納得できない『逆説の日本史』(6)

まとめ


 ながらくお付き合いいただき、誠に恐縮です。

 『逆説』ファンの方は、さぞお怒りのことと思います。井沢氏を目の敵にしている、ケチをつけているだけではないか、と。
 また、ファンでない方も、私に不満を持たれた方もおられると思います。そんなにケチをつけるな、読んでいて気分が悪くなる、と。
 ご気分を害されたことについては、お詫びします。しかし、です。

 『逆説』に引用されていたことから、豊田有恒氏の『聖徳太子の悲劇』もざっと読んでみました。推測が多いとか、現代的な見方とか、井沢氏と共通した問題点もいくつか感じました。また、歴史学者への批判も何ヶ所か書かれていました。
 でも、「おいおい」と思うことはあっても、『逆説』を読んだ時のように「これは絶対問題だ!」という強い問題意識は感じませんでした。

 『逆説』が何より問題なのは、自分が絶対に正しくて学界はトンデモである、という決め付けと、非常に激しい敵意だと思います。
 作家は学者とは違います。何より高いエンターテイメント性が要求されるのは理解できます。多少は極端な表現やも必要でしょう。手堅い実証なんて、読んでいて面白くないですから。
 では手堅い実証をしている学者を口汚く罵るのはいかがでしょう。
 それとも、学会をコケにする表現も、必要なエンターテイメントだというのでしょうか?

 確かに、歴史学界に問題がないとは言いません。何より、研究の成果をもっと一般にわかりやすく且つ面白く伝えていただきたい。そして、こういった専門外の方の「批判」に対して、坂本太郎のように「史学研究の常識である」というような門前払い的な印象を与える表現ではなく、懐の深い対応をしてもらいたい、と常々思っています。
 それにしても、なのです。

 最初に書いたように、この文章は井沢氏への直接の批判ではありません。
 『逆説の日本史』を読まれた、或いはこれから読まれる方に、「どういう点に注意された方がいいかを、私の気がついた範囲で」まとめてみたものです。
 私の文章を読んで、なおかつ『逆説の日本史』を支持されるのならば仕方ないと思います。
 でも、「『逆説』に色々と問題があるんだな」と思っていただけた方が一人でも二人でもおられたら、とても光栄に思います。

 なるべく根拠をあげて、主観的・感情的にならないように注意して書いたつもりですが、不適切な表現、誤った分析などがありましたら、またご指摘いただきたいと思います。


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