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納得できない『逆説の日本史』(2)

アンフェアな引用



 井沢氏は、『逆説2』のP.218〜219で戦前の歴史教科書を引用され、そこでは、白村江の敗戦や壬申の乱のような、「神州不滅金甌無欠」や「万世一系の皇室」という建前に都合の悪いものは教科書にのせずに「やがて」などでごまかしたことを厳しく批判されています。
 これは大変重要な指摘です。
 私が思うに、これは都合の悪い箇所を書かなかっただけで、「白村江の敗戦や壬申の乱はなかった」というウソは書いていません。しかし、すーっと読めば騙されてしまうのです。

 さて、『逆説2』のP.235以降しばらくは、天智と天武の年齢についての問題を論じておられます。
 実はこの節の内容の大部分は、大和岩雄氏の著作、例えば『天武天皇出自の謎』と酷似しています。論の立て方、根拠として出されている原史料(『一代要記』『紹胤録』)、批判対象である直木・坂本両氏の文章の引用箇所も、みな同じです。
 しかし、大和氏の名前も著作名もここでは紹介されていませんので、孫引きではなく、井沢氏が直接資料に当たったものとして考えます。

 井沢氏は、坂本の論文を、

「書紀の記事を否定する力は、後世の書にはないとみるのが史学研究の常識である」

という箇所だけ引用され、

「書紀に明記されて」いれば何でもかんでも正しいのか。

(P.241)

とお怒りです。歴史学者が「史料至上主義」「権威主義」に毒されているという氏の持論展開の典型的な場面です。
 しかし、もとの論文(『坂本太郎著作集11・歴史と人物』の中に「天智天皇と天武天皇」という題で収められています)を確認してみると、坂本はあくまで、「古代の天皇の年齢について」「日本書紀の年齢記事と矛盾する場合」には「書紀の記事を否定する力は、これらの後世の書にはないと見るのが史学研究の常識である」と述べているにすぎません。
 井沢氏の引用の仕方では、坂本が何でもかんでも書紀が正しいと言っているように聞こえます。また坂本は「これら後世の書」と言っており、「これら」とは中世の(天皇の年齢を記した)年代記のみを指していますが、井沢氏の引用ではなぜか「これら」を削除してあり、その結果、「後世の」すべての書物を否定しているように読めてしまいます。
 また、この論文の冒頭で坂本は、年齢が誤りを伝え易いものであること、日本書紀の中でさえ年齢の矛盾(ただし作為によるものではなく計算の誤りか記録の混乱と見られる事例)があることを、例を引いて説明しておられます。
 つまり坂本は、決して書紀が常に絶対に正しいなどとは考えていないことは明らかなのですが、井沢氏はそのことは紹介も評価もされない。

 加えて、坂本は次のように述べています。

 それよりも面白いのは、一代要記は天智天皇の崩年を五十三歳としていることである。これなら天武天皇より三歳年長で兄弟の順を疑う理由はなくなる。また本朝皇胤紹運録は五十八歳とするので、さらに八歳もの年長となる

(坂本前掲論文)

 つまり、井沢氏が引く『一代要記』や『本朝皇胤紹運録』それぞれにのみよるならば、天智と天武の兄弟順は変わらないのであり、天智の年齢だけは書紀のものを信用する場合に限り、天武の方が年上になるのです。
 これは(私が考えるには)、天智天武年齢逆転論にとって最大の障害の一つであり、避けて通れないものです。じじつ、大和氏や小林氏は、このことについて解釈を提示しておられます。
 しかし井沢氏は、この論文も大和氏らの説明も読んでおられるはずなのにこのことについては反論はおろか引用(紹介)さえされないのです。

 こういう引用の仕方は、フェアではありません。

 まして、原論文にない「ヽヽ」を勝手につけて(こういう場合は「傍点引用者」と書くべきでしょう)、読者に歴史学者の印象がより悪く演出されているのも問題です。

 また、これはニフティで他の方からも指摘されていましたが、天智の死についての『扶桑略記』の引用の仕方も同じように問題です。
 記事の前半(書紀とほぼ同じ病死説)はカットして、一説(山科で行方不明)だけを引用されているため、まるで『扶桑略記』は書紀の記述を認めていないかのような印象を与えてしまっていますが、これもアンフェアでしょう。

 この他に、伊予国風土記逸文にある太子が温泉を訪れたという記事も、引用の際の「中略」によって、少なからず解釈に変化が生じてしまっています。これらは、原典に当たってみると、井沢氏らが主張されているのとは違う読みが可能です(後述)

 こういったことは、別に井沢氏や『逆説』に限ったことではありません。TVのインタビューなどで、コメントのどの部分を取り出すかによって全然違うものになってしまうのはご存知の通りです。
 大切なことは、情報を鵜呑みにしないで、疑ってみる姿勢です
 とはいえ、風土記や日本書紀ならまだしも、『扶桑略記』や「法隆寺夏期大学講座講義録」は、誰もが簡単に目にすることができる史料ではありません。確認が難しいのですから、自説にとって都合の悪い箇所についてもきちんと紹介してほしいものです。

 これは、井沢氏の繰り返し指摘される「史料至上主義」でも「権威主義」でも「歴史の呪術的側面の無視ないし軽視」でもない、常識的批判だと思いますがいかがでしょう。


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