2004年10月28日
福岡地方裁判所第5民事部 御中
本意見書では、(1)で『君が代』の歌詞内容は憲法違反の内容を含んでいることを指摘し、(2)でその『君が代』を公的に斉唱すること、ましてやその斉唱を誰に対しても義務づけることは違憲であることを述べ、(3)で公務員には「憲法尊重擁護義務」(憲法99条)があることから、違憲の行為に対しては抗議・抵抗・拒否する「義務」があることを論述する。そして、(4)結論として、『君が代』斉唱等を命じる違憲な職務命令には従う義務がないばかりか、むしろ拒否する義務があることを述べる。
(1) 『君が代』の歌詞内容は違憲である
1999年制定の「国旗及び国歌に関する法律」は、第2条1項で「国歌は、君が代とする。」とした上で、同条2項で「君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二の通りとする。」と定めている。そして、別記第二によると、『君が代』の歌詞は、『君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで』とされている。
この歌詞の意味について、上記法律を国会に提出した政府は、1999年6月11日の閣議で、「天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈念したもの」と定義し、それを「政府統一見解」としている。そして、この定義を文部省『小学校学習指導要領解説 社会編』(1999年10月補訂)も踏襲している。しかし、この解釈は日本語的にも、歴史的にも誤りであり、歌詞のもつ違憲部分を糊塗した「誤魔化し解釈」と評価せざるをえない。
日本語の文法からしてこの歌詞の主語は「君が代」であるが、「政府統一見解」を簡潔に言えば、その「君が代」とは「我が国」を意味することになる。実際、当時の小渕首相も6月29日の衆議院本会議答弁で、「代」とは「本来、時間的概念だが、転じて『国』を表す意味もある。『君が代』は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことになる」としている。しかし、「君が代」から「我が国」という主語を引き出すことは極めて困難である。仮に「君」を「自分を含むわれわれ日本国民」と解することができるならば、「日本国民の代」ということになり、ひいては「日本国」と強引に解することもできるが、そこにある強引さは別としても、「君」に「自分」を含めることは日本語として不可能である(ちなみに、『岩波国語辞典 第二版』(1971年)によると、「君」とは、「対等または目下の者を呼ぶ、親しみをこめた言い方。←→僕。」か「主君。特に国王。帝。」である)。したがって、「君が代」は自分(僕)を含む「我が国」ではありえず、主語はあくまでも自分を含まない「『君』が代」なのである。
そこで、「君が代」の妥当な意味内容を明らかにするなら、まず「君」の意味するものが問題になる。古歌としての『君が代』の「君」については、時代によって、また歌われる状況によってさまざまな意味が当てられているが、1880年に初めて演奏され、その後そのメロディーで演奏され、歌われてきた『君が代』において「君」が「天皇」を指すことについては公的には異論はない。すなわち、大日本帝国憲法時代において「君」が「天皇」を指すことは公私ともに異論はなかったが、現在、「国歌」とされた『君が代』においても同様であることは、前述の「政府統一見解」も認めるところである。すなわち、それによれば、「君」とは「大日本帝国憲法下では主権者である天皇を指していたといわれているが、日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇と解釈するのが適当である」
とされている。同様に、前述の小渕首相答弁も、「君」とは「日本国憲法下では、日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する国民の総意に基づく天皇のことを指す」としている。後者が「国民主権」に言及している点で違いはあるものの、いずれも「君」が「天皇」を指す点においては異ならない。結局、公定解釈でも、現在の『君が代』における「君」は端的に「天皇」を指すのである。
一方、「代」は、これも『国語大辞典』(小学館、1981年、2413頁以下)によれば、「竹の節と節との間を言う。時間的・空間的に限られた区間」の意味であり、より具体的には、(1)人が生まれてから死ぬまでの期間(@一生、生涯、A寿命、年齢)、 (2)ある特定の者、また系統によって支配・統治が続く期間(@国がある支配者によって統治される期間。特に、天皇によって統治される期間。代(だい)。A転じて天皇。B同一の系統、政体によって主権が維持され、それが継承される期間。Cある者が家督を相続し、家長としてその家を統率する期間)、 (3)仏説にいう過去・現在・未来の各々、 (4)時節、季節、
(5)人間の構成する社会(B国土、国家)である。「君が代」との関係では(2)ないし(5)Bの意味が候補に上がる。前述の小渕首相答弁では(5)Bの意味が採用され、「国」とされたが、
歴史的・沿革的にはむしろ(2)@が自然であろう。
さて、そうだとすると、「君が代」とは「『天皇』(またその系統)によって『支配・統治が続く期間』」をいうとするのが自然であるが(前述の『国語大辞典』648頁によれば、「君が代」とは「天皇の治世」ないし「現天皇の聖代」をいう)、仮に小渕首相答弁によっても「『天皇』の『国』」と解されることになる。
こうしてみれば、「千代に八千代に」以下が少なくとも「末永い繁栄」を祈ったものであることについては特に異論はないところであるので、『君が代』は「我が国の末永い繁栄」ではなく、「天皇の統治期間の末永い繁栄」ないし「天皇の国の末永い繁栄」を祈った歌であることは明らかである。その点で、大日本帝国憲法時代の1937年の『尋常小学校終身書巻四』が、『君が代』の歌詞の意味を、「我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も萬年も、いやいつまでも続いてお栄えになるやうに」としていたことは、現在からみても不当ではなく、当然の解釈であったといえる。
そもそも、大日本帝国憲法下で歌われてきた『君が代』は、「我が国」を讃える歌ではなく、「天皇」を讃える歌であったと言える。もとより当時は天皇=国であったから『君が代』は「天皇の歌」であるとともに「我が国の歌」でもあったが、重点は明らかに天皇にあった。大日本帝国憲法下、『日の丸』が「国旗」と法定されていなかったと同様に、『君が代』も「国歌」と法定されたことがなかったということは広く指摘されているところであるが、前者がしばしば「国旗」として教科書等に登場し、卒業式等の儀式の式次第において「国旗掲揚」として記載されていたのに対し、『君が代』が正式に「国歌」とされることはまれであった。小学校の教科書に「国歌」として登場するのは、先に引用した『修身巻四』のみであり、それ以外は常に『君が代』の表題の下に記述されていた。また、この教科書と同時代の戦時下の儀式においては「国歌をうたふ」とされることもあったが、明治の末より、通常は「君カ代斉唱」とか「君カ代ノ歌」を歌うとか、「君カ代奏楽」とかとされてきており、「国歌斉唱」とか「国歌奏楽」とかとはされてこなかったのである(具体的事例は、山本信良・今野敏彦『近代教育の天皇制イデオロギー』『大正・昭和教育の天皇制イデオロギー氈x(新泉社、1973・76年)参照)。こうしたことからも、『君が代』がいわゆる「国歌」として歌われ存在してきたのではなく「天皇讃歌」として歌われてきたものであることが分かる。
さて、このように「天皇讃歌」であり、「天皇の治世(統治)」ないし「天皇の国」を寿ぐ歌詞内容をもつ『君が代』が日本国憲法下では憲法と矛盾するものであることは、あらためて詳述する必要はなかろう。日本国憲法においては国民が主権者であり、天皇はその国民の総意によって設けられた一制度であるに過ぎない(したがって、憲法改正によって廃止可能な天皇)のである。また,象徴にすぎない天皇は、一切の政治的権能を始源的に有しないのであるから、統治権とは無縁である。そして、憲法上、まかり間違っても主権者たる国民が天皇を戴いているものではないことをこの際繰り返し確認すべきである。そうした日本国憲法の見地からすれば、「天皇の治世(統治)」や「天皇の国」といった概念は憲法と無縁であるばかりか、憲法の基本的理念である国民主権主義と根本的に敵対するものであることは明らかである。したがって、『君が代』の歌詞内容が憲法に矛盾し敵対することは素直に考えれば当然出てくる結論である。あえてこの結論に至る解釈と異なる解釈をとろうとするなら、「政府統一見解」と同様に「誤魔化し解釈」になるか、「自己欺瞞」「権力追随」であるしかないだろう。
(2) 『君が代』の公的斉唱等は違憲である
『君が代』の歌詞内容に違憲の内容を含むものであるなら、その『君が代』を国歌と定めた「国旗及び国歌に関する法律」の第2条(あるいはその歌詞を特定した第2条2項、あるいは別記第二)は違憲であり、無効と判断されるべきである。
したがって、違憲である『君が代』を国や地方自治体の公的行事や公的な場で使用することは、違憲な行為と評価される。違憲の内容を歌詞に含むものであるから、その斉唱が違憲であることはいうまでもないが、メロディーの演奏にとどまる場合でも『君が代』は歌詞とメロディーが一体のものとして法律で規定されている以上(第2条2項、別記第二)、単にメロディーの演奏にとどまる場合であっても違憲の行為である。『君が代』は、国や地方自治体の公的行事や公的な場では一切肯定的に使用してはならないのである(たとえば、過去の歌の紹介例や音楽的評価の対象として『君が代』を学校の教材として用いることは例外的に許されるであろう)。
ましてや、違憲の歌である『君が代』の斉唱や演奏を国や地方自治体が人びとに義務づけたり、強制したりすることは、ただちに違憲の行為となる。さしあたり、これは人びとの良心の自由(たとえば職務命令に対する教員の良心の自由とか、生徒の良心の自由とか)を云々する以前の問題であり、国や地方自治体はそもそもそうした行為を行うことはできないということである。
(3)公務員は眼前の違憲の行為に抵抗・拒否する「義務」がある
憲法第99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」として、公務員に憲法尊重擁護義務を課している。ここでいう公務員に、国家公務員とともに地方公務員が含まれていることについては異論はない。
憲法、とりわけその保障する自由・権利は権力によって侵されやすいものであるだけに、憲法は自らを保障する手段をいろいろと工夫し、用意している。日本国憲法にあっては、三権分立制度(水平的分立)、地方自治制度(垂直的分立)、憲法改正制度(硬性憲法)などのほか、とりわけ裁判所による違憲審査制度が重要である。しかし、制度のみによって憲法を保障することには限界があり、最終的には主権の存する国民の積極的努力が期待されている。憲法第12条前段が「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」と述べているのはその趣旨であり、学説においてはここに一種の「抵抗権」を読みとるものもある。あるいは実務的には、この規定に「超法規的違法性阻却事由」の根拠を認めるものもある。そこまで認めるかどうかは別として、この規定が国民に対して、自由・権利の侵害が眼前において行われているような場合には、座視したり傍観することなく、自由・権利を擁護するための積極的行動をとる覚悟を要請していることは明らかである。
公務員の憲法尊重擁護義務を定めた憲法第99条も、憲法を保障するための重要な規定であるが、この規定からは公務員の消極的義務と積極的義務を読み取らなければならない。
まず第一は、「立憲主義」から当然に生じる義務であり、それは、公務員は他ならぬ憲法によってのみその正統性と権能を与えられているのであるから、権力受託者としての公務員は常に憲法を「守る」義務があり、その権能行使において憲法を侵害した場合にはその地位を追われることになるというものである。第99条の文面中「憲法を尊重し」にその趣旨が表されていると理解できるが、いわばこれは公務員の消極的義務である。
これに加えて、公務員は国民全体に奉仕する者(憲法第15条2項)として、憲法が侵害され国民の自由・権利が侵害されることのないよう常に目を光らせ、仮に憲法を侵害する行為を眼前にしたような場合には、それを摘発し、抗議し、抵抗し、ある場合には拒否することによって憲法を「護る」ことをしなければならない。第99条の文面中「憲法を擁護する」義務はその趣旨を表しており、いわばこれは公務員の積極的義務である。そして、国民一般が「不断の努力」によって憲法を擁護するのに比して、公務員は明確に憲法を「擁護する義務」を負わされているのである。
このように、公務員には、違憲の行為に対しては、積極的に摘発・抗議・抵抗・拒否する義務が課せられているのであるから、仮にその違憲行為が命令や指示といった外見的には法令に基づく行為として行われている場合にあっても、この憲法上の義務は免れない。したがって、公務員は違憲の行為の遂行を命じられた場合などには、積極的にそれを拒否する義務があるのである。もっとも、公務員各自が、自らの違憲判断のみで法令に基づく行為を恣意的に拒否などするならば、法秩序の混乱を招くことにもなりかねないという危惧は存在する。しかし、まさにここが裁判所の違憲審査制の出番である。誤った公務員の判断は裁判所によって正され、あるいは逆に公務員の行為は裁判所によって正当性を確認されるのである。すなわち、公務員は違憲の命令等に対して、懲戒や解雇処分のリスクを負いつつ拒否的行動を行うのであり、これには公務員の強度の覚悟が前提とされているのでむやみに拒否等の行動は予想されず、また最終的には裁判所によって是正されるのであるから、法秩序の混乱など起こりよう筈もないと言える。
(4)結論
以上の論じてきたことから、次のような結論が導かれる。
『君が代』はその歌詞内容に明白に憲法の基本原則(国民主権)と矛盾するものを含んでおり、したがってこの歌を「国歌」と定めた「国旗及び国歌に関する法律」の第2条は違憲である。
違憲内容を含む『君が代』を国や地方自治体の公的儀式や公的な場で斉唱・演奏等の形で使用することは憲法に違反する行為として許されない。(なお、付言すれば、このことは『君が代』が「国歌」として法定されていない場合でも同様である。)
したがって、公立学校の入学式や卒業式などの公的儀式において、『君が代』の斉唱や演奏を命じる行為(たとえば「職務命令」)は違憲行為として無効である。
教育公務員を含む公務員は、憲法に違反する行為の実行(命令)を拒否する義務があるから、『君が代』の斉唱や演奏を命じる違憲行為を拒否する義務がある。(なお、付言すれば、『君が代』の斉唱・演奏を命じることが教員・生徒の「良心の自由」(憲法第19条)に違反する違憲行為であるとする場合には、『君が代』の斉唱や演奏を命じることは二重の意味で違憲行為であり、公務員の拒否義務はより強くなる。)
したがって、違憲無効な職務命令に従わなかったからといって公務員が懲戒処分等を受ける理由はなく、むしろ違憲行為を拒否した公務員の行為は憲法第99条にのっとった正当な行為として評価されるべきである。
以上
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