――ツイッターで「今や、民主党に言いたいことはない」と書かれていました。まずはその理由からお聞かせください。
内田 2009年の政権交代後の鳩山さんの最初のスピーチを聞いたときは非常に期待しました。「これまでとまったく違う政治になる」「時代は変わる」と。
しかし、沖縄の普天間基地問題をめぐり、メディアは総理の「迷走」を激しく非難して、結局鳩山さんは政権から引きずり下ろされました。僕はどうして基地問題で「できれば国外」という要求をしたことがこれほど同国人から批判されなければならないのか最後まで理由が分かりませんでした。そのあたりから民主党という政党が何をしたいのかが分からなくなってきた。
――原理的にはどこに問題があったと思われますか。
政権交代には政策決定の透明化を期待
――それは今でも変わっていないどころか、ますますひどくなっている状況です。
内田 そうだと思います。安全保障やデリケートな外交交渉に関する情報はそうそう簡単には国民に開示できない。でも、消費増税や大飯原発の再稼働問題などは、「国民生活を守る」という抽象的な言葉ではなく、なぜこうした政策判断に至ったのかに関して、きちんとデータを挙げ、資料を整えて、合理的な説明をすることができるはずです。歴史的状況が変わるごとに政策が転換されるのは当然のことです。でも、さきに掲げた政策が不適切として下ろされた場合には、その理由を説明してもらわなければ、国民は意味が分からない。為政者には自分の「豹変」について説明する義務があります。
――政権交代をしたときには「政治主導」の政治の実現がうたわれました。
内田 今となっては、政治主導というアイディアが未熟でしたね。霞が関に切り込んで行くというのはいいけれど、そのときに「日本の官僚はダメだ、腐っている」という情緒的な言葉で官僚のマイナス・イメージをばらまいた。短期的には、それで官僚の勢いを削ぐことはできたでしょうが、結果的には、国民のなかに日本の行政組織全体に対する不信感を広げてしまった。官僚たちも「そこまで言われるなら」ということになり、オーバーアチーブする動機づけが失われてしまった。
政治主導という発想そのものは悪くはないんです。でも、その場合でも、政治家は、大所高所から、長期的な国益を図っておおざっぱな政策を提言し、官僚はそのヴィジョンを実現するための具体的で細密な手順を整えるという、お互いに敬意を持ち合う「分業」であるべきだったと思います。
――政治主導を掲げながらうまくいかなかったのは民主党が未熟だったからと評価されました。それでは政党とはそもそもどういう存在だとお考えですか。
内田 政党というのは本来はまず政治綱領があり、それに賛同する人たちが集まって組織されるものだと思います。でも、いったん組織が動き出した後は、創設時点では想定しなかった状況の変化、新しい情報に遭遇することになる。だから、結党時の綱領を墨守するだけでは生き残れない。状況に対して開放的であることが求められます。たしかに、民主党は変化に対して、フレキシブルに対応するという点では、なかなか開かれた政党だったと思います。でも、野田内閣の消費増税や大飯再稼働を見ると綱領への義理立てがあまりに緩くて、野党との政党的な差異がもう分からない。自民党と政策が違わないなら、政権交代は何のためのものだったのか。
民主党は旧田中派の流れ、自民党は旧福田派の流れ。かつての「角福戦争」の路線対立がそのまま2大政党になったというのが僕の理解です。旧福田派は新自由主義的な「選択と集中」、都市とエリートへの資源集中による国際競争力の向上、外交的には日米同盟基軸。それに対して田中派は、まず都市と地方の格差解消、地方分権、一億総中流、外交は対米自立。鄧小平と毛沢東くらいに立場の違う派閥が同一党内にあることでかつての自民党はエネルギーを得ていたわけですけれど、それが最終的に二極分解して自民党と民主党になった。これは原理的な対立ですから、それぞれが日本の政党政治における両極を形成すべきだと思います。
天下国家を論じるのが政治家本来の姿
――かつてマックス・ヴェーバーが政治家に求められる資質について論じましたが、内田さんのお考えにな
る理想の政治家像とはどういうものですか。
内田 政治家、官僚にはそれぞれ役割分担があると思います。国家百年の計という「大きな話」をするのが政治家の仕事。机上の空論でもいいからあるべき国家像を語るのが政治家の本来の仕事だと思います。官僚はいたずらに天下国家を論じるべきではない。どういう国にしたいのかについての国民的合意ができたことについて、それを効率的に物質化してゆく。それが官僚の仕事でしょう。
――ツイッターで1970年代のある政治活動家の話を書かれていました。60年代でいうと佐藤栄作さん、春日一幸さん、宮本顕治さんとイデオロギーは違っても、人間の粒はとても大きかった。それが崩れていったのは日本社会の変貌によるものでしょうか。
内田 今言われたような戦中派政治家は激動の時代を生き延びてきたわけですから、人間を見る眼が違うでしょう。胆力があるし、統率力や包容力がある。実現したい国家像についてはおおざっぱな、でも身体化したイメージを持っているから、個々の政策に関してはいくらでも妥協する。危機に強い人間というのは、要するに、器の大きい人間です。懐が深く、腹がすわっている。でも、平和と繁栄が67年続いて、僕らの世代では人間がぐっと小粒になってしまった。これはしかたがない。平和と繁栄の代償なんですから。いずれ危機の時代になれば、また人間は大柄になります。そうしないと生き残れませんからね。そういう意味で言うと、政治も経済も行政も教育も、社会の根幹のシステムがここまで劣化してくると、大柄な人間が登場してくるだろうと僕は思っています。
――今後の政治的プロセスをどう思われますか。「国民は深い憂鬱(ゆううつ)に沈むだろう」と書かれていました。
――今求められるリーダー像はどういうものでしょうか。
内田 鳩山さんの最大の誤算はアメリカの日本に対する影響力の強さを見誤ったことでしょう。鳩山さんは、日本は敗戦国であり、国土を外国軍に長期的に占拠されており、国防や外交について自己決定できる主権国家ではないのだ、ということを明言すべきでした。今の日本の統治者に必要なことは、「ほんとうのこと」を言うということです。そこからしか始まらない。敗戦国なんだからしかたがないんです。日本は主権国家でない。安全保障、国防・外交に関しては、日本の国益を最優先するという政策選択ができない、と。日本はこうしたいが、アメリカがそれを許さない。だからアメリカに従うしかない、とはっきり言うべきです。敗戦国の屈辱の上にしか国家は再建できません。主権国家でない国が主権国家であるかのように偽装的にふるまうから、政策判断が分かりにくくなるのです。今の日本のリーダーに求められていることは、われわれの国の統治機構について率直に事実を言える人です。
――転機にある民主党の歴史的役割についてお話し下さい。再生の条件は何でしょうか。
内田 先ほども言いましたが、2大政党制の場合、それぞれの政党の綱領、立ち位置、体質はあまり変えるべきではないと思います。「旧田中派的な政治」の実現、経済成長よりも格差の解消、競争よりも共生をめざすのが民主党に託された政治史的な使命のはずです。まずは格差是正や社会保障の充実。外交面では対米自立、東アジア諸国との協調。そういうはっきりとした旗印を掲げるべきだと思います。旗印がはっきりしていると「選ばれないリスク」を負うことになりますが、そのつどの世論や政局に振り回されて旗印を捨ててしまえば、民主党にもう未来はありません。
「民主党への建設的提言」シリーズを終える。民主党支持者、地方議員、国会議員だけでなくマスコミ関係者からも「面白い」という感想を多数いただいた。ここに感謝いたします。菅直人前首相や同僚議員からも人選の提案をいただいたものの、連載期間内に実現することがかなわなかった。中曽根康弘元首相、渡辺恒雄「読売新聞」主筆などから率直なご意見を伺うことも私の予定に入っていたが、それはどこかで実現したい。登場していただいた識者は民主党支持者だけではない。それでも全員が政権交代に期待をしていた。まだ再生は可能だと厳しい提言をいただいた。それを受けとめ国民とともに行動するのが私たちの責務である。頭をもたげて、さあ、前へ! (有田 芳生)