総合TOP>古代史雑談「時には古代の話を」>考察の部屋> 納得できない『逆説の日本史』(4)
納得できない『逆説の日本史』(4)
作家の方が歴史小説やエッセイなどを書かれる時、よく「今なら…といったところでしょうか」とか「まるで今の…と同じですね」といったたとえ方をされます。
こういったことは個人的にはあまり好きではありませんが、歴史を身近に感じたり、歴史の教訓を現代に生かすという面では、一定の意義のあることだとは思っています。
しかし、それは「歴史の解釈」についてであり、「歴史の分析」の段階で現代的価値観や常識を振り回すのは、やはり問題だと思います(その意味では、いわゆる唯物史観も批判されてしかるべきかと思います)。特に古代史では、あまりにも時代が離れており、注意が必要です。
井沢氏は、近現代史の話題を挿入するのがお好きですね。中華思想の説明で中越紛争を引き(P.31)、書紀の信頼性の傍証として戦時中の大本営発表を引き(P.213)、大海人が吉野に入ったことをポルポトの「解放区」にたとえ(P.325)られたりします。
また、『週刊ポスト』への連載だったからか、角川春樹氏のコカイン吸飲事件や「除霊のツボ」といった、三面記事的な例も使われています。
もっとも、白村江への派兵を決断した天智について、
今は「平和憲法」の時代で、戦争に関することは何でも「悪」と決めつけられるという誤った風潮があるが、そういう偏見を捨てて天智天皇の決断を見るなら、これは決して無茶な決断とはいえない。 (P.205) |
と述べられているのは首肯しかねます。
白村江への派兵を「無茶」だと私は思いませんが、そういう意見があるとしても、それは彼我の戦力や国際情勢全般の分析の甘さを言うのであり、平和主義云々からの批判など聞いたことはありません。
それとも逆に、天智を評価することで現代日本の平和憲法を批判しようとされているのかもしれません…。
さて、こういった井沢氏の論法は、時に解釈こえて分析に及び、その結果、現代的な感覚の誤った分析が見られます。
例えば氏は、天武朝に栗隈王が四位(正四位上に当たると氏が推定)から従二位を追贈されたことをあげ、
三階級特進である。旧軍で言えば大佐が大将になったようなものだ。戦前の軍神でも一階級か二階級特進がせいぜいだ。これは天武がいかに栗隈王の功を評価していたか、ということを示している。 (P.331) |
と述べられ、この追贈がこのように重いことを、彼が天智暗殺の犯行と死体隠しに強力したと推定する根拠の1つとされています。
しかし、「三階級特進」の追贈は別に珍しいことではないのです。
壬申の功労による追贈を探しただけでも、すぐに見つかります。
大分君恵尺 正五位下→正四位下 3級
黄書造大伴 正五位上→正四位下 3級
三輪君高市麻呂 従四位上→従三位 3級 など
それどころか、県犬養連大伴のように6級(直広弐→正広参、大宝令制に換算しても従四位下→正三位で5級)もあがった者もいるほどです。古代の追贈を戦前の軍隊でたとえようとしたために、書紀の記事の確認を忘れられたようです。
また井沢氏は、天武の年齢が書紀によれば不明であることについて、「これが天武を顕彰するための「史書」であることは明らか」であるのに「天武の年齢が分からない(中略)というのは極めて異常なことなのだ」(P.237)「あの人の伝記を書きました。ただし年齢は分かりません、などと言ったら現代でも笑い者である」(P.238)と断定されていますが、古代において「顕彰」するためには年齢が絶対必要だ、という根拠は何かあるのでしょうか?
逆に例えば、本名を呼ぶのが本人に対して失礼であるように(これはいまでもそうですが)、生没時の年齢を明確にすることは、天皇の神聖さを演出する上でマイナスになるかもしれません。別にそうだと断定するつもりはありませんが、そういった別の可能性を全く考慮もされないのはなぜでしょう。
一方、書紀に年齢の全く書かれていない天皇は、持統・天武・斉明・孝徳・舒明・崇峻・用明・敏達・欽明と目白押しです。
現代的な感覚にこだわりすぎたために、書紀を見ればすぐに気付くこと、或は(1)でご紹介した坂本の論文などをきちんと読めば分かることを見落とされているのです。
これも、「史料至上主義」でも「権威主義」でも「歴史の呪術的側面の無視ないし軽視」でもないと思いますがいかがでしょう。