その事業内容は、「地域の資源を活用したり、地域社会への貢献に資するといった地域のニーズを踏まえたものが望ましい」ともいう。しかし、地域資源の活用や、地域社会への貢献は、そんなに簡単なことであろうか?
筆者の住む町では、さまざまな形で、地域ニーズをとらえ、地域社会をより活性化する活動が行われている。しかしそれらの多くは、既に多様なジャンルの職業人として、能力と立ち位置を確保している人々のボランティアによって担われている。「労働市場で求められない人々は、そこでもやはり必要とされない可能性が高いのではないか?」と筆者は思う。経営サイドから見れば、社内の理解を求めるコスト・労務管理のコストなどが重くのしかかる。「賃金が安いから」というメリットはあるとしても、必ずしも歓迎できる雇用形態ではないだろう。雇用されづらい人々が存在する状況に対しては、現在の労働市場のあり方そのものを改革するしかないのではないだろうか?
続いて21ページでは、中間的就労の事業形態について延べられている。冒頭に、「社会福祉法人・NPO・民間企業等社会的企業の自主事業として考えるべきである」とある。この一文に関しては、委員からも「社会的企業」の定義を求める声があった。筆者にはそもそも、このように列挙する意味が全く分からなかった。社会福祉法人・NPOと民間企業では、組織の目的が全く異なっている。営利が主目的でないか、それとも営利が主目的であるか、の違いは大きい。
この問題に対しては、「ノウハウや人材、企業環境、若者の雇用情勢を踏まえると、民間企業で中間的就労を提供することは厳しいことから、中間的就労を民間企業にも広げていくためには、多様な支援策の検討が必要である」と述べられている。
しかしながら、営利企業が「営利追求」という仕組みの中でできることは、現在でも少なくない。筆者自身、出版業界での就労経験のある精神障害者数名に、音声起こし・校閲などの仕事を外注している。「状態が悪く(あるいは不安定で)、納期の約束ができない」ということであれば、納期に応じた報酬設定を行い、長納期でも困らない内容の業務を依頼すれば済むことである。現在の仕組みの中でできることは、他にもたくさんあるのではないだろうか。それを追求することなく、新しく「中間的就労」という仕組みを導入しなくてはならない理由は、いったい何なのだろうか?
筆者が報告書案から受けた全体的な印象は「困窮者本人の姿が見えない」「困窮者本人の自発的な参加への意志が考慮されていない」「国の役割が見えない」というものである。報告書案がこの状態であるまま、強引に結論へと至るくらいなら、現行の制度はそのままにしておいて、広く国民的熟議を重ねる必要があるのではないだろうか? とさえ思う。