勝ったと勘違いする人種でもあるのだ。
posted by 田黒吾寛 at 10:07| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月08日

反論することも無くバアル神を書くツマラナイ人間。統一村の部外者。

昨日、ある祝福二世の考えブログに「かんご一派に対する神の悲しみ」という記事が載った。

的を得て居ると思う。

この記事に対して部外者はどう出てくるか楽しみにしていた。するとその反応は意外なものだった。

「かんご一派に対する神の悲しみ」 の記事を無視して「バアルの神体と日本の悪魔崇拝について」という記事を載せたのである。

また、バアルですか?と言った感じがないでもないが、バアル神について興味深い記事が載っていたので転載する。

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聖書を読んでいて不思議に思うのは、再三にわたって預言者がバアル信仰を敵視している点です。
バアル信仰とは何か、なぜ古代イスラエル人はバアル信仰に引き付けられたのかと不思議に思い、いろいろ調べたところ、それなりに納得できてきました。

バアル神というのは、イスラエルの先住民であるカナン人(フェニキア人)の信仰であり、バアルとは「主」を意味します。
しかし、このカナン人というのは古代イスラエル人と同じセム系民族です。
セム系民族は何度かにわたって民族移動を繰り返し、カナンの地にも何度かにわたって渡来しました。
古代イスラエル人よりも古くから住んでいたセム系民族がカナン人です。

ということは、古代イスラエル人がセム系民族から分派する以前には、彼らと同様の信仰を持っていたと考えられます。
例えば、旧約聖書では古代イスラエル人の祖アブラハムは息子イサクを神に生贄として捧げようとしますが、バアル信仰では我が子を生贄として捧げ、豊穣(=大地の再生)を祈ります。これは、古代イスラエル人に本来バアル信仰があったという痕跡です。

バアル神は、右手に武器である矛、左手に雷を持っていると言われています。
基本的に乾燥地帯であるオリエント地方では、雨やそれに伴う雷というのは「恵み」であり、素直に神に感謝したことでしょう。
また、乾燥地帯であるゆえに、豊穣の時は、同時に周辺民族からの収奪から実りを守るべき時でした。それゆえ、武器が必要でした。

つまり、バアル信仰とは、乾燥と水の明暗がはっきりしているオリエント地方の素朴な信仰だったと考えられます。
バアルの敵対者はモトという神ですが、この神は乾燥の神です。とてもはっきりしていて素直な信仰です。

カナンに入植した古代イスラエル人がバアル信仰に走ったのは、
バアル信仰がオリエントの気候に合った素直な信仰だった
同じセム系民族の古くからの信仰が下敷きにあった
からでしょう。

それ以外にも理由は考えられます。
カナン人は裕福であったとされています。バアル信仰のフェニキア人は、当時の地中海の制海権を掌握し、地中海の富を集めていました。これを古代イスラエル人は羨望の気持ちで見ていたことでしょう。
その富の由来がバアル信仰にあると考え、豊かさを得るために、バアル信仰に走ったと考えられます。

また、古代イスラエル人は混血を厭わない民族でした。旧約の多くの部分に異民族との結婚が出てきます。例えば、モーゼの妻はミデアン人ですし、ダビデにも異民族の血が入っています。
異民族と結婚すれば、配偶者の実家は別の信仰を持っています。カナン定住以降は、先住民はカナン人ですから、その信仰とどう向き合うかという問題に、個々の古代イスラエル人が直面していたと思われます。配偶者の実家の信仰を完全に否定するのは困難でしょう。

つまり、古代イスラエル人が預言者から何度も叱られながらも、バアル信仰に走ったのは、
・バアル信仰がオリエントの気候に合った素直な信仰だった
・同じセム系民族の古くからの信仰が下敷きにあった
・フェニキア(バアル信仰)の繁栄に羨望していた
・先住民との結婚で、配偶者の信仰を否定するのが困難だった

といったことが考えられます。
人間としては、とても理解できる行動です。

でも、彼らの神はこれを憎みました。聖書の神はあまりにも高い存在であり、人々の日常的な悩みの解決や日々の恵みには無関心でした。
ユダヤ教の弱点は、この「日常性との乖離」であると思います。
民族の興隆とか国家の滅亡といった大所高所では機能するものの、人間の日常には殆ど機能しません。神とはそういうものかも知れませんが、この点が、ユダヤ教の弱点です。

人間は日常的な悩みや願望を持って生きている生き物です。
そう考えると、ユダヤ教にはもともと進化の余地が多分にあったということができるでしょう。

その発展形態とは・・・、このブログでも何度か触れてきましたが日本の神道であると思われます。
日本の神道は、古代イスラエルの信仰の発展型ととらえることができます。
日本人となった古代イスラエル人は、偶像禁止などの信仰の「型」は聖書的でありつつ、@太陽信仰、A鎮守神信仰、B先祖供養という信仰の内実を充実させていきました。

古代イスラエル民族の危機時代(オリエントの強国による併吞の危機)に完成したのが、ユダヤ教で、繰り返し繰り返し地球神ヤハウェへの絶対信仰が説かれますが、日本に来た古代イスラエル人はその滅亡という挫折を既に経験した後に、放浪しながらじっくりと信仰を充実させていったのだと思われます。(そのプロセスの中で、先祖供養の東アジア、太陽信仰・精霊信仰の長江文明人との邂逅が大きな転換点で、善良な神霊のおさまる日本への移住が最大の転換点だったと思われます。)

ユダヤ教では、バアル信仰が北のイスラエル王国、南のユダ王国の滅亡の原因だとされますが、そのバアル信仰を経た日本人はこれまで一度も滅亡することなく、独自の文化を保って繁栄しています。

聖書を紐解くときには、この点の重みを吟味する必要があるように感じます。
つまり、本当にバアル信仰のゆえにイスラエルの末裔の国家は滅んだのかという点です。(注:バアル信仰の中の人間の生贄や性的祭儀などは憎むべきものだとしても、それがバアル信仰の本質ではなく、これはおそらく欲心ゆえに混入した魔的な枝葉でしょう。)
むしろ、地球神ヤハウェの意図は、以前のブログで触れたように、「型」は同じで陰陽の関係にあるユダヤ人と日本人を創り出すことだったのではないかと思います。(そして、その意図はほぼ実現されています。この両民族が、近いうちに父母のような役割を果たすと思います。)

なお、伊勢白山道さんのブログによれば、
バアル神はスサノオ命、
ヤハウェは国常立太神
であるとあります。
ヤハウェ=クニトコタチ神というのは以前のブログでも触れました。
また、たしかにバアル神についてはウガリット神話に七頭の蛇を退治する神話があるそうです。スサノオ命に似ています。また、スサノオ命は暴風雨の神でもあります。この点も、バアル神とスサノオ命の共通点が見出せます。

古代オリエント地方での展開はここまででしたが、10部族が放浪する途上で、太陽信仰に出会います。
日本の神話では、クニトコタチ神は神代七代の神話としてさらっと触れられるだけで、神々の高天原の「主宰神」は恵み深い太陽神アマテラスオホミカミであるとされ、さらにスサノオ命(バアル神)はその弟で神々から罰せられたとされています。
実は、これこそが10部族の信仰上の大転換であり、10部族が後の日本人の源流となる原因である「発見」だったと思います。ここの古代イスラエルの信仰は、新しく誕生した日本人(当時は原倭人)の信仰へと「進化」します。

また、日常性の欠如は、@鎮守神への非偶像的祭祀、A先祖供養の二つで補われます。
「鎮守の神霊と祖霊が、今を生きる人間の日常を守る」という実践的な信仰が誕生します。これは、ユダヤ教の弱点である日常性の欠如を補うものでした。
これも、古代イスラエルの信仰が、日本人の信仰へと「進化」したものだと考えられます。

このような進化を遂げながら、日本人は形成されたと思います。
その日本人は、元のヤハウェの信仰から大きく離れていながら、日本列島に到着後一度も滅亡を経験したことのない民族です。(第二次大戦後のアメリカの占領をどう見るかという点は課題として残りますが…。)
このことを旧約聖書の預言者たちが聞いたら、卒倒しそうになることでしょう…。再三の主張になりますが、彼らの神の意図は、ヤハウェへの絶対的信仰よりももっと深いものであったと考えられます。

大祓の国 バアル信仰より転載。
http://66575033.at.webry.info/201103/article_1.html

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部外者は、

>バアル崇拝下では必ず〔神殿淫行〕がなされたのであるhttp://kurokango.blog50.fc2.com/blog-entry-1175.html


と、どうしても淫乱と日本人と結び付けたいみたいだが、余りにもひどすぎではないか。

しかも、上記の記事では、

なお、伊勢白山道さんのブログによれば、
バアル神はスサノオ命、
ヤハウェは国常立太神
であるとあります。

なのに対して、部外者の主張は、

>この国に伝わったバアルは大国主と名を変え、大黒天と同一視されると富をもたらす神として淫乱で強欲な者達の崇拝を集めるようになった。

だそうだ。それがどうしたというのだ?

韓国がもっと酷いではないか。

大国主はいじめに合った神様である。

詳しくは次回に載せることにするが、ある祝福二世の考えブログに対して部外者は、反論もすることなく、都合が悪いと同じような記事を書き垂れ流す。

いつものことである。

朝鮮の思想と全く同じである。

ウソも100回言えばホントになるを伝統として実践していると思われるのだ。

淫乱淫乱いうけど、本来論を学んだら神様はエバとエチしたい為、造ったといっているのではないか。

そのことは、部外者は何と答えるのか。

説明できまい。

それに腰ぎんちゃくのU氏、まだ大票田だとか妄想している。

U氏はそう思ってても、傍目からは悲しいピエロと写っていることに気付かない鹿の馬さんな訳だ。

U氏はシックと思ってても、部外者はそう思っているのかは疑問である。

いつも何かあると「私は部外者である。」と言っているからだ。

哀れU氏、相手がシックとは思っていなくても勝手に思っている姿が悲しすぎて、やっぱり鹿の馬さんがぴったりだと思うのは小生だけだろうか?

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posted by 田黒吾寛 at 12:31| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする