安倍政権が掲げる強力な金融緩和路線について、「安倍バブル」という言葉がネガティブな意味合いで使われることがある。そうした論説は、1980年代のバブルについても否定的に語ることが多い。そもそも80年代のバブルは金融政策によって起きたものなのか、そして「バブル退治」と称された金融引き締めは適切だったのだろうか。
当時の状況を確認しておこう。日経平均株価については、86年に1万5000円程度だったが、87年10月19日のブラックマンデーで一時下げた後、89年末に3万8915円という最高値をつけた。そして92年初めには2万円を割り込むほど急落した。地価についても株価と同じ傾向であるが、株価より1〜2年遅れ、91年頃にピークとなっている。
一般物価については、86年6月から89年2月まで消費者物価指数はほぼ0〜1%の対前年同月比の上昇率であった。それ以降は93年10月までほぼ1〜3%、そして95年4月以降、消費税増税による見かけ上の数字を除けばマイナスというデフレ状態になって、今日に至っている。こうしてみると、株式・土地の価格だけが異常に上昇して急落したことがわかる。
筆者はバブル期に大蔵省証券局業務課(証券会社の指導監督をする部署)に在籍していた。そこで目のあたりにしたのは、ほぼ違法ともいえる証券会社の営業であった。顧客に対して損失補填(ほてん)を約束しながら株式の購入を勧めていたのだ。その株式の購入資金を顧客の自己資金でまかなうのではなく、銀行が融資するというパターンも横行していた。これは何も株式の購入に限らず土地の購入でもよく見られた話だ。
こうした実態を証券検査の経験から把握していた筆者が当時の上司に報告したところ、上司から証券会社の営業姿勢を改めるような規制を作るように命じられた。
そこで、部内検討の結果、89年12月26日、大蔵省証券局通達「証券会社の営業姿勢の適正化及び証券事故の未然防止について」を出し、証券会社が損失補償する財テクを営業自粛、事実上禁止した。この通達の効果は抜群で、同年末に最高値をつけた後、直ちに株価は急落した。
株式規制だけを適正化するのでは資金が土地に流れるといけないので、90年3月には大蔵省銀行局長通達「土地関連融資の抑制について」を出し、不動産向け融資の伸び率を総貸し出しの伸び率以下に抑える措置をとった。これで、株式と土地に対するバブルは消えた。
ところが、同時期に日銀が金融引き締めも行った。もし当時、「2%のインフレ目標」を設定していたら、一般物価は安定していたので、引き締めは不要だっただろう。
バブルの消去には規制適正化で十分だった。しかも、その後も金融引き締めを解除しなかったことでデフレに陥り、失われた20年となった。誤った金融政策の対応だったと今でも思っている。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)